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ひまわり

作者:ピノ吉


 私は物の形を指先で知り、人との距離を音で聞く。見える景色は何もなく、色というものがわからない。
 だからその四角い箱を手渡されても、四角いということと、ちょうど手のひらに収まるくらいの重さと大きさであることがわかるだけで、どんな色で、どんな模様があるのかまでは、想像すらできない。

「誠一さん、これはなんでしょうか?」
「当ててみてください」

 箱の正体がさっぱりわからず、うーむと唸って空を仰ぐと、「太陽に目を向けるのは毒ですよ」と、彼にたしなめられた。しかし、そんなこと、私には関係のないことだ。そもそも、わかっててそちらを向いているのだから。これは私のどうしようもない癖なのだ。

「向日葵みたいな人ですね」
「そんなことより、この箱のヒントはないのです?」
「ありません」
「まったく、意地の悪い……」

 彼は生真面目な性格ではあるけれど、子供みたいな遊びが大好きな、内面の幼い人だ。彼と初めて出会った頃、出された食事に「これは何?」と尋ねたら、「食べればわかります」と言われた時は、心底腹立たしく感じたこともある。あれこれもと、周囲の人間に任せっきりで生きてきた私は、その時、スプーンですらうまく使えなかったことを、ひどく気恥ずかしく思った。「あいにくと、僕は人形遊びは嫌いなんです」と、彼が言った言葉は、今でも耳に残っている。
 それももう昔のことだ。田んぼでザリガニを釣り上げて喜ぶ子供のように、彼が幼い男で、そこに悪意などなく、それが彼のコミュニケーションであり、私を人として見くれているのだと理解した時、気がつけば、このお遊びを楽しみにしている自分がいた。
 私は彼のお遊びで、紅茶の種類を知って、彼のお遊びで、チョコレートは苦いものだと知った。そして、彼のおかげで、世界はとても広く、美しく、楽しいものだとわかった。
 彼は不思議な雰囲気を持つ人で、いつだってそのペースに載せられて、私はどんどんと変わっていった。

 今だってそうだ。
 自宅の庭で、夏の陽の力強さにうんざりしていたところに彼がやってきて、散歩に出ることとなってしまった。私は涼しい部屋で、彼とともに紅茶の銘柄当てをしているだけで十分な時を過ごせたというのに、わざわざこうして、森林公園までやってきている。

 そして、この箱を渡されたのは、ちょうど公園にある菜園に辿り着いた時だった。
 ふわりと風に運ばれるこの香りは、向日葵だろう。定期的に植えられる花の種類が代わるこの場所は、私に季節の色を教えてくれる。

 私が箱の謎を解こうと、手のひらでモゾモゾといじくり回していると、彼は言う。

かなでさん、この菜園にある向日葵の品種、わかりますか?」
「さすがにそれは触ったところで、わからないと断言できます」

 片手間に返事をすると、彼はクスクスと笑っていた。
 ――あら? この箱、切れ目がある。開閉するのかしら。
 ともすれば、何かが入っているのだろう。

「ここに植えられている向日葵は、パチノゴールドという品種です。背が低いのが特徴ですね」
「詳しいのですね」
「向日葵が、好きですから」

 箱の切れ目にスッと指先を走らすと、くぼみを見つけた。そこに指を引っ掛ければ、どうやら開くようである。

「背が低くとも、このパチノゴールドも立派な向日葵です。いつだって太陽に目を向けて、大きく空を仰いでいます。その姿に、僕はいつだって勇気をもらってきました。その顔を見るだけで、僕は元気が出るのです」

 彼の穏やかな声を聞き流し、私は箱を開けようとする。

「――あ、ダメですよ。逆さまです」
「あら、上下があったのですね」
「慎重に開けてください。大事なものが入っています」

 ひっくり返してもう一度。パカリと開いたその中に、私はゆっくりと指先を這わせる。これでカマキリでも入っていたら、さすがに私は彼にビンタをお見舞いするだろう。一度、指を挟まれてからというもの、アイツは私の天敵だ。
 しかし、そんなことは杞憂で、入っていたものは、小さな金属のようだった。
 箱のなかにどっしりと、それでいてこじんまりと収まっていたその金属は、この夏の日差しに当てられて、ほんのりと暖かかった。
 取り出して、手にとってみると、それが円形をしていることがわかる。そして、小さな石が付いているようだ。

「――っ?」

 私は今日まで光なき世界で培った知識に当てはめて、その正体を考える――いや、本当は手にとって、すぐにわかっていたのだ。この輪っかの正体も、その意味するところも。どこか落ち着かない彼の足取り、上ずった声。私の耳は全てを聞いている。
 それを指先で遊んでいると、だんだんと、胸の奥底が熱くなる。

 私は、ポツリと、尋ねるのだ。

「誠一さん、これは何ですか?」

 しかし彼は、いつもの言葉を返してくれなかった。
 代わりに聞こえてきたのは衣擦れと、靴がアスファルトをこする音。吐息を感じる場所からして、彼が私と視線を合わせるために、地べたに膝をついたことがわかった。
 そうして、彼は言うのだ。

「わかってくださってるでしょう?」
「わかるからこそ、聞いているのです」

 彼との付き合いは長い。そして、その年月に寄って、いい歳しているのに中身の幼い彼に、私は間違いなく好意を抱いていた。だから、いずれこういう日が来てくれないかと、そんな『もしかしたら』を想像したことは何度もある。
 とはいえ、幼い男に恋慕を抱いても、きっと理解されることはないのだろうと開き直って、盲目者と補助者という立場で共に過ごす時間で満足していた。ところが、彼はどうやら私が思っているほど幼いというわけでもなく、私が思っている以上に男の人なのだ。
 ただ、いざこうして直面してみれば、次から次へと、不安と疑問がわいてくる。何よりも、私でいいのだろうか、という思考が、ぐるぐるぐるぐる、脳裏をめぐる。そんな、心境を私は、

「なぜ?」――という、短い言葉で、問いかけた。

 すると、彼がクスリと微笑んだことがわかった。彼は私の手をそっと取り、こういった。

「なぜも何もありません。その答えは一つしか無いのです」
「それは何?」

 彼はいつも通りに、いたずらに声を弾ませ、こういうのだ。

「その答えは、もう言いました」

 手のひらに置かれた輪っかは、私の薬指を通り、彼の大きな手に包まれる。その手から緊張が伝わってきて、太陽のように熱く、そして優しかった。

「ところで奏さんは、僕のことをどうお思いで?」
「当ててみてください」
「そこはすぐに答えを聞きたいところです」
「日頃の私の苦労を知るといいです」

 彼は、今も真摯に私のことを見てくれているのだろう。そして、きっと、これから先もずっと。
 だから、私も――

「あ、ほら、誠一さん、お気づきですか?」
「なんでしょう?」

 ふわりと薫る向日葵の風。それを感じて高揚し、一つ、私は微笑んだ。

「向日葵が見つめる先にいるのは、貴方です」

 そうして、夏の日差しに照らされて、私と彼は、契りを交わすのだ。



ひまわりの種が食べられるのは有名だけど、実は花弁や葉、茎も食べられるよ。キク科だもの。天ぷらにしようぜ。灰汁抜きを忘れずに。

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