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LUNAQUEST 作者:昼空卵

フェルパーと文明

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フェルパーと文明・1

 太陽が真上に昇った頃に鳴る鐘の音を聞いたルナは、すぐに広場へと繰り出した。
 夏の日差しはいやに鋭く、陰を選びながら歩かないと汗が浮かびそうだ。
 尤も、ルナは夏が大好きだ。野原や森を駆け回り、獲物を仕留め、友達と夏の日差しの下で遊んで。
 大量にかいた汗を、清流に飛び込んで洗い流すことのなんと気持ちのよいことか。今となってはそういうこととは無縁になってしまったが、この躰を包み込む熱気は心地よかった。
 盛況に紛れながら、鼻をひくつかせる。お目当ての香りがして、思わず頬が緩んだ。
 それは甘い香りだ。砂糖が香ばしく焼きあがった香りだとルナは知っている。
「こんにちは~」
「おう、いらっしゃい!」
 その香りの元である露店の前にやってきて、ルナは満面の笑みを浮かべて挨拶をした。
 陳列されたものを見て、ルナはじわりじわりと湧き出した唾を飲み込んで言う。
「これとこれ、ください!」
「はいよ。いつもありがとな!」
「はいっ! えへへ……」
 銀貨を2枚手渡して受け取ったのは2つのパンだ。
 どちらもいつも食べてるものとは全く違う上等な小麦を使った柔らかなパンで、1つは砂糖、ドライフルーツを使って甘い味付けが施されている。
 もう一つは蜂蜜をふんだんに使った、やはり甘いどっしりとしたパンだ。
 それはいわゆる嗜好品、"菓子"と呼ばれる食べ物だった。
「それじゃ、5カッパー返すぜ」
「はい!」
 こうして金銭の遣り取りをするのも、もうルナには慣れたものだ。
 行商人として生活を始めて数ヶ月。商売にも慣れてきたし、たまに村人に頼まれる冒険者としての仕事もこなしていずれも成功を収めてきた。もう王都の看板だって読めるし、一人で買い物だってできる。まだ商人としての買い物はエリチェーンに任せっきりだが、ルナはすっかり文明に馴染んでいた。
 そしてルナにとって、この一時は2週間に一度の生活の楽しみだった。行商をして街に帰ってきて、エリチェーンから給金を貰うと、それでお菓子を買って食べるのがすっかり習慣になってしまっている。
 とはいえお菓子に使うお金は些細なもので、残りは全て貯金だ。溜め込み続ければいずれ財布の底が抜けるんじゃないかと心配になったが、ルナの持つ財布は軽い。
 貯まった金貨の殆どは、それを預かることと貸し出すことを生業とする商人に預けたのだ。証さえ無くさなければ、ルナは何時でも好きなときに預けたお金を引き出すことができる。
 その証はもちろんエリチェーンも持っていて、“命の次に大事な物”と言い聞かされたものだ。“従者の証”と同じぐらい大事なものが一つ増えた。
「どっちから食べよっかにゃぁ……」
 暇さえあればあちこちを歩いて、もう王都は自分の庭だ。どこに何があってどんな場所か一通り覚えた。
 この時間帯人気の少ない場所だって知っている。だからそこへ移動して、ベンチに座ってルナは菓子を見比べた。頼むお菓子はいつも同じだが、食べる順番にはいつも悩む。
 砂糖の鮮烈な甘さとドライフルーツの味を一刻も早く舌の上に躍らせるか、蜂蜜の素朴な甘さとそのボリュームを楽しんで腹を満たしてから真打ちの出番とするか。
 匂いを嗅いだり、じっと眺めてみたりしていると、やがて腹がぐぅと鳴った。
「……よし!」
 今日は腹を満たしてからだ。そう決めてルナは蜂蜜のパンを口に運ぼうとした。
「――そこのお嬢さん」
 その時だった。見知らぬ男の声がして、ルナは意識を菓子から声の方向へ向けなければならなくなった。
 見ればそこには上品な身なりの男が立っている。歳は30を過ぎた程度だろうか。
 柔和な笑みを浮かべていて、感じの良い男性だった。
「……にゃにか?」
 しかし、何の目的で声をかけてきたのかよく判らない。ルナは首を傾げて男を見やる。
 男は畏まってお辞儀をして言った。
「突然お声掛けして申し訳ありません。こんなところにお一人で、しかもフェルパーの方とは珍しいと思いまして、つい」
「あの、あにゃたは……?」
「や、これは。失礼しました」
 ルナの問いかけに男は佇まいを正すと、答えた。
「わたくし、アルド・ウェイグと申します。『ファントム・ブルー』という娼館の支配人をしております」
「しょーかん……? しはいにん?」
 聞きなれない単語に、ルナは耳をぴくぴくとひくつかせた。
 男、アルドは丁寧に頭を下げて続ける。
「お客様に一夜の夢を提供する場所、それが娼館です。わたくしはそこで働く方を見つけたり、そのお世話をしたりしているのですよ」
「しょーかんはよくわかんにゃいけど……えっと、それで、にゃんの用でしょう? ……あっ、あたしはルニャ、っていいます」
「ルニャ様ですね」
「あっえっと。そうじゃにゃくて……! ルニャは……あ、えっとルニャにゃんだけど違って……! 『にゃ』が『にゃ』ににゃっちゃって」
 こうして一人で自分の名を名乗る時はいつも一苦労だ。必死に説明してどう頑張っても正しく伝えられないのだ。
 しかしアルドは説明に合点がいったようで、小さく頷いてくれた。
「……あ、あぁ。正しくは『ルナ』様。そうですね?」
「そっそうですそうです! よかったぁ……いっつもこれでにゃやんじゃって」
 悪いことばかりではない。これ自体が話の掴みになるようで、初対面の相手とも早く打ち解けることができるのだ。
 それは目の前にいる人間、アルドも例外ではなかったようで、二人して笑いあった。
「えっと、それでアルドさん……あたしににゃんの用でしょう?」
「はい。わたくしの仕事についてはご説明した通りです。娼館で新しく働いてくれる方を探している最中でして……」
「だから、ルニャに声を?」
「えぇ。どうでしょう、ルナ様? 働く口でよければ、わたくしがご紹介できますが」
「えっと、それは……」
 ルナは耳と尻尾を垂れ下げて、それから胸元から“従者の証”を取り出してみせた。
 それを見たアルドは、明らかに驚きに目を丸くしていたようだった。
「え、あっ……!? それは……!」
「あはは……ルニャ、ちゃんと働いてます。商人にゃんです。だから、折角だけどごめんにゃさい」
 今度はルナが驚く番だった。次の瞬間アルドが猛烈な勢いで謝りだしたのだ。
「も、申し訳ありません! わたくしそうとは知らず、大変失礼なことを……!」
「ちょ、ちょっとそんにゃ……謝ることにゃいですよ!?」
「いえ! 全てわたくしの偏見から来た間違いです!」
 アルドを宥めすかしていると、やがて彼はお詫びの印として小さな店へ連れていってくれた。
 そこは菓子を専門に作る店で、露店では見たこともないようなお菓子まで並んでいる。
 店内ではお茶も楽しめるようにできていて、ルナでもひと目でこの店が高級な部類に入ると解った。
「好きなものをお召し上がりください。本当に申し訳ありませんでした……」
「だ、大丈夫。気にしてにゃいですから……!」
 そうは言いつつルナの目はすっかり見たこともないお菓子に釘付けだ。
 卵の黄身のような美しい黄色と乳白色のクリームがふんだんに使われたお菓子が気になって、ルナはそれを一つ頼むことにした。
 お茶はアルドが適当なものを選んでくれた。手元にはまだ自分の買ったお菓子まであるし、ルナはすっかり思わぬ幸運が降って湧いたような気さえしていた。
「あの……どうして、ルニャがお仕事してにゃいって思ったんですか?」
 折角だからと思って、ルナはアルドに聞いてみることにした。
 いくらなんでもひと目見ただけで仕事をしてるかしてないかなどわかるはずがない。事実、そういう人へ働き口を紹介しているらしいアルドが思い切り間違えている。
 何かこれはと思うところがあったに違いないと、ルナは考えた。
 アルドは真剣な顔をして答えてくれた。
「失礼を承知の上でお答えさせていただきます。……貴女がフェルパーだからです、ルナ様」
「フェルパー……だから? でも、どうして? そんにゃのが理由ににゃるんですか?」
「そうですね……。ルナ様、貴女はこの文明において、フェルパーがどのような扱いを受けているか、ご存知ですか?」
「……うんっと……よくしらにゃい、です」
 自分がフェルパーであることと、仕事をしていないことと、何の関係があるのだろう。ルナには皆目見当もつかない。
 アルドは小さく頷いて、説明してくれた。
「まず、フェルパーという亜人についてご説明しましょう。はっきり申し上げますと、彼女達は文明に馴染めない亜人として大変有名なのです」
「えっ!? どうしてですか?」
「簡単に申し上げれば、価値観の違い。そしてその身体的な特徴です。まずは価値観の違いから説明しましょうか。ルナ様、貴女は『恋』をしたことがありますか? 誰かを心の底から好きになったことは、ありますか?」
「好きにゃ人は、いるけど……」
「それは、男性ですか?」
 アルドの問いに、ルナははっきり首を横に振った。
「……ううん、おんにゃの人。ルニャの命の恩人で、ルニャを行商人として育ててくれる、親ににゃってくれた大事にゃ人。ルニャはその人が好き。誰よりも好き」
「なるほど。素晴らしい方に恵まれたのですね。……しかしそれは、『親』に向ける愛情ですね。恋愛とはまた違う。子供が実の親を慕う、そういう感情でしょう。違いますか?」
「違わにゃい、です」
 ルナにとってエリチェーンはかけがえのない存在で、心の拠り所だ。
 実の母親に甘えるような、そういう好意的な意識を向ける相手。
 他に“好き”の感情があるのかと、ルナは首を傾げた。
「……質問を変えましょう」
 アルドは茶で口の中を湿らせて続けた。
「『男性を愛することはありますか』?」
「そんにゃこと、あるわけにゃい。だって、男の人は――」
 言葉を遮り、アルドが引き継いだ。
「子供を産むために必要な存在。……そうですね?」
「……はい」
 それはルナの個人的な感性ではない。フェルパーだったら誰もが同じことを答える“常識”だ。
 男性は、フェルパーにとって子を作るために必要なだけで、それ以上の存在ではない。
 自分の母親も、友人も、皆同じ考えだった。
 だからルナは、父親という存在を考えたこともなかった。
「男性を愛することがない。……フェルパーは例外なくそうだと伺っております。これがまず一つ、フェルパーの文明に馴染めない理由の一つです」
「それは、どうして?」
「フェルパーは子を産むために何人もの男性と関係を持つのが当たり前です。そして、子を産めばそれは自分達だけで育てる。男性の介入する余地はない。しかし、その常識はこの文明ではいい顔をされないのです。一人の男性を愛し、生涯を添い遂げ、共に子を育てる、それがこの文明の常識なのです。……真逆であることがおわかりでしょう?」
「……そうみたい、ですね」
「どうして複数の男性と関係を結ぶか、こちらはご存知でしょうか?」
 ルナは再び首を横に振る。
「それは、貴女達フェルパーに備わる特有の性質、『発情期』が原因です」
「発情期……」
「特定の時期になれば、フェルパーは子を作るために男性を誘惑します。しかしその時の性欲は凄まじく、とても一人では手に負えない。だから複数の男性を相手取るのです。複数の男性と関係を結ぶ、しかしその淫蕩な性質はこの文明では許されません。ですから、フェルパーの殆どは街の外に里を作り生活をしている。……貴女も元はそうだったのでは?」
 アルドの指摘は全てが当たっている。ルナは頷いた。
「……もともと、ルニャも里で暮らしてました。『亜人狩り』のせいでその里が全滅して、色々あって、そのおんにゃの人に助けられた。親代わりににゃってもらって、今は商人として仕事をしてます」
「『亜人狩り』……!? ……も、申し訳ありません、嫌なことを思い出させてしまって……!」
「ううん。今はもう大丈夫にゃんです。ハンターギルドにも情報を提供したし、ルニャはもう、商人として生きるって決めたから。一緒にいてくれる人もいるから、寂しくにゃいです」
 アルドは再び茶を口に含み、少しの間逡巡した様子を見せてから続けた。
「……本当に、良いお方に恵まれたのですね。貴女様の今後が幸せなものであることを、わたくし、祈らせていただきます」
 ルナは満面の笑みを浮かべて、アルドに礼を述べた。
「ありがとうございます」
「では……話を戻しましょう。もちろんフェルパーが全員この文明に馴染んでないかと言えばそれは違います。ルナ様のように商人として生きている方はわたくし初めて見ましたが、フェルパーでもこの街で働ける場所が一つだけあります」
「……しょーかん、ですね?」
 アルドは小さく頷いてくれた。
「はい。娼館は一夜の夢を与える場所。フェルパーのその性質や価値観を何の問題としない場所なのです」
「一夜の夢って、にゃんですか?」
「簡単にご説明すれば、お客様と一夜限りの肉体関係を持ち、満足させる。それが娼館の仕事です」
「……ルニャの故郷でも同じようにゃこと、してたにゃあ」
 フェルパーは、その躰を売り物にしていた。
 時折里に訪れる人間相手に、まさに同じことをして物品を手に入れたり、あるいは知識を得たり、そうして発展をしてきたのだ。
 それは自分の母親も例外ではない。ルナは幼い時分から、母親が男性相手に“そういうこと”をして対価を手に入れている姿は何度も見てきたことがある。
 まだルナはそういうことをするには早いと経験をしたことはなかったが、知識としては備えていた。
「ですから……あの時、わたくしはルナ様が働き口を見つけていないに違いないと決めつけてしまったのです。本当に申し訳ありませんでした」
「気にしてにゃいです! ……それに、ルニャも疑問に思ってたのがやっと解決しました」
「疑問、ですか?」
 首をかしげるアルドに、ルナは続けた。
「街にはいっぱい人が居るのに、同じフェルパーを見かけることが殆どにゃかったから。他の亜人はいろんにゃお仕事をしてるのに、フェルパーだけいにゃいの、どうしてだろうってずっと不思議だったんです。それに、ルニャが商人だって言うとみんにゃ驚いてた。そういう理由だったんですね」
「……『発情期』に入ったフェルパーの対策は、非常にお金がかかることで有名です。数十ゴールドは平気で持っていってしまう。だから、誰も好んで雇おうとしないのです。毎月決まった給金を支払えばいい他の亜人と違って、フェルパーだけ一年に一回、莫大なお金を持っていく。それは商人という目線から見れば好ましくないのですよ。わざわざフェルパーを雇うより、他の亜人を雇うほうが安上がりですからね」
「しょーかんは、そういうことにゃいんですか?」
「えぇ。わたくしどもは自分達でその対策を実行できます。ですからお金は殆どかかりません。だからフェルパーを雇うことができるのです」
「そうにゃんだ……」
 ルナは店で注文したお菓子を口にした。
 それはこれ以上の美味があるのかと思うほどの甘さが口の中に広がって、自然と笑みがこぼれてしまう。
 自分の買ってきた菓子ももちろん好きなのだが、比較してしまうと霞んで見えた。
「……えへへ。おいしいっ♪」
「それは良かった。このお店のお菓子は、わたくしどもの娼館で働く方達の中でも特に評判がいいのですよ」
 自分で買ってきたお菓子もすっかり平らげて、ルナはアルドと別れることにした。
「美味しいお菓子をありがとうございました! あたし、あんにゃ美味しいお菓子食べたの初めて!」
「いえいえ。ルナ様、これからも頑張ってくださいね。陰ながら応援しております」
「はいっ! アルドさんも……新しく働いてくれる人が見つかりますように!」
 丁寧にお辞儀をして去るアルドを手を振って見送り、ルナはそこで口の端にクリームが残っていることにようやく気づいた。
 指先で拭って舐めとると、濃厚な甘さが口いっぱいに広がって幸せを感じる。
「……ん」
 けれど、気楽に喜んでばかりもいられない。アルドの言葉が脳裏で反響する。
 "『発情期』に陥ったフェルパーの対策は、非常にお金がかかることで有名です――"
 彼から学んだフェルパーと文明の関わり合いは、ルナの心の中に微かな不安を沸き起こらせてもいた。
 行商人として生きている今の稼ぎで十分なのだろうかと疑問が生まれたのだ。
「エリチェーン……宿にいるかにゃ」
 疑問に答えを出してくれるのは、やはりエリチェーンしかいない。
 宿へ向かって歩きだす速度は、自然と早くなっていった。
+注意+
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