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鐘の音は空高く
作:-聖-


 その光景を見た瞬間、俺は後悔のあまり思わず呟いた。
「来るんじゃなかった……」
「あたしも思った」
 そう言いながら俺の隣で盛大にため息をついたのは、彼女の由美である。
 高校の同級生である彼女とは、かれこれ付き合い始めて7年になる。仲の良い知人たちの間ではすっかり結婚するものだと思われているようだが……そんな話は不思議なくらい出てこない。
 それどころか、付き合いの年月が長いせいもあり、俺らの関係はすっかり所帯染みた感じになっていた。俗にいう「マンネリ」というやつかもしれない。
 その由美と初詣に来ようなどと思ったのは、本当に偶然の思い付きだった。12月も末だというのに気温が高く空もよく晴れていたので、なんとなく外に出たくなったのである。
 そしてどちらから言い出したわけでもなく、電車に揺られること30分、俺たちは京都の河原町駅にやってきていた。お目当てはもちろん、八坂神社での初詣である。
 よくよく考えれば当たり前なのだが、駅前の大通りはものすごい数の人で溢れかえっていた。時刻は11時くらいである。ぞろぞろと八坂神社に向かう人を呆然と眺めている間にも、駅の中から人が湧き出てくる。
「どっからこんなたくさんの人間が集まってくるんだろうな」
「さ〜。こんなん、高校のときに行ったディズニーランド以来だよ」
 由美の言葉を聞いて、俺は5年前のクリスマスに行ったディズニーランドの悲惨な混み様を思い出し、思わず苦笑した。
 こっちには神様がいるんだから、混んでても当然というわけだろうか。日本人は無宗教の人が多いくせに、こういうお祭りごとのような行事だけは参加したがる人が多い。
 もっとも、今は俺もその一人なのだから、あまり文句を言えた口ではないが……。
「あれ、鐘の音が聞こえる」
 軽く空を見上げ、由美が耳に手を当てた。
「え、鐘?」
 つられて俺も耳を澄ませてみる。前を行くギャルたちのバカ笑いが非常に耳障りだが、なるほど確かに鐘の音が鳴り響いていた。
「そういえば、八坂さんの裏にお寺があるよね」
「ああ、知恩院だろ? でっかい鐘があるんだよな」
 しばしの沈黙。八坂神社に向かってバラバラの行進を続ける人々の中を、俺たちは宛てのない船のようにフラフラと進む。
 別に意図していたわけではないが、気づけば俺も由美も自然と八坂神社への道から外れていた。神社の入り口の脇に立つ警備員が、「知恩院はこちらです」と声を張り上げている。
「この坂上っていけばいいんですか?」
「はい、あがっていけばすぐに見えますので」
 俺が尋ねると、警備員は気持ちの良いほど朗らかな口調で教えてくれた。
 俺も由美もすっかりお寺にいくつもりになっていた。以心伝心、というやつである。長年の付き合いの賜物か、別に言葉はいらない。面倒くさがりの由美のことだ……人の少ない知恩院に行くだろう、と俺は思う。そして彼女も俺に対して同じことを考えているだろう。
 付き合い始めのカップルのように小指だけをつなぎながら、俺たちは坂をノロノロと上がっていく。
 そのとき、道の隅で涙目になりながら立ちすくんでいる少女の存在に気づいた。歳はまだ4、5歳だろうか。髪を頭の左右で束ね、暖かそうな白のコートに身を包んでいる。
「どうしたの?」
 由美がすばやく近づき、少女に声をかけていた。あれでも一応保母さんの卵なのだ。小さいコが困っているのを見かけたら放っておけないのだろう。
「ママいなくなっちゃった……」
 消え入りそうな声で呟く少女。そんな彼女の頭をなでながら、由美は俺の顔を見た。
「お寺までいけば警備員か警察官がいるだろ。取りあえず上まで連れて行ってあげよう」
「うん、そうね」
 由美は少女の手を取ると、ゆっくりゆっくりと坂をあがり始めた。
 エリコと名乗った少女は由美の手をしっかりと握り締めていた。その様子を目の前にして、俺はなんとなく苛立ちを覚えていた。
 昔は俺だって……そうやって愛しそうに手を握り締めていた時期があったような気がする。でも、それも今では過去の話。何もエリコちゃんに妬いているわけではない。それを見て少しでも羨ましいと思っている自分に腹が立つのである。
 俺は息を吸い込むと、2人の前に出ようと歩調を速めた。前に出てしまえば、2人の姿が視界に入ることもない。
「お兄ちゃん、ダンナさん?」
 それはあまりに唐突な奇襲だった。2人を抜こうと、俺が真横に並んだちょうどその時である。たったの二言だった。しかし、どこか胸に突き刺さるような言葉。
 ごわあああん、という除夜の鐘の音が耳に届く。身体の芯に響く心地いい音のはずなのに、どうにも落ち着かない。無垢な少女の瞳が、俺を見上げているのだ。
「ううん、違うよ」
「お姉ちゃんのことキライなの?」
 子どもをこれほどまでに怖いと思ったのは初めてである。おそらく彼女も何かを意図して訊いているわけではないのだろう。なぜ「好きなの?」ではなく「キライなの?」と聞いたのかとか、そもそもなぜそんなことを聞くのかとか、別に理由などないのだろう。
 しかし、変に意識してしまうのだ。由美は由美で、なんとなく苦い顔をしている。俺らにとって、なんとも居心地が悪い状態だった。
「あっ!」
 突然、エリコがそう叫んだ。そして自分が握っていた由美の手を、俺の手とくっつけて走っていく。とっさのことだったが、俺の手はしっかりと由美の手を握っていた。
 エリコはというと……お寺の入り口に母の姿を見つけたようである。大好きな母の手に、飛び掛らんばかりの勢いでしがみついていた。
 どうやらエリコの母は、俺たちのが彼女を連れてきたことには気づかなかったらしい。小さなエリコを抱きしめると、そのまま除夜の鐘がある境内の奥へとエリコを連れて歩いていってしまった。
 その途中、エリコがチラッとこちらを振り返る。
「神様っているもんだな」
「……うん」
 彼女の手を握り締めながら、俺はなんとなく呟いた。暗くてはっきりとは分からないが、由美の顔がこころなしか赤い気がする。そういう俺自身も、一体どんな情けない顔をしているのだろうか。
 ごわああああん……。
 緩やかな余韻を残し、除夜の鐘が夜空に響きわたる。今年もやがて終わりを迎えるだろう。でも、終わりは始まりの前奏曲に過ぎないと、高校の時の音楽の先生が誇らしげに言っていた。
「行くか」
「うん、行こ」
 由美がニッコリと笑った。俺はぎこちなく微笑み返すと、手を握り直してから除夜の鐘の音が鳴るほうへと向かっていった。














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