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DAGGER 戦場の最前点 作者:BLACKGAMER

DAGGER 有色の戦人

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04章 気まぐれな帰宅-1


【ティスト視点】

朝一番でグレイスを発ってから、数時間。
延々と続く荒野の中を、サリと供に歩いていた。
「………」
真っ直ぐに前を見ているサリは、黙々と足を動かしている。
気を抜けば、置いていかれそうなほどの早足だ。
早く終わらせて帰りたいという気持ちを、隠そうとする気もないみたいだな。
焼け付くような日差しを浴びながら、サリに遅れないようにと足に力を込めて歩く。
本当に無口だな。
出立のときにレオンと言葉を交わして以降、一度も声を聞いていない。
二人の間に流れるのは、足音と、俺が磨錬石を擦り合わせる音だけだ。
「………」
周囲を見渡しても、時折、砂が風に舞い上げられているくらいで、警戒すべき物なんて見当たらない。
変わり映えしない風景は、無言で観賞するには不向きだ。
魔族の領地に向かうときには、まるで味わうことのなかった退屈だな。
あのときは、セレノアとアイシスの三人で…だったが、絶えず、誰かが口を開いていた気がする。
「………」
黙って歩くのも、いい加減に飽きてきたし、聞きたいことも山ほどある。
どう話題を切り出すか考え、何の感情も映していない横顔をちらりと見て確信する。
くだらない世間話よりは、単刀直入に質問を投げたほうが、まだ望みはありそうだ。
「少し、聞きたいことがあるんだが、いいか?」
顔を正面に向けたまま、瞳の動きだけで俺を見る。
そして、淡々と唇だけを動かした。
「あなたが話しかけるのは、自由よ。私が答えるかどうかも自由。それでいいかしら?」
「ああ、十分だ」
無視されることも覚悟していたが、想像していたよりはマシな反応だな。
それに、元より、全ての答えがもらえるなんて思ってやしない。
「俺とアイシスが使っている部屋は、誰のものなんだ?」
まずは、会話のきっかけとして、なるべく当たり障りの無い質問を投げかけてみる。
主人の趣味を表すかのように置かれた、たくさんの芸術品たち。
何度考えてみても、あれが客室だとは思えなかった。
「私の、妹の部屋よ」
少しの間をあけて、はっきりと答えてくれる。
たしか、三姉妹と言っていたな。長女はレイナ、次女がサリ、そして、三女は…。
「つまり、レオンの妻で、セレノアの母の部屋…か」
俺の言葉に小さくうなずいて、正解と認めてくれる。
薄々、勘付いてはいたが、やはりそうか。
王妃の部屋であれば、あれだけの広さや居心地の良さも納得できる。
「妹さんのこと、聞いてもいいか?」
「何の話をすればいいの?」
「好きだったものでも、嫌いだったものでも、人となりでも、なんでもいい。
 どんな人だったのか、聞いてみたいんだ」
俺が知っているのは、知識としてだけだ。
レオンの妻、シーナ・グレイスと、ガイの妻、ユミル・ブラスタが亡くなったのが原因で、前大戦は集結した。
そんな簡素な情報では、セレノアの母は、レオンの妻は、レイナとサリの妹は語り尽くせないだろう。
「………」
俺の顔を見て息をつき、顔の角度をわずかにこちらへと向けてくれる。
どうやら、真面目に話してくれるみたいだな。
「あの子は…」
息を吸い込み、吐き出すのを数回繰り返す。
そこには、深い悲しみによる感情の揺らぎが見て取れた。
悪いことを聞いたかな。
「あの子は、好き嫌いが、激しい子だった。
 わがままで、自分勝手で、気性が荒くて。素直じゃなくて、そのくせ、恥ずかしがりやで」
昔を懐かしむような口調で、途切れ途切れに特徴を挙げてくれる。
ほとんどが欠点だっていうのに、その声は、深い愛情で溢れていた。
「でも、根は優しかった。いつも周囲のことを考えていたわ。そして、強かった。
 魔族の女でレオン様と引き分けたのは、後にも先にも、あの子ぐらい」
誇らしげに語るサリの口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。
予想を超えた饒舌ぶりには、驚かされるばかりだ。
好きなもののことを話すときだけは、別なのか?
それとも、もしかしたら、これが本来の姿なのかもしれないな。
「セレノアは、母親似なのか?」
「ええ、外見も中身も、本当に良く似ている。生き写しと言っていいくらい」
優しい目をして、サリが応える。
なるほどな、セレノアのあの性格は、母親譲りなのか。
サリの言葉は、止まらない。
特徴が終わり、今度は、過去の出来事を話してくれる。
レイナ、サリ、シーナの、三姉妹のこと。
シーナとレオンの、夫婦のこと。
シーナとセレノアの、親子のこと。
その情景を思い浮かべながら、ロアイスまでの道を歩く。
聞けば聞くほどに、セレノアとの類似点や相違点がいくつも発見できて、面白い。
最初から、こうして聞いておけば良かったな。




話が途切れる前に、まばらに草が生えている境を超えて、草原に入る。
ようやく遠くに街道が見えたところで、サリが突然に足を止めた。
「私は、ここで」
そういい残し、こちらの反応も待たずに、サリが踵を返す。
来たとき同様の早足のおかげで、即座に後姿が小さくなっていく。
「ここまで案内してくれて、ありがとう。気をつけて帰ってくれ」
遠ざかる背中へと、大きな声で感謝の言葉を投げる。
心配無用、余計なお世話といわれるかもしれないが…な。
「あなたも…ね」
小さな声が、草原の風に運ばれて、はっきりと俺の耳にまで届く。
まるで歩みを緩めずに返された一言は、予想外なものだった。
「少しは、打ち解けられた…かな?」
砂塵に紛れて見えなくなるまでその場で立ち尽くし、一方的な見送りを楽しんだ後。
今更ながらに街道の歩きやすさを実感しながら、ゆっくりと家路を辿った。



「ただいま」
返事を求めて耳をすませ、誰もいないリビングで立ち尽くす。
どれだけ待っても、『おかえり』という耳慣れた優しい声も、見慣れた笑顔もなかった。
「さすがに、都合が良すぎる…か」
愚痴をこぼし、何気なく部屋を見回す。
そして、テーブルの上に埃一つ落ちていないことに気づいて、思わずため息が漏れた。
「とても、数日の間、留守にしていた人間の家とは思えないな」
ゆっくりと部屋の隅々にまで視線をめぐらせ、出かける前との差異を確認する。
頻繁に使うテーブルや椅子はもちろん、食器や小物の置いてあるところまで、綺麗に汚れを拭い落としてある。
年に一度だけやっている大掃除の後だって、こんなに我が家が綺麗なことはない。
「本当に、都合が良すぎる」
ここまでしてもらって、それでもまだ何かを望むなんて、欲張りすぎだ。
明日の朝、いや、一休みして、今日の夜には、ロアイスまで行けばいいか。
まずは、部屋に荷物を置いてこよう。
ぶらさげたままの袋を背負いなおして、俺は二階へと上がった。



俺の部屋のドアが、わずかに開いている。
締め忘れ? いや、あのユイが?
「ユイ?」
問いかけながら、ゆっくりと扉を開いた。
「…!」
部屋の一番奥にある、ベッドの上。
気持ち良さそうな顔で毛布に包まり、ユイが静かに寝息を立てていた。
部屋の隅には、ユイが愛用している掃除道具が、やや乱雑に置かれている。
どうやら、掃除の途中だったみたいだな。
午後の日差しが窓から差し込み、部屋の中を暖めてくれている。
日の光をたっぷりと吸い込んだシーツと毛布は、最高の寝心地を提供してくれるだろう。
ユイが眠くなるのも、分かるな。
「………」
毛布をかけなおそうとしたが、どうにも出来ずに、あきらめる。
あんな風に毛布を抱くように眠っていたら、引っ張ったところで離してくれないだろう。
「まあ、いいか」
この暖かさだから、風邪をひくこともないだろうし、昼寝の邪魔をしたら可哀想だ。
綺麗に広がった髪は、まるで、太陽の光を吸い込んだように淡く輝いて見える。
あどけない、幸せそうな寝顔は、絵画にして残しておきたいほどだった。
それをもう少し楽しむために、ベッドの脇に椅子を用意して、静かに腰掛ける。
飽きるほどまで味わった、この少し硬い木の感触。
それに自分の体重を全て預け、ゆっくりと息をつくと、自然にあくびが出た。
「…そうか」
心から安らいでいることに、ようやく気がついた。
日常の中へ帰ってきたという実感が、身体の中に固まっていた疲れを溶かし出す。
身体中がゆっくりと重くなっていくというのに、まるで、不快感がない。
張り詰めていたものが、だんだんと途切れていく。
どれだけ自分が無理をしていたのか、今更ながらに思い知らされた。
「ただいま」
眠っているユイを起こさないように、声を抑えて、ささやく。
返事がなくてもかまわない。
聞こえていなくたっていい。
その一言で、様々なことが実感できる。
ここが、俺の帰るべき場所で、それを守ってくれたユイには、本当に感謝してもしきれない。
起きたユイが、顔を真っ赤にして謝るまでの貴重な数分間。
俺は、これ以上ないほどにゆっくりとした時間の流れを味わった。




「ふぅ…」
大きく息をついて、身体の力を抜く。
料理の熱と暖炉の熱が、身体の中で混ざり合い、極上の毛布に包まっているときのような安らぎをくれる。
焚き木が爆ぜる音が、耳に心地良い。
目を閉じれば、そのまま眠ってしまいそうだ。
食事の余韻に浸る、至福の時間。
魔族の風呂もなかなか良かったけど、やっぱりこのほうが落ち着くな。
「はぁ…」
思わず深いため息をもう一度つくと、食器を下げて戻ってきたユイと目が合った。
「大丈夫?」
空いた皿を台所まで下げてくれたユイが、心配そうに俺を覗きこむ。
「久しぶりに、食べ過ぎたかな」
「はい、これ」
差し出されたトレイの上には、グラスに入った水が二つ。
酔い覚まし…か、相変わらず、気が利くな。
「ありがとう」
「ほんと、今日はたくさん食べたよね」
「ああ。ユイの手料理は何度も食べてきたけど、今日のは、格別に美味しかったよ」
一口食べるたびに、心と身体が満たされていくのが分かった。
今も身体の中から暖めてくれる料理たちが、いかに力をくれていたのか、痛感させられる。
当たり前だと思っていたことは、とても贅沢で、とても幸せなことだった。
「喜んでもらえて、あたしも嬉しいよ。
 ティスト、ちょっと痩せたみたいだったから…良かった」
「そうか?」
まあ、あれだけ食べるのを抑えてれば、当然か。
普段の三分の一なのだから、それで身体を維持しろというほうが、無理な注文だ。
「アイシスちゃん、大丈夫かな」
「俺の分まで置いてきたし、しばらくは問題ないはずだけど…」
断言することができず、どうしても、語尾を濁してしまう。
心配なのは、俺も同じだ。
セレノアに任せてきたし、安全だとは思うが…なるべく早めに迎えに行かないとな。
「ふふっ」
向かいに笑顔で座ったユイが、左手でグラスを傾ける。
さっきから、何をするにも利き手は残している。
右手は、テーブルの上に乗せた磨錬石から離れない。
指先で撫で、手のひらで触れ、その感触を楽しみ続けている。
「気に入ったみたいだな」
「うん、とっても」
幸せそうにうなずくと、くるくるとテーブルの上で回転させてみている。
暖炉と蝋燭の炎を吸い込んだように、石が鈍い光を放つ。
それをいっぱいに映しているユイの瞳も、輝いて見えた。
こうしてみると、毛糸玉にじゃれる猫みたいだな。
「なあ、ユイ」
「? なあに?」
「頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
「いいよ。どうしたの?」
回していた石を止め、手のひらで包み込んでから、ユイが俺のほうへと向き直る。
グラスの水を飲み干し、完全に酒の酔いを追い出してから、俺は口を開いた。
「俺の所持金を、食糧に変えてもらえないか?」
俺の真剣さを汲み取ってくれたのか、ユイが居住まいを正す。
一口だけ水を飲むと、頬の赤みが、すっと消えていった。
「それって、魔族のため?」
言葉足らずだった俺の頼みを、問い返すことで、ユイが補完してくれる。
相変わらず、俺の意図を正確に読み取ってくれるな。
「ああ、魔族に持って行きたいんだ」
さっきのユイの料理を味わって、決心がついた。
一日に一回の食事だけで一生が終わるなんて、あまりにも不憫ふびんだ。
それに、もうすぐ、それさえも出来なくなるほど、魔族の食糧事情は、追い詰められている。
たとえ、俺が運べる程度のわずかな量だとしても、無いよりはマシだろう。
「レオンは、ロアイスへの依頼と言っていたし、俺が動く必要はないかもしれないけれど…。
 俺にもできることがあるならば、しておきたい」
ユイの目を真っ直ぐに見て、自分の考えをはっきりと告げる。
それが、わがままなことを頼む側の、最低限の礼儀だろう。
「あのお金は、ティストの物なのに…本当に、いいの?」
「ああ。アイシスとも相談して、そういう結論になったんだ。
 引き出しの中で眠らせておくのだけだと、もったいないし、必要になれば、その都度、稼げばいい。
 それに、贅沢もしたことだしな」
結局、あの一度きりだったが、それでも十分に楽しかったし、満たされた。
金に対しては、何の心残りもない。
「だから、あれを全部使って、用意して欲しいんだが…難しいか?」
「んー、できないことは、ないと思うけど…」
歯切れ悪く返事をして、ユイが、ぎゅっと石を握り締める。
控えめに…とはいえ、それでも、あのユイが難色を示すのだから、かなり大変なのだろう。
長い付き合いのおかげで、それくらいのことは分かる。
「難しいようだったら、遠慮なく断ってくれ。ユイに迷惑をかけたくないからさ」
「ううん、迷惑なんて思ってないよ。ちょっと、やり方を考えてただけ」
気遣いのための嘘にも聞こえるが、ユイがそういうなら、追求すべきではないだろう。
そんなことをするくらいなら、もっと、ユイが喜んでくれることをするべきだ。
「魔族の人たちって、ほとんど料理をしないんだよね?」
「ああ、そのはずだ」
セレノアの話では、料理の心得があるのは、ほんの一握りという話だった。
素材や環境から推測するに、腕前も、たいしたことはないだろう。
「だったら、用意するのは、食材じゃなくて、加工済のほうがいいかな?
 日持ちするのが一番大事だろうし、そのまま食べられるほうが楽だろうし…。
 それに、もし、必要な調理道具や調味料がなかったとしても、困らないしね」
料理のための道具に調味料…か、そこまでは、気が回らなかったな。
あれだけ文化が違うんだ、あると期待するほうが無理だろう。
「出発までって、まだ時間があるんだよね?」
「ああ。返事を待たなきゃいけないだろうからな、そう早くないだろう」
「だったら、食材を買ってきて、加工は、あたしがしようかな?」
「そのほうが加工済みのを買うより安上がりだし、市販の物よりも少し長持ちするように作れるから。後は…」
頬に手を当てて、ユイが考え込む。
まだまだ、気にするべきところは、いくつもあるだろう。
そして、その中には、俺一人だったら気づかなかったことも、たくさんあるはずだ。
「やっぱり、ユイに相談してよかった」
「?」
ぽつりと漏らした言葉に、ユイが首を傾げる。
話すべきか迷ったが、ここは、素直に白状しておくべきだろうな。
「最初は、自分で店を回って、用意しようかと思ったんだ。
 だけど、俺は、値段の相場も詳しくないし、価格交渉の話術もない。
 大きく買い付ける伝手もなければ、素材の良し悪しを見分ける術もない。
 ちょっと考えただけでも、本当に、できないことだらけだったんだ。
 それに、無計画に金を投入しすぎると、市場が破綻することもあるらしいしな」
いかに闘技祭で優勝したことが知れ渡っていたとしても、俺が持っているのは、その程度で得られるような額じゃない。
しかも、店を経営しているわけでもなく、買い付けた食糧の用途は不明。
そんな奴には、誰も商品を売りたがらないだろう。
「俺なんかより、ユイのほうが、ずっと有効に俺の金を使える。
 だから、ありがとう。俺の身勝手に付き合ってくれて、よろしく頼む」
俺の言葉が染み入るように、ユイの口元がゆっくりと綻び、目が細められる。
満面の笑みは、見ているほうが嬉しくなりそうなほどに、喜びに満ち溢れていた。
「うん。任せといて。他の誰に頼むよりも、最高の物を揃えて見せるから」
穏やかながらも、頼もしい笑みを浮かべて、請け負ってくれる。
おそらく、ユイの断言したとおりだろう。
ロアイス中の誰に頼んだとしても、同じ金額で同レベルの物は、絶対に用意できない。
本当に、頼りになるな。
「この埋め合わせは、いつか、必ずさせてくれ。
 なんだったら、手間賃として、いくらか先に払うしな」
「お金なんて、いらないよ。あたしには、これでもう十分なんだから」
愛おしむような手つきで撫でた後、石に手のひらを乗せる。
まるで、宝物に触れるように優しく、両手で包み込んだ。
この表情が、この仕草が、どんな苦労をしようとも、また、土産を用意してこようという気にさせてくれる。
本当に、いい笑顔だ。


【セレノア視点】

「つっ…くぅっ…」
痛みに歯を食いしばりながら、アイシスが湯ぶねへと腰を下ろす。
アタシも、昔は何度かやったことだから、その辛さはよく分かる。
「ふくらはぎとふとももを、よく揉んでおきなさい」
「は…い…」
言葉に詰まりながら、アイシスが自分の足へと手を伸ばす。
少し動かし、痛みに手を止め、それの繰り返し。
まあ、そうまでしても、明日の朝まで、あの足は、ほとんど使い物にならないだろう。
「飛び石は、ちょっと難易度が高すぎたわね」
点在する石を、その場からの跳躍だけで渡り歩く、魔族の稽古法。
助走さえ許されない状況だから、脚力以外に頼れる物は何もない。
次の石まで届かせなければならないから、手を抜くこともできないし、次の石までの距離を調整すれば、常に限界を維持することになる。
無駄なく力を伝えるために、正確に足場を捉える癖もつくし、今のアイシスなら、伸ばせるところの多い稽古だ。
「まあ、動達のときは、しょうがないわね。身体が順応するまで、多少の痛みは、我慢するしかないわ」
「どう…たつ?」
動達どうたつ考達こうたつよ、知らないの?」
魔族なら、誰でも知っている、初歩の初歩だ。
戦いで高みを目指す者なら、最初に必ず教えられる心構えなのに…。
「すみません、聞いたことがないです」
「ふぅん」
ティストとアイシスに、こうして説明するのも、これで何度目だろう?
魔族特有の言葉や物って、そんなに多いのかしら?
「セレノアさん? 教えてもらえますか?」
「ああ、ごめん、動達と考達の話だったわね」
母上に教えてもらった言葉を、記憶の底から呼び起こす。
大事なことだと、何度も何度も聞かされたから、今でも、一字一句違わずに覚えている。
「身体を動かすことで、一つ上の領域に達すること、これを動達どうたつと呼ぶ。
 頭で考えることで、一つ上の領域に達すること、これを考達こうたつと呼ぶ。
 二つを積み重ねて、更なる高みに上りし者こそ、真の強者足りえるだろう」
耳に残っている母上の声とあわせて、一息に言葉を連ねる。
もし、自分の限界を感じることがあったら、必ず思い出しなさい…と、母上は、そう言っていた。
アタシよりも、今のアイシスのほうが、きっと、役に立つだろう。
「奥が深いですね」
眉間にしわを寄せて、真剣な顔でアイシスがうなずく。
真面目に聞いてくれてるのはいいけど、いたって順調に成長してるんだから、ちょっと考えすぎね。
「あんまり、難しく考えないほうがいいわよ。
 ようするに、基礎訓練が足りてないのか、持っている力を発揮し切れてないのか、見極めなさいって話なの。
 底力が足りてないのに、戦い方ばかりを気にしても意味が無い。
 その逆で、どれだけ力があっても、使い方が下手だったら、まるで無意味。
 だから、何を鍛えるべきか迷ったときには、足りないと思ったほうを磨きなさい…っていう教えよ」
どちらかだけを重視していると、そのうち、必ず行き詰る。
だから、伸び悩んだときには、自分が傾倒していたのと逆を高めなさい…というわけだ。
まあ、それを全て無視したブラスタ家みたいなのもいるから、一概には言えないけど…。
一生懸命に話を聞くアイシスの顔を見て、その話は、心の中にしまっておく。
「アイシスの場合、考達は足りているはずよ」
「本当ですか?」
「ええ。今のところは、十分にね」
飛び石の稽古を始める前に、軽く手合わせをして確認のだから、まず間違いない。
攻撃、防御のどちらの手段にしても、多彩と言っていいくらいには、技を持ち合わせていた。
そして、それぞれの使いどころや組み合わせにしても、アタシが見た限りは、決して悪くない。
持って生まれた感性がいいのか、周囲が見せた手本がいいのか、どっちにせよ、及第点は、あげられるだろう。
「逆に、自分の頭で描いたとおりに、動けていないときがあるでしょ?
 だから、アタシは動達のために、飛び石を選んだのよ」
図星なのか、アイシスが苦い表情で小さくうめく。
技の精度が上がらないのは、習熟が足りないからだ。
対応策なんて、身体に染み込ませるか、それを扱えるだけの力を身に付けてやるしかない。
「ティストやアイシスがたまに使う、あの歩法だと、特にそれが目立つわね。
 今のアイシスでも使えてはいるけど、本当の意味で使いこなすなら、今よりも遥かに強靭な脚力が必要になるはずよ。
 それを理解した上で、筋力を高めていくと、ふとした拍子に一段上にあがったことを体感できるときがある。
 そこまで届いたら、ようやく動達として一歩進んだってわけ」
「一段上…ですか?」
「そう。口で表現するのは、ちょっと難しいわね。あればっかりは、自分で体験するしかないわ」
高みに達したものだけが味わうことのできる、他人とは共有できない、あの感覚。
まるで、何かの真理を掴んだような気分になれる。
「アイシスが意識してないだけで、たぶん、今までにもあると思うわ」
「………」
難しい顔で、アイシスがうつむく。
きっと、思い返して動達の瞬間を探しているのだろう。
「まあ、そのうち、実感させてあげるわ。
 それが、数日で届くのか、気の遠くなるような繰り返しの果てにたどり着けるのか、誰も分からないけれどね」
魔族では、一つ上に達するまでの時間が短い物を、才ある者として認めている。
ただ、努力よりも感覚が強いから、こればっかりは、どうしようもない。
「…ふふっ」
横目で見ると、今まで真剣に聞き入っていたアイシスが、目尻を下げて笑っていた。
「? 何がおかしいの?」
「いえ。やっぱり、セレノアさんって、優しいなぁ…って思って」
「? いきなり、何を言い出すのよ?
 今までの話の、どこからそんな結論が出てきたわけ?」
なんで、稽古と欠点の話から、優しいなんて単語が出てくるのか、まるで理解できない。
でも、そんなアタシの疑問に対して、アイシスは首をゆっくり横に振った。
「こんなに親身になって教えてくれるなんて、優しいですよ。
 こうやってはっきり言ってもらえると、すごく参考になります」
何の臆面もなく相手を褒め、してくれた行動に感謝する。
ティストといい、アイシスといい、どーしてこうなのかしら?
言ってる本人はいいかもしれないけど、聞いてるこっちは、恥ずかしくてしょうがないわ。
「お世辞言ったって、稽古に手心は加えないわよ。アタシは、ティストみたいに甘くないんだからね」
「はい、よろしくお願いします」
余裕の笑みを浮かべて、アイシスが頭を下げる。
その、ティストも浮かべる意味ありげな笑いが、なんか、気に入らないわね。
「本当に、手加減はなしでお願いします。
 お兄ちゃんに追いつくには、まだまだ足りないぐらいですから」
「…ふぅん、ならいいけど」
まったく、強がっちゃって…。
でも、こういう姿勢は、アタシも嫌いじゃない。
それでこそ、教えがいがあるってものだしね。
「やっぱり、ティストに勝ちたいの?」
「いえ、近づきたいとは思いますけど、勝ちたいとは、あんまり…」
「ふぅん、あくまでも憧れなのね」
近づくだけでいいなんていう感覚は、アタシには理解できない。
アタシも、父上に近づくのを目標にしているけど、いつかは勝ちたいと思っている。
「憧れ…も、たしかにありますけど…私の場合は、ちょっと違うんです」
「違うって、何が?」
えっと、とアイシスが言いよどんでから、ゆっくりと口を開いた。
「この前、私とお兄ちゃんで、魔族の人たちと戦ったじゃないですか」
「ブラスタと戦ったときの話?」
「はい。あのとき、お兄ちゃんは、一人で行くつもりだったんです。
 それでも、私が強引について行ったんですけど…」
ティストと速さを競い、認められたことを、アイシスが嬉しそうに話してくれる。
あの戦場に立つまでに、そんな経緯があったなんて…ね。
「この先も、同じようなことが、きっと何度もあると思うんです。
 お兄ちゃんは、強いから…隣にいるには、それだけの強さが必要なんです。
 だから、私は強くなりたい。せめて、お兄ちゃんのそばにいても、許してもらえるくらいに…」
意志の込められた瞳を輝かせて、真剣な眼差しで、そう告げてくる。
熱の入った声は、聞いているだけで火傷しそうだ。
その情熱が、熱意が、覚悟が、全てが心地いい。
勝利以外のために、強くなりたい…か。
やっぱり、面白いわね。
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