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DAGGER 戦場の最前点 作者:BLACKGAMER

DAGGER -戦場の最前点-

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12章 嘆(なげ)く少女-5

【アイシス視点】

あんなに静かだった店内が、今は耳をふさぎたくなるくらいだ。
刃がぶつかり、擦れ合う音が、断続的に響いている。
先生と騎士団長が繰り広げる、激しい剣戟。
今までの経緯を見てきたのに、どうしてこうなったのか、自分でもよく分からない。
でも、先生が戦っているのは、間違いなく私のせいだ。
「どこまで生き延びられるか、見物だな」
勝ち誇ったように笑うその声に、足がすくんで動かない。
本当なら、今すぐにでも逃げ出したかった。
「騎士団を連れてくるなんて…」
「一番の儲けを不意にする馬鹿が、どこにいる?
 アイシスは、絶対に逃さん」
凄みのある低い声に、全身の肌が粟立つ。
眉間にしわを寄せて睨みつけるあの顔には、覚えがある。
あの後には、必ず、気が済むまで好き放題に罵られ、殴られる。
少しでも反抗的な態度を見せれば、いつまでも続く。
あの人が思うようにならない限り、絶対に終わらなかった。
「今なら、数々の無礼はなかったことにしてやる。
 さっさと来いっ!! アイシスっ!!」
「………」
唇は震えるだけで、声なんて出せない。
昔の記憶が、私の身体を鉛のように重くする。
動かないことが、私に出来る精一杯だ。
「さっきも言ったでしょう? アイシスちゃんはここにいるって。
 さっさと帰りなさい」
私を背中に庇うように、ユイさんが前に立ってくれている。
でも、ダメだ。
それくらいじゃ、何も変わらない。
こんなことで、逃げられるわけがない。
「貴様らが調教し直したわけか。
 反抗できるような手ぬるい飼育をした覚えはないが…。
 二度とそんな大それたことが考えられんように、徹底的に叩き潰してやる」
纏わり付くような声のせいで、うまく息ができない。
どれだけ吸い込んでも、全然足りない。
荒い呼吸なのに、息苦しさが増していくだけだ。
「どけ、女」
「近寄らないで。そんなこと、絶対させない」
「私の所有物をどうしようと、貴様に文句を言われる覚えはない」
「ふざけないで。自分の子供が嫌がることを、どうして親ができるの!?」
「いったい、何を勘違いしているのだ?
 こいつが…私の高貴な血を継いでいると、本気で思っているのか?」
「え?」
なに? 何を言ってるの?
「…どういう意味よ?」
「私に家族などおらん。無論、子供もな」
「!? じゃあ、アイシスちゃんは…」
私は…いったい、なに?
「そいつは、孤児だ。
 路地裏に吐いて捨てるほどいる奴らの、その一匹に過ぎない」
なに? 何を言っているの?
孤児? 私が? なんで?
頭が上手く働かない、考えれば考えるほど、おかしくなりそうだ。
私が覚えている記憶は、この男に怒鳴られ、叩かれているところだけ。
それより前は、ない。
だって、生まれたところを覚えている人なんて、いるわけ…ない。
でも、私に嘘をつく必要も…ない。
「役に立つどころか、私の手をわずらわせおって…。
 貴様のような穀潰しは初めてだ」
「初めて…って? あなた、何人もの子供を!?」
「数いる中でも、お前が一番の高値が付きよった。光栄に思うがいい」
「最低ね」
「野垂れ死にするところに施しをくれてやったんだ、恩に報いるのが当然というものだろう?」
二人の会話が、遠くに聞こえる。
言葉を聞いても、頭の中にまで入ってこない。
やっぱり、私は馬鹿なんだ。
「文句があるなら、生まれてきた自分に言うのだな。
 お前は、不要な存在だから、捨てられたんだ」
言葉を乗せて向けられた人差し指が、私を貫く。
どうしてだろう? 妙に納得してしまう。
どうしようもなく出来の悪い私を…本当の両親は、必要としなかったんだろう。
むしろ、邪魔だと思ったかもしれない。
悪いのは、生まれてきた私。
悪いのは、何をやらせてもダメな私。
悪いのは、私なんだ。
「お前は、私に利をもたらすためにのみ、存在が許される。
 さっさと役目を果たせ」
あの最低な生活が、私の生きる意味?
私が生きているのは、こんな男のため?
「これ以上、手間取らせるな」
足音を響かせて、私へと近づいてくる。
その姿は、命を奪いに来る死神よりも禍々しく見えた。
この人に従って生きることは、きっと、死ぬことよりも辛い。
恐怖が私の喉を締め上げ、呼吸ができなくなる。
手足が痺れたように痛んで、がたがたと震えだす。
ここにいたら…私は、壊れる。
私の言うことなんて、まるで聞いてくれなかった足が、勝手に動きだす。
考えるよりも前に、私は飛び出していた。


【ティスト視点】


扉の音に視線を向ければ、ドアが揺れていた。
「ティスト!! アイシスちゃんが…」
「ああ、分かってる」
さっきまでの会話は、出来る限り聞いていた。
店を飛び出していって、自棄を起こさなければいいが…。
「チッ、手間の掛かる…」
アイシスの後を追うために、奴が出口へと向かう。
貴様なんぞを、行かせるか。
「ユイ、避けろ」
ユイが離れたのを確認させてから、風の魔法を発動する。
拳ほどの硬さにまで収束して、容赦なく顔面にぶち当てた。
「がっ…あっ…」
だらしなく、地面に倒れこむ。
致命傷にはなってないはず…だが、殺してもいいくらいの気分で放った。
すぐには、動けない。
「下衆が」
こんなことをしても、少しも気は晴れない。
さっさとアイシスを追わないと…。
「逃がさん」
出口へと向けた俺の視線を察知して、ヴォルグが道を塞ぐ。
「邪魔なんだよ。どけえっ!!」
全力でダガーを振り下ろしても、二つの刃に受け止められる。
「チィッ!!」
ダメだ、焦りで太刀筋が乱れているのが、自分でも分かる。
こんな奴の相手をしている暇はない。
横目で、ラインさんとシアさんの状況を確認する。
既に二人とも四人を寝かしつけて、最後の一人を相手にしていた。
「ラインさん、シアさん、こいつをお願いできますか?」
「任せとけ」
「いいわよ、行ってらっしゃい」
二人の力強い言葉に、足へと力を込める。
疲れなんて微塵もない、いつでも全力で走れる。
「ごめん、お願い」
「ああ、必ず連れて帰ってくる」
申し訳なさそうに謝るユイに、一度だけうなずき返す。
後は、こいつをどうにかするだけだ。
「ほざくなぁっ!!」
倒す必要はない、凌げればそれでいい。
右側から迫り来る一撃をダガーで迎撃して、かまわず横を走り抜ける。
「くらえぃっ!!」
双剣が、次々に俺へ向かって牙を剥く。
受けられるものだけ止めて、後は無視。
守るのは、命と、走るための足だけでいい。
後は、好きなように切らせてやる。
「まっ…」
「人の話を聞かないわね」
「てめえは、俺がぶちのめしてやるって言ってんだろ?」
俺の背を守るように、二人の声が響く。
絶対の信頼に守られ、出口までを全力で駆け抜けた。


【アイシス視点】


立ち止まることが恐くて、闇夜の草原を、ただひたすら走り続ける。
どっちへ向かっているのかも、その先に何があるのかも、全然分からない。
だって、行くあてなんてない。
この最低な現実から逃げられるなら、どこだっていい。
「はぁっ…くっ…」
心臓が暴れて、うまく呼吸ができない。
その息苦しさがなければ、狂ってしまいそうだった。
私がしてきたことは、無駄。
あの男のいいつけに従ったことも、クリアデルに入ったことも、全てが無駄。
何一つとして、価値なんてない。
ただ、聞く必要のない命令を言われるままに、生きてきた。
今までの私は、なんだったの?
痛くて、辛くて、苦しくて…もう嫌だと思うことを何度も味わってきた。
その全てが、無駄だったなんて…。
路地裏から救ってやった?
こんなことなら、野垂れ死にしていたほうがマシだった。
「い…や…」
思い出したくないのに。
忘れてしまいたいのに。
私の足が遅いせいで、過去の記憶が追いついてくる。
本当に、全てが最低だった。
幸せも喜びもなく、ただ諦めて受け入れるだけの日々。
思い出すのも、おぞましい。
どうして、あんな思いをしてまで我慢したんだろう?
自分の馬鹿さに、吐き気がする。
耐えてきた日々が過酷なほど、騙されていた自分が許せない。


「ッ!?」
草に足を取られて、勢いよく地面に転がる。
反射的に手をついて、一秒もかけずに立ち上がり、また走り出す。
受身で衝撃まで逃がして、馬鹿らしい。
なんで、立ち上がるの?
そのまま、転がっていればいい。
この風に体温を奪われて、死ねばいい。
『それとも、まだ走り足りない? いつまで走れば満足?』
その問いかけが、自分を絶望させる。
どうせ、どこまでいったって、逃げられないんだ。
そうだ、もう無理なんだ。
自分で出した結論に従って、足を止める。
どんなに離れても、あいつは、必ず来るんだ。
そして、私は馬鹿だから、また同じようにだまされて利用される。
生きている限り、きっとそれは変わらない。
あんな奴のために生きるぐらいなら…。
薄ら寒い音を立てて、鞘からダガーが解き放たれる。
月明かりに照らされて、刀身が輝いていた。
切れ味は、私も知っている。
私の命なんて、簡単に奪ってくれるはずだ。
自分の首筋に、刃を押し当てる。
このまま力を入れたら、全てが終わる。
「終わるんだ」
自分の声が震えている。
本当にいいの?
本当に、終わらせていいの?
あの家で過ごした日々は、決して悪いものじゃなかったのに…。
全てを捨てるの?
先生もユイさんも、とても優しくしてくれた。
私なんかのために、わざわざ気を使ってくれて。
いつも私の反応を気にしてくれて。
何もなかった私に、住む場所を、服を、知識を、技術を、仕事を。
たくさん、たくさん、返しきれないほどに、あの二人はくれたのに。
私が、それを投げ出すの?
首筋に当てた冷たい刃先が揺れて、私の喉を引っ掻く。
「…っう」
その痛みに、刃を離してしまいそうになる。
恐い?
この期に及んで、死ぬのが恐いなんて…。
だから、私は馬鹿なんだ。
こんな決断さえ出来ないから、そこにつけこまれるんだ。
胸の前で刃先を喉へと向け、両手で持つ。
勢いをつければいい。
止める暇さえなければ、私でも…。


目を閉じる。
刃さえ見なければ、きっと、恐くないはずだ。
反動をつけて、ダガーを喉へ突き立てた。
ずぶりっ…という、肉を切り裂く不快な音。
「…?」
いつまで待っても、痛みがこない。
感覚が麻痺してるから?
恐る恐る、目を開けてみる。
「………」
草原に広がる、赤い鮮血。
私の首筋を包む、大きな腕があって。
そこに、深々と私のダガーが突き刺さっている。
なに? これ?
「自分に刃を突き立てる癖は、早いうちに直した方がいい…って、言ったよな?」
息が掛かるほどの距離から、聞きなれた声が響く。
なんで? どうして?
どうして先生がここにいるの?
「どう…して? 
 どうして、放っておいてくれないんですか?」
 どうして、死なせてくれないんですかっ!?」
あと少しだったのに、もう少しで出来たのに…。
「落ち着け」
「あ…」
抑え付ける先生の手から、鮮血が伝い落ちてくる。
その暖かさを感じたら、ふりほどくことなんて出来なかった。
これを、私がやったんだ。
どうして?
先生に怪我をさせるつもりなんてなかったのに…。
「お願いだから…邪魔、しないで…ください」
「俺との約束は、反古になったのか?
 アイシスがいなくなったら、また俺は晩飯を一人で食べることになるんだぞ」
先生の優しい声に、息が詰まる。
約束。
そうだ、たしかに先生と約束した。
食事のときだけは、向かいに座っていてほしい…と。
「俺との約束よりも、あんな奴を優先するのか?
 俺の価値は、アイシスにとってその程度か?」
「…ち…がう」
そんなはずない。
先生があいつよりも下なんてこと、絶対にない。
「なら、約束を守ってくれよ」
先生の優しい言葉に、心が折れそうになる。
でも、だけど…。
「私は、生きていたらダメなんです。
 誰かを不幸にするだけですから。
 先生だって、私のせいで、たくさん怪我して、迷惑が掛かって…」
私がいなければ、先生はもっと幸せだったかもしれない。
私のせいで、どれだけの重症を負ったのか考えれば、絶対にそうだ。
全ては、私のせいなんだ。
だから、私がいなくなればいい。
「そんなことない…って言っても、アイシスは信じてくれないだろう?」
小さく、首を縦に振る。
それは、先生の優しさから出た言葉で、本心とは限らない。
「私は、必要のない人間なんです。
 産みの親にも捨てられるような、いらない存在だから…」
力強く、身体が締め付けられる。
息もできないほどの力に、私の言葉が止められた。
密着した腕から伝い落ちてくる鮮血は、焼けるような熱を帯びていた。
「頼むから、それ以上は言わないでくれ。
 その言葉は、俺にも同じように刺さるからな」
さっきまでの力を抜いて、先生が語りかける。
弱弱しく、切ない声。
あれは、今の私と同じで、必死に何かを堪えているときの声音だ。
「どういう…意味ですか?」
「俺もアイシスと同じだ。親の顔も知らないし、血の流れも分からない」
孤児? 先生が?
信じられない、でも…。
人里放れた家で、一人で暮らしていた。
両親の姿を見るどころか、話さえ、一度も聞いたことがない。
先生は、ずっと一人だった。
「同じ身寄りのない者同士…という意味では、俺たちは兄妹なんだな」
「きょうだい?」
「ああ」
先生が、私のお兄ちゃん?
だったら、どんなにいいだろう。
だったら、どんなに幸せだろう。
でも、現実は違う。
あの最低な男が、私の父を名乗っていただけで…。
私の家族は、どこにいるのかも、生きているのかさえ、分からない。
私は、一人だ。
「なあ、アイシス」
髪を揺らす熱い吐息に、鳥肌がたつ。
力強いその声は、私の一番奥にまで届いた。
「だまされて、他人の娘になっていたんだ。
 なら、もう一度だまされてくれないか?」
なに? 何を言われているのか分からない。
嘘を宣言をしておいて、それにひっかかれっていうの?
そんな、馬鹿げた話…。

「アイシスは、実は俺の妹なんだ」

「…!」
先生の声が私の耳朶に響き、心の中へ溶けていく。
頭の中が真っ白になって、呼吸さえ忘れそうになる。
『アイシスは、実は俺の妹なんだ』
もう一度、その言葉を繰り返して、噛みしめる。
それは、私が知っているどんな嘘よりも優しい。
いつもそうだ。
先生は、私が一番欲しい言葉をくれる。
「私は、馬鹿だから…。そんなこと言われたら、だまされます」
こんな言い方じゃ、いけないって分かっているのに…。
素直に自分の気持ちを、言葉に出来ない。
「だますのはこれで最後だから、許してくれ」
そんな私を、両腕と言葉で、先生が優しく包んでくれる。
涙が溢れて、止まらない。
嬉し泣きなんて、作り話だと思っていた。
「本当に、いいんですか?」
それは、相手の優しさを疑う、最低の言葉。
でも、答えてほしい。
確かめないと、ただ信じるのが恐くてしかたないから。
「一人で住むには、あの家は広すぎる。
 それは、アイシスもよく分かっているだろう?」
いつもと変わらない穏やかな声で、そう答えてくれる。
見ず知らずだった私に、空いていた一部屋を使わせてくれた。
それくらい広いのは、私だって知っている。
だけど、そこに住むのは、何の取り得もない私じゃなくてもいいはずだ。
「私、何にもできないですよ。料理だって、掃除だって、洗濯だって…」
「アイシスが覚えたいなら俺が教えるし、そもそも家事を押し付けたいわけじゃない。
 俺は、アイシスにいてほしいんだ」
思いきり腕で抱きしめられて、力強くて、でも、心地よい圧迫感が私を襲う。
このまま押しつぶされて死ぬのは、きっと一番幸せな死に方だ。
「…っ」
頬を伝って流れる涙は、どうやっても止まってくれない。
どうして泣いているのか、もう自分でも分からない。
ただ、感情が昂ぶって、涙が抑えられなかった。
首筋を伝って、先生の血と交じり合い、流れ落ちていく。
私のせいでこんな怪我をしたのに、一言だって責めたりしない。
痛いはずなのに、いつもと同じように平然としていて。
「ごめん…なさい」
「気にするな。俺は、兄貴なんだからな。
 今日ぐらいは、好きなだけ甘えればいい」
その言葉で、ようやく理解する。
私は、甘えたかったんだ。
私に注がれる優しさが、嬉しくてしかたなくて。
嘘じゃないんだって、本当なんだって、あの声で言ってほしくて。
でも、もういい。もう、十分だ。
もう許してほしいことなんて、思い浮かばない。
「…っ…ぁ…っ」
口を開いても、声がうまく出せなくて、言葉にならない。
私が、こんなにも嬉しいことを、感謝していることを、分かってほしいのに。
きっと、どんなに話しても、この気持ちは伝えきれない。
でも、こんなにたくさんの優しさをもらったから、どうしても、これだけは言いたかった。
「お…にぃ…ちゃん」
かすれた、自分でも情けなくなるような声。
でも、先生は…お兄ちゃんは、優しく頭をなでてくれた。
「これからもよろしくな」
「っ…くっ…うぅぅっ…」
我慢していたものが、壊れていく。
みっともないくらいに、声をあげる。
生まれて初めて出来た家族の腕の中で、一生分の涙を使い尽くすぐらい、私は泣いた。
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