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DAGGER 戦場の最前点 作者:BLACKGAMER

DAGGER 有色の戦人

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16章 気まぐれな決意-1

【ティスト視点】

どうにか魔族の領地へと戻ってきてから、数分後。
部屋につくなり上着を脱ぐと、アイシスが傷口を診てくれた。
「くっ…うっ…」
包帯と傷口がすれ合うたびに、全身を掻き毟るように痛みが走る。
我慢しようとしても、勝手に唇が押し上げられ、息が漏れてしまう。
「お兄ちゃんっ!!」
「大丈夫…だ。頼む」
どうにか声を震えさせることなく、不安顔のアイシスへと返事をする。
表情を曇らせて、それでも、小さく頷くと、アイシスは治療を再開してくれた。
布団の上に大の字に倒れこんだままで、ギッと歯を食いしばる。
俺にできるのは、みっともない声をあげないように口を閉ざして、アイシスの邪魔をしないことぐらいだ。
「…本当に、無事で良かったです」
甲斐甲斐しく包帯を巻き替えてくれるアイシスが、ぽつりとつぶやく。
幾重にも交差した数え切れないほどの傷口、多量の失血に加えて、広範囲の火傷まである。
たしかに、よく生きていた…と言われても、仕方がないな。
「後は、任せてください」
「頼む」
頼もしい台詞に安心して、言われた通り全てを任せ、目を閉じる。
話題を考える余裕もなければ、口を開く元気も残っていなかった俺には、ありがたい言葉だった。
痛みから逃げるように、呼吸を整えて、深い眠りへと自分を誘う。
とびきりの悪夢を見ないように祈ってから、かろうじて残っていた最後の緊張を解いた。



「邪魔するよ」
どれぐらい眠っていただろう。
数十分、いや、数時間かもしれない。
待ちわびていた相手の登場に、微睡まどろんでいた意識を覚醒させる。
レオンが座るまでのわずかな時間すら待てずに、気づけば、口を開いていた。
「三人の容体は?」
「君たちのおかげで、なんとか、命に別状はないようだ」
そこで言葉を区切り、どっかりと地面へ腰を下ろす。
横たわる俺と治療を続けるアイシスの顔を順に見てから、ゆっくりと言葉を続けた。
「ほとんど医学の心得はないので、完全な私見になるが…。
 セレノアには、目立つ外傷は、それほどなかった。
 呼吸も安定していたし、しばらくすれば、目を覚ますだろう。
 レイナとサリは、かなり手酷くやられたようだね。
 完治までに、おそらく十日…いや、それ以上かもしれないな」
「そう…か」
どうにかそれだけつぶやいて、込み上げてくる苦い後悔を飲み下す。
とてもじゃないが、良かった…なんて胸を撫で下ろせる気分ではない。
「魔族の中に、癒しの魔法を使える者は、いないのか?」
「残念ながら…ね。
 君の周りには使い手が何人もいるが、本来は、あれを使える者なんて、かなりの希少なんだ」
癒しの力は、いくつもの条件を見たし、過酷な試練を乗り越えたものだけが手にできるという話だ。
それに、そもそもが魔族と仲の悪い精霊族の使う魔法だというのも、魔族に浸透しない理由の一つなのかもしれない。
「なら、自力で回復してもらうしかなさそうだな。
 術者を呼んで来ることができれば、回復は早いだろうが…」
「無事に連れてくることができれば、の話になるからね」
言いよどんだ俺の後を、レオンが引き継いでくる。
呼びにいくとき、連れて帰るとき、襲撃の機会は、いくらでもある。
そんな危ない橋を、誰かに渡らせるわけにもいかない。
「まったく、人の心配をしている場合じゃないだろう?
 私の見立てでは、君が一番の重症のはずだ」
「べつに、この程度なら、いつものことだ」
全身の疼きを無視して、笑ってみせる。
痛がったところで、不要な心配をかけるだけだ。
「すみません。もう少し、私の足が速ければ…」
それまで黙っていたアイシスが、悔しそうにつぶやく。
皆が重傷を負ったことに、責任を感じているのだろう。
「それを言うなら、俺も同じだ。
 もう少し善戦していれば、被害を抑えられた。
 それに、応急処置だって、もう少し的確にできたはずだからな」
反省することを挙げたら、数えきれない。
それほどに、今回は失態の連続だった。
「二人とも、どうか、気に病まないでほしい。
 謝らなければいけないのは、こんな事態へと巻き込んだ、私のほうなのだから」
座りなおしたレオンが、地面へと額を擦り付ける。
魔族にとっての最大の謝意の表れ…か。
「本当にすまなかった、今回のことは、完全に私の手落ちだ。どうか、勘弁してほしい」
深々と頭を下げたまま、レオンは、顔をあげようとしない。
心底申し訳ないと思っているのは、その態度からも十分に感じる。
だが、必要なのは、そんなものじゃない。
「…ッ」
痛みを飲み込んで身体を起こし、右膝を立てて身体を預ける。
この姿勢ならば、それほどの負担なく、レオンの目を見て話が出来る。
「謝罪は、いらない。欲しいのは、説明だ」
何も知らず、何も分からず、強大な敵に襲われたら、適切な対処もできやしない。
逃げを打つべきか、時間を稼ぐべきか、相手を消耗させることに全力を注ぐか。
そのあたりの判断は、相手の素性に寄るところが大きい。
どこの誰とも知らない相手では、自分の直感に頼るしかなくなってしまう。
「レオンが復讐を誓っているのは、聞いていた。
 だが、こちらが狙われているというのは、初耳だ。
 しかも、なぜ、その標的がセレノアなんだ?」
セレノアは相手のことを知らなかったようだし、直接の因縁があるとは、どうしても思えない。
もっと言えば、単独で奴の怨みを買えるほどの力量でもないはずだ。
「私を最も苦しめるための、回りくどい復讐劇だ。…ということでも、説明はできるのだがね。
 やはり、君たちには、真実を知ってもらうべきだろうな。
 しかし、いいのかね? これを話せば、本当に君たちを巻き込むことになる」
今の俺では、背伸びしても届かないほどの領域にいる者たちの戦いだ。
この件に首を突っ込むつもりなら、命がいくつあっても足りないだろう。
「私は、レジとクレアに殺されたくはないからね。
 君たちには、私の領地で危険な目にあってほしくないのだ」
冗談の下に隠された気遣いに押され、もう一度、冷静に考えてみる。
今までの話からでは、どんな秘密が待ち受けているのかは、想像もできない。
だからといって、不用意に話を聞いてしまうのも危険だろう。
もしかしたら、セレノアの代わりに、俺たちまで狙われる可能性が出てくるかもしれない。
「これから聞かせてくれる話は、師匠たちも知っているのか?」
「断片的な情報から、漠然とは…ね。私がしようとしているのは、その子細な説明だ」
師匠たちが知っているよりも、さらに深い情報…か。
それだけでも、十分に危険な話だという予想がつくな。
「どうする?」
「私は、お兄ちゃんの判断に任せます。
 たぶん、私とお兄ちゃんの選んだ答えは、同じだと思いますから」
屈託なく笑って、決定を俺に委ねてくれる。
見透かされている…というよりは、信頼されていると思いたいところだな。
「話は決まったな。聞かせてもらおうか」
俺の言葉に、笑みを浮かべたアイシスが目を細める。
どうやら、答え合わせは一致したみたいだな。
「本当に、いいのかね?」
「セレノアが狙われている以上、見過ごす気にはなれない
 それも、あれだけの猛者が敵となれば、なおさらだ」
「ありがとう。では、本題に入ろう」
咳払いとともに、レオンが居住まいを正す。
俺とアイシスも心を静めて、次の言葉を待った。

「魔族には、失われた命を、一度だけ蘇らせる魔法がある」

「命…を? 死んだ者が、息を吹き返すっていうのか!?」
「そんな…」
それが本当だとしたら、途方もない話だ。
戦争をしてまで食糧を奪いあうのは、生きるためだ。
それなのに、死んでも生きかえることができるならば、その行為が無駄になる。
生きるために食べ、食べるために働く、そんな当たり前が全て破綻してしまう。
「言い方が悪かったね。そんなに驚いてもらえるような、大層なものではない。
 蘇るといっても、様々な制約が存在するし、期間も限られている。
 到底、復活とは呼べないような代物さ」
吐き捨てるようにしたレオンの口元が、ぎゅっと引き結ばれる。
何かをこらえるように閉じられた口と、遠くを見るような悲しい目。
数秒遅れて、その表情の意味に思い当たった。
もし、本当に人を生きかえらせることができるのなら…。
今でも、レオンの隣で、笑っているべき存在がいるからだ。
「にわかには、信じられないだろう?
 秘術を使った本人たちですら、半信半疑だったし、それは、魔法を掛けられた者も同じだった。
 だが、シーナとユミルは殺され、事実として、一週間だけ生き返った」
「一週間?」
「ああ、その期間だけだ。元来、復讐を成し遂げるために使われる魔法らしくてね。
 殺された者は、残された時間で、自分を殺めたものを手にかける。
 そのためだけに、この魔法はあるんだ」
それだけ言い終えると、レオンが口をつぐんで、ゆっくりと首を横に振る。
これ以上は、語りたくない…とその悲しげな顔が告げていた。
「じゃあ、相手がセレノアさんを狙った理由は…。
 人質にして、その魔法のことを聞き出そうとしたから…とかですか?」
「だといいのだがね。そんな人道的な手段を期待できる奴じゃない」
口に出すのも不愉快だというように、眉間にしわを刻んで、嫌悪を露わにする。
不機嫌になる気持ちも分かるが、これは、聞いておかなければならない話だ。
失言だと思って口を閉ざしてしまうアイシスに代わって、質問を続ける。
「じゃあ、セレノアを連れ去って、どうするんだ?」
「魔法が落ち着いて見られる場所まで連れ帰って、殺すのさ。
 あのときから、奴が今でも変わっていないのなら…。
 目の前で魔法が発動すれば、技が盗めると信じているはずだ。
 自分より魔法に精通している者はいないという傲慢な自負が、そうさせるのだろうな」
魔法の発動する瞬間を見れば、たしかに、分かることは少なくない。
多少なりとも真似ることはできるし、その技の構成を予測することもできる。
だが、それを魔族の秘奥技でやろうとは、大胆不敵にもほどがある。
「しかし、魔法で、本当にそんなことが可能だとはな」
おそらく、原理や系統としては、癒しの魔法などに近いのだろうが…。
どれだけ想像をめぐらせても、その糸口さえ見えなかった。
「魔法に無限の可能性が秘められているとはいえ、限度を超えている。
 そんな、世の摂理を覆すようなことが…」
口にして、何かがひっかかる。
それはアイシスも同じだったようで、しきりに首を傾げていた。
「? 今の言葉、どこかで…ぁ」
思い当たる節でもあったのか、小さく声を上げたアイシスの顔が、みるみるうちに真っ青になる。
「どうした? 大丈夫か?」
「あのとき、イスク卿が…」
その名前を聞いて、聞きたくもないあの嫌味な声が、勝手に頭の中へと浮かんでくる。
『魔族には、王族のみに口伝で伝わる絶大な魔法があると聞く。
 なんでも、世界の摂理をも覆す…とか』
「…!」
思い出すのと同時に、全身を氷漬けにされたかのような寒気が走り、身体が震え上がる。
そうだ、ロアイスでの会談の際に、たしかにイスク卿が口走っていた。
「気付いたようだね。そのとおりだ。さすがの私も、戸惑ったよ。
 まさか、有力な手掛かりと思える者が、あんなところにいたとはね」
口調こそ冷静に取り繕っているが、握りしめた拳からは、闘気があふれている。
それも仕方ないことだろう、胸中穏やかでいられるわけがない。
「じゃあ、奴らとイスク卿は、何らかのつながりが?」
「そう決めつけるのは、早計だと分かっているつもりなのだがね。
 それでも、締め上げて、洗いざらい吐かせてしまいたくなる」
よりにもよって、あの男が一枚噛んでる可能性があるとは…な。
だが、そうであっても、なんら不思議はなかった。
ロアイス中に届く強大な影響力は、手を組む相手としては、さぞかし都合がいいだろう。
それを供与する代わりに、イスク卿も、師匠たちを凌駕するほどの強さを借り受ける。
取引としては、悪くないだろうな。
「まあ、それも、今となっては、それほど気にならんがね。
 ようやく、私の近くにまで、出てきてくれたのだ」
自分ではない者へと向けられた殺気が、部屋の中へと充満していく。
もし、殺気が目に見えるものなら、部屋中が一色に染めあげられているだろう。
「ここまで話を聞かせた上で、あえてお願いする。
 今後、君たちは、奴に手を出さないでくれないか?」
右の拳を床へと突き立て、レオンが前へと乗り出して懇願してくる。
持て余すほどの力を注がれた拳は、骨を軋ませて、異音を立てていた。
「馬鹿なこだわりだというのは、重々承知している。
 しかし、奴は、奴だけは…この手で仕留めなければ、気が済まないのだ」
大きくならないようにと抑えつけられた声には、色んな想いが詰められている。
紐解くこともできないほどに凝縮されたそれは、ロアイスの中庭でも感じた悲壮な決意だ。
刺し違えても殺すという、捨て身の覚悟。
ここに至るまでの理由を見れば、仕方のないことかもしれない。
それでも、見過ごすことができなかった。
「手を引く代わりに、一つだけ条件がある」
「何かね?」
「怒りを抑えろとは言わない。だが、命を削るのは、やめてもらえないか?」
「なんだ、私の身を案じてくれるのかい?」
肩透かしを食らったようで、レオンの顔が驚きに染まり、穏やかな笑みへ転じた。
「それもあるが…。もしものときに、残されるセレノアたちの身にもなってやるべきだと思ってな」
「ほう」
口元に笑みを称えるかわりに、レオンの目が笑うのを止める。
どうやら、聞き流される心配はないようだな。
「もし、敗北すれば、その胸のうちにあるどす黒い物を、残った者に背負わせることになるだろう?
 そんなことを、愛娘には…家族には、させたくないはずだ」
復讐に命を尽くす生き方は、幸せとはあまりにもかけ離れている。
だが、レオンが死に、その理由を知れば、おそらくセレノアも同じ場所に身を投じるだろう。
それだけは、絶対に避けなければならない。
「なかなか、いい説得だな。だが、私を止めることはできないよ。誰にもね」
「別に何をするのも止めないさ、死ななければそれでいい。
 何があろうと死なないでくれ。俺の頼みは、それだけだ」
「ふっ…ははははっ」
くすぶらせていた殺気を消したレオンが、声を立てて笑い出す。
痛快だと言わんばかりに、膝を手で叩いて、ようやくそれが収まった。
「まったく…本当に、君は魔族と話すのに適しているね。
 我々の気性というものをよく理解し、最適な言葉を投げかけてくれる。
 分かった。必ず生き残ろう」
こちらへと真っ直ぐに突き出された、レオンの拳。
そこに向けて、俺とアイシスも拳をかざした。
「奴に手を下すのは、任せる」
「私も、お兄ちゃんと一緒に約束します」
それぞれに誓いを宣言してから、拳をぶつけ合う。
後は、誰もがこれを破らなければ、幸せな結末が待っているはずだ。
「さて、早速お言葉に甘えさせてもらうとするかな」
「? どういう意味だい?」
「これで、思う存分、訓練へと没頭できる…ってことさ」
レオンが奴の相手を請け負ってくれるというのなら、そこまで余力を残す必要もない。
久しぶりに、死にもの狂いでやれそうだ。
「アイシス、肩を貸してくれ」
「…本気ですか?」
「もちろんだ。あれだけ手酷くやられておいて、何もしないで、また同じ目にあうのはごめんだからな。
 それに、奴の動きが脳裏に焼き付いているうちに、訓練しておきたいんだ」
性格こそ褒められたものではなかったが、奴の力は、確かに頂点と呼ぶにふさわしいものだった。
対策を立てなければならない部分もある一方で、参考にするべき箇所もあった。
どっちにせよ、万が一、もう一度襲われたときに自衛できるだけの力は、身に着けておきたい。
「まったくもう。私が無理だと判断したら、止めますからね」
しょうがないなぁ…と言った顔で、先に立ち上がったアイシスが手を差し伸べてくれる。
どうやら、さっきの主張で納得してくれたみたいだな。
「ああ、頼む」
しっかりと握り返して、ふらつきながらも立ち上がる。
それなりに休んだおかげで、歩くだけなら、なんとかなりそうだ。
「待ちたまえ。満足に動くこともできないその身体で、どんな稽古をするつもりなんだい?」
「別に、飛んだり跳ねたりしようってわけじゃない。
 訓練場まで行ったら、後は、座って魔法の練習をするだけだ」
今の傷じゃ、ダガーも満足に握れないし、走ることだって無理だ。
だが、奴も肉体には頼らないで、俺たちを見事に打ち負かしてみせた。
あれだけ魔法の使い道を見せられて、何も試してみないのは、もったいない。
「やれやれ。骨の髄まで、『セイルス』を受け継いでいるね」
「? どういう意味だ?」
どうして、ここで師匠たちの名が出てくるのかが分からない。
「レジもクレアも、昔からそうだったよ。
 どんなときでも、勤勉という言葉でも足りないほどに、稽古へと力を注ぐ。
 そういう意味で、君の態度は、非常に模範的だ。あの二人が見たら、さぞや喜ぶだろう」
想いもよらぬ話の流れに、照れくさくなって頭をかく。
師匠たちに似ている…か。
俺にとっては、最高の褒め言葉かもしれないな。



【セレノア視点】

視界は真っ暗で、何も映らない。
何かに圧し掛かられているように、身体が重い。
手も足も、自由がきかなくて、まるで身動きが取れない。
ここはどこだ? 何がどうなっている? おばさんたちは? ティストは? アイシスは?
何一つ、分からない。
でもいい。
そんなことは、どうでもいい。
目を凝らし、すぐ傍にいるはずの相手を探す。
逃がさない、絶対に、逃がしてたまるものか。
闇に溶けてしまいそうな黒ずくめのローブと、対照的な青白くて皺の多い肌。
白く長い髭の上にある、歪んだ口と落ちくぼんだ目。
見ているだけでも吐き気がする、醜悪な顔だ。
すぐに、その顔を貫いてやる。
動かない手のひらにありったけの力を集め、爪を尖らせる。
うずくような痛みを、焼けつくような怒りと焦燥が塗りつぶしていく。
目を見開き、身体に纏わりついているものを振り払って、貫手ぬきてを放つ。
たしかに当たったはずなのに、手応えがない。
どうして? アタシの攻撃が、効かないっていうの?
アタシじゃ、あいつを殺せないの?
「セレノア」
奴の粘ついた声が、なれなれしくアタシの名前を呼ぶ。
怖気の走るほどの気持ちの悪い声音に、心の底から嫌悪を覚えた。
「死ねえっ!!」
気合いを声に乗せて、全体重を乗せた前傾姿勢に変える。
これなら、奴だって避けられはしない。
これで…。

「目を醒ませっ!!」

耳が痛くなるほどの大喝とともに、視界が揺れる。
首へと衝撃を感じた後には、頬が焼けるような熱を持った。
「…父上?」
さっきまで見えていた奴の姿は、どこにもない。
ここは、アタシの部屋で、目の前にいるのは、父上一人だけで…。
自分の目が捉えているものを、ようやく理解し始める。
つまり、アタシは、奴を仕留め損ねた…ってわけだ。
「正気に戻ったようだな。すまなかったな、痛かっただろう?
 お前が無事で、本当によかったよ」
安堵の息をもらして、父上が微笑む。
だというのに、安らぐどころか、収まりかけていた怒りが爆発寸前まで膨れ上がった。
「父上」
自分の声が、酷く硬質で、渇いているのが分かる。
それでも、必死で続きを絞りだした。
「母上は、殺されたのですか?」
「ああ、そうだ」
一瞬の間を空けてから、父上がため息交じりにうなずく。
やはり、奴の言っていたことは、正しかったんだ。
母上は、あいつに…あんな奴に命を奪われたんだ。
さまざまな感情が、自分の中から溢れ出してくる。
それを必死で我慢して、父上の顔を正面から見た。
まだ、聞きたいことは、山ほどある。
「なぜ、アタシに隠していたのですか?」
怒鳴りつけないかわりに、ありったけの怒りを注いで、父上に質問をぶつける。
たとえ、どんな事情であろうと、納得なんてできやしないし、許すつもりもない。
それでも、父上の口から、その理由が聞きたかった。
「私が、そう判断したからだ。セレノアは、この件に巻き込まない…とな」
アタシの言葉を平然と受け止めて、父上が淡々と答える。
無表情を維持するその姿を見ているだけでも、アタシの我慢は限界に近い。
「それで、アタシだけが知らなかった…と?」
「そのとおりだ」
「ふざけないでっ!!」
感情の昂ぶりが、言葉遣いさえ忘れさせる。
レイナおばさんも、サリおばさんも奴のことを知っていたようだった。
あの態度を見る限り、ティストだって、母上とのことは知っていたのだろう。
何も知らされていなかったのは、アタシだけだ。
母上のことなのに、アタシの母上だっていうのに、アタシが誰よりも知らなかった。
そんなこと、許せるはずがない。
「その表情に、その怒鳴り方か。本当に、お前はシーナによく似ているな。
 だからこそ、お前にだけは、教えたくなかったのだ。
 シーナなら、必ずこう言うだろう。私も一緒に戦う…とね」
「それの何がいけないのですか?」
父上と一緒に戦って母上の仇を取れるのならば、それが、一番いいはずだ。
そのほうが、父上の負担も軽くなるだろうし、勝率だって格段に上がるはずだ。
そんな簡単なことがなぜ分からないのか、アタシには、父上の考えが理解できない。
「お前が壊れるのを、見たくなかった」
数秒の間を開けて、父上が短く答える。
その表情は、苦渋に満ちていた。
「壊れる? 何の話です?」
まったくもって、要領を得ない返事だ。
アタシを壊したくない、それが、この件に関わらせたくない理由?
壊れる…つまりは、怪我をしたり、死んだりするっていうこと?
「お前は、今の自分が壊れていることを、自覚していないのだろう?」
今にも泣き出してしまいそうなほど悲嘆に暮れた顔で、父上がアタシの顔を見つめる。
壊れているっていうほど、今のアタシの傷が重症だっていうの?
「この程度の傷なんて、怪我のうちにも入りません」
数日、いや、一日でも休息を取れば、それで十分だ。
アタシは、べつに壊れてなんかいない、そんなのは、単なる父上の過保護だ。
「私は、別に怪我のことを言っているのではないよ」
アタシのことを試すように、父上の二つの眼がアタシを映し出す。
その目に見つめられているというだけで、落ち着かない。
「じゃあ、なんだと言うのですか?」
「自分のことだ、自分で分からないのかい?」
「ええ、まったく」
何度考えてみても、アタシは、壊れてなんかいない。
父上の心配は、単なる杞憂に過ぎない。
「ならば、質問を変えようか。私に、何か聞きたいことは、ないのかい?」
これだけアタシが色々と聞いているのに、聞きたいことはないか? ですって!?
本当に、何を言っているのか、分からない。
会話をする気があるのかと聞き返してやりたくなる。
「さっきから、アタシが聞きたいことは、全て質問しています。
 父上こそ、アタシの問いにきちんと答えてください」
「本当に、気づいていないのだな」
アタシの返事に対して、落胆したと分かるようになのか、大袈裟なため息をついて見せる。
その芝居がかった態度とあまりの回りくどさが、余計にアタシを苛立たせた。
「何が言いたいんですか? 言いたいことがあるなら、はっきり言ってくださいっ!」
「やはり、お前は壊れてしまっているよ、セレノア。
 今のお前は、身内と恩人の安否さえ、気にならないのだろう?」
「…!」
冷水でも浴びせかけられたように、血が昇っていた頭が、そして、全身が凍えていく。
今の今まで、アタシの頭の中は、奴を殺すことだけで埋め尽くされいた。
おばさんたちが、ティストが、アイシスが、あの後どうなったのか。
何一つ分からないというのに、今に至るまで、まるで、気にならなかった。
「誰かに指摘されなければ、そんなことさえ、自分では気づけない。
 これを壊れていると言わないのならば、なんと評するつもりだい?」
反論なんて、見つかるわけがない。
怒りに飲まれて、そんな大切なことを忘れていたなんて、どんな言い訳でも許されるはずがない。
「これでは、身をていしてまで守ってくれた彼に、申し訳が立たないよ」
「!?」
ため息交じりにつぶやかれた父上の言葉に、背筋に冷たいものが走る。
もしかして…と、その先を考えるよりも前に、自然と口が動いていた。
「父上、ティストは!?」
アタシが最後に見たのは、奴の口を塞ぐために、無理に飛び掛かっていったところだ。
全ては、奴の口から、アタシに母上のことを聞かせたくないという、ティストの優しさのため。
もし、あれで命を落としたというのなら、その責任は、アタシにある。
「大丈夫、無事だ。レイナもサリも、安静が必要なほどに重症だが、大丈夫だろう。アイシスさんは、無傷だ」
 あくまでも、今回は…だがね」
含みを持たせた言い回しの、本当の意味を考えてしまう。
それは、さっき頭の中に描きかけた最悪の想像が、現実になってしまうということだ。
「彼に会ったら、必ず礼を言いなさい。
 彼は、私と顔を合わせて、開口一番に『三人の容体は?』と問うてくれた。
 それに、お前やレイナやサリに怪我を負わせたことを、気に病んでいたよ。
 自分さえ、もっと上手く立ち回れていれば…とね」
聞けば聞くほどに、それが追い打ちとなって、アタシのことを責めたてる。
それほどに心配されていたというのに、どれだけ自分が無神経なことをしたのか、その無礼さに腹が立つ。
「偉そうに講釈を垂れたが、私も今のお前と変わらない。
 いや、もっと、ひどく壊れていると言った方が、正しいな。
 だから、お前には、こうなって欲しくないのだよ」
胸中に渦巻く激情は、アタシよりも遥かに強大なものなはずなのに…。
いつもと変わらず、驚くほどに穏やかな声を出せることが、恐ろしかった。
「日がな一日、憎い相手を思い煩い、殺すことだけを第一に考えて、日々を過ごす。
 全てを省みず、自分の手にあるものを放棄して、それだけに傾注する。
 そんな馬鹿なことをするのは、私だけで十分だ」
見ているアタシの胸が締め付けられるほどの、悲しい笑みを浮かべる。
母上が亡くなってから、ずっと…気が遠くなるような時間を、復讐という炎に身を焼きながら、過ごしてきたんだ。
それが、どれだけ辛いものだったか、アタシには、分からない。
「でも、だからって…。
 みんな、苦しんでたのに、アタシだけ、何も知らないで…」
「私がそう望んだのだから、お前が気に病むことはない。
 私こそ、長い間、お前に秘密にしたままでいて、本当にすまなかった」
父上の腕がアタシの背に回されて、抱き寄せられる。
口から出そうとする言葉と、自分の中での感情に、折り合いがつかない。
どうしていいか分からずに、ただ、父上の胸に顔をうずめて、涙を流した。
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