プロテインクエストビルダーズ
目覚めると、そこは真っ白な世界だった。
見覚えなどあるはずもない。
目の前には、一人の男が立っていた。
立派な口ひげを蓄えた、筋骨隆々とした男性だ。
上半身は裸で、下半身にはピチッとしたズボンを履いている。
仮に名前とつけるとするならフレディ、といった所だろうか。
「目覚めたか」
「……あの、ここは?」
「ここは神の領域。死んだ人間が来る場所だ」
死んだ人間の来る場所……?
「君は、死んだのだ」
そう言われ、俺はほんの数分前の出来事を思い出した。
学校からの帰りだった。
俺ははやく家に帰ってネトゲをやりたいと思いつつ、足早に帰路についていた。
だが、その途中、一匹の黒猫が道路に飛び出したのだ。
近所に住んでいる猫で、人懐っこいので近隣住民からも愛されている猫。
呼び名は様々だが、クロとかブラックとかルドルフとか呼ばれていた。
当然、俺も可愛がっていて、小中学生の頃は、よく給食の余りの煮干しなんかをあげたりもしていた。
俺は猫派なのだ。
その猫が、唐突に道路に飛び出した。
片側三車線の国道だ。
と、同時に猫に向かってタンクローリーが突っ込んできたのだ。
「俺は思わずその猫を助けたものの、咄嗟に回避しようとしたタンクローリーが横転、積んでいたガソリンが爆発して……」
死んだのだ。
恐らく、俺が助けようとした猫も、一緒に。
「その猫が、私だ」
俺はフレディをよく見た。
記憶にある猫の顔を思い出した。
似ても似つかない。
いや、でもヒゲの形は似ていないとも言えないか……。
いや、でも俺はこんなおっさんを助けて……えぇ?
「あの猫は、私があの世界に存在するためのアバターだった。ぶっちゃけかなりレベルも高く、ロストするには惜しいキャラだった。今回の一件では君に助けられてキャラロストは避けられた、礼を言おう」
「……はあ」
「しかし、私の不注意で、君は死んでしまった。キャラロストだ」
そう、俺は死んだのだ。
死んだ……。
死んでしまったのだ。
実感はないけど。
「本来なら、死んだ人間の魂は天界へと送られ、一処に集めたうえでミキサーにかけて再利用される」
「ミキサーに」
「だが、君には恩がある。今の記憶を持ったまま、別の世界に転生することを許してあげよう」
別の世界への転生。
聞いたことがあるぞ、WEBで無料で読めるやつだ!
「だが、残念ながら。私の管理する世界は一つしかない」
「どんな世界なのですか?」
「楽園だ。人はたった一つの目的を目指して努力し、たった一つに幸せを求めて生きていくことが出来る。そんな世界だ」
言葉の意味がちょっとよくわからないが、良さそうな世界だ。
「あまり複雑な世界ではないため、君の世界から見ると少々ゲームっぽいと思えてしまうかもしれんがね」
ゲームっぽい世界か。
「となると、ファンタジー世界ですか?」
「そうだな、ファンタジーだ」
ファンタジー……と一言で言っても、楽なばかりではないだろう。
俺の知る限り、死の危険に常に晒されるような世界もある。
しかし、フレディは楽園と言った。
猫のアバターを使っていた彼がそう言ったことを考えると、恐らく緩い世界だろう。
猫がたくさんいて、飯を食うのとか昼寝とかが気持ちいいとか、そんな世界だろう。
俺は猫が好きだ。
猫派だからな。
「どうするかね?」
「行きます」
「よろしい。君への感謝を込めて、初期のステータスポイントをサービスしておこう」
「ありがとうございます」
「礼はいらないよ、命の恩人のためだ」
俺が頭を下げると、フレディはにこやかに頷いた。
「では、良いトレーニングを」
フレディがグッと上腕二頭筋を強調するポーズを取ると、俺の意識は徐々に薄れていった。
死んでしまったが、しかし良しとしよう。
次の世界で頑張ればいい。
魔王の軍勢と戦って、戦友を見つけよう。
可愛いお姫様を助けて、お嫁さんにもらおう。
それから……。
トレーニング?
---
目覚めると、異世界だった。
俺は町の広場らしき場所に立っていた。
中世風に見えなくもない町並みに、スポットライトのような輝きを放つ六つの太陽。
拳を突き上げた男性の形をした噴水からは、水がちょろちょろと流れ出ている。
異世界だ。
俺の世界だ。
だが、おかしい。
どういうことだろうか。
なぜ、道を行く人々が全員、マッチョなのだろうか。
全員だ。
全員がそうだ。
しかも全員ビキニ1枚だ。
流石に女性は胸元を覆っているが、それでも全身がはちきれんばかりの筋肉に覆われているのに違いは無い。
あの耳の長い女性はエルフだろうか。肥大化した背筋はオーガにしか見えない。
あの背の低い種族はノームだろうか。肥大化した肩筋はオーガにしか見えない。
あの特徴のない人は、人間だろうか。肥大化したオーガにしか見えない。
あの大きなのはオーガだろうか。オーガにしか見えない。
なんだここ、嘘だろ、ここ。
こんなものは、俺の世界ではない。
俺の世界であってたまるものか。
そう思っていると、筋骨隆々とした一人のスキンヘッドが、肩筋をいからせながら俺の方に近づいてきた。
俺の前に立つと、拳を握りしめ、グッと胸の筋肉を強調させてきた。
みきみきと音を立てて筋肉に血管が浮かび上がる。
「お、新しいビルダーだな」
俺は直感的に、この「ビルダー」という言葉が、「ボディビルダー」を指すのだと理解した。
だが俺はボディビルダーではない。
断じてそんなものではない。
「違う、俺はボディビルダーじゃない」
「ははは、恥ずかしがることはないさ。
確かに今のお前は貧弱なボーヤだが、最初はみんなそうなんだ。俺だってそうだった。
ゆっくり時間を掛けて大きく、キレのある体を作っていけばいいのさ。
ともあれ、筋肉の世界『マッスルファンタジア』にようこそ」
マッスルファンタジア、それがこの世界の名前らしい。
ファンタジア。
言われて見るとファンタジーと言えなくもない。
いや、なくなくない。
言えてたまるか。
「この町に来たのなら、まずはギルドに行くといい」
「この町から帰りたいなら?」
「ギルドはこの道をまっすぐ進むといい。デカくてキレてる建物だから、すぐにわかると思うよ」
彼は俺の質問には答えてくれず、ニカッと気持ちのいい笑みを浮かべて去っていった。
筋肉の塊のような男は、筋肉の塊のような人混みに紛れ、あっという間に見えなくなってしまった。
正直、もうお腹一杯だった。
この町から出る方法を知りたい。
元の世界に戻りたい。
「これは何かの夢だ。そうだ、そうに違いない」
そう言って頭を振ってみたり、壁に打ち付けてみたりするも、目の前の光景は変わらない。
「そうだ、確かゲームっぽい世界だと言ってた。ログアウトとかあるかもしれない」
あるはずがない。
そう思いつつも、俺は一縷の望みを掛けて、体を弄った。
そこで気づいたが、俺の服装は黒いビキニパンツ1枚になっていた。
持ち物など、あるはずもない。
「メニュー、メニューとかはないのか?」
だが、その代わり、一つの発見があった。
「おお」
メニューと口に出して言ってみると、目の前にメニュー画面が開かれたのだ。
ステータス、持ち物、クエスト、スキル、オプションの文字が並んでいる。
その光景は、周囲に筋肉モリモリマッチョマンしかいないとは思えないほどにSFだった。
俺は当然ながらオプションを押してみた。
ログアウトという項目があるなら、ここだと思ったのだ。
が、項目は一つだけ。
『肌色』
項目の下には、0から100までの数値を表すバーがある。
50だった肌色を100にしてみると、俺の肌は真っ黒に染まった。
どうやら、この世界に肌の色での差別は無いようだ。
いい世界じゃないか。
なんにせよ、ログアウトは出来なさそうだ。
この世界で生きていくしかないのだろうか。
俺は前の世界で死んだのだ。
でも、一体俺が何をしたというのだろうか。
何の罪があって、こんなところに送り込まれたというのだろうか。
「……」
俺は力なく、ステータスを押下してみた。
■
:ステータス:
LV 1
HP 5/5 +
筋力 10/10 +
■
表示されたのは、それだけだった。
レベルと、HPと筋力しかなかった。
「……」
なんだこれ。
筋力しかないんだけど。
なんだよ、これ……。
「……」
俺はステータスをそっと閉じた。
それから持ち物を見てみるも、何も無し。
クエストには「ギルドに行ってみよう」という項目が一つあるのみで、他には無し。
スキルは、「ダブルバイセップス」「ラットスプレッド」「サイドチェスト」といった項目が並んでいる。
説明文には「横からの身体の厚みを見る他、肩の大きさも強調する(胸の厚み、腕の太さ、背中や脚など)」と書かれているが、一体どんなスキルなのかはわからない。
どうやって使うのかもわからない。
袋小路に追い詰められた気分になりながら、俺はギルドに行くことを選択した。
---
冒険者ギルドはすぐにわかった。
この世界の建物には全て、家屋の持ち主の銅像が乗っている。
その中でも最も大きくてキレのある肉体を持った銅像が、冒険者ギルドだった。
建物自体は、別に大きくもなかった。
ギルドの中はスポーツジムのようになっていた。
正面には受付、右手にはジム、左手にはプールがあり、むくけつきの荒くれ達が苦悶の表情を浮かべながらトレーニングに興じていたり、爽やかな笑いを浮かべながらプロテインを飲んでいた。
ギルドらしからぬ光景だ。
ひとまず、受付に立っている女性職員に話しかけてみる。
彼女は俺を見ると爽やかな笑いを浮かべ、胸の筋肉を強調してきた。
巨乳と言えなくもないが、回れ右して帰りたい。
「ビルダーズジムへようこそ!」
ジムって言った?
「ビルダーズギルドへようこそ!」
気のせいか。
「クエストを進めたいのですが」
「ああ、新人の方ですね! ようこそ、ビルダーズギルドへ! ここは貴方のような貧弱なボーヤを立派なボディビルダーに育てるギルドですよ!」
「なりたくないんですけど」
「ここに名前を入力してください」
なりたくなかったが、どうやら話が進まないようなので名前を記入した。
するとギルドへの登録が完了。
初心者への支援品としてプロテイン1kgと水とダンベル(1kg)をもらった。
所持品欄にあるアイコンをドラッグすると、手の中に出現する仕組みらしい。
「では、こちらへどうぞ。まずは各施設をご案内しましょう」
その後、ギルド内にある各器具の使い方を教えてもらった。
この器具を使いたければ、月額3000プローテのお金をジムに、いやギルドに支払わなければならないらしい。
また、大型の器具を使う時は、事故を避けるためにも必ずトレーナーについてもらえとアドバイスをもらった。
ギルド内にいた熟練のボディビルダーはみんな良い人で、何もしなければ筋力はどんどん落ちていくから、まずはトレーニング器具を一通り集めることをオススメされた。
そう言われてステータスを見てみると、筋力が9/10に減っていたから、なるほど、この世界では衰えるのが早いようだ。
筋力が0になった時のことなど、考えたくもない。
筋力を維持するためにはトレーニングが必要だ。
だが、ギルドの器具を使うにしても、自前でトレーニング器具を揃えるにしてもお金が必要になる。
この世界の金の単位はプローテ。
1プローテが10gのプロテインに相当する。
3000プローテとなると、かなりの額だ。
だが、俺のような貧弱なボーヤがバーベルや大型のウェイトマシンを使う必要はない。
なぜなら、俺のような貧弱なボーヤはダンベルと自重トレーニングだけでも筋力を維持できるからだ。
ということで、ボディビルランクが低いうちは、器具はほとんど売ってくれない。
そうした器具が欲しければ、クエストをこなしてボディビルランクを上昇させなければならない。
ちなみにお金は魔物を退治したり、町のボディビル選手権で入賞すればもらえる。
魔物を退治してお金と経験値を稼ぎ、クエストを完了してギルド内のランクを上げ、器具を購入してトレーニングをして筋力を最大値まで回復させる。体に自信がついてきたら、魔物退治の合間に選手権に出てもいい……。
というのが、この世界での常識的な生き方のサイクルとなっているらしい。
トレーニングルームはギルドのを使ってもいいし、町中にはいくらでもフリーのルームがあるから、そこを使ってもいい。
自分の家を購入すれば、大型の器具だって設置出来る。
もちろん、大型の器具を使う場合は、トレーナーも雇わなきゃいけない。
と、正直ここまで聞いて、やっていける気はしなかった。
やる気も無かった。
げんなりしてた。
だが、ふと見ると、ギルド内に俺と同じぐらいの体つきの子が何人かいた。
ガリガリの坊やに、痩せた女の子。
恐らく、俺よりも筋力値が低いのだろう。
それを見ていると、なんとかやっていける気になれた。
女の子は結構可愛かったし。
ひとまず、俺は最初のクエストの締めである『魔物退治』にいくことを決めた。
最初のクエストは、近隣の村の大豆畑を荒らす、イノシシの退治だ。
大豆畑がなくなるとプロテインが作れなくなる。
この世界にとっては致命的だ。
この世界のことなどどうでもいいが、これが終われば、経験値が入り、レベルも上がるだろう。
---
俺は指定された場所へと移動した。
道中でダンベルを上げ下げしていると、筋力が10/10に戻り、HPが4/5になった。
どうやら、トレーニングをするだけでもHPが減るらしい。
よくわからない仕様だ。
HPが0になるとどうなるかわからないが、まあ、まず死ぬだろう。
ぶっちゃけ、もう、死んでしまった方がいいような気もする。
死ねばこの世界から逃げられるかもしれない。
いや、その考えは危ない。
俺は一度死んで、この世界に来た。
次は、ここ以上の地獄かもしれない。
この世界も、まだ来て間もない。
今は悪い点ばかりが目につくが、悪い点ばかりではないはずだ。
実際、可愛い女の子もいたし。肌の色の差別もない。
もっといい点はいっぱいあるはずだ。
住めば都という言葉もある。
うん。
ともあれ、最初のクエストだ。
死なないように頑張ろう。
しかし最初のクエストとはいえ、いきなりイノシシ。
倒せるのだろうか。
野生のイノシシは、かなり凶暴と聞く。
実際に見たことはないが、人を襲う奴もいるのだ。
レベル1で勝てる相手なのだろうか。
そう思いつつ、俺は畑に到着した。
「……」
すると、そこでは先ほどギルドで見かけた女の子が、イノシシと戦っていた。
戦っていた?
いや、どうなんだろう。
ビキニ姿の女の子が立ち、イノシシが彼女の目の前に座り込んでいるのだ。
「ふんっ!」
見ていると、女の子はビッとポーズを取った。
イノシシはふごふごと鼻を鳴らしつつ、それを見ているだけ。
女の子は額に汗を垂らしながら、次のポーズを取る。
彼女がポーズを取るたびに、彼女の頭上に「ダブルバイセップス」だの「サイドチェスト」だのといった文字列が表示された。
三度か、四度、そうしていただろうか。
やがてイノシシは、フッと鼻を鳴らすと、わかったよとばかりに立ち上がり、森の方へと帰っていった。
イノシシが座っていた場所には、いつの間にか数枚の銅貨が落ちていた。
「ふぅ~。クエスト成功ね!」
え?
あれ?
あれで倒したことになったの?
困惑する俺を尻目に、女の子は銅貨を拾うと、町の方へと戻っていった。
すると、イノシシが森から戻ってきた。
イノシシは俺を見ると、
なんや、次はお前か?
やらんのか? なら食うで?
とでも言わんばかりのふてぶてしい顔で、畑の大豆をかじり始めた。
「……」
俺は、イノシシの前に立った。
2メートル近い大きさを持つイノシシだ。
その上このイノシシ、かなり筋骨隆々としている気がする。
もしダンベルで殴りかかっても、返り討ちに遭うだけだろう。
「ふんっ!」
先ほどの女の子の真似をしてポージングしてみる。
『基本スキル:ダブルバイセップス』
そんな文字が俺の視界に浮かび上がった。
同時に、イノシシが大豆を食べるのをやめて、こちらを向いた。
なるほど。
俺はもう一度、体をいからせつつ、ポージングをした。
『基礎スキル:フロントラットスプレッド』
そんな文字列が表示されると同時に、イノシシの体が震えた。
あ、クリティカルしたっぽい。
イノシシは「すげぇ新人がきたな」という感じの鼻息を鳴らすと、お金を置いて、森へと帰っていった。
もしかして、森のねぐらからお金持ってきてるのだろうか……。
なんて思ったと同時に、視界に「クエスト完了」という文字がポップした。
また、経験値が入ったのか、「レベルアップ!」という文字も浮かび上がった。
これで倒したことになったらしい。
でもなんかげんなりする。
こんなのを続けていかなきゃいけないんだろうか。
「はぁ……」
しかし、どうやらレベル2になったようだ。
新しいクエストも増えた。
「ステータスを割り振ってみよう」
それを受諾してみると、同時にメニュー画面が自動的に開き、「ステータスを割り振る」なんて項目が追加されていた。
なんとなくそれを押して見ると、
■
:ステータス:
LV 2
HP 6/6 [+]
筋力 11/11 [+]
残りステータスポイント:10002
[ステータスを割り振る]
■
という文字が出てきた。
先ほどは無かったステータスポイントなるものが増えていた。
恐らく、まだチュートリアルだから、最初の時点では出ないようになっていたのだろう。
「10002」
大きな数字だ。
レベルが1個上がってこれなのだろうか。
いや、違う。
記憶に蘇るのは、フレディの一言だ。
『よろしい。君への感謝を込めて、初期のステータスポイントをサービスしておこう』
きっと、これだ。
「なんだよ、なんだよ!」
そうだ。
フレディも言っていたじゃないか。
初期ステータスポイントをサービスしてくれた、と。
10000ポイント。
レベル1につきもらえるポイントが2だとすると、初期状態から5000レベル分のドーピングが出来る形となる。
この世界のレベル上限がいくつあるかわからないし、ボーナスポイントが2で固定とも限らない。
だが、初期にそれだけあればレベル上げも容易だ。
「あるじゃないか、チートが!」
これはチートだ。
間違いない。
俺はいわゆる、チート持ちの主人公だったんだ。
「おおお!」
なんか、いきなりワクワクしてきた。
自分でも現金なものだが、なんとなく希望が見えた気がする。
筋トレになんかこれっぱかりも興味は無い。
だが、他人より優位に立てるとわかれば、話は別だ。
こんな世界でも、これなら案外、楽しく生きていけるかもしれない。
「となれば、やっぱり、筋力だな」
俺は逸る気持ちを抑えつつ、筋力の数値の横にある「+」ボタンを押した。
いくつぐらい上げるのがいいのだろうか。
そう思いつつ、ひとまず5つぐらい上げて、[ステータスを割り振る]を押して見る。
「……うお!」
と同時に、ミキミキッと音を立てて、俺の体が大きくなった。
もちろん、増やしたのはたった5だ。
大して筋力が増えたわけじゃない。
俺の体はギルドや道端を歩いていたマッチョどもと比較しても、まだまだ貧弱なボーヤ枠からはみ出てはいない。
だが、体は確実に一回り大きく、そして硬くなった。
「おお……」
拳をぐっぱーするだけでも力が満ち溢れているのがわかる。
つま先でトントンとステップを踏んで見ると、体が軽やかに宙に浮いた。
筋肉が増えたが、決して体が重くなった感じはしない。
むしろ、先ほどよりも軽いぐらいだ。
そして、気分も軽くなった。
なんとなくだが、自信が溢れてきた気もする。
「すげぇな……」
これが筋力向上の力か。
この世界の人間がトレーニングに勤しむのもわかる。
筋肉は麻薬だ。
「よし」
筋力を上げることの効果を実感した俺は、今度こそしっかりと筋力を上げるべく、ステータス欄を開いた。
筋力の項目にある[+]を連打する。
ひとまず、半分は筋力に注ぎ込んでしまって問題ないだろう。
この世界では、筋力が大事みたいだしな。
『筋力 16/16 +5000』
その表示を見つつ、俺はボタンを押した。
次の瞬間、俺の体が肥大化した。
「うっ、お、あ、おああああああああああ!!!!!???」
メキメキと音を立てつつ、凄まじい速度で膨れ上がっていく筋肉。
上腕二頭筋が大きくなりすぎて腕は自然と上にあがり、大腿筋がビキニを引きちぎり、腹筋と背筋と胸筋が俺の体を押しつぶすように主張しあう。
止まらない。
体の制御が出来ない。
俺の体は俺の意思を離れ、畑を押しつぶし、家を押しつぶし、なおもまだ大きくなっていく。
「ごぉあああっ、あがああぁぁぁぁ、あっ、あっ、あっ………あっ」
その途中、俺はブツンと何かが切れる音を聞いた。
何かはわからないが、休息に視界が暗く、そして狭くなっていく。
視界の中にあるステータス、そこに表示されていたのは、
■
:ステータス:
LV 2
HP 0/6 +
筋力 5016/5016 +
残りステータスポイント:4997
■
HPがゼロになっていた。
そこで俺は、直感的に悟った。
HPとはハートパワー……すなわち心肺能力の略だったのだ、と。
強靭な筋肉を維持するには、隅々にまで血液と酸素を行き渡す能力、すなわち強靭な心肺能力が必要となる。
『だから、HPと筋力は同じぐらい上げていかなければいけないのよ』
俺の脳内でギルドの女性受付の人そう言って、胸の筋肉をピクピクさせていた。すぐに消した。
つまり、一瞬で肥大化した筋肉に、俺の心臓と肺が耐え切れなかったのだ。
あるいは、筋力を5上げた時点で少し時間が立っていれば、HPの減りが早くなっていることに気づいただろうに……。
ああ……。
短い人生だった。
次は普通の世界で生きたい。
俺の意識は落ちた。
- GAME OVER -
---
目覚めると、そこは病室だった。
白い天井に、白い壁。
俺の体は包帯でぐるぐる巻きで、腕には点滴が、口には呼吸器が、股間にはカテーテルが刺さっていた。
視界はうつろで、耳にはキーンとした耳鳴りが続いている。
「……?」
虚ろな瞳で周囲を見渡すと、父さんや母さん、兄貴に妹……俺の家族が勢揃いしていた。
「先生! うちの子が、うちの子が目を覚ましました!」
「ああ、よかった……」
「あの大事故から助かるなんて、奇跡だ……!」
家族が騒然とする中、俺は状況を思い出した。
そうだ、近所の黒猫がタンクローリーに轢かれそうだったから、身を挺して助けたんだ。
でも、その後の爆発に巻き込まれて……。
そっか。
ずっと、気を失っていたのか。
長い夢を見ていた。
悪夢だった。
なんだよあの夢は。
何が神様だ。何がマッスルファンタジアだ。何が筋力だ。何がサービスだ。ふざんけんな、まじふざけんな……!
ふぅ。
でも、夢でよかった。
と、見ると、窓枠に一匹の猫が飛び乗った。
黒猫だ。
俺が助けた猫だろう。
夢は散々だったが、夢の内容で猫に当たるのも馬鹿馬鹿しい。
俺は猫派だからな。
それにしてもあの黒猫、どうやら怪我は無いようだ。
よかっ――。
『お礼は以上だ。楽しんでいただけたかな? 私は楽しませてもらったよ……』
猫はそう言って窓枠から飛び降り、姿を消した。
あるいは、それは幻聴だったかもしれない。
目覚めた時から耳鳴りが続いているし、まだ寝ぼけていた。
だからきっと、風の音か何かを、聞き間違えたのだろう……。
でも俺はその瞬間、犬派になった。
そして、体を鍛えようと決意した。
あの猫を、捕まえるために――――。
-fin-
ドーピング・ダメ・ゼッタイ
以下 その他の登場人物のステータス
■
:ステータス:
名前:スキンヘッドのマッチョ
LV 70
HP 150/150
筋力 205/205
BBランク 8
■
■
:ステータス:
名前:ギルド受付嬢
LV 35
HP 105/105
筋力 70/70
BBランク 4
■
■
:ステータス:
名前:貧弱なお嬢ちゃん
LV 1
HP 6/6
筋力 8/8
BBランク 1
■
■
:ステータス:
名前:マッスルキング
LV 100
HP 400/400
筋力 500/500
BBランク 10
■