ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  Sena 作者:コウミ
第20章 潰えた約束
[4]
 薄い陽光がゆっくり西に傾き木立ちの向こう側に見えなくなると、アリオンとギドとセネカの三人はほとんどひとかたまりになって小さな焚き火を囲み、暖をとった。
 ゴロ石を積み重ねてしつらえた釜戸の中では明々とした炎がその舌先を伸ばし、上に置かれた串刺しの肉片をじりじりと炙っていた。
 あたり一面に香ばしい匂いが漂い、肉がこんがりといい具合に焼きあがると、お腹を目一杯空かせたギドが待ちかねたとばかりに脂のしたたる獣肉の塊にかぶりついた。
 そのかたわらではセネカが甲斐甲斐しくギドの手当てをしていた。
 ギドの肌には、蜂に刺された跡が数えきれないほど残っていた。
 セネカはギドの赤くなった皮膚に、ハッカ草の葉をよく揉んだものを一枚一枚ていねいに貼りつけた――これはアリオンから教わった処方だった。
 揉み出されたハッカ草の汁は刺し傷にしみるはずなのだが、ギドは特に意に介している様子はない。
 蜂に刺されてデコボコになったギドの肌は腫れも引き、少しずつだが傷も癒えてきているようだった。

 藍色の空全体に星のまたたきが覆う頃、それまで用心深く辺りに目を配りながら口を閉ざしていたアリオンが静かに切り出した。
 それは黒の獅子王から示された事柄で、これから自分たちが向かうべき道であったり、心しておかねばならない警告だった。
 アリオンはオリンポスから放たれた刺客エリヌースから執拗につけ狙われていた。しかもエリヌースは得体のしれない妖力の持ち主であり、アリオンの今の力ではとても太刀打ちできない。そんな輩の目から逃れるため、向かう道筋には細心の注意をしらなければならない――。
 と、ここでセネカは聞きなれない人の名前を耳にした。
「アポロン?」
 セネカは目をぱちくりさせた。
 聞き慣れない――というよりも、初めて聞く名前だった。
 アリオンは小さくうなずき、淡々とした口調で語り始めた。
「アポロンはエリヌースよりも、もっと強い。もっと強くて、恐ろしい力――秘力の持ち主だ」
 獅子王は、アポロンこそ真の相手となるだろう、とアリオンに啓示したという。
「今から僕たちはアソス山を目指す。そこに住むリュカオーン王に教えを乞うんだ」
「教えを? どんな?」
「ゼウスを倒す方法と、アポロンとエリヌースの秘力の正体だ」
 力を込めて応じたアリオンだったが、その言葉尻には若干の脅威(きょうい)しているようにも感じ取れた。
 セネカの前では弱気を見せたり不安めいたことを口にすることは出来ないと思っての虚勢だったのだろう。
 しかし、アリオン自身も判っていたはずだった。
 そのようなとてつもない力を持つ相手に対して、付け焼き刃の攻撃手段では決して(かな)いはしないということを――。
「でも……進むしかないんだ」
 アリオンは、決然とした面持ちで焚き火の炎を見つめていた。
 発せられている言葉は、まるでセネカに向かって――というよりも、自分自身に言い聞かせるかのようだった。
 セネカはハッカ草の葉を貼りつける手を止めアリオンを見た。
 焚き火の照り返しを受けたアリオンの顔は一心不乱に何かを考えているように見えた。セネカは何かを言おうとしたが、ふさわしい言葉がどうしても見つからなかった。
 セネカはギドを介抱する手を休め、膝を抱えて座り込んだ。
 ギドは相変わらずがつがつと、骨をも食いつくす勢いで肉片にむしゃぶりついている。
 三人の間に奇妙な沈黙が流れた。
 
 セネカは、拭い切れないある疑問を抱いていた。
 黒の獅子王だ。
 黒の獅子王は、アリオンをリュカオーンの所へ導こうとしていて、その事をアリオンに伝えるために姿を現した。
 どうやらリュカオーンは、アリオンの今後について導き、指南してくれるであろう頼りになる味方であるらしい。
 それはセネカにも分かった。が、しかし、どうしてそれだけなのだろう。
  獅子王はすべてをお見通しなのに、なぜ――?
「獅子王ってさ。あっちに行けとかこっちに行けとかいうけど、どうして理由を教えてくれないんだい? ただ一方的に言われるだけじゃ、こっちはまるで命令されてるみたいだし、ワケ分かんないじゃんか」
 セネカはアリオンにたずねた。アリオンは夢から醒めたように面をあげた。
「ああ、そう……そうかも、しれない。でも――僕は、獅子王のことについては、そうじゃない違うことを考えいるんだ。セネカ」
「え? そうじゃない違うこと?……って、どんな?」
 虚を付かれ、セネカは驚きの声をあげた。
「獅子王は言っていた。『私は(あらかじ)()る者ではある。が、それを教え諭すのが役目ではない。私は道を示すのみ。ただそれのみ。それが使命であり役割である』と」
 アリオンが(そらん)じている祈りの文句のように言葉を継いだ。
「……ヘンなの。要するにケチなんじゃないの?」
 セネカが納得しかねるといった半ば呆れたような言い方に、硬かったアリオンの表情がふっと和らいだ。
「僕は――」
 アリオンは、半ば訴えるようにセネカを見据えた。セネカはどきりとしながらも、そのまっすぐな視線を受けとめた。
「なぜ獅子王はそうまでして僕を救けるのかが判らないんだ」
「そうまでして?」
 アリオンはこくりとうなずいた。
「獅子王は話してくれたんだ。これまでのこと――僕が生まれてくる前のことから、生まれてきた時のこと――そして、自分の身を犠牲にしてまで、母さんや僕やレスフィーナを(たす)けてくれた――」
「レスフィーナ……」
 セネカがその名前を口の中で繰り返した。
「あ――ああ。レスフィーナというのは僕の――」
「知ってるよ」
 セネカはポセイドンが今際(いまわ)の際に、苦しい息の元から(ほとばし)り出た、哀願にも近い話の内容と言葉の数々をアリオンに聴かせた。
 レスフィーナはアリオンの双子の妹であること。口がきけないという障碍があること。今はオリンポスにいるということ。そして、トラキアにいる母親の元に還してほしいとポセイドンに頼まれたこと。
 その頼みは、ポセイドンにとって息子に向けた最初で最後の願いであったこと――。
「そうか……。君は全部、聴いていたんだね」 アリオンがぽつりと言い、目を伏せた。
 セネカは申し訳ないという気持ちになったが、今となっては仕方がないことだった。
 もしもセネカがあの場に居合わせなかったら、誤って父を討ち、呆然自失のアリオンは一歩も動けなかったに違いない。

『なぜそうまでして』
 アリオンの抱いている疑問を顧みた時、ふとセネカの脳裏にはレダの姿が浮かんでいた。
 セネカはレダのことも含めて世話になった村での出来事や、かかわった人たちの事を、ここしばらくの間忘れかけていた。
 かつて暮らしていた村でレダは何かと気に掛けてくれた。ルイザが亡くなってからというもの、村はずれの家に足しげく通い差し入れなどをしてくれたし、困った時には助言もしてくれたのだ。かたくなに意地を張るセネカに対しても親身になり、心を寄せてくれたのだ――。
 今となると、なんとなくわかる気がした。
 きっと放っておけなかったのだ。
 ひとりにしておくと危なっかしいから、というのもあったのだろう。でも、やはり気にかけてくれる理由は――きっと――。
 セネカは首にそっと手をやった。
 レダからもらった手製の飾り紐は今でもしっかりと結び目をつくり、セネカの細い首元を縁どっていた。
 エリヌースに身を灼かれた時、一緒に燃えてしまわなくてよかった――と、セネカは少しホッとした。

 出口のない迷路に迷い込んでしまったかのように半ば途方に暮れ、お互いが再び沈黙した。
 ギドはあらかた肉を食らい尽くし満足気に伸びをした後、丸太のような四肢を伸ばしくつろいでいた。
「そうだ。セネカ」
 アリオンは突然、思い出したかのようにセネカの方を振り向いた。
「あの時の約束は忘れていないからね」
「え? 約束……って?」
「ほら、オリンポスに行ったら、君のお姉さんを探すという約束だよ。僕たちはこれからリュカオーン王と会ってからその後はオリンポスへ向かいことになるはずだ。オリンポスに到着したらまず、最初に君のお姉さんを捜そう。オリンポスの兵士たちに連れて行かれたとなると、きっと、君の姉さんは城下にいるんじゃないかと思う。だから……? セネカ? どうしたんだい? セネカ!」
 目の前の焚火とアリオンと周囲の景色とが一緒くたになり、ぐにゃりとひしゃげたような感覚だった。
 かろうじて「なんでもない」と、()れた声を絞り出したものの、セネカはぐらつく頭と体を支えることができず、隣にいるギドに寄り掛からねばならなかった。
 異変を感じ取ったギドが、うずくまるセネカの小さな体を庇うように(てのひら)の中に包み込んだ。
 心配そうに呼びかけるアリオンの声が、やけに遠くから響いてきた。

 アリオンは、姉のシンシアが亡くなっているということを知らなかった。
 セネカはすぐにでも、姉の死を――姉がすでに死んでいることをアリオンに伝えなければと思った。
 姉はもう死んだのだから、オリンポスのどこを探しても無駄なのだということを、だから自分はオリンポスへは行く必要がないということを。
 しかし――。
 セネカは喉元まで出かかった言葉を押し戻した。
 もしも、本当のことを口にしたならば、これからの二人の繋がりがどうなるのかを咄嗟に覚ったからだ。
 姉の死を伝えること、すなわち約束が無かったことになるというのは、自分とアリオンとを結ぶ絆を完全に断ち切ることになるのではないだろうか?
 姉の死はセネカにとって胸が張り裂けそうなほど辛い事実だった。しかし、アリオンとの繋がりが無くなってしまうのも同様に、いやそれ以上に辛い事実なのだということにセネカは打ちのめされていた。
 まるで足元の地面が傾ぎ、そのままがらがらと音を立てて崩れていくかのようだった。
 セネカは奈落の闇の中へ落ちこんでいくような、底知れない不安に取りつかれていた。















お読みいただきましてありがとうございます。
ようやく更新が叶いました。
お待たせいたしました。

ちょっと中だるみの章となってしまったかな…と;
次の章ではがっつり大きく動かしたい!と、思っております。

年内のupは難しいかもしれません。
環境の変化などがあり、執筆が思ように進みません。
『Sena』を可愛がってくださる方がたには申し訳ないと思っています;;
今後もごゆるりと気長にお待ちいただけましたら幸いです。

コウミ
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
名前:
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。