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  Sena 作者:コウミ
第3章 来訪者
[1]
 それからのち、ルイザはまるで眠るように息を引き取った。
 ルイザの死は村人たちに静かな衝撃をもたらした。
 村人は誰もが申し合わせたかのように弔いに訪れ、その亡骸(なきがら)は手厚く葬られた。
 気難し屋の老婆は村人たちにとって愛すべき老婆だったのだ。
 小高い丘の頂に、ルイザの墓碑が建てられた。
 そしてその墓碑に供物を供えるのがセネカの毎朝の日課となった。
「これでようやくルイザも自分の息子と会えるだろうね。あの世でさ……」
 セネカと共に墓碑を訪れていたレダが、しんみりとした様子で言った。
 セネカは驚いた。先立たれたルイザの亭主の事は何となく耳にしていたが、そのルイザに息子がいたというのは聞いた事がなかったからだ。
「ああ――聞いていなかったのかい。そう――ルイザには息子がいたのさ――と言っても、生まれてすぐに亡くなっちまったらしいけどね。ルイザからは、ほとんど死産だったって聞いたよ」
「……。知らなかった。そんなことがあったなんて」
「まあね。あまり人には言いたくない事だよ」
 レダは声を落としうつ向くセネカを促し、丘をあとにした。
「ルカスを……。ああ、うちの上の息子のことだけどね」
 歩く道すがら、レダが打ち明け話しをするような口調で静かに喋り出した。セネカは黙って耳を傾けていた。
「オリンポスからの徴兵の時に――ルカスを連れて行かれた時にさ――あれは、ほんと堪えたねえ……」
 レダは過去を思いおこすような遠い目をして、ふと苦笑をもらした。
「もう畑も飯炊きも何もかも手につかなくなっちまってさ……。そんな時にね。聞いたんだよ。ルイザから生まれてすぐに亡くなった息子のことを――そして慰めてくれたんだ。『生きていれば必ず会える』ってね」
「……」
「なんだか、うだうだ泣き言たれてる自分が馬鹿らしくなっちゃってさ。それからはもう、きっぱりとルカスのことは忘れることにしたんだよ」
「え? 忘れる……って?」
「ああ。忘れてて、ひょっこり息子が戻って来たら、こんな嬉しいことないじゃないか。城を恨んだり、『まだ戻らない戻らない』ってうじうじしながら暮らすよりも、ずっと前向きってモンだ――ああ、これもルイザの受け売りだけどね」
 言いながらレダが心のわだかまりを吹き飛ばすように朗らかに笑った。
「もういいよ。この話は。で、セネカ。支度は出来ているかい?」
「支度?――ああ、そっか」
「そうさ。あんたはあの家を畳んで私たちと一緒に暮らすんだから。今日中には、何とかなるかい?」
「……」
 セネカはしばらく黙りこんでいたが、やがて決心したように口を開いた。
「行かない」
「……は? なんだって!?」
「行かない。おいら。あの家を出ない。一人で暮らす」

 セネカは初めてルイザの言いつけを破ろうとしていた。
 一旦心を決めたセネカは頑として意志を曲げず、取り付く島もない。
 とうとうレダは退散せざるを得なかった。
 入れ替わりにミダイが村外れの家にやって来た。セネカを説得するためだ。しかし、セネカの答えは決まっていた。
「いかん! それはいかんぞ! 絶対にいかん! 俺はルイザからお前を引き取るように言われたんだ」
「大丈夫だって。婆ちゃんも大目に見てくれるさ。あ――でも婆ちゃんは『面倒をみてやってくれ』とは言ってたけど『引き取ってくれ』とは言わなかったぜ?」
「子どものクセに屁理屈なぞぬかしおって!」
 結局ミダイもセネカを説き伏せることが出来なかった。
「気兼ねがあるのなら心配は無用だぞ?」
 帰り際にミダイが諦め半分に言った。
 恩人であるミダイを困らせている――セネカは良心がちくりと痛んだが、すぐに小さくかぶりを振った。
「しばらく一人でいたいんだ。それに、おいらがこの家から出ていったら婆ちゃんが寂しがるような気がしてさ」
「……。気持ちは分からんでもないが……しかしなあ、セネカ――」
「そんなに心配なら毎日様子見に通えばいいじゃんか。おいらがミダイんちに行ったら、婆ちゃんがくれた畑の世話で毎日ここに来なくちゃいけないんだ。こっちだって色々と大変なんだぜ?」
「口の減らない奴め!」
 とうとうミダイはサジを投げた。
 
「どうしたもんかなあ――」
 その日の夕刻、ミダイが狩りに使う矢の(やじり)を磨ぎながら、誰に言うともなしに呟いた。
「じきに寂しくなって、あっちから『住まわせてくれ』って言ってくるよ」
 せっせと麺麭(パン)の生地をこねながらレダが言った。
「結局、人は一人っきりじゃ生きていけないってことが、身にしみるさ」
「ふうむ……」
 ミダイは溜め息をもらした。かたわらではサミュエが無心に藁を()っていた。
「まったく。どうしたもんかなあ――」
 ミダイはまた、そう独りごちた。

 セネカの独り暮らしが始まった。
 しかしその生活はルイザが生きていた頃と何ら変わりがなかった。
 ルイザの担っていた仕事をセネカが引き受けた分、毎日が慌ただしかったが、忙しくしているとルイザがいなくなったという現実をしばし忘れることが出来たし、孤独感も紛れた。
 村では種まきの時期がとうに過ぎていたが、冬に土を起こしておいた小さな畑にセネカはトウモロコシと芋を植えた。セネカの日課に水まきと草抜きが加わった。
 ミダイに教わり、雑木林には小動物を捕獲するための罠をこしらえ草蔭に仕掛けた。捕れるものは大抵、蛇や蛙などだった。
 またミダイの家では弓矢作りの手伝いをした。
 ミダイはあれから、なんだかんだ言ってはセネカを狩りへ連れて行くのを後延ばしにした。
 セネカは、ミダイがずっと自分を男の子だと勘違いしてくれていたらよかったのにと思った。

 一日中、身を粉にして働いていても、さすがに夜になると一人きりの生活の寂しさがひしひしと感じられた。
 セネカは寝床で身を縮め、眠れぬ夜を過ごすことも少なくなかった。
「悠々自適だねえ! セネカさんよ!」
 独りで暮らしを始めてからしばらくすると、カルラの冷やかしが始まった。
 困ったことに、周りの子どもたちの中に同調する者も出はじめた。
 皆が皆、面白がってセネカを焚きつけようとした。
 セネカはこのテの輩には完全無視を貫いたが、これ以上こんな嫌がらせが続くようならミダイの家に住まわせてもらわないといけないだろうと思い始めた。
 セネカは囲炉裏端に座り、愛しげにルイザと共に暮らした家を眺めた。
 この村に来て以来、馴染みのこの家との別れの時がいよいよ来るのかもしれないと思うと、切なさで胸がきゅっと痛んだ。

 その夜、セネカは夢を見た。

 セネカは家の外に立っていた。
 村外れにあるルイザの家は、村の家が見渡せる場所に建っており、隣には(かわや)と小さな納屋があった。
 いつもの見慣れた風景だ。
 そう――。
 悠然とした足取りでこちらに向かって歩いてくる四つ脚の黒くて大きな獣以外は――。
 セネカはその獣を見るのは初めてだった。
 太い四肢、しなやかな胴体、長い尾、そして――顔のまわりを取り巻いているふさふさとした(たてがみ)
何という獣だろう――? 狼?――いや違う。
 馬とは似ても似つかない。見たこともない。そしてセネカの想像も及ばないその獣は、ある種の気高さを漂わせながらセネカの目の前をゆっくりと歩いていった。
 間近で見ると思わずすくんでしまうような猛獣である。
 しかし、不思議と恐れはなかった。
 セネカは獣が大事そうにくわえている小さな若い獣に目を奪われていた。
親子――なんだろうか?
 もしかしたら死んでいるのかもしれない――と、セネカは思った。
 若い獣は全身が酷く傷だらけでぐったりしていた。
 親の獣は萎えた子の(からだ)をくわえ、セネカの前を通り過ぎると納屋へ入って行った。
 しばらくすると、獅子は納屋から姿を現した。
 そして同じくゆっくりとした足取りでセネカの前までやってくると、ぴたりと歩みを止めた。
 子の獣は納屋の中に置いてきたのだろうか。もう何もくわえていない。
 獣がセネカを見、セネカも獣を見た。
 お互いの目と目が合った。
 獣の目が何かを訴えている。懇願するような眼差しが、まるで突き刺すかのようだった。
 しかしその瞳は、どこか温かみと優しさをおびていた。
(なぜ――そんな目で見るの?)
 セネカは獣に問いかけようとして口を開いた。
 しかし言葉は音を失い、虚しく喉元を通り過ぎるだけだった。
 何も発しない。
 何も発することがない。
 そこは静寂の世界だった。
 獣は向きを変え、来た方向へゆらりと歩いていった。
 どこからか(もや)が立ち込め、辺りが白く霞んでいった。
 そして――。
 セネカは目覚めた。

 まだ辺りは暗く、日の出前の時間帯だ。
 不思議な夢は目覚めてからもはっきりと脳裏に焼き付いていた。
 セネカは寝台に仰向けに横たわったまま、ぼんやりと反芻(はんすう)した。
正夢かもしれない――。
 そんな思いが頭をもたげた。
 やがて、うっすらと辺りの景色が見て取れる彼誰時(かわたれどき)になる頃、セネカは寝床から起き上がり納屋へと向かった。

 目に飛びこんだのは納屋の片隅に積まれた藁の山に横たわる人の姿だった。
 セネカは一気に眠気が吹き飛んだ。
 夢ではない。
 納屋に人が倒れている!
 セネカはとっさに身を翻し、家へと駆け戻った。そして再び寝床に潜り込むと、上掛けを頭からすっぽり被って丸くなった。
 心臓が早鐘のように鳴っている。
誰だろう――?
村の誰かか――?
いや、もしかしたら盗賊? 浮浪者――?
倒れていた――。いや、しかし眠っていたのかもしれない。
起き上がって家に入ってこられたら、どうしよう――?
 色んな不安が頭の中を渦巻き、セネカは怖気づいた。
ミダイに助けを乞いに行こうか――。
 そう考えた時、セネカは以前サミュエがふらりとこの家へやって来た時のことを思い出した。
サミュエかもしれない――。
 夜中に寝ぼけてやって来て、納屋に入りこんで眠りこけたんだ。そうだ。そうに違いない――。
 セネカは無理矢理、自分自身に言い聞かせた。
 先ほど(おぼろ)げに見えたのは、確かに少年の背格好だった。
 朝になったらレダが大慌てでサミュエを探しまわるはずだ――。
 セネカは先ほどからの緊迫感から解き放たれた気持ちだった。
 それでも、まんじりともせず朝日が昇るのを待ったセネカは、再び恐々(こわごわ)と納屋に向かった。

 藁の上に倒れていたは、やはり少年だった。
 そして、その少年はサミュエではないことが一目で分かった。
 セネカの鼓動がまた、激しく胸を打ちつけた。
 少年は目を覚ます気配がない。藁束の上に、木偶のように倒れ伏している。
 セネカは恐れと興味の入り混じった気持ちで少年を見た。
 その少年は――。
 むき出しの腕と足にまともな皮膚があるのだろうかと思うほど、生傷だらけだった。
 傷は肩と背中が特にひどい。
 無数のみみず腫れと破れた皮膚。
 鞭を当てられたのだろうか。
 裂けた衣服の隙間からのぞいている乾ききっていない赤錆色の血の固まりが痛々しい。
 セネカは思わず顔をしかめた。
まるでボロ雑巾だ――。もしかして、死んでいるのかも……。
 その時、少年の口からうめき声が漏れた。
生きている――!
 セネカは恐る恐る少年の顔を覗き込んだ。
 やはり、この村の住人ではない。
 髪は黒髪。瞳は固く閉ざされてはいたが、しっかりとした眉、すっと通った鼻筋の端正な顔立ちをした少年だ。
熱い――。 
 そっとその肩口に触れたセネカは、腫れたあがった皮膚が思った以上に熱を帯びているのに驚いた。
 少年は口を微かに開き、浅く苦しげな呼吸を繰り返している。
 セネカは転がっていた手桶を掴むと、井戸に向かって駆け出した。


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