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  Sena 作者:コウミ
第2章 いのち
[2]
 厳しい冬も終焉を迎え、ようやく春の息吹が感じられるようになった。
 村はまるで腐葉土の中で眠っていた虫たちがうごめき出すように活動を始めた。
 男衆は冬の間に鈍った体を奮い起こすべく狩りに出かけ、女衆は春の植え付けの準備に余念がなかった。
 そして子どもたちは、草の根や冬眠から覚める手前のカエルなどを掘り起こしたりして、食べ物が乏しかった冬の間の飢えを満たそうと躍起になっていた。
 やがて、村人たちが皆、(まと)っていた毛皮や皮製の足覆いを脱ぎ捨て、村のあちこちに野の花が咲き始める頃――村外れの小さな家に不穏な変化が訪れた。

 ある日ルイザは発熱した。
 季節の代わり目の体の不調と思い、油断をしたのもいけなかった。
 熱は下がる気配をみせず、何日も続いた。
 連日の発熱は老体には堪え、ルイザは日に日に衰弱していった。
 セネカは献身的に世話をしたが、快復の兆しを見ることができなかった。
 村の長老が熱さましの薬草を煎じたり、心ある衆が滋養になりそうなものを持参したりと、ルイザの元を幾人の者が訪れた。
 しかし、トウモロコシの芽が風になびく頃になってもルイザは床から起き上がることができなかった。
 ルイザは食も徐々に細くなっていった。
 毎日ルイザを見舞っていたレダはある日、深刻な面持ちで村外れの家をあとにした。
 この日、ルイザはとうとう一口も粥を口にしなかったのだ。
 レダは努めて明るく振る舞っていたが、セネカには半ば諦めたように目を伏せ、首を横に振った。
「何かあったらすぐに呼びに来るんだよ。朝だろうが夜中だろうが構わないから」
 レダはセネカによく言い聞かせた。その目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「婆ちゃん」
 セネカは寝台に横たわるルイザの際に(ひざまず)いた。
「苦しくないかい? どこか痛いとこは……?」
「……なんの」
 ルイザは目を閉じたまま、しわ枯れた声で弱々しく呟いた。

 その日、まどろみの中で、セネカは誰かが自分の名を何度も呼んでいるのに気がついた。
 誰かが呼んでいる? 誰だろう?
 聞き覚えのある声だ。歳を重ねてはいるが、張りがあって、どこか凛とした……。
 でも、名前が違う。それは本当の名前じゃないんだ。本当の名前は……。
 セネカはハッと目を覚ました。
 いつの間にかルイザの寝台に伏して眠っていたのだ。
 名を呼んでいたのはルイザだった。
 セネカはぎょっとした。
 ルイザは寝台の上に起き上り、あぐらをかいて座っていた。
「セネカ」
 ルイザは半眼のままセネカに眼差しを向けた。心なしかその目には光が宿っている。
「婆ちゃん――起きていいのかい? 体が楽になったんだね?」
 セネカは安心のあまり自然と顔がほころんでいった。
「すまんがひとっ走りして長老を呼んできてくれんかの……ああ……あとミダイもじゃ。ここに呼んできておくれ」
 セネカの問いに答えることなく、ルイザは淡々とした様子で言った。
「え?……でも……」
 セネカは戸惑った。
 起き上がれるほど体が良くなったのに、人を呼ぶなんて。それに――辺りはまだ薄暗く、夜明け前の頃合いだ。
「頼んだぞ」
 言うとルイザはそれきり目と口をぴたりと閉ざしてしまった。
 何かがセネカを急き立てた。
「待ってて。すぐに――」
 セネカは村外れの家を飛び出した。

 セネカはまずミダイの家に寄り、戸口を叩いた。
 すぐにレダが現れた。
 レダはセネカからルイザの言伝(ことづて)を聞くと困惑顔でミダイを起こしに行った。
 程なくミダイが現れた。眠気を振り払おうとしきりに目をしばたたかせている。
 ミダイはセネカと共に長老の家に赴き、長老を背負うと、村外れのルイザの家へと急いだ。
 ルイザはセネカが家を飛び出した時と同じく寝台の上に座り込み、静かに佇んでいた。
「ルイザよ、どうした? まさか――いよいよというわけではなかろうな?」
 長老がミダイの背から下りると、ルイザの前に座した。
「そのいよいよじゃ。迎えがきた」
 ルイザの口調はしっかりしていた。
 長老は喉の奥から低く長い唸り声をもらした。
 ミダイとセネカはぽかんとしている。
「セネカや。こちらにおいで」
 ルイザがセネカを呼び寄せた。
 セネカは促されるままに傍らに寄り、ルイザの隣に腰かけた。
 ルイザの手がセネカの膝の上にのせられた。無意識にセネカは、その枯れた木切れのような手を握った。
「わしはもう永くはない」
 ルイザが口を開いた。
「わしもよう生きた――が、潮時のようだ」
 セネカの手が思わずルイザの手を強く握り返した。
「家にこの子がいてくれたおかげで、世話をしてくれたおかげ、今の今まで生きながらえていられた――そうでもなかったら、もうとっくに死んでおったわい」
 ルイザが穏やかな笑みを浮かべ、セネカを見た。
「おいおいルイザ婆。何を言っとる。こんなにしゃんとしておるのに、悪い夢でもみたのか? 縁起でもない……」
 ミダイが信じられないといった様子で言った。
「ミダイよ。セネカを頼んだぞ。この家は――まあ、こんなへんぴなところだし――貰い手もないだろうからセネカに遺す。畑もだ。……。しかし、しばらくはこの子の面倒をみてやっておくれ。お前の言った通り、この子は仕込み甲斐があった」
 ミダイはますます訳が分からないといった様子で腕組みをし、眉間に皺を寄せた。
 長老は真剣な目つきでルイザの言葉に耳を傾けていた。
 それからルイザは長老に形見に遺す物を申し伝えた。
 生前の夫が使っていた装束や農機具、機織り機、そして――。
「セネカ」
 名前を呼ばれ、セネカは(おもて)を上げた。
「壕へ行って、籠を持ってきておくれ。棚段の一番上にある大きい籠じゃ」
 セネカがのろのろと動き、壕から編み目の詰まった蓋付きの籠を抱えてきた。
 籠の蓋を開けると――虫よけの藻草のつんとした匂いと共に中から古い衣装類があらわれた。
 やや色あせてはいたが丁寧に仕立てられており、縁には見事な刺繍が施されていた。
「これがさっき言った晴れ着じゃ。ヤニスのとこの娘が年頃じゃったな。わしが死んだら、その子にあげておくれ。それから――」
 晴れ着の下にくすんだ朱色の布が現れた。更紗の布で、布端が丁寧に刺繍で縁取られている。
「それはセネカに、じゃ」
 セネカは布を取り上げた。しなやかな手触りの生地だった。
「お前の肌の色によう映える」
 ルイザは満足そうに目を細めた。
 セネカは頭の中が痺れたようにぼうっとなった。
 自らの死を目前にして、ルイザが形見分けをしているということがようやく呑み込めた。
「ルイザ婆よ。セネカにはちいと派手すぎやせんか? それに、これは女物だろう?」
 ミダイが遠慮がちに意見した。
「何をぬかしておる。セネカはれっきとしたおなごじゃ。まだ気がつかんのか! いつまでたっても鈍感な奴め」

 ルイザの体は再び寝台に横たえられ、長老とミダイは揃ってルイザの家をあとにした。
 セネカはもう片時もルイザの側を離れる気はなかっので、二人を見送ることはなかった。
 ミダイは未だにセネカが女の子だということを受け入れ難いようだったが「あとでレダをよこすから」と言って、帰って行った。
「やれやれ……少し、疲れたのう」
 ルイザが先ほどとは打って変わり、消え入りそうな呟きを漏らした。
「泣くことはない」
 セネカの目からは涙が溢れていた。
「産まれ出るのも、死に逝くのも自然の理。日常とかわらん……だが」
 ルイザが痩せた手をのばし、セネカの頬に触れた。涙がルイザの手を濡らした。
「親御を失ったお前には少し酷な言い方かもしれんな。不憫なことだが、まあ……逆も、な。辛いものぞ……」
 ルイザが目を閉じた。
「ほんに良い子を拾ってきてくれたの。ミダイに感謝せねばな――お前の行く末だけが気がかりじゃが、まあ……大丈夫だろうて。お前は生きていく力が、生き抜いていく力が強いからな」
 命の灯が消えかかっているのだろうか。ルイザの言葉は今や吐息のようだった。
「自分を貫いて、まっすぐに生きていくがいい――」
 ルイザがゆるやかにその手を自らの胸元に置いた。
 セネカは涙を拭った。
 別れの時が近い。
 でも、その前に――セネカはルイザに言っておかなければならないことがあった。
 セネカは耳元に顔を寄せた。そして、小さく唱えるように感謝の言葉をつぶやいた。
 ルイザのいかめしい口元が、ふっと穏やかにゆるんだが、閉じられた目は開くことがなかった。






アクセスありがとうございます。

生まれくる『いのち』と、去りゆく『いのち』……。
今後のセネカの成長に欠かせないエピソードとなりますので、本筋と離れますが一章分割かせていただきました。
この章の[後]は、少し重くて、書くのが辛い回でしたね。

次回 第三章『来訪者』では、いよいよあの方が出ます。

コウミ

☆☆☆

2011.3.7『いのち』本文改訂


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