「見たか? あの黒いの」
「見たよ。見た見た!」
「流れモンだってさ」
「ありゃ、まるでカラスだよな?」
村の共同井戸へ水汲みに行く度に、子ども達の囁き声がセネカにつきまとった。
朝の水汲みは子どもの居る家では彼らの仕事と決まっていたので、セネカはルイザの家で初めて目覚めた朝から手桶を持たされた。
セネカは、自分の肌の色をとやかく言われるのはさほど気にならなかったが、村の子どもたちが自分の方を盗み見ながらひそひそ声で話すのは、どうしようもなく勘に触った。
セネカはうんざりしながら、その日も水汲みの行列に加わった。
ミダイが、狩り場の山中で孤児を拾ってきたという噂は、いつしか村全戸に知れ渡っていた。
そして、その子は村外れに一人で住む気むずかし屋の老婆ルイザに引き取られたということも間もなく周知のこととなっていた。
「よお! サミュエ。お前、オレんとこの順番と替われよな!」
赤茶けた短髪で目が針のように細く、顎のとがった少年がセネカから二つ前のサミュエににじり寄り、口元を偉そうに歪めた。
少年はサミュエよりも体格が一回り小さいが、年は上のようだった
「ご苦労だったな。お前んちの順番はあっちだ。聞こえたな? 分かるだろ? あっち! 早く行けよ」
きょとんとしたサミュエに、少年はわざと大袈裟な身振りで列の最後尾に行くよう命じた。
「カルラだ――」
「ヤな奴! 今朝は大人がいないから――」
すぐ後ろの二人のひそひそ声がセネカの耳に入った。
カルラは意地悪い笑みを浮かべながら、今やサミュエの腕を取り、列から引っ張り出そうとしていた。
サミュエは困り果て、不安そうに瞳をうろうろさせていたが、誰一人サミュエに加勢してくれる者はいなかった。
カルラが今にもサミュエと入れ替わりに、列に割り込もうとしたその時――。
「おい! 順番守れよ」
強い口調で誰か言った。
そこにいた皆が一斉に声のする方を見た。
声の主はセネカだった。
「な――なにぉ!?」
カルラの目が斜めにつり上がり、青白い頬にさっと血の気が指した。
「順番守れって言ったんだ。聞こえただろ?」
セネカは怯むことなく言い放った。
明らかにカルラの方がずるいのだから、当然のことをしたまでだった。
カルラは子どもらのあいだでは鼻つまみ者だった。小賢しい性質で人を撒くし、何か言うと口八丁で倍返しされるので皆は彼に口出しするのを避けていた。
「流れ者のくせに生意気な口をきくんじゃねえよ!」
凄みを効かせながらカルラはセネカに近づいた。
井戸の周辺は険悪な雰囲気になった。
「おはよう! いい朝だね」
その時、テオドラが朗らかに水汲みの列に加わってきた。
テオドラは何事もなかったかのようににっこりとほほえみ、素早くセネカに目くばせをした後、誰に言うともなしにたずねた。
「一番最後はここだね?」
カルラが、さっと身を翻した。
そして当たり前のようにテオドラの後ろに並んだが、その目は射抜くようにセネカを睨みつけていた。
子どもたちは口々に小さく感嘆の息をもらした。
「へえぇ。すげえ」
「ずるのカルラをへこましたぞ」
この日以来、セネカに対する囁きが全く別のものになり、子どもらの敬意の眼差しがセネカに注がれるようになった。
やがて季節は晩秋に差し掛かり、村には乾いた北風が流れてくるようになった。
来るべき極寒の時期に備えて、村の家々では薪や食料などの蓄えや、防寒などの冬越しの準備に追われていた。
セネカがルイザの家にやって来てから、ひと月半――。
最初は心を閉ざしていたセネカだったが、時の流れと安住の地を得た安心感がかたくなな心を溶かしていったようだ。
セネカは徐々に打ち解け、口数も多くなっていった。
根っからの人なつっこさと器用さもあったのだろう。村の生活に馴染むのにそれほど多くの時間はかからなかった。
セネカ自身が喋る男言葉や、仕草、またその容姿が村の子どもたちの気を引きつけ、セネカは大抵の子どもたちから慕われた。
しかし、カルラと数名の取り巻きたちはセネカのことを『カラス』とか『おとこおんな』とか『捨て子』などと言ってからかった。
セネカは『カラス』や『おとこおんな』は、聞き流すことができたが『捨て子』と言われるのには我慢がならなかった。
「おいらは捨てられてなんかいない!!」
セネカはカルラにからかわれる度に激怒した。
カルラもツボを心得るや、更に図に乗った。セネカの逆鱗に触れる度に面白がっては、幾度となくセネカを焚きつけた。
「言わせたい奴には言わせておけばいいんじゃ。相手にするな。間違っても手を出したりするでないぞ。喧嘩は先に手を出した方が負けだからな」
ルイザにはきつく言われていたので、セネカは振り上げたくなる拳を必死で抑えた。
手を出してはいけないなら口で言い返すしかない。しかし、口で応酬するも弁舌に長けるカルラも負けていない。
二人は取っ組み合いを始めんばかりの険悪な状況に陥ることもしばしばだった。
「カルラは母親を病で亡くしておる。寂しいんじゃよ。大目に見てやれ」
ルイザはどこまでも慈悲深かった。
だったらこちらも境遇は同じだ。なのにこの言われようは理不尽すぎる――。
セネカは憤慨せずにはいられなかった。
顔を合わせれば突っかかってくるし、こちらから手を出せば叱られる。残る途はただ一つだった。
セネカはカルラを徹底的に無視した。
どこの馬の骨とも分からぬセネカだったが、ルイザの言いつけには従順でよく働いたので村人の受けはよかった。
村人たちは粗野ではあったが、あたたかくセネカを迎え入れてくれた。
ルイザもセネカを自分の孫のように慈しみ、時には叱咤したりと家族同然に扱った。
セネカも気難しい一人暮らしの老人の気性を心得ており、何より二人はウマが合った。
セネカは毎日、朝の水汲みから炊きつけ用の木切れ集め、洗濯などの雑用などをせっせと片づけ、更にミダイの家の畑仕事の手伝いまでこなした。
また、歳で足腰の固くなったルイザの代わりに家の畑をも耕して、春の種植えに向けての土作りにも精を出した。
「眠っとった畑が蘇るようじゃの」
これにはルイザも目を細めて喜んだ。
それまで一人で細々と暮らしていた老婆の家には冬を越せる程の収穫物はなかったが、村でルイザの世話になった者からは途切れることなく何かしらの物が施された。
ルイザは村きっての産婆だったのだ。
臨月間近の逆子もルイザの手にかかったら、くるりと向きを換えて頭から産まれてきたというのが語り草となっているほどだ。
ミダイ本人も、ルイザに取り上げられたという。
「あの馬鹿デカイ図体も、まあ産まれてきた時には、人並み以下の小ささでの。乳もよう吸わんと、母親も難儀して育てとったもんじゃ――」
ミダイにも赤ん坊の頃があったのか――と、セネカは少し不思議な気持ちになった。
セネカはルイザから、ミダイが赤子だった頃の事や幼い頃の思い出話を何度となく聞かされた。
そしてそれと同じくらい頻繁に、サミュエの面倒をみるようにと言いつけられた。
サミュエはミダイの二番目の息子だった。
ミダイの息子二人の出産もルイザが面倒をみていた。
「あすこは上の息子を城に取られてな……嫁のレダは大そう落胆しておった。ようやっと畑仕事も狩りも一人前にこなせるようになっとったのにのう。オリンポスの衆も理不尽なことをしよる。年貢を絞り取るだけでは足らんのか」
ルイザは時としてオリンポスを拠点として勢力を振るうティターンに対する憤りを露にした。
この村ではオリンポス城下の下働きや兵卒として十代後半から若い盛りの青年らを徴収されたばかりで、働き手が不足していた。
セネカはしばしばサミュエを川沿いや雑木林などに連れ出し、散歩や木切れ拾いなどをして時間を過ごした。
ミダイから受け継いだ黒髪と純真な瞳を持つサミュエは、セネカよりも三つばかり歳が上で背も頭一つ分セネカより大きかったが、心は幼子のままで成長することがなかった。
サミュエは時々ふらりとそこらをほっつき歩いては家に戻らないことが多々あった。これにはレダもほとほと手を焼いていたので、セネカの手助けは大いに役に立った。
狩り場で拾われて以来の縁で、セネカはミダイとその家族ともお互い行き来する付き合いが続いており、特にミダイからは息子同然に扱われていた。
ミダイは約束通りセネカの弓を教えてくれたし、手製でセネカの体格に合わせた弓と矢をこしらえてくれた。
「肘はしっかり伸ばしているな? そう! そうだ! 拳は肩の高さ。そうして――こうやって矢をつがえて、力をゆるめずに獲物を狙う! 親指の腹を獲物に向けるんだ。よし! いけ!」
放った矢は獲物を模した丸太になかなか命中しなかったが、セネカは何度も挑戦したしミダイも根気よく教示した。
ミダイは、どうしたことか相変わらずセネカを男の子だと思い続けていた。
その様子を妻のレダは物言いたげに見ていたが、口出しするのを控えていた。
不思議なことにしばらくするとレダは、セネカが女の子であっても男の子であってもどちらでも構わないのでは――とさえ思うようになっていた。
二人は親子のように打ち解けていたし、息子のサミュエも傍らでにこにこと笑顔をたたえながら、楽しそうにその様子を見ていたからだ。
やがて厳しい冬が到来し、村はこぞって冬ごもりに入った。
アクセスありがとうございます。
原作漫画の第2巻のエピソードに繋げたいため、この章では同居する老婆と、村での生活を濃く描写しました。
やや説明口調気味なのが難点でしょうか…。
オリジナルキャラも何人か出演させました。
オリジナル色の強い展開は、まだしばらく続きます。
次回は第二章『いのち』です。
コウミ
☆☆☆
2011.3.6『孤独から共存へ』本文改訂
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