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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第4章 似たもの同士の大行進

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第16話 理想に向けて

 今日はレネの指導教官としての役割が一段落ついたためのお祝いである。もちろん単にエルセリアとセリエナと遊ぶ名目なので、座卓に置かれているのは柔らかいレアチーズケーキと炭酸ジュースだけだ。

 授与式を終えてから何となく肩の荷が下りたような気がするレネだったが、同時に寂しさも感じ始めていた。そのため会話が追加のおやつで途切れたところで感慨深げに呟いた。

「残り、二か月かぁ……」

『早いものだな。最初はどうなるかと思ったが、うまくいって良かったな』

「普通は無理だから、評価も高いと思うよ?」

「私は今から憂鬱です……」

 もう終わっているエルセリアはレネの活躍を喜び、いずれ来るセリエナは自分のときにはどんな無茶が来るのだろうとため息をついた。

「大丈夫だよ。そのときは力になるから! ……ね?」

「ええ、もちろん。……そうですよね?」

「ありがとうございます。……お願いしますね?」

 仲良し三人娘は笑顔で杜人を見つめる。

『……なぜそこで俺を見る。見捨てはしないが、過剰な期待はしないでくれよ。ふふふのふ』

 杜人としても頼られれば嬉しいので、言葉ではそう言ってもくるくると回転して喜びを表す。この辺りの奇妙な行動はもはや慣れたので、三人とも笑っている。毒された者は気が付かない典型であった。

『それはともかく、最後の試合で優勝は目指すのか?』

「んー、一応はそのつもりだけれど、指揮官以外魔法具は使用禁止なんだよね。それだと厳しいかも」

 武技を使えるようになったといっても、まだまだ安定には程遠い。そうなると初級魔法の強化が使える分、他の騎士見習いのほうが有利になると予想していた。

「初級魔法の強化でもずいぶん動きが違くなるからね。素のままでは確かに厳しいかもしれないね」

「指揮官の魔法は制限されているのですか?」

 エルセリアも確実に使える相手なら無理と予想し、セリエナは内容を把握していないので純粋な疑問を投げかける。

「うん。殺傷系は駄目。回復系も三回までだよ」

 レネは渡されていた規則を鞄から取り出して座卓に置く。それを順番に読んでいき、最後に杜人が読み始めた。渡されたときは口頭で聞いていたので、この際だからしっかりと読もうと思ったのだ。

 殺傷系は慣れた魔法使いが使えば初級魔法でも致死の威力になるため禁止。回復系も無限に使えばきりがないので回数を制限している。その他が禁止されていないのは、上手な使い手があまり居ないからである。

 要するに、苦手な魔法をおたついて使う光景を見るつもりなのだ。ご丁寧に試合開始が宣言されてからしばらくの間は、騎士見習い達は動かない決まりになっていた。小さな嫌がらせだが、誰かが怪我をするわけではないので効果は高い。ただし、それが通用するのは普通の魔法使いに対してのみということを忘れていなければだが。

 そしてレネはもちろん普通ではない。得意な魔法はあっても苦手な魔法はないのだ。そのためこんな規則でも、組み立てを考えるのが面倒だと思う程度である。

「だから相手の等級に合わせた強化魔法や防御魔法を使って支援しようかなって思ってるんだ。そうすれば対等だと思えるでしょ?」

「それが良いかもね。見たいのは今の実力なんだし」

「そうですね。それが良いでしょう」

 三人の意見が一致し、互いに微笑む。そんなときに規則を読み終わった杜人が顔を上げ、レネを見つめてにやりと笑った。

『ところで、これだと霊気系は使い放題じゃないか? 殺傷力はないのだから』

「んん? ……おおっ!」

 レネは用紙を手に取り、上から下までしっかりと読む。そして杜人の言うことが正しいという結論に至った。

「つまり、最初に相手の指揮官を倒せば、後は実力勝負ということだね!」

『その通りだ。さすがに攻撃動作を見れば防御するだろうが、増幅すれば大丈夫だろう。そして指揮官の魔法抜きなら、負けても実力不足を感じるだけで済む』

 レネと杜人は笑顔で見つめ合うと『良し、やろう』と頷いた。もはや阿吽の呼吸といっても良い動きであった。そんな二人をエルセリアとセリエナは仕方がないなぁという目で見つめていた。

「これでだいぶ楽になったね。……ん、おいしい。……ところでさ、確かケーキでは生クリームを使うよね? あれって結構味わいが違うけれど、どうやって作っているの?」

 レネはレアチーズケーキを食べながら唐突に生クリームの話題を出す。レネにとっては白いケーキは甘い物への憧憬へ至るものなのだ。そのため生クリームの味わいにもこだわっていた。だから時間が経過するとおいしくなくなるのも知っているし、それなら作りたてはどれだけおいしいのだろうかと思っていた。

『はて、確か動物の乳を遠心分離機にかけれ……、もとい。ええと、どうだったか……』

 杜人は思わず素で答えそうになったが、機械が無い時代にどうやって作っていたかまでは知らなかったため、誤魔化そうと目をそらした。作り方を調べたときも、市販の生クリームと砂糖を混ぜるなど、簡単に作れる現代の製法のみで調べることをやめていた。

 しかし、甘い物に関しては鋭い観察眼を持つレネには通じない。素早く杜人を捕まえると、にっこりと微笑んだ。

「うんうん、さすがモリヒトは頼りになるね。それじゃあ、最初から説明してね?」

 もちろん聞いたことが無い単語にも反応している。こうなるとレネは止まらないと分かっているので、止めてもらうために杜人が引きつり気味に周りを見回すと、エルセリアとセリエナは『頑張って』という諦めに似た笑みを浮かべていて、シャンティナは我関せずというような感じで視線すら向けず、レアチーズケーキをゆっくりと味わっていた。

 そのため孤立無援を理解した杜人は、もはやこれまでと覚悟を決めた。

『……致しかたなし。理解できなくても恨むなよ?』

「うん、分かってるよ。あ、書くものを用意するからちょっと待ってね」

 満面の笑みを浮かべたレネに負けた杜人は、重く深いため息をついたのだった。

 そして杜人は遠心分離機の原理にまつわる様々な事柄を根掘り葉掘り質問され、三人娘が楽しそうに遠心分離機の試作品を作っている脇で真っ白に燃え尽きて横たわっていた。後でジンレイに聞けば良かったと思いだしても後の祭りである。

『なあシャンティナ。おやつを追加すれば次は助けてくれるか?』

「……無理、です」

 横でりんごタルトを味わっていたシャンティナは、杜人を見て、レネを見て、再び杜人を見た。そして小さく首を横に振り、短く理由を述べた。表情は変わらないが、リボンはしょんぼりとしていた。

『そうか……、分かった。……機会があったら不思議なおやつを作るから楽しみにしていてくれ』

「はい」

 嫌、でも、できない、でもなく、無理。その意味を杜人は十二分に理解し、答えてくれたシャンティナが気に病まないように付け足しておく。そのせいか、しょんぼりとしていたリボンは楽しそうに揺れ始めた。

 それを確認してから身を起こし、試作品に入れた液体を盛大に飛び散らせて悲鳴をあげるレネを見ながら、杜人は仕方が無いなと微笑むのだった。





 迷宮の第四十二階層。そこは再び開放型の階層となり、分厚い曇天と平原や森林が広がる階層である。そしてここには第四十階層に比べて楽に金を得ることができる魔物がいるので、多くの探索者がこの階層を拠点に活動をしていた。

「やっぱり多いね」

『こればかりは仕方がない。彼らにも生活があるからな』

 レネは以前に来たときと変わらない人の多さに頬を掻く。最初に来たときには人の多さに驚いて、探索せずに帰っていたのだ。

「食糧供給を担う階層だからね」

「予定通りにすれば大丈夫でしょう」

 もちろんエルセリアとセリエナも、この階層のことを知っている。そのため探索の仕方をあらかじめ決めてきたのだ。

 多くの探索者がいるので、楽な場所は常に満杯であり新参が入れる隙間は無い。そうなると遠くへ行かなければならないが、歩いていたのでは限界がある。そのため入口から離れれば離れるだけ人が居なくなり、その場所を独占できるのだ。

 レネ達は階層地図から人が居ないであろう地点を選定していて、最初からそこに行くことにしていた。もちろん移動手段であるタマの存在が前提である。

「それじゃあ、とりあえず移動しよう」

『そうだな。四人だから少し大きくするか。……タマ、来い!』

 いつものタマの大きさは二人がゆったり乗れる程度である。そのため杜人は普段より大きくタマを召喚し、乗りやすいように変形する。

「さ、乗って」

「ふふっ、楽しみ」

「よろしくお願いします」

『任せてくれたまえ。あまりの乗り心地に降りたくなくしてみせよう』

 安全地帯であるはずの入口に巨大な白珠粘液が突然現れたため、付近にいた探索者達は不意を突かれてとっさに動くことができずにいた。そんな中をレネはある程度開き直ったので気にせず、エルセリアは最初から気にせず、セリエナは今更なことなので気にせずに乗り込んだ。

「それでは出発!」

「おー!」

『ふふふ、それでは存分に堪能してくれたまえ』

 杜人は髪をかき上げる仕草をしてから、速度をあげてタマを動かす。もちろん固定は万全だ。レネ達は楽しげな声をあげ、あっという間にその声は入口から遠ざかっていく。

「……なんだったんだ?」

 身体をうねうねと動かしながら元気に出発したタマに驚いていた探索者達は、姿が見えなくなるまで呆然と後ろ姿を見つめていた。





「ええと、まずは森に行って乳牛の実を取って来て、その後に平原で黒乳牛を探して牛乳を採取。そしてその場で生クリームを作って、ケーキを作ってもらう。それを食べたら今日はお終いで良いよね?」

 今日の目的は『新鮮な生クリームを使ったケーキを味わう』である。そのためだけに甘いもの好き三人娘は遠心分離機を完成させ、時間もない中で都合を調整し合い、いそいそとやって来たのだ。その熱意と行動力に杜人はもはや何も言えなかったのは言うまでもない。

「欲張っても仕方がないからね。……これ、どうすればできますか」

 レネの確認に答えたエルセリアは風でなびく髪をまとめてからタマを撫で、楽しそうに聞いてくる。今までも見かけていたのだが、魔法書の機能ということで諦めていた。しかし、記念品として贈ったことを聞いたので、もしかしたら個人でもできるかもと考えたのだ。

『うん? 魔法具化はできるようにしてあるが、魔法として個人が発動できる代物ではないぞ? 人には理解できない情報もあるからな。それに今のところ具現化するには精製した精霊結晶を加工して使わないと無理だ。それでもかなり機能を限定したものになる。手間の問題もあるから、積極的に売るつもりは今のところない』

「そうなのですか。残念です……」

「かなり頑張って省力化したんだけどね……」

 精霊結晶だけでも高価な物であり、中核となる術式は今のところ杜人しか組めないので値段がつけられない代物だ。レネは分かる部分だけを調整して分からない部分はそのままにしているので、一から術式を組むことはできない。

 理由を聞いてエルセリアは納得したが、名残惜しそうにタマを撫でている。その様子にレネは杜人を上目遣いにじっと見つめる。その視線に負けた杜人は、仕方がないなと笑った。

『欲しければレネと交渉してくれ。ただし、高価なものになるからきちんと考えてくれよ』

「ありがとうございます。レネ?」

「うん。一品物だから、加工をお願いしないと詳しい値段は分からないんだよ。後で聞きに行こう」

『セリエナは良いのか?』

「お金がありません。裕福になったらお願いします。それより来ましたよ」

 セリエナは冷静に前方を指差す。そこには遠くから土煙を上げて突進してくる黒い牛がいた。

『……牛、だな』

 杜人としては、もう少し変化があって欲しかったのだが、見た目も大きさも杜人が知っている牛そのものである。そのため呆然としたような棒読み口調になり、それに反応したレネが解説を始める。

「黒肉牛だね。お肉がおいしいんだよ。後は皮が高く売れる素材なんだ。難点は、人を見かけるとああやって突撃して襲い掛かってくることかな。それ以外は特に脅威はないよ」

 それを聞いて杜人は再度黒肉牛に目を向けると、ちょうど障害物の岩を避けることなく一撃で粉砕したところだった。よく見れば、なにやら身体が薄い光に覆われている。

『……脅威はない?』

「うん。速いけれど一度走り始めると直進しかできないから。それに魔法には弱いんだよね。シャンティナ、止めをお願いね。……霊気槍」

 嘘だろうと言いたげな杜人に、レネは笑顔で前方に飛ばした端末石から霊気槍を連射する。直撃を受けた黒肉牛は透明な結晶に覆われながら爆走していた勢いそのままに吹き飛び、転がってようやく停止する。

 そこにシャンティナが近寄り、結晶が消えたところであっさりと止めをさした。獲物はジンレイが丸ごと自身の空間に収納し、シャンティナは走り続けるタマに軽々と飛び乗った。

「こうすると綺麗な皮を手に入れることができるでしょ? 傷の無いものはなかなか出回らないんだって。大抵単独行動だし、お肉も売れるから探索者に大人気の魔物なんだよ」

 練習を重ねそれなりに習熟した結果、レネも相手に被害を与えない霊気槍を放てるようになったのである。そのため結晶に包まれながら吹き飛んだ黒肉牛には、傷一つ付いていない。

「お肉は部位によって色々な味が楽しめますよ」

「職人がきちんと加工した革製品は上流階級に大人気ですね」

 対処方法さえ分かっていれば怖くない。レネは得た知識を活用して対処法を考えていた。探索者も罠などを仕掛けて狩りを行い、真正面から戦うことはしないのだ。

 レネの説明にエルセリアとセリエナも笑顔で補足を行う。その様子から、誰も恐れていないと分かる。

『そうなのか……』

 杜人は、本来であれば脅威であるはずの黒肉牛に対して何ともいえない悲哀を感じながら、タマを走らせるのであった。





『それにしても、今にも雨が降りそうな雲だな』

「見た目はね。けれど、晴れない代わりに雨も降らないんだ。不思議だよね」

 見上げる空は分厚い曇天である。青々とした草木が生い茂る平原には似つかわしくない空である。晴れならばさぞかし良い景色だろうと思いながらタマを走らせていると、杜人の目に鮮やかな赤が飛び込んできた。

『んんっ? ……レネ、この赤いのは何だ?』

「赤穂稲だね。自生植物にしか見えないけれど、一応根の部分に魔石があるから魔物なんだよね。全体に毒を持っているから実も食べられないし、特別な効果もないから素材としての需要はないんだよ。魔石もここまで来られる人にとっては小さすぎて、採取する意味がないんだよね」

 平原の一部が真っ赤になっている箇所があり、それが稲に似た植物だったため近づいて停止したのだが、毒持ちという返答に杜人は肩を落とした。

『そうか……。どうやっても食べられなかったのか?』

「うん。煮ても焼いても駄目だったみたいだよ。それに味も苦いし次の階層に小麦が自生しているから、利用するために研究するほどの価値がないんだよね」

 食料が限られているなら研究されたかもしれないが、この迷宮には日が変われば何度も収穫できる小麦が自生している。そのため食糧供給に不安が出ることはまずないのだ。需要がなければ供給もされない典型例である。

 杜人は駄目と聞いてもまだ未練があったため、後で暇になったらこっそりと検証してみようと決めた。そのためいくつか採取してタマに取り込むと、目的地に向けて走り始めた。



 そして最初の目的地である森に到着すると、目当ての乳牛の実がなる樹を探す。といっても森の入口付近に生えているので外からでも簡単に見つけることができた。

『……でかいな』

「そうだね。これを黒乳牛に食べさせると、代わりにお乳を分けてくれるんだよ。ひとりひとつずつ採取すれば十分かな」

 目の前にはレネと同程度の大きさの、乳白色の楕円形の実が垂れ下がる樹木がある。そしてその下には白い巨大な花が、中央にある牙が生え揃った真紅の口をうごめかせていた。名は紅白花で、見た目とは違い様々な薬になる植物の魔物だ。

 ちなみに杜人は紅白花のことを言い、レネは乳牛の実のことを言っている。かみ合っていないが、どちらも気にしていない。

「それじゃあ、取るね」

「これがあると楽だね」

 レネとエルセリアは不可視念手を用いて遠距離から頭上の実を採取していく。心なしか紅白花は悔しそうに口を動かしていたように杜人は感じられた。

『紅白花は放置か?』

「今日は時間がないからね。今度採取するよ」

 その声を理解したわけではないのに、それまで騒がしかった紅白花は一斉にその口を閉じておとなしくなる。偶然とはいえその挙動に杜人はまたもや悲哀を感じたのだった。




 そして一行は青々とした草が広がる平原にて、黒乳牛の群れを発見した。近づいても逃げたり暴れたりする様子はなく、のんびりと歩いている。そのため杜人は近くでレネ達を降ろすとタマを消し、代わりにジンレイを呼び出していた。

『……牛、だな』

「当たり前じゃない。あ、ありがとう」

「いいえ、どう致しまして」

 杜人の呟きにレネは首を傾げ、ジンレイから乳牛の実と容器、小さな折り畳み椅子を受け取った。エルセリアとセリエナも受け取り、三人娘は歓声をあげて黒乳牛に駆け寄る。そして残ったジンレイとシャンティナが周囲の警戒を行うために移動していった。

「こんにちは。おいしいお乳をくださいな」

 レネは笑みを浮かべながら乳牛の実を黒乳牛の前に置き、そのまま横に回って腹の下に容器を置いて椅子に座ると、鼻歌を歌いながら絞り始めた。もちろん途中で絞りたての乳を飲むことも忘れない。

「えへへ、甘くておいしい。これで作れば絶対においしいよ。うふふふふ……」

 レネは気兼ねしなければならない人が居ないので、自重せずに甘い物への欲望を周囲に振りまいている。近くで見ている杜人は困ったものだと微笑みながらも、行き過ぎないように現実へと引き戻すべく他愛もない質問をした。

『なあレネ、黒乳牛と黒肉牛の見分け方はどうやるんだ? 俺には違いが分からないのだが』

 レネ達はあっさりと近寄っていたが、杜人は差異がまったく分からなかったのだ。どちらも見た目も大きさも同じとしか思えなかった。

「え? 見つけると襲い掛かってくるのが黒肉牛で、襲い掛かってこないのが黒乳牛だよ。黒乳牛の群れに混じっているときがあるから、群れだからって油断は禁物なんだって」

『……そうか、ありがとう』

 見事な判別方法に杜人は何かが違うと思いながらも、良い言葉が浮かばずにがっくりと肩を落とした。

 搾乳されている黒乳牛は、与えられた乳牛の実を一口ずつゆっくりと食べている。杜人の観察では口は草食獣であり、口を開けてから閉じるまで特に力を入れたようには見えなかった。しかし、口元からはごりごりとか、ばりばりなどのとても硬そうな音が響いている。実際乳牛の実はとても硬く、なめるように食べられる代物ではない。

 その音を聞いてもレネは気にせずに搾乳を続けているし、周囲を見てもエルセリアもセリエナも気にしていない。乳の出が良いので、全員が苦労せずに笑顔で搾乳している。更に杜人の知識では乳牛は妊娠と出産を繰り返して乳を出すようにしているはずなのだが、周囲を見ても子牛の姿はなく、無作為に選んだはずの黒乳牛すべてから乳が出ていた。

『牛……、良し、牛だ。これが牛なんだ。牛とはこういうものなんだ』

 なまじ姿形が似ているので違和感が付きまとっていたのだが、杜人は常識を切り替えるべく繰り返し呟き、なんとか葛藤を小さくすることに成功した。そのためようやく調子が戻り、元気にレネの周囲を飛び回り始める。

『ところでレネ、黒乳牛は狩らないのか?』

「うん。敵性意思を見せただけで群れ全体で襲ってくるし、怒らせると黒肉牛より強いからね。だから群れを見かけたら武器は遠くに置くのが鉄則なんだって。それと金属臭を嫌うから、ここには布や革製品の防具で来るのが常識らしいよ」

 黒乳牛は突進だけではなく、多彩な原初魔法も使える。そのためへまをして襲われると簡単に全滅するのだ。それを聞いて杜人は猪突猛進は男の性だからなと、黒乳牛のほうが強い理由に深く納得した。

「ちなみに、この牛乳には魔力が多く含まれているから、高価な魔法薬の材料にもなっているんだよ。きちんと保存しないと一日程度で消えてしまうから、一般に出回っているものは普通の牛乳になっているけれどね」

 レネ達が使っている容器は精製した精霊結晶を変形させて作ったものなので、保管容器としては最上級の代物である。とても贅沢な使い方だが、杜人でも容易に加工できる素材が今のところ少ないことと、甘い物に妥協しないレネのこだわりから実現していた。

 そうしてしばらくすると、乳牛の実を食べ終えた黒乳牛がレネを見つめ、尻尾で肩をつついた。

「え? あ、ごめんなさい。ありがとう」

『なんだかな……』

 レネは慌てて搾乳をやめて容器を避けると、黒乳牛は尻尾を振りながら悠然と立ち去っていく。その様子に、何ともいえない変な気分になった杜人であった。




 そして一行は満杯になった容器を抱えてジンレイの屋敷に移動し、さっそく遠心分離機にて生クリーム製造に取り掛かった。外で行わないのはジンレイが魔力で製作しているからである。うまくいけば外注して作ってもらう予定だ。

「おいしくなあれ、おいしくなあれ」

「ふふっ、楽しみ」

「あ、出てきましたよ」

 レネが念じながらハンドルを回し、エルセリアとセリエナが出口にて容器を構えて待つ。そして出来上がった生クリームを少しずつ掬い取ってなめてみた。

「んー、加工前だからそんなに甘くないね。でもおいしい」

「牛乳の味わいが残っているね」

「市販品も持ってくれば良かったですね」

「おいしいです」

 ここでは護衛の必要のないシャンティナも輪に加わり、リボンを嬉しそうに動かしている。そしてその後も順調に生産を続け、ジンレイに渡す。

「それでは少々お待ちください」

「はーい」

 既に待ちきれない様子の娘達にジンレイは優雅に一礼し、杜人と共に台所に移動した。

『確かこれからバターが作れたはずなんだが』

「はい。攪拌すれば簡単にできます。それではそれも一緒に出しましょう」

 既に生地は焼いているので、後は生クリームを加工して作るだけである。ジンレイは慣れた手つきで作業を行い、出来上がった品物を持ってレネ達の元へ戻った。

「どうぞ。苺のショートケーキです。それとこちらは余った分で作ったバターです。ご賞味ください」

「わーい!」

 ジンレイはケーキの横にバターとパンを置き、一礼して下がった。

「うーん、やっぱりおいしい。えへへ……」

「食堂で出されているものより風味が強いね」

「このバターも物凄くおいしいです」

 三人娘は満面の笑顔で瞬く間に食べ終わり、当然のようにおかわりを要求する。その隣にて静かにゆっくりと食べていたシャンティナは、おかわりがあると知り急いで食べていた。そして食べ終えた後で、レネは杜人に上目遣い気味に聞いてくる。

「これ、みんなにも食べさせてあげたいな。駄目?」

 ジンレイの屋敷に連れて来ることはできないので、実現するならあらかじめそれなりの準備が居る。そしてそれには当然杜人の協力が不可欠なのだ。だからこそのお願いであり、杜人もそんな優しいレネに微笑む。

『それなら最終試合前の景気付けになるように頑張るか。連れて来るより到達したお祝いとしたほうが喜ぶだろう。それなら時間があるから準備もできるしな』

 レネの希望に反対せずに杜人は頷き、迷宮の攻略速度を調整することにした。最初さえきちんと教えれば、騎兵なので移動速度は考えずに済む。なにより、たまにしか言わないレネの小さな願いなのだ。叶えない理由はない。

 良い返事にレネは頷きながら嬉しそうに笑い、簡単な予定を確認する。

「それじゃあ、指導中の最終到達階層は第四十二階層にしよう。そこでこれをご馳走して、最後の試合に挑む。これで良いよね」

『ああ、問題ない』

 こうしてレネが希望した生クリーム堪能行事は終わり、レネ達はとても良い笑顔で家路に就いた。



 そしてその夜、味が悪くなる前にもう一度という理由でまたもや集まった甘いもの好き四人娘達は、残った牛乳をすべて消費し全員が満足しながら眠りについた。

 静かになったところで、杜人はジンレイにおろそかにはできない重要なことを確認する。

『あれだけ食べても太らないのか?』

「もちろん本物ですので太ります。一応甘さは控えめにしましたが、全部食べれば誤差の範囲でしょう」

『そうか。……しばらく本物はおあずけだな。運動もさせるか』

 そんな不吉な会話を聞くことなく、レネは甘い物に囲まれた幸せな夢を見ながら眠り続けるのであった。
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