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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第2章 表と裏は未確定

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第12話 三人寄れば

 食事を終えたセリエナは、とぼとぼとひとりで俯きがちに歩いていた。誰もがセリエナを見かけると視線をそらして離れていく。それを見ると、どうしてこうなったのだろうと訳が分からない気持ちになる。

 講義を終えてひとりで部屋に帰ってみると、既に荷物は別の寮に持ち出されていた。そこで初めて貴族ではなくなったことを知ったのだ。急いで実家と繋がりがある者に理由を尋ねたが、話をすることすらできずに追い払われた。

 訳が分からないままに新しい住まいに帰ったところで、待ち受けていた学院の講師からすべての事情を聞かされることになった。後のことはよく覚えていない。粗末な寝台で眠り、お金も心許ないので空腹になったら食堂で一番安いものを食べていた。そして今日までそれの繰り返しだった。

 そして明日も明後日も繰り返すことに疑問を持たなくなっていたところに、後ろから明るい声がセリエナに向けて掛けられた。

「セリエナ様! お久しぶりです。この間はおいしい食事をありがとうございました!」

 元気いっぱいにレネは挨拶をする。もちろんレネの行動は演技である。

『良いぞ。その勢いがあれば棒台詞も気にならない。そのまま突き進め』

 監修は当然杜人である。恥も外聞も気にせずに行くことになっているため、勢いだけはあった。それが功を奏し、まるでセリエナの現状を認識していない様子に少しだけ壊れた心は反応した。

「もう貴族ではないですから、様は要りません。セリエナで良いですよ。改まった言葉も不要です」

「え、良いのですか。それではセリエナ……、も普通に話して」

 いきなり変えてと言われてもそう簡単に切り替えられるわけも無く、レネは恥ずかしそうにしながら何とか普通の話し方をしてみた。そんなレネにセリエナは久しぶりに少しだけ微笑む。

「私は元からこうですから無理です。頑張ってください」

「ず、ずるい、あんまりですよ!」

『レネ、話題が途切れるから次に進め』

 言葉遣いが混ざるレネを見つめながら、セリエナは馬鹿なことをしていたなと過去の自分を嗤った。レネは乱れた調子を整えるために深呼吸を行い、言われた通り次の話題に移った。

「ごほん。今日はですね、この間のお礼をしようと思いまして、そのお誘いに来たんです!」

 棒台詞は隠しようがないので、とにかく元気な勢いでレネは突っ走る。当然道行く人達は話題の人物の共演に視線を向け始めた。杜人はと言うと、その調子だと頷きながらセリエナの後ろに回りこんでいた。

 セリエナは力なく微笑むと首を横に振る。

「私にはお礼をされる資格がないのです。だから……」

「あ、セリエナ……の意思は関係ありません。だから返事は不要です」

 レネは返事を遮ると、顔の上でこれ見よがしに指を鳴らした。するとセリエナの足元に魔法陣が輝き、そこからタマがせり上がってきてそのままセリエナを包み込んだ。今は顔だけが出ている状態である。

「食べられませんから安心してくださいね。それではしゅっぱーつ!」

『任せろー!』

「なに、なんなの」

 レネは元気よく腕を天に突き上げると、セリエナが混乱から復活する前に全速力でその場を逃げ去った。見ていた観客はあまりの出来事に呆然としていたが、触らぬレネに祟りなしとばかりに何もせずに解散していった。






『ふふふ、とりあえず第一段階は大成功だ。良くやった』

「は、恥ずかしかった……。今度は誘拐犯とか言われるのかなぁ」

 急いで部屋まで帰ってジンレイを呼び出し屋敷に飛び込んだレネと杜人は、ゆっくりと歩きながら作戦行動第一弾の成功を喜んでいた。

 セリエナはまだ混乱している。何もなかった場所にあった扉の内側にありえないくらい広い屋敷が広がっていて、おまけに小さくて変な格好をした半透明な人が空中を飛んでいるのだ。自分の正気を疑うには十分な状況であった。ちなみにこの屋敷の中では杜人の姿は誰でも見ることができ、声も聞こえる。

 そんなセリエナに構うことなくずんずんと通路を進み、辿り着いた場所は巨大な風呂場だった。そこにはエルセリアが既にいて、人数分の着替えを準備していた。

「ただいまー」

「あ、早かったね」

『レネの手際が思いのほか良くてな。……てい!』

「きゃあー!」

 杜人はタマに取り込んでいたセリエナをぬるい湯船の中に放り込む。横向きに放り投げられたセリエナは盛大な水しぶきを上げて落ち、しばらくしてから勢いよく水面から頭を出すと、咳き込みながら呼吸をした。なかなか酷い扱いだが、丁寧にしていては精神に衝撃を与えられないのである。

『それでは後は頼んだ。良いか、考えるなよ!』

「分かった!」

「はーい」

 タマを消去して杜人は風呂から出て行った。ここからは杜人の補助無しに進めなければならないのだ。

「なんなの……?」

「お風呂です! ですから……服、脱ぎましょうね」

「そうそう、まずはそれからだよね」

 混乱するセリエナをよそに、レネとエルセリアは服を脱ぐとセリエナに笑顔で近づいていく。

「あの……?」

「あれ、まだ脱いでいないんだ。仕方が無いなぁ、脱がせてあげます」

「濡れると脱ぎにくいもんね。仕方ないよ、うん」

「え、え? ちょ……」

 わざとらしいレネにわざととは思えないエルセリア。そしてしばらくの間、セリエナの悲鳴が広い浴場にこだましていた。






『こっちはどうだ?』

「一応改装は完了いたしました。このような感じでよろしいでしょうか」

 浴場から繋がる扉の先に来た杜人は、ジンレイが示す部屋を確認した。部屋は十八畳の畳部屋二部屋で、一つの部屋の中央には足の低い座卓が置かれ、ジンレイが作り出した料理が並べられていて、中央には鍋があった。座布団も置かれ、部屋の隅には布団も畳まれた状態で置かれている。料理は今のところすべてジンレイが創り出したものだが、食事の際には本物と入れ替える予定となっていた。

『完璧だ。急がせて済まなかったな』

「いえいえ、改装だけならどうということはありません」

 ジンレイはいつも通り微笑む。

「ところで、あのお風呂はどのような意図があるのですか?」

『あれか、あれは他人の目が無いから理屈抜きで触れ合うのに最適なんだ。レネとエルセリアにははっちゃけろと言っておいたから、出て来る頃にはだいぶ打ち解けているだろうさ。そして一緒に食事をし、一緒に遊び、一緒に眠る。それだけでも連帯感は生まれるものさ。考えるのは寝ている時にさせれば十分だから、それまでは突き進む』

 なるほどとジンレイは頷き、杜人は肩を竦める。

『それでも成功するかはレネとエルセリアしだいだ。とにかく恥ずかしがらずに遠慮なく接しないと駄目だからな。どちらも自分の殻に閉じこもることが好きだから、こればかりは頑張れとしか言えない』

「そうですね」

 そんな会話を交わしながら、杜人とジンレイはその他の準備を進めるのだった。





「ごしごしきゅっきゅ、ごしきゅっきゅ。綺麗になあれっと」

「あ、枝毛見つけた」

「あの、自分で洗えますから……」

 だんだん正気を取り戻してきたセリエナだったが、勢いにのるレネとエルセリアのなすがままになっていた。

「駄目だよ! こういう時は洗いっこするっって決まっているんだから! おとなしく洗われなさい」

「そうそう、贅沢だよねぇ」

 弱々しい抵抗では一切言うことを聞かないので、もはやセリエナは諦めて人形状態であった。ちなみにそんな決まりは無く、もちろん杜人の入れ知恵である。

『良いか、人というのは肌と肌の接触に安らぎを覚えるものだ。恥ずかしがらずに触りまくれ』

 色々間違いが起きそうな説明だが、複雑にしたところで考えて失敗するだけと判断した結果だ。そのためレネとエルセリアは頑張った。

「えいっ」

「ひみゃあ!」

 後ろからレネがセリエナの胸に手を回す。そしてしばらくしてから固まり、よろよろとその身を離した。その顔には驚愕と絶望が浮かんでいた。

「わ、私よりある……なんで?」

 涙目で胸を押さえるセリエナを放置して、レネはじっと手を見る。

「成長期の食べ物の差じゃないかなぁ。確かそんなことが何かに書いてあったよ?」

 エルセリアはよしよしとセリエナを慰める。同じないない仲間でも序列があることが判明し、レネは絶望したのだった。





 風呂から上がったレネ達は、用意されていた浴衣に着替えて部屋に入ってきた。固定は合わせ目にある紐なので着崩れしにくい構造となっている。

『お、来たな。ん? どうしたレネ、そんなに落ち込んで』

「世の中の不平等についてちょっとね……」

「あははは……」

「はぁ……」

 レネはたそがれ、エルセリアは微笑み、セリエナはため息をついた。杜人はその様子から何が起きたかを推測し、一番面白いであろう話題を選択した。

『ふむ、レネが一番なのは最初から分かっていたと思うのだが』

「だってセリエナと同じだって言ったじゃない!」

 レネのその言葉にセリエナは胸を隠して杜人から離れるように後退りした。そんなセリエナに心配ないと手を振ると、杜人はレネをからかった。

『仕方ないだろう。レネと違ってじっくりたっぷり見る暇なんて無かったのだから。後で偽乳でも作ってやるから、それで我慢しておけ』

「要らないよそんなもの!」

 レネは杜人を捕まえようとするが、杜人はすいすいと逃げ回る。そしてエルセリアの近くで停止すると、髪を整えながらポーズを決めた。

『ふっ、俺を捕まえようなんて十年はや……』

「よいしょ。はい、レネ」

 話の途中で微笑を浮かべたエルセリアが杜人を捕まえてレネに引き渡す。両手にはいつの間にか以前のレネと同じ魔法陣が輝いている。

『ば、馬鹿な。いつの間にその魔法を……』

「え、だいぶ前だけど?」

「ふふっ、どうして隠すと思ったのかな? きちんと教えあわないと発展しないでしょ?」

 杜人は予想外の出来事に呆然となったが、レネは容赦なく攻撃を加える。そしてぐったりとした杜人を持ちながら、セリエナに微笑む。

「こんな変な人の言うことは気にしないでね? さ、行こう」

「え、ええ……」

 レネにも少し引き気味になりながらも、セリエナはおとなしく付いていったのだった。





 三人が座卓の前に座ると、復活した杜人が座卓の上で開幕を宣言する。料理は一度片付けられているので何も無い状態だ。

『それではただいまより、ようこそセリエナ歓迎会を開催いたします! はい、拍手ー』

 それと同時にいつの間にか天井にあったクス球が割れて、垂れ幕と紙ふぶきが舞い落ちた。もちろんジンレイの演出である。

 杜人はまばらな拍手に手を振りながら笑顔で応え、さっそく最初の遊びに入る。セリエナは何か聞きたそうだったが、当然無視だ。

『最初はドミノ倒しだな。この板を並べていって、完成したら倒す。……こんな感じだな。注意事項として、きちんと仕切りを立てること。そうじゃないと最初からやり直しになるからな』

「おー、綺麗だね」

「面白そう」

「……」

 ジンレイが例として手早く組み上げたドミノを倒し、どうすれば良いか理解した三人は、さっそく作成に取り掛かった。

「あ、あ、ああ!?」

『意外に不器用なんだな……』

 レネは慎重にやりすぎてよく倒していた。

「あれ、倒れない?」

『間隔が広すぎだぞ』

 エルセリアは意外と大雑把で隙間があいていた。

『これは上手だな』

「は、話しかけないで……」

 三人の中ではセリエナが一番上手で、なんだかんだ言いながら一番熱中していた。まだ打ち解けないが良い傾向だと杜人は頷く。

 次はトランプを用いた神経衰弱である。これは記憶力の勝るレネの圧勝であった。

「やったね!」

「おめでとう」

「これは勝てないです」

『次はこれにするか』

 お次は七並べである。これは道を容赦なく断ち切ったエルセリアが勝利を収めた。

「ふふっ、意外に奥が深いですね」

「あうあう……」

「ま、負けました」

『恐ろしい……』

 次はばば抜きを選択した。これはセリエナとエルセリアの接戦となった。ちなみにレネは生贄となった。

「むぅ、もう少しだったのに」

「何とか勝てました……」

「ぐすん……」

『ええい、泣くな!』

 このように和気藹々?とした雰囲気の中で、徐々にセリエナの表情に笑みが現れるようになっていった。




 遊んだ後は食事である。品目は杜人の趣味で鍋となり、レネの要求で肉鍋となった。

「薄くない、これ?」

『厚くすると火の通りが悪くなる。その分何度も食べられると考えれば幸せになれるぞ』

 普段見慣れないほど薄く切られた肉を見て、レネが厚いほうが良いなという風に杜人を見つめる。それに対する杜人の答えで、レネはそれもそうだと相好を崩した。

「……分量的には変わらないですよね?」

「気分が良ければ十分じゃないかな」

 セリエナの呟きにエルセリアも笑って答える。杜人の答えは薄い理由には答えているが、分量的なことは誤魔化している。その気になればジンレイが水増しできるとはいえ、座卓に置けるスペースは有限であり少ない量でも全員に行き渡るようにしているのだ。

『あまり煮過ぎると硬くなるし味も抜けるから気をつけろよ。まあ、味が染みておいしいという者もいるからそこは好みか。采配はジンレイに任せる』

「お任せください」

 味付けは醤油に似た味をジンレイが再現したものを基本にしている。確認方法は魔導書の内部空間を経由して行った。その分余計な力が必要なのだが、杜人は欠片も迷わなかった。

 こうして楽しい食事が始まった。

「お肉おかわり!」

『野菜も食わんか! まったく、あまり食いすぎてこれから後悔しても知らんぞ』

「あう、うぅ……」

 普段肉を食べていないレネは喜んで食べていた。しかし、杜人の指摘で我に返り、泣く泣く野菜中心に切り替えた。

「独特の味付けですね。どこの調味料ですか?」

『ここで適当に合成した。おそらくここでしか味わえないだろう。本物を作ろうとしても百年単位の試行錯誤が要るだろうな』

 それは残念とエルセリアは味わうように食べ進める。

「焼いた方が好みなんですが……」

「それでは少し焼きましょうか。……どうぞ」

 ジンレイは焼く道具を簡単に出現させて肉を焼き、だしと一緒に作っておいた焼肉用のたれをかけて渡した。その光景をセリエナは目を白黒させて見ていたが、気にしたら負けと悟って礼を言うだけで済ました。

「あ、私も欲しい!」

「私にもください」

『まだ入るのか……』

 普段の小食はどこへいったと思える食欲に、杜人は呆れたように見つめていた。もちろん全員最後のうどんまで食べていった。




 食事の後にもう一度風呂に入ってまた遊び、今は大きな布団に三人寄り添って眠っている。真ん中にセリエナを配置し、両側にレネとエルセリアがいる。

「……」

 暗く静まった室内でセリエナは眠れずに天井を見上げていたが、やがて静かに布団を抜け出して裸足のまま部屋の外に出ていった。

 庭に面している窓の外からは月明かりが入り、廊下全体を青白く照らしている。板張りなので冷たいが、綺麗なので歩くこと自体に支障はなかった。

「どこなんだろう、ここ」

 窓から見える月は一つだけだ。時間的に揃って見えないとおかしいはずなのに見えないので、セリエナは首を傾げた。

『ここは特殊な魔物の内部空間だ。月がひとつなのは俺の趣味だから気にするな』

 誰も居ないと思っていたところに背後から声がかかり、セリエナは飛び上がらんばかりに驚いて振り向く。そこには横になりながら空中を移動している杜人が居た。

『眠れないなら何か出そうか? 甘くて温かいものを飲めば良いとか聞いたことがあるぞ』

 それには答えずに、セリエナは杜人を見つめる。そして考えをまとめ終わったので意を決して聞いてみた。

「どうしてこんなことを?」

『レネがそうしたいと言ったからだ。それ以外はないな。レネは単純だからな、昔の己を重ねてしまったのだろう。そして俺はそういうおせっかいが大好きなのだ! これで分かってもらえただろうか?』

 変な格好で力強く断言する杜人を見て、セリエナはなぜか納得した。普通であれば裏を疑うところなのだが、あまりの馬鹿らしい行動に計算が成り立たなくなったのだ。

「昔のレネは今の私のようだったのですか? まったくそうは見えないですけど……」

 確かに始めの情報では図書館に引きこもってるとあったが、今のセリエナよりはましではないかと思う。それに対して杜人は頬をかいて困ったように笑った。

『俺もあまり知らないのだが、素質に欠陥が発見されたときはそれはもう酷かったらしい。おかげで今も軽い不信感を周囲の人に持っているな。用がなければエルセリア以外とはほとんど会話しないぞ。そのエルセリアとも少し前まで年単位の絶交をしていたんだ。今の様子からは信じられないと思うがな』

 それは知らなかったので目を見開いて驚いた。今の二人の連帯具合は長年の付き合いからと思っていたのだ。

『その間を取り持って仲直りさせたのが俺と言うわけだ。いやあ、あの時は精神的な疲労で死ぬかと思った。で、今回も同じようなものだな。レネ達の仲間に引き入れるために俺がすべて計画した。楽しかっただろ?』

 ぐるりと回転しながら杜人は窓枠に降り立った。

「同情で仲間に引き入れても後悔するだけだと思います。少なくとも私はレネとエルセリアを貶めようとしていたのですよ。要するに敵です」

 否定的なセリエナの発言を聞いた杜人は肩を竦めると、真剣な顔でセリエナを見つめ返す。

『知っている。それを含めて今から絶望することを言わなければならない。覚悟は良いだろうか?』

 一気に引き締まった雰囲気に呑まれセリエナは唾を飲み込む。そしてしばらくしてから無言で頷いた。

『実はな……、二人ともそれを知っていて利用したんだ。というか、面倒とは思っていたが敵対行動とは認識していない。エルセリアのほうは最初から的に細工しておいたらしいし、レネの食事会に至っては笑いを取るために俺が監督しながら行動させた。つまり、二人からすれば敵対者ですらなかったんだ』

 その事実を静かに聞いていたセリエナは、内容を理解すると力なく床に座り込んだ。

『追い討ちをかけるが、エルセリアはその後のことを何も気にしていない。つまり、全部ひとりで空回りしていたということだな。そのあげくに要らないと捨てられたわけだ。どうだ、自分がこっけいで笑えると思わないか』

 その言葉にセリエナは自虐するように薄く笑った。言うとおり、笑えるほどこっけいだったと思ったのだ。

「本当に……」

 今までフォーレイアのために懸命に努力してきたことも、褒めてもらえると思ってやってきたことも、すべて無駄なことだったとやっと認識できた。自分は単なる駒で、要らないから捨てられたことをやっと受け入れることができたのだ。知らずに涙が出てきたが、不思議と悲しくは無かった。

 杜人はその様子を確認しながら、意識の誘導に成功したことにほっとしていた。セリエナはまだ無意識で裏切られたことを信じたくないと思っている状態だった。だから過去にすがりつくし、未来へ目を向けることを無意識に拒否していると杜人は推測していた。

 そして現実はその希望を否定し続けるため危うい均衡で保たれている精神の破綻は目前であり、悠長に癒している時間は無いと判断した。だから支えにするために、かなり強引な方法で心の中にレネとエルセリアをねじ込んだのである。それがあるから、事実を認識しても精神は崩壊せずにいられる。

 この場所の特異性もある。見たこともない様式の屋敷のため現実味を欠き、夢と認識しかねない場所。あるはずの無い場所で居るはずの無い友達と遊ぶ。ありえない夢だからこそ逆に受け入れることができる。そんな無意識の働きかけによって保たれているのだ。後は強引にねじ込んだ支えになる部分をしっかりと固めて、現実と認識させれば終了である。

 そのため一転して明るい声で杜人は話し始める。

『だからこそ、レネとエルセリアの気持ちは同情なんかじゃあない。お前となら一緒に遊べると思ったから誘ったんだ。今のお前と、貴族ではない、ただのセリエナだからこそ仲間になって欲しいとレネとエルセリアは願った。なんたって二人ともお互いしか友達がいないからな! 誘う方法など知るはずも無い。だからこの俺がこうやって世話をしてやったというわけだ』

 杜人は窓枠からセリエナの前に降り立つと、指を突きつけて力強く声を出す。そこに理屈は要らない。

『セリエナがしなければならないことはたった一つだけ。明日別れるときに手を振って、またねと言うだけだ! たったそれだけで二人と切れない絆が結ばれる。分かったら甘い飲み物を出してやるから、帰って飲んで寝ろ!』

 杜人は断言することによってセリエナの意識に方向性を与える。人は希望に弱いものなのだ。そしてこれ以上の会話は不要なのでさっさと帰らせることにした。

「え、ちょっと」

 杜人はタマを呼び出すとへたり込んでいるセリエナを乗せて、問答無用で部屋まで移動していく。部屋の前にはジンレイが待機していて、温かいココアを差し出してきた。

「どうぞ。ぬるめですから火傷はしないと思います」

「……ありがとうございます」

 タマから下りて容器を受け取ったのを確認し、杜人は軽く手を振った。

『ではな。おやすみ』

「おやすみなさいませ」

「……おやすみなさい」

 セリエナはそのまま部屋の中に入り、座布団に座るとココアを静かに飲んだ。

「甘い……。そして温かい」

 小さく呟いて残りを飲み干し、容器を座卓に置くと布団に向かった。レネとエルセリアは幸せそうに微笑んで眠っている。そのため起こさないように静かに布団にはいると、甘いにおいをかぎつけたレネが擦り寄ってきた。

「んみゅう……」

「……おやすみ」

 セリエナは微笑むと、静かに目を閉じる。先程までとは違い、温かい感触に包まれながら意識はすぐ闇に溶けていった。





 次の日の朝、座卓に残っていたココアの容器を見つけたレネが、私も飲みたいとだだをこねた一幕があったが、それ以外は平穏無事に終了した。ちなみにココアは全員飲んでいる。セリエナにはエルセリアが作った杜人を認識できる魔法具が貸し出されたので、外に出ても会話ができるようになっている。

 そして扉を開いて外に出たセリエナは、見知った現実を見て夢が終わったことをしっかりと認識した。しかし、両手にはしっかりとレネとエルセリアがしがみついていたため、これは嘘ではなかったと微笑んだ。もちろんこれは杜人の指示である。

 そしてセリエナの部屋まで連れ立って歩いていく。これは三人仲良く歩く姿を目撃させることによって、要らぬ騒ぎを抑制するためだ。この学院にはレネとエルセリアに対して積極的に敵対しようと思う者はもういないと言って良い。

『見ろ、あの生ぬるい視線を。作戦は大成功だ!』

「あうぅ、分かっていたけど恥ずかしい」

「気にしなければ大丈夫だよ?」

「その理屈は何かがおかしくないですか?」

 鼻高々に杜人は自慢し、レネは顔を赤らめて俯いている。エルセリアは気にしないし、セリエナも視線には慣れているが、ずれた答えを聞いて頭痛を堪えるようにこめかみに指をあてる。それでも騒がしいが心地よい気持ちになったセリエナは、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。

 そして部屋の前まで到着し、後は部屋に入るだけである。セリエナは二人と顔を合わせるが、なかなか最後の言葉が出てこなかった。

『なんだ、昨日教えたことをもう忘れたのか。仕方が無い、見本を見せてやろう! こうやるのだ。またね! さあ、やれ。勢いがあるうちに言わないと言えなくなるぞ?』

 杜人はセリエナの前に来ると、レネ達に向かってにこやかに手を振った。そして移動するとセリエナにやれと促す。

「細部は違うけれど、なんだか似たような光景を見たような……」

「ふふっ、きっとあの時だね。そっか、こんな感じだったんだ」

 レネとエルセリアは仲直りした時を思い出して笑いあう。そしてそのままセリエナを見つめると、さあどうぞと視線で促した。それに押されるように、セリエナはやっと小さな声で言うことができた。

「ま、またね……」

「うん、またね。食堂で会ったら一緒に食べようね!」

「ええ、また遊びましょう」

 セリエナは小さく手を振ると、見送られながら部屋の中に入っていった。その姿を消えるまで見つめ、レネ達は寮を後にした。

「うまくいって良かったね」

「本当に」

『実際は綱渡りだったのだがな。これからどうしてもセリエナは二人に頼ることになるから、望んだ以上は最後までな』

 杜人の忠告にレネとエルセリアは真剣な表情で頷いた。そんな二人に杜人は優しく笑いかける。

『さすがにずっとではないから安心しろ。傷が癒えて、ひとりで歩けるようになるまでだ。それに何から何まで世話をする必要は無いぞ。会った時にくだらない話をしたり、遊んだりするだけで良い。それだけでも十分支えになる。……レネのときと違って、俺のような者が傍に居るわけではないからな。寂しいと泣いてもすぐに慰めることはできないが、それは仕方がないことだろう』

「な、なにをどさくさに紛れて言っているの!」

「あはは……」

 レネは手を振り回しながら杜人を追いかける。しかし杜人は笑いながら華麗に避け続けた。そんな光景をエルセリアは優しい瞳で見守っていた。
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