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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第2章 表と裏は未確定

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第10話 震える黄金

 実際の材料を用いたプリンの最終調整に数日費やした後、レネは現物を持ってダイル商会に顔を出して商会長であるダイルと会っていた。目的は持ってきたプリンをクリンデルの店に届けてもらうためである。

 杜人とレネが話し合った結果、準備中は忙しくて直接持っていっても会えない確率が高いことと、開店中の店内に入ればまた嗤われてしまう可能性があるため、謝りに行くのか騒がせに行くのか分からなくなるという結論に至ったためだ。

 そしてダイルなら高級店にも行ったことがあるだろうと考え、話も上手なので悪くはならないと意見が一致した。借りが増えるが今更なので今回はあえて目を瞑った。

「こういうことがありまして、大変騒がしくしてしまったのです。それで、私が行けば不愉快になるかもしれませんので、気持ちばかりですけれどお詫びの品を届けて頂けないかと思い、お願いに来ました」

 話を聞いていたダイルは悪いことを思いついたかのように笑う。やはりいつ見ても悪徳商人にしか見えない。

「なるほど、そんな面白いことがあったのですか。ぜひその場で堪能したかったですな」

『実に面白い見世物だった。観客は全員笑い転げていたな』

 杜人は気が合うなというように頷き、レネは笑みを固めたままそれを無視した。

「分かりました。店主とは何度か話をしたことがありますので、謝罪の言葉と共に届けて参ります」

「ありがとうございます。それと、申し訳ないのですがお詫びの品は早く食べないと悪くなるものなんです。一応保冷の魔法具も入れてありますが、夕方には効果が無くなると思います。できれば今日中に、遅くとも明日には届けて欲しいのです。無理な場合はレシピだけでも渡してください。レシピは基礎のものですので、料理をされる方ならきっと発展させてくれると思います」

 レネは持ってきた紙箱を開くと、口広の容器を取り出してテーブルに置いた。容器は円錐の頂点を平らに切り取り、ひっくり返した形である。

「珍しい形ですね。どこでお求めになられたのですか?」

『げ、そこに食いつくのか』

「ええと、知り合いに無理を言って作って頂きました。これは試食用です。このままでも良いのですが、お皿があるともっと楽しめます」

 この容器はジンレイが杜人の指導で作った陶器製である。無駄知識が豊富な杜人と、屋敷内なら万能なジンレイが組み合った結果、素人ながらもそれなりのものができあがっていた。そのため本当のことを話す訳にはいかないので、心の中で杜人をなじりながら視線を合わせないように下を向く。

「なるほど。それでは用意致しますので、少々お待ちください」

「ほっ……」

『いやはや……』

 もちろんダイルは話題を流されたことに気が付いていたが、触れて欲しくないという心情を読み取りそのまま流して終わりにした。空気が読めないようでは商人は務まらないのである。その温情にレネと杜人は感謝しながら安堵したのだった。

 そしてちょうど落ち着いた頃に皿を受け取ったレネは、少し緊張した面持ちで串をふちに差し込み、空気を入れてから皿をかぶせてひっくり返す。そして静かに容器を持ち上げると、綺麗なプリンが光を反射して現れた。それを見たレネは肩の力を抜いてほっと胸を撫で下ろした。

『駄目だな、ここは失敗して形を崩すところだろう? 練習では二回しか成功していないのに成功するなんて、笑いというものを理解していないな』

 レネはこっそり串を持ち替えて杜人をぶすりと刺す。もちろんすり抜けるが、杜人は律儀に刺さったところを押さえてぽてりと倒れこんだ。

『ぐぅ、レネ、おまえもか……ぱたり』

 杜人は全身の力を抜いて見事な死体を演じている。しかし、レネは一瞥しただけで放置し、ダイルに顔を向けた。

「こうすれば器から外れて見た目も楽しめます。甘いですから苦手な場合は残してください」

「なるほど、綺麗なものですね。甘いものは好物ですから大丈夫ですよ」

 そう言ってダイルはスプーンを差し込んで掬い取るとゆっくりと食べ始めた。

『くくく、残念だったな。あわよくば残りを食べようだなんて、なんていやしんぼなんだ』

 復活した杜人にレネは笑顔のまま串を突き刺す。またもや同じように倒れるが、もちろん相手にしない。

「これは冷たくておいしいです。この滑らかな舌触りが何ともいえません。ご自分でお作りになったのですか?」

「ええと、それも知り合いに……。火加減が難しくて、私だとそこまでおいしくならないんです。それはレシピを古い文献の記述から見つけて再現したものです」

 レネはあらかじめ決めていた設定を話す。この辺りまでは聞かれるだろうと想定したものだから、不自然さはあっても困りはしなかった。

 ダイルはそうですかと頷くとテーブルに置かれた紙箱を覗き込み、保冷の魔法が発動中の魔石を取り出した。

「これもレネ様がお作りになったものでしょうか」

「え、はい。そうです。質の良くない魔石なので、固定化もできない半日程度の使いきりですけど。あまり長く触っていると、手の熱を吸い取られてしまいますよ」

 それは危ないと笑顔でダイルは箱の中に戻した。実際は氷を浮かべた冷水に浸す程度の効果なので、すぐ影響が出るわけではない。それに人なら熱を生み出してるので、余程長く触っていない限り少々かじかむ程度でまず問題にならない。

「それでしたらこの術式を売って頂けませんか。私はこういう面白いものが大好きなのですよ」

『良いんじゃないか。魔法書購入の足しにもなる』

「良いですよ。それでは今書き出しますね」

 杜人は賛成し、レネも片手間に作った術式を隠匿する気はないので思わぬ幸運に相好を崩した。そのためダイルは流れが変わらないうちにと手早く準備を行い契約書を作成する。何もないところからの流れるような作業はさすが熟練商人と言えた。レネはその速さに感心しながら、いつものことなのであまりよく契約書を見ないでサインをした。

「それではお金はいつも通りにしておきますので、ご入り用の時はお気軽に申し出てくださいませ。それとこちらは今日中には届けておきましょう。こんなおいしいものを腐らせるのはもったい無いですから」

「ありがとうございます。それではよろしくお願いします。いつかお金持ちになったらまた食べに行きますと伝えてください」

 こうしてレネは無事にお使いを頼むことに成功した。自室に帰り着いてからやっと本当に緊張が取れたレネは寝台に飛び込むと枕に顔を埋める。

「今日は上手にできたよね?」

『まあな。実際はほとんど全部気が付いていて、触らないでいてくれただけだと思うが。もう少し緊張しないで話せるようになれば、かなり良くなる』

 杜人の推測にレネはダイルのことを思い返し、その通りと結論を出した。そしてこれは単なる反省会であり不出来を責められている訳ではなので、不愉快にはならない。

「もう少し良い気分で居たかった……」

 がっくりとしたレネに杜人は念のために慰めておく。

『気が付いて、どうにかしようという思いがあるなら問題ない。逆に流暢ではないから甘くしてくれている部分もある。少なくとも流暢に虚偽を言えるよりは、今のほうがずっと良い。焦る必要はないさ』

「……ありがと。やっぱり難しいね」

 レネはため息をついて目を閉じた。こうしてレネにとっての騒動は、やっとひと段落したのであった。





 一方、レネからのお使いを頼まれたダイルは、工房に立ち寄って無茶を言ってからクリンデルの店に自ら赴いていた。ダイルは料理店の副長からクリンデルの事情を相談されていたのだ。

 相談されたダイルもまさかレネに真実を伝えてお願いするわけにも行かず、困り果てていた案件だった。そこに来たのが今回のお願いである。まさに渡りに船の出来事に舞い上がりそうになった内心を隠して応対した。そのためこの案件を他人に任せるわけには行かなかったのだ。

「失礼しますよ」

「これはダイル様いらっしゃいませ。本日は一名でよろしいでしょうか」

 店に入ったダイルを副長が迎えた。ダイルが店を見回すと、以前の盛況ぶりが嘘のように閑散としていた。

「聞いていたより酷いですね。今日は客ではなく例の案件についてクリンデルさんと話しに来ました。お願いできますか」

「そうですか! 分かりました。どうぞこちらへ」

 相談していた副長は喜んでダイルを店の奥に案内し、精彩を欠いているクリンデルをダイルの元に連れて行く。その時に頼まれた皿とスプーンも持っていった。

「お久しぶりです。なんでも学院の魔物に憑りつかれたと聞きましたよ」

 からかうようにぐふふと笑うダイルを見ても、クリンデルは弱々しい笑みを浮かべるだけだった。しかも身体が大きいので余計その弱さが強調されて見える。それを見てこれは重傷だと思い、ダイルは世間話抜きで本題に入った。

「今日お邪魔したのは、当店のお客様からクリンデルさんに失礼をしたので詫びて欲しいと頼まれたからです。これがそのお詫びの品です。とりあえず前置き抜きで食べてみてください」

 ダイルがレネの真似をして皿にプリンを出す。その震える輝きを見たクリンデルは、目を見開いて皿を手にとって黄色いプリンを眺めた。

「見たことも無い料理です。……甘いにおいがする。これはお菓子ですか?」

「そうです。とても甘く柔らかで、口に入れると冷たい感触と滑らかな舌触りが堪らない一品です。遠慮せずにどうぞ」

 勧められるままにクリンデルはスプーンを手にとって掬い取ると口に運んだ。そして驚きで身体を硬直させた後、すべてを食べきるまで言葉を発しなかった。

「大変素晴らしい一品でした。これはどなたからでしょう」

「レネ様……、おっと、殲滅の黒姫様と言ったほうが分かりますか。何でも古い文献の記述から再現したものだとか。それとこれがそのレシピだそうです」

 クリンデルが殲滅の黒姫の名に驚いているところに、間髪いれずに驚きを追加する。レネはプリンをお詫びとして渡す時に作れるようにしておこうと最初から決めていたし、杜人も簡単に作れるので誰かが作っているだろうと特に意識していなかったのだが、プリンは十分秘伝といっても良い菓子であった。

 これはレーンでは卵を使う菓子は存在しているが、レシピが出回っているものは焼き菓子が主流であり、砂糖も安くはないので簡単に研究開発する訳にはいかず、普通の店では新しい技法を研究しにくいからである。もし偶然発見しても、儲けに繋がるレシピを無料で公開するわけがない。

 そして秘伝はほとんどがその一族内で継承されるために出回らず、購入するにしても天井知らずな金額となる。つまり、このレシピが書かれた紙は価値が分かるものならのどから手が出るほど欲しいものだった。

 そのためテーブルに置かれたレシピをクリンデルは凝視するが、まだ手には取らない。

「伝言があります。『ご迷惑をおかけしました。きちんと作法を学んでから、いつかまた食べに行きます』だそうですよ。あなたはどう思ったのかは知りませんが、少なくともそう思わせる料理を提供したのは事実ですよ。そうでなければこんなお詫びをしようなんて考えません」

 解釈を盛大に間違えているが、判断する前提から間違っているので正解しろと言うほうが無理な話である。ダイルはレシピの価値を知っているので、レネが料理に満足したからお礼も兼ねたお詫びを考えたと思っているが、レネは価値を知らずに単純に教えれば喜ぶだろう程度の認識だ。見事な価値観の相違であった。

 ちなみにジンレイはレシピの価値を認識していたが、主である杜人の決定に逆らうほどのことではなかったので黙っていた。これは、言えば心意気を欲で汚すことになるからだ。後は受け取る側の問題だが、金の価値で目を曇らせる程度ならそれまでと判断していた。

「それともうひとつ。これは基礎のレシピだそうです。料理人であるあなたなら発展させてくれると言っていました。この意味は分かりますね?」

 にやりと笑うダイルにクリンデルは重々しく頷いてレシピを手に取った。二人はレネが『あなたなら必ずできますので期待しています』と言っていると受け取った。つまり、デザートが弱いクリンデルだが、苦手ではなく単にレシピを知らないだけだから頑張れと解釈したのだ。

 もちろんレネはこれまた単純に、料理を仕事にしている人のほうが研究も熱心にするだろう程度の考えである。分野の違いや、得意なものによる適性は料理を仕事としていないレネにはよく分からないのだ。

「私はまたしても勘違いをしていたようです。勝手に優劣をつけて勝手に落ち込んで……。これは必ずものにしてみせます。ありがとうございます」

 クリンデルはきちんとレシピが持つ本当の価値を把握し、涙をながしながらレシピを拝むように頭を下げた。それを見たダイルはもう大丈夫そうだとほっと胸を撫で下ろした。少し誇張するように話を持っていったが、嘘は言っていない辺りはさすがである。

 これでレネと副長から頼まれたことは完了したので、今度は自分の用件に取り掛かった。

「さて、一件落着したところで今度は別の商談があります。急ごしらえの試作品ですが、こちらをご覧ください」

 ダイルが取り出したものは、皿の中央に魔法陣が描かれたものである。既に発動していて、触ると熱が奪われる感覚が指に伝わって来るものだ。もちろんこれはレネから買った術式をさっそく組み込んだ魔法具である。クリンデルは皿を触って、これなら冷たい料理を冷たいまま出せそうだと考えていた。

「それはレネ様から購入した術式を組み込んだ魔法具です。今回のものを冷たいまま持って来た魔法具が原型ですがね。それは売り上げに応じてレネ様にお金が入る契約になっています。術式を一括買い上げしたわけではないのでかなりお安くできます。どうでしょう、使えませんか?」

 通常魔法使いが新規に編み出した術式を売る場合は、一括で売るのが普通だ。これは後発の術式に追い越されるのは当たり前のことであり、より良いものが開発されたら売れなくなるか買い叩かれるためである。それに売り上げに応じた額の受け取りでは纏まった金が入らず、次の研究をする資金にも困窮するという理由もある。

 そして一括で買い上げた場合は、資金を早く回収するために値段を高めに設定するのが常であった。こちらも同じく、後発が来ると売れなくなるからだ。

 ダイルは今回黙って契約を交わしたわけだが、当初はあの程度の魔石にこれだけの効果を持たせることができるとは実物を見るまで思っていなかった。それを使い捨てとはいえあっさりと作りましたと言ったレネに感服し、後追いしようにもそもそも術式をここまで省力化することが普通の魔法使いには無理と判断した。

 そしてレネはその手の話に疎いのは何となく分かっているので、説明せずに従来とは違う契約をしれっと行ったのだ。後はダイルが多く売れば良いことである。商会には情報も集まってくるので、簡単な保冷ができればとの要望が一定量あることも知っていたので売れないとは思っていない。

 そして現在のクリンデルはレネに多大な恩を感じている。そのため必要ないものならともかく、使いようがあってレネの懐が潤うと聞けば買わない理由がないのである。

「相変わらず商売が上手ですね。それでは詳細を決めましょうか」

「ありがとうございます。宣伝も兼ねて大量に購入して頂けると助かります」

 商談の成功にぐふふと笑うダイルは、誰が見ても腹黒商人であった。




 後日、クリンデルの店から新しいデザートが出るようになると、瞬く間に評判になって名前が街を駆け巡った。そのデザートの名前は『黒姫の祝福』と名付けられて、毎日のように客へと提供された。一度見捨てられたことによって店の客層も変わり、店員の尽力によって和やかな雰囲気を持つ店は気持ちの良い笑いが絶えないこととなった。

 そしてデザートはその名前から殲滅の黒姫と結び付けられ、毎日のように迷宮に通っているレネの姿と合わさることで、いつの頃からか食べると迷宮から生還できると言われるようになっていた。

 同時期に保冷用の安い魔法具も出回り始め、クリンデルの店でも使われたため関連を連想されて、いつの頃からか安価で高性能な保冷用魔法具全般を『黒姫冷具』と呼ぶようになっていた。間違いではないところが実に恐ろしい変化である。ついでに商品名も、いつの間にか噂に合わせて変わっていた。

「もう街に行けない……」

『なんとまあ、よく分からない変化だな。悪いことではないのが救いか。しかし、いったい何がどうしてこうなったんだ?』

 そのことを知ったレネは寝台に潜り込み、恥ずかしさで悶えていた。杜人も噂の急激な変化に首を傾げたが、おおよその原因は見当がついていた。だが、その証拠もなく損をしたり死ぬわけでもないので、それをレネに伝えることはしなかった。




「ぐふふ、これだけ売れれば契約内容を知られても満足して頂けるでしょう。さて、次はどんな面白いものを持って来てくれますかね」

 もちろん原因をもっともよく知る人物は、レネに何も言わなかった。
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