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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第2章 表と裏は未確定

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第08話 挑んだ道のその先は

「いつもここで食べているのですか?」

「ええ、やはり雰囲気も味わいのひとつですから」

 レネの他愛無い質問に微笑みを浮かべながらセリエナは答える。レネはその返事を素直に受け取ったが、杜人は裏の意味をしっかりと理解していた。

『解説すると、学院の食堂では雰囲気がぶち壊しだから食べないということだ。まあ、これは個人の感性だから仕方がないな』

 一応貴族と平民の区分けはあっても、その他は一緒である。ここのような高級な雰囲気に酔える場所ではない。レネはその解説を聞いて、セリエナの言いまわしが上手だと感心していた。

「私はこんな店に入ること自体が初めてですから緊張しています。それに食べ方もよく分からないですし……」

 レネは恥ずかしそうに目を伏せると、指をもじもじさせる。

「この店の方たちは優しいですから、いつも通りで大丈夫ですよ」

『それは同意する。また来たいと思える店だな。但し、他に客が居なければな。何にしても許可が下りたから気楽に行けるな』

 杜人は計画通りと喜び、レネは堅苦しくしなくて良くなったので喜んだ。嗤われるのは前提条件なので今回はむしろご褒美である。この言葉を引き出すために、わざと恥ずかしそうに演技したのだ。

 セリエナの言う通り店側はいつもと同じでも拒絶しないだろうが、客は優しくないようなので居れば嗤われるのは一緒である。これでは背伸びしたものは二度と来たいとは思わない。セリエナは安心したレネが高級店には合わない珍妙な行動をとることを期待して言ったのだが、それを予想していた杜人が言質を取るために誘導したとは思わなかった。

「安心しました。あははは……」

「うふふふ……」

『くっくっく……』

 三者三様の笑い声を響かせながら会話は続いていく。そして遂に一品目のスープが運ばれてきた。出てきたものは濃厚な黄色い液体である。皿を触ると温かかったので、湯気は出ていないが温かいものだとは分かった。料理名も出される時に言われたが、理解できないレネにとっては単なるスープで十分である。

「あれ? 具が無い?」

 スプーンでスープを混ぜたレネが首を傾げると、またもや小さな嗤いが起きた。レネにとってはスープとは皿の底まで見えていて、具が入っているものである。そのため出た素朴な疑問であった。

『つまり、今まで食べたことが無い料理ということだ! これが無料で食べられるなんて幸せ者だな』

 もはや周囲を気にする必要が無いのでレネは杜人の言葉に喜んで食べ始めた。その時にはかちゃりと少し音を立て、飲む時も僅かに音を立てることも忘れない。

『その調子だ。実に良い笑みを浮かべているぞ』

 セリエナは不作法なレネの食べ方に思った通りと口の端を少しだけ上げる。そしてこの調子なら感想も面白く言ってくれると思い、試しに聞いてみた。

「いつもと比べてどうかしら?」

 単なる偶然なのだが、待ち望んでいた言葉に控えていた店員達は目の色を変えて耳をそば立てる。

「おいしいですよ。ただ……」

「ただ?」

 そこで言っても良いのかなというようにセリエナを見つめ、恥ずかしそうにしながら言葉を切ったレネに、セリエナは続きを促した。

「色が濃くてざらざらしているなって……。いつもはもっと薄くてさらさらだから驚きました」

『ほう、うまい言い方だな。単に料理の質が違うと言っただけなのに、取りようによってはけなしているように聞こえるぞ』

 レネは常識の範囲内で周囲の迷惑にならずセリエナに聞こえれば良い程度の声で話しているのだが、まさか店員が集中して聞き耳を立てているとは思っていない。だから店側に聞かれたらとは考えずに、思ったとおりの感想を述べることができるのである。

 レネは杜人の褒め言葉に小さくはにかむ。傍から見れば背伸びしたことを言って恥ずかしがっているように見えなくもない。そのため食堂の味を知らないセリエナと聞こえた客達は無理にケチをつけていると解釈した。逆に店員は『もっと薄くてさらさらなのに、しっかりとした味わいがある』と解釈した。

 正解は前者だが、味は調えられているので後者もまた正解である。レネの好みとしても、パンに塗るのではなく染み込みやすいほうが良いのだ。

 聞いていた副長は、それなりに良かったが上回るまでは行かなかったと厨房に報告した。クリンデルは眉をひそめると、肉料理に気合いを入れて取り掛かった。

 レネは出されたお茶を飲みながら、次はまだかなというように厨房のほうをちらちらと見る。これも行儀が良くないことなのでセリエナの機嫌は更に良くなった。

 次はメインの肉料理である。表面を焼いた肉を薄く切って、ソースをかけたものである。もちろん料理名は憶えていない。レネはナイフで肉をつつくと首を傾げて呟いた。

「きちんと焼けてない……」

「それは表面を焼いて、中にも熱を通したものです。生焼けではなく、そういう料理なのです」

 セリエナは少し誇らしく説明する。その声にまたもや周囲からひそひそと声が漏れ、作戦成功の感触に更に上機嫌になった。

『何でもこの状態のほうが味が良い……らしい。まあ、食感や見た目が嫌な人もいるからこれが至上とは言わないがな。ものは試しだ。よく味わってみたらどうだ』

 杜人も知識だけで実際に食べたことは無い。レネも肉といえば焼き肉の端切れかハンバーグなので、この状態の肉は見たことも無かった。

「あ、そうなんですか。安心しました。それでは……」

 にこにことレネがナイフで肉を切ろうとしたが、柔らかいために形が崩れるだけでどんどん無残な姿になっていく。ぎこぎこと響く音に周囲は静かに嗤っているが、今回のレネは大真面目である。こんな状況でも何とか全部食べたが、先程のスープよりは満足していないような顔であった。

「どうでした?」

 先程と同じようにセリエナは感想を聞いてきたので、レネは演技抜きで正直に答えた。

「食べにくかったです。これなら最初から一口で食べられる大きさに作ってくれたほうが良かったと思います。たぶん来た時は温かかったと思うのですが、そのせいで冷めてしまいました。これでは温かい意味がないです」

 レネにとって肉とは食堂で出てくるチーズ入りハンバーグが基準である。食べにくく、ぐにぐにしていて、時間がかかって冷めてしまったこの料理は口に合わなかった。機嫌を取る必要もないので、期待していた分も含めて少し不機嫌な感情が乗っていた。

「あらあら」

 セリエナは困った子と言いたそうに微笑むが、食べ方も作法のひとつなのよと内心で勝ち誇る。もちろん客も分かっているので考えていることは同じだ。唯一、聞いていた副長だけが青い顔で最低の評価だったと厨房に報告していた。

『今回もなかなか良いぞ。直接的で失礼な物言いだから、きっと幼稚な子供と思ってくれただろう。……なぜ睨む?』

 演技したわけではないレネは、杜人の評価に頬を染め軽く睨んだ。それがセリエナには幼稚さを指摘されて恥じ入っているように見える。そのため更に機嫌が良くなった。その見立ては正解だが、方向がまるで異なることはもちろん分かるはずも無い。

 そして厨房ではレネの感想を聞いたクリンデルが、悔しそうに歯を食いしばり拳を握りしめていた。

「俺は驕っていた。食べる人がおいしく頂けるように作る必要があるのに、見た目や決めつけでそれを怠った。これは俺の不手際だ。すまない……」

 誰もが楽しく食事ができるようにと考えて店作りを行ってきたはずなのに、いつの間にか名料理人とおだてられてその気になっていたことにクリンデルは気が付いた。自信を持って作った料理がけなされたことより、そちらのほうが心により深く突き刺さっていた。

 そのため全員に頭を下げると、静かに最後のデザートに取り掛かった。その様子を厨房にいた者達は心配そうに見つめている。

「最後のデザートは大丈夫ですよね。甘いものは好物なので楽しみです」

『もう良さそうだから好きにして良いぞ。今までの分を込めて絶賛しても良いかもな。ついでにみやげも要求したらどうだ?』

 レネは気を取り直して微笑むと、セリエナにデザートのことを尋ねる。一番これが楽しみなのは本当である。杜人もそれを知っているので無理にけなす必要はないと言っておく。目的はもう達成したも同然なので、無理させるよりは良いだろうと判断した結果だ。レネはそれを聞いて更に笑みを深めた。

「残念なことに、分野が異なるのでデザートはそれほどでもないのです。おいしくないわけではありませんよ?」

 セリエナは何度も食べているので絶賛できるようなデザートが出てこないことは知っていた。そしてレネが普段甘いものを食べていないことや、たまに出てくるパンの耳の揚げ物を喜んで食べていることも調査済みだった。

 つまり、レネがこの店のデザートを褒めると、それほどでもないと知っている人からは嗤われることになるのだ。そしてレネは必ず褒めると確信している。そのためその時がとても待ち遠しかった。

 そうしているうちに出てきたのが、小さく焼いたスポンジを半分に切り、その中に生クリームを入れたデザートだった。

「あ、おいしそうです」

 レネは迷わず手でスポンジを掴むと、そのままかぶりつきながら食べていった。その顔には笑みが浮かんでるので、満足しているのは見ただけで分かる。だからセリエナは沸き起こる笑いをかみ殺して感想を聞いてみた。

「おいしいですか?」

「はい。とても。……あのう、持ち帰りのおみやげは駄目ですか?」

 お願いしてきたレネに優しく微笑み、セリエナは頷く。本当は笑いたいところだが、なんとか我慢した。

「構いませんよ。これを三人前ほど持ち帰り用にお願いします」

「かしこまりました」

 セリエナは大勝利の喜びを隠して追加の注文を出す。今回は最初から最後まで思い通りにいったのでとても気持ちが良かった。そのため多少の出費は気にならない。

『本当にみやげをせびるとはずうずうしくて大変よろしい。これで成功間違いなしだ。……褒めたのだから睨むな。演技がばれたらどうする』

 によによと笑う杜人をレネは一瞬睨むが、名目上は演技なので怒るに怒れない。分かって言っていることは確実なので、帰ったら憶えていなさいと思いながら一旦切り上げる。

 そして手土産をもらったレネは、とても良い笑顔で店を後にした。そんなレネをセリエナも笑顔で見送る。結果的に、どちらの作戦も成功した素晴らしい食事会であった。

『腹いっぱい食べることができておみやげ付き。これでもう付き纏われないと考えると実に良い作戦だったな。まあ、店には迷惑をかけたはずだから、後で何かお詫びを考えようか』

「そうだね、たくさん笑われていたから大変だったかも。怒っているだろうから、少し真剣にお詫びを考えなきゃね。……これはしっかりと味わって食べます。ありがとうございました」

 手に持った箱を大切に持ってレネは嬉しそうに夜道を歩く。

『取っておかないで今日中に食べろよ。クリームの鮮度が落ちておいしくなくなるからな。そうなったらどちらも悲しいだろ?』

「そうなんだぁ。それじゃあ仕方がないよね。今日中に全部食べるから心配しないで!」

 全部今日食べなければならない大義名分を得て嬉しそうに答えるレネを、杜人は困ったものだと優しく見つめていた。







 そしてレネの背後にある学院の食堂と密かに競っていたクリンデルは、閉店後に脱力した状態で椅子に沈んでいた。その周囲に居る従業員達は口をつぐみながら心配そうにしているが、想いは理解できるため声をかけられないでいる。

 そんな静まり返った店内に、ぽつりとクリンデルの呟きが漏れる。

「……店、畳むか」

「親方、早まらないでください!」

 クリンデルはデザートの腕前が大したことがないことをよく知っている。今回は全霊を傾けた肉料理で惨敗し、真面目に作ったが劣っていると知っているデザートが絶賛されたことで、暗に『この程度がお似合いだ』と言われたような気がして心が折れかけていた。

「もう一度お呼びして、今度こそ満足して頂く料理を提供しましょう!」

「どうやって呼ぶんだ? 伝はあるのか?」

 まさかセリエナにもう一度連れて来てくれと頼めるわけがない。皆が頭を悩ませているとき、レネの接客していた副長が手を叩いて案を出した。

「確か、殲滅の黒姫様はダイル商会の商会長と懇意にしていると聞いたことがあります。そちらに頼んではいかがでしょうか」

 ダイル商会にはクリンデルも商品を買いに出向くこともあるし、接客に使ってもらったこともある。だから頼めないことも無い。しかし、クリンデルはしばらく考えた後でため息をつき、力なく首を横に振る。

「……駄目だ。勝手に燃え上がって、勝手に負けて落ち込んだからもう一度挽回するために力になってくれだなんて言えるわけがない。やっぱり店を畳もう……」

「まだ親方の料理を楽しみにしている人もいますよ!」

「そうです! これから挽回すれば……」

「しかしだな……」

 落ち込むクリンデルを従業員達はとにかく持ち上げ、この場はなんとか思いとどまらせることに成功した。しかし、ため息が目立つようになり料理の精彩も欠くようになったため、徐々に客足は遠のいていった。

 こうしてひとつの騒動は計画通りおさまったのだが、知らない所でもうひとつの問題が発生したのだった。
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