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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第1章 言の葉は紙一重

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小話 レネとエルセリア

 レネが中級魔法使いとして新しい青のリボンと徽章を手に入れた日。レネは喜色満面の笑みが浮かびそうになるのを堪えながら、すまし顔で食堂へと向かっていた。

 その様子を杜人は温かい目で観察している。抑えようと努力しているのは認めるが、階段を弾むように歩いたり、鼻歌を歌ったりしていては台無しである。まとめられた長い髪も動きに合わせて尻尾のように動くため、遠くからでもかなり目立つ。

 そしてなにより、本人はすまし顔と思っているかもしれないが、中途半端な笑みになっているので傍から見れば不気味である。そのため出会った人がぎょっとしながら避けていく度合いが増しているのだが、レネはまったく気が付いていない。

 杜人はせっかくの上機嫌を台無しにしたくないので何も言わない。

『要するに、最後まで気付かなければ問題ない。……問題、ないのだ』

「んふふふふふ……」

 言うべきか、言わざるべきか。人生の命題にも似て非なることを思いながら、杜人は見守っていた。

 レネは今では奨学金も出るようになったため自由になる金も増えている。だが長年の貧乏暮らしによって、身体の芯まで貧乏が染み付いてしまっていた。そのため普通の人が考える贅沢とは異なる価値観を持っている。

 おしゃれに興味があるわけでもなく、家財道具を凝るわけでもない。したことと言えば、髪を結ぶリボンを少しだけ上質なものに変えた程度である。そんなレネにも明確に贅沢と言えるものが存在していた。

 それは『おやつ』である。

 レネは甘いものが大好きである。たまにまかないで出てくるパンの耳を揚げて砂糖をまぶしたものを、嬉々として食べつくす猛者なのだ。しかし、今までは貧乏のため甘いものなど滅多に口にすることは無く、長年の生活で染み付いた貧乏意識によって今でも食べようとしなかった。

 だが、今日は記念すべき中級魔法使いとして認められた日である。ちょっとくらい良いよねと、レネは断崖絶壁から飛び降りる覚悟を持って食堂へ行き、幻のおやつ『苺のショートケーキ』を予約していた。

 といってもレネにとっては幻であっても、他の人にとっては食べごろのおやつである。値段も下から数えたほうが安い品物だ。だが、レネにとっては昔から憧れていたものなのだ。値段ではないのである。

 そして憧れによって期待が膨らんでいる分、ややもすれば食べたことによって落胆する可能性が高いのだが、学院の食堂ならその心配はいらない。

 なぜならば、学院の食堂で出されている食事は、学院が始まってから一度も味について文句を言われたことがないからである。誰もが食べると話を止め、食事に集中してしまう。そんな魔力を持っているのだ。

 厨房を仕切る料理長は、元王宮料理人であるとか、代替わりしていないとか、そもそも誰も見たことがないとか色々噂話は尽きないが、とにかく凄いのである。

 そのためレネの期待は天井知らずに上昇している。もはや杜人になす術は何も無かった。そしてついにレネは本日の聖地である食堂へと到着した。

 はやる気持ちを抑えながら厨房のカウンターへと行き、予約していた旨を伝え待機する。その間も無意識に身体を嬉しそうに動かしていた。そしてついに目の前に運ばれてきた『苺のショートケーキ』を見て、思わず顔をほころばせた。

 綺麗な模様の入った白い皿の上には、小さな白い三角形が鎮座している。切り口は乱れることなく白と黄色、僅かな赤の層が美しく現れていた。上に塗られた生クリームはしっとりと柔らかそうに光を反射し、ひび割れなどひとつも無い。それもそのはずで、このケーキはほんの少し前に完成して切り分けられたものなのだ。決して朝作っておいたものではない。

 そして白い平野に流れるように描かれた生クリームの上には、綺麗に磨かれた赤い苺が宝石のように輝いて存在を主張していた。これが『苺のショートケーキ』の主役である。洗って乗せただけではない。これが無ければ中に苺を挟んでいても『苺のショートケーキ』にはならないとレネは思う。

『おいしそうだな』

「うん。ありがとうございます」

 レネは礼を言って手を伸ばし、慎重に皿を持って湧き出る唾を飲み込みながら静かに移動し始めた。この時、レネの注意は手元に集中しているため足元はおろそかになっていた。そのため突然発生した障害物に気付かずにひっかかり、前のめりに音を立てて転ぶ。

 それでも皿は離さなかったが、その上に鎮座していたものは皿から飛び出してレネの前に湿った音を立てて落ちた。それをレネはしっかりと目を開いて目撃していた。

「ああ、すまない」

 原因となった学院生は、にやけた顔でそう言うと離れていった。もちろんレネは聞いていない。杜人もレネと共に落ちたケーキを呆然とした表情で見つめている。まさかこんな子供じみたことをする者がまだ居るとは思っていなかったので、まったく警戒していなかったのだ。

『……レネ、あのな』

「大丈夫」

 杜人は慰めようと声をかけたが、レネは一言で断ると表情を消して残骸を皿にのせて、ハンカチで床を拭いた。そして皿を返却すると、そのまま部屋へ帰っていった。

 無言のまま部屋に入ったレネは、鞄を置いて上着を脱ぐと寝台へと行きそのまま潜り込む。そして静かに泣き始めた。床に落ちるまでをしっかりと見ていたレネに、それは言葉にならない衝撃をもたらしていた。『苺のショートケーキ』はレネの夢であり、それが叶うことはないと言われたような気分になったのだ。

『なんてことをしてくれたのだ。まったく……』

 回復したとはいえまだまだ脆いレネの心を知る杜人はといえば、どうすれば良いのか頭を抱えていたが、できる事はそんなにないため覚悟を決めて枕元に着地した。

『あー、ケーキは残念だったな。だが、いつか必ず俺が好きなだけ食べさせると約束しよう。だから気分転換に行かないか』

「ぐすっ、本当に?」

 顔を出して涙目で見つめるレネに杜人は自信みなぎる笑顔で頷く。

『ああ、さすがに時期までは無理だがな。だが必ずと約束する』

 杜人は気が付いていないが、レネにとっては必ず夢を叶えるという約束と同義である。もちろん違いは理解しているが、その言葉がなにより嬉しかった。そして今のところ、杜人は約束を破ったことは一度も無い。無理だと思っていた中級認定試験も、エルセリアとのこともしっかりと果たしている。そのためレネはその言葉を信じて泣き止み、寝台から這い出てきた。

「……ありがとう」

『どういたしまして、だ。それでは行こうか』

「うん」

 元気になったレネは準備を整えるといつもどおりの笑顔を見せて外へと歩いていった。

『はてさて、どうすれば実現できるのやら……』

 杜人はといえば、またもや出現した難題に対して、笑みを浮かべながら心の中で頭を抱えたのであった。





 エルセリアが試験のときに受けた傷は深かったが魔法薬のおかげで命に別状は無く、その後救護室にて受けた治癒魔法によって痕も残らず完治している。そしてついに長年の願いであったレネとの仲直りを果たし、とても気分が良い日々を過ごしていた。

「ここをこうすれば、もう少し楽に発動できるようになりますよ」

「ありがとうございます!」

 柔らかく微笑むエルセリアに、質問していた学院生は笑顔で礼を言う。

 エルセリアは長く上級に居るので実は何度も同じ講義を受けている。本来はもう受けなくても良いのであるが、評判を落とす必要もないので普通に出席している。講師もそれを理解しているので、たまに助手のような形で指名したりしている。

 なぜ卒業しないのかと問われれば、表向きはまだ学びたいことがあるからと答えるが、真実はもちろんレネと一緒に居るためである。

 誰よりも長く居ることに対して馬鹿にする者はエルセリアの実力を知らない者だけである。そういう考えの者は実力を目の当たりにしたときに大抵心が折れるので、知る者達は粋がる新人に手出しすることなく生暖かい目で見守るのが常であった。

 今日も急遽用事が入った講師のために、自習中の面倒を見ているのである。

 エルセリアはとても人当たりが良いので周囲には自然と人が集まってくる。そしてルトリス侯爵家令嬢ということで身分も申し分ない。そのため知らないうちにエルセリアを頂点とする巨大な派閥のようなものが出来上がっていた。

 もちろんエルセリアはその存在を知っていたが、非公認であることと派閥の長としての興味は無いので利用することは無い。それがまた奥ゆかしいと評価されるのだから、世の中は本当に分からないことだらけだと思っていた。

 そんなエルセリアが夕食のために食堂に来たとき、ひとつの話を聞くことになった。

「その人がレネに?」

「はい……」

 レネとは待ち合わせをしていないので、いつも一緒に食べているわけではない。しかし、居れば必ず一緒に食事をするために、最近は食堂でエルセリアの近くに座る者は居なくなっていた。それなのに今日は心配そうにしている者達が数人、少し怯え気味に近づいてくると目撃したことを話していた。

 彼らは全員エルセリアの非公認派閥に属する者であり、レネにおいたをしてしまった者達である。そのため関係のない被害を受けないようにと考え、自分達は関わっていないと言いに来たのだ。もちろんレネに直接言う勇気があるわけも無い。

 エルセリアにとってはレネ以外は等しく平等である。だからといって粗略に扱い立場を悪くする必要もないと思っているので、誰にでも優しく接している。積極的に敵対する者にはそれなりに対処するが、実害が無くレネが関わらなければ基本的に放置である。

 そして今まではレネは落ちこぼれで無視できる存在だったため、誰も関わろうとは思っていなかった。そんなときに起きたのが本格的な断絶である。その影響はとても大きく、一気にレネの名は学院中に広まることになり、その後の出来事で忘れることができない存在へと変わっていった。

 エルセリアは首を傾げながら考え、悲しそうに微笑んだ。

「レネは記憶力が良いですから、伝えると憶えてしまって逆効果だと思います。何事もなく時間が経てばそのうち忘れると思いますので、その人にも顔をできるだけ見せないように伝えてください」

 内容自体はいたって普通である。機嫌が直って忘れるまで顔を見なければ問題は無い。当たり前のことである。だが、エルセリアは表情と視線、声音を利用し、レネはなかなか忘れないので、その間に顔を見せると思い出して機嫌は治らないし、ここに居て会わないようにするのは不可能だと言外に伝えたのだ。

「……分かりました。ありがとうございます」

 そして彼らも愚かではないのでそれが持つ意味を正確に読み取り、礼を言って足早に食堂から出ていった。それを見届けてからエルセリアは厨房のカウンターに行って確認と注文を行う。そして待機場所で出来上がりを待っているときに、レネが笑顔でやってきた。

「あ、今から?」

「ええ、レネはいつもの?」

「そうだよ」

 そう言っている間にエルセリアの食事が台車で運ばれてくる。ここの食堂は自分で運ぶ規則となっているが、一度に運べない品数の場合は台車が貸し出されるのだ。

 まかないは作り置きなので頼めばすぐに出てくる。そのため待たなくても良いのだが、今日はいつもより少し時間がかかって出てくることになった。

「あれ? 間違った?」

 いつもより多い品数と、添えられた『苺のショートケーキ』にレネは目を丸くして驚いている。

「それは私からのお祝いだよ。行こう」

「え、あ、うん。……ありがとう」

 レネは恥ずかしそうに、けれども嬉しそうに微笑みながら礼を言う。さすがにお祝いを拒否するようなことはしない。こうして食堂に平和が訪れ、戦々恐々としていた者達は胸をなで下ろした。

 そしてその日のうちに、数名の学院生が道半ばで学院を去っていった。レネはそのことを知らず、エルセリアは気にしなかった。そして中途半端な事実が憶測込みで流れたため、レネの異名に更なる箔が追加された。こうして噂は尾ひれをつけて広がっていくのである。

 もちろん中心にいるレネに伝える勇者は存在せず、エルセリアも伝える必要を感じなかった。世の中には知らないほうが幸せになれることがある。それを知っているのは杜人だけではない。そしてエルセリアは優しく見えようとも、まごうことなく大貴族の一員なのである。

 こうして学院の平和は、エルセリアの配慮によって保たれたのであった。
没になった副題:本当は恐ろしいエルセリアのお話

これで第一章は終了です。
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