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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第1章 言の葉は紙一重

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第02話 交わった道

 フィーレ魔法学院は大陸でも有数の大国、レーンの王都にある国立学院である。入学に大きな制限を設けていないので魔力さえそれなりにあれば他国の者でも学ぶことができるのだが、大部分の学院生はレーンの国民で占められている。そして特待生制度などが充実しているため、才能のある者は自ら、あるいは見出されてここで学んでいた。

「よおし、これで魔導書が買える! 早く行かないと閉店しちゃうから急ごう」

 石造りの狭い寮の一室にて、学院生であるレネは粗末な木の椅子に座りながら机の上にあるお金を数え、紫色の瞳を嬉しそうに煌めかせながら満面の笑みを浮かべる。

 そして勢い良く椅子から立ち上がると、外出するために準備を始めた。

 机の上にあるくたびれた白いリボンを手に取ると、腰まである黒髪を後頭部の高い位置で簡単に結わえる。そして手早く室内着から学院の制服である白いブラウスと紺色のフレアスカートに着替え、胸元に学院所属の初級魔法使いを示す徽章と新緑色のリボンを結ぶ。

 外出に制服を着るという決まりはないが、レネにとっての外出着はこれだけなので選択の余地はない。学院で制服を着ること自体も任意なのだが、品質も良く下取りや割引もあるのでいろいろ服を揃えるより安上がりなのだ。

 最後に鏡を見ておかしくないか確認し、衣装棚にかけていた深藍色の上着を着ると、机と寝台と衣装棚しかない狭い寮の部屋を飛び出していった。

「魔導書ならきっと大丈夫だよね……」

 少し不安が残る声で呟きながら、夕暮れ間近で赤く染まりかけた石畳が続く街並みを走っていく。

 レネの生まれは寂れた寒村だった。そこで大きな保有魔力量を示す『紫瞳』を見出され、特待生として小さな頃から魔法学院で学んでいた。最初の頃は憶えの良さもあり天才としてもてはやされたが、そんな状況は長く続かなかった。

 なぜかというと、学んでいるうちに単位時間あたりに使える魔力量がとても小さいという珍しい体質であることが判明したためだ。つまり、総魔力量はとても大きいのだが、それを外に取り出せる量が極端に小さいということである。これは魔法使いとして致命的と言える欠陥だった。

 魔法を使うには術式を組み合わせて、魔力を用いて魔法陣を構築し、発動させるために一定以上の魔力を流さねばならない。

 魔法陣に魔力を長時間保持させることはできず時間をかけると魔力が拡散してしまうので、魔法によって単位時間あたりに必要な魔力量の下限が決まっている。つまり、レネは一定以上の魔力量が必要な魔法を使うことができないのだ。

 そのためレネの供給できる魔力量では初級魔法ならそれなりに発動できるが、その上の中級魔法を発動させるために必要な魔力量を確保できず、調子の良い日に不安定な発動ができる程度だった。

 同い年に同じく天才と呼ばれる子がいたことと、座学を学べるところまで学んだ後は図書館にこもって勉強していたため、いまでは憶えが良いという最初の評価は忘れられ、実技の悪さばかりが目立つようになっていた。

 そして『紫瞳』は珍しいが稀有ではない。それだけで特別扱いされるような性質のものではないのだ。むしろ魔法使いとして重大な欠陥があるため、持っていても何の意味も無いものになっていた。

 そのためレネの待遇は徐々に悪くなり、学費は無料だが生活費は自分で工面しなければならない状況になっていた。今まではレネを知っている講師によってなんとか引き伸ばされてきたのだが、財務の担当官が代わったために今度の中級認定試験に不合格になった場合、すべての援助を打ち切ると通告されてしまったのだ。

 寮費は安いので今までは学院内の仕事をこなしてなんとか生活できていたが、さすがに学費を賄えるほど高額ではない。そのため打ち切られた場合は学院に通うことができなくなり、寮も出なくてはならない。

 まだ小さい頃に連れられてきたレネには支えになるものは魔法しかなく、欠陥が判明した後もなんとか認められようと懸命に勉強ばかりしてきたので外の世界をあまり知らない。そのため放り出されたら路頭に迷ってしまうと思い込んでいる。

 そんなレネの最後の希望が、大賢者エスレイムが生み出した意思を持つ魔導書であった。魔導書なら契約者の魔力を常に一定量保持してくれるので、それを利用すれば中級魔法も発動できる。そのため不要な持ち物はすべて売却し、王都にある迷宮にて魔物を倒すなどの危険なことも行いながら必死でお金を貯めたのだ。

 実際は他に目を向けて立ち回りさえしっかりすれば、学費程度は稼げる能力をすでに持っているのだが、それに気が付くほどひとりぼっちのレネの世界は広くなかった。

 ちなみに学院または国が魔導書を買い与えないのは、全員に買い与える予算が無いのはもちろん、レネだけ特別待遇にする理由が無いからである。

 条件としては同じである保有魔力が小さい者でも、魔導書さえあればそれなりの魔法使いになれる。そしてレネは学んでいただけで実績が何も無い。一部の講師のみがレネの才能を認めていたとしても、国が動くには目に見えるものが必要なのだ。

 そして今のレネには個人が手を差し伸べる程度のことはしてやれても、身銭を切って援助するまでには至らない。どこにでもいる、この子には才能がある程度の認識であった。そして似たような境遇の者は多い。

 このように、小さな不幸と思い込み、手の平を返されたことによる他者への不信感、無理解などが重なった結果が今のレネの境遇だった。

 レネは財布を盗まれないようにしっかりと握りしめながら華奢な身体を懸命に動かして走り、大通りにある魔法具を扱っている商店に入る。そして急いで展示されている品物の中から目当ての魔導書を探しだし、そしてそこに書かれていた金額を確認して絶望した。

「な、なんで? 高くなってる……」

 以前確認したときよりも十倍以上高くなっている魔導書の価格を見たレネは、少しの間その場で呆然としていた。そしてその後に気を取り直すと急いで壮年の男性店員に確認してみる。

「あの! この魔導書は以前もっと安かったはずなのですが、どうしてこんなに高くなったのですか?」

「そんなことはありません。元からこの価格ですよ。……ああ、そういえばしばらく前に訳あり品を安く売っていましたね。それはもう売れましたからございません」

 焦ったレネは少し責め気味に聞いてしまったため、店員の口調もそっけないものになった。経験から、いきなり責め立てる平民の客は下手に出るとつけあがる確率が高いと分かっているためだ。

 店員の態度に萎縮したレネは言葉に詰まったが、ここで引いてはお終いなので勇気を出して聞こうとした。

「あの、安くは……」

「申し訳ありません。当店では値引きはいっさい致しません。安い品物がご入り用なら露店を見て回るほうが良いですよ。意外な掘り出し物があるかもしれません」

 魔法学院の制服を着ていても金持ちとは限らない。くたびれたリボンを付け、いきなり値引きを求めたレネを店員は客とはみなさなかった。そのためレネの言葉を遮るように答えた店員は笑みを浮かべながら頭を下げる。いくらレネが世間知らずでもこれが出ていけということだと分かり、踵を返すと俯いて店を出た。




「どうしよう。このままじゃあ合格できない……」

 肩を落としてとぼとぼと広場にある露店を見て回っているが、都合良く見つかるはずもない。

 この露店は場所代を払えば誰でも店を開くことができる。後で売り上げに応じた税金を払う必要があるが、逃げたり虚偽の申告をしたりすると厳罰に処せられるため、不正を働く者はあまりいない。

 値引きは可能なので、売り切りたい販売者と安く買いたい購入者の間で交渉が白熱する場合もあった。そんな中を探していたわけだが、書物を扱っている店を回っても安い魔導書を扱う店を見つけることはできなかった。

「……ここにもないか。はぁ、どうしよう」

「おや、お嬢さんは何を探しているんだい?」

 ため息交じりに呟いたレネに、店主の男は人の良い笑みを浮かべて聞いてきた。

「安い魔導書がないかと思いまして。どこかで扱っているのを見ませんでしたか?」

 多少は警戒していたが、世間にもまれたことが無いレネは笑みにつられて正直に答えた。

「うーん、魔導書かー。安いとなると大賢者様が決めた系譜から外れるものとか、失敗して性能が劣るものとか、どこの誰が作ったのか分からない性能保証のないものなんだよね。そんなものを買うよりきちんとした魔導書を買ったほうが良いと思うよ?」

 優しい声で親切に忠告してくれた店主にあっさり警戒を緩めながらレネは事情を話す。

「正規品を買えるだけのお金が無くて……。それにすぐ必要なんです」

「ああ、そういえば試験がもうすぐなんだっけ? 練習することを考えれば、確かに時間が無いかもしれないね。……うーん、それなら隠してある在庫を売っても良いけれど、いくら訳あり品といっても極端に安くはないよ? いくらくらい出せるのかな?」

 店主はレネの事情を聞き腕組みをして考えていたが、やがて手招きをすると小さな声で聞いてきた。

「……あるのですか?」

「あるよ。ただ、うさん臭すぎてここで売れるような品物ではないから出してないだけでね」

 笑う店主に希望を見出したレネは、高鳴る鼓動を隠して声を出す。

「見せて頂けますか?」

「良いよ。……はいこれ」

 後ろの袋から取り出した、古びた色合いをした本をレネに渡す。それは封印の魔法具で封じられていて、隙間から見える題名の部分が削り取られている。手に取ったレネには封印されているはずなのに、本から漏れ出る魔力を感じられた。

「ほら、ここを見てごらん」

「はい? ……こ、これって!」

 示された場所には消えかかった印があったが、あまりに有名な印だったためレネは簡単に消えた部分を補完してしまった。

「そう、大賢者エスレイムの印さ。うさん臭いだろ。いかにもな雰囲気があるが、こんな魔導書を作成した記録は無いから大賢者作として売れないんだ。逆にその印のせいで偽物扱いしなければならないんだよ。……実はね、ここだけの話だけれど、これは少し前に退治された海大蛇の腹の中から出てきたものなんだ。どうしてそんな場所にあったのかは誰にも分からない。そのため表の世界に出せないから裏の世界に流れてきたのさ」

 少しだけ悪い笑みで店主はレネを見つめた。レネは生唾を飲みこみながら手に持った本を見つめる。そう言われれば微かに感じる魔力が本物の証明のように思えてきた。レネは急いで財布を取り出すと、そのまま店主に渡す。

「私、これしか持ち合わせていません。これで売って頂けませんか!」

「しぃー、声が大きいよ。……うーん、少し足りないね」

 ちらりと店主はレネを見るが、これ以上出せないレネには気持ちを込めて見つめることしかできなかった。そんなレネの様子に苦笑した店主は財布からお金をすべて取り出すと、空になった財布を返した。

「仕方が無い。そんな目で見つめられたら売らないわけには行かないじゃないか。おまけしてあげるよ」

「ありがとうございます!」

「だから声が大きいって」

 レネは慌てて口を押さえると周囲をこっそり見渡した。幸いなことに注目している人は誰もいなかったので、ほっと胸を撫で下ろす。そしてレネは無言のまま微笑むと店主に頭を下げ、購入した本を大切に抱きしめながら寮へと帰っていった。その後ろ姿を店主は小さく手を振りながらにこやかに見送り、姿が見えなくなるとすぐに荷物をまとめてその場を立ち去った。




「えへへ、へへ、えへへへ」

 少々壊れ気味になりながら、レネは急いで部屋に戻ってきた。寮に入る際には周囲に誰もいないか確認し、陰に隠れながら忍び足で歩いたりした。目撃者がいたらものすごく怪しい人物として警備員に通報されていたかもしれない。

 そして部屋に入るとすばやく明かりを点け机に購入してきた本を置き、椅子に座るとナイフを手に持って契約の儀式を実行する。と言っても複雑な儀式は必要なく、本に血を垂らすだけだ。

 新品の魔導書は封印された状態で契約を行う。契約前に解くと制御されない魔法が発動することがあるためだ。

「良し、行くよ!」

 気合いを入れてからレネはナイフで指先を傷つける。痛みで泣きそうになったが我慢して本に血を垂らした。ここまで来ればもう待つだけなので、痛みも忘れて本を見つめ続ける。しかし本に変化はない。最初は満面の笑みを浮かべていたが、変化の無さに首を傾げた。

「あれ? こんなに時間がかかるものなのかな。……血の量が不足しているのかも」

 気を取り直して再度血を垂らすが、本に変化は見られない。だんだん不安になってきたが、ここで止めるわけにも行かないのでもっと傷つけて多く擦り付ける。しかし、何かが起こる気配はない。

「どうして……?」

 手当ても忘れて血濡れた本を見つめる。ここまで来て、ようやく偽物かもという疑念が湧いてきた。それを確かめるため、傷が熱く脈動しているのも忘れて手に持ったナイフで震えながら封印を切る。

「……」

 暴走は、しなかった。必ず暴走するわけではないので、血まみれの手で中が汚れるのも構わずに本を開いた。

「なに、これ……」

 中にあったものは、中身をくり抜かれた穴と、そこに収まっている古臭く変色し破れてぼろぼろになった紙の束だった。紙の束を取り出して手に持つと、そこから今まで感じていた魔力を感じた。

 レネは似たようなものに見覚えがあった。それは授業で見た、作成に失敗した魔導書だ。過去に見たものも微かに魔力を放ちながら似たような感じにぼろぼろになっていた。

 切断した封印の魔法具も、今見れば封印の術式を写し取った単なる紐だと分かる。良くできているが、他の人はともかく普通のときならレネは騙されることはない。それを見落としてしまうほど視野が狭くなっていたのだ。

 しばらくそのまま呆然としていたが、やがて一筋の涙が頬を伝い紙の束に落ちた。そしてそれに続いて更に涙が溢れ始める。

「う、ううぅ……」

 騙されたことをやっと理解し、声を押し殺して泣く。もはや魔導書を買う金を用意できるあてもなく、魔導書が無ければ試験に合格できない。それが確定したため、レネの心は絶望に覆い尽くされていた。

 やがて泣き止んだレネは紙の束を机に置き、のろのろと傷の手当てを簡単にしてから明かりを消して、着替えもせずに寝台に潜り込んだ。その後もまた泣いていたが、しばらくすると嗚咽は静かな寝息に変わった。

 そのためレネは知らなかった。寝入った後、机に置かれた血まみれの紙の束がようやく淡く輝き始め、レネが流した血を取り込み始めたことを。

 紙の束は表面に付いた血を取り込み終わると、輝きを増しながらくり抜かれた本に付着していた血や、机に流れた血も引き寄せて取り込んだ。すべての血を取り込んだ紙の束は、破損している部分に光を集約させて外観を修復していく。そして最後に一際強い光を放ってから、かろうじて本と呼べるまでに回復した外観と、もうひとつの変化を残して何事もなかったかのように沈黙した。

『おう? 何がどうした?』

 月明かりに照らされている机の上には、ぼろぼろの本と同じ身長になった杜人が白い狩衣と黒い烏帽子を着用した格好のまま、身体を半分透かせて寝ぼけまなこで座っていた。
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