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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第1章 言の葉は紙一重

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第19話 最後の試験

「視線が痛かった……」

『そのうちおさまるから、それまで我慢だ。それとも元の状態の方が良かったか?』

「それは嫌だけど……、ううっ、恥ずかしい」

 会場である迷宮に行く道の途中で、レネは小さくため息をついた。今朝は昨日までと違い、学院生達はレネを見つけると一瞬で顔を青ざめさせ、逃げるか脇に寄って視線を合わせないようにしていた。既に高揚感はおさまったので、昨日の自分がどれだけ変だったのかは自覚している。

 ちなみに寮では昨日の三人娘にも会ったのだが、レネが恥ずかしさで愛想笑いを浮かべたら全員がへたり込み、ひとりはそのまま気絶してしまった。これでは介抱のために近づくこともできないので、レネとしてはそのまま何もなかったと逃げ出すしかない状況であった。

 試験がなければ確実に恥ずかしさで外出することもできなくなり、寝台でいつまでも悶えて引きこもりになっていただろう。

『文句は言って良いぞ。この結果が分かっていて実行したのだからな』

「私が潰れたのだから仕方ないよ。私なら同じ状況で元に戻せるとは思わないし、実際すごく上手だったと思うよ」

 それまでの壊れ具合も憶えているため、レネは杜人を責める気は無い。後でゆっくりと考えればもっと良い手も浮かぶのだろうが、時間が無く成功するかどうかも不明な状況で決断してくれたことにお礼を言いたい心境である。もちろんもう済ませてあるので二回は言わない。何度も言うのが恥ずかしい年頃なのだ。

 そのため誤魔化すように空を見上げる。空は雲ひとつなく晴れ渡り、柔らかい日差しが降り注いでいる。

「うーん、やっぱり居ないか」

『何がだ?』

「『天舞う皇竜』だよ。世界中の空を飛んでいる天空の支配者で、飛んでいる姿を見かけると幸運が訪れるって言われているんだ」

 レネはかざしていた手を下ろし、残念そうに笑った。

『おとぎ話ではないのか?』

「違うよ。遥か昔に人と竜が争って、天空の支配権と引き換えに地上に対する干渉をしないと誓約を交わした竜の王様だね。だから外に居る竜は基本的に人を襲わないし、高い山にしか居ないんだよ。魔法使いは誰でも一度は空を飛びたいと思うけれど、人にとってこの空は地上の平和と引き換えに明け渡したものだから、高く飛ぶ魔法の開発や行使は禁忌として一番最初に教わることなんだよ」

 過去に禁忌を犯して竜に滅ぼされた伝説は各地にある。竜は人を区別しない。そのため研究するだけで死罪となる国もあるのだ。レーンで使われている飛行系魔法も城壁を飛び越える程度の高度で抑えられている。

 ちなみに何故幸運が訪れるのかというと、滅多に目撃できない事と、幸運とは滅多に訪れるものではない事とをかけているからである。

 話しているうちに興が乗ってきたレネは、歩きながら本から得たうんちくを披露し始める。

「その他にも天舞う皇竜関連の伝承はあるんだよ。『黒き太陽が昇り、世界が闇に閉ざされる。絶望がすべてを塗りつぶすとき、皇竜の力を授かりし森羅万象を統べし者、闇を引き裂く真白き光と共に降臨せん』。出所不明の予言詞なんだけれど、これは大賢者様のことを指しているといわれているんだ。何でも大賢者様は天舞う皇竜の背中に乗ったことがあるらしいよ」

 大賢者が居なければ今のレーンは無いと言っても良い。レーンの国民にとっては、まさに希望の太陽のような存在なのである。もちろんレネにとっても目指すべき遠い目標であった。

『色々面白い話があるのだな。……ま、見つけたところで現状は変わらない。少し薬が効きすぎたが、状況を考えれば一度で済んだのだから良しとしようか』

 杜人はずれてきた話を戻すと、昨日のことを思い出して頬を掻いた。

『けれどまあ、何となく特待生待遇は維持されそうな気がするな』

「何となくね。それでも合格しておいて損はないから頑張るよ。とりあえずの目標は卒業だからね」

 昨日の夕食前に部屋まで職員が訪ねて来て、いつでも良いので試験で使った新型術式の論文を提出して欲しいと要請があったのだ。試験に落ちて学院を去ることになれば論文を作っても学院に提出しないかもしれないし、学院の名も上がらない。それを学院側も分かっているだろうから、明言はしなくても剥奪はしないだろうと二人で推測したのだ。

「それにしても、どうしよう。理解するために理解しなければならないものがあって、それを理解するためにはまた別のものが必要……。困った」

『困ったのは俺だぞ。考えないでそんなものだと思い込め。試験前に徹夜しようとするお馬鹿さんめ』

 杜人は、たははと汗を掻いて笑うレネを半眼でじっとりと見つめる。昨夜は教えてと懇願するレネを何とか説得して、寝不足にはならずに済んだ。結局不十分な杜人の説明ではレネは理解できず、増幅円環陣の真似事すら構築できなかった。これでは論文を書けるわけが無い。

『論文は出す約束もしていないし、出すなら卒業までに何とかすれば良いから頑張れ。まずは目先の問題を片付けていこうか』

「はぁ……、そうだね、気長に考えるよ」

 レネは額に手を当てて大変だとまたため息をつく。大きな問題を片付けた代償としては安いものだが、それはそれである。こうしてレネは別の意味で有名人になったのだった。




「本日の試験官を務めるエルセリア・ルトリスです。よろしくお願いいたします」

「は……い。よろしくお願いいたします……」

 会場についてから発表された順番にて、レネの試験官は臨時雇いのエルセリアとなっていた。レネはどうしようと緊張していたが、当のエルセリアは何事も無かったかのように挨拶し、レネもつられてぎこちないが挨拶を済ませることができた。

 面と向かって大嫌いと言った相手がいきなり目の前に現れたのだから動揺したが、それ以上のことがあったので思ったほどではなかった。

『すごく、普通だ……。偽者か?』

「本人だって。でも、全然違うね……」

 こそこそと杜人とレネはエルセリアについて話し合う。いつもなら聞こえる副音声がまったく聞こえず、言葉通りに聞こえたのだ。レネの心境の変化もあったが、その程度で印象が変わるものではない。しかし、そのおかげで近くにいられても苦手意識程度で済んでいた。

 どちらかと言うと今は嫌悪よりも困惑の方が大きい。話し方もこれまでと違うので、レネも自然に改まった話し方になる。それが余計違和感を強めていた。

『そうだな、きっと極悪非道な誰かの暴言に傷ついて心を閉ざしてしまったのだろう。とりあえず試験が終わるまでは触らないであげよう』

「ふんだ」

 レネは深く頷いている杜人の冗談を聞いて、こっそりと指で弾いておく。心を平常に保つための、甘えに似た無意識に近い確認作業である。杜人のほうはエルセリアの心境をある程度推測していたが、諦めたのか嫌いになったのかまでは分からない。そのため今は放置することにしたのだ。

『良し、遊びは終わりにして荷物の確認を受けよう。これで落ちたら笑い話にもならないからな』

「そうだね。……すみません。持ち込む荷物の確認をお願いします」

「分かりました」

 レネはエルセリアに近づくと鞄を渡した。確認を受けるのは義務ではないが、こうして許可を受けていれば不要物の持ち込みで失格判定を受けることは無くなる。ちょっとしたことだが、不安要素をできるだけ無くすためなのできちんと行った。

 レネが持ち込んだものは、ぼろの魔導書といつもの魔法書、安い魔法薬数本だけだ。エルセリアは丁寧に確認すると、手に持った書類に書き込みを行ってから返却してきた。

「はい、確認終わりました。持ち込みを許可します」

「ありがとうございます……」

 やはり普通に聞こえるので、前からこうなら良かったのになと思いながら鞄を受け取り、少し離れた位置で待機し横目でこっそりと観察する。エルセリアの態度は事務的なものだが、今までが今までだったためにレネにとってはとても良く見える。このまま行けばレネの評価も知り合い程度には改善されそうな雰囲気であった。そのため観察する視線も警戒より興味のほうが強くなり、ひと通り観察したあとは装備のほうを見ていた。

「良いなぁあの杖……」

『杖ならあるぞ。消費百倍のすばらしい杖がな』

 レネは頭を掻く振りをしながら杜人を攻撃するが、もちろん効果は無い。レネが言う杖とは、エルセリアが持ってきた杖である。色合いの良い木でできていて、先端に大きな青白い結晶体がはめ込まれている。見ただけで高価と分かる外観だ。

「違う! あの氷滅の杖のこと。あれはね、氷系統の魔法に特化した杖で、保持されている魔力で一度だけだけれど天級魔法の『氷滅平原』を誰でも発動できるし、普通に氷系統の魔法を使っても威力を増幅してくれる優れものなんだよ。あれがあれば、私でも氷系統なら中級魔法の威力が出るはずなんだよね……」

『でも、高いんだな?』

 レネは小さく頷いて、諦めたような笑いを浮かべた。

「それなりの魔導書を何冊も買える。増幅系の魔法具は基本的に全部高いよ。だから処分するからってもらった星天の杖も、本来なら気絶するくらい高価なんだよ。どうやってお礼しようか困るくらいだよ」

『そんなものを簡単に寄こすなんてなんて恐ろしいんだ……。これはダイル商会のほうに足を向けて寝られないな。いやはや、借りがありすぎて困るな』

 杜人は見えない借りを作る手腕に感心する。ダイルは一言も借りと言わない辺りがまたじわりと心に効いているのだ。もちろんこれはきちんと恩を感じる者だから有効な手段であり、それを見抜く目も凄いということだ。

 レネは話題が一段落したため一度ため息をつくと、視線を外して不安そうに床を見た。

「けれど、判定は大丈夫かな……」

『問題ない。そこを曲げるような性格なら、前から陰湿なことをしていただろう。結果はともかくとして、少なくとも陰で何かをやらずに常に正面から来ていたことは高く評価して良いと思うぞ』

 レネは嫌われていると認識しているので、そう思っても不思議ではない。そのため杜人は間違った判断をしないように、評価できるところはきちんと評価するように教えておく。嫌悪感で目が曇るのは仕方がないので、その辺りは他人である杜人の役割だ。

「ん……、そうだね。徒党を組んだことは無かったし、この間のは周囲が勝手に暴走した結果だから……。分かった、気にしないことにする」

『そうしておけ。なに、たとえ学院に通えなくなっても今なら迷宮探索で生活は何とかなる。気楽にいこう』

 杜人が本気でタマを動かせば更に深い階層へもレネ単独で行くことができる。だからもうどう生活しようかと不安に思う必要も無いのだ。

「頼りにしているよ」

『ふっ、任せろ』

 そんな風に静かに笑みを浮かべるレネの元へ、エルセリアが試験の開始を告げにやってきた。

「時間です。準備はよろしいですか」

「……はい、大丈夫です」

 つい反射的に顔を強張らせてしまったが、エルセリアのほうはまったく変化していない。過剰反応している心に苦笑しながら、遂にレネは最後の試験に足を踏み出していった。





「召喚」

『ふふふ、了解だ。さあ、驚け、来いタマ!』

「……!」

 レネが魔法を使ったように見せかけながら杜人がタマを呼び出す。ちなみに今回はいつも通りの大きさである。それを見たエルセリアは目を見開いて何か言いたそうにしていたが、すぐに元の事務的な表情に戻った。それを杜人はしっかりと目撃し、本当に嫌ったのならもう少し違う反応になるはずなので、気持ちを抑えているだけかと推測した。

 杜人は知らないし、レネはあくまで魔導書の機能のひとつと思っているので気にしなかったが、魔物の使役はたとえ弱いものでも大変なのだ。なにより普段封印しておく魔法具が高価でまずそこでつまずき、次に調教でつまずく。

 そのため魔物を使役しようと考える者はあまりおらず詳細も広まっていない。そのためあまり気にせずに呼び出したのだが、知っている者にとってはおかしいどころの話ではなかった。

 そしてエルセリアは魔物の使役法を知っていて、レネが封印の魔法具を使わずに魔法で呼び出したことに驚いたのだ。こうなると今までに存在しない新しい魔法ということであり、すぐに詳細を聞いてみたかったが、試験中である事となにより嫌われるのを恐れて何も聞けずに黙っていた。

「行きます」

「分かりました」

 そしてレネが前進し始めたのでその後をついて行った。当初、危なくなったら気付かれないように魔物を牽制しようと思っていたのだが、レネは危なげなく進んでいく。その姿は堂々としたもので、とても初級魔法しか使えないようには見えない。

 爆発する氷針は以前に見ていたので驚きは無いが、その構築の速さが以前とは段違いなことには感心していた。昨日の騒ぎは噂で聞いて知っていたが、レネなら不思議ではないと確信しているので驚きはしていない。そして今の様子を見て、何か新しいものを掴んだらしいと推測していた。

 今回持ってきた氷滅の杖も万が一を考えたものであり、念のためにそれより高価な指輪型結界魔法具も持ってきている。魔法薬も当然高いものだ。目立たない防御用魔法具も身に付けているので、硬鱗赤蛇程度ならば不意をつかれても対処できるようにしていた。

 エルセリアはひと呼吸の間に魔法を複数発動できるのだが、とっさのときや負傷して集中できないときはそうも行かない。そのため魔力を流すだけで発動できる結界魔法具や、合言葉だけで発動する攻撃魔法具を用意したのだ。この気遣いが表に出ないのもエルセリアの不幸であった。

 ちなみに試験官は手出しをするまで防御や補助系統の魔法を使ってはいけないことになっている。これは『同じようにできれば』『自分にはできない』『あそこまでやらないと駄目なのか』など、防御で身を固めた試験官を見た受験者が要らぬことを考えないようにとの配慮だ。当然危険が伴うため、それなりの実力がないとなれないのである。

 一方レネは、調子の良い自分自身に困惑していた。

「なんだか構築がすごく楽なんだけど……」

『おそらく昨日のあれで完全に身体が憶えたのだろう。習熟と言うやつだな。さすが得意なだけあってかなり早いな』

「うーん? 普段はここまで早くないよ? もしそうなら他の魔法もそうしているし」

『そうなのか? なら俺のおかげだろうな。これでやはり俺はすばらしい魔導書であることが証明されたな!』

 得意げに胸を張る杜人に苦笑しながらも、警戒は緩めずに足を進める。

「けれど、ほんの少し前まであんなに怖かったのが嘘みたい」

『認識している安全範囲がきちんと確定したからだろう。残念だ、涙目で震えるレネはしばらくおあずけか……』

「うるさい」

 恥ずかしい過去を思い出して、少し顔を赤らめながら杜人をさりげない動作で殴りつけた。このように過剰に緊張すること無く歩を進め、定められた地点を通過した後に終着点へと向かうのだった。





「ん? 他の受験者だね。……少し待機します」

「はい。そのほうが良いでしょう」

 前方に先行した受験者を発見したレネは、追いつかないように一旦停止した。開始時間はお互いの速度と順路を考慮して決められているのだが、レネの移動速度が速いために追いついてしまったのだ。よく見れば試験官はレゴルで、受験者はとてもやり辛そうにしていた。

『ううむ、あれでは無理だろう。撤退を進言したいな』

「だよね。というか痛そう……」

 戦っているのは硬鱗赤蛇三体のようで、見ていると二体倒している隙に残り一体に這い寄られ、見事に太ももに食いつかれて転げまわっている。それでもレゴルは手出しをしていなかったが、助けを求められたようで歩み寄ると暴れる受験者にのしかかって簡単に抑えつけた。そして噛み付いて巻きついていた硬鱗赤蛇を素手で掴むと手の平から直接魔法を放って倒していた。

「うわぁ、素手で掴んだよ……」

『というより上手だな。レネはああいった小技はできるのか?』

 掴んだまま倒すには方向や威力等複数の要素を考えて魔法を使わなければならない。見た目は地味だが、かなり高度な技である。

「できるよ。というか、あの程度はできないと卒業まで行けないよ」

『ほう、意外にこの学院は地に足が着いた指導をしているのだな』

 大技をもてはやして小技をおろそかにするような風潮なら、いつかは衰退していくと杜人は考えている。そのため良い学び舎だと感心したのだ。

 そうこうしているうちに気絶した受験者を担いだレゴルが、レネ達のほうに歩いてきた。

「邪魔したな。頑張れよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

『重いだろうに力があるな……』

 レゴルはそのまま歩みを止めることなく歩いて行き、出てきた魔物を簡単に蹴散らしながら消えていった。

「やっぱり凄い……」

『あそこまで強くないと務まらないのか。さすがだ』

 魔物をものともしないレゴルに感心していると、エルセリアが試験の再開を告げてきた。

「それでは行きましょうか」

「はい」

 レネは気を取り直して前進を再開する。エルセリアにも慣れてきたので反応も普通になっていた。それを杜人は良いことだと思いながら二人の様子を観察していた。

 そしてその後も危なげなく出てくる魔物を倒し続けながら、遂にレネは終着点近くにある大広間まで辿り着くことができたのだった。
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