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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第1章 言の葉は紙一重

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第17話 誰もが通る道

『はぁ、どうするか……』

 杜人は机の上であぐらをかき、寝台に頭まで潜り込んで泣いているレネを見ながら額に手を当てた。あの後、信じられない速度を保ったまま部屋まで一直線に帰って来たレネは、鞄を机に投げ出すとそのまま寝台に潜り込み声を抑えて泣き始めた。

 今は杜人が予想した中で、最も悪い状態である。おそらく今のレネに甘い言葉をかければ自力で立てなくなるだろうと推測していた。

 試験を失敗したことよりも、エルセリアに対して遂に終わりの一言を投げつけたことのほうが傷としては大きい。なんだかんだ言いながらも、唯一の友達だったのだ。屈折した感情だが、それが拠り所となっていたために今まで孤独でも耐えられた。

 その拠り所を自ら粉々に壊したため、今のレネはとても不安定な状態なのだ。おまけに試験も失敗している。現在は縋りつくものがなにもなく、溺れそうになっているところだ。

(優しく慰める……、確実に依存するな。厳しく行く……、壊れるかもしれん。話題をそらして笑いを取る……、人間不信になるな。困った、どれを選んでも問題だらけだ)

 そんな風に杜人が頭を抱えて悩んでいると、いつの間にかレネが顔だけ出して怯えが乗った潤んだままの瞳で杜人を見つめていた。何の気なしにレネを見て目があってしまった杜人は、無言でいるわけにも行かないので引きつり気味に笑みを浮かべ、何も気にしていないように明るめに話しかける。

『もう起きたのか。食事にでも行くか?』

 杜人の取った手段は、『何もなかった作戦』である。エルセリアのことや試験のことに触れるのを避け、時間によってある程度心が癒やされるまで待つ、とてつもなく先送りな作戦であった。別名、へたれ作戦とも言う。

 杜人としては良い案が思いつかないのでそれしか取れる手段が無かったのだが、残念ながらこの作戦は当事者同士の了解が無ければ成立しない。そのためレネは無自覚のまま容赦なく切り込んできた。

「ごめんなさい……」

 それだけだったが、震える声に込められたものは膨大なものである。再び半分ほど顔を隠したレネだったが、杜人を見ることだけはやめなかった。そんなレネの様子に、杜人はもはやこれまでと覚悟を決めた。

『うん? 物事ははっきりとな。理由も無くいきなり謝られても、何のことだか分からないぞ?』

 杜人は諭すような口調で優しく問いかける。レネは多少怯えが消えた状態で見つめていたが、小さな声で続きを話し始めた。

「私が……指示を聞かなかったから……」

 試験後の声が責めたように聞こえたレネにとって、杜人はそのことで怒っているはずなのだ。指示通りにしていればうまくいったのにと、無言の声が頭の中に響いている。それに対して杜人は肩を竦めてから頭を掻いた。

『あれはどちらでも良かったから気にすることじゃない。実際あのときは持ち替えても達成できるか分からなかった。むしろ俺はとっさに自分の判断で行動できたレネに感心したぞ』

 半分の真実と半分の嘘を混ぜる。持ち替えていれば杜人も氷針を使えたため、たとえレネが同じ状態でも達成できていたと思っている。だが、あの土壇場でレネが自分で方法を選択したことは間違いとは思っていない。

「……ほんと? 怒って、ないの?」

 杜人は少しだけ顔を出したレネに手をひらひらと振る。

『ああ、良くやったとは思うがな。それに最初に言ったが、今回は肩慣らしだ。レネがひとりで挑んであそこまで行けたのだから、二人で挑める残りの試験は確実に達成できると確信した。だから怒るわけがないだろう』

 レネは確かめるように見つめ、ゆっくりと身を起こした。

『それにたとえ間違った判断だったとしても、止めない時点でそれは俺の判断となる。レネに責任を負わせることじゃない。それに選んだ選択がすべて最善手なんてありえないからな。失敗を何度も繰り返して経験を積み、次の時にその中からまだましな選択をしていくのが生きると言うことだ。それを考えれば次に繋がる分、今回の選択はかなり良かったと思う』

 最後に笑いながら頷く。レネの瞳は潤んだままだが、怯えは消えていた。杜人はそれを確認し、これなら何とかなるだろうと多少無茶な賭けに出た。

『ところで、もう泣くのはお終いか? ぷるぷると震えるレネはとても可愛らしかったのだが。いや待て、これから泣かせれば問題ないのか……』

 杜人は立ち上がると思いっきりわざとらしい明るい声を出し、考えるように顎に手を当て、ちらりとレネに視線を向けるとにやりと笑った。そして実に良い考えだと聞こえるように呟いて、大げさな身振りと共に頷く。それは誰が見ても本気には見えない仕草であった。

 レネは最初いきなりな発言に面食らって目を見開いていたが、やがてわざとらしい仕草で理解が追い付き、最後には頬を膨らませてそっぽを向いた。

「……いじわる」

『ふっ、男はいつだって夢を追いかけるものなのさ……』

 最後に意味不明なことを言って、わざとらしく遠くを見つめる。もちろんそのときには斜め四十五度の構えをしておいた。それを横目で見ていたレネは呆れたようにため息をついている。しかし、その顔には笑みが浮かんでいた。

 それを横目で観察していた杜人は、とりあえず応急処置としてはこれで良さそうだと胸を撫で下ろした。杜人の行った賭けは、レネが依存しないようにしながら立ち直らせることであった。

 杜人への怯えが消えないうちは何をやっても悪いほうに受け取ってしまう。そのため怒っていないことを分かるように言葉を選び、ある程度怯えが消えたところであからさまにふざけていると分かる仕草を加えることによって、以前にふざけ合って楽しんだ記憶を呼び起こすようにしたのだ。

 今回はうまくいったが、レネの気分次第ではどうなるか分からなかったので文字通りの賭けであった。優しい言葉を連ねても元に戻ったのだが、それではレネは杜人の存在に依存して言うことに逆らえなくなる可能性が高かった。

 今のレネは、杜人を信頼することによってひび割れた心を包み込んで守っている。杜人が裏切れば容易に砕けてしまうが、言われたことに逆らえなくなる強い依存よりは良い。後は時間をかけて癒やしていけば、またひとりで立てるようになる。

 エルセリアについては一切触らない。これはお互いが分かっている暗黙の了解だ。杜人にとっても、今必ず解決しなければならないことではないので先送りは賛成である。こじれすぎていて、とても短時間では直せないのだ。

『それでは食事にしようか。腹が減ったとまた泣かれては堪らないからな!』

「ふんだ」

 杜人のからかいにレネは冗談っぽくそっぽを向いた。

(今はこれが精一杯か。後の問題は騒ぎを見ていた者達がどう動くかだな。今のレネはかなり脆くなっているから、本番までに間に合わないかもしれない。……そのときはやるしかないか)

 杜人は一応復活したレネを見つめながら、改めて覚悟を決めたのだった。





 夜、エルセリアは寝台に潜り込んで枕を抱きしめた格好で、レネと同じように泣いていた。エルセリアはあの後、誰かに話し掛けられても何も答えずに、光を失った瞳のまま部屋まで歩いて帰って来た。そして寝台に潜り込んで、寝たり起きたりを繰り返しながら今までずっと泣いていたのだ。

 今まではレネとの仲がこじれている認識はあったが、決定的な一言がなかったのでずっと修復しようと努力してきた。たとえそれが余計にこじらせている原因だったとしても、エルセリアは認識していないので関係ない。

「レネに……嫌われた……、ひぐっ……」

 どちらかと言えば、状態としてはエルセリアのほうが酷いかもしれない。どちらも唯一の友達で心の拠り所だったのだが、レネには杜人が傍にいた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 エルセリアはレネが叫んだ内容をきちんと憶えていた。だからレネが今までどんな思いで接していたのかを理解した。理解してしまった。

 そのためエルセリアの思考は同じところを回り続け、再び立ち上がることができるようになるまでには数日必要とした。その間に訪ねて来た者がレネのことを悪く言うときもあったが、どうでも良い存在が言うことが心に届くことは無い。

 逆にレネを責める者達の様子が不愉快だったため、追い出すこともあった。それが更に誤解を生むことになるのだが、閉じこもったエルセリアの耳に届くまでにはしばらくの時間がかかることになる。こうして火種は消えることなく部外者の無責任な正義によって燃え上がるのだった。





 そして瞬く間に騒動から三日が経過した。

『やはり駄目か……』

 試験終了後、部屋に帰ってきた杜人は机の上に座って頭を掻いた。レネはというと、寝台に頭まで潜り込んで声を押し殺しながら泣いている最中である。

 三日間の防御、回復、補助試験については、最初から捨てているものなので達成できないこと自体は問題ない。問題は思っていたよりあの騒動の周囲に対する影響が大きかったことであった。

 今までレネを意識していなかった者も顔をしかめるようになり、一部の行動的な者が嫌がらせを行うほどの変化があった。これはただ見ただけならば、優等生のエルセリアが慰めてあげたのに勝手にレネが怒鳴り散らして責め立てた挙げ句、部屋から出てこられなくしたという認識になっているからであった。

 もちろん騒ぎの情報が広がるうちに尾ひれがつきまくり、エルセリアの人気もあって今では完全にレネが悪者になっている。そのため誰もがレネに敵意を持った視線を送り、わざとらしく嫌味を言ったり、食堂で足を引っかけたりする者も居た。

 今までなら何を言われても耐えることができていたのだが、心が脆くなっている今は些細なことでも耐えられずに傷ついていく。

 不出来で嗤われ、更に侮蔑は加速する。そのため防御試験はまだ想定通りの結果だったが、回復試験は集中できず失敗が続き、今日の補助試験に至っては魔法陣をまともに構築することすらできなかった。届かなくても初級魔法なら負けないという自負があっただけに、これにはさすがにレネも心が折れて再び寝台で泣くことになったのであった。

 時折部屋の扉が強く殴られたような音が響き、レネはその都度身を震わせる。それを見ている杜人はやるせない思いに深いため息をつく。杜人はこのような集団で弱い個人を攻撃する方法は好きではない。やるならせめて正面から来て欲しいと言いたいところである。

 そのためいつもとは違う平坦な表情で扉を見つめ、今回は周囲との協調よりレネの回復を優先しようと結論を出した。そして無言のまま立ち上がって寝台まで飛び、大きく息を吸い込むと力強い大きな声でレネに呼びかけた。

『レネ! 行くぞ!』

「……どこに?」

 少し間があったが、レネは隙間から目だけを出して震える声で小さく聞いてきた。そんなレネに、杜人は自信みなぎる表情と声で答えた。

『もちろん第四階層だ!』

「う、うん……」

 杜人は無意味にポーズを決めてなぜか窓の外を指差す。どうしてと聞きたいところだったが、逆らう気力はもうどこにもない。そのためレネはのろのろと起き上がって、杜人の言うままに迷宮に向かったのだった。




 そして向けられる視線と侮蔑から逃げるように迷宮まで来たレネは、第四階層まで来た時点でもう気力が尽きかけていた。そんなレネに杜人は元気に声をかける。

『さて、ここに来た目的は簡単だ。気分転換をしようにも外はうるさすぎるから、ここで散歩をしようと言うわけだ。おあつらえ向きなことに、ここには誰も来ないからな』

「……無理、だよ。できないよ……」

 第四階層は第三階層より最大出現数が一体増えるだけなのだが、それが致命傷になることをレネは理解している。そして今は満足に魔法陣を構築することすらできない。心が折れているレネには前に進むことができないのだ。

『なに、心配ない。レネは何もしなくて良いんだ。来い、タマ!』

 杜人の声と同時に普段よりひと回り大きい魔法陣が床に展開し、そこからいつもの三倍は大きいタマが身体を震わせながら飛び出してくる。それを見たレネは一時的に心の痛みを忘れ、口を開けて驚いていた。

『くくく、そんなに驚いてくれるとはレネは本当に分かっているな! これがタマの本来の姿だ。本当は総合試験当日にお披露目して驚かせるつもりだったのだが、このままでは無駄になりそうだったから今見せてやろうと思ってな。さあ、上に乗るのだ。いや、せっかくだから乗せてあげようではないか! ぐふふふふ』

「え、ちょ、待って、待って」

 陽気に振る舞っている杜人は戸惑うレネにタマを近づけ、平べったく変形すると足元を掬い上げて問答無用で上に乗せる。そして元通りに膨らめば、白い特大クッションに座ったレネのできあがりである。

「わぁ、結構高い。それに柔らかくて……」

 そこまで言ってそういえばと思い出したレネは杜人を見つめる。杜人は残念そうに頷くと肩を竦めた。

『うむ、感触は分からないから安心しろ。残念無念だが仕方が無い。では出発進行!』

「え、ちょっとはや……、きゃあぁぁぁ!」

 レネが我に返って傷を思い出す前に、杜人は問答無用でタマを動かし爆走を開始する。そして人が居ない第四階層に、しばらくの間レネの悲鳴が響くことになった。





 やがて緩やかな速度に変わったタマの上で、レネはぐったりと倒れ込んで天井を見上げていた。杜人は速度を出しながら上下にうねりも加えて、遊園地の絶叫遊具並みの恐ろしさを実現することに成功していた。もちろん固定は万全である。

「もう、だめ……」

『くくく、そんなに気に入ってくれるとは嬉しいぞ。また始めようか?』

 杜人は胸を張って得意げにしている。レネは身を起こすと無言で杜人を指で弾いたが、もちろん効果はない。

『ふふふ、そう恥ずかしがるな。おっと、少し待て』

 前方に現れた硬鱗赤蛇に対して、杜人は炸裂氷針を三連射し一瞬で殲滅する。爆走中もこうやって出て来た魔物を一瞬で倒しながら迷宮を突き進んできた。絶叫中はあまり気にならなかったが、落ち着いた今見ると、かなりおかしいと思いながらレネは杜人を見つめる。

『良し、元に戻ったな。また泣き出したら引き戻すために走らなければならないところだった。……もう話をしても大丈夫だな?』

「うん……、心配かけてごめんなさい」

 笑顔の杜人にレネは素直に頭を下げる。ここには誰も居ないので視線に怯える必要も無い。そして袋小路に陥っていた思考は先程までの爆走で断ち切られている。そのためレネの心は不思議な落ち着きを取り戻していた。

『それでは悪いほうから始めよう。良いほうは後のお楽しみだ!』

「あはは……」

 張り切る杜人にレネは小さく拍手をする。それを確認してから、杜人は明るく軽めの声で話し始めた。

『まず、このまま行くと今日より責め方が酷くなるから、間違いなく集中できなくて試験に落ちる。これは良いな?』

「……うん」

 少し俯いて暗い表情になったが、それ以上落ちることなくレネは顔を上げた。

『次に確認だ。俺はレネのなんだった?』

「え? ……頼りになる魔導書、だよ」

 当たり前のことを聞かれたため、少し長く考えて答える。それに杜人は大きく頷く。

『その通りだ。とても頼りになるすばらしい魔導書だ。分かっているじゃないか。では質問だ。良い魔導書を使うのは恥ずべきことか?』

 付け足した杜人に苦笑しながらレネは律儀に答える。

「そんなわけ無いじゃない。どんなに優れた魔導書でも、最後は術者の力が無いとどうにもならない。だからそれは恥じることじゃないよ」

 予想した通りの答えに杜人はにやりと笑う。試験を見ていて、道具におんぶに抱っこしている状態でも誰も何とも思っていないように感じていた。だから杜人は、この世界では道具を使って強くなることは悪いことではないと推測していた。

『それは良かった。では聞くが、今の俺ならどちらの試験も達成できると思わないか?』

「そう、だね。簡単だと思う」

 第四階層の魔物を気にせずに爆走できるのなら、第三階層は余裕である。そして攻撃能力も申し分ない。威力はレネのものより弱いが、先程の速度で連射すればさすがに壊れる。

『つまり、もう試験は合格したも同じということだ! レネは俺の持ち主であり、俺はものすごく頼りになるすばらしすぎる魔導書だ。このまま俺が試験を達成してもそれはレネの功績であり、何も問題は無い。まあ、総合だけは多少レネが動いたほうが良いとは思うが、問題はその程度だな』

「そう、なの、かな?」

 何となく引っかかるので、レネは何度か首を傾げて今の話を考える。間違いは無いが、何となく違うと感覚は訴えている。だが、それが何かは分からないでいた。

 そんなレネに、杜人は説明を付け足す。

『レネが引っかかっているのは、普通の魔導書と違ってレネの意思に関係なく俺が行動できるからだと思うぞ。そのためどうしても自分がやったと感じられないのだろう。だが安心しろ。俺が手を出すのは最後の最後だ。それまではいつも通り、レネが試験に挑む。もう合格が決まったのだから、後は自力でやり遂げたという満足感を得られるかどうかだけだ。そしていつも通りならばまったく問題は無い。どうだ、良い話だろう?』

 杜人はわざと合格は決定事項と繰り返して強調し、レネの気負いを消去するように方向をずらしていく。そして悪い話と良い話が対立しているのだが、良い話を後にすることによって意識をそちらに誘導したのだ。

 いつものレネならこれで騙されてくれるのだが、今日のレネはひと味違った。

「でも、私が駄目になっていたら普通は魔法を使えないよ。さすがにそれは見逃してもらえないと思う。そうなるとモリヒトでも何もできないよね? 私、耐える自信がないよ……」

 騙されないレネに普通のときなら成長を喜ぶところだ。だが今は騙されて欲しかったと杜人は心の中で涙をながす。そして穏便に回復させる手も尽きたので、仕方なく最終手段を発動することになってしまった。

『勘違いしているようだから言うが、レネが耐える必要は何一つとしてない』

「え?」

 力強く断言した杜人をどうしてと首を傾げて見つめる。杜人は上出来な反応に気を引き締め、抑揚を変えながら説明を始めた。

『たとえレネの行動が間違っていたとしても、それを責めることができるのは当事者であるエルセリアだけだ。その他の有象無象にとやかく言う資格なんて無い。だからそいつらの言葉を聞く必要なんてまったく無いんだ』

「そうなの?」

 無意識の領域で都合の良い言葉を求めているレネに、杜人は行動を肯定する理由を与える。

『そうだとも。エルセリアが責めたのならレネはそれに対して何かをする必要があるが、見ていただけの他人が口出しすることではない。だいいち、そいつらが今までレネに何をしてくれた? 何もしていないどころか邪魔をしているだけだろうが。なぜそんな口だけのやつらを気にする必要があるんだ? 他人に迎合して吠えることしかできないやつらの意見なんぞ、そこらのごみより意味の無いものだ。そんなことに意識を割く必要はいっさい無い!』

 そいつらが悪く、レネは悪くないと断言し、今までも無意識に行ってきた心の防衛に明確な理由を与えて強化する。屁理屈だろうが今は関係が無い。当事者が納得できればそれが真実となるのだ。求めていたものを与えられたレネは、胸に手を当てて小さく頷いている。

 杜人が行っているのは扇動の一種である。これによって意識を誘導し、冷静になったときに半分後悔するという評価を築いてきた。実は杜人自身はあまり好きなやり方ではない。ただ、そうしなければ相談された事柄が達成できないから行ってきただけだ。だからその後の評価も受け入れている。

 今回もまた、後で信頼を損なうことを覚悟して行っているのだ。杜人はレネの反応を確認し、最後の仕上げに取り掛かった。

『なぜ他人があそこまでなめた口を開けると思う? それはな、言っても害を受けないと思い込んでいるからだ。忘れるなよ、俺の力はレネの力だ。だから見せつけてやれ。俺とレネとで作り上げた魔法の威力を。二度とふざけたことが言えないようにな!』

 叩き付ける様に強く言い切り、杜人は炸裂氷針をゆっくりと構築して限界まで魔力を注入した。そして近づいてきていた硬鱗赤蛇の集団に狙いを定めると即座にその中心へと魔法を放った。

 本来であれば一体に炸裂して終わるはずの魔法が、過剰に注がれた魔力によってより大規模に膨れ上がる。結果、固まっていたとはいえその一撃だけで集団を葬り去っていた。もはやその威力だけを見れば、中級魔法と比べても遜色ないものになっている。

 ちらりとレネを見ると今回はうまくいったようで、レネの目の奥に暗い炎が宿り、徐々に燃える勢いが増しているのが分かる。杜人は誰もが持つ抑圧への反発心を煽り立て、レネの意識を高揚させたのだ。行き過ぎるとまずいが、今は立ち直らせるほうが優先である。発生するであろう周囲への被害は自業自得として無視することに決めていた。

「そうだね、そうだよね。実害がないと思っているからあんなことができるんだ」

 杜人が放った炸裂氷針を見て、レネは自分ならもっと構成を練り上げて大きな威力を叩きだせると確信した。杜人はそれを理解させるために、あえてゆっくりと構築したのだ。

『そうだ。そして明日の試験は攻撃だ。見せつけるには十分すぎる舞台だな。だからそれまでは良い気分で吠えさせておけ。吠え方が酷いほど、レネに敵対してしまったことに対する衝撃が大きくなる。今度はきっとそいつらがレネからの報復を恐れて震えることになるだろう。だからな、わざとじっくりと見つめて、いかにも顔を憶えましたという風に見せかけておけ。きっと楽しいことになるぞ』

 意地の悪い笑みを浮かべて楽しい復讐を提案し、レネの意識が直接報復することにいかないように誘導する。邪魔なものは排除すれば良いという認識になられても困るのだ。こう言っておけば、これからの罵詈雑言はそれを逆転させるときの楽しみになる。そしてこの程度なら、冷静になったときに恥ずかしさで転げまわる程度で済むのだ。

 レネも杜人の笑みにつられて笑みを浮かべる。さすがにこちらはまだ普通の笑顔だ。

「そうだね。たぶんそんなに長くは無理だとは思うけれど、意趣返しにはなるね。それじゃあ、帰るときから実行しよう」

『そうしろそうしろ。ああ、あと見たときは、意味ありげに少しだけ笑うと効果的だろう。なんせ笑う理由が無いのだから、勝手に後で悩んでくれるだろうさ』

「良いねそれ。ふふっ、こうかな?」

 にこりと笑うレネを見て、杜人も笑顔で駄目出しを行う。

『もう少しさりげないほうが良いな。こう、隠していたけれど抑えきれない喜びが少しだけ漏れ出たような感じで』

「むぅ、難しい」

『楽しみを最大限味わうために必要なことだ。ぜひものにしてくれ!』

 杜人は最初の種火である反発心から少しずつ意識をそらしていき、最終的には面白いから楽しもうという認識に変えていく。そのおかげでレネの心は少しずつ明るくなっていった。そしてそのまま二人とも時間を忘れて稽古に励み、結局夕食に間に合わなくなって成果の披露は次の日に持ち越しになったのであった。

 夜、杜人は微笑みを浮かべて眠るレネに無言で手を合わせて謝ると、月明かりが差し込んでいる窓に飛んでいく。

『さて、この程度なら試験が終われば我に返るだろうな。……まあ、今よりはましだろうから頑張れ。骨は拾ってやる』

 冷静になったときに己のしたことを思い出し、忘れようにも周囲の視線でしばらく忘れられないと分かっているため、違う意味で外に出られなくなるかもしれないと予測している。それでも今よりは良いと確信しているため、行ったこと自体は後悔していない。

『ま、誰もが一度は通る道だ』

 杜人はどこか遠くを見るような瞳を窓の外に向けながら、達観した者のように呟いた。

 こうして少し黒くて危ないレネが杜人の誘導によって一時的に完成した。我に返ったときにどうなるかは、明日の行動に委ねられたのだった。
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