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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第1章 言の葉は紙一重

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第15話 最後の一日

 試験開始前日の朝、どことなくにぎやかな雰囲気となっている食堂で、レネはいつも通りの食事をしていた。本日は基本のスープにパンの耳が入ったものと、玉子焼きの端などの寄せ集めである。

『なんだか雰囲気がいつもと違うな』

「明日から試験だから、今日は授業が無いんだよ。さすがに初級から特級まで準備するのは大変だからだって。中には今回は受けないという人も居るけれど、受けて損をするわけじゃないから半分は受けると思うよ」

 レネが通っているフィーレ魔法学院では昇級試験が年二回行われる。この試験に合格すれば良く、在籍しているから授業に出なければならないという決まりはない。かといってそれを実践できるかというとそんなことはなく、レネも受けられる授業はすべて受けてから筆記のほうを受験して合格している。

 実習系の授業はもう内容についていけないので出る意味はない。知らない人から努力を放棄していると言われたこともあるが、人一倍努力している自覚があるレネは反論することなく受け流していた。

『なるほどな。となると……、やはり面白いな』

 杜人は周囲を観察すると笑って頷いた。食事をしながら本を読む者、何やら呟きながら食べている者、普通の者、踊っている者など、いつもとは違う光景が繰り広げられている。

『こういう雰囲気は大好きだな。レネは苦手なのか?』

「私は静かなほうが好き。うるさいだけで利益が無いから」

 レネは雰囲気に呑まれること無く淡々と答えた。ひとりぼっちが長いレネは誰かと騒いで楽しむ感覚を忘れてしまっているため、単にうるさいという判断になる。エルセリアのこともあり、レネは簡単に心の内側には入り込ませなくなっている。

 そこに飛び込むには杜人のように半ば強引に突入しなければならず、エルセリア以外の人はそこまでして親しくなろうと思っていない。そんな思いを感じ取ったレネの心も硬くなり、排除する動きが大きくなる。そのため余計にひとりぼっちが加速しているのだ。

『そうか。こういうのは好みだからな。それもありだ』

「……ありがと」

 普通にレネを肯定した杜人に小さく呟いて食事を続ける。今までたまに声をかけてきた人も居たが、全員レネの回答を否定してきた。『そんなんじゃ駄目だ』『みんなで騒ぐのも楽しい』。理由は分かるが、レネの思いを否定しているだけだった。だから杜人が単にそうだとしか思っていなくとも、レネにはそれが嬉しいのだ。

『それでは本日の予定を発表する。まず午前中は迷宮に行って第三階層をもう一度踏破してくる。その後にダイル商会に行って補充と無心を行う。余った時間は実習室で軽く流して終了だ。今日は早く寝るからな』

「う……ん? 無心って、何をさせるつもりなの?」

 変な単語を聞きつけてレネはじとっとした目を杜人に向けた。杜人はといえば、分かってないなという風に肩を竦める。

『総合試験で持っていく魔法薬だ。安いのでもあるとないとでは気分がまったく違う。特に疲労回復は重要だぞ。買える金があるならしなくても良いが……』

「ううっ……」

 今度は杜人に『必要ないのか?』という目で見られたレネが耐えられずに目をそらした。言われてみればその通りなので、要らないと言える状況ではないことを理解したためだ。もちろん余分な金はいっさい無い。

「でも、大丈夫かな」

『無理なら利益分を前借りしても良い。どうやっても借りを作ることになるが、そんなに無茶は言わないだろう』

 ダイルの見た目は悪徳商人だが、本当にそうならあそこまで繁盛はしない。むしろ誠実だからこそあの容姿を笑いのネタに使えると杜人は判断していた。

『とにかく、隠さないで正直に言えばそれで良い。腹芸をしたところで見抜かれて不愉快にさせるだけだ』

「そうだね。分かった」

 いくつもの修羅場を潜り抜けてきた大商人に、対人関係がほぼ全滅しているレネが敵うわけがない。できるのは特攻一本だけである。それが分かっているからレネも素直に頷いた。

 こうして試験前の最後の一日は始まった。






『ほぼ良さそうだな。これならなんとかなるんじゃないか?』

「そうだね。後はどれだけ外さないようにできるか、かな」

 レネは順調に第三階層を攻略し、もう少しで大広間まで辿り着くところまで来ていた。さすがに二度目なので昨日よりは落ち着いて対処でき、進行速度も速くなっている。疲労もあるが、昨日よりは酷くない。そのため、ある程度の自信は付いてきていた。

 実はレネが慣れたというより杜人が殲滅速度を心持ち上げ安心感を増加させたからなのだが、その種を教えるつもりは杜人には無かった。こういう思い込みは意外と大切なのである。

 そんな少し緊張が緩んだ雰囲気の中で後方に光が発生したのが分かったレネは、素早く気持ちを切り替えて後ろを振り向いた。

『げ……』

「……」

 そこには三歩ほど離れた床に描かれた魔法陣から三体の硬鱗赤蛇が出現しかけている光景が広がっていて、三体とも既にレネの存在を感知して牙をむき出しにしていた。それを見たレネはあまりの近さに声も出せずに固まっている。

『さっさと逃げろ! 走れ、走れ! 全速力だ!』

「あ、あひゅ!」

 レネは杜人の怒声で硬直が解け、変な声をあげながら身体を翻して走り始めた。さすがにこんなに近くでは杜人も余裕ではいられない。即座にタマを突撃させると、三体同時に取り込んで時間稼ぎを行った。これをレネに攻撃させるつもりは無い。今の慌てているレネの精神状態ではほぼ確実に失敗するからだ。だから今回は逃げの一手である。

『なんと速い逃げ足だ……』

 そんなに体力の無いように見えるレネだったが、杜人が目を見張る素晴らしい速度で走り続ける。そして最後まで止まらずに走り抜けた結果、追いつかれることなくなんとか安全圏である第四階層まで辿り着くことに成功した。その頃でも最初の頃と変わらない速度だったが、さすがに息はきれぎれになっていた。

「……もう、むり」

 レネは広間でへたり込み、肩で息をしながら俯いている。

『最後でこれとは……、良し、良いほうに考えよう。滅多に起きないのだから、試験中はもう大丈夫だろう。良かったな!』

「……そう、だね」

 杜人の言うことは無理矢理な理屈だったが、そう考えないとやっていられないためにレネもそう思うことにした。運が悪いと思うよりよほど精神的に良いのだ。少し前にも同様のことがあったが、それを気にしてはお終いと分かっているので考えないようにしている。

 杜人はレネの身体能力の高さに驚いていたが、本人が気にしていないようなのでこの程度は普通のことなのだろうと判断し、今は放置することにした。

『一応これで総合試験の目処が付いたからなんとかなるだろう。遅めだが昼食にしようか』

「う、ん。……もう少し、休ませて」

 急激な運動で足が震えて立てないレネは呼吸を整えながら汗をぬぐう。そんな疲れきったレネを、これもまた良しと杜人は頷きながらじっくりと鑑賞していた。その視線に気が付いても、この程度なら良いやと思ってしまうレネは既に杜人に毒され始めているのだが、おそらくそれに気が付くことはないだろう。

 こうして午前中は一応無事予定を消化することができた。





 昼食後に今度はダイル商会に来たレネは、さすがに無心に来ましたとは言えないのでどうしようかと困っていた。

『受付に行って事情を話せば良いようにしてくれるだろうさ。駄目なら仕方がないから諦めよう』

「それしかないかなぁ……。仕方ないか」

 いつまでも迷っていても仕方がないので覚悟を決め、受付まで移動する。受付のリュトナはいつも通りの柔らかい笑みでレネを迎えてくれたため、レネも若干安心することができた。

「いらっしゃいませレネ様。今日もいつも通りでよろしいでしょうか」

「はい。それとひとつお願いがあります」

 それでも多少緊張して話すレネに、リュトナは安心させるように微笑んで続きを促した。

「実は、明日から行われる試験で使う魔法薬を何個か譲って頂けないかと思いまして……。お金もないので分配金の前借りでも良いのです。一番安いので構いませんから、なんとかならないでしょうか」

 金が無いけど欲しいと言えるほどの関係ではないと思っているので、レネの緊張はかなり大きい。手の平にも汗がにじんできたことを自覚して、より緊張が強くなっていった。

「分かりました。それについては後ほど確認いたします。どうぞこちらへ」

「あ、はい」

『ふむむ?』

 ところが予想していたような困惑も無くリュトナは微笑んだまま話を進め、同僚に書類を渡してからいつも通り案内のために歩き始めた。その変わらない様子にレネと杜人は拍子抜けしたまま付いていくことになった。

 そして取り込みが終わってから案内されたのが、以前にも来た商会長であるダイルが居る部屋であった。

「種類を用意いたしましたので、必要なものをお取りください」

『何というか、さすがだな』

 テーブルの上に並べられた瓶を指し示しながらダイルはにやりと笑う。どう見ても悪だくみをしているようにしか見えないが、今回疑って困るのはレネのほうである。

「あのう、お願いした私が言うのも変なことなのですが、良いのですか?」

 レネの感覚ではこんなことはありえないので、念のため確認する。杜人にも正直にと言われているので、下手に穿った考えはしないことにしている。

「構いませんよ。これで恩を感じない人なら別ですが、そうではないでしょう? 実は商人が取り扱うものは形があるものだけではないのですよ」

『確かに。ただより高いものはないからな。まあ、予想の範囲内だから良いと思うぞ』

「分かりました。お言葉に甘えます」

 ぐふふと笑うダイルはまさしく悪人である。杜人も賛成したためにレネは礼を言って必要なものを鞄に収めた。

 ダイルもレネが商人ならわざわざ理由を正直に言ったりはしないが、今のレネは世間を知らないただの少女である。隠すことで心証が悪くなると判断しているため、この程度なら正直に話すことに決めていた。

 ダイルは余った瓶を片付けると、今度は床に置いてあった箱から長い木製の杖を取り出してテーブルに置いた。

「さて、話は変わりますが、こういったものは大丈夫かの確認です。とある工房で製作された魔法具なのですが、失敗作なのですよ。結構頑丈で、下手に壊すと大変なことになったりするのでこのまま始末したいのです」

『ふむ、これなら大丈夫だな。というより、かなり良いものだぞ』

「……大丈夫ですけど、良いのですか? かなり高価なものだと思いますが」

 レネの目にもこの杖が安物ではないことはひと目で分かった。レネの身長より頭ふたつ分もある長く捻れた木製の杖である。先端は一筆書きの要領で編みこまれたレネの頭より大きな球形になっていて、その中には大きく透明な結晶体が中央に固定されていた。この結晶体だけでもひと財産になることは確実である。

「ええ、確かに目玉が飛び出るほど高価なものなのですが、使えないものはごみと一緒ですからな。実はこれ、名前を『星天の杖』と言いまして、使用した魔法を自動で解析して二十倍の威力に増幅、発動させる杖としてとある貴族が特注したものだったのです」

「凄いですね」

『それは凄いな』

 レネが使えば初級でも二十倍になり、余裕で試験を達成できるほどの杖だ。買えるなら買いたい性能である。

「ところが製作途中で術式を間違えたらしく、魔法を解析し同じものを二十個作り出す杖になってしまいました。消費魔力も通常使うより五倍ほど必要で、個数も選択できないので都合一度に必要な魔力は約百倍になります。しかも魔導書と違って単純に複製するだけなので、個別に制御しようとしてもできません。もちろん魔力が足りないと魔力だけ消費した挙げ句発動すらしません。つまり、誰もまともに使いこなせないのです」

 ダイルは困ったものだと肩を竦める。

『おおう、確かに役立たずだ……』

「あははは……」

 話を聞いた杜人とレネは引きつり気味の笑みを浮かべて杖を見ることになった。たとえ初級でも一度に百倍もかかれば普通の魔法使いは倒れてしまう。しかも威力は初級魔法を二十発分である。これなら上級魔法一発のほうが遥かに勝っている。

 エルセリアならなんとか使えそうだが、それでも魔法書や専用の魔法具を使ったほうがよほど良い。結果として使用者が限定され、しかもその使用者も使う意味がまるで無い魔法具となってしまったのがこの杖だった。

「希少な素材とかなりの資金を注ぎ込んでできたものがこれだったので、貴族の怒りを恐れた工房から仲介を頼まれて手に入れたものです。保管するにも注意を払わねばならず、廃棄するにも大金がかかる。このまま迷宮に捨てれば確実に魔物になるでしょうから論外。それならレネ様の役に立ったほうが良いのですよ」

 好事家に売る選択もあるが、原価に届くかも不明であり何かあったら責任問題になる。売れればどうでも良いという商売はダイルはできるだけ行わないことにしている。そしてこの程度で恩を売れるのならば、捨て値でどうにかするより後の利益になると判断していた。

『力そのものは大きいから、それだけは役に立つな。選んでいられる状況でもなし、ありがたくもらっておこう。魔導書を上にかざしてくれ』

「分かりました。それでは頂戴いたします」

 レネは頷くと魔導書を取り出して言われた通りに杖の上にかざす。

『ええと、これだな。魔法具収蔵』

 杜人が杖を指差すと、魔導書から光の帯が飛び出して杖に絡みついた。そして完全に包み込んだ光の帯が輝き始めると杖はゆっくりと縮み始め、最後には魔導書より小さくなってそのまま吸い込まれていく。

「おおー」

「凄いですな」

『持ち主が驚いてどうする。まったく……』

 杜人はダイルと一緒に驚いてるレネに苦笑しながら杖を完全に取り込んだ。こうしてレネは午後の用事も無事に終えることができたのだった。





 そして、すべてを終えたら後は寝るだけである。レネは寝台に寝転がりながら机の杜人に声をかける。

「そっちはどんな感じ?」

『大幅に力が増したぞ。それでも星天の杖は消費が大きすぎて使えないがな。後で改造してみるが、あまり期待はするな』

「それは分かっているから大丈夫」

 レネは枕に顔を埋めながら微笑む。しばらく静かな時間が過ぎてから、レネがポツリと呟いた。

「……ありがとう」

『どういたしまして、だ。もう寝ろ、おやすみ』

「うん、おやすみなさい」

 ぶっきらぼうな杜人の返事に再び微笑み、レネは安心して静かに目を閉じた。





 レネが眠った後で、杜人はいつも通り魔導書の中に入って作業を行っている。現時点でも必ず合格できるとは限らないため、できることはしておくつもりなのである。

『もう少しだったんだがな……、予定外のことだから良いことにしよう』

 星天の杖を手に入れたことによって、魔導書の力は大幅に増強されていた。修復のほうもはかどり、もう少し力があれば強制的に第一章の封印を解けるところまで来ていた。

『しかし、品質は良いんだよな。現状で複製しても劣化しないなんてたいしたものだ』

 星天の杖を調査しながら呟く。そして手に入れることができた幸運に笑みを浮かべた。

『さて、どうやれば使いやすくなるものやら……。とりあえず干渉できるようにしないとな』

 万が一を考えて、しかし使える力は限られているので最低限は使えるようにと調整を行うのであった。




 一方その頃。

「レネ……また……すぅ……」

 エルセリアは微笑みながら幸せに包まれていた。




 こうして試験前日の夜は、波乱も無く静かに過ぎていった。
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