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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第1章 言の葉は紙一重

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第14話 這い寄る恐怖

 本日の午前中は臨時司書の仕事があるので、レネは本に囲まれながらいつも通りの静かな時間を過ごしていた。何も無ければ幸せを感じる時間なのだが、今のレネには残念ながら幸せを感じる余裕があまりなかった。

「ねえ、そろそろ第三階層に挑まないと駄目なんじゃないかな」

 レネは少し不安そうに杜人に話しかけた。昨日までの練習では、第三階層の入口までは到達していたがその奥には行かずに第二階層で練習を行っていた。総合の試験は第三階層で行われるので、少しは慣れておきたいと思ったのだ。だいぶ新しい魔法にも慣れたので、今なら大丈夫ではないかという思いもある。

『そうだな……、さすがにぶっつけ本番はまずいか。良し、それでは今日は第三階層に挑んでみるか』

「良かった。今まで行かせてくれなかったから断られるかと思った」

 レネはほっとしながら笑顔を見せた。

『一応理由はあるんだぞ。聞きたいか?』

「……おしえてほしいなー」

 聞いてくれと言わんばかりに胸を張る杜人に対して、レネは仕方が無いなぁというように小さく微笑み、わざと棒読みの返事をする。これは杜人の果敢な挑戦によって、レネも冗談を返せるくらいに親しみを感じていたからできることだった。

 そんなレネに杜人は鷹揚に頷き、髪を撫で付ける仕草をしてから説明を開始した。

『仕方が無い。どれだけ俺がレネのことを考えていたかを教えよう。まず第三階層から硬鱗赤蛇という新たな魔物が出てくるのは知っていると思う。集団を形成する数は第二階層と変わらないが、硬鱗赤蛇は素早いので白珠のように追いつかれたら逃げるという選択を取りにくい。これは理解しているな?』

「うん、だから不安なんだけど……」

 その辺りの情報はレネが杜人に教えたのだから当然理解している。ただ、素早いと知っていても実際どの程度なのかは分からないから、対処できるか不安があるのだ。

『うむ、そこをなんとかするために対処方法を考え、レネが眠っているときに寝る間も惜しんで懸命に頑張った結果、ついこの間なんとか形にすることができたのだ!』

「あ、そうなんだ。私のために……って、モリヒトは眠る必要があるの?」

 少しだけ感動したレネだったが、ふと魔導書の意思である杜人が眠らなければならないのかと疑問を持った。そのためこてんと首を傾げる。もちろん杜人は自信を持ってそれに答えた。

『無い! ……そんな目で見られたら恥ずかしいじゃないか。なに、場を和ませるためのちょっとした冗談だ』

 じとっとした目になったレネに手を振りながら杜人は笑顔を向ける。レネはそんな杜人に指を弾きながら無言のまま続きを促す。

『ええと、そうだ、現状のまま第三階層に行った場合、おそらくレネが間に合うのはぎりぎり二体目までだと思われる。つまり、三体出てきた場合は間違いなく咬みつかれて負傷する。足を咬まれれば移動速度も遅くなるし、痛みによって魔法の発動も難しくなる。だから今までは行かせなかった。ここまでは良いか?』

「そう……だね。怪我をすればその後の練習にも支障が出たかもしれなかったし、そう言われればそうかも。けれど、どうして理由を説明してくれなかったの?」

 レネは少しだけ膨れ気味に尋ねる。そんなレネに向かって杜人は指を一本立てるとその腕を天に伸ばし、もう一方は握りこぶしを作って前に突き出した。

『決まっている。男には守らねばならない誇りがあるからだ! 自分の力が劣っているから駄目ですなんて、男同士ならともかく守るべき女性に対して口が裂けても言えるわけが無い。分かったか!』

「う、うん。大変だね……。今はそういうことを言っても良いの?」

 杜人の無意味な勢いに押され気味のレネだったが、冷静な部分が疑問を投げかけた。それを聞いた杜人は顔の前で指を振り、首をゆっくり横に動かした。

『既にそれは過去のお話。もはやひ弱な頃の俺ではないのだ。たとえ今すぐ行ったとしても、必ずやその艶やかでなめらかなお肌に傷をひとつたりともつけないと約束しよう! どうだ、俺はこんなにレネのことを考えているんだぞ』

 レネは杜人の力強い宣言でいつぞやの朝を思い出し、真っ赤になりながら照れ隠しに杜人に向けて指を弾いた。

「どうしていつもそうなのかな。ほんと、良い言葉も台無しだよ……」

『気にするな。これが俺だ』

 胸を張る杜人に、レネは深いため息をついた。

 行かせなかった本当の理由は早めに挑戦して負傷した場合、レネの心に後ろ向きな考えが生まれる可能性が高いと判断したためだ。試験までの時間が決まっている今、心の傷を治している時間はもちろん無い。そのためきちんと力が付くまで行くことを許可しなかったのだ。

 これを正直に言わなければならない理由は無く、むしろ言うと悪くなる可能性があったため、杜人はレネに責任が及ばない適当な理由をでっち上げたのだ。その結果レネの気持ちは上向いて、なんだかんだ言いながらも良い笑顔になっている。杜人はそれを確認すると作戦の成功に小さく頷いた。

『納得したところで仕事を再開しようか。給料分は働かないとな』

「はぁ……。そうだね、とりあえずやるべきことをやってしまおう」

 ふざけたことを言った口で正論を言われたレネは、またもやため息をつきながらも笑顔で司書の仕事を再開するのであった。






 午後になり、レネは昼食を食べてダイル商会に立ち寄ってから迷宮の第三階層に降り立った。この階層も利益が少ない割に硬鱗赤蛇のような素早い魔物がいるので、相変わらず他の探索者は見受けられない。

『それではこの階層を踏破するための方法を説明しよう』

 杜人が床を指差すと、そこに大きめの魔法陣が出現し即座に発動する。するとそこから半透明の白珠粘液が下から持ち上げられているようにゆっくりと出現した。

「……白珠? けれどふた回りくらい大きいし、色も綺麗だね。上に乗れそう」

『ふふふ、お褒め頂き光栄の至りに存じます。しかし、見た目だけではありませぬ』

 何故か畏まって頭を下げる。そして杜人は得意げな顔で召喚した白珠粘液を動かし始めた。動き始めた白珠粘液は見た目の鈍重さとは違い、駆け足より少し速く広間を縦横に移動し続けた。曲がる時も慣性を無視したように減速することなく直角に曲がっている。そのため実際の速度より速く動いているように感じられる。

「おおおー、速い!」

『ふふふふふ。この通り、普通の白珠と違ってかなりの速度で移動可能なため、硬鱗赤蛇も簡単に捕まえることができるはずだ。さすがにこれ以上の速さなら人数がいても簡単に通過できるはずがないからな』

 驚くレネの様子を見て、杜人は誇らしげに胸をそらす。そして動かしていた白珠粘液をレネの前まで移動させ、停止する。

『もちろん欠点はある。今は一体しか出せないし、自律行動はできないから俺が操作しなければならない。出していると魔力を常に消費するから、その分レネの魔法に制限がかかる。と言っても、この階層では威力より命中精度が重要だから気にするほどではないがな。ちなみに名前はタマだ』

「そうなんだ。……触っても良い?」

 レネは両手の指を動かしながら目の前のタマを見つめている。タマの見た目はぷよぷよしていて、思わず抱きつきたくなるかわいさがあった。

『良いぞ。取り込む対象は選別できるから安心して触ってくれ』

「それではさっそく……、わぁ、ぷにぷにだ……、それにひんやりしてる。良いなぁ、この感触」

 最初は指先で、次に手の平で撫で回し、最後は抱きつくようにして感触を堪能している。ほどよい弾力を持つ感触にうっとりとしながら頬ずりする勢いである。

『ううむ、やはり感触はほとんど無いな。つまらん、うまく行けば堪能できると思ったのだがな……』

「うん? 感触?」

 杜人の呟きを聞いたレネは最初きょとんとしていたが、やがて意味を理解して勢いよくタマから身体を離した。そして真っ赤な顔で空中にいる杜人に往復びんたを行うが、もちろん効果はまったくない。

『心配しなくてもほとんど分からないから安心してくれ。分かるのはなにかが触れている程度で、柔らかいとか温かいとかの喜ばしい感触はまったく分からん。困ったものだ』

 困っているのはこっちだと言わんばかりにレネは拳を握りしめ、涙目で杜人を睨み付けた。杜人はそんなレネに手をひらひらと動かして強引に話題を進める。

『運用方法に移るぞ。最大三体の場合、まずレネが先制攻撃で一体を撃破する。次にタマを動かして、先行して動いたほうを捕らえる。そして最後の一体をレネが再度攻撃して仕留めるという流れだ。外した場合はタマが戻るまで頑張って避ける。慌てなければ大丈夫だから安心してくれ』

「はぁ……、分かった。外さないことを一番に考える」

 杜人が真面目な口調で説明に入ったため、レネは少しだけ葛藤してから握りしめた拳を開いて深くため息をついた。よく考えたらいつものことだと変な納得をし、自ら抱きついたのだし感触も分からないとのことなので深く考えないことにした。そう考えること自体が既に杜人の思惑通りなのだが、そこまで考えは至らない。

 杜人はレネを観察しながら、なんとか話をそらせたことに安堵していた。無駄な緊張感を解く意味があったのだが、今回は少しやり過ぎたと反省し、次はもう少しまろやかな方法を用いようと思っていたりする。根本的な部分にずれがあるのだが、それを分かっていても気にするような思考は持ち合わせていない。

『先制できない時は一度逃げろ。タマで引きつけて数を減らすから、合図があったら止まって攻撃すれば良い。その時にあまり遠くに行くと別の集団に当たる場合があるから気を付ける必要がある。その時は引き返して突破することにしよう』

「……油断大敵だね」

 レネは思ったより大変だと理解し、頭の中で言われたことを想像してうまくできるように行うべき行動を考える。それができたところで、遂に第三階層の奥へと第一歩を踏み出していった。





「……いた」

 通路の先に硬鱗赤蛇二体と白珠粘液一体の混成集団を発見し、レネは有効距離まで近づくと炸裂氷針の発動準備に入った。しかし、第二階層と同じ距離を保っていたのだが、魔法陣が浮かび上がると同時に硬鱗赤蛇がレネに気付き先制する前に既に動き始めていた。移動速度は早足程度だが近寄られているレネにはもっと速く感じられた。蛇が己に向けて素早く這い寄る光景は、レネの心に恐慌を簡単に引き起こす。

『そのまま近くの奴に撃て!』

 動揺して魔法陣を霧散させそうになったレネに杜人は強めに指示を出し、射線を塞がないようにタマを突撃させる。指示されたおかげでレネはなんとか恐怖を抑え込み、時間はかかったが無事発動できた。

「炸裂氷針!」

 発動と同時に一番近い硬鱗赤蛇が吹き飛び、近づいていたもう一体は杜人操るタマによって捕食されていた。ほっと息をはいたレネは、落ち着いて残りの白珠粘液を吹き飛ばすと周囲を確認してからやっと身体の力を抜くことができた。

『どうやら硬鱗赤蛇は白珠より感知範囲が広いようだな。魔法陣が浮かんでから動き始めたから、おそらく魔法の気配を探知しているのだろう。こうなると感知範囲はかなり広いと思ったほうが良いな』

 杜人は腕組みをしながら先程の戦闘を思い出し、検討をし始めた。その様子は落ち着いたもので、特に問題があったようには見えない。その片手間にタマを動かして魔石の回収も忘れずに行っている。

「……どうしよう、間に合わないよ。それに蛇はやっぱり怖い」

 そんな杜人とは対照的に、危機が去ったことで再び恐怖が表に現れたレネは俯いて呟く。杜人の指示が無ければ魔法の構築に失敗していた自覚があるので、今まで積み上げてきた自信が大きく揺らいでいるのだ。そして蛇を見ると震えが走り、近寄られると恐怖が増すことが分かった。生理的な嫌悪や恐怖は理屈ではどうにもならないので、これでは近寄られたら集中できないことになる。

 そんなレネの不安を吹き飛ばすように、杜人は自信を持って対案を示す。

『それは特に問題無い。準備段階で気付かれるならその分距離を取れば良いだけだ。こちらから近づかなくても向こうから寄って来るのだから、気付かれないように動かなくても良い分こっちのほうが楽だぞ? 近くに来なければ怖くないだろうしな』

「……でも、三体いたらやっぱり間に合わないよ?」

 こういうところは冷静に判断できてしまうので、レネの不安は解消されない。杜人はと言えば、指を顔の前で振ってそれを否定した。

『それも問題無い。あらかじめタマを側面から突撃させれば注意がそちらに向くから、魔法の発動を感知してもレネまで来る時間はその分遅くなる。これは実際にやってみないと実感できないだろうから、出てきたら試してみよう』

「う……ん、分かった」

 まだ不安が残るレネだったが、杜人がまったく問題にしていないため気持ちを飲みこんで頷く。そんな状態でゆっくりと移動を開始したわけだが、なかなか硬鱗赤蛇三体の集団には遭遇せずに、その他の組み合わせを何度か距離を離して倒すことに成功した。

 そのおかげでレネはだいぶ落ち着きを取り戻すことができたわけだが、まだ心の底には不安が渦巻いていた。そして、遂に硬鱗赤蛇三体の集団に遭遇することになった。

『この距離ならそんなに緊張しなくても大丈夫だぞ?』

「うん、うん……」

 レネは間に合わずに噛みつかれるかもという推測からがちがちに緊張している。杜人が優しく声をかけても緊張がほぐれる様子はない。そのため百聞は一見にしかずということで、杜人は構わず作戦を実行することにした。

『では行くぞ。レネは合図してから魔法を構築し始めれば大丈夫だ。ふふふ、今こそ俺の実力を見せつけてやろう! ……惚れるなよ?』

 杜人はきらりと音が聞こえそうなポーズを決めるが、残念ながらレネは硬鱗赤蛇に視線を向けたまま、まったく反応しなかった。

『くっ、ぼけ殺しとは高度な技を。……駄目だな、保険をかけてさっさと決めるか』

 緊張で聞こえていないと分かったので、杜人は肩を竦めてタマを迂回させながら動かした。この場所から遠ざかる位置に引きつけて、距離を稼ぐのが目的である。動かす際は、硬鱗赤蛇の位置を考えながら速度と位置取りをしていった。

「……っ!」

『やはりか……』

 ところが、近づいたことによってタマに対して動き始めた硬鱗赤蛇を見たレネは、この時点で慌てて魔法を構築し始めてしまった。それによって魔法を感知した硬鱗赤蛇は、一斉に向きを変えてレネに向かい始めた。

 杜人はと言えばこの事態を予測していたため、慌てずにタマを加速してまずは一体を捕食する。そしてすぐさまレネに向かった二体を追いかけ始めた。

 硬鱗赤蛇が一斉に向かって来たのを認識したレネは、失敗を自覚したために余計に慌てることになり、魔法陣の構築に手間取ってなかなか発動まで至らない。それどころか浮かび上がった魔法陣は不安定に明滅を繰り返し、遂に弾ける様に消滅してしまった。すぐにもう一度構築しようと試みたが、少し浮かび上がるだけで消滅してしまう。

「ひぅ……」

 そして一番近くにいた硬鱗赤蛇が目の前まで到達し、飛び上がって攻撃してきたところで強く目を瞑って身体を硬直させる。しかし、いつまでも何も無いのでそろそろと目を開けると、そこには三体の硬鱗赤蛇を取り込んだタマが、中で暴れる硬鱗赤蛇を消化しながらうねっていた。

 それを認識したレネは緊張が解けると同時に足の力が抜けて座り込んでしまった。呆然とタマを見つめるレネに、今まで黙っていた杜人が声をかけた。

『レネ、遠くに移動させるからタマに炸裂氷針を打ち込め。さすがに今のタマでは三体同時は無理だ。消化する前に食い破られる』

「あ、うん……」

 まったく慌てていない杜人のおかげで、レネもなんとか冷静さを取り戻すことができた。そしてタマが遠くに移動しているうちに深呼吸を行い心を落ち着かせ、言われた通りタマごと吹き飛ばすことに成功した。

『このように、たとえ失敗しても十分対処は可能だ。ふっ、褒めてくれて構わんのだよ?』

 杜人は先程と同じようにポーズを決める。ふざけている間もきちんとタマの再召喚を行い、不測の事態に備えているので本気で言っているわけではない。ここでレネの行動に変な癖がつくと困るので、さっきの失敗程度ならまったく問題ではないと思わせるためだ。

「……最初に言ってくれれば良かったのに」

 少しだけ恨めし気にレネは言い、拗ねたように口をとがらせる。

『言ったら恐怖にぷるぷると震える可愛らしいレネを堪能できな……、まあまて、場を和ませるための冗談だ。言わなかったのは、言葉だけでは安心できないから試そうということだったからだ。実体験に勝るものは無いから、これでだいぶ安心感が増したはずだぞ。現に今はそんなに怖くないだろう。それとも先に話を聞いて、攻撃しないで我慢していたほうが良かったか?』

「うぐっ、……いじわる」

 冗談の続きに無言で拳を振り上げたレネを見た杜人は、もう大丈夫そうだと話を元に戻す。まだ頬を膨らませていたレネだったが、そのほうが良かったとは言えないので唸りながらもそれを受け入れるしかなかった。

『納得したところで練習再開だ。言った通り、レネの肌には傷ひとつ付ける気はないから安心しろ。……まあ、あれだ、恐怖に震える姿もかわいかったから恥ずかしがることは無いぞ。むしろもっと見たい』

 にやりと笑う杜人を見て、レネは頬を赤らめながら無言で指を弾いたが、いつも通り効果はない。

「ふんだ、もうあんなことには絶対にならないから!」

『それは良かった。それではさっそく見せてもらおうかな』

「……え?」

 レネの後ろを杜人は笑顔で指差し、レネは不思議そうに振り向いた。そこには一体の硬鱗赤蛇が間近まで這い寄って来ているところだった。

「あ……、あっ、あぅ」

『ふふふふふ、実に良い。癖になりそうだ』

 いきなりのことで目を見開いて硬直するレネの表情を堪能しながら、杜人はタマを向かわせて軽々と捕食した。

『それで、なんだったかな?』

「……いじわる」

 得意げに胸を張る杜人に、レネはいじけたように呟いたのだった。





 そんなことを繰り返しながら先へ進み、レネは遂に第四階層手前の大きな広間まで到達することができた。広間は通路の五倍程度の半径がある円形の部屋で、閉ざされた空間とは思えない解放感がある。壁面には所々に輝く球形の結晶がはめ込まれていて、内部を更に明るく照らしている。

 ここまで来れば、もう第四階層の入口は目と鼻の先である。とはいっても気を張ってきたレネの疲労は相当なものであり、杜人にもだいぶ助けられて来たため到達できた達成感はあまりなかった。

「タマをもう少し早く動かせないかな。そうすればだいぶ気分が違うんだけど……」

『さすがにそこまでは強化できていない。油断しなければ対処はできると分かったのだから、今は我慢してくれ』

 レネが言っているのは、失敗した時の回避が常にぎりぎりだったことについてだ。今のところは間に合っているが、これでは間違いがあると間に合わない可能性があった。繰り返したことによってだいぶ慣れてきたとはいえ、怖いことに変わりはない。

 実は杜人はわざとぎりぎりに助けている。これはレネに対処できるという自信を持たせ、恐怖に対する耐性をつけるためだ。こうしておけば、しっかりしないと怖い目に遭うと理屈ではなく感覚で理解するので、結果的に恐怖を抑え込みやすくなるのだ。さすがに対処不能な近さではまだ駄目だが、結構繰り返したので今ではある程度近寄られても処理できるようになっていた。

『それにしてもずいぶん大きくて変な部屋だな。壁にある結晶は売れば一財産になりそうだし、入口と出口には落とし格子がある。こんなものは今まで無かったが、いったい何の部屋なんだ?』

「迷宮にはたまにこういう部屋があるんだけれど、極稀に閉じ込められてこの場所に出現する魔物と戦うはめになるんだって。少し深い階層の魔物が出てくるから、浅い階層ならともかく深い階層だと生きて帰れないって書いてあったよ。それと、あの結晶は外れないし、硬いから欠片も採取できないよ」

 結構不吉な情報に対して、特に気にせずにレネは解説する。

『ぬぅ、それは残念。……浅いと大丈夫なのか?』

「もちろん少人数なら無理だよ。でもここなら出てくる魔物もあまり強くないし、普通は人数も居るし一斉に出現するわけじゃないからなんとかなるみたい。法則性も分からないし、忘れた頃に発生するくらい稀だから気にしても仕方が無いんだって。油断して他の罠で死んだり、魔物に殺されるほうが確率としては高いから、深い階層で閉じ込められたら運が悪かったと思ったほうが楽らしいよ」

『……確かにそうなんだが、閉じ込められた者にとっては意味が無い情報だな。脱出方法とかは無いのか?』

 あっさりと言うレネに、気にならないのだろうかと疑問に思いながら尋ねる。

「確か出現する中に一番強い個体が居るから、それを倒せば良いはずだよ。けれど大抵最後まで生き残るから一番強いのを倒せば良いのか、全滅させれば良いのかは確実には分からないんだって」

『なるほど。それなら少人数では無理だな』

 個体狙いにするとその他が増殖してしまうし、狙わないと長引いて力尽きる。少なくとも攻守交替が連続してできる人数以下では厳しいと杜人は判断した。

『今まで少人数の撃破記録はないのか?』

「かなり昔だけれどあるよ。『無影』とか、『双剣の舞姫』とか、物語になるくらいすごい人たちだけれどね。浅い階層でも単独撃破できれば二つ名がつくかもしれないくらいの難しさなんだよ」

 レネは物語の該当する箇所を思い出して少しだけうっとりとしている。盛り上がる場面なので、気分も高揚するのだ。

『……なるほど。とにかく大変だということは分かった。当たらなければ良いな』

 杜人は様々な想いを込めて頷いた。物語ではありがちだが、実際に二つ名で呼ばれたらと思うと恥ずかしさで外に出たくなくなりそうである。だが、違う価値観で生きる世界ならそれが普通の可能性もあるので、その想いは胸の中にしまっておいた。

 そんな杜人にレネは楽しそうに微笑んだ。

「意外とそういうことを気にするんだね。今まで試験中に起きたことは一度も無いから大丈夫だと思う。それよりも本番でもきちんと到達できるかが問題だよ……」

 話しているうちに現実を思い出してしまい、最後は力なく笑いながら肩を落とす。今回もここまで到達するのにかなり危ない目に遭ってきた。本番では気負いが入る分、発動に失敗する確率が高いと思っている。本番に弱いことは自覚済みなので不安も大きい。

『総合試験は俺も居るから大丈夫だ。間違えても挽回できるさ。どちらかと言うと、手を出しすぎて判定で不合格にならないか不安だぞ。だから、なるべくレネが倒すようにしないとな。大丈夫だとは思うが、不安要素は排除したほうが良いからな』

「それは分かっているけど、やっぱりもう少し早く来たかったな……」

 疲れて集中ができにくくなっている現状では、本番でどこまでもつか見当もつかない。ある程度の慣れが必要なのだが、もう日数もないのでどうにもならない。そして急激に腕が上がった現在でも四苦八苦しているのだから、杜人の準備ができていない時に来ても悲惨な目に遭っていただけだとは分かっている。それでも出るのが愚痴と言うものだ。

『間に合ったのだから良しとしてくれ。それよりも、これで三つ達成できる可能性が確認できたのだからそっちを喜べ。ついでに俺の偉大さを褒め讃えるのだ!』

「うん、すごいすごい」

 笑いながらぱちぱちとおざなりにレネは褒める。冗談と分かるからこその対応である。

『くっ、いつの間にか強く成長しおって。もうあの純真なレネはどこにも居ないのだな……』

「悪かったね」

 悔しそうにしてから遠くを見つめる杜人に微笑みながら、レネは今まで不可能だと思っていた第三階層の単独踏破を遂に達成することができた。




 そしてその頃。

「ふふっ、念のために申し込んでおいて良かった」

 エルセリアは事務局から出てくると、嬉しそうに微笑みながら部屋に向けて通路をゆったりと歩いていた。




 試験まで、残り一日。
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