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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第6章 写し鏡のその奥に

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第21話 始まる日常

 殺風景な第六十階層を、戦いを終えた一行はゆっくりと出口に向かって歩いている。気を失ったフィリはシャンティナが背負い、魔力を使い過ぎて足に力が入らないシアリーナはレネが背負っている。レネも魔力をだいぶ消費したが、回復が早いので身体能力を強化するだけの魔力は確保できる。

 そしていかにレネが小柄であろうとも、年下のシアリーナ程度ならきちんと背負えるのだ。

「……ごめんなさい」

「大丈夫、大丈夫。この程度なら何とかなるから心配しなくて良いですよ」

 しばらく無言で歩いてからようやく呟かれた声に、レネは明るく返事をする。後始末をエルセリアに頼んだのだから、不手際があるとは思っていない。

 ちなみに歩きを提案したのは杜人である。タマは使えるが、ようやく到来した語らいの機会を逃すようなことはしなかった。

『なんだか一気に丸くなったな。身体もしっかりと寄せているし服も握っているから、少なくとも敵対意思はなくなっているだろう。ならば、落ち着く前にここで畳みかけるか。レネ、試験のときにやってしまったあれを語ってみてくれないか? 成功者の失敗談は意外と聞いてしまうものだからな』

 杜人は今のシアリーナの心がだいぶ安らいでいると推測し、他者の目に晒されて再び固まる前にある程度刷り込みを行うことにした。内容は心に残る内容なら何でも良いのだが、関連した話のほうが後で思い出したときに反応が良くなるのだ。

 レネは一瞬笑顔をひくつかせてためらったが、必要なことだと自分を騙して恥ずかしい思い出を話し始めた。

「私なんて、去年の昇級試験でちょっとばかりやり過ぎたせいで、未だに避けられていますよ。廊下で避けられるなら良いほうで、酷い人になると笑みを向けたら気絶してしまいました」

「あれはすごかったです! 本当に呪ったのですか?」

『感動する話ではないはずなのだがな……。種明かしをしておこう』

 シアリーナは黙って聞いているが、実際見て知っているティアは目を輝かせて尊敬の眼差しを向けている。その様子に杜人は困ったものだと微笑み、レネも信じられても困るので種明かしに賛成した。

「あれは単に光る魔法陣を浮かべて意味ありげに微笑んだだけです。貶した相手が奇妙なことをして微笑めば、普通の人は疑問に思うでしょう? 後は勝手に深読みしていっただけです。それ以前に、本当に呪ったらあの程度の騒ぎでは済みませんよ」

 ティアはなるほどと頷き、こちらは誤解を解くことに成功した。対して悪い噂を聞いていたシアリーナは現実との差に戸惑い、確認を行う。

「それでは、噂は単なる噂なのですか」

「当たり前です」

「当たり前だよ」

 レネとティアが迷わず断言したため、シアリーナはそうなのかと頷き、レネの温かい体温を感じながら納得した。

『なかなか良いな。取捨選択が上手だぞ。次は共感を得るために、この学院に来たときの話にしてみよう』

 杜人はによによと笑いながらレネの前を漂う。最近追加された噂に一部真実が含まれているのだが、レネがあえて省いたことをしっかりと把握していた。そのためレネはごまかしたことを読まれてほんのりと顔を赤らめながら視線をそらすと、こっそり不可視念手を発動させて杜人を拘束した。

『ちょ、ま……ぐぇ』

 そして存分に揉みしだいてから次の話題に移った。

「噂と実態が一致することは、あまりありませんね。例えば、私が学院に来た当初はかなり期待されていまして、いつの間にか知らない人からも大賢者の再来と噂されてその気になっていたものです。しかし、中級魔法を学び始めたときに発動できるだけの魔力を確保できない欠点が分かると、それまでもてはやしていた人達は居なくなり、今度は大賢者もどきと言われましたね。今は笑っていられますが、当時は裏切られたように感じて、世の中の全てが敵に見えました」

「そう……なんですか」

『良い反応だ。続けよう』

 シアリーナは服を握る手に力を込め、レネにもそんなときがあったのかと自らの境遇と重ねた。その様子を拘束されながら観察していた杜人はレネに続行の指示を出す。そこにティアが不思議そうに見上げて質問を割り込ませた。

「今は初級より高い等級も使えますよね?」

「特殊な魔導書のおかげですけどね。無ければ元通りですよ。もし出会えなければ今頃学院に居なかったでしょうし、世の中を恨んでいたかもしれませんね」

『ふふふ、やはりもう俺なしで……ぐぇ』

 捕まっていても杜人はからかうことをためらわなかった。そしてレネも揉みしだくことをためらわなかった。おかげで適度に緊張がほぐれて、焦ることなく話を続けることができた。

「そして、もし欠点がなければ、私は今こうして居ないと思います。おそらく力に酔って知らないうちに独善的な考えで他者を見下したり、理解できない人達を切り捨てていって孤独になったりしていたでしょう」

「んー、でも師匠は昔から優しかったですよ? 図書館で術式のことを聞いたら丁寧に教えてくれましたし」

『なるほど。だから師匠か。きっと心の中ではそう呼んでいたのだな。で、慌てたから切り替わっていることを認識していないと見た。まあ、似たようなものだから訂正する必要もないだろう。実際教えているわけだからな。それと、後は過ちを認めて変わったという流れでいこう』

 ティアの『師匠』という言葉にレネはどうしようと杜人を見つめ、聞いた意見を考えてから、訂正して落ち込ませるより良いと思うことにした。

「一応司書は給料が支払われる仕事ですから、問われたら図書館で分かることなら答えないわけには行かないのですよ。もし図書館以外で話しかけられたら、確実に無視したと思います。と、まあ、そんな私も周囲に居る人達のおかげで自らの考え違いを悟ることができ、少しずつ変わって今に至るわけです。これでもまだまだなんですけれどね。実際、学院祭は参加しようと言われるまで参加する気がまったくありませんでしたから。今は参加して良かったと思っています」

「はー、師匠にもそんなときがあったんですね」

「……」

 レネもさすがに空気を読んで、聞かれたことなんて憶えていませんとは言わない。幻想は意外と重要なのである。

 完璧に見える人が実は同じような苦労をしてきたと聞くと、好意的に解釈する人は更に身近に感じやすい。そしてもしかしたら自分も同じようになれるかもと希望を持ちやすいのだ。

 シアリーナは温かさと心地良い揺れに身を委ねながらレネとティアの会話を聞き、家族から言われたことをもう一度考える。そして色々考えてから小さな声でレネに問いかけた。

「どうして……助けてくれたのですか?」

 自ら敵対意思を見せ、実際敵対していたはずであった。立場を置き換えて考えたとき、シアリーナは果たして助けに行くか疑問だった。それなのにレネは危険も顧みずに助けに来てくれた。だから、質問には失ったと思っていた希望が込められている。

 その問いに杜人はレネと目を合わせると笑顔で頷き、レネも微笑むと迷うことなく自信を持って答えた。

「助けたかったからです。……私にはしがらみも何もありませんから」

「そう、ですか」

 シアリーナは小さく微笑むと目を瞑り、身体の力を抜いてレネに身を預ける。最後の言葉でレネが最初から全て承知していたと悟った。そしてレネが独自に情報を入手できるはずもないので、発信を許可した人の予想もついていた。

『これなら大丈夫だ。作戦終了。お疲れ様』

 その様子を見て杜人は、これなら変われるだろうと判断し作戦の終了を告げた。レネもうまくいったとの報告に小さく安堵の息をはいて杜人を解放する。

「……あの」

「ん? 何かな」

 レネは気が抜けたためシアリーナの呼びかけにも気安く応える。そんなレネにシアリーナは恥ずかしそうに小さな声でお願いを言う。

「……姉様と呼んでも良いですか?」

「え?」

『は?』

「えー! ずるい!」

 レネは緊張が緩んだところに来た思いがけないお願いに笑顔を固まらせ、ようやく解放されて身体をほぐしていた杜人も予想外の願いに目を点にしてシアリーナを見る。そしてティアだけが元気に反応していた。

「ずるくない。ティアだっていつの間にか師匠って呼んでいるじゃない」

「え? えー? ……ああ! ううぅ……秘密だったのにぃ」

 シアリーナは唇をとがらせて指摘し、自らの願いが正当なものだと主張した。そして指摘されたことでようやく今までレネを何と呼んでいたのかを自覚したティアは、耳まで真っ赤にして俯いた。

『これは断れない。良かったな。一気に弟子と妹分が二人もできたぞ』

 杜人もこれはまいったと笑い、レネも恥ずかしかったが確かに断れないので了承することにした。

「何だか気恥ずかしいですが、良いですよ。ティアもね」

「ううぅ……ありがとうござりまする」

 許可を得ても恥ずかしいのには変わりはないので、ティアは指をつんつんしている。そしてシアリーナは再度頬をレネに押し付け、小さく礼を言った。

「……姉様、ありがとう」

「どういたしまして」

『これにて一件落着。めでたしめでたし』

 こうしてレネとシアリーナは予想していなかった形で和解し、しばらくの間ゆっくりとした時間を過ごしながら帰ったのだった。





 数日が経ち、レネと杜人はレゴルから事の顛末を聞くことができた。

 シアリーナは帰ってから王城へと行き、家族へ謝った。そのとき、あまりの喜びに執務を放り出してシアリーナを構い続けた父親である偉い人は、両手両足を担がれて執務室に連行されている。今は住まいを王城に移し、そこから学院に通っていた。

「これならもう大丈夫だろうと連絡があった。非公式なことのため表立っての礼はできないが、恩は忘れないとのことだ。私からも礼を言おう。ありがとう」

「私が好きでしたことですから。それに、どうしてうまくいったのか、未だによく分からないのです」

『そうだよな。ある程度予想通りだったが、転換点がよく分からなかったな。まだまだ精進が足りないか……』

 レネは困り顔で微笑み、杜人も同意して頷いている。

 反応を見ながら誘導はしたが、なぜその反応になったのかが不明なのだ。特に最後、融和するように話を持っていったが、あそこまで懐かれるとは思っていなかった。

 ちなみにほとんどティアのせいだが、行動を監視していたわけではないので常識で推測できる程度でしか組み込んでいない。まさか無謀な突撃を繰り返して心の中に強引に食い込んだとは思わないので、杜人とレネは分からなかった。

 レゴルはそんなレネを温かい眼差しで見つめると、次の話題に移った。

「これからも学院には通うそうだ。少なくとも教練中は世話になると思う」

「はい。期間が終わっても付き合いは続けようと思います」

『というか、絶対に疎遠にはならないだろうな……』

 杜人は講義の様子を思い出し苦笑する。そしてレネはその他の事柄をレゴルと打ち合わせると、礼を言って講義に向かったのだった。





 そして夜。いつものように和室に集まったレネ、エルセリア、セリエナは報告と世話をかけたお礼も兼ねてお泊まり会を実施していた。

「いやー、一時はどうなるかと思ったけれど、うまくいって良かったよ。二人ともありがとう」

「どういたしまして。大きな騒ぎにならなくて良かったね」

「そうですね……」

 レネとエルセリアは笑顔だが、セリエナはちょっぴり遠くを見つめている。ちなみに交代した仕事はきちんとやり遂げていた。その代わり、翌日レネと一緒にエルセリアに看病される側になった。

『これもひとえに、二人が見てみぬ振りをしてくれたおかげだ。そちらまで考えていたら、絶対レネの処理能力を超えていただろう。……それはそれで見たかったがな』

「ふんだ、ばか」

 レネは座卓の上でぬふふと笑う杜人をつつき、目をそらして果実ジュースを飲む。実際、暗黙の了解で気付かない振りをしてくれたので、作戦実行中も気楽に会えたのだ。本当に隠さなければならなかった場合、かなり挙動不審になっていたのは確実である。

『ま、いくつか問題は残ったが、概ね良い結果と言える。……そういえば、転移石がかなり高騰しているようだがどうする? 売って儲けるか?』

「そんなことするわけないでしょ……」

 レネは思い出してがっくりと肩を落とした。第六十階層から帰るときに転移石を生成し無事転移石屋に返却できたのだが、何故か青い顔で受け取っていた。そのときは深く考えずに帰ったのだが、その後にレネが生成した転移石が探索者の間で高値で取引されているという情報をリュトナから教えられたのだ。

 さすがにリュトナは売りませんかとは言わなかったが、誰かに渡す際は気を付けたほうが良いとの情報をもらった。そのため気になって渡した転移石屋に会いに行ったのだが見当たらず、周囲の仲間に聞けば心労で休業中とのことだった。

 そのときに周囲からいつも以上の視線を感じ、聞いた転移石屋もじっとりと汗を掻いていたため、レネと杜人はこれはまずいと笑みを固まらせたまま退却したのだった。

「特に第六十階層の転移石は、天井知らずの高値で取引されたみたいだね。主を倒したはずなのに余裕の笑みを浮かべていたって噂されているよ」

「ううっ、素材は売らなかったのに……」

 今回は関係者が少ないことと秘匿したい事情があったため、回収した素材は売らなかった。それなのに倒したことになっているのだから、真実ではあるが噂は恐ろしいとレネは座卓に突っ伏す。

『おそらく今までの実績と、最初に入った二人を背負って来たからだろう。階層の特性は知られているのだから、そこから想像して倒したのだろうという言葉が伝言されているうちに倒したに変わったんだな。噂では良くあることだな。くふふふふ』

「むしろ、今までが強烈過ぎて変な尾ひれがつかない分、まともな噂に分類できますね」

「慰めになっていないよぅ……しくしく」

「よしよし」

 レネは杜人とセリエナの分析に突っ伏したまま泣き真似をし、それをエルセリアが微笑みながら慰めていた。今はだいぶ慣れたのでこの程度で済んでいるが、以前ならしばらくの間引きこもりになったかもしれない。

 ちなみに噂では、迷宮に魅入られた貴族のお嬢様を単身で助けたことになっている。レネの名前ばかりが強調されてその他が無視されているが、そのほうが都合が良いので否定するわけにもいかないのである。

「……こうなったら、別なことを考えて忘れよう!」

「そうだね」

 レネは身体を起こし手を淡く輝かせると、からかって楽しんでいた杜人を素早く捕まえ、エルセリアは分かっていますとばかりにノートを座卓に広げる。その脈絡もない行動に、杜人は反応すらできずに手の中で固まっていた。

『ちょっと待て、何がどうしてこうなるんだ!』

「何って……、例の使い物にならない魔法を改良するんだよ。モリヒトに任せるとまた変にするでしょ? それになかなか興味深いものも追加されていたし、他にも応用できると思うんだよね」

「ああ、あれ。どのくらい変わったのかなぁ……楽しみだね」

『変とは何だ。あれはあれだから良いのだ! というか、何故普通に聞こうとしないんだ!』

「逃げるでしょ」

「逃げるからですね」

『……』

 レネとエルセリアは、杜人の抗議を聞いても右から左である。その様子に杜人は、絶望が乗った瞳でセリエナにどうにかしてくれと視線を向ける。

「……頑張ってください」

『……』

 セリエナはついっと視線をそらし、力になれないことを伝える。そのため杜人は最後の希望に声をかけようとした。

『シャンテ……』

「これ食べて良いからね」

「私のもどうぞ」

「ありがとうございます」

 しかし、その前にレネとエルセリアは買収に成功していて、餌付けされたシャンティナは嬉しそうにリボンを動かしながら受け取っていた。ちなみに出されているおやつは、杜人とジンレイが用意したものである。

「さ、これで気兼ねなく集中できるね」

「そうだね」

『おかしい、絶対に何かが間違っている……』

「あはは……」

「おいしいです」

 こうして長い夜の時間は過ぎて行き、先に布団に入ったセリエナの耳にレネとエルセリアの楽しげな声と杜人のぼやきがいつまでも聞こえていたのだった。





 講義終了後の図書館。外は家路につく学院生の声が響いているが、中は静謐に満ちていた。そんな場所にシアリーナとティアは足繁く通い一緒に勉強をしている。

「……うむぅ?」

「そこ、こっち」

「……うにゅ?」

「それはこう」

 と言っても大抵はティアの勉強をシアリーナが教える形である。おかげでティアの術式に対する理解はどんどん上昇していた。シアリーナも教えることによって復習が行われるため、着実に力を付けていた。

「やー、リーナのおかげで勉強がはかどって助かるよ」

「別に。私のためでもあるし……」

 にこにこ顔のティアの言葉にシアリーナはそっけなく答えるが、口の端が少しだけ嬉しそうに上がっていた。

「ティアの質問がない分、私が姉様に質問する時間が増えるからね」

「なにそれずるい!」

「ずるくない。時間は有限。姉様にとっても何度も同じことを教えるより良いでしょ。それに何度も聞いて、私では無理ですと師匠を辞められても知らないよ?」

「う? ううぅ? うー……それは嫌ぁ」

 シアリーナはまるでそれが現実に起こるかのように真面目な声で言い、ティアは論点をずらされたことに気付かず、頭を抱えていやいやと首を振る。

「そうでしょ? だったら頑張らないとね」

「うん、ありがとう。よおし、やるぞー!」

 ティアは話題を忘れてやる気になり、シアリーナはこれで良しと笑みを深める。少し離れた場所で待機しているフィリは、仲良く勉強する二人を温かい眼差しで見守っていた。




 人の繋がりは合縁奇縁。同じ出会いはひとつもない。長い間、出口の見えない深い闇の中で泣いていた子供は、暖かな手に導かれてようやく光に満ちた場所へと辿り着いたのだった。
お読み頂きありがとうございます。
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