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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第6章 写し鏡のその奥に

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第19話 それぞれの役割

 迷宮第六十階層は見渡すばかり灰色の石でできた床と、どこまでも続くように見える灰色の空で構成された開放型迷宮だ。魔物は出てこず、階層を結ぶ入口と出口の中間地点に黒い石碑がひとつあるだけである。石碑周辺の床には複雑な模様が同心円状に大きく描かれていて、この内部が主と戦う領域となる。階層自体は広いのだが階層を繋ぐ水晶柱を結ぶように床に線が引かれているため、石碑の位置を間違えることはない。

 集団戦闘演習が行えそうなくらいの大きさのため、通常は集団戦闘にて挑むのが主流である。それでも生還率は低いため、挑戦する者は滅多に現れない。

 そんな無人の階層を、シアリーナは小さく微笑みながらかなりの速度で走っていた。水晶柱から石碑までは朝からゆっくり歩いても昼前には辿り着ける。身体能力を強化して駆けているので止まることなく駆け抜け、戦闘領域へと到達したところでゆっくりと歩き始めた。

「……うん?」

 そんなときにシアリーナは後方で魔力の高まりを感じ、何だろうと振り向きながら半ば無意識に障壁を展開する。

 直後に眩い雷が障壁に衝突し、視界が白く塗りつぶされた。シアリーナは目を細めると口の端を吊り上げ、魔法に紛れて掴みかかってきたフィリの腕を逆に掴み、更に身体能力を強化すると身体を回転させながら勢いをつけて少し上に放り投げる。

「あ……」

「邪魔」

 奇襲をあっさりとかわされ、体勢を変えることができない空中で呆然としているフィリに向けて、シアリーナは原初魔法で雷を生み出して打ち据えた。

「ぎゃ!」

 フィリは追いつくために時間を惜しみ障壁を使用していなかったため、直撃を受けて更に吹き飛ばされると床に落ちて身体を痙攣させた。無意識に手加減したので死ぬほどではないが、すぐには動けなくなっている。

 フィリの攻撃主体は魔法だが、それなりに近接格闘もこなせる。そうでなければ護衛もできないからだが、王族であるシアリーナも、過去の教訓から厳しい訓練を受けているのだ。王族は最大戦力であることを求められるので、ときに単独で危険を潜り抜けなければならない場合がある。だから訓練も半端なものではなく、優秀であるシアリーナの魔法を合わせた直接戦闘能力はかなり上位に位置している。そのため、以前の戦闘訓練ではレネが勝利したが、規則なしの殺し合いならばシアリーナに軍配が上がる。

「ひ、めさま、いけま……」

「うるさい」

 動かない身体を震わせながらフィリは呼びかけるが、今のシアリーナにとっては雑音でしかない。そして攻撃されたのでフィリも裏切り者の一員となった。そのためもう一度軽めに雷を放って黙らせると、後は放置して石碑へと歩みを進めた。

 黒い石碑はシアリーナの背丈より低い円柱で、ときおり白い幾何学模様が表面を走っている。これに直接間接を問わず一定以上の魔力を与えると、模様で描かれている魔法が発動するのである。

 シアリーナは円柱に手の平を押し付けると、ためらうことなく魔力を流す。そして流された魔力によって円柱は幾何学模様を複雑に組み替えながら発光し始め、その光は床面へと広がっていった。

「私だって……これで……」

 シアリーナは光に包まれながら無意識に呟く。そして床全体が眩い光を放ち、ついに主召喚の大魔法が発動したのだった。





「あ! 間に合わなかった……」

『結構遠いな……。まだ発動したばかりだ。急ぐぞ!』

 レネが第六十階層へ転移してきたちょうどそのとき、遠方に眩い光の柱が立ち上がる光景を目撃した。そのため主が召喚されてしまったと思ったレネは力なく呟いた。召喚されれば隔離されてしまうので、倒すまで脱出できないし外から助けることも困難である。そのため救えなかったと絶望しかけたのだが、杜人は諦めることなく力強く断言するとタマを呼び出して全員を一気に取り込んだ。そして狼形態に変化させ、全力で疾走を開始する。

「わ、わゎ!?」

「ひょわぁぁぁ!?」

 レネとティアが悲鳴を上げるが速度は緩めない。悠長にしている時間が無いため、杜人はタマを疾走させながら対策を考えていく。

『俺が境界を壊す。シャンティナはすぐに飛び込んで主を牽制。俺達も穴が塞がる前に突入する。レネは主を見てから適応する封印を解放し、短時間で殲滅する。実に簡単な作戦だ。……ティアにはシアリーナを死ぬ気でおさえさせろ』

 杜人は矢継ぎ早に指示を出しながら星天の杖をレネに渡す。受け取ったレネは指示を心の中で繰り返しながら、間に合うのと杜人を見た。それに対して杜人は、人差し指を顔の前に立ててにやりと笑う。

『良いことを教えておこう。どうせ動かなければ最悪の結果になるだけだろ? なら動けば動くだけ助けられる可能性が高くなるということだ。つまり、間に合うかどうかは問題ではなく、諦めることなく行動し、打てる手はすべて打つことが大切なんだ。後悔は間に合わなかったときにすれば良い。今は間に合うことを前提として行動するときだ』

 既に最悪の事態となるであろうことは起きている。だから後はそれを回避するために行動するだけ。杜人は複雑に対策を考えても時間が失われるだけと思い、物事を単純化したのである。

「……そうだね。やれることをするだけだね。分かった」

 考えてとっさに動けなかったレネは意識を切り替えるために頬を一度両手で叩き、まだ混乱しているティアに声をかける。

「ティア、主は私が倒すから、突入したらリーナさんを何とかして。どうなっているかは分からないけれど、絶対に邪魔はさせないで!」

「あふっ、了解しました。絶対に何とかします!」

 強い口調の命令にティアは一瞬で我に返り、敬礼しながら元気に返事をする。レネと杜人はこれなら大丈夫と微笑み、天にそびえる光の柱へと視線を向けたのだった。





 眩しい光が消滅したためシアリーナはゆっくりと瞼をあげる。目の前にあった石碑は消滅していて、見える景色も一変していた。灰色の床は黒光りする石へ変わり、空は満天の星が煌いていた。それでも夕方程度の明るさは維持されているので、周囲が見えないということはなかった。

 だから、離れたところに存在している近づけば見上げるような小山もよく見えた。人ひとりを丸ごと飲み込む巨大な口と、鉄をも噛み砕く鋭い歯。巨木のように太い四足と鞭のようにしなる長い尾。背には一対の巨大な翼を持ち、全身を黒い鱗が包みこんでいた。

「ふふっ……」

 普通であれば恐れを抱く巨大な竜の姿を見て、シアリーナは笑みを深める。大賢者の逸話にも竜討伐はあり、それを何度も読んで憧れを強めたりもしていた。だから、現れた巨竜を倒すことによって己が大賢者にふさわしいと証明できることに喜びを感じていた。同じことを行うことによる同一化認識である。

 シアリーナは竜に駆け出しながら、常に携帯している魔導書に魔力を流す。選んだ魔法は光系統天級魔法『崩滅光珠』だ。竜種は魔法に対する耐性が高いものばかりのため、半端な魔法を使っても意味がないのである。

 崩滅光珠は範囲内の存在を消去する。耐性で減衰されても十分効果がある魔法であり、対竜種魔法として正しい選択であった。そして輝きを放つ魔法陣に気が付いた竜が顔を向けたときには、既に魔法は発動する直前となっていた。

「崩滅光珠!」

 シアリーナは有効射程に入ると立ち止まり、絶対の自信を持って魔法を発動させる。直後に竜を中心に光が集約されていき、それを見つめながら心は喜びに溢れそうになっていた。

 しかし、本来であればこのまま光珠が形成されるはずなのにいつまでも形成されず、竜も苦しむどころか気持ち良さそうに翼を動かしていた。そして効果時間が過ぎても完全発動はせず、標的となった竜には傷ひとつ付いていなかった。

「……え、どうして?」

 心の柔軟性を失っているシアリーナは予想外のことにその場で無防備に立ち尽くしている。そんなシアリーナに竜は大きく口を開き、胸元を白く輝かせ始めた。それは鉄をも溶かす竜炎が放出される前動作である。

 その光景は視界に入っていても、思考が止まっているシアリーナは対処することができない。胸元の光が移動し始め喉下が膨らんでも、まだ動けなかった。だから、横から飛び込んできた人影にも気が付かなかった。

「きゃ」

「ぐぅ……」

 横からの衝撃に小さく悲鳴をあげたとき、それまで立っていた場所を白い竜炎が通り過ぎた。通過した床は沸騰しながら抉られていき、その威力を周囲に撒き散らかせて行った。助けたフィリはとっさに障壁で防御したのだが、それでも感じる熱気に床に伏せながらシアリーナを守り歯を食いしばって耐えた。そして完全に終息する前に立ち上がるとシアリーナを抱き上げ、まだ完全に回復していない身体を動かして竜から逃げ出した。

 それを竜は目を細めて見つめる。そしてゆっくりと足を踏み出して身体の向きを変えると口を開き、大きく息を吸い込みはじめた。

「……く」

「なに……」

 離れても聞こえる吸い込み音にフィリは振り向き、次に何がくるのかを悟った。そのためその場でしゃがみこむとシアリーナの顔を胸元に抱き寄せて全力で複数の障壁を張る。

 そして竜は動かなくなった目標に向けて、魔力が込められた大音量の咆哮を放った。

 『竜咆』。それは物語などによく描かれるので、その効果は誰でも知っている。大音量による衝撃もあるが、一番は聞いたものの意識に根源的な恐怖を植えつける原初魔法が込められていることだ。対処できなければ簡単に恐慌を引き起こして戦うどころではなくなるのである。

 そして一番の対処は恐怖に屈しないと強く思うこと。根源の感情に干渉してくるので、精神障壁だけでは完全に防げないのだ。

 だから、直撃を受けて障壁ごと紙のように吹き飛ばされながらシアリーナの興奮状態は強制的に解除され、無防備になった心に恐怖が突き刺さっていった。

「あ……あ……」

「ぐ……」

 床に転がりながらもフィリはシアリーナをしっかりと抱きしめ離さない。恐怖はフィリの心にも侵入してくるが、障壁で大部分を防いだため意志さえ強く持てば振り切ることができる。そのためフィリは恐怖に打ち勝ち、止まったところで起き上がるとシアリーナを抱き上げてすぐに逃げ始めた。

「姫様、大丈夫です。落ち着いてください」

 逃げながら身体の治療を行い、シアリーナに精神を賦活させる魔法を使う。そのおかげで恐怖に囚われていた心が解放され、ようやくそれなりに思考できる状態になった。

「あ……」

「このままでは追いつかれます。拘束して頂けますか」

「う、ん」

 まだ震えているシアリーナにフィリは安心させるために微笑みを向ける。まだ恐怖が残るシアリーナはそれで安堵し、言われるがままに魔法を発動させた。

「……金剛縛鎖」

 動き始めた竜の足元に魔法陣が現れ、そこから複数の太い鎖が飛び出して竜を床に固定しようと巻きつくが、触れる端から吸い込まれるように消えているので拘束の効果が発揮されていないのは見ただけで分かった。

「効か……ない?」

「大丈夫です。少なくとも動きは止まっていますから続けてください」

 フィリは立ち止まると振り向いて状況を確認し、優しい声音で指示を出す。そして自身は雷撃槍を構築し、竜の目に向けて即座に放った。そして直撃しても爆発せずに取り込まれるように消え、煩わしそうに首を動かすだけで傷ひとつ負っていないのを確認してから再び逃げ始めた。

 こうなると耐性というより魔法そのものを吸収する特性を持っていると判断したほうが対処が楽である。弱点があるかもしれないが、悠長に探している時間はない。物理攻撃をしようにも魔法を使わない手段では鱗すら砕けない。幸いなことに今は遊んでいるようなので、とにかく距離をとって救援を待つのが最善であった。

 もちろん救援のあてはティアである。レネに話が伝われば、今までのことから確実に動くと分かる。問題はこの階層に居ることを慌てていたために伝え忘れたことだが、今更気にしても仕方がないので来ると信じて逃げ続ける。

 フィリが逃げ、シアリーナが魔法で竜を牽制する。そして竜は付かず離れず追いかける。そんな奇妙な鬼ごっこが続く中で、シアリーナがぽつりと聞いてきた。

「……どうして、助けるの?」

「それが、私の役割だからです」

 問われたフィリは迷うことなく答える。今のシアリーナがどのような答えを期待しているかを承知したうえであえて反対の答えを告げ、唇を引き結んだシアリーナに逆に問いかける。

「姫様は王族として物事を決めるとき、ひとりの親しい者を助けるために万の民を犠牲にしようと思いますか?」

「……助ける努力はする。けど、どうしようもなければひとりを切り捨てる」

 シアリーナは一瞬考えたが、王族としての矜持が偽りない言葉を紡いだ。その答えをフィリは微笑んで肯定する。

「それで良いのです。個の感情を捨ててでも守るべきものを決める。それが王家の方々に課された役割。そして私も今の任を解かれ別の役割を与えられれば、当然次の役割を優先します。しかし、今の役割は姫様を守ることですから助けます」

「……監視することじゃないの?」

「少なくとも、私はそのような命令を受けていません」

「そう、なの……」

 シアリーナはフィリの服を掴んでいた手の力を強めると、何度目か分からなくなった魔法を放つべく後方の竜に視線を向けた。そして今までただ追いかけていた竜が翼を広げて飛び上がり、一気に距離を詰めてくる光景を目撃し、目を見開いて身体を硬直させる。

 そしてフィリもシアリーナの様子と後ろから迫る風切音に緊急事態を悟り、とっさの判断で横方向に転がる。その場所を大きく開けられた竜の咢が通り過ぎ、暴風を巻き起こしながら遠くへ着地した。

「……いたい……、フィリ?」

 フィリと一緒に吹き飛ばされたシアリーナは痛みを堪えながら身を起こしたが、傍に倒れているフィリは身動き一つしなかった。そのため近づいて手を伸ばすと、背中が引き裂かれていてそこから大量の血が床に流れているのに気が付いた。

「あ……、フィリ、フィリ!」

 すぐに治療を開始し傷自体はすぐに塞がった。しかし、名を呼んでも身体を揺すってもフィリは目覚めない。床に転げたときに後ろ脚の爪が微かにかすったのだが、その衝撃で意識を失っていた。緊張と疲れと失血もあったため、昏睡に近い状態となっている。

 シアリーナは傷が癒えても目覚めないフィリに顔を青ざめさせたが、竜が体勢を変えるための地響きを聞いて、唇を引き結ぶと顔を上げ遠くで胸部を白く輝かせている竜を睨み付けた。

「お前になんか、負けてやるものか!」

 腹の底から声を絞り出し、シアリーナは涙を流しながら火特化の結界を何重にも張り巡らせる。時間がないので中級の結界であり、頭ではこの程度で主が放つ竜炎を防げるはずがないと分かっていても追加するのをやめなかった。やがて意識はすべて結界の維持に費やされたため音も聞こえなくなり、妙にゆっくりと時間が流れ始めた。

 竜の胸元の光が上昇を始め、開かれた口から白い竜炎が放たれても、目をそらさずに睨み付ける。だから、次に起こったことを余さず目撃することができた。

 ゆっくりと流れる時間の中でさえも霞むほどの速度で、後方から駆けて来た制服姿の少女が迫りくる竜炎にぶち当たった。そんなことをすれば一瞬で蒸発するはずなのに、身体に淡い光を纏う少女に変化はない。勢いを殺すことなくそのまま炎を引き裂きながら直進し、炎をはき終えて首を下げていた竜の頭部目掛けて跳躍して足から突き刺さり、竜の頭部を後方へ吹き飛ばした。

 竜の巨体が倒れた音が響いたとき、引き延ばされていた時間感覚が元へ戻る。しかし、シアリーナは動けず、よく分からない光景に呆然となっていた。

「……え?」

「リーナぁぁぁぁぁ!」

「きゃあ!?」

 そこにいきなり飛びつかれ、見事に一緒になって床に転げる。

「良かった……良かったぁ!」

「え、え? ティア?」

「よく頑張りましたね。後は任せてください。……行くよ!」

「あ……」

 シアリーナの視線の先には、竜と対峙し自らの背丈を超える巨大な杖を掲げたレネが居た。その背中を見たとき、シアリーナは意識しないまま涙を流して安堵したのだった。
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