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黒姫の魔導書 作者:てんてん

第5章 祭りと騒ぎとその後と

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第19話 出現した非日常

 夜。月明かりに照らされた道を、学院の制服を着た男女が並んで歩いていた。

「ねえ、本当にするの?」

「仕方ないだろう。それに壊すわけじゃない。ちょっと隠して慌てさせるだけだ」

 二人はレネの班に手伝いとして入った学院生であり、フォーレイアに連なる貴族から資金援助名目での金銭を受け取っていたが、最初から内部工作を行うために入り込んでいたわけではない。言われたことは彼らの価値観では嫌がらせの範囲内に収まるものだったため引き受けたのだが、今回言われた指示はその範囲から逸脱しかけていたので割り切れないでいた。

 ちなみに二人とも新入生のため、レネの噂は知っていても恐ろしさを認識していなかった。そのため苦学生ということもあり、悪いことと認識していても引き受けたのである。そして既に金を受け取って一度実行した以上、断りにくい心理状態となっていた。

 朝の騒ぎは前日の片付けのときにこっそり渡されていた封印の魔法具を置き、朝のうちに素早く回収したのである。本来はそれで慌てさせ、心を疲弊させたところで嫌がらせにて追い打ちをかけることになっていたのだが、その意図は予備の存在によってあっさり回避されてしまった。

「それに実行するのは俺達じゃない。俺達は渡して終わりだ」

「……うん」

 隠すだけと説明されているのだから、その後に相手がどうしようと責任はない。被害者からすれば言い訳にもならない理由だが、実行させる側はわざと逃げ道を提示することで罪悪感を鈍らせているのである。そして狭まった視野では、それに気付くことはなかなかできない。

 二人はそのまま押し黙ると、静かに夜の闇へ消えていった。




 学院祭五日目の朝。レネは笑顔でクリンデルが焼いた焼き蛸を味見していた。

「うん。やっぱり網焼きのほうがおいしいですね」

『鉄板焼きとは匂いが違うからな。作る側が良ければこのままで行こうか』

 昨日の騒ぎで炭火台を使用したとき、せっかくの炭火ということでクリンデルが金網を調達してきて焼き蛸だけは金網を使ったのである。その匂いにつられて売り上げが伸びたため、今日も使えないかとクリンデルが聞いてきたのだ。

 問題は鉄板より調理しにくいことと、燃料となる炭が特殊なので売れても利益が減ることである。そのためクリンデルは一晩考えて、聞くだけ聞いてみたのだ。

 普通に考えれば利益との兼ね合いを考えるところだが、元々勉強のために行っているので今回は利益をそんなに求めていない。そのためレネも杜人も特に悩むことなく了承した。

「ありがとうございます」

「いいえ。お世話になっているのはこちらですから。それではお願いしますね」

『まさか、たこ焼きの売り上げのほうがクレープより多くなるとは思わなかったからな……』

 クリンデルの担当はたこ焼きである。その流れるような素晴らしい動きによって、今ではそれを見てから買う客が多いのだ。ちなみにクレープを買う主な客は子供と女性客で、店舗で甘い物がかぶっているためそれだけを食べたりしないのである。

 レネはひと通り店舗を見終わると、中央にある休憩場所にて待機した。

『来年はもう少し甘い物を減らして食事系を増やすか?』

「んー……、出店数を増やそうよ。もう少し広場を広くすれば、もっと入るでしょ? それにこれなら来年は最初から手伝いが来るんじゃないかな」

『それでも良いが、問題は料理をできる人が居るのかということだな。来年もクリンデルさん達が来てくれるとは限らないからな。場所もここでなければならない理由はないから、来年始まる前に相談して決めようか』

「そっか、七日間だもんね。もう半分過ぎたのかぁ……」

 レネは残念そうに息をはいて準備作業を見つめた。

『楽しい時間は早く過ぎるものだからな。だが、終わるからこそ楽しいんだ。毎日だったら飽きてしまうぞ』

「不思議だね。もっとって思っても、本当に実現するとつまらなくなるなんて……」

 レネは静かに微笑み、杜人は今のところは順調だと頷いていた。

「ところで、店が増えたけれど大丈夫?」

『問題ない。元々全部使う予定ではなかったからな。範囲が外側に少し広がる分、レネの負担が増すだけだ』

「決めたのは私だから良いけど……」

 ちらりと視線を向けた先では、赤いはっぴを着ていない学院生の集団が広場の外側で売り場の準備を行っている。彼らは前日に移動した班から跳ね上がった売り上げを聞き、移動を願い出てきたのである。それを杜人は笑顔で受け入れを了承し、レネも同じことなのでそのまま賛成していた。

「あんなに来て、あっちは大丈夫なのかな?」

「大丈夫だよ。来たのは客入りが悪い場所の小さな班だけだから。向こうにはリーンラノスが居るから、売るだけ無駄なんだよね。おはようレネ。仕上げは今日からだった?」

 レネの疑問には挨拶のために近づいていたエルセリアが答えた。初参加のレネやセリエナは知らないが、開催してからの場所替えは学院側からあまり良く思われないのである。後で騒がれるとけちが付いてしまうので、こっそり事務局に話を通したついでに仕入れた情報であった。

「おはよう。お昼に休憩してからの予定だけど……」

『大丈夫だ。問題ない。俺を信じろ』

 レネの視線を受け、そう言いながら杜人はついっと視線をあらぬほうへそらす。まるで自信が感じられない仕草だが、慣れたレネはこれがからかうための罠であると見破っていた。

「そういうことだから、予定通りだよ」

「うん。楽しみにしているね」

『しくしく……』

「よしよし?」

 相手にされなかった杜人はさめざめと泣き真似をし、待機していたシャンティナに慰められている。それを見たレネとエルセリアは、本当に仕方がないなぁと小さく笑みを浮かべたのだった。




 こうして始まった五日目は客層に変化が見られた。今までは普通の人達が多かったのだが、身体を鍛えている人達が増えていたのである。レネは広場を巡回しながら騒ぎの元が無いかと観察を行っている。

 周囲には端末石が浮いているので目立つが、開催期間中ずっとこのままのため、何度も来る客達は慣れて視線すら向けなくなっている。そしてレネが騒ぎを止めていることも見ていれば分かるので、初めての人もそのうち好意的な視線を向けるようになっていた。

「探索者の人達かな?」

『恐らくは。あれだ、魔法薬の安売りが広まったのだろう。ついでに問い合わせに関しては最終日まで在庫があるか分からないと答えていたから、今年は例年と違うと急いで買いに来たんじゃないか?』

「そう言われればそうかも。本当に上手だね」

『まったくだ』

 視線を通路に向ければ、広場との客層の違いが更に明確になる。普通の人は魔法薬をそんなに欲しがらないので少なく、探索者達が店員に交渉を行っているのが目立っていた。

「あっと、交渉決裂かな。行かないと駄目そうだね」

『そうだな。探索者ならいつも通りで問題ないだろう』

 通路部分で起きる騒ぎはレネの管轄外であるが、騒ぎが起きれば話を聞く程度は行っていた。そのため声を張り上げている探索者の元へ大急ぎで向かう。

「どうかなさいましたか?」

「なんだ! 関係ないや……つ……」

 レネの問いかけに探索者は怒りで赤くなった顔で振り向き、そこにいたのがレネと認識したとたんに一気に顔を青ざめさせて思わず後ずさりした。

 レネは探索者達には評判が良く、数々の輝かしい実績から軽く見られることはない。下手をすると喧嘩をしたというだけで、レネに命を助けられた探索者が敵に回る可能性すらある。そのため理由があるならともかく、何もレネに非が無いのに怒鳴るのはとてもまずいのである。

『くくく、相変わらずの凄みを放っているようだな。ま、利用できるものは遠慮なく使おうか』

 杜人は楽しそうに探索者を観察しながら、レネの不可視念手による攻撃をかわしている。レネも攻撃を切り上げると探索者の変化を見なかったことにしてあげて、店主のほうに視線を向ける。こちらは学院生なのでレネに怯えているが、今は庇護者でもあるので助かったという顔をしていた。

「原因は何ですか? まとめて買うから安くして欲しいでしょうか」

「あ、はい。全部買うから六割にしてほしいと……」

 店主とすれば七割でも売り切れると予想できているので、纏め売りで割り引く利点を感じない。探索者とすればまとめれば安くなるのは当たり前の感覚である。この辺りの値引きはリュトナが指導しているので、店舗側は足並みを揃えているのだ。

『つまり、両者の認識の差異によるすれ違いだな。ふむふむ、単に指摘するとしこりが残るな。ここは両者に恩を売っておこうか』

「……分かりました。それではこうしましょう。値引きはできませんが、十個まとめて購入ごとに、飲食店舗の品を一品無料にいたします。こちらの店舗で証明書を発行してください。それを私の店舗に渡せば購入できるようにいたします。よろしいでしょうか?」

 レネの提案に店主と探索者は急いで首を縦に振った。この提案では店主はまとめ買いが発生しやすくなるので得をし、探索者も小額ながら得をする。そして見た目上は、関係のないレネが損をかぶる形になるので、負い目のある者が断れる提案ではないのである。

「ありがとうございます。今から伝達を行いますので、引き換えまでは少々お待ちくださいませ。こちらの伝達はお願いしますね。それではごゆっくりお楽しみください」

 レネは一礼すると急いでその場を立ち去った。それを見送った店主と探索者は顔を見合わせると双方恥ずかしそうにしながら取引を行ったのであった。




 広場に戻ったレネはジンレイに内容を伝達し、後のことはお任せした。そして再び巡回に戻る。

「見た目は損をするけれど、実は得をする方法かぁ。……心当たりがありすぎるね」

『今頃上機嫌に笑っていると思うぞ』

 レネと杜人はぐふふと笑うダイルを思い出す。レネに便宜を図りながら利益を上げている手腕に感心もするが、それを汚いと思わせないやり方にも感心している。今回の学院祭も頼りまくりであり、きっちりと要請以上のことをしてくれているのである。特にリュトナの参加はダイルからのお願いであったが、今では居てくれて良かったと感謝するくらいありがたいことであった。

 そしてダイル側の利点はリュトナが参加することによって、小さなものでもダイル商会に相談や発注を行いやすくなることである。レネは元々他の商店とは没交渉であったが、それにあぐらをかけるほど商売の世界は甘くないのだ。そのため今後を見据えて投資を行っているのである。

 今回の提案によって売れ行きが良くなる学院生側の印象は良くなり、騒ぎを起こした探索者も面子を潰されなかったので恨みを持つことはない。そして金を払ってまで食べようと思わなくても無料なら試す確率は高くなり、味を知らせることができる。そしてレネの商品は繰り返し買う客が多い。つまり、一品食べればもう一つと思ってしまうので、結局売り上げは上がるのだ。

「やっぱり商売は難しいや」

『同じ選択でも客層によっては受け取りかたも異なるからなぁ……。おっと、迷子のようだぞ』

「大変、急ごう!」

 レネは急ぎ足で泣いている子供の元へ向かう。その顔には忙しくはあっても充実した笑みが浮かんでいた。




 そして昼。レネは貴重品などをジンレイに預けると、魔導書のみが入った鞄を持って裏手にある休憩所に行き、布団を敷くと上着を脱いで潜り込んだ。

「それじゃあ、時間になったら起こしてね」

『ああ、おやすみ』

 レネが目を閉じると疲れもあってすぐに寝息に変わる。四方は背の低い衝立のみなので覗き込める構造となっているが、この時間は人払いをしているので気にしなくても良いのである。広場の喧騒も聞こえてくるが、慣れたレネには小さく聞こえる喧騒は返って心地よい音となっていた。

 杜人は寝入ったレネを愛でながら周囲の警戒もきちんと行っている。そして僅かに聞こえてきた足音から、獲物が罠にかかったと笑みを浮かべる。

(『ジンレイ、来たようだ。そちらはどうだ?』)

(「こちらに変化はありません。シャンティナも気にしていないようなので、大丈夫だと思います」)

(『分かった』)

 やりとりを終えた杜人は足音のほうを見て近づいてきた者を確認する。そこには学院の制服を着た少女がひとり居て、休憩所を恐る恐る覗き込んでレネが眠っているのを確認しているところだった。

『確か手伝いに居たな』

 杜人はすぐにジンレイに情報を伝えると、行動を見守った。少女は静かに入ってくると周囲を見回して首を傾げ、ひとつだけ置かれている枕元にある鞄を手に取った。そのため狙いが端末石などの使っている魔法具であると分かり、杜人はにやりと笑う。

『ぬふふ、少しだけサービスしてあげよう』

 杜人は鞄から取り出される前にわざと魔導書から魔力を発散させ始めた。そのため、鞄を開けて手に取った魔道書の美しい黒塗りの装丁と漏れ出る魔力を感じた少女は、更に緊張を強める。

「すごい。こんな魔導書見たことない……」

『ふふふ、遠慮しないでもっと褒め称えてくれたまえ』

 外装は完全に修復を終えているので、もうどこに出しても恥ずかしくない。そして手に持っただけで魔力を感じられるということは、相当力のある魔導書の証でもあるのだ。

 少女は己が手に入れることができない品物を持つレネにほんの少しだけ嫉妬の感情をぶつけると、持っていた鞄から封印の紐を取り出して魔導書に結んだ。

『やはり強大な魔導書としては、一回で封じられては駄目だと思うのだがどうだろう』

 少女はひとつ結んだだけでは封印できないことに驚き、慌てて追加の紐を結んでいく。その都度杜人は魔力を抑えていき、封印されていく様子を演出する。ちなみに既に魔法封じに対する耐性を持っているので類似の封印の効果は半減され、まだ効果があった分も結んでいるうちに耐性を得てしまっていた。修復が進んだため、獲得速度も速くなっているのだ。

『ああ、封じられてしまった。もうだめだー。それでは行ってくる』

 笑顔で手を振る杜人とは対照的に、少女は緊張を解くことなく魔導書を己の鞄に入れると、静かに急いでその場を立ち去った。そして会場に戻るところにいた来場者の少年にさりげなく鞄を渡すと、そのまま会場へと入っていった。

『できれば女性が良いのだが。交代はできないか? ……しかし、矜持が邪魔をしたのか気が付かなかったのか、判断に苦しむな』

 人が居ない敷地の外れに移動していく少年を見やり、杜人は肩を竦める。服装は平民のものであるが、その割に質が良く汚れも見えない。ついでに手は武器の訓練を受けた者の手であり、歩き方も良い。そのため貴族の変装かと推測した。できれば二名以上居れば会話からそれなりに推測できたのだが、独り言さえ言わないので、それ以上の情報収集はできなかった。そして会場のほうは何事もないとの報告を受け、休憩が終わって慌てさせてからかと、今後について考えを巡らせる。

 そんなことをしているうちに目的地に到達したようで、少年は鞄から魔導書を取り出した。

 少年が立ち止まった場所には浅めに大きな穴が掘られていて、その中に杖も入る大きさの木箱が埋められていた。そしてそこに魔導書を丁寧に入れると、今度はポーチから手の平に包み込める程度の丸い珠を取り出だした。

「封印発動」

 合言葉と同時に珠が輝き、周囲に小さな封印領域を形成する。これは内部と外部を切り離すことによって、内部の封印と外部からの探索を阻害する効果も持つものだ。そして発動させたまま魔導書の上に置き、効果を確認してから木箱に蓋をした。その後に土を魔法でかぶせると、少年は静かに立ち去っていった。

『こんな高価なものまでくれるなんて、なんて良い人なのだろう。ありがたや、ありがたや』

 杜人は空中に浮かびながら笑顔で拝みながら見送る。既に封印の紐と珠は蓋がされた時点で取り込んでしまっている。どちらも上質な品物だったので、杜人としてはありがたく頂戴することにした。

『壊さなかったということは、返却の意思はあったということかな? ……これで終われば良いのだがな。さて、どうすれば良いか……』

 さすがに相手がどこまで許容するのか見当も付かないので、対処のしようが無いのである。そのためある程度の予想をしてから魔導書の中に戻り、帰還の魔法を発動したのだった。

『ただいまっと』

「ひっ……」

 一瞬で休憩所に帰ってきた杜人は、小さく聞こえた悲鳴にはてなと視線を向ける。そこには最初に魔導書を持っていった少女が居て、青い顔で休憩所を覗き込んでいた。少女は罪悪感からレネの様子を見に来たところであり、いきなり出現した立体魔法陣とそこから現れた魔導書を目撃したため、普通の魔導書ではないと理解してしまった。

 そのため無意識に一歩下がろうと身体が揺れる。逃走の気配を感じた杜人は、指を鳴らすと笑顔で指差す。

『おめでとう。君に決めた!』

【見たな? では死ね】

 杜人は考えていた案のひとつを実行することに決め、文字を空中に描き出す。そしてお約束に従い魔導書を開き、複雑な魔法陣を適当に描いて輝かせる。そして一気に巨大化する幻影を作り出してそこから鎖状の幻影をかぶせた不可視念手を少女に向けて発動した。

「あ、いやぁ!!」

『静かに。レネが起きるだろう?』

 杜人は休憩所に少女を引き込むと即座に結界で封鎖し、レネにも聞こえないようにと更に結界で覆う。そしてゆっくりと幻影の本に少女を足から取り込み始める。当然少女は泣き叫びながら暴れるが、そんな抵抗は無駄な足掻きである。

 少女のほうも、いくら叫んでも起きないレネと喧騒すら聞こえなくなった状況に普通ではないと認識し、絶望して表情が抜け落ちると抵抗をやめた。

 杜人はそれでも手を止めず、そのまま顔まで取り込むと暗闇の幻影に包み込んだまま霊気槍で意識を奪う。そして端に移動すると布団を敷いて寝かせておいた。

『うーむ、あまり楽しくなかったな。やはり愛でるのが正解か』

 顔を恐怖に歪めながら泣き叫ぶ様子を思い出し、求めているのはこれではないと深く頷く。罰のついでに検証したわけだが、直接手を出せばどうなるかを入り込んだ者に対して示し、これ以上の協力をやめさせる狙いもあった。

 これ以降はもっと酷くなるはずであるし、杜人にとってはレネの安全が最優先なのである。そのため、手を出した他人の安らぎが無くなる程度は許容範囲なのだ。

(『ジンレイ、みせしめを休憩所に寝かせておいた。レネが起きてから仲間に看病させてくれ』)

(「承りました」)

 目覚めれば何事も無く、痕跡すら存在しない。残るのは恐怖の感情と記憶のみ。人はありえないことを体験しても証拠が無いとき、時間の経過で無意識に夢として処理してしまう。特に信じたくない場合はその速度は早まる。そのため現実側の強力な楔として仲間に看病させるのだ。こうすれば盗んだ魔導書が自ら帰ってきたことは憶えていても、その恐怖で気絶したのでありその後のことは夢と思い込みやすくなるのである。

 それでも普通の魔導書ではないと認識できるし、二度と手を出そうとは思わなくなる。そして仲間が本気で怯えて止めれば、知らない者もためらってしまう。そのため現時点の抑止力としては十分と杜人は判断していた。

 杜人は鞄を開けると魔導書をしまいこみ、痕跡を完全に消去する。そしてその後は静かな時間が過ぎ、レネは起こさなくても指定の時間に目を覚まして這い出てきた。

「んふぁ……、よく寝た。……誰、あれ」

『気分が悪くなったそうだ。そのうちジンレイが誰かを寄こすだろうから、このまま寝かせておこう』

「そうなんだ。それじゃあ静かにしないとね」

 小さくうなされている様子を心配そうに見つめたあと、レネは静かに布団を片付けると音を立てないようにその場を後にした。

「ところで、本当にこんなことで封印を解くの?」

『だからこそだ。強大な力を持った魔法使いは、敵を倒すためだけに存在しているわけではないと示す絶好の機会だぞ』

「うーん。仕方ないかな」

 何も知らないレネは笑顔で会場に向かう。それを見守りながら、もう厄介事は来ないでくれよと願う杜人であった。




「レネ、疲れは取れた?」

「うん、大丈夫。講義は良いの?」

「大丈夫。休み時間は結構あるから」

 レネがリュトナと打ち合わせを終えたところでエルセリアがやってきた。その手に綿飴があるのは良いとして、とんがり帽子にマント、手には短い杖と、レネが販売している魔法使いセットの姿となっていた。

 一律で同じ姿になるはずなのだが、何故か本物の魔法使いの雰囲気が漂っている。そのため子供達から羨望のまなざしを向けられていて、今まで使い方や遊び方を教えていたのである。

『本物の魔法使いなのだから当たり前なんだが、なんでだろうな』

 同じ姿のミアシュとレンティは、どう見ても魔法使いもどきである。レネとセリエナが試着したときも怪しさ満点だったので、おかしいのはエルセリアであるのは確定であった。

「特別なことは何もしていませんよ? それじゃあ、私達は邪魔にならないところで待機しているね」

 エルセリアは手を振って離れると、子供達にも綿飴を買い与えて通路のほうへ移動していった。普通であればかなり目立つ集団なのだが、慣れた人達は目も向けない。

「本当に、あれでも埋没するんだね」

『それが慣れというものさ。さあ、始めようか』

 杜人は店舗に居るセリエナに確認のために手を挙げ、セリエナも大丈夫と手を振った。既に在庫は補充されていて、無くなる心配はない。補充の人員も慣れたノバルト達なので混乱することもない配置となっていた。

 レネもリュトナと視線を交わして頷くと広場の中心に移動する。そして片手を上に伸ばすと、端末石を上空に浮かべて巨大な魔法陣を構築した。いきなりのことに来場者達は驚きながら上を向き、一瞬静まり返ったところにリュトナの声が響いた。

「ただいまより、追加の遊び場を開放いたします。入場は無料となっておりますので、皆様自由にお過ごしくださいませ」

 終わったところでレネは周りに聞こえないような小声で封印解放の文言を唱える。上の魔法陣は注目を集めるためだけのものであり、大規模な魔法を理解できる方法で扱ったと思わせるために使っていた。

「……汝の主たる我が命じる。時空の力を記述せし章の封印を解放せよ」

『了解だ。主からの封印解除命令を受諾、第五章【時空】、封印解放!』

 杜人の宣言が終わるとレネの足元から光の線が急激に広がり、一気に屋外訓練場を覆いつくす。誰もが上に注目していたので地面が輝き始めてからようやく気が付き、線を踏んでいた者は飛び上がって避けたりしている。

 上空の魔法陣も同調して輝きを強めていき、眩しさで視界が奪われて全員が目を閉じる。そして次に目を開いたとき、周囲の景色が一変していた。

 広場の地面は細かな模様の入った石畳となり、周辺にあった空き地も短い草が覆い緑の草原となっていた。そしてそこには迷宮の魔物として知られる白珠粘液や灰色狼などが丸い可愛らしい姿で走り回っていた。空には鏡鱗空魚や流星槌魚も居て、同じくつぶらな瞳で泳いでいる。

「ごらんの光景は、全て幻影魔法にて構築されております。出てくる魔物は、この広場で販売しております魔法具を起動していなければ襲われません。また、魔法具を持っていれば攻撃ができます。お買い上げになった方々は、ほんの少しだけ探索者気分を味わうことができます。ただし、強さはかなり抑え気味にしていますので、勝ったからといって本物の迷宮には行かないでくださいね? それでは皆様、お楽しみください!」

「さあみんな、覚悟はできた? 行くよー」

「わーい!」

 待機していたエルセリアが一番乗りで草原に駆け出していく。その後ろからは子供達が嬉しそうに付いていく。それに釣られて魔法具を買っていた大人達も笑みを浮かべ、草原へと向かっていった。

「それでは打ち合わせ通り、巡回をお願いします。転んで怪我をする人が出るはずなので、その治療を優先するように」

「了解しました!」

 ジンレイが編成した巡回班も駆け出して行くと、一部を除いて広場にようやく落ち着きが戻ってきた。

 現在の屋外訓練場は異空間となっている。そこに杜人が色々と調整を行い今の光景が出来上がったのである。やろうと思えば本物も出せるし、内部時間を歪めることも可能だ。それを遊びのためだけに使うと言うのだから、最初聞いたときはレネは開いた口が塞がらなかった。高度な魔法を遊びのためだけに使う発想もそうだが、迷宮を楽しく再現するという発想にも驚いていた。

「みんな嬉しそうだね」

『迷宮に入る力を持たない者なら尚更だろう。……ああ、食われて泣いているな』

 遠目で見ているのだが、何となく状況が分かる。杜人の視線の先では白珠粘液に食われかけていた子供が居たのだが、そこにエルセリアが颯爽と登場して救出していた。エルセリアはべそをかいている子を呼び出していた自身の白珠に乗せると、そのまま次の犠牲者を救いに行った。乗っている子供はもう上機嫌に笑っていて、それを周囲の子供がうらやましそうに見ていた。

「なんだか勘違いされそうな気がする」

『金を出せれば作れるぞ。出せれば、な。まあ、はっぴを着ていないから大丈夫だろう』

 見ていると白珠粘液に飛び込む子供達が増えつつあった。それをエルセリアが救出していき、乗っている子供を交代させていく。もはや何を目的にしているのかが明白であり、レネと杜人は予想外の結果にどうしようと顔を見合わせた。

『……仕方がない。色を変えて機能をかなり限定した超絶劣化品を班員にいくつか配布しよう。選別はジンレイに任せて、最終点呼で回収すれば大丈夫じゃないか?』

「それが良さそうだね。さ、行こう」

 異空間の維持もそれなりに大変だが、今はやって良かったと思っている。だからより楽しんでもらうために、レネは笑顔でジンレイの元へ向かったのだった。
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