23.そして新たな物語へ
■ ■ ■
「これで……話は終わりだ」
ラプラスはそう言うと、ふぅと息をはいた。
強張った肩と食いしばられていた歯から力が抜けた。
だが顔は青ざめ、険が残っていた。怒りと憤りとやるせなさは消えていなかった。
当時のことは思い出すだけで辛いのだろう。
「それで……そのあとは、どうなったのですか?」
ロステリーナは恐る恐るといった感じに聞いた。
「ん? その後?」
「人界に降り立って、その後。龍界の他の人たちは? ご主人様は? どうしたんですか?」
「おやおや、ロステリーナ、質問は一つにしないといけないよ」
ラプラスは力無く笑いながらも、質問に答えてくれた。
「龍族の民は、ほとんどが死んでしまった。ただもちろん、龍界から脱出し、この人界へと降り立った者もいる。龍界の崩壊は、他の世界より圧倒的に早かったから、ごくごく僅かな数だがね」
ロステリーナはその言葉に少しだけホッとして、しかしすぐに何か含みがあることに気づいた。
「じゃあ、なんで……今、龍族はほとんどいないんですか?」
「……殺されてしまったんだ」
「ど、どうして?」
「わかるだろう? 黒幕がヒトガミであったとしても、私たちは滅ぼしすぎた」
龍族への憎悪、怒り、恐怖は他の種族に深く刻まれていた。
そんな龍族が人界にくればどうなるか。
五龍将が恐れていたことが起こってしまったのだ。
「まあ、生き残った龍族の数が、あまりにも少なすぎたというのもあるがね」
「ラプラス様は、そうした民を、お助けにはならなかったのですか?」
「ああ……助けなかった」
「なぜ?」
「私には、やるべきことがあったからさ」
ラプラスは重要な任務を背負っていた。
死ぬ間際に、龍神より大きな使命を与えられた。
それは、種として存続するための数を割ってしまっている龍族の民を助けることではなかった。
「龍神様とヒトガミの戦いの後、私はヒトガミを探したよ。
でも、見つからなかった。恐らく龍神様は、敗北必至の戦いの中でも、なんらかの方法でヒトガミに一撃を加え、重傷を負わせるか、あるいは封じ込めたのだろう」
「相打ちになったとかは、考えなかったのですか?」
「そう考えていた時期もあったよ。
でも少しして、ヒトガミが間接的に私の邪魔をし始めたんだ。
奴が生きていることの証明だよ」
人界へと渡ったラプラスは五龍将最後の生き残りとして、活動を開始した。
消えたヒトガミの居場所や正体を探り、弱点や殺す術を模索し、やがて未来に降り立つ龍の御子――オルステッドへと譲り渡すために。
「ヒトガミの正体は、何なんですか? 何が目的で、そんな酷いことを……」
「ははは、残念ながら、正体はまだ掴めていない。目的に関しても、推測は出来るが、ほとんど謎のままだ……でも、多分こうじゃないかと思う所はある」
「それは?」
思わず聞き返したロステリーナに、ラプラスは答えた。
「人界へと来た時、私はその光景に驚いたんだ。
人界は、平地しか無い世界のはずだった。どこまでも平坦な大地が広がっている世界だったんだ。
それが、なぜか森があり、山があり、海があった。
そして、そこにはそれぞれの世界の住人たちが暮らしていた。
まるで、六つの世界を統合したかのような……そう、今、君がよく知る世界が広がっていたんだ。
さらに、龍神様を殺した時の言葉……ヒトガミは、こう言った。『僕が唯一無二の神だ』と」
ラプラスはその情報を統合した結果、一つの結論を導き出した。
「彼はきっと、神になりたかったんだ。ただ一つの世界の、ただ一人の神にね。
だから各世界を崩壊させて一つの世界に吸収し、全ての神を殺したんだ。
問題は、どうやってヒトガミが神と同等の力を手に入れたかだけど……」
ラプラスはそこで顎に手を当てて少し考え、そしてロステリーナを見た。
「最初に言ったね。
最初に、一人の神……創造神がいたと。
彼は死んだ。死んだ後にどうなったのかは、誰もわからない……と、教えてくれたのは龍神様だったか、それともルナリア様だったか……。
ともあれ、その創造神だけど、どこにいったと思う?」
「まさか」
「私は、無の世界で死んだのではないかと思っている」
「無の世界?」
「世界と世界を移動する際に通る、何もない空間のことさ。
創造神はその中心部で死に……ある日、奴がそれを見つけ出した。
そして奴はその死体を己の物とした。
神の死体の力を用いて、一番弱い人神と成り代わったか、あるいは取り込んだのだろう。
あとは、話した通りの展開さ」
「はぁ……」
「無論、これは憶測にすぎないがね。
彼の本当の目的がなんだったのかに関しては、結局の所不明なままさ」
ラプラスにとっては、もはやヒトガミの目的や出自などどうでもよかった。
もし、彼が人神本人であり、本当は正当な理由があって龍神を殺したのだとしても、関係なかった。
調べはしたし、様々な仮説も立てたが、彼の目的はいつだってたったひとつ。
龍神様と五龍将の誇りを踏みにじったヒトガミを殺すことなのだから。
「……それで、ヒトガミはどこに?」
「ん? そりゃもちろん、無の世界さ」
「どうして、そこだとわかるのですか?」
「人界のどこにもいなかったというのもあるけど……。
無の世界に封印、いや、結界かな? そんな感じのものが、そこに張り巡らされていたんだ。
恐らく、龍神様が最後の力を振り絞ってお作りになられたものだろう。
ヒトガミが恐れるあまり、自分で作った可能性もあるが……。
ともあれ、何もなければ、あんな大掛かりなものを設置することもない」
「その結界がある限り、ヒトガミの所には、行けないということなのですか?」
「解除方法はすでに見つけたけど、莫大な魔力と、相当大掛かりな仕掛けが必要になる。もし行ったとしても、私が負ければ、ヒトガミが解き放たれることになる。そうなれば、今までやってきた事全てがおじゃんになってしまう。そうそう出来るものではないよ」
ラプラスはやや苦い顔をしてそう言った。
恐らく、彼は今にでも封印を解き、ヒトガミと戦いたいのだろう。
龍神の仇を討ち、五龍将の無念を晴らしたいのだろう。
だが、彼は決してそれをしない。
ゆっくりと、着実に準備を進めていく。
一つずつ、確実にヒトガミを殺すための要素を作りだしているのだ。
「ラプラス様は、お辛いのですね?」
「昔のことを思い出すと、辛いさ。
だが、未来のことを考えれば、そう辛くは無い。
オルステッド様が降臨なさり、私の用意した全てを用いて、ヒトガミと戦ってくださるのだ。
私が作り出した武術、魔術、技術、武器、知識。全てを用いてね。
いいや、オルステッド様だけではない。生き残った龍族や、ペルギウスも共に戦うだろう。
龍族の全てを掛けてヒトガミと戦う。その瞬間を思うと、私の胸は否応にも高鳴るのだから」
ラプラスは笑顔でそう言った。
彼は用意をしてきた。
最初こそ辛かっただろう。
ヒトガミを倒すという指針以外、何もない所から、全てを用意しなければならないのだから。
だが、何千年という時間はそれを可能にした。
彼は様々なことをした。
成長の早い人族に龍族の技術や魔術を渡し、その間に自分は五龍将や龍神の使っていた秘術を研究。
しばらくして人族が独自に改良を施した技術や魔術を回収し、自分で改良し、また人族に渡す。
オルステッドに仕掛けられているであろう術、たった一目しか見ていない魔法陣からそれを推測し、彼の身に起こるであろうマイナス要素を排除する術も用意した。
それだけではない。
万が一、自分がヒトガミの手に掛かり死んだ時を想定し、いくつもの保険を用意した。
各地で見つけた五龍将の末裔に死んだ龍神の神玉の欠片から作った秘宝を与えたり、世界各地に遺跡を作って研究成果を書き残したり。
出来ることは全てやっている。
今をもってなお万全とは言えないが、それでも常に100%を目指して動いていた。
ありとあらゆる事態を想定し、用意をしてきた。
だからこそ、今の時期に辛さは無いのだろう。
暗い過去を乗り越え、明るい未来が見えるようになってきたのだから。
「……」
だからこそ、ロステリーナは感じた。
疎外感だ。
ラプラスの戦い。
龍族によるヒトガミとの戦いの中に、自分がいない。
そのことが、とても悲しく感じられた。
「あの、ラプラス様!」
「なんだい?」
「私も……私にも、何か出来ることはありませんか?」
ロステリーナの言葉に、ラプラスは一瞬だけ面食らった。
しかし、すぐに柔らかな笑みを浮かべると、彼女の頭を撫でた。
「君には、いつも助かっているよ。掃除に洗濯。それだけじゃない、君の存在は、人界にきてからずっと孤独だった私の心を癒やしてくれた。そこにいてくれるだけでいいんだよ」
ラプラスが彼女を拾ったのは単なる気まぐれだった。
もちろん、何かの役に立つかもしれないという打算もあった。
彼女の体に眠る膨大な魔力は、得難いものだからだ。
しかし、最初から何か使いみちを思いついていたわけではない。
そして、ラプラスも人間だ。
長く一緒に生活すれば、情もうつる。
今や彼女はラプラスにとって唯一の癒やしになりつつあるのだ。
「そんなの嫌です! 私もラプラス様のお役に立ちたいんです!
一緒に戦えるとは思えませんけど、何か、何かありませんか?
将来、御子様のためになるようなこと、なにか……」
とはいえ、ロステリナーナにそれを言って聞き入れるはずもない。
彼女はこれまで、ずっと何もしてこなかったのだ。
ただただ、ラプラスの帰りを待っていただけなのだ。
それがラプラスの心の癒やしになろうとも、彼女の気が済むわけではない。
いつの世でも、ただ待たされるのは辛いのだ。
「ふむ……」
待つことの辛さは、ラプラスもよくわかっていた。
彼はずっと待ち続けている。龍の御子オルステッドを。
ラプラスはやるべきことがたくさんあったから気も紛れたが、それも無くただ待ち続けるだけというのなら、あるいは発狂していたかもしれない。
「わかった。いいだろう。そこまで言うなら、君にも手伝ってもらおう」
だからこそ、ラプラスはそう言った。
「! 何か、私にも出来ることがあるのですか!?」
「ああ、しかし、これは君にとって辛い事かもしれない」
「どんな事ですか!? なんでもします!」
「まず、君の体の魔法陣を取り去り、君の体の呪いを元に戻そう」
「……え」
呪いを元に戻すと聞いて、ロステリーナの顔が少しだけ青ざめた。
かつて、自分をどん底に陥れたものが戻ってくる。
その事に対する本能的な恐怖が出たのだ。
「その後、魔族の秘術を用いて、君の体を少しずつ作り変える。その膨大な魔力を貯蔵し、他者に受け渡せるようにね」
「他者に……」
「うん。オルステッド様には、ヒトガミ打倒のために、幾つもの術が施されている。その術が続く限り、オルステッド様の魔力は常に減り続けることになるだろう。もしかすると、その術の魔力消費量は、私達が思っているよりずっと大きく、オルステッド様の魔力回復量を上回ってしまっているかもしれない」
「あ、そこで私の魔力が役立つのですね」
「そうとも。しかし秘術を行使し、理想の体に変化しきるまでには、何度も調整が必要だ。
時間も掛かる。百年か二百年、あるいは千年から二千年掛かるかもしれない。
その間、長い眠りにつくことになる。今までのような生活は出来ないだろう」
「眠っている間に全部終わっているなら、大丈夫です」
「それに、体の変化は君の精神に少なからず影響を与え、時の流れは君の記憶を曖昧にするだろう」
「それは……私の性格とか、その、ご主人様との記憶が無くなってしまう、ということでしょうか」
「ああ。もちろん、途中で何度も調整し、記憶を保持できるようにするつもりだがね」
「……ご主人様がそう仰ってくれるなら、大丈夫です」
「そうか、君は耐えられると、そう言うのだね?」
「はい」
ロステリーナの返事に、ラプラスは少し暗い顔をした。
彼は今までの生活が終わることを知っている。
家から声がなくなることを知っている。
龍界にいた頃の、あの暖かな生活を想起させるようなロステリーナの存在が、家からいなくなることを知っている。
ゆえに軽い逡巡を覚えたのだ。
しかし、ロステリーナがラプラスのため、しいては龍神様のためを思って行動したいというのなら、ラプラスはそれを止める言葉を持たない。
なぜならラプラスは、五龍将だからだ。
すでに名ばかりとなってしまってはいるものの、五龍将なのだ。
龍神のために働こうという者を、どうして無碍にできようか。
「そうか……なら、おいで。準備をしよう」
ラプラスは無理に笑顔を作りながら、そう言った。
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龍鳴山より遠く離れた地下洞窟。
ラプラスが研究所の一つとして使っている場所。
そこは巨大な魔法陣がいくつも刻まれた石で構築されていた。
洞窟全体が巨大な魔道具なのだ。
その最奥に、彼女はいた。
淡く輝く水に体を浸し、目を閉じ、眠っていた。
「――そうして、かの聖者は魔王を打ち倒し、愛する者の元へと戻ったのだった」
ラプラスは彼女の前に座り、静かに話をしていた。
それは遠い昔の話。
ラプラスの見た、人界の英雄譚であった。
「さて、今日の話はここまでとしよう」
やがて話を終えると、ラプラスはゆっくりと立ち上がった。
「私はまた戦いにいくよ。
ヒトガミが何を考えているのかわかるはずもないが、止めねばならない。
奴のやったことが良いことであった例など、ないのだからね。」
ラプラスがそう言いながらロステリーナに手をかざすと、彼女の眠る台座に、ゆっくりと透明な蓋がかぶさった。
蓋が完全にかぶさり、中が淡く輝く水で満たされるのを確認すると、ラプラスは蓋をなでた。
「終わったら、話の続きをしてあげよう。なに、心配することはない。どの話も、龍界の話ほど悲惨じゃないからね」
ラプラスはそう言うと、踵を返した。
「じゃあ、大人しくまっているんだよ」
コツコツと音を立て、寝台から足音が遠ざかっていく。
ラプラスが遠ざかるにつれて、部屋の明かりも落ちていく。
やがて足音は完全に消え去り、部屋の中は暗闇に包まれた。
ロステリーナに意識は無い。
でもラプラスの話は、彼女の意識の奥底へと、確かに通じているだろう。
彼女は待っている。
いずれ秘術の調整が終わり、自分がラプラスの役に立てるようになる日を待っている。
暗闇の中で、ずっと。
ずっと……。
古龍の昔話 -完-