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《第一章》
8.切れない血の絆
「では、後は頼んだよ」
「はい、かしこまりました」

 そう言って退室するカンナを見送り、ナイールはフゥと息を吐き出す。
 いつもならばリジャイに頼む仕事も、今彼が何処にいるか分からない以上、こうしてカンナに頼むしかない。
 魔法に長けた者で、自分が自由に動かせる人物が限られている為である。

「全く……リジャイは何処に行ってしまったのやら……」

 もしかしたら、もう戻ってこないのではと考える。
 枷を外し、国を出て行ってしまったのではと……。
(リジャイならば、飄々とやってのけてしまいそうだな……)
 普通ならば焦る所であるが、不思議とそんな気持ちは起きなかった。
 早夜の存在が、ナイールにそう思わせているのかもしれない。

 一見頼りなく、お人好しで馬鹿正直な少女……。

 だが、ムハンバードに対面させた時に見せたあの力。
 あの男をあそこまで怖がらせ怯えさせた少女の存在は、ナイールにとって痛快であったし救いであった。
 だが、早夜の事で腑に落ちない事もある事にはある。
 あれ程の力を持っているのだ。その力を使って、この国を脱出する事も容易い筈である。
 それなのにこの国に留まる理由。
(いつでも逃げられると言う自信からか、それとも何か目的があるのか……)
 実際早夜は、何かを隠しているようでもある。
 何かやましい事がある時、早夜はナイールが何か言うのにも一々大袈裟な位に反応する。
 嘘を付いてもその目は正直なのだ。
 だが時折、全てを見透かすような瞳を向けてくる事がある。ほんの一瞬であるが……。
 しかしながら、今はまだ追及するつもりはなかった。
 追求しすぎて逃げられても困る。
 そんな事になれば、ムハンバードは息子のナイールであろうと厳しい罰を与えるだろう。しかも嬉々として。

「いや待てよ……お人好しのサヤの事だ……この事を告げれば無闇に逃げようとは思わないかもしれないな……」

 そう呟きながら、我ながら卑怯な事を考えると苦笑する。

「いいや、止めておこう。もっと違う気持ちでこの国に留めなければ……」

 そしてナイールは、机に置かれた箱を手に取る。

「さて、この贈り物は気に入ってくれるだろうか……」





 一方早夜はと言うと、いまだ腕輪でマオと連絡を取っていた。

『それではサヤ、他の者達に何か伝言はないのか?』
「え? 伝言ですか?」

 うーんと唸りながら考える早夜。

「えっと……それじゃあ、王様と王妃様に……絶対に無茶とかしませんから心配はしないで下さいと伝えてください。戻ったらまた、色々とお話聞かせて下さいと」
『ウム、分かった。他には?』
「それから、ミヒャエルさん親子には、また一緒にディナーが食べたいですと……デザートも楽しみにしていますと伝えてください」
『フム、何だサヤは食べ物に何か執着でもあるのか?』
「え!? いいえ! そういう訳ではありませんけど……」
『まぁいいか。伝えておいてやろう』
「はい、ありがとうございます。それからセレンさんには、リュウキさんと会えたら、直ぐにでも連絡しますからと……」
『つまり、その時も妾が橋渡しをすればよいのだな? よし、任されよう!』
「それと、シェルさんには……」

 そう注げた時、何か腕輪の向こうで息を飲む様な音がした気がした。

「えと……シェルさんには謝っておいてくれませんか?」
『謝る? 何故だ?』

 マオがすぐさま聞き返してきた。

「あの、それはですね……さっき私は人の心を変えると言いましたよね? もしかしたら人の魂を見る事になるかもしれないので……シェルさんには、以前誰かの魂を見る時は必ず言うと約束していて……今回、そんな事になっても、シェルさんに言う事が出来ませんから」
『なるほど、それで代わりに謝っておいて欲しいという訳だな?』
「はい、よろしくお願いします」
『フム、それにしても、サヤは人の魂が見えるのか。それは是非とも妾の魂も見てもらいたいものだな』

 マオは楽しいそうに呟く。
 そこで早夜は「あ」と思い出した。

「そうだ、バーミリオンさん」
『何ですか?』

 彼はまだ傍に居たようで、直ぐに返事が返ってくる。

「実は、オースティンさんと初めて会った時、彼の魂を見てしまったんです。出来れば、その事を謝っておいてもらえませんか? 何だか、勝手に魂を見る事って、やっぱり失礼な事だと思うんで……」

 バーミリオンは、早夜に初めて会った時の事を思い出す。
 そして、成る程と思った。
(それでお館様の目の事が分かったのか)

『分かりました。お館様に伝えておきましょう』

 バーミリオンがそう告げた後、何やらマオが興奮したように尋ねてくる。

『それで? もっと何か他に伝言はないのか?』

 その口調に、早夜は首を傾げながら呟く。

「他に、ですか……?」
『そうだぞ、サヤ。シェル殿の次は、やはりリカルド殿だろう? 妾としてはより歳の近い分、サヤの心は彼に向いていると見た! どうだ? 当たっているか?』
「えぇ!? いきなり何を言っているんですか!?」

 早夜は思わず、あの丘での出来事を思い出してしまう。
 自分から口付けをしてしまった事。その事はやはり、自分がリカルドの事を好きだという事だろうか。
 顔を真っ赤にして考えていると、マオは更に追求してくる。

『それとも何か? 大人の魅力でシェル殿か!? あの三つ目の男は如何した? 常にサヤの傍に居るのか?
 だとしたら、そこは離れた男より、傍に居てくれる男の方に気持ちは向くものなのか?』
『マ、マオ王女!? 本当に何を質問しているんですか!? 今はそのような事を聞いている場合ではないでしょう!』

 バーミリオンが声を荒げて注意するのが聞こえる。
 早夜はその声を聞きながら、リジャイの事を思い出し、彼は今傍に居ないという事を告げた。

「リジャイさんは今、他に大事な用があるそうで、この国には居ないそうです。遠い場所だそうで、直ぐに戻って来る事も出来ないと言っていました」
『何だ、そうなのか……』

 そう呟くマオの声は、とても残念そうであった。

『うーん……妾としては、今ひとつ物足りないな……。やはりここは、サヤに愛の言葉でも囁いてもらわねば……。
 そうだ、サヤ! ここはリカルド殿には一つ、“毎夜、夢の中でお会いしております”的な事を言ってだな……』
「えぇ!?」
『マ、マオ王女!? 一体その発想の出所は何処にあるのですか!?』
『ん? それはだな、いま巷で流通している恋愛小説の数々からだが? サヤは全く持って、妾の読む本の主人公の様に様々な男からモテモテではないか! ここは小説の通り、一人の女性を取り合って、男達が決闘する様を是非とも見てみたい!』
「だ、駄目ですよ、決闘なんて!」
『そ、そうですよマオ王女! そういうのは小説だから面白いのであって、実際に起こったら大変な事ではないですか!』
『うーん、考えてみればそうかもしれないな……。妾としても、あまり血生臭い事は見たくないものだからな。それでサヤ、リカルド殿には何と伝えるんだ? まだ彼への伝言は聞いていないぞ?』

 マオが考えを改めてくれた事にホッとしながら、早夜は取り敢えずこう言った。

「じゃあ、リカルドさんには、マシューさん達に宜しくお伝えておいて下さいと言っておいてもらえますか?」
『おお、マシュー……また新たな男の名だな。何だサヤ、何だかんだ言って、他の男の名を告げる事で嫉妬させる気なのだな? よし、分かった! 伝えておこう!』
「あ、あのー、決してそんなつもりじゃあ……」

 その時である。早夜の目の前にカンナが現れる。

「サヤ様、ナイール王子が此方に向かっております……」
「え、そうなんですか? えっと、それじゃあマオさん、そういう事ですので通信を切りますね」
『うむ、分かった。ちゃんと伝言は伝えておくからな!』
「……よ、宜しくお願いします……」

 果たして彼女に任せて大丈夫だろうかと、少々不安を感じながら早夜は頷く。

「それでは、バーミリオンさんも……」
『はい、安心してください。マオ王女が余計な事を言わないように見張っていますから』
『ム? 余計な事とは何だ?』
「はい、宜しくお願いします」

 ホッとしながら早夜が言うと、

『ムムッ、早夜まで宜しくとは何だ!?』

 憤慨するマオの声が聞こえてくる。
 そんなこんなで、早夜は腕輪の通信を切ったのだった。




 その頃ナイールは、早夜のいる自分の部屋へと戻るべく、廊下を歩いていた。
 そうして暫く廊下を歩いていると、貴族がよく通る場所に差し掛かる。近くに貴族が集まる社交場が存在するのだ。
 そこに、壁に寄りかかっている少年を見つけた。
 首には銀色の枷。
 異界人の血を引いているのか、クリーム色の髪をした綺麗な顔立ちをした少年だった。
 恐らく、貴族の誰かが所有している奴隷であると知れた。
 幾分か細いが、それでもまだ大事にされている方だろう。もっと酷いと、指の一本や二本なくなっている者もいる。
 ナイールは不審に思って声を掛けた。

「君は誰の元に居る者かな……」

 この容姿でこんな所に一人で居たら、直ぐにそういった趣味の者が近づいてきて攫っていってしまいそうである。
 特に異界人の奴隷は、物珍しさから欲しがる貴族も多い。
 しかしながら、奴隷を手に入れる為にはそれなりの手続きも要る。何故なら奴隷は王のものだからだ。
 だから、奴隷を所有している者は貴族の中でも、ある程度地位の高い者が多い。位の高い者のステータスとも言えよう。

 少年は此方を見上げる。感情の無い瞳であった。
 にも拘らず、少年は笑みを向けてくる。
 ナイールは眉を顰めた。
 明らかに誘っているような微笑み方であった。
 少年は眉を顰めるナイールを不思議そうに見つめてくる。

「質問に答えてくれるかな?」

 貴族のものに手を出すと、例え王子の身であっても何かと問題になる。
 ナイールにその手の趣味はないが、言いがかりでも付けられれば面倒な事になるだろう。ただでさえ、自分や王に取り入ろうと画策する者は多いのだから。ある意味、それが貴族の仕事と言っても過言ではないのではなかろうかとナイールは思っていた。
 そして、少年はナイールの質問に答えるように、その腕を見せてくる。
 そこには印が存在した。貴族が奴隷を自分の物だと示す印である。
 それを見てナイールは、ますます眉を顰めた。

 その貴族の事はよく知っている。
 ナイールはその人物を苦手としていた。

「ナイール王子様……」

 直ぐ背後で低く色気のある声で囁かれ、ナイールはバッと後ろを振り返る。
 驚くほど至近距離に、こげ茶色の瞳があった。

「……っ、バージ殿……」
「いいえ、王子様、家名ではなく、私の事はどうかダウシェダと名前でお呼び下さい」

 柔らかく微笑み、優雅に礼をする男。名をダウシェダ・ラ・バージと言った。
 彼は王であるムハンバードと同年代であったが、見た目はとても若く、まだ二十代後半と言っても支障はなさそうである。しかも、何処か中性的な感じのする彼は、ナイールに負けず劣らず、秀麗な顔立ちをしていて、男女に拘わらず虜にするような容姿をしていた。
 実際、彼に言い寄るものは多く、ダウシェダ自身も自分の気に入った者であれば、同性であっても相手をするような人物であった。
 ナイールが彼を苦手とする理由、それは……。

「ああ……ナイール王子様……今日もあなたは美しい……。あなたにならば、シェダと愛称で呼んでもらいたい……」

 甘く囁いてくるダウシェダ。
 彼は事ある毎に、こうしてナイールに言い寄ってくるのだ。
 しかしながら、この事ばかりがナイールが彼を苦手とする理由ではない。
 同性愛はこの国では別に珍しい事ではなかったりする。ナイールに言い寄ってくる者も、何もダウシェダばかりではなかった。
 では何故苦手としているのか、それはダウシェダがナイールをある者と重ねて見る為である。
 そのある者とは……。

「本当にあなたは、若かりし頃の王によく似ている……。今はあの様になってしまわれたが、以前の王は、それはもう精悍で逞しく、かつ美しさも兼ね備え、その蜂蜜色の瞳は、見詰められれば甘く熱く全てを蕩けさせんと――」
「バージ……いえ、ダウシェダ殿……」

 彼の言葉を遮る様に、ナイールはわざと名で呼んだ。
 すると、とても嬉しそうにダウシェダは笑い、ナイールを見つめる。

「ああ、漸く名前で呼んで下さいましたね、ナイール王子様……」

 ダウシェダが重ねて見ているある者。それは、若かりし頃のムハンバード王。
 どんなにその頃の王が素晴らしくても、今のムハンバードしか知らないナイールにとっては苦痛だ。今のムハンバードと比べられている様で嫌悪の方が先立つ。しかも、このダウシェダは、その頃の王を慕っていたようで、その想いを息子のナイールに押し付けようとする。
(全く……何処までも私に迷惑を掛けてくれる……)
 心の中でムハンバードに悪態をつくナイール。忌々しく思い、顔を顰める。そして話を逸らそうと、チラリと奴隷の少年に目を向けた。

「何故この様な所に奴隷を一人で置いているのですか? ここはこういった少年が趣味の者をよく通ると思うのですが……」

 連れ去られても知らないぞという意味も込めてダウシェダを見たのだが、その彼はニッコリと笑ってこう言ってきた。

「ええ、まさにその通り。うまく引っかかってくれればよいのですが」
「……?」

 それはどういう事だろうかと、疑問を投げかける瞳を向けると、

「あの奴隷は餌なのですよ」

 と、何でも無い様に言った。

「餌?」
「ええ、こうして美しい少年奴隷を、こういう場所に置いておけば、惹かれて食い付く者もいるでしょう。いつもは少女を置いているのですが、今日は趣向を変えてみました」

 まるで釣りを楽しむような口調のダウシェダ。
 顎を撫でながら、「さて、目当ての獲物は引っかかってくれるでしょうか」と呟いている。
 その悪趣味さに顔を顰めたい所であるが、ナイールは表情を変えず、静かにダウシェダを見やった。
 そして、「それでは……」と一言言ってこの場を離れようとしたのだが、その背にダウシェダが声を掛ける。いち早くこの場を離れたいナイールは、視線だけを彼に向けた。
 すると、何故か嬉しそうな顔をしているダウシェダ。

「そういえば、聞きましたよ?」
「……何をですか?」
「奴隷を一人囲ってると聞き及んでおりますが」
「………」
「何でもアルフォレシアから奪い取った異界人とか……王のご命令でしょうが、自室に大事に隠しているようですね。今まで一度も奴隷を傍に置く事など無かったのに……奴隷の服ではなく、正装までさせている様子、私もその異界人に非常に興味をそそられますね」

 眉を顰めるナイールのその反応を楽しむ素振りで、ダウシェダは言葉を続けた。

「どうです? ここは一つ、私の奴隷と一日だけでも交換しませんか? お望みとあれば、お好みの奴隷を好きなだけお貸ししますよ?」
「お断りする、ダウシェダ・ラ・バージ。私はあなたの悪趣味な遊びに付き合うつもりは一切無い」

 見る者全てを怯ませる、そんな嫌悪と蔑みの篭った瞳を向けられてもなお、ダウシェダは平然としていた。いや、何処かうっとりとした表情でナイールを見つめている。

「ああ、あなたのその眼差し、ゾクゾクしますね。そのアイスブルーの瞳にぴったりだ……。知っていますか? かのサーゴ王の后、ソラ王妃もまた、あなたの様な瞳の色だったそうですよ。王家の血筋に相応しいと思いませんか?」
「失礼する……」

 ナイールはダウシェダの言葉を無視して、今度こそ立ち去ろうとする。

「ムハンバード王も、かつて奴隷を囲った際、正装をさせていましたよ。やはり親子ですね……」

 親子という言葉に、そして今言った事実に、ナイールはピタリと足を止めた。

「……ナイール王子様、あなたは何処までもムハンバード王に似ております……」
「その様に、あの男と比べるのは止めてもらおうか。あなたを殺したくなる……」
「どうぞ、ご自由に……。あなたに殺されるのなら、私も文句は言いません。しかし、どんなに足掻いて見せた所でナイール王子様? あなたとムハンバード王には、切っても切れない血の絆があるという事をお忘れなきよう……」

 ナイールがバッと振り返ると、ダウシェダは少年奴隷を連れ、立ち去ろうとしている。一度だけ此方を見てフッと笑うのを見て、ナイールはギリッと拳を握り締める。
 今しがた聞いた彼の言葉は、ナイールの心に何処までも深く突き刺さるのだった。


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