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《第一章》
7.仏心、陽明
 早夜は部屋の扉を開け、キョロキョロと廊下を見た。
 誰も居ない。誰かがやってくる様子もない。
 ナイールは執務をこなさなければと部屋を出て行った。
 そうなれば、暫くは戻ってくる事もない。
 よし、と頷き、早夜は部屋に戻り、ベッドに腰をかける。
 そして……。

『おお! サヤ、元気か? 何の音沙汰もないから心配したぞ!』

 早夜はマオの友情の証の腕輪を使いアルフォレシアに連絡をする。すると直ぐに返事があった。
 恐らくマオは、ずっと腕輪をしながら早夜からの連絡を待っていたのだろう。
 早夜は直ぐに連絡が出来なかった事を、申し訳なく思った。
 そして、この明るく元気な声に、何だかホッとした。
 あのナイール王子を前に、ずっと気持ちがもやもやとしていたのだ。

「すみません、マオさん。今までナイール王子がずっと傍に居て、一人になれるチャンスがあまり無かったものですから」
『何!? ナイール王子とな!?』
『ナイール王子、クラジバールの王位継承者ですね? 彼以外に王の子供は居ないと聞いていますから……』
「あ、あれ!? その声はバーミリオンさんですか!?」

 何故かいきなり、バーミリオンの声が聞こえてきた事に驚く早夜。

『いやな、実はこの男が妾の部屋の前でうろついていたんでな……。それでなサヤ、このバーミリオンと妾は、この度友人となったぞ! 共にサヤを応援しようと誓ったんだ! 今も、サヤの話で盛り上がっていた所だぞ!』
「えぇ!? 私の話? 一体どんな話ですか?」

 自分の話など、一体どんな事なのかと非常に気になった。

『フフン、それはな――』
『マオ王女! 今はあまり無駄話はしないようにして下さい! サヤさんは今、周りにバレない様に我々に連絡を取っているんですから!』

 バーミリオンがマオの言葉を遮った。
 何だか焦っているように思うのは気のせいであろうか。

『そうか、それもそうだな。バレてしまっては元も子もないものな』
『そうです。ではサヤさん、そちらではどうですか? 会いたい人には……お兄さんには会えましたか?』
「あ……いえ、それが……。蒼ちゃん……私のお友達には会えたんですが、リュウキさんとはすれ違いになってしまって……結局会えずじまいでした」
『そうですか……。それは残念でしたね』
「でも、今度ナイール王子が他の異界人の人達に会わせてくれると言っていたので、その時に会えると思います」

 早夜のその言葉に、マオが嬉しそうに『よかったな』と言ってくる。
 その事に礼を述べようとした時、マオは続けざまにこう尋ねてきた。

『で? どうなのだ、サヤ? そのナイール王子とやらは、どんな男なのだ?』
「え? ナイール王子ですか? えっと……」

 先ほどの彼との会話を思い出す。
 あの深く暗い水底のような彼の瞳。

「……優しい人だとは思います……私を王様から庇ってくれましたから……」
『サヤ……?』
「ただ、心に何か、欠けたものがあるのかもしれません……それが何かは分かりませんが……」
『……ちょっと待て、サヤ。王から庇われたとはどういう事だ? クラジバールの王に、何かされたのか?』

 早夜はしまったと思った。
 鞭打たれた事は伏せようと思っていたのだ。
 あのアルフォレシアの優しい人達を、心配させたくないと言う思いがあった。
 ただでさえ今の状況は、大きな心配事なのだろうから。
 だから、誤魔化す事にする。

「いえ、その、ちょっとばかり、王様の怒りを買ってしまって……」
『そんな、大丈夫なのですか!? クラジバールの王は、冷酷で残忍だと聞いています。何もされませんでしたか?』
「は、はい! それをナイール王子が庇ってくれたので、全然大丈夫ですよ! 今私、元気ですし、無傷ですし!」

 これは本当の事なので、きっぱりと言った。

『おお! そうして男女の恋は始まってゆくのだな!』
「えぇ!?」
『マオ王女! このような状況で、不謹慎です!』

 バーミリオンの怒りを含んだ声が聞こえた後、彼は早夜にも言った。

『サヤさんも、庇われたからといって、むやみやたらと人を信用しないように!』
「は、はい。御免なさいです……」

 バーミリオンに怒られ、早夜とマオが彼に謝ると、ゴホンと言う咳払いの後、

『いえ、此方こそ感情的になってしまいました。しかしサヤさん、何か危険が及ぶようなら直ぐさまマオ王女に連絡する事。いいですね?』
「はい……分かりました」
『あなたに何かあれば、お館様も兵を動かす準備は出来ているそうです』
『うむ。妾も、父王に掛け合って、もし何かあっても直ぐに援助できるように話をつける事にしよう!』

 兵を動かす。それは戦争をするという事だろうか。
 早夜はその物騒な話に戸惑いを覚える。
 自分の安否一つで、国同士の争いに繋がると言うのが、信じられない。
 何だか、いきなり怖くなってきた。

「そんな……危険な事なんて絶対に起こりませんから……。だから、兵を送るとかそんな事言わないで下さい……」

 願うように早夜が言うと、腕輪の向こうのマオたちは、暫し無言となった。

『……サヤさん。あなたは本当に平和な世界からやってきたんですね……。怖がらせてすみませんでした。しかし、これだけは覚えておいて下さい。争い無くして平和は訪れません。一度始まってしまえば、それは止まる事もありません。
 私の国は、傭兵国家ですので、様々な国や部族の争いに介入してきました。だからこれは断言できるのです。もし、争わずとも平和が訪れるのだとすれば、それは奇跡です。神のなせる業だと私は思います』

 彼のはっきりとした物言い。
 早夜の胸にズシンと響いた。

『何にしろ、クラジバールは既にアルフォレシアに宣戦布告をしてしまっている。あなたを奪うという行為でもって……』
「そんな……じゃあ、私がクラジバールに行くなんて言わなければ……」
『いいえ、例えあなたがクラジバールに行かずとも、クラジバールがあなたを奪おうとした事実は消え去りません。ですからやはり、争いは避けられない事だったと思います……』
「……それじゃあ、私は如何すれば……」
『ですから、あなたはただ、自分の目的のみを果たしてください』

 静かな声音に、彼が本当に自分の事を心配している事がよく分かった。
 しかし、争いは避けられないと聞き、早夜は自分があまりにも無力であると痛感させられる。
(何かを変えたくて、私はこの国に来たけど、私には無理なのかな……何も変えられないのかな……?)
 いくら万物の力なんて凄い力を持っていたとしても、その持ち主である自分がそれを上手く使いこなせていない。
 だって自分はついこの間まで普通の高校生だった。
 そう思っていた。
 しかも、戦争とは無縁の平和な国で育ったのだ。
 そんな自分がこんな力を持っているのは、何か無理があるような気がする。
(私は、この力の使い道がよく分からない……)
 早夜は胸の前に手を組みながら唇を噛んだ。
 何も出来ない自分が歯痒く感じた。
 だがその時、ずっと黙っていたマオの声が聞こえてきた。

『あのな、バーミリオン。さっきお前が言っていた事なんだけどな。本当に、争い無くして平和はありえないのか?』
「マオさん……?」
『何も、甘えた考えで言っている訳じゃないんだ。実を言うと、妾も力づくでサヤを連れ去ろうとしていた』

 その事は、早夜もよく覚えている。
 マオは自分の父の為、早夜をどうにかして、コーラン国に連れて帰ろうとしていたのだ。

『妾はその時、父王の事ばかり考えていた。早夜を連れ去る事によって起きる争いも、予測できていなかった。いや、しようとしていなかった……。けれど幸いにも、妾はサヤがその人物だとは知らずに出会った。そこでサヤは、無理矢理ではなく、友として国に招けばいいと言ってくれた。そして、ちゃんとこうして、友にもなってくれた。
 バーミリオンの言うとおりなれば、コーラン国はアルフォレシアと争わねばならぬな。妾がサヤを連れ去ろうと……奪おうとした事実は消えぬのであろう?』
『しかしそれは――……』
『サヤは妾の気持ちを……心を変えてくれた……。これは奇跡とは違うのか? 人の心を変えるのはとても容易い事ではない。しかし、サヤならば出来ると思う。妾はそう信じている。
 サヤ、クラジバールの者たちの心を変えて見せろ。友としてしまえ。奇跡を起こせ!』

 マオの言葉は早夜に力を与えるようであった。
 そして、思い出していた。
 かつて早夜に、幸せになりなさいと言ったあの人の言葉。

(仏心、陽明……)






 それは、今でテレビを見ていた時の事、どこかの国で戦争を行っている映像が流れた。
 それを見た早夜は恐ろしくなり、チャンネルを変えようとした。
 しかしそれは、皺くちゃの手によって止められてしまった。

「おじぃちゃん先生?」

 いつの間に来ていたのか、彼が早夜の傍らに座り、早夜の頭に手を置いた。

「早夜、そのように、嫌なものから目を逸らしてはいけません。それが例え残酷で、恐ろしいものだったとしても、実際に起きている事からは絶対に目を逸らしてはいけないのですよ……」
「どうして?」
「どんなに恐ろしく悲しい事だとしても、そんな風に現実から逃げようとすれば、それは何時までもあなたに纏わりついて、離れないものとなってしまうからです……そうなれば、それは更に恐ろしいものとして、あなたの中に残ってしまいますよ。だから、真実から目を逸らしてはいけないのです」
「でも、戦争って何でおきるの? あんなに怖いこと、何でするの? 人がいっぱい死んじゃうのに、何でこの人たちは出来るの?」

 チラリと画面を見ると、銃を持って戦車の前を歩く兵隊が映っていた。
 そして、家族を亡くして泣いている人々。
 早夜は堪らなくなって、傍らに座るおじぃちゃん先生にしがみ付いた。

「人には信じるものや道理があり、しかもそれらは人によって違かったりします。そしてそれが時に、人と人との間でぶつかり合う事で、(いさか)い……つまり喧嘩となってしまいます。それが人と人との間ではなく、国と国との間で起こってしまうと戦争となってしまうんです」
「喧嘩なの? じゃあ、仲直りすれば戦争は終わるの?」
「……そうですね。仲直りできればそうなりますね……。でも、多くの場合、犠牲をたくさん伴った後、どちらかが負けを認めるまで続きます……」
「じゃあ、早く負けを認めちゃえばいいのに……」
「しかし、そうは簡単に負けを認められないのが、国と国との戦争です。国の威信を掛けたものになると、最早意地の張り合いですね……」
「そんなの馬鹿みたい……」

 キュッと眉を下げ、早夜はおじぃちゃん先生を見上げた。
 彼はフッと笑って頭を撫でてくる。

「そうですね、馬鹿みたいですね……」
「戦争はなくならないの?」

 不安げにポツリと呟けば、見上げた彼の顔は悲しげに前を向く。
 映像には、様々な国の人々が映っている。皆、暗く憎しみの篭った眼差しをしていた。

「戦争とは人の心が生み出したものです。そう簡単にはなくなりません」
「じゃあ、人が生み出したんなら、人が無くせるんじゃないの?」

 深く考えずに思いつきで言った言葉であった。
 しかし、彼は驚いた顔をした後、嬉しそうに笑って、褒める様に早夜の頭を撫でた。

「そうですね。争いを起こすのが人の蔑みや疑念や恨みであるのなら、思いやりや信頼や優しさといった想いが争いを止めるかもしれませんね」

 早夜は、思いがけず自分が正解を言ったのだと喜び、ニッコリと笑うと、頭を撫でていた手が、早夜の小さな肩に乗った。

「でもね、早夜。それが最も難しい事かもしれませんよ。生半可な気持ちでは、人の心を変える事は困難です。特に一度植え付けられた蔑みや疑念や恨みは、とても深く根をはるものです。
 ですから早夜、人の心を思いやりや信頼や優しさに変えたいのならば、あなた自身もそれ以上の正の心で人に接しなければなりません」
「せいの心?」

 首を傾け早夜が呟くと、彼は優しく笑って頷いた。

「仏心、陽明です」
「ぶつしんようめい?」
「慈しみで持って全てを包み込む仏の様な心で、全てを照らす太陽の様な明るさで人の心を解きほぐすんです」






「仏心、陽明……」

 早夜はポツリと呟く。

『如何した、サヤ?』

 腕輪の向こうでマオが声を掛けてくる。

「マオさん、私やってみます。何処まで出来るか分からないけど、人の心を変えるなんて、物凄く難しい事だけど……でも、この国の人たちの心を変えて見せます!」
『ああ! サヤなら出来る! クラジバールを友としてしまえ! ……なんだ、如何したバーミリオン? そんな呆けた顔をして……』
「あ、バーミリオンさん。いろいろと忠告ありがとう御座いました。私、奇跡を起こしてみようと思います」
『はは……本当にあなたなら奇跡を起こしてしまいそうだ……』

 バーミリオンの声は掠れていた。
 そして一言謝ってくる。

『すみません、サヤさん。先ほど私の言った事は忘れて下さい。あなたに無茶な事をして欲しくなくて、争いを避ける事など出来ないと言いました。
 しかし、そうですね。今サヤさん達が言ったように、クラジバールの人たちの心を変える事が出来れば、平和的に解決できるかもしれません……』
「バーミリオンさん……心配してくださってありがとうございます。私、がんばりますから」
『ただ、これだけは忘れないで下さい。あなたは、ただ一人の体ではないという事を……。私も……他の方達も、皆あなたの無事を願っていますから……』

 彼のその言葉は、温かく早夜の胸に響いた。



 何となしに浮かんだ「仏心陽明」という言葉、仏教では本当にある言葉なのだろうかとネットで調べてみた所、お墓詣りの作法とかが出て来ました。
 まぁ気にするな私! 一応仏教には関係するみたいだから!
 と自分に言い聞かせました。
 もし仏教に詳しい方が見ていて、「何言ってんだこいつ」と思われても、どうか温かい目で見てやって下さいませ。
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