!!注意!!
今回、胸の悪くなるような表現、言葉が出てくると思います。
(一体、如何してこんな事になってしまったのか……)
グースは、目の前で蠢く赤い液体を眺めながら、ぼんやりと考える。
自分はただ、異界人について研究しているだけの学者だった筈だ。
しかしある時、とある記述を見つけてしまった。バスターシュの民の始祖が、異界人であるという記述だ。
異界人は敵である、と言われ続けてきたグースにとって、それは衝撃的な事実だった。
それにより、今までの考え方もガラリと変わった。
そして何より、国が行っている戦全てが、無意味なものに思えてきた。
我等は同じ、異邦人だと言うのに、何故手を取り合えないのだろう、分かり合えないのだろう。
だから、グースは進言したのだ。和平を結ぶべきだと。
まさか、その考えが通るとは思ってなかった。
でも、妻も娘も喜んでくれた。これで無駄な争いは終わるのだと。
自分の夢。
それは、この世から争いがなくなる事。
人々が手を取り合い、未来を築きあげる事。
これから生まれてくる者たちが、幸せに暮らせるように……。
なのに、あの男は言った。
「この国の要人を殺せ」
そして渡される、毒と針の仕込まれた指輪。
「これで、握手でもした時に刺せ。相手は一瞬で死ぬ」
「なっ!? 何故そのような事を!? 和平に来たのではないのですか?」
すると、バストラは見下したような目でグースを見、そしていやらしく笑った。
「和平だと? 馬鹿な事を……。可笑しいとは思わなかったのか? お前のようなただの学者が、そんな大役を何で仰せつかったのか……。
これは見せしめだ。これ以上、可笑しな事を言う奴が居ないようにと言うな」
「そんなっ、だとしても、私はこんな事出来ません!」
そう言って、渡された毒と指輪をつき返す。
しかし、バストラは更に、いやらしく笑った。
「そんな事をすると、お前の妻と娘が悲しむぞ? 無事に会いたいだろう? グース……」
サッと血の気が引くのを感じる。
それは……それの意味する事とは――。
「妻と娘に、何かしたんですか……?」
グースは震える声で、そう訊ねる。
「さぁ? それはお前次第なんじゃないか?」
グースは突き出していた手を、下におろす。
「そうだ。大人しく言う事を聞け。お前の愛する、家族の為にな」
一体誰を殺すべきか。
グースはそれから、そのような事を考えていた。
なるべく、大事にならない人物がいい。それでいて、要人とも取れる者……。
「何!? あの異界人を殺すだと!? あんな小娘一人殺した所で、どうにもならないのではないか!?」
「あの娘は“幸福の遣い”です。幸福を呼び込むあの娘が居なくなれば、この国にこれ以上の発展は望めないでしょう。
それに、気付きませんでしたか? 昨日、あの娘に付き添っていた護衛の者。あれはこの国の王子です。それも二人。大分大事にされているようですよ」
暫く渋っていたバストラであったが、
「まぁ、いいだろう。余計な真似はしない事だ。見張っているぞ」
ククッと笑って、そう言うのだった。
あの異界人の娘、まだ子供のようであった。
グースは、自分の娘と重なり、胸が痛くなる。しかし、グースは心を殺した。
妻と娘、そしてこれから生まれてくる命の為、悪魔になろうと決めた。
グースは指輪を嵌め、チャンスを待つ。
そして、そのチャンスは廻ってきた。護衛が王子一人になったのだ。
グースは、彼らの前に立つ。大事な話があると呼び止めた。
ここまでは予定通りだった。
だが、グースはその娘の顔を見て、愕然とする。
それは、この国に来た時、自分を介抱してくれた娘だった。
自分の事を、父親のようだと言って、涙を見せた娘であった。
ああ、と思った。
これは罪だと。そして、悪魔になる代償だと。
少なからず、縁を持ってしまったこの娘を殺す事……。
グースはその娘の手を握った。
「あ……」
少女が声を発し、そして此方を見つめる黒い瞳。
(ああ、これが私の今に姿。悪魔に魂を売る自分の姿……)
グースは、少女の瞳に映り込む、自分の姿を見て、そう思った。
その後、少女は毒を受けたにも拘らず、まだ息を意識をしっかり持っていた。
しっかり殺すには、傍に居るこの王子も邪魔だと思い、彼に手を伸ばすも、少女がすんでの所で彼を庇った。そして、魔方陣と共に姿を消してしまった。
呆然とする中、入れ替わるように、目の前に三つ目の男が現れ、手足を折られる。後ろの方で隠れていたらしいバストラも捕らえられ、自分と同じ様に手足を折られた。そして、何処かに移動させられる。
そこで見た光景。
既に死んでしまったと思われる少女の姿。
役目を終えたと思うと同時に、その姿に心が痛んだ。そして、少女がこんなにも、愛された者である事を知った。
それから奇跡が起きた。少女が生き返ったのだ。
グースは、少女に救われたような気がした。
自分は殺してはいなかったのだ。そして、愕然とする。
もしあのまま、この少女が死んだままであったなら、自分は果たして、家族に笑顔で会えただろうかと。この手で、娘を抱き上げられただろうかと……。
一生拭えぬ罪を背負って、家族に偽りの笑顔を向けていただろうと思った。
そうグースは、思い改めて、今度は少女を感謝の念で見た時である。
隣で転がるバストラが、何やらごそごそとしているのが見えた。
折れた腕で服を漁り、何かを取り出す。
それは、透明なガラス玉の様だった。
バストラは一度、グースの方をチラリと見ると、ニヤリと笑い、それを口に入れ、そして――。
赤く蠢く液体は、小刻みに震え、まるで何かを求めるように、グースの体を這い上がろうとする。
ゾッとして思わず、
「よせっ、くるな!」
と叫んでいた。
顔を真っ青にし、痛みの走る手足を必死に動かし、その液体から逃れようとする。
するとバストラが、さも可笑しそうに笑いながら言った。
「ああ、可哀想に。父に拒絶されるとは――……」
グースはピタリと動きを止め、バストラを見る。
「ああ、駄目です。グースさん、聞いては駄目です!」
その時、少女の声が響く。目を向けると、必死な顔でそう訴える、漆黒の髪の少女の姿。
彼女は、二人の王子に支えられ、悲痛な表情で此方を見ていた。
早夜は、必死になって叫ぶ。
あの、バストラという男の言葉。そして、贄の魔法を見て、最悪な答えが早夜の中で導き出された。
以前見た、この贄の魔法。その時、早夜の中の知識は告げたのだ。
胸の悪くなるような、その素となる魔法の原材料を。
彼が今、それを聞いては駄目だ。早夜はそう思い叫んでいた。
しかし、バストラは構わず話し続ける。
「分からんか? それはな、“贄の魔法”と言う。それに人を喰わせる事によって、術の威力が増し、大爆発を起こす。
だが、残念な事に、まだ完全ではないのだよ。グース、お前が完成させてくれないか?」
バストラが、今までで一番のいやらしい笑みを見せた。
誰もバストラを止める事は出来ない。彼の周りに存在する結界は、強力な物だった。
「クソッ、こりゃリュウキん時と同じ結界か?」
「これは私にも、解除不能です……」
近くにいたカートとルードが、結界を壊そうと試みるが、無駄に終わった。
早夜も何とかしたかったが、今は魔力をあまり出す事は出来ない。まだ毒と体の回復が完全ではない為だ。
リジャイはどういう訳か、黙って見ているだけであった。
「バストラさん、あなたは一体何が言いたいのですか……?」
顔を真っ青にして、微かに震えながら、グースは聞く。
頭の何処かで、聞いてはいけないと警報が鳴っていた。
バストラがニヤッと笑う。
「この魔法を造り出すのに必要な、原材料を教えてやる。それは――」
「止めて下さい!」
早夜はそれを遮る様に叫ぶが、バストラは早夜をちらりと見て、さらに笑みを深くするだけだった。
「あの娘はこの原材料を知っているらしい。お前にも教えてやろう、グース。それはな、十にも満たない子供の生き血と胎児の心臓だよ。
ああ、そうだ。お前の妻の胎の子は、男児だったそうだぞ……」
ここに居る者全てが衝撃を受け、そしてグースは、一瞬にして絶望の淵へと追いやられた。
「ああ……あぁ……」
「そうだ。もっと絶望しろ。深い悲しみと絶望と恐怖。それが最後の材料となる。
ああ、そうそう、何故お前がそれを吐き出したのか教えてやらねばな。それはな、お前の中に術の元があったからさ。ここに来る途中、馬車の中で、お前は何を飲んだ?」
そう言われて思い出す。酔い止めとして渡された、カプセル状の薬。
「もう分かっただろう? あれは酔い止めの薬なんかじゃない。あれはな、お前の息子の心臓だよ、グース……」
「うああぁーー!!」
グースは叫ぶ。叫びながら吐いた。
それは赤くはない。彼自身が吐いた吐しゃ物だ。
今更吐いた所で、ソレを吐き出せる訳ではないのに、グースは吐き続けた。
涙が止め処無く溢れる。
「良かったな、グース。お前はずっと、息子と一緒にいたんだよ。それにあの赤い液体。元はお前の娘だ。可愛がってやれ」
聞いている者は皆、胸が悪くなってくる。
「何と非道な事を……」
これはアルファードの呟きだ。
「ああ、グースさん……」
早夜は涙を流していた。
彼が嬉しそうに自分の娘について、語っていた事を思い出す。子供が生まれてくるのだと、喜んでいた事も。
「外道だな……」
「ああ……許せねえ……」
シェルとリカルドが呟いた。
術は今まさに完成しようとしていた。
グースの深い悲しみと絶望に呼応するように、赤い液体が大きく震えた。そして、グースに近づき、彼の体を這い上がり始めた。
グースはもう、抵抗はしない。逆にその液体に向かって、抱き締めようと手を伸ばした。
「うぁ――……ミ、モザ……ミモザ――」
それは恐らく、娘の名であったのだろう。彼はそう呼び続けた。
液体は今、グースの体を包み込もうとしている。
「あ……」
その時早夜は見た。
彼の上空に、何やら光るものがある。それは降りて来る事無く、ただふわふわと漂うだけ。
それには見覚えがある。今日はそれが、沢山空から降ってきた。
早夜には一瞬、それが幼い少女の様に映った。悲しそうな顔で、グースを見下ろしている。
「グースさん、それはもう、あなたの娘さんではありません……」
早夜は言ったが、その言葉にグースは一切反応しない。もう何も見ようとはしていなかった。
彼に向かって、早夜は歩き出していた。
「おい!」
「サヤ!?」
シェルとリカルドが引き止めようとするが、リジャイがそれを阻む。
「早夜は大丈夫だ。見てれば分かる」
訝しげにリジャイを見る二人であったが、その理由は直ぐに分かった。
早夜が近づくと、その赤い液体は、まるで怯える様に離れていくのである。
「早夜は今、悲しみを感じているこそすれ、恐怖も絶望も感じてはいない。寧ろ、何か希望の様なものを感じているみたいだ。恐らく、アレにとっては太陽にでも近づかれてる様に感じてるのかも」
「おい、嬢ちゃん……」
「サヤ様……」
グースの近くにいたカートとルードが、早夜に声を掛ける。
早夜は彼らの向かって微笑むと、「大丈夫です」と言って、グースの傍らに膝を付いた。
「ああ、ミモザ……」
離れていってしまう液体を、悲しそうに見やるグース。そして、離れてしまった原因である早夜を睨んだ。
早夜はそれには動じず、グースの手を取ると、両手で包み込んだ。
「グースさん、ソレはもう、娘さんじゃないんですよ。魂は既に、還る場所へ還ったんです。そんな姿のお父さんを見たら、ミモザちゃんはきっと悲しみますよ」
早夜は悲しそうに眉を顰めながら言った。そして、不意に訊ねる。
「星かごは持っていますか?」
グースは訝しげに早夜を見る。
早夜は目を瞑ると、彼に向かって癒しの魔法を行使する。
ポゥッと折れた部分を中心に陣が現れ、輝きだす。
「ぐぁっ」
グースは堪らず、呻き声を上げる。
折れた骨が元の位置に戻り、くっ付こうとする感覚は、何とも言えない、形容し難い痛みを伴わせた。
骨がくっ付くと、早夜は言った。
「星かごを出してはくれませんか?」
まったく早夜の意図が分からず、グースはぼんやりと彼女を見詰め続ける。
早夜は彼から手を放すと、その手を上空へと差し出した。ふわりとその手に、光の粒が降りてくる。
その時漸く、他の者はその光の存在に気付いた。
「星……?」
グースは呟く。
早夜は頷くと、その手をグースの前に突き出し、
「これは魂の欠片です。死んでしまった人や、これから宿る命の結晶です。そして、この星はグースさんの星かごに入りたがっています……」
「……魂の欠片……?」
そう呟くと、ハッとして、その光の粒を見た。
「ミ、モザ……?」
グースが恐る恐ると言うように囁くと、その光が答える様にチラチラと瞬いた。それを見たグースは、震える手で星かごを取り出す。
早夜は彼に尋ねた。
「それに書いてある願い事は、何ですか?」
グースは星かごの中の紙を見、そして震える声で言った。
「……お父さんの願い事が叶いますように……」
「……では、その願いとは何ですか?」
グースはグッと嗚咽を堪えようとするが、涙は止め処無く溢れて来る。
「世界から争い事が無くなる事……。未来を生きる子供達が、皆幸せになる事……」
すると、ふわりと光の粒が浮き上がり、グースの持っている星かごの中に入った。
「……星が入ったから願い事が叶うんじゃありません。星は見守り、ほんのちょっと手助けをするだけ。自分で、その願いを叶えねばならないんですよ……。グースさんが、その願いを叶えるんです。
どうか、本当の意味での和平の遣いとなって下さい。私なんかよりもずっと、幸福の遣いと呼ばれる様になって下さい。それは本当に難しい事だと思います。でも、グースさんになら出来ると私も信じています。
グースさん、お願いします。幸せになって下さい。お父さんと言うものがどんなものか分からない私に、グースさんは少しでもそれを感じさせてくれた。だから、幸せになって下さい。恐らくそれは、娘さんの、ミモザちゃんの願いでもあると思うんです……」
グースは言葉も無く、ただ星かごを抱き締め、嗚咽を漏らし続けた。
最早、あの赤い液体もグースに近づこうとしない。
グースは今、絶望も恐怖も無く、深い悲しみと遣る瀬無さは残ったが、それでも前に歩き出そうとしていた。
「チッ、余計な事を」
それらを見て、忌々しげに呟くバストラ。
皆が彼を睨む中、赤い液体が動き出す。魔法陣を描き出したのだ。
「そんな、まだ完成してない筈なのに……」
ルードが呟く。
「あん時と同じだ……」
リカルドの中で、あの時の映像が蘇る。
シェルがチッと舌打ちをし、アルファードとミヒャエルに振り返った。
「早くこの部屋を離れよう! 父上とミヒャエルも早く避難を! 国賓の人達にも呼びかけて下さい!」
そう言った時、結界内のバストラが楽しそうに笑い出す。
「ははっ、無駄な足掻きだ! 発動したら止まらない、それがこの魔法! 不完全ではあるが、お前達や、他の国の者も巻き込めるだけの威力はあるぞ!」
その時、今まで黙っていたリジャイが、スッと前に出てきて、バストラのいる結界をコンコンと叩いた。
「……大分、丈夫そうな結界だねぇ、君だけ助かるつもり?」
「そうだ! この中からお前らが消し炭になるのを見届けてやろう!」
すると、リジャイが目を細めて言った。
「もしこの中に、この赤いゼリーを入れたらどうなるんだろうね?」
「何を馬鹿な事を、そんな事出来る筈が無いだろう。それを動かす事など不可能だ」
バストラは馬鹿にしたように笑う。
「へぇ、そんな事誰が決めたのかな? やってみなくちゃ分からないよ?」
そう言うとリジャイは、その赤い蠢く液体の中へ入ってゆく。
「リジャイさん!?」
早夜がギョッとして声を上げた。
リジャイは、一度早夜をチラッと見ると、ニッと笑う。
赤い液体は、リジャイの存在に気付いたのか、ピタリと止まった。
「さぁ、いい子だ。こっちにおいで……」
リジャイがそう言って手を差し伸べると、ソレは嬉々としてリジャイの元に擦り寄ってくる。
「馬鹿め、自ら餌になるか!」
バストラがフンと笑った。
「リジャイさん、やめて下さい!」
早夜がリジャイの元に駆け寄ろうとするが、リカルドとシェルに止められる。
「止せサヤ、巻き込まれるぞ!」
「そうだ、それにあの男の事だ。何か秘策があるのかもしれない」
「え? 無いよ」
一瞬、シンと静まりそして、
「秘策も無いのに、お前はそんな事をしているのか!?」
「ああ! 早く逃げなくては!」
「それよりも、客人達の避難だ!」
「あ! 私、結界くらいなら何とかできると思います」
「いや、お前は無理するんじゃねえ!」
等と、それぞれ言い合う中、リジャイは吹き出した。
皆が訝しげに見る。
「あはは、じょーだん、じょーだん。ちょっと言ってみただけ。秘策ならちゃんとあるよ」
そう言っている間も、リジャイの体は半分以上も赤い液体に覆われている。
「こんな時に、冗談など言っている場合ではないだろう!」
そうだ、そうだと、他の者達も口を揃えて言った。
「それに見た感じ、あんまり大丈夫そうには見えねーよな……」
「本当に大丈夫ですか……?」
不信そうなリカルドと、心配そうな早夜を見て、リジャイはフフッと笑うと、手の平をくるっと返した。次の瞬間には、その手にはナイフが握られている。そして、それを手首に当てると、一気に横に引いた。
勢いよく溢れ出る血。
皆が呆気に取られる中、赤い液体はその血に惹かれる様に、その血と同化してゆく。手首に巻き付き、吹き出る血を吸い取り、赤い液体はますます鮮やかな色になった。
そうしていると、ソレに異変が現れ始めた。
一瞬、ブルルッと震えたかと思うと、ソレはリジャイから剥がれ落ち、床にバシャリと広がった。そして、赤く輝いたかと思うと、大きく立ち上がり、人の形となる。
「なっ!!?」
バストラが驚きの声を上げる。他の者も益々呆気に取られた顔をした。
「うん、こんなもんかな」
リジャイはそう言うと、血の吹き出る手首を軽く振り、魔法でサッと治してしまう。
早夜もまた、信じられない思いで目の前の光景を見ている。
「血で縛り付けた?」
早夜には、リジャイが魔力を纏わりつかせた自分の血液を、あの赤い液体に取り込ませ、外から操っているように見えた。そして、いとも簡単にやってのけた様に見えるが、これが結構難しい事だと分かる。
かなりの集中力がいるし、しかもあのように人の形を取らせるなど、改めて彼の凄さを見せ付けられたような気がした。
「さてと、これで移動が可能になった訳だけど……」
「馬鹿なっ!! 有り得ない! ば、化け物!!」
バストラが叫ぶ。
その言葉を聞き、リジャイは紫色の瞳で彼を見据える。そして、クッと笑った。
「前にも同じ事を言った奴がいたっけ……。そいつがどうなったか、その身で教えてあげようか?」
すると、リジャイは結界に触れ、陣を出すと、その中へ一歩踏み出した。バストラのいる結界内へと入ってゆく。
それも、赤い人形を引き連れて……。
「ひっ!!?」
バストラが真っ青な顔をする中、リジャイはニッと笑い、指をパチンと鳴らした。バシャリと音がして、赤い人形は液体に戻り、そして新しい魔法陣を描き出す。
「さて、これで被害はこの結果の中だけになった訳だ……如何する?」
リジャイは、バストラの前にしゃがみ込んで、頬杖を付きながらそう言った。
「い、いやだ! 助け――ヒィッ!」
バストラは悲鳴を上げる。赤い液体が、バストラの体を這い上がろうとしていたからだ。
「ああ、ダメだよ。恐怖と絶望は、ソレの餌なんだろう? そんな風に怖がっていたら、君がそいつの餌になってしまうよ?」
ニヤニヤと笑いながらリジャイが言う。
そして、魔方陣が輝き始めた。
「い、嫌だぁー!! 死にたくない! 何でもする! 何でもするから助けてくれ!」
バストラが、みっともなく涙を流しながら、リジャイに取り縋る。
しかし、リジャイは冷たい瞳でバストラを見下ろすと、
「ギャア!」
自分に取り縋ってくるバストラの手の甲に、ナイフを突き刺した。
「リ、リジャイさん……」
早夜が呆然として呟く。リジャイのしている事に、顔を青くさせている。
そして、大きな手に、その目を塞がれた。
「見るな、奴の拷問が始まった」
シェルの声がする。
では、この手は彼のものだろうか、と思っていると、バストラの悲鳴が響いてきた。
「ひぃ! ギャアッ!! うあぁ、助けて――ぐあっ!!」
断続的にバストラの悲鳴が上がる中、リジャイの声は一切しない。ただ、何かを突き刺すような音が、バストラの悲鳴と重なるように聞こえた。
早夜は無意識に、隣にいる誰かに縋り付いた。震える手で、その服を掴む。
すると、まるで安心させるように、その手を誰かが包み込んでくれた。
「だ、大丈夫だ。声は酷い事されてそうだけど、実際にはそんなに酷い事はされてねーから……」
それはリカルドの声だったが、僅かながらその声は震えていた。
「まぁ、こんなもんかな……」
リジャイの呟きが聞こえた。そして、バストラの啜り泣くような呻き声。
「術がそろそろ完成しそうだ……」
リジャイがそう言った数秒後、爆発音と共に、目を塞いでいたシェルの手が退かされた。
まるで、何事も無かったかのような静かな室内。
結界のお蔭なのか、爆発の痕跡など一切見受けられなかった。
そして、リジャイとバストラの姿も……。
「あ、あの、リジャイさんは?」
早夜はリカルドを見上げ、そう尋ねた。彼は青い顔をしながらも、「さぁ」と首を振る。
周りを見てみると、皆一様に青い顔をしていた。
ルードなんかは、今にも倒れそうであった。
「……男として、物凄く嫌なものを見た……」
カートも冷や汗を掻きながら、真顔でそんな事を呟いている。
嫌なものとは何だろうと思いながら、リジャイの姿を探して辺りを見回す。
「リジャイさん! リジャイさんは!?」
そしてハッとして、指輪に向かって呼びかける。
「リジャイさん、何処ですか? 大丈夫ですか? リジャイさん!」
「呼んだ?」
そんな声と共に、目の前に現れるリジャイ。
その手には、襟部分を掴まれ引きずられる様にされている、バストラの姿。その目は最早空ろだ。
そして、血や傷跡等は一切見受けられず、折れた手足まで元通りに治っていた。その代わり、体の至る所に、呪印の様な物が施されている。
「いやー、空間の狭間で、これに術を施してたんだけど、心配させちゃった? ごめんね、早夜」
「……? 術とは一体何をしたんだ?」
シェルがバストラを見ながら尋ねる。
「だって、さっきこの人、何でも言う事聞くって言ってたでしょ? それ、本当にしてもらおうと思って、逆らったら痛みが走るようにした。さっき、僕が刺した所全部に、引き千切られる様な痛みが走る筈だよ」
事も無げに言うリジャイに、皆顔を真っ青にした。
「ひ、引き千切られる……」
ゾッとした様にカートが呟いた。
そして、何故か股間を押さえるのだった。
(あ、そういえば、私の星かごは……)
大分状況が落ち着き、早夜はホッとして、星かごの存在を思い出した。
床を見渡すと、それは少し後ろの方に転がっている。星もちゃんとその中に納まっていた。この星は、大事な人の魂の欠片。そう思って、早夜はそれを拾い上げる。
そして、顔を上げた時、目の前に女性が立っていた。
紫色の波打つ髪。灰色の瞳で此方をじっと見下ろしている。その肌には、青白く光るように、呪印があった。
「見つけた……私の覇王……」
恍惚の表情を浮かべ、微笑み早夜の手を取った。
他の者も漸くその事に気付き、此方を見る。
「しまった! カンナが居たんだった! 早夜、彼女に命令して! このままじゃ、クラジバールに連れてかれる!」
リジャイが叫ぶ。
他の者たちも、早夜に近づこうとしたが、カンナの足元から広がるように呪印が現れ、自身と早夜を囲む。それは、結界の様に、何者の侵入も阻んだ。リジャイにさえ無理のようだった。
早夜は目の前のカンナを見上げる。
「……あなたが、カンナさん?」
「はい、どうかカンナとお呼び下さい。私の覇王」
「覇王……は、止めて下さい。私は早夜と言います」
「……畏まりました。サヤ様……」
カンナは跪き、早夜の手の甲に口付けした。
まるで、騎士の様な仕草に一同が戸惑う中、リジャイが呆気に取られたように呟く。
「あれ? 命令するまでも無い?」
「……命令など不要です……。早夜様の存在自体が、常に私に命令している。従えと……。
仰せのままに、サヤ様。私のこの身、あなた様に捧げます……」
うっとりと早夜を見上げ、カンナは言う。
どうやらクラジバールに連れて行かれる心配はなさそうだと、誰もが安心した時、早夜はカンナに向かって言った。
「カンナさん、私をクラジバールに連れて行ってください」
『っ!!』
皆が目を剥き、早夜を見た。
それぞれがダメだと声を上げる中、早夜は彼らを振り返る。
「……私、リュウキさんに会いたいです。それに、蒼ちゃんと亮太君にも……。こっちに来れない、何か理由があるんですね? だったら私から会いに行きます」
固く決意したその表情。
星かごの願い。それを一つ叶えに行く。そして、蒼達にも会わなくては……。
あの時感じたのだ。蒼から漂う何か黒い物。自分に何が出来るかわからないが、それを見過ごす事なんか出来ない。
「仰せのままに……」
カンナは跪いたまま、恍惚の表情で早夜を見続けていた。
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