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《第四章》
6.会いたい衝動
「あ、そうだリカルド。例のあれ、手に入ったんだった」

 デュマが思い出したように言った。

「本当か!?」

 リカルドが顔を輝かせる。
 デュマは奥にあった棚から、ごそごそと何かを取り出した。そして、中央にあるテーブルの上にそれを広げる。
(……? 地図?)
 早夜がそれを覗き込むと、それは何かの地図のようであった。

「以外に早く手に入ったよな」

 キースが呟くと、デュマが言った。

「オレのじーさんが旅してた時に手に入れたって話。昔はそんなに、国の出入りは厳しく無かったってさ」
「……一体何処の地図なんですか?」

 早夜が尋ねるとデュマは答えた。

「クラジバールの地図だよ」
「え!?」

 思わずと言った風に声を上げる早夜。テーブルの上の地図に見入る。
(クラジバール……リュウキさんがいる国……)
 そして、ハッとしてリカルドを見る。
 彼は真剣な顔をして、地図を見つめていた。

「このバカ王子はな、リュウキ様を助ける為に、クラジバールに潜入しようとしてるんだ」

 いつの間にか隣にやってきたマシューが、早夜にボソッと言った。

「な? スゲー事考えてんだろ?」

 早夜は、ここに来る前にマシューの言っていた言葉を思い出した。
(……これがケジメ?)
 もう一度リカルドを見る。その顔はやはり真剣で、少し怖いくらいだ。
(一体何を思ってこれを見てるんだろう……)
 途端に、彼に対して意地を張ってしまった自分が恥ずかしく、そして罪悪感も湧いてくる。
 キュウッ……と胸が痛くなり、今すぐリカルドに謝りたくなった。

「あの、リカル――」
「あー、ここ間違ってるよー。ここは今、通れなくなってる。行き止まりだよ」

 意を決してリカルドに声を掛けようとした時、突然後ろから出てきた手と声に、それはかき消されてしまう。

「っ!! おまっ、何でここにっ!?」

 リカルドが怒鳴る。
 早夜が驚いて振り返ると、直ぐ目の前に、その人物の顔があった。

「リ、リジャイさんっ!?」

 息がかかる位の近さに、思わずあの時の事を思い出し、顔を赤くする。
 そんな早夜にリジャイはニッコリと笑い掛けると、上から下までジックリと眺め言った。

「アハハ、カンナが言ってたのはこういう事か。うん、なかなか似合ってるよ、早夜」
「はなれろっ、何でお前が此処にいんだよ!」

 リカルドはリジャイの肩を掴み、早夜から引き離すと言った。
 すると、リジャイは彼の前に左手を出し、小指をクイクイと動かして見せた。
 そこには、早夜の髪が巻きつけられている。

「これを使って早夜を探してたら、此処に辿り着いちゃったんだよー。ねぇ早夜、君さっきカンナに会ったでしょ?」
「はいっ!?」

 何の事やら分らない早夜は、首を傾げる。

「えーとねぇ……紫の長い髪の女性で、屋根の上に居なかった?」
『ああー!』

 早夜だけでなく、リカルドとマシューも声を上げた。
 それは先程、早夜が屋根の上で言っていた事ではなかったか……。

「あの人がカンナって人なんですか? 私を狙っていると言う……」
「ちょっと待てって、それってヤバクないか?」

 リカルドが焦った様に言う。

「んー、大丈夫だと思うよ。実際、判ってなかったみたいだし、僕の掛けた呪印が効いてるみたい。でも早夜がカンナを見たお蔭で、彼女が動揺して、僕でも見つける事が出来ちゃったんだよねー」

 感謝感謝、と言いながら笑うリジャイ。
 彼が現れた事で、一同が呆気に取られる中で、マシューが我に返り尋ねた。

「あー……、ってゆーか、話がまったく見えてこねーんだけど……説明してくんねーかな? 誰なんだ、ソイツ……目茶苦茶あやしーんだけど……」

 不信感を露わにリジャイを見る。すると、リジャイはパッと彼らに向き直ると、陽気に言った。

「どーも、はじめましてー! 僕、リジャイ・クーでーす。呼ぶ時は、ジャイジャイ、それかクーちゃんでいいよー♪ 
 それに僕、クラジバールから来たから、何かとお役に立てるかもよ?」

 マシュー達は、驚いたように彼を見た。

「クラジバールだって!?」
「そーそー、まさかこんな所で、リュウキ救出作戦が計画されているなんて、以外や以外! なかなかやるねー、リカルド王子様?」 

 ニィーと爬虫類を思わせる、彼特有の笑顔を見せる。
 リカルドはリジャイに詰め寄り彼を睨む。

「ぜってー、城の奴らには言うなよ!」
「えー? どーしよっかなー?」

 リカルドに釘を刺されたリジャイは、そんな事を言って、首を傾げて見せた。

「てめっ!!」

 ギリッと怒りを露わにするリカルドに、リジャイはクスリと笑う。

「ジョーダン、ジョーダン、確かに言わない方がいいかもねー、下手したら全面戦争にもなりかねないもんねー。よしっ! 僕、全面的に協力しちゃう!」
「てめーの協力なんかいらねー!」

 リカルドがそう言うと、リジャイはフフンと笑って、テーブルの上に腰掛けた。

「あれあれー? そんな事言っていーのかなぁ……僕だけだよ? あの国の中の事詳しく知ってるの。リュウキとも連絡取れるし、この地図大分古いでしょ? 直してあげられるよ」

 地図に手を置くと、それを撫でる。

「確かにそーしてくれると助かるけど……。なー、リカルド、こいつは確かに怪しいけどさぁ、ここは一つ、協力してもらおーぜ」
「そうだな、何よりリュウキ様と連絡が取れるのは、いい事だと思うぞ?」

 デュマとキースが、リジャイの協力を仰ごうとするが、空かさずリカルドが嫌だと突っぱねる。

「おいおい、何でそこまで……」

 キースのその言葉に、リカルドはチラッと早夜を見る。
 彼女は心配そうに、リジャイとリカルドを交互に見ていた。
 そして、リカルドの脳裏に浮かぶ、あの光景とリジャイのあの言葉。
 
 ―――君に早夜は渡さないよ―――
 
 カーと頭が熱くなって、リジャイを睨む。

「それは俺がっ、こいつが、大っ嫌いだからだっ!!」

 リジャイをビシッと指差し言った。

『そんな、身も蓋もない……』

 と、呆れたように呟く一同。

「お前がそこまで人を嫌うなんて……一体何したんだ? こいつ……」

 マシューが眉を顰めて尋ねるが、リカルドは無言のままだった。
 リジャイはそんな彼を見て肩を竦めると、早夜を手招きする。

「早夜ー、ちょっとこっちにおいでー」

 呼ばれた早夜は、ハッとして、リジャイを見る。

「何ですか? リジャイさん」

 彼のもとに駆け寄ろうとする早夜の腕を、リカルドが掴む。

「あんな奴の所、行かなくていい!」

 早夜は驚いてリカルドを見る。

 彼の顔は、とても怖くて―――。

「でも、リジャイさんは私の恩人で――」
「あんな事されたのに、まだそんな事言ってんのかよっ!」

 あんな事と言われ、顔を真っ赤にする早夜。

「な、何でリカルドさんが、そんな事言うんですか!? リカルドさんには関係ありませんっ!」
「っっ!!」

 そう言ってしまってから、ハッとした。
 リカルドが一瞬、傷付いた顔をしたからだ。だが、直ぐに、ギリッと歯を食い縛ると、乱暴に手を離した。

「ああ、分った! もー知らねー!!」

 そう言うと、腕を組み顔を背けた。

 ズキンと胸が痛む。
(完璧に怒らせてしまった。リカルドさんはただ、私の事を心配してくれただけなのに……)
 早夜は俯くと、とぼとぼとリジャイの前にやってきた。

「あららー、ごめんねー? 僕のせいで喧嘩しちゃったね」

 苦笑した顔でリジャイが言った。

「いえ、全部私が悪いんです……」

 泣きそうにポソッと言うと、リジャイは肩を竦める。

「イヤイヤ、心の狭いあの王子様も悪いかな。というか、てんで子供だねぇ……」

 不貞腐れているリカルドを見て、クスリと笑った。

「さて、と……早夜、これを君にあげる」

 早夜が顔を上げると、目の前には青白く光る珠があった。

「これは……?」
「これはねー、呪印を解く鍵だよ」

 早夜は目を見開く。
 改めて見てみれば、自分の中の知識がそうだと教えてくれる。

「……これを割るんですね? でも、呪印は自然と消えるんじゃ……」
「うーん、念の為? 万が一の時とか……後、もしカンナが君の存在に気付いて、君の前に現れた時にそれを使って」

 早夜はそれを受け取りながら、首を傾げた。

「どう言う事なんですか?」
「カンナは、ナイール王子の命令で動いてるって言ったでしょ?」

 早夜がこくんと頷く。

「そして、その命令を取り消すのには、彼以上の存在が必要だって言ったよね?」
「はい、それで王様に頼んだんですよね?」

 アルファード王に、「命は賭けられるか?」と言ったリジャイの言葉を思い出す。
 今でもやっぱり、心苦しい……。
 リジャイは早夜の言葉に頷くと話を続けた。

「今日、カンナに会って分ったんだけど、どうやら王様の命令では駄目みたい」
「何だとっ!?」

 不貞腐れながらも、話は聞いていたリカルドがリジャイを見る。
 リジャイはリカルドを見据えながら、静かに言った。

「カンナは、王様以上の存在を見出してる」

 そして早夜に向き直ると言った。

「カンナは、君が自分を支配する者かもしれないと言ってる」
「えぇ!? そんな! 私がですか?」
「それだけ、早夜の力が強大って事だよ。さすが、万物の力だね……君は、カンナの前で、その力を見せ付ければいい。後は命令なり何なりすればいいと思うよ」

 茫然となる早夜だったが、その時、場違いな位明るい声でハルが尋ねた。

「ハイハイ、質問! その万物の力って何スか?」

 突然声を掛けられたのにも拘らず、リジャイは平然とその質問に答えた。

「万物の力って言うのは、この世の全ての魔法や、超常的な知識を司り、それを具現できる力の事。 
 如何してそんな力の者が生まれてくるのかとか、どういう者がその力を授かるのかとかは、分らないけれど、早夜はその力を持って生まれてきてしまったんだね」
「へー、サヤはすごいッスねー」

 ハルが感心したように言うと、早夜は首を振った。

「でも私、今までそんな力があったなんて、知りませんでした。夢の中で、リュウキさんを助けた時、初めて魔法を使ったんです」

 リュウキを助けた時、そしてあの暴走の時に感じた、あの底が無いのではと思う位の凄まじい力と知識。
 あの時、リジャイが助けてくれなかったら――。
 そう考えると、恐ろしくてたまらない。
 そして思うのだ。このような力、人が持って良いものなのだろうか、と……。

「それは多分――」

 リジャイの声に早夜は、現実に戻される。

「君が魔法とは無縁の世界にいたからだよ。君のお友達は、まったく魔力が感じられなかった。必要とされなかった力は、今まで目覚める事無く、君の中で眠り続けていたという訳」
「でもそれじゃあ、私がリュウキさんの夢を見続けていたのは……」
「それは多分、早夜が幼い頃、無意識に使った魔法かもしれないね。リュウキと離れたくないって気持ちがそうさせたのかも……」

 しんと静まり返る室内。
 いきなりやってきた男と、早夜の力の話。
 この街の住人であるマシュー達は、話についてゆけず、呆気にとられるばかり。
 ハル一人だけが、興味津々と言った風に耳を傾けるのだった。


 リジャイの言葉を聞いた早夜は、無言で俯く。
 離れたくないと言う気持ちがあの夢を見せた。一体何故、離れ離れになってしまったのだろう。物心ついた時から、当たり前のように見ていた夢。そして、夢を見なくなってしまった時の喪失感……。
 確かにそこに、絆はあったのだ。

 リジャイは黙ったままの早夜の頭に手を置いた。
 ハッとして早夜が顔を上げると、彼は紫色の瞳で早夜を優しく見つめている。

「リュウキに会いたい……?」

 リジャイのその言葉に、早夜の瞳は揺れた。

「……会いたいです……」

 と、その言葉は、自然と口からこぼれ落ちた。

「リュウキも多分、君に会いたがっていると思うよ。だって、いつも君の心配ばかりしてるから……」

 リジャイの言葉を聞いて、ますます会いたいという衝動が強くなる。

「会いたいです。凄く会いたい……。どうして離れ離れになっちゃたんですか?」

 早夜はリジャイに縋り付く様に言った。

「お母さんは仕事で遅くて、家に帰るといつも一人で……寂しくて……夢を見ると寂しくなくなりました。
 ……虐められてる時も、夢だけが私を癒してくれました……。でも、起きるとまた一人で……ずっと、ずっと会いたいと思っていました……」

 いつの間にか早夜は、リジャイの膝に取り縋って泣いていた。
 今まで、胸にしまっていた感情が溢れ出す。

「何で? 何があったんですか!? 私にお父さんは居るんですか? もう一人のお兄さんって、どんな人なんですかっ!?」

 そんな悲痛な叫びを受け止め、リジャイは優しく早夜の背を撫でる。
 リジャイの瞳もまた、悲しげに揺れている。そして、天井を見上げると呟いた。

「そうだね、会いたいね。……本当に、何があったんだろうね……僕も知りたいな」

 その呟きに違和感を感じ、泣き顔のまま彼を見上げる早夜。
 リジャイは顔を戻すと、早夜の顔を見て苦笑する。

「……はなみず……」
「えぇ!?」

 慌てて拭おうとするが、拭くものが無い。
 あたふたとする早夜を見て、リジャイはぷっと噴出すと、ウソウソと言って、手のひらで涙を拭いてやる。
 途端に恥ずかしくなる早夜。
 ハッとして、周りを見ると、皆が此方を見ている。
 リカルドなどは、早夜と目が合うと、気まずそうに目を逸らせた。

「さて、と……」

 リジャイはそう言って、テーブルから降りると、リカルドに言った。

「王子様? 君は嫌だと言ったけど、僕は無理矢理にでも協力させてもらうよ。早夜とリュウキの為に……」

 リカルドは暫く無言でリジャイを睨んでいたが、ふいっと顔を逸らせる。

「分った……」

 リカルドも早夜の涙を見て思ったのだ。会わせてやりたいと……。
(その為だったら何でもやってやる。例えこの男の手を借りる事になったとしても……)

「じゃあ僕、そろそろ行くね。王様に報告したい事があるし、カンナの事とか、いろいろとね」
「っ! お前いま、協力するって言ったばっかで行くって……」
「うーん、実は他にも厄介事が出来ちゃってねー……」
「厄介事だと?」
「まぁ、早夜を狙っているのは、何もクラジバールだけじゃないって話」
「何っ!?」

 リカルドが声を上げる中、早夜もびっくりして、リジャイを見た。

「当然でしょ? あれ程の力、他の国にも届いちゃってるし、探りを入れてくるに決まってるでしょ。まぁ、そう言う僕も、カンナに言われるまで、気付かなかった訳だけど……」

 そう言うと、リジャイはテーブルの上に、何やら置いた。
 それは、よくホテルなどで見かける、呼び出しベルの様であった。

「で、僕に用があったら、これ鳴らしてよ。鳴らしたら僕に伝わるようになってるから。あ、でも、僕が来れない時なんかは鳴らないからね」

 そう言って、ベルをチーーンと鳴らすのだった。

 それから彼は、デュマに地図の改良点を幾つか述べて、去っていった。



 そして、リカルド達が作戦の話し合いをする中、マシューが早夜を呼び出す。
 マシューは、そのまま早夜を外へ連れ出し、集会所からそんなに離れていない、サニアの家へと連れて行った。


「えぇ!? じゃあ、マシューさん、気付いてたんですかぁ!?」

 マシューに先程、「実はお前女の子だろう?」と言われ、驚きの声を上げる早夜。

「判るって、そんなに肩の細い男なんて居ないだろ?」

 そう言われ、早夜は肩に手を置かれた時の事を思い出した。
 (そんなに前から?)と驚く中、マシューはサニアに視線を移す。

「サニア、後頼むな?」
「ええ、任せて頂戴」

 サニアは、マシューの言葉に微笑み頷くと、早夜を連れて二階へと上がった。

「めいっぱい可愛くしてもらえよー!」

 そんなマシューの言葉を背に受けながら、早夜は奥の部屋へと入る。

「か、可愛くって……?」
「フフッ、女の子に戻りましょう?」

 サニアは、嬉しそうに笑うと、すでに用意されていた服を差し出す。

「この服は、私の死んだ妹が着ていた物だったの……このまま、箪笥の肥やしにする訳にもいかないから、着てあげて頂戴?」

 そうは言うが、欠かさず洗濯をしているのだろう。渡された服からは、石鹸とお日様の匂いがした。


「まぁサヤ、とっても可愛いわ! よかった、サイズはぴったりね」

 多分私より年下の子のなんだろうな、と思いながら早夜は、サニアの前に立って見せた。

「ううー、でもなんかスカートが短くて、あと背中がスースーします……」

 恥かしげに膝を摺り寄せると、居心地悪そうにそわそわし始める。
 スカートは膝が見えるくらい短く、ボリュームあり、ふんわりとした作りをしていた。そして、上はと言うと、背中の方が大きく開いていて、そこに長めのリボンを首に巻いて、後ろで縛り、垂らすのだ。 

「あら、今街中では、これ位の服が女の子の中で、流行ってるのよ」

 その後、サニアは早夜の髪を結いながら、妹の話をした。
 住んでいた村がバスターシュに襲われた事、そして、その時に妹を殺された事、サニアの目の傷もその時に受けたものらしかった。

「その後、暫くは絶望してたけど、ガマじぃさんに拾われて、この街で暮らしているうちに妹の分まで、しっかり生きなくちゃって思うようになったわ。
 今でもまだ、その時の夢を見る事があるけど、そんな時はマシューが抱きしめてくれる。
 マシューに会えて良かったって、今ここに……生きている事に心から、感謝しているわ……毎日毎日が、本当に愛しいの……」
「あ……」

 サニアの幸せそうな顔を見た時、早夜の頭の中に懐かしい声が響いた。
 どうして忘れていたんだろう……。
 早夜の脳裏には、あの静かなお堂と桜の花びら、そして、早夜を優しく撫でてくれたあの人の言葉が蘇っていた。

「サ二アさんは今、幸せなんですね……」

 早夜がぽつりと言うと、サニアは満面の笑みで答える。

「もちろんよ」

 ――幸せになりなさい――

 それが、おじぃちゃん先生……早夜のお世話になった、お寺の住職の言葉だった。

「サヤは幸せじゃないの?」

 サニアの言葉に、早夜は俯くと言った。

「私が幸せになるのには、まだ時間がかかりそうです……」
  
(――私にはまだ、その資格はないから……)
 早夜はそう、心の中で呟くのだった。



「あの、マシューさん……」

 あの後、髪を二つに縛ってもらい、おまけに薄っすらと化粧までしてもらった。
 一階に降り、そして椅子に座ったマシューを見つけ、声を掛けたのだが、早夜はそのまま固まってしまう。
 彼が帽子を脱いでいた為である。
 大きく広がる傷の痕、彼の左耳は、ケロイド状のもので覆われていた。
 その時そっと肩に触れられ、ハッとして顔を上げる。サニアだ。
 彼女はマシューに近づくと声を掛ける。
 彼はサニアを見ると、早夜を振り返り困ったように笑った。
 手で弄んでいたニット帽をかぶり直し、早夜に近づく。

「ごめんなサヤ、気付かなくて。こっちの耳、聞こえ辛いんだわ」

 そう言って、早夜の姿を上から下まで見ると、にっこりと笑った。

「おー、カワイーカワイー、よく似合ってるじゃん!」

 そして、悲しそうに俯く早夜を見て、寂しげに笑った。

「……怖いと思ったか?」

 早夜は、ハッとして顔を上げると、ぶんぶんと首を振る。

「っそんな! 怖くなんかないです! ……ただ、何だか凄く、悲しかったんです……」

 今日会ったばかりだが、マシューの優しさと、人柄の良さに、親しみを感じている。
 そんな彼が、この傷のせいで、どんなに辛い目に会って来たのだろうと思うと、悲しくて、そして悔しくて仕方がなかった。

「でもな、サヤ。俺はこの傷がなければ、サニアに出会えなかったよ。この傷があってこその俺だ」

 泣きそうになる早夜の頭を、少し躊躇いがちに撫でると、優しい眼差しで言った。

「本当に良い子だよなー、サヤは……。ありがとな、それから……会えるといいな、リュウキ様に」

 早夜はマシューを見上げると、クシャリと顔を歪めた。
(……違うんです……私は良い子じゃない……)
 だが、その言葉は胸にしまい、早夜は無理やり笑った。

「はい……ありがとうございます……。何だか、マシューさんはお兄さんみたいです……」
「ははっ、それは光栄だなー」
「そして、サニアさんはお姉さんみたいです」

 早夜がサニアを見上げてそう言うと、サニアは右目を見開き、瞳を揺らめかせ、言葉もなく早夜をギュッと抱きしめるのだった。









 〜日本・一時帰宅その後 其の六〜


 学校から帰って来た蒼と亮太は、蓮実から、早夜の母アヤに連絡が取れなかった事を聞くと、そのまま早夜のアパートへと直行した。
 そして、部屋の前まで来ると、そのドアの所には何日分かの新聞があり、帰った様子がない事が窺えた。ドアに触れると、スッと開く。

「あの、お邪魔します……」

 声を掛けてみるが、やはり返事はない。

「開けっ放し? すっごい物騒なんだけど……」
「とにかく、中に入ってみよう」

 中に入ると、部屋の中がきれいに整頓されている中で、テーブルの上だけが、散らかっている。乱雑に置かれた化粧道具。
 それはあの日、アヤが出て行った時のままなのだが、蒼たちがそれを知るはずもない。

「何か、慌てて出て行ったみたいね……」
「探しに行ったのか?」
「ケータイも全然繋がんないのよね……一体何処に行ったのかしら……」

 自分のケータイを見詰めながら、蒼は言う。

「とりあえず、いったん家に戻ろう」
「……そうね、明日もまた、来てみましょう」

 蒼たちは、早夜が無事な事と、アヤに聞きたい事があるという事を綴った置き手紙を残して、アパートを後にするのだが、やはり、数日経ってもアヤは帰って来なかったのであった。


 マシューですが、彼の言葉には重みがありますね。 私書いていて、マシューお前って奴は……と感動してしまいました。
 彼は、頼れるお兄さんな感じで書いています。
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