「あ、そうだリカルド。例のあれ、手に入ったんだった」
デュマが思い出したように言った。
「本当か!?」
リカルドが顔を輝かせる。
デュマは奥にあった棚から、ごそごそと何かを取り出した。そして、中央にあるテーブルの上にそれを広げる。
(……? 地図?)
早夜がそれを覗き込むと、それは何かの地図のようであった。
「以外に早く手に入ったよな」
キースが呟くと、デュマが言った。
「オレのじーさんが旅してた時に手に入れたって話。昔はそんなに、国の出入りは厳しく無かったってさ」
「……一体何処の地図なんですか?」
早夜が尋ねるとデュマは答えた。
「クラジバールの地図だよ」
「え!?」
思わずと言った風に声を上げる早夜。テーブルの上の地図に見入る。
(クラジバール……リュウキさんがいる国……)
そして、ハッとしてリカルドを見る。
彼は真剣な顔をして、地図を見つめていた。
「このバカ王子はな、リュウキ様を助ける為に、クラジバールに潜入しようとしてるんだ」
いつの間にか隣にやってきたマシューが、早夜にボソッと言った。
「な? スゲー事考えてんだろ?」
早夜は、ここに来る前にマシューの言っていた言葉を思い出した。
(……これがケジメ?)
もう一度リカルドを見る。その顔はやはり真剣で、少し怖いくらいだ。
(一体何を思ってこれを見てるんだろう……)
途端に、彼に対して意地を張ってしまった自分が恥ずかしく、そして罪悪感も湧いてくる。
キュウッ……と胸が痛くなり、今すぐリカルドに謝りたくなった。
「あの、リカル――」
「あー、ここ間違ってるよー。ここは今、通れなくなってる。行き止まりだよ」
意を決してリカルドに声を掛けようとした時、突然後ろから出てきた手と声に、それはかき消されてしまう。
「っ!! おまっ、何でここにっ!?」
リカルドが怒鳴る。
早夜が驚いて振り返ると、直ぐ目の前に、その人物の顔があった。
「リ、リジャイさんっ!?」
息がかかる位の近さに、思わずあの時の事を思い出し、顔を赤くする。
そんな早夜にリジャイはニッコリと笑い掛けると、上から下までジックリと眺め言った。
「アハハ、カンナが言ってたのはこういう事か。うん、なかなか似合ってるよ、早夜」
「はなれろっ、何でお前が此処にいんだよ!」
リカルドはリジャイの肩を掴み、早夜から引き離すと言った。
すると、リジャイは彼の前に左手を出し、小指をクイクイと動かして見せた。
そこには、早夜の髪が巻きつけられている。
「これを使って早夜を探してたら、此処に辿り着いちゃったんだよー。ねぇ早夜、君さっきカンナに会ったでしょ?」
「はいっ!?」
何の事やら分らない早夜は、首を傾げる。
「えーとねぇ……紫の長い髪の女性で、屋根の上に居なかった?」
『ああー!』
早夜だけでなく、リカルドとマシューも声を上げた。
それは先程、早夜が屋根の上で言っていた事ではなかったか……。
「あの人がカンナって人なんですか? 私を狙っていると言う……」
「ちょっと待てって、それってヤバクないか?」
リカルドが焦った様に言う。
「んー、大丈夫だと思うよ。実際、判ってなかったみたいだし、僕の掛けた呪印が効いてるみたい。でも早夜がカンナを見たお蔭で、彼女が動揺して、僕でも見つける事が出来ちゃったんだよねー」
感謝感謝、と言いながら笑うリジャイ。
彼が現れた事で、一同が呆気に取られる中で、マシューが我に返り尋ねた。
「あー……、ってゆーか、話がまったく見えてこねーんだけど……説明してくんねーかな? 誰なんだ、ソイツ……目茶苦茶あやしーんだけど……」
不信感を露わにリジャイを見る。すると、リジャイはパッと彼らに向き直ると、陽気に言った。
「どーも、はじめましてー! 僕、リジャイ・クーでーす。呼ぶ時は、ジャイジャイ、それかクーちゃんでいいよー♪
それに僕、クラジバールから来たから、何かとお役に立てるかもよ?」
マシュー達は、驚いたように彼を見た。
「クラジバールだって!?」
「そーそー、まさかこんな所で、リュウキ救出作戦が計画されているなんて、以外や以外! なかなかやるねー、リカルド王子様?」
ニィーと爬虫類を思わせる、彼特有の笑顔を見せる。
リカルドはリジャイに詰め寄り彼を睨む。
「ぜってー、城の奴らには言うなよ!」
「えー? どーしよっかなー?」
リカルドに釘を刺されたリジャイは、そんな事を言って、首を傾げて見せた。
「てめっ!!」
ギリッと怒りを露わにするリカルドに、リジャイはクスリと笑う。
「ジョーダン、ジョーダン、確かに言わない方がいいかもねー、下手したら全面戦争にもなりかねないもんねー。よしっ! 僕、全面的に協力しちゃう!」
「てめーの協力なんかいらねー!」
リカルドがそう言うと、リジャイはフフンと笑って、テーブルの上に腰掛けた。
「あれあれー? そんな事言っていーのかなぁ……僕だけだよ? あの国の中の事詳しく知ってるの。リュウキとも連絡取れるし、この地図大分古いでしょ? 直してあげられるよ」
地図に手を置くと、それを撫でる。
「確かにそーしてくれると助かるけど……。なー、リカルド、こいつは確かに怪しいけどさぁ、ここは一つ、協力してもらおーぜ」
「そうだな、何よりリュウキ様と連絡が取れるのは、いい事だと思うぞ?」
デュマとキースが、リジャイの協力を仰ごうとするが、空かさずリカルドが嫌だと突っぱねる。
「おいおい、何でそこまで……」
キースのその言葉に、リカルドはチラッと早夜を見る。
彼女は心配そうに、リジャイとリカルドを交互に見ていた。
そして、リカルドの脳裏に浮かぶ、あの光景とリジャイのあの言葉。
―――君に早夜は渡さないよ―――
カーと頭が熱くなって、リジャイを睨む。
「それは俺がっ、こいつが、大っ嫌いだからだっ!!」
リジャイをビシッと指差し言った。
『そんな、身も蓋もない……』
と、呆れたように呟く一同。
「お前がそこまで人を嫌うなんて……一体何したんだ? こいつ……」
マシューが眉を顰めて尋ねるが、リカルドは無言のままだった。
リジャイはそんな彼を見て肩を竦めると、早夜を手招きする。
「早夜ー、ちょっとこっちにおいでー」
呼ばれた早夜は、ハッとして、リジャイを見る。
「何ですか? リジャイさん」
彼のもとに駆け寄ろうとする早夜の腕を、リカルドが掴む。
「あんな奴の所、行かなくていい!」
早夜は驚いてリカルドを見る。
彼の顔は、とても怖くて―――。
「でも、リジャイさんは私の恩人で――」
「あんな事されたのに、まだそんな事言ってんのかよっ!」
あんな事と言われ、顔を真っ赤にする早夜。
「な、何でリカルドさんが、そんな事言うんですか!? リカルドさんには関係ありませんっ!」
「っっ!!」
そう言ってしまってから、ハッとした。
リカルドが一瞬、傷付いた顔をしたからだ。だが、直ぐに、ギリッと歯を食い縛ると、乱暴に手を離した。
「ああ、分った! もー知らねー!!」
そう言うと、腕を組み顔を背けた。
ズキンと胸が痛む。
(完璧に怒らせてしまった。リカルドさんはただ、私の事を心配してくれただけなのに……)
早夜は俯くと、とぼとぼとリジャイの前にやってきた。
「あららー、ごめんねー? 僕のせいで喧嘩しちゃったね」
苦笑した顔でリジャイが言った。
「いえ、全部私が悪いんです……」
泣きそうにポソッと言うと、リジャイは肩を竦める。
「イヤイヤ、心の狭いあの王子様も悪いかな。というか、てんで子供だねぇ……」
不貞腐れているリカルドを見て、クスリと笑った。
「さて、と……早夜、これを君にあげる」
早夜が顔を上げると、目の前には青白く光る珠があった。
「これは……?」
「これはねー、呪印を解く鍵だよ」
早夜は目を見開く。
改めて見てみれば、自分の中の知識がそうだと教えてくれる。
「……これを割るんですね? でも、呪印は自然と消えるんじゃ……」
「うーん、念の為? 万が一の時とか……後、もしカンナが君の存在に気付いて、君の前に現れた時にそれを使って」
早夜はそれを受け取りながら、首を傾げた。
「どう言う事なんですか?」
「カンナは、ナイール王子の命令で動いてるって言ったでしょ?」
早夜がこくんと頷く。
「そして、その命令を取り消すのには、彼以上の存在が必要だって言ったよね?」
「はい、それで王様に頼んだんですよね?」
アルファード王に、「命は賭けられるか?」と言ったリジャイの言葉を思い出す。
今でもやっぱり、心苦しい……。
リジャイは早夜の言葉に頷くと話を続けた。
「今日、カンナに会って分ったんだけど、どうやら王様の命令では駄目みたい」
「何だとっ!?」
不貞腐れながらも、話は聞いていたリカルドがリジャイを見る。
リジャイはリカルドを見据えながら、静かに言った。
「カンナは、王様以上の存在を見出してる」
そして早夜に向き直ると言った。
「カンナは、君が自分を支配する者かもしれないと言ってる」
「えぇ!? そんな! 私がですか?」
「それだけ、早夜の力が強大って事だよ。さすが、万物の力だね……君は、カンナの前で、その力を見せ付ければいい。後は命令なり何なりすればいいと思うよ」
茫然となる早夜だったが、その時、場違いな位明るい声でハルが尋ねた。
「ハイハイ、質問! その万物の力って何スか?」
突然声を掛けられたのにも拘らず、リジャイは平然とその質問に答えた。
「万物の力って言うのは、この世の全ての魔法や、超常的な知識を司り、それを具現できる力の事。
如何してそんな力の者が生まれてくるのかとか、どういう者がその力を授かるのかとかは、分らないけれど、早夜はその力を持って生まれてきてしまったんだね」
「へー、サヤはすごいッスねー」
ハルが感心したように言うと、早夜は首を振った。
「でも私、今までそんな力があったなんて、知りませんでした。夢の中で、リュウキさんを助けた時、初めて魔法を使ったんです」
リュウキを助けた時、そしてあの暴走の時に感じた、あの底が無いのではと思う位の凄まじい力と知識。
あの時、リジャイが助けてくれなかったら――。
そう考えると、恐ろしくてたまらない。
そして思うのだ。このような力、人が持って良いものなのだろうか、と……。
「それは多分――」
リジャイの声に早夜は、現実に戻される。
「君が魔法とは無縁の世界にいたからだよ。君のお友達は、まったく魔力が感じられなかった。必要とされなかった力は、今まで目覚める事無く、君の中で眠り続けていたという訳」
「でもそれじゃあ、私がリュウキさんの夢を見続けていたのは……」
「それは多分、早夜が幼い頃、無意識に使った魔法かもしれないね。リュウキと離れたくないって気持ちがそうさせたのかも……」
しんと静まり返る室内。
いきなりやってきた男と、早夜の力の話。
この街の住人であるマシュー達は、話についてゆけず、呆気にとられるばかり。
ハル一人だけが、興味津々と言った風に耳を傾けるのだった。
リジャイの言葉を聞いた早夜は、無言で俯く。
離れたくないと言う気持ちがあの夢を見せた。一体何故、離れ離れになってしまったのだろう。物心ついた時から、当たり前のように見ていた夢。そして、夢を見なくなってしまった時の喪失感……。
確かにそこに、絆はあったのだ。
リジャイは黙ったままの早夜の頭に手を置いた。
ハッとして早夜が顔を上げると、彼は紫色の瞳で早夜を優しく見つめている。
「リュウキに会いたい……?」
リジャイのその言葉に、早夜の瞳は揺れた。
「……会いたいです……」
と、その言葉は、自然と口からこぼれ落ちた。
「リュウキも多分、君に会いたがっていると思うよ。だって、いつも君の心配ばかりしてるから……」
リジャイの言葉を聞いて、ますます会いたいという衝動が強くなる。
「会いたいです。凄く会いたい……。どうして離れ離れになっちゃたんですか?」
早夜はリジャイに縋り付く様に言った。
「お母さんは仕事で遅くて、家に帰るといつも一人で……寂しくて……夢を見ると寂しくなくなりました。
……虐められてる時も、夢だけが私を癒してくれました……。でも、起きるとまた一人で……ずっと、ずっと会いたいと思っていました……」
いつの間にか早夜は、リジャイの膝に取り縋って泣いていた。
今まで、胸にしまっていた感情が溢れ出す。
「何で? 何があったんですか!? 私にお父さんは居るんですか? もう一人のお兄さんって、どんな人なんですかっ!?」
そんな悲痛な叫びを受け止め、リジャイは優しく早夜の背を撫でる。
リジャイの瞳もまた、悲しげに揺れている。そして、天井を見上げると呟いた。
「そうだね、会いたいね。……本当に、何があったんだろうね……僕も知りたいな」
その呟きに違和感を感じ、泣き顔のまま彼を見上げる早夜。
リジャイは顔を戻すと、早夜の顔を見て苦笑する。
「……はなみず……」
「えぇ!?」
慌てて拭おうとするが、拭くものが無い。
あたふたとする早夜を見て、リジャイはぷっと噴出すと、ウソウソと言って、手のひらで涙を拭いてやる。
途端に恥ずかしくなる早夜。
ハッとして、周りを見ると、皆が此方を見ている。
リカルドなどは、早夜と目が合うと、気まずそうに目を逸らせた。
「さて、と……」
リジャイはそう言って、テーブルから降りると、リカルドに言った。
「王子様? 君は嫌だと言ったけど、僕は無理矢理にでも協力させてもらうよ。早夜とリュウキの為に……」
リカルドは暫く無言でリジャイを睨んでいたが、ふいっと顔を逸らせる。
「分った……」
リカルドも早夜の涙を見て思ったのだ。会わせてやりたいと……。
(その為だったら何でもやってやる。例えこの男の手を借りる事になったとしても……)
「じゃあ僕、そろそろ行くね。王様に報告したい事があるし、カンナの事とか、いろいろとね」
「っ! お前いま、協力するって言ったばっかで行くって……」
「うーん、実は他にも厄介事が出来ちゃってねー……」
「厄介事だと?」
「まぁ、早夜を狙っているのは、何もクラジバールだけじゃないって話」
「何っ!?」
リカルドが声を上げる中、早夜もびっくりして、リジャイを見た。
「当然でしょ? あれ程の力、他の国にも届いちゃってるし、探りを入れてくるに決まってるでしょ。まぁ、そう言う僕も、カンナに言われるまで、気付かなかった訳だけど……」
そう言うと、リジャイはテーブルの上に、何やら置いた。
それは、よくホテルなどで見かける、呼び出しベルの様であった。
「で、僕に用があったら、これ鳴らしてよ。鳴らしたら僕に伝わるようになってるから。あ、でも、僕が来れない時なんかは鳴らないからね」
そう言って、ベルをチーーンと鳴らすのだった。
それから彼は、デュマに地図の改良点を幾つか述べて、去っていった。
そして、リカルド達が作戦の話し合いをする中、マシューが早夜を呼び出す。
マシューは、そのまま早夜を外へ連れ出し、集会所からそんなに離れていない、サニアの家へと連れて行った。
「えぇ!? じゃあ、マシューさん、気付いてたんですかぁ!?」
マシューに先程、「実はお前女の子だろう?」と言われ、驚きの声を上げる早夜。
「判るって、そんなに肩の細い男なんて居ないだろ?」
そう言われ、早夜は肩に手を置かれた時の事を思い出した。
(そんなに前から?)と驚く中、マシューはサニアに視線を移す。
「サニア、後頼むな?」
「ええ、任せて頂戴」
サニアは、マシューの言葉に微笑み頷くと、早夜を連れて二階へと上がった。
「めいっぱい可愛くしてもらえよー!」
そんなマシューの言葉を背に受けながら、早夜は奥の部屋へと入る。
「か、可愛くって……?」
「フフッ、女の子に戻りましょう?」
サニアは、嬉しそうに笑うと、すでに用意されていた服を差し出す。
「この服は、私の死んだ妹が着ていた物だったの……このまま、箪笥の肥やしにする訳にもいかないから、着てあげて頂戴?」
そうは言うが、欠かさず洗濯をしているのだろう。渡された服からは、石鹸とお日様の匂いがした。
「まぁサヤ、とっても可愛いわ! よかった、サイズはぴったりね」
多分私より年下の子のなんだろうな、と思いながら早夜は、サニアの前に立って見せた。
「ううー、でもなんかスカートが短くて、あと背中がスースーします……」
恥かしげに膝を摺り寄せると、居心地悪そうにそわそわし始める。
スカートは膝が見えるくらい短く、ボリュームあり、ふんわりとした作りをしていた。そして、上はと言うと、背中の方が大きく開いていて、そこに長めのリボンを首に巻いて、後ろで縛り、垂らすのだ。
「あら、今街中では、これ位の服が女の子の中で、流行ってるのよ」
その後、サニアは早夜の髪を結いながら、妹の話をした。
住んでいた村がバスターシュに襲われた事、そして、その時に妹を殺された事、サニアの目の傷もその時に受けたものらしかった。
「その後、暫くは絶望してたけど、ガマじぃさんに拾われて、この街で暮らしているうちに妹の分まで、しっかり生きなくちゃって思うようになったわ。
今でもまだ、その時の夢を見る事があるけど、そんな時はマシューが抱きしめてくれる。
マシューに会えて良かったって、今ここに……生きている事に心から、感謝しているわ……毎日毎日が、本当に愛しいの……」
「あ……」
サニアの幸せそうな顔を見た時、早夜の頭の中に懐かしい声が響いた。
どうして忘れていたんだろう……。
早夜の脳裏には、あの静かなお堂と桜の花びら、そして、早夜を優しく撫でてくれたあの人の言葉が蘇っていた。
「サ二アさんは今、幸せなんですね……」
早夜がぽつりと言うと、サニアは満面の笑みで答える。
「もちろんよ」
――幸せになりなさい――
それが、おじぃちゃん先生……早夜のお世話になった、お寺の住職の言葉だった。
「サヤは幸せじゃないの?」
サニアの言葉に、早夜は俯くと言った。
「私が幸せになるのには、まだ時間がかかりそうです……」
(――私にはまだ、その資格はないから……)
早夜はそう、心の中で呟くのだった。
「あの、マシューさん……」
あの後、髪を二つに縛ってもらい、おまけに薄っすらと化粧までしてもらった。
一階に降り、そして椅子に座ったマシューを見つけ、声を掛けたのだが、早夜はそのまま固まってしまう。
彼が帽子を脱いでいた為である。
大きく広がる傷の痕、彼の左耳は、ケロイド状のもので覆われていた。
その時そっと肩に触れられ、ハッとして顔を上げる。サニアだ。
彼女はマシューに近づくと声を掛ける。
彼はサニアを見ると、早夜を振り返り困ったように笑った。
手で弄んでいたニット帽をかぶり直し、早夜に近づく。
「ごめんなサヤ、気付かなくて。こっちの耳、聞こえ辛いんだわ」
そう言って、早夜の姿を上から下まで見ると、にっこりと笑った。
「おー、カワイーカワイー、よく似合ってるじゃん!」
そして、悲しそうに俯く早夜を見て、寂しげに笑った。
「……怖いと思ったか?」
早夜は、ハッとして顔を上げると、ぶんぶんと首を振る。
「っそんな! 怖くなんかないです! ……ただ、何だか凄く、悲しかったんです……」
今日会ったばかりだが、マシューの優しさと、人柄の良さに、親しみを感じている。
そんな彼が、この傷のせいで、どんなに辛い目に会って来たのだろうと思うと、悲しくて、そして悔しくて仕方がなかった。
「でもな、サヤ。俺はこの傷がなければ、サニアに出会えなかったよ。この傷があってこその俺だ」
泣きそうになる早夜の頭を、少し躊躇いがちに撫でると、優しい眼差しで言った。
「本当に良い子だよなー、サヤは……。ありがとな、それから……会えるといいな、リュウキ様に」
早夜はマシューを見上げると、クシャリと顔を歪めた。
(……違うんです……私は良い子じゃない……)
だが、その言葉は胸にしまい、早夜は無理やり笑った。
「はい……ありがとうございます……。何だか、マシューさんはお兄さんみたいです……」
「ははっ、それは光栄だなー」
「そして、サニアさんはお姉さんみたいです」
早夜がサニアを見上げてそう言うと、サニアは右目を見開き、瞳を揺らめかせ、言葉もなく早夜をギュッと抱きしめるのだった。
〜日本・一時帰宅その後 其の六〜
学校から帰って来た蒼と亮太は、蓮実から、早夜の母アヤに連絡が取れなかった事を聞くと、そのまま早夜のアパートへと直行した。
そして、部屋の前まで来ると、そのドアの所には何日分かの新聞があり、帰った様子がない事が窺えた。ドアに触れると、スッと開く。
「あの、お邪魔します……」
声を掛けてみるが、やはり返事はない。
「開けっ放し? すっごい物騒なんだけど……」
「とにかく、中に入ってみよう」
中に入ると、部屋の中がきれいに整頓されている中で、テーブルの上だけが、散らかっている。乱雑に置かれた化粧道具。
それはあの日、アヤが出て行った時のままなのだが、蒼たちがそれを知るはずもない。
「何か、慌てて出て行ったみたいね……」
「探しに行ったのか?」
「ケータイも全然繋がんないのよね……一体何処に行ったのかしら……」
自分のケータイを見詰めながら、蒼は言う。
「とりあえず、いったん家に戻ろう」
「……そうね、明日もまた、来てみましょう」
蒼たちは、早夜が無事な事と、アヤに聞きたい事があるという事を綴った置き手紙を残して、アパートを後にするのだが、やはり、数日経ってもアヤは帰って来なかったのであった。
マシューですが、彼の言葉には重みがありますね。 私書いていて、マシューお前って奴は……と感動してしまいました。
彼は、頼れるお兄さんな感じで書いています。
Newvelランキング・
Wandering Network恋愛ファンタジー小説サーチ
小説家になろう 勝手にランキング夢の逢瀬 ←番外編です。
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