早夜のもとを後にしたシェルは立ち止まり、ふと自分の胸に触れてみる。
あの娘に触れられた場所だ。あの時、胸を撫でられた時……ゾクリとした。
まるで本当に魂に触れられているみたいだった。
それを誤魔化すように、彼女をからかうような事をした。
だが――。
チラリと窓の外を見る。
もうそこには赤毛の母子はいない。
ハァーと息を吐く。
何故あんな事をしてしまったのか……。しかも、あんな小娘に……。
いくらあの人の名を言われたからと言って、もっと他に黙らせる方法など、いくらでもあった筈だ――。
そこでシェルはふと気付く。
いつの間にか、あの娘の前で『私』ではなく『俺』とい言っていた事に……。
「はっ、何処まで感情的になっていたんだ、私は……」
そう言うと、自嘲気味に笑う。
「シェル?」
その声に、シェルはハッと顔を上げた。
そこには、兄ミヒャエルとそして、先刻まで庭で散歩をしていたミシュアとアイーシャの姿もあった。
「あ、に、うえ……」
思わずギクリとしてしまった。だが、直ぐに取り繕い、軽く会釈をする。
「お早う御座います、兄上。姉上もお元気そうで……」
チラリと其方を見ると、アイーシャが困ったような顔で笑っていた。
「お久しぶりです、シェル様。最近お忙しそうですのね……。それに、姉上なんて……わたくしの方が年下ですのに、今だ慣れませんわ……。名前で呼んで下さったら良いのに……」
そんな事できる筈も無い。何の為に今まで、なるべく会わないようにしてきたのか……。
シェルは出来るだけ其方を見ないよう、目を伏せ言った。
「そんな……いずれ、王妃となられる方を名前で呼ぶなど、出来る筈がありません」
「ははは! だめだよ、アイーシャ。シェルは真面目すぎるんだ。私に対してもこの調子なんだから始末に終えない。
しかし……この前は驚いたよ、あんな感情的なシェルは初めて見たな……。お前はもう少し、感情を表に出す事を覚えた方が良いな。いつか壊れやしないかと心配だよ……」
温かい目でシェルを見やるミヒャエル。
あの時とは、あの三つ目の男に対しての事だろうと思いながら、まともに兄の顔を見られずに下を向いた。
そして、目をやった先にはアイーシャの陰に隠れたミシュアの姿があった。
彼女は怯えた目で此方を見ていた。あれ以来、ずっとこんな調子だった。
確かに、幼い子供の前で敵意を剥き出しにしてしまった事は、反省すべき点かもしれない。
「そういえばシェル。サヤを見なかったか? アイーシャに会わせたいのだが……」
一瞬、シェルの動きが止まった。
だが、顔に笑顔を張り付かせると首を振る。
「……さぁ、私は存じ上げませんが……」
「そうか……部屋には居ないと聞いたのだが……。シェル、お前も一緒に来るか?」
「はっ?」
何故、と思い、一瞬断ろうとしたが、あの娘が余計な事を言わないように一緒にいた方が良いのではと思い立ち、彼らについてゆく事にした。
(もうあそこにはいないだろう……)
そう思っていたのだが、なぜか彼女はまだそこにいた。それも、壁際で膝を抱え、縮こまっていた。
顔を伏せていたので、泣かせてしまったのかと流石に罪悪感が湧く。
「サヤ!! どうした!? 何かあったのか?」
ミヒャエルが慌てて駆け寄る。
早夜は体をビクッとさせると、顔を上げた。その顔は赤く、涙目だった。
そして、ミヒャエル親子をを見て驚き、シェルを見つけるとギクリと顔を強張らせた。顔をさらに真っ赤に染めると、慌てて立ち上がろうとするが、なかなかそれが出来ない。
それを見てシェルは、腰が抜けたのかと理解したが、何の事情も知らないミヒャエル達は、焦ったように早夜を気遣う。
「サヤ? もしかして何処か具合でも悪いのか?」
「大変! お医者様を呼ばなければ――」
「どーしたの? サヤ、どこかイタイイタイなの?」
当の早夜本人は、事がどんどん大きくなってゆくので、必死になって否定した。
「だ、だだ大丈夫です! 本当に何でもありませんからっ!」
そんな様子を見ていたシェルは、思わず噴出してしまった。
あれしきの事で腰を抜かしてしまったという事実と、顔を真っ赤にして、どもりながら必死に言いつくろう姿が滑稽に見えてしまったのだ。
「し、失礼、あまりにも必死なのでつい……」
怪訝な顔で此方を見るミヒャエル達にそう言った。
ぷくっと頬を膨らませて、此方を睨む早夜の顔がまた笑いを誘う。
(そんな顔もするのだな……)
そして笑いを引っ込めると、改めて早夜を見る。
「恐らく転んだのでしょう。顔をぶつけたのかもしれませんね。可哀相に、こんなに赤くなってしまっている……」
そう言うと、早夜の傍らにしゃがみ、心配そうに早夜の顔に触れる。
早夜は一瞬、ビクリと震えた。
(これは、シェルさんのせいなのに〜〜!)
そう心の中で叫ぶが、ミヒャエル達がいる手前、その手を振り払う事も出来ない。
心配そうだがシェルのその目は、(そうだよな?)と言っている。
「そう言われて見れば、そうかも知れないな……。サヤ、転んでしまったのか?」
シェルの言葉を信じたミヒャエルが尋ねた。
シェルを見れば、にっこりと無言の圧力をかけてくる。
「は、はい……転びました……」
なので、涙目でそう言った早夜であった。
そんな早夜を、心底心配そうにミヒャエルが訊ねる。
「そうか……じゃあ、痛い所とか怪我した所は無いか? やはり医者に見せた方が……」
その時、早夜の体がふわりと浮く。
「ひゃあっ!?」
早夜は驚き声をあげる。シェルが彼女を抱き上げたのだ。
「見た所、顔が赤い事意外では何の外傷も無いようですし、医者は呼ばずともよいでしょう。
彼女は私が部屋まで送って行きますので、挨拶はまた後日、という事で如何ですか?」
呆けたようだったミヒャエルは、はっと我に帰ると頷いた。
「そうだな、また幾らでも機会はある。何だったら今夜、私達と一緒に夕食でもどうだろう? 今夜が無理と言うならば、明日でも構わないが……。
なぁ、アイーシャ、どうかな?」
ミヒャエルがそう言うと、アイーシャが嬉しそうに手を叩いた。
「ええ、それは良い考えだと思います。ねぇ、ミシュア?」
「うん!」
ミシュアも、頬をバラ色に染めて頷いた。
その時、ギュッと早夜の肩を抱く手に、僅かだが力が入る。
早夜はそっと、シェルの顔を窺った。
彼はにこやかな顔をしている。だが、早夜の目には何処か苦しげに見えた。
(そうだった……シェルさんは、アイーシャさんの事を……)
そう思い、目の前の親子に目をやる。彼らは本当に幸せそうで――……。
早夜は胸の前で組んでいた手を外し、そっとシェルの肩に置いた。
彼の顔は相変わらず笑顔のままだったが、彼の手の力が少し緩んだのでホッとする。
「では、兄上、姉上、それにミシュア、私はこれで失礼します」
シェルは目礼だけすると、その場を後にする。
早夜も慌てて彼らに言った。
「夕食楽しみにしていますね!」
その場に残されたミヒャエル達親子は、彼らをにこやかに見送る。
「あんな風に笑うシェルは、初めて見たよ」
「あら、そうなんですか?」
「ああ、彼女の……サヤの存在が、少しでもシェルに変化を与えているみたいだ。これは、なかなか良い兆候だと思わないか?」
「そうですね、シェル様はいつも何処か寂しそうに見えます。サヤ様の存在が癒しになれば良いでのですけど……」
「そうだ! 夕食にはシェルも誘おう!」
「それは良い考えです! ミシュアもそれで良いかしら?」
そう言って、アイーシャがミシュアを見ると、ミシュアは彼らが去った方を見て手を組み、ホーッと溜息をついている。
うっとりと頬を染め、「ステキねー」と呟いた。
どうやらミシュアにとって、憧れのカップルその2になってしまったようだった。
「まったく、あんな事をした男に気を使うとは……どれだけお人好しなんだ、お前は……」
前を向いたまま、シェルが言う。
「シェルさんだって、もう近づくなって言いました。なのに、何で戻ってきたんですか?
あの……アイーシャさんの事なら誰にも言いませんよ?」
シェルがピタリと立ち止まり、冷たい目で早夜を睨む。途端に早夜は、先程の事を思い出し、慌てて口を押さえた。
そんな早夜を見て、ハーと息を吐くと、シェルはまた歩き出す。
「あれは運がなかったんだ、私にもお前にも……まさかあそこで、兄上が出てくるとは思っていなかった。……それにしてもっ、あんな所で腰を抜かしていたとはな――……」
先程の早夜の様子を思い出し、ククッと笑い出すシェル。
「あ、あれはっ! 誰のせいだと思ってるんですかっ!?」
早夜がそう声を荒げると、シェルがチラッと流し目を送り、掠れた甘い声で囁く。
「分っている……私がお前をあんな風にしたんだろう?」
「うっ!?」
ギクリとシェルを見上げる早夜。
「あれしきの事で腰砕けになってしまうとは……感じやすいんだな、お前は……」
そう言うと、肩を掴んでいる手の指を動かし、早夜の細い首をツーと撫でた。
「ひゃうっ!」
思わず声が出てしまい、顔を真っ赤にする。
それを見たシェルは、堪えきれずに吹きだした。
「なっ!! 人をからかって、楽しいんですかっ!?」
「ああ、楽しい」
身も蓋も無いセリフに言葉を詰まらせる早夜。
「こんなに楽しいのは初めてだな」
そう言って、意地悪そうな顔で笑うシェルを見て、早夜はプクッと頬を膨らませた。
「イ、イジワルです。シェルさんは凄くイジワルです……」
シェルはそんな早夜を見て、さも可笑しそうに笑うのだった。
そうして暫く無言が続く。
そして、早夜の部屋の前に着いた時、早夜はぽつりと言った。
「……でも、やっぱり、シェルさんは優しいですよ」
ミヒャエル達の前でのシェルを思い出しながら早夜は言う。
「それに……純粋で傷付き易いです……」
シェルは呆れたように早夜を見た。
「まだ言うのか!? 懲りない奴だな、お前は……」
そう言いながら、扉を開け中に入る。
「シェルさんがどう言おうと、私にはそう見えます……。あの、私の中だけでもそういう事にしちゃ駄目なんですか……?」
そしてシェルは、早夜を長いすに座らせると、溜息をつく。
「まったく、お前のような頑固な奴は初めてだ。……好きにすれば良い……」
「はい! 好きにします!」
早夜は、パッと顔を輝かせると、そう言った。
そんな早夜をまじまじと見つめ、シェルは早夜の頭にポンと手を置く。
「……?」
不思議そうに早夜が見ると、シェルはぽつりと言った。
「本当お前みたいな奴は初めてだよ……サヤ」
そう言ってフッと笑うと、踵を返して扉へと向かう。
「それからサヤ、お前はもっと人を疑う事を覚えろ。このままじゃ、いつか騙されるぞ!」
そう言い残し、シェルは部屋を出て行った。
部屋に残された早夜は、ぽかんとしていたが、やがて苦笑する。
「ほら、やっぱり優しいじゃないですか……」
〜日本・一時帰宅その後 其の2〜
「また、僕だけ仲間外れ!?」
まだ明るくなりきっていない所に無理やり起こされ、半分眠気眼でリビングにやって来た海里。
蒼と亮太を発見し、一気に眠気が覚め叫んだのである。
いーなー僕も見たかったなー等と、ぶちぶち言っていたが、テーブルの上に何やら変なものを見つけ立ち止まる。
「何コレ!?」
「アイ! 僕、花チャン!」
「え!? 喋った!? ってゆーか、コレ何!!?」
「うーんと、魔道生物よ……」
「えぇ!? だから何ソレ!」
先程の楓のような事を言う海里。
「僕、花チャン!」
よほど嬉しかったのか、自分の名前を何度も叫んでいる。
そんな花ちゃんの様子を、微笑ましげに見ていた楓がポツリと言った。
「それにしても、可愛いな……」
楓のその言葉を始めとして、皆が口々に可愛いと言い出した。
いつもは無口の翔太郎でさえも、「……かわいい……」と言う始末。
すると花チャンは、皆がかわいいと言うたびに、「エッ? エッ?」と反応して、それを言った者達の顔を交互に見上げる。
そして、カァァッと頬を染めると、顔をその小さな手で隠し、ゴロゴロと転がり出したのである。
「キャ〜〜〜ッ! 恥カシイノデツ〜〜〜! 可愛イト言ワレマツタ!
デモ、仲間ガ居ナイカラ、喜ビノ舞ハ踊レナイノデツ〜〜〜!!」
どうやら、あの喜びの舞は彼ら、魔道生物達の照れ隠しだったようだ。
さらにキャーキャー言いながら、ゴロゴロと転がる様子に、一同、魅了されてゆくのだった。
ああ、何やら、リカルド応援組とシェル応援組に分かれてしまいそうですね、小さな争いが生まれる予感……。
別にそんなつもりはなく書いていたのですが、思わぬ展開です。
シェルですが、まだ恋愛感情は無いようですね。ただ、興味は持ち始めた感じです。
最後に早夜を名前で呼んだことは、彼女を認めたという事ですね。
それまでは余所者として、信用していませんでした。たとえリュウキの妹だとしてもです。
Newvelランキング・
Wandering Network恋愛ファンタジー小説サーチ
小説家になろう 勝手にランキング夢の逢瀬 ←番外編です。
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