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ねこ2匹
作:氷高ゆうり



第十二話 今、そこで待ってろ


 俺はネコを2匹飼っている。
 一匹は守るべき白猫で、もう一匹は愛すべきトラ猫だ。
 
 高明の母親の名前は、()()という。『真夜』と書いて、『まや』と読むのだ。
 母親と同じ漢字を使った名前なのだと知った時、不思議なもので、(しん)()に親近感が湧いた。
 似ても似付かぬ二人なのに、そのせいなのか、似ているようにも思えた。
 真夜といるとホッとする。真夜の傍が心地よい。 真夜がいてくれるだけで、気持ちが穏やかになった。
 真夜に、母親の影を求めているわけではない。
 マザコン男は、自分の恋人や妻に母親を求めるというが、いくら高明がマザコンの気があるとしても、母親を求めるには、真夜の心は幼すぎる。
 妹か娘のような気分にさせられるのだ。母親代わりにできるはずがない。
(妹か娘……)
 いつの間にか、真夜を家族のように思っていたらしい。
 
 日曜日も蒔井に付き合い、見たくもない映画を見に行った。
 その帰り、真夜のマンションに足を向けたが、土曜日に追い出された時のまま、真夜の機嫌は直っていないようだ。扉は開くが、チェーンに妨げられて、中に入ることができない。
 ため息をついて、再び扉を閉めるしかなかった。
 高明の実家は、真夜のマンションから二駅先にある。休日の朝練の時、軽く走ってしまえる距離だ。
 だが、この時は電車を使った。 重苦しいため息が漏れる。なんだか、ひどく疲れていた。
「ただいま」
 静かに響く自身の声。返ってくる言葉はなかった。
 しーん、と耳に痛い静けさ。玄関を上がると、すぐに正面の階段を上る。二階に自室があった。
 部屋は、出て行ったままになっていた。
 しばらくベッドに横たわって、天井を睨んでいたが、不意に人の気配を感じて体を起こした。自室を出て、階段の下を覗きこんだ。
 物音は、リビングから聞こえた。忍び足で階段を降りると、そっとリビングへのドアを開いた。
 高明の目が大きくなる。数ヶ月ぶりに見る顔が、そこにあった。
「兄さん……」
「よお」
 彼は何食わぬ顔で、ソファにふんぞり返るようにして座っている。
「帰ってきたの?」
「お前こそ。一人暮らししてるんだって? 高校生のくせに生意気じゃん」
 まさか、女の子や恋人と暮らしているとは言えず、この家では、高明は一人暮らしをしていることになっていた。
 で? と高明も向かい合うように腰掛けた。
「どうかしたの?」
 四つも年上だと、張り合う気力を失うのか、この兄と高明は、兄弟喧嘩といった(たぐい)のことをしたことがない。
 高明も何でもそつなくこなす方だが、この兄も同じタイプで、言い争いになりそうになったとしても、互いに一歩退いてしまうのだ。どちらも、争いを好まないタチでもあった。
 顔の造りもよく似ていて、どちらも母親似のきれいな顔を持っていた。
 いつだったか、兄は高明の頬を突いて、父さんに似なくて良かったな、と笑ったことがある。彼は父親をひどく嫌っており、顔を見ただけで吐き気を催すのだと言う。
 そして、自分の体の中に流れているだろう父親と同じ血が許せないのだと、言った。できることならば、血を入れ替えたい、と。
 学校の成績も良く、常に冷静で、賢い兄だったが、父親のこととなると別だった。
 高明も父親を許せないと思う。だが、この兄ほどかと問われれば、頭を悩ませてしまう。
(父は、兄に、その血さえ厭われるほどのことを犯してしまったのだろうか? )
 高明は兄の顔を見上げた。彼は言いにくそうに、言葉を放った。
「母さんに呼ばれたんだ」
「母さんに? どうして? 何かあったの?」
 近くにいる高明よりも、遠くで暮らす兄を呼び寄せるくらいの大事だろうか。怪訝そうに眉を寄せる。
 見ると、兄も同様に、きれいな眉を歪ませていた。
「……あんまり、お前には話したくない」
「なんだよ、それ」
「知って欲しくないんだ」
 兄に、これほど辛そうな表情をさせるような事なのだ。高明はすぐにピンときた。
「父さんのこと? また父さんが何かしたの?」
「……」
「俺、もう高二だよ。子どもじゃないんだ。父さんに愛人がいることも知ってるし、今更、何も驚かないよ」
 それでも兄は迷っているようだった。苦しそうなため息を漏れた。
 だが、高明は聞きたかった。この兄や母を苦しめる父親のことを、どうしても知りたいと思ったのだ。
「言ってよ、兄さん」
 真剣な眼差しで、兄を見つめた。彼も、真っ直ぐに高明を見据えている。まるで、心の内を読もうとしているかのようだ。
 長い沈黙後、ようやく彼は小さく頷いた。
「……わかった」
 高明の唇から、ホッと息が漏れた。いつの間に込められていた肩の力を抜き、ソファの背もたれに寄り掛かった。
 それで? と兄を促す。
「父さんに愛人がいることは知っているよな? 一人、二人の数じゃないことも」
 高明は頷く。
 父親の愛人は、別れたり、新に作ったりして、大抵、三人くらいに保たれている。五年以上長く続いている関係はないらしいとも聞いている。気持ちの変わりやすい人なのだ。
 兄は話を続けた。
「実は……子どももいるんだ」
「子ども?」
 兄は自分を傷付けまいとして言葉を選んでくれているようで、言いにくそうに、切れ切れな言葉を口にする。
「父さん、愛人との間に子ども……つくったの?」
「ああ」
「俺たちにとって、異母キョウダイってことになるわけ?」
「ああ」
 それで? と続きを促す。
 自分では驚いているつもりはなかった。だが、出てきた声は、見事に掠れていた。
「最近、分かったことなんだが。父さん、その子に月々四〇万送り続けていたみたいなんだ」
「四〇万も?」
「母さんも驚いていた。驚いて、俺を呼びつけた、ってわけ」
「それは……驚くよ」
 もう一人のキョウダイの存在さえ知らなかった高明の驚きもさることながら、自分の知らないところで月々に四〇万という多額の金を使われていた母の驚きも、相当のものだろう。
「母さんは?」
「今朝早く、父さんの事務所に押し掛けて行った。父さんがちゃんと仕事していれば、会えるはずだけど」
 無理だろうな、と彼は嗤った。
「ところで、いつからだと思う?」
「いつからって?」
「父さんが隠し子に四〇万を送り始めたの」
 高明は眉を寄せる。サッパリ予想が付かなかった。
 元々、想像力が無い方だったが、すっかり動揺してしまったらしい。頭がまるで働かないのだ。
「その子、お前と同じ年なんだ」
「それじゃあ、十七年間?」
(そんな前から……)
 兄は緩やかに首を横に振った。
「正確に言えば、確か、まだ誕生日前だから、十六年のはずだ。お前は四月生まれだろ。その子は二月生まれだから」
「兄さん、そいつの誕生日、知ってんの?」
「一応、キョウダイだからな。そのくらいは調べたんだ。それに……そうだな。できれば、その子のことなんて忘れてしまいたいけれど、どうしても忘れられない存在だから」
 高明は小首を傾げた。兄は自嘲の笑みを浮かべた。
「会ったことがあるんだ。ずっと前のことだけど」
「会ったの?」
 どんな奴だった? と訊きそうになったが、その笑みを見て、すぐに言葉を呑み込んだ。高明は俯く。
「俺にとって、弟か妹なんだよな? そいつ……」
「女の子だよ」
「妹か」
「どんな子か、知りたくないのか?」
 顔を上げると、兄は笑っていた。 穏やかな笑みだった。この笑みならば大丈夫だと、高明は安堵した。
「どんな奴だった?」
「さあ」
「さあ、って」
 知らないと言う彼に、眉を寄せる。 睨み付けると、彼は声を上げて笑った。
「怒るなよ。仕方がないさ。なんせ会ったのは十四年前。相手は二歳のガキだったし、俺だって7歳のガキだったんだ」
 思い出そうと努力してくれているのか、彼はゆったりとソファに座り込み、瞼と閉じた。
「覚えているのは、雨の音」
「雨?」
「雨が降っていたんだ」
 それは、ざあー、ざあー、と騒がしい。
「玄関のチャイムが鳴って、母さんが出たんだ。俺も後を追って、玄関に。お前は一人でリビングにいたよ。昼過ぎだったからな、昼寝でもしていたんじゃないのか? お前がウロウロ歩き回っていた記憶がない」
 いったい何を話そうとしているのか、兄は静かに言葉を響かせた。
「母さんが玄関を空けると、外に、ずぶ濡れの女が立っていた。大雨なのに、傘も差していなかった。女の足下に女の子がいたんだ。その子もずぶ濡れで、白いワンピースを着ていたのに、肌色に透けていたんだ」
(兄さん……どこ、見てんだよっ)
 思わずツッコミたくなった。だが、何も言わずに相づちを打つ。
「その子が俺たちの異母妹? 何しに来たの?」
「父さんは無責任にも、その女の人に約束をしていたらしいんだ。いつか妻と別れて、お前と結婚してやる、って。あの人は愛人になら、誰にでも言うんだろうさ。言って、その気にさせるんだ。自分は、そんな気サラサラないくせに」
「その女の人は、本気に思ってしまったんだね」
 哀れそうに言えば、兄も頷いた。
「父さんを信じて子どもまでつくったのに、その子どもができたとたん、父さんに捨てられたんだ」
「……」
 ぐっ、と息を詰める。自分の父親のこととは思いたくない、ひどい話だ。
 ――金さえ握らせれば、解決できると思っているような奴だよ、俺たちの父親は。
 いつだか兄に言われた言葉が甦る。おそらく、この時も、父は、その女に莫大な金を握らせたのだろう。
 そうして、自分唯一人だけ、解決した気になっていたのだろう。なんて……。
 高明は唇を噛み締めた。なんて愚かな人なのだろう、と。
「幼い人だったんだと思う。俺自身もガキだったけど、その女の人も同じくらいに幼く見えたんだよ。心が育ち切れていない人? 実際の年も相当に若く見えたけれど、瞳が、犬や猫……動物みたいに澄んでいて、純粋そうな人だったんだ」
 そういう人だからこそ、父に騙されたのだと、兄は続けた。
「騙されたと知ったその女は、父さんに復讐しようと考えたらしい。始めの頃は間接的に、手紙を送ったり、電話を掛けたり……。そのうち父さんの仕事場に押し掛けるようになって、ついには家までやって来たんだ」
 兄は再び瞼を閉じた。静かに、静かに言葉を紡ぎながら……。
 
 ざあー、ざあー、と雨が降っていた。
 その日、珍しく、父親は家にいて、女がやって来たことを知ると、慌てたように玄関に駆け付けてきた。
 女は泣き叫んだ。悲鳴のようでも、罵声のようでもあった。父親が何か言っている。
 諭しているようだが、厄介払いしたくて、適当なことを言っているようでもあった。
 女が怒鳴り声を上げた。その顔は恐ろしい。般若(はんにゃ)みたいだと思った。
「キラリと何かが光った。母さんが悲鳴を上げた。俺に見せまいと、俺を抱き寄せたんだ。けれど、俺は見てしまったんだよ」
 ゴクリ、と咽が鳴った。手のひらにジットリと汗が浮いて出た。
「何を?」
 掠れる声で尋ねれば、兄はジッと高明を見つめ、言い放った。
「女は首を切ったんだ。俺たちの目の前で」
 勢いよく飛び散った赤いモノ。
 カラン、と女の手からナイフが落っこちた。
 雨が赤を広げる。じわり、じわり、と広がって、辺りは全て赤く染まった血の臭いが鼻をつく。
 ドサリ、と女の躯が地面に倒れた。仰向けに転がった躯。首もとからは、まだ、噴水のように赤が吹き出ていた。
 一面の赤。血の臭い。
 兄は頭を横に振った。汗が散る。見れば、彼の顔は死人のように青白かった。
 だが、高明の表情もそれに負けていない。
 体が震えた。膝がガタガタと嗤う。噛み締めた唇は血の気がなく、握り締めた拳は真っ白になっていた。
「父さんは人を殺したの?」
「間接的にな。間接的にだから、罪に問われなかった。多額の金で優秀な弁護士も雇ったし、それに、その女には身内がいなかったから」
「父さんの無実に異議を唱える者もいなかったってこと?」
「そうだ」
 それでも、その女の人を追い詰め、死に追いやったのは父親だ。
 高明は頭を激しく左右に振った。兄の気持ちがよく分かる。彼が血を入れ替えたいと願う気持ちが。
「四〇万という金が、母親を殺された子どもへの償いなのだとしたら、それは少なすぎると思う」
 ポツン、と吐き捨てるように言うと、兄も頷いてくれた。
「その子、今、どこにいるのかな?」
「さあ。父さんが始末をつけたんだろ? 俺は知らない。施設に入れたかもしれないし、別の愛人に育てさせているのかもしれない」
 だけど、どこかで生きている。四〇万という金を貰って。
 高明は額の汗を拭った。席を立つ。
「ちょっと、疲れた」
 自室に戻る、と言うと、兄は黙って頷いた。
 だが、高明がリビングから出ようとすると、何か思い出したらしく、彼は小さく声を上げた。
 何? と振り返ると、兄は薄く笑った。
「その女がした父さんへの最大の復讐を思い出した」
「何?」
 もう、その女の話など耳に入れたくなかった。
 だが、兄が話してくれることは聞いておきたい。彼とは今度いつ会えるか知れないのだから。
 兄は言い放った。
「女は父さんへの復讐に、生まれた娘に母さんの名前を付けたんだ。父さんがその子を見て、母さんを思い出すように。また、母さんを見て、その子を思い出すように。その子の存在を忘れないように。父さんが二度と愛人との間に子どもをつくれないように。そして、その子を生んだ自分のことを、生涯忘れさせないために」
 兄は(わら)っていた。さも愉快そうに。
「それでどれほどの効果あったのかは分からない。けれど、父さんにはあれほどの愛人がいるのに、それでも長く続く人は一人もいないんだ。俺たちの異母キョウダイも、その子っきり。いい薬にはなっただろうね」

 気が付けば、真夜のマンションに向かって駆け出していた。
 辺りは闇に包まれている。帰路を急ぐサラリーマンたちの間を抜け、ネオン街を駆け抜けた。大通りを過ぎれば、いくつものマンションが立ち並ぶ通りにたどり着く。
 そのうちの一つを見上げて、確認してから、そのマンションの玄関をくぐった。
 母親と同じ名前の異母妹が、自分にはいる。そうと聞いて、胸騒ぎがした。まさか、と思う。
 そうなのかもしれない。
 ――いや、そんなわけがない。
 一つの想いが浮かび、すぐに打ち消され、再び浮かび上がった。
 真夜の家の前まで来て、乱れた息のまま鍵を開ける。
 ガシャン。扉を開けようとして、鈍い音が響いた。チェーンだ。
 苛立ちに、乱暴に扉を閉める。閉めるしかなかった。
 ドンッ、と扉に拳を叩き付ける。継いで、そこに額を押し付けた。
「真夜、教えてくれ。お前は、いったい誰なんだ」
 耳に響く静けさの中、高明は一人、いつまでもそこに立ち尽くしていた。












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