明くる日の夕方。
給仕を終えて、一息つきながら亜希は頭を抱えていた。
(一人で出歩いたら危ないのは、わかってるんだけど……)
この後、教会でみんなと漫画のプロット作りをする約束をしている。
アークからは、出かける時には宿の誰かと一緒に行くように、口を酸っぱくして言われたのだが、どうも気が進まないのだ。
宿の同僚達が忙しいので頼みにくいと言うこともあるが、外部から圧力を受ける危険性のある作品を書いていることもあり、作業の現場に関係者以外の人を、むやみに近付けないようにしたいと言う理由もある。
(――もし、この世界で携帯が使えるなら、それで連絡を取って、エリック、ルード、エリオットの内の誰かに事情を説明して、迎えに来てもらうよう、頼むことが出来るんだけどなあ)
元いた世界では、当たり前のように使用していた文明の利器が使えないことに、もどかしさを覚えた。
もしかしたら、魔術を使って遠方の人と連絡を取る手段があるのかもしれないが、今それを確かめる術はない。
(やっぱり、宿の誰かにお願いするしかないかな……そうなると、どうやって外出許可をもぎ取るかが、問題だ)
アマンダは情に厚い人物である。
以前、亜希が血塗れになって帰って来た時は、血相を変えていたことを思うと、事情を話した途端、「外出禁止令」が出されるかもしれない。
しかし、仮に今日、昨日の事件のことを話さずに済んだとしても、買い出しの仕事が定期的に回って来るため、遠からず事情を説明しなければならなくなるだろう。
(うう……困ったなあ。みんなとの約束をすっぽかす訳にはいかないし)
テーブルを拭きながら途方に暮れていると、「アキ」と厨房からアマンダが呼ぶ声がした。
「あんたにお客さんだよ」
客、と言う言葉に反射的に、部屋の入り口へと視線を移すと、見知った顔がそこにあった。
「――エリック!」
「よう」
視線が交わった瞬間、彼はにかっと笑って手を上げた。
何でここに来たのかと問うと、エリックは文房具屋で漫画を書く際に用いるインクを買って来たそうなのだが、ポンデグッタ亭が店から近いので、立ち寄ったとのことだった。
亜希は一通り仕事を終えた後、そのままいつものように教会には向かわず、自室へとエリックを招いた。
――昨日の出来事は歩きながら話すよりも、室内で話した方が良いと思ったからである。
「それ……たまたま現場に兄貴が居合わせてたから良かったものの、そうじゃなかったら、ヤバかったんじゃねえか?」
「……そうですね」
「しかもその男、『後日他の奴等が宿の方を狙う』って言ってたんだろ? 兄貴が『叩きのめす』って言ってたんなら、心配はないだろうけど、兄貴、仕事に穴開けても大丈夫なのかな……」
「そう言えば、アークってお城で何のお仕事をされているんですか?」
ふと、そんな疑問が口を突いて出た。
アークはこちらの世界で一番付き合いが長い相手だが、その人柄以外の部分を、亜希はほとんど知らないことに、今更ながら気が付いた。
「ん、俺もよくは知らねえんだけど、今は、城の中でもそこそこ高い役職に就いてるって話だ。何でも、機密事項が多い仕事だから、詳細は話せないんだってさ。でも、いつも誰かに仕えてる訳でもなくて、ふらりと旅に出ることもあるし、不思議な人だよ。兄貴は」
「ふうん……」
機密事項が多い、と聞いて、亜希は成る程と胸中で呟いた。
言われてみれば、彼はどことなく、自分の立場や仕事についての話を避けていた所があったように思う。
――アークには、話せない事情があったのだ。
「ああ、それと『全部叩きのめす』って言ってましたけど、アークって、そんなに強いんですか?」
「強い。剣の腕は、かの『軍神』に次ぐとまで言われてる。武闘会で優勝して以来、付いた『赤の闘神』の異名は、武人で知らない奴はいねえ位だ――まあ、今は当時と容姿や雰囲気が変わったらしいから、一目見てそうだとわかる奴はあんまりいないだろうけどな」
「軍神」とは、この国の前国王陛下アルノス・オズウェルドのことを指す。
漫画を書くに辺り、亜希はざっとこの国のことについて学んだので、聞き覚えがあった。
どんな武器でも、あっと言う間に使いこなし、どんな武術もすんなりマスターしてしまったと言う、嘘のような実話が残っている人物である。
戦好きの王だったとして、忌み嫌う者も少なくないが、武芸を嗜む人間にとっては憧れの存在らしい。
暗殺者に襲われた皇后陛下を庇い、その時に負った傷が元で亡くなったとされているが、「軍神」とまで称された人物が、そう易々とやられるとは思えないと、生存説も囁かれている。
「アルツァード教会の連中は程度の差こそあれ、みんな『赤の闘神』の手解きを受けているからな。その凄さを肌で感じてる」
「だから、みんな慕ってるんですか?」
「剣の腕だけで、じゃあないぞ。兄貴は『自分の好きなように生きてるだけだ』って言ってるけど、グランツ先生同様、憂国の士で、いつも国のことを考えてる。もちろん、憂えているだけじゃない。危機を事前に察知して、悪い事態が生じないよう、東奔西走してるんだ」
そこで言葉を切ると、エリックはひたりと亜希を見据えた。
「兄貴は一日のうち、自分のことを考える時間よりも、公を思う時間の方が長い――俺達はそんな所を尊敬してる」
「成る程……」
「そんな兄貴が唯一、大切にしている女性がアキなんだ。兄貴不在の間は、こっちでちゃんと護らねえとな」
「……へ?」
悪戯っぽく笑うエリックに、亜希は間の抜けた声を出した。
「おいおい、自覚がねえのか?……兄貴も報われねえなあ……」
「……?」
首を傾げると、エリックはわざとらしく溜め息をついて見せた。
――何なのだろう?
「――まあ、雑談はこれまでとして、だ。俺やルードとエリオットも、アキに護身術程度の魔術を教えただけで安心してたのが甘かったな。いくら知識があったって、場数踏んでなきゃ、咄嗟の時にはなかなか使えるモンじゃねえだろ?」
「ああ……それは確かに。昨日は男と対峙してた時に、自分が魔術を使えるってことを、すっかり忘れちゃってました」
そう。
アークと一つ屋根の下に暮らす生活の最終日、彼から別れ際に「教会の連中に魔術を習っておいても良い」と言われたことを受けて、亜希は簡単な護身用の魔術を教わっていた。
指先に火を点したり、かまいたちのようなものを起こしたり、等である。
昨日も男と対峙している時に、その気になれば魔術で撃退することも出来た筈なのだ。
今振り返れば、あの時はすっかり動転していた。
はっきりと自分が標的にされるなんて体験は、日本でぬくぬくと過ごしていた亜希にとって、初めてだったのだ。
「情けない……私、何のために習ったのかわかりませんね」
「そんな、気ィ落とすなって。狙われるなんて経験はそうそうねえことだから、びびって当然だよ」
「マンガを描き始めた時点で、身の危険は覚悟してました。なのに、この体たらくじゃ……これから先、ずっと守ってもらうなんて申し訳ないし、もっと強くならないと……」
「アキは強いな」
自分の真情を吐露していると、エリックはにこりと笑ってそう述べた。
「強い? 弱いじゃないですか。狼狽えて魔術も使えなかった臆病者ですよ?」
「いいや、強いさ。現実とちゃんと向き合おうとしてる。怯えて萎縮しちまってもおかしくねえのに、そうはならねえってだけで立派だよ」
「……そうですか?」
「狙った男は、『自分の後ろには、政府の人間がついてる』ことを認めたんだろ? 政府の要人から狙われてるって聞いたら、大の男でもびびるのが普通だよ。それなのに、脅迫された翌日も、朝から平然と仕事をしてたんだ。大したモンだぜ」
「はあ……ありがとうございます」
褒められて、何だか気恥ずかしかった。
亜希は自分を、決して「強い」人間だとは思っていない。
昨日の出来事は本当に肝を冷やしたのだ。
今日も宿に奇襲をかけられないかと、働きながら常に外を気にしていた位だ。
「しっかし、こうも早く『検閲』を始めるたぁ、予想外だぜ。ま、裏を返せば俺達の細々とした活動に、意外にあちらさんが堪えてるとも言えるが――さて、どうしたモンかな……」
エリックは顎に手を添えて、思案顔になった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。