扉から顔を覗かせた人物は、ガタイが良い男だった。
亜希は日本女性ではかなり長身な方で、一七二センチあるが、その彼女が見上げる程に、男は背が高い。
少なくとも、一八五センチはありそうだ。
彫りの深い顔は完全に外人のそれで、赤銅色の髪と青い瞳が何とも派手だが、造作は整っている。
亜希の地元には工業団地があり、南米から来た出稼ぎ労働者が周辺に数多く住んでいるので、外人に対する物珍しさはなかったが、体格差から来るものだろうか――圧倒されていた。
ぽかんとしていた亜希であったが、しばらくして、自分が扉の正面で男の通行を阻んでいることに気が付き、慌てて横に移動すると、突然、男は亜希の腕を捻り上げた。
(!?)
いきなり何なのだろうか。
初対面で、突然喧嘩を売られてしまった。
ぼんやりしている間にも、男の握力がどんどん強まってゆく。
「つっ……!」
「――――お前、何処から入って来た?」
耳元で囁かれた。
どうやら、男は日本語が話せるらしい。
訛りもなく、堪能のようだ。
バリトンの美声だったが、甘さなんて欠片もなく、敵意がひしひしと感じられる。
気が付くと、亜希は両手首を一つにして捻り上げられ、そのまま壁へと押し付けられていた。
「……った!」
あまりの痛みに、苦悶の声が無意識に口から漏れた。
「何者だ。俺の首でも取りに来たか?」
「……?」
この男は何を言っているのだろうか。
質問の意図がわからずに黙っていると、締め付ける力がますます強まった。
「……うう……」
「答えろ」
「……私は……しがない大学生です。入って来たのは、図書館の入り口から……」
「はあ? ここは宿屋だぜ。訳がわかんねえな」
「わかんないのは私の方ですよ!」
――もう、堪えられない。
強まる一方の握力に我慢出来なくなり、亜希は膝で男の鳩尾を、ありったけの力を込めて蹴った。
「ぐっ……!」
不意打ちが上手く行ったのか、一瞬力が緩んだので、その隙に亜希は男から距離を取った。
「とにかく、私は貴方みたいな人は知りません! 刺客か何かと錯覚してるみたいですけど、よく見て下さい。こんな華奢な身体つきの人間なんて、どう見たって一般人でしょう?」
「魔術師でないとは言えない」
今、この男は魔術と言ったか。
頭がおかしいのではないか。
「そんなけったいなもの、使える訳がないでしょう。一体、何なんですか! ただ、本を借りに来ただけなのに、初対面のいかつい男に暴行されて……毎日真面目に生きてるのに、何でこんな理不尽な目に……!」
話している内に、知らず知らず、涙で視界が揺らぎ始めた。
昔から感情が爆発すると、すぐに涙ぐんでしまう。
「おい……!」
「……人の泣き顔、ジロジロ見ないで下さい」
「す、すまん」
男の声が揺れていた。
何やら、狼狽している。
女の涙が武器と言うのは、本当のようだ。
取り乱している男を余所に、亜希は部屋を出た。
今が逃げ出すチャンスだろう。
しかし、一歩踏み出し、扉の向こう側を覗いて、亜希は愕然とした。
人二人が通るのがやっとの、狭い板張りの廊下が真っ直ぐ伸び、突き当たりに下へと続く階段があった。
その片側に四つ、この部屋にあるものと同じ形をした扉が並んでいる。
先程男が、ここは宿屋だと言っていたが、確かにそんな雰囲気だった。
「何これ……どう言うこと!?」
目の前の風景が、信じられない。
ここは一体、何処なのか。
自分は頭がおかしくなったのか、さもなければ夢を見ているのかもしれない。
そう言い聞かせないと、気が狂ってしまいそうだった。
もう一つ、扉を潜った瞬間に違う場所にワープしてしまったと言うケースが考えられたが、その仮説はとてもすぐには、亜希には受け入れられそうになかった。
唯物論者ではないので、亜希は超常現象の類もいくつかは信じていたが、自分が体験するとなると話は別である。
不意に、亜希の身体が傾いた。
「あ……」
糸が切れた人形のように、崩れ落ちていく。
ああ、ぶつかるなと、まるで他人事のように思っていると、床に上半身が当たる直前に、ぐんっと逆向きに力がかかった。
「おい!……くそ、何で部屋に不法侵入した奴に、手ェ差し伸ばしてんだか……」
見ると、先程襲われた男に、支えられていた。
「まだ、話は終わってねえぞ。勝手に俺の泊まってる部屋で倒れられちゃ、困るんだよ」
「あの……」
「何だ」
「ここは、何処なんですか?」
「だから、宿屋だって言ってんだろうが」
「……そうじゃなくて、何て言う国の、何処の地域かを聞きたいんですが……」
「はあ? お前、頭大丈夫か?――ここは、オズウェルドって国の首都、エグザリオンの城下街にある、ポンデグッタ亭って宿だ」
「えっと……それじゃあ、オズウェルドは知名度の高い国ですか?」
「おま……知らねえのかよ。経済力では世界で二番目の大国だぞ」
オズウェルドなんて名前は聞いたことがなかった。
そもそも、経済大国で二位なら、日本ではないのか。
今にも中国に抜かされそう、いや、もう抜かされているのか……まあ、それはどうでも良い。
しかし、この様子では、もう、現実を受け入れざるを得ない。
ここはどうやら――――異世界、らしい。
亜希は思わず、頭を抱えた。
神の悪戯と言う言葉があるが、こんなに酷い悪戯はないだろうと思いながら……
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