梅雨時の傘地蔵
「はい、今日の分」
クラスメイトの天野くんは、私に飴を渡すのを最近の日課にしている。
今日でとうとう一週間。本日の味は「さわやかレモンスカッシュ」でした。
わざわざ始業前に、彼は私の席に来てくれます。
律儀な人だと思う。剣道部だからか?
「おやつは嬉しいし、お礼っていうのは分かるよ。でも、もう十分だよ天野くん」
私の言葉に、天野くんは笑顔になる。
さわやかな笑顔だ。これで、じめじめとした梅雨時の湿気が多い教室も、なんとなく除湿されたのではないだろうか?
「名前も覚えてもらったし、もういいかな」
……やっぱり、面倒だったんだな。三日目くらいでやはり一言言うべきだった。
ありがとう、天野くん。君からの飴は、毎日三限目の前に鳴く私の腹の虫のおやつでした。ごち!
毎日「お礼」と言ってひとつずつ飴をくれていたのを、なんとなく挨拶代わりに受け取ってしまっていたよ。なんて義理堅いんだ……ダメだ、善良な男子高校生の大事なおこづかいが減ってしまう。
「じゃあ明日は、ケーキ屋さんにいこうか。傘のお礼に」
……明日は土曜で、学校はお休みですが?期末テスト前だから、部活もないよ?
「……なんで?」
意味が解らない。さっき私「もう十分」って言ったよね。もうお礼はいらないよって意味だったんだけど?
「もう傘のお礼は貰ったよ?」
「まだ、足りないよ。……じゃあ、放課後に」
予鈴が鳴って、天野くんは自分の席に戻って行った。
「……そこまで感謝されること、なんかしたっけ?」
彼の行動の理由が解らない。
私は、一週間前の天野くんとのやりとりを思い出すことにした。
………………………………
【六月某日 放課後】
『♪あっめあっめ振る振る兄ちゃんが〜車でお迎え来てくれなーい……、と』
私は、替え歌を歌いつつ生徒玄関に行った。
……今、思い出すと大変恥ずかしい。顔から火が出るとはこのことだろう。
国語便覧、役に立つなあ。ことわざ面白い。古典の時間だけどちょっとだけ……。
……はっ!寝てた。
天野くんとのやりとりを思い出すはずが、うっかり夢の世界で魔王倒してたよ。いかんいかん。
……確かあのとき、天野くんは傘も差さずに帰ろうとしていた。
『……濡れちゃうよ?』
私がそう声を掛けると、彼は振り向いていった。
『傘を忘れたから自業自得だ』
……四字熟語は何ページだったっけ。えっと……、え、今って日本史の時間になってる!?やばい、資料集と教科書!プリント!明治維新のあたり、ややこしくて名前覚えらんないよ!
……えと、天野くんの話だ。
彼はまあ、自分が悪い的なことを言ったんだ。
それで私は、彼に傘を貸した。
……ただ、それだけのことだった。
午前中かかって思い出したが、あまり成果と呼べるものではなかった。
とりあえず考えはここまでにして、午後の私に期待をしたい。だって昼食が私を待っているから。
「さつきー、あんた天野とどうなってんのよ」
「毎日、さつきに話し掛けてるよね!」
うふふと笑う仲良しのキララちゃんとスピカちゃん。私たちはいつも三人で弁当を食べている。二人とも名前負けしていない、とてもかわいい子だ。
「え、お礼という名の納税か年貢?」
「……日本史から離れてよ。いいから、お礼って何の?」
「先週、傘を貸したの」
「ふーん、でなんで毎日さつきの席に来てるの?」
「お礼のため?」
毎日アメちゃんをくれるのだよ、と言うと二人は顔を見合わせてにやにやとした。
「とうとう、さつきにも春が来たんじゃないかな」
「もう六月だから夏だけど」
「バラ色の青春よね〜」
「青春はブルーじゃないの?」
結局、二人にはにやにやされて終わってしまった。やなかんじ!
午後イチの授業は英語。眠い、眠いよパトラッチュ(仮名)。とりあえず、マングローブは淡水と海水の両方がぶつかるところに生えるんだね。
わかったから、修学旅行で沖縄行くのはわかったから。……沖縄っていつ頃梅雨なのかな、晴れるかなあ。
あ、ご当地ヒーローの話になった。……先生、鹿児島のローカルヒーローを熱く語らないで。脱線して大事故ですよ。
……必須アミノ酸とか特撮ヒーローモノの技みたい。トリプトファンとか強そうだ。リジンもなかなかのイケメンネームではないか?アミノ酸とビタミンで栄養戦隊マッスルレンジャーとか。司令官はベータカロテン様とか。
……そういえば、前に保育の単元でカボチャプリンとにんじんケーキを作ったっけ。あれ、おいしかったなあ。資料集に載ってたよね。何ページにあったっけ?保育保育……。
あ、絵本の読み聞かせのボランティアを生徒会が募集してたなあ。紙芝居でも楽しそう、やってみようかな。
しかし、今日は蒸し暑い。……なのに六限目に体育とか死ぬ。ソフトボールは楽しいよ!打てないけど!捕れないけど!男子の体育館でのバスケよりは暑くないはず!!
でもさ、薄曇りでも日焼けはするのよ。……タオルを帽子代わりにしよう。装着!うん、女子高生としてはイケてない。女子失格だわ〜。そろそろ日傘も必要だわ。レインブーツも新しいの欲しいけど、どっちを誕生日におねだりしよう。新しいタオルも欲しい。
……そう、梅雨時だからこそ、雨を楽しむ工夫が必要なのだ。
雨が飴なら、みんな楽しいだろうな〜。
「ん?飴と雨……?」
なにか記憶に引っ掛かった。
…………ああ、そうだ。『傘地蔵』さんがいたのも、去年のちょうどこの時期だったっけ。
去年の今頃、私は誰かに傘を貸した。それからしばらくの間、毎日私の机にお菓子が供えてあったのだ。 私は『傘地蔵さんからのお礼』として、いつもありがたく頂いていた。
だが、ある日それが先生に見つかって叱られてしまった。なんという不幸!
まあ、遅刻ギリギリで滑り込んだ私が悪いのだが……。
そんなことがあって、傘地蔵様は私のところに来てくれなくなってしまったのだ。しょんぼり。
多分、天野くんはそのことを知っていて、わざわざお礼を手渡しにしてくれたに違いない。
手間を掛けさせてしまった。スマヌ。
きっと律儀な彼のことだ、私が担任に叱られるのを警戒して遠慮をしたと思い、わざわざ休みの土曜に日にちを設定したに違いない。
なんて素晴らしい人なのだろう。傘を貸してくれただけのクラスメイトにそこまでするなんて!きっと家庭での躾がしっかりされているに違いない。姿勢だけでなく行動まで男前だ。
でももう、お礼はいらないよ。おこづかいは大事にしたまえ。
………………………………
……などということを、放課後の教室で、天野くんに説明したら、彼は複雑そうな顔をした。
「……河合さん、誰にでも傘を貸してないよね」
「うん、常に二本は携帯してるけど、信用できる人にしか貸さない」
だって気に入ってるモノから、変な人には貸したくないじゃないか。
「……なんで俺に貸してくれたの?」
「人の傘を使おうとしなかったから」
土砂降りの中に突っ込んでいこうとする、その心意気が気に入ったのだよ。
「……河合さんから傘を借りるのって、二回目なんだよ」
「男子でそれは珍しいね?いつ貸したっけ」
記憶力に自信がないので申し訳ない。私が覚えるのは、美味しいお菓子と可愛い雨具だ。
「……これで他意はないとか言われると、へこむなあ」
え、他意ってなに。貸す人を決めるのは私の直感ですよ。
「……一年前のお礼は、恥ずかしいからと匿名だったから、気付かれなかったのは仕方がないと思った。だから、今回は面と向かって渡したんだけど」
うん、そうだね。毎日、飴を貰いました。おいしかったです。
「……………にぶいってよく言われない?」
眉間を押さえながら、天野くんは呟いた。
「うん?」
たしかに、運動神経はあまりよくないですが。あ、頭の回転も……。
「……話の流れで、気付いてくれたのかと期待したんだけど、まさか全てスルーされるとは思わなかったよ」
「え、だから、傘のお礼はもういいってば」
じゃあねと言って帰ろうとする私を、天野くんは腕を引いて引き止めてくる。痛くはないが振り払えない、絶妙な力加減だ。
「……わかった。河合さんが鈍いのは十分わかった。
こうなったら正攻法で行くからちょっと待ってくれ」
「なにを?」
「告白」
……幻聴かな。うん、そうだ。そうに違いない。暑いもんね!
「河合さつきさん、
好きです。俺と付き合ってください」
いきなり何を言いだすんだ、この人は!……放課後の教室っていっても、無人じゃないんだけど!!クラスメイトが何人もいるんだけど!?
「これだけ皆の前ではっきり言えば、スルーは出来ないだろう」
「……へ?」
なんかもう「やりきった」みたいな顔で、彼は私を見ていた。
「やだ!おめでとう、さつき!」
「はい、アドレス交換して!」
いつのまにかキララちゃんとスピカちゃんが、私の背後に立っていた。あれ?それ私のスマホ……。
気が付いたときは、二人に見送られ、天野くんと帰ることになってました。解せぬ。
………………………………
「これを君に受け取って欲しい」
次の日、連れていかれたケーキ屋さんで、天野くんから可愛い傘を貰いました。
「……なんで?」
「河合さんの誕生日、梅雨だから」
「……天野くんって、エスパー?」
「去年、君が教えてくれたんだよ。傘を貸してくれたときに」
そんなこともあったか。しかし、私は自分の個人情報を知らず知らず漏洩させていたのだな。
「名前が、だから『さつき』なんだろう?五月雨、五月晴れ……これらは梅雨の時期を表す言葉だしね」
そう、私が生まれた日は晴れだったそうだ。梅雨なのに。
だから「五月晴れ」からとって、おばあちゃんが「さつき」と名付けてくれた。
よく五月生まれと間違われるが、私はこの名前が好きだった。
「君がいたから、雨が、この時期がちょっと楽しみになったんだ。……だから今年はなんとかして『誕生日おめでとう』って、言おうって思っていた」
ああ、だから今日はケーキ屋さんなのかな。しかも、ふたつもおごってくれた。どちらもうまうまです。おいしゅうございます。
「その前に、もう一度君から傘を借りるとは思わなかった。……だから、今度はちゃんと俺を意識してもらおうと思ったんだけど、ね」
はい、まったく意識していませんでした。ごめんなさい。
……しかし、言ってもらわないとわからなかったんだけど、改めて目の前で詳しく説明されると……とても恥ずかしい。
「さつきさん、君が好きです。俺の隣でその傘をさしてくれませんか?」
天野くんの顔は耳まで赤い。
……でも、きっと私の顔も同じくらい真っ赤になっていると思う。
「雨って、『幸せが降り込む』って言われてるそうだけど、幸せを俺にくれない?」
「……それ、聞いたことない。誰の言葉?」
「うちのじいちゃんが言ってた言葉。だから、ただのこじつけかもしれないけど、なんかよくない?」
そう言って笑う天野くんの考え方が、とてもいいなと思った。
「なんか、いいね」
ああ、なんだか一緒にいるのが楽しくなる。
私にとって、梅雨はやっぱり素敵な季節みたいだ。
「私に幸せを運んでくれるなんて、天野くんは本当に『傘地蔵』様だね」
「……その恥ずかしいネーミングのせいで、名乗り出られなかったんだよ。……『さつき』って呼んでもいい?」
「じゃあ、私はなんて呼べばいい?」
梅雨明けは、まだまだ先。
でも、一緒に雨を楽しんでくれる彼がいれば、私はもっと梅雨が好きになれる気がした。