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竜の花嫁

作者:飛鳥
後半男性視点。変態注意。
主人公は竜ですが、人化はしませんのでご注意下さい。
今時鉛筆×消しゴムとかでも本体のまま妄想する猛者がみえるらしいので、人×竜くらい余裕ですよね!

2014/5/18 活動報告より小話を追記しました。
 目を開けたらドラゴンだった。誰がって自分が。驚いて悲鳴を上げると、上がったのは空気を揺るがす騒音と一条のレーザービームで、非常にびっくりしたので逆に押し黙った。
 逞しい身体。鋭い鉤爪と牙。天を向く一対の角。背に広がる巨大な翼。陽光を弾き真珠色に輝く宝石のような鱗は、そんな場合じゃないが気に入った。だって綺麗なんだもの。女子高生であった私が見惚れたとして、文句がある奴は出てこい。このにょっきり生えた爪で八つ裂きにしてやる。
 そう、女子高生だった。魅惑のセーラー服に身を包み、艶めかしい足をハイソックスに納め、教師に目を付けられない程度に化粧を施した、誰にはばかる理由もない普通の女子高生だったのだ。
 事故に遭った覚えがある。遅刻しそうになって慌ててパンをくわえ、曲がり角でぶつかるのは基本的には未来の恋人ではないという現実だ。トラックである。生憎と体格差萌えの属性は持ち合わせていないので、軽自動車くらいでお願いしたかったところだ。
 深く考えるのは止めた。ハンバーグ生地みたいになっただろう自分のその後を思うなど薄ら寒い。今は、そう、ではこのぱちぱちと瞬きを繰り返している自分が何であるかということだ。女子高生は切り替えが早いという特徴を持つジョブである。
 立派な尻尾でバランスを取る。落としていた尻を持ち上げると、視界は随分高かった。高いところは好きだ。決してナントカと煙のナントカの方ではないが。
 高いとはいえ、それでも周囲の木々にしっかり隠れる程度ではある。自室のベランダから見下ろしたくらいに地面があるので、高くても6mくらいだろうかとあたりを付けた。
 森の中であるらしい。きょろきょろと周囲を見回してもそれ以上の状況を知るような何かは見あたらず、私はすとんと肩を落とした。
 えっちらおっちら少し歩くと、空を映し込む泉があった。ひとまずここを拠点としようと思う。
 女たるもの情報を大切にすべし。でないと虐めとかの陰湿な行為にあう羽目になる。1組のリーダー格のAちゃんは2組のB男が好きだとかね。知らないで親密な仕草でも見せたら酷いことになるからね。
 つまり、仕入れるのはあらゆる情報である。広域である必要はない。女子高生が世界情勢や政治に関心を持つものか。いや、持つ人はいるだろうけど、基本的には自分の滞在している限定的空間を把握するのに必死なものだ。
 まずは自分の置かれている状況がどれだけ切羽詰まっているのかどうかだ。何せ森である。そして自分の四肢を動かすことすらぎこちない。つまり次のおまんまを仕入れる方法とか、いつまでに仕入れられなければアウトなのかとか、そういうな!
 死ぬのは御免である。それが餓死とか寒気しかしない。ドラゴンって普通肉食だと思うけど、できれば生肉は食べたくないなあ乙女として。しかし贅沢を言っている状況ではないので、サバイバル展開は諦めることも念頭に──。
 ふと違和感を覚えて足下を見下ろす。堅く大地を踏みしめる逞しい御足に、黒い毛玉が纒わり付いていた。
 獣だった。人間だった頃に出会えば一目散に逃げて、逃げきれなくて断末魔を叫んだであろう凶暴そうな野獣だった。
 定期的に加わる圧迫感。たまに離れてじゃれついたかと思えば、顎を大きく開いてこちらの白い足をもぐもぐする。
 しばし首を傾げて、閃いた。もしかして攻撃されているのかと。あんまり痛くないし小さいから、全然ピンとこなかった。
 思い当たったからには──反撃せねばならないだろう、反骨精神旺盛な女子高生として。
 奮起して、気合いの一声を地に放つ。以外に涼やかな、しかし大地を揺らすような音量で響き渡った雄叫びは──次の瞬間には勝ち鬨へと意味を変えた。
 ごめんな、吼えただけで光のブレスが一閃するとは、夢にも思わなかったんだ。
 どうやらこの身体は随分と頑強で、驚異の破壊力を秘めているらしい。知識の糧となってくれた獣には感謝の限りである。こちらに害を成そうとした存在だが、お亡くなりになったからには結果が全て。不器用に手を合わせて南無阿弥陀仏と唱えけり。
 さて、過剰防衛はいけない。今後はそっと叫ぶとか、肉体言語に励むとかしようと決意して、私は一歩を踏み出した。
 やっぱり弾けたお肉を見ると食欲が湧かないので、果物とかがあると良いと思いながら。


*


 『人、きた』

 親交を深めた獣の一匹が告げた言葉に顔を上げた。
 あれから50年ほど経っただろうか。時間が経つのって早い。もうおばあちゃんと呼ばれても仕方のない年になったとかショックである。私はいつまでも女子高生の気分を捨てない純粋な大人でありたいと思っているので、いつまででも女子高生を自称しようと思う。
 意外にも草食系であったらしい私の主食は、更に意外なことに香りの良い花だった。果物や木の実も食べられないでもないが、どうにも味気ない。お陰でフローラルドラゴンとして名を馳せている。乙女としては嬉しい誤算だ。
 特に舌が喜ぶ花が自生する一帯を縄張りとするのは簡単だった。
 だって、何に攻撃されても効かないんだもの。自慢の玉のお肌である。そしてブレス。本気出せば一撃で森が森じゃなくなる威力だが、頑張って加減すると威嚇として使える優れものだ。チョイ当てすると被害者は漏れなく腰を抜かす。まあ、背筋を伸ばすと10mを軽く超えるほどの背丈にまで成長した今となっては、足を踏み鳴らすだけでも十分な威嚇となるわけですが。

 『人って、人がいるの?』
 『人。きた』

 言葉が交わせると知ったのは、縄張りに腰を落ち着けてからである。こちらを警戒していた獣に、私は無害なドラゴンですよ伝われピピピーと電波を飛ばしてみたところ、何と片言ではあるが答えが返ってきた。
 女子高生としては友達を増やさない選択肢などあろうはずもない。「仲良くするなら我ら仲良しグループの一員としてやろう」という旨を直接脳内に語りかけることで、今や友達100人計画の目標達成に片手を掛けている現状である。このコミュ力に震えるが良い。思念なので口調とかは意図するところと多少違うと思うけど、大事なのはニュアンスだと私は思う。
 獣の言葉では要領を得ないので、首をもたげて魔力を放出する。適当にぶちまけた魔力の霞に、慣れない気配が引っ掛かった。多分これだろうとあたりを付けて翼を広げる。
 案外近い場所だった。低空飛行で進む内、異形が集う場所に着く。魔物と呼ばれているらしい彼らは、怖い見た目と高い警戒心が厄介な反面、付き合ってみると結構話の分かる奴らである。

 『竜』
 『竜、なぜきた』
 『人、あぶない。竜かえれ』
 『かえれ』

 心配してくれてるんだろうけど、帰れ帰れと言われていると虐めを受けている気分になる。
 砂埃を巻き上げないようゆっくりと地上に立つと、上空からは木々に隠れていたのだろう、ぼろ雑巾のようになった固まりが一つ、魔物に囲まれているのが分かった。
 人間とか久しぶりに見た。テンション上がる。

 『ちょっと退いてくれるかなー?大丈夫、大丈夫。そこに転がってるような剣で私のお肌を傷付けられるはずがあるめえ』

 胸を張る。魔物が顔を見合わせた。造形の割にそこはかとなくラブリーに見えるのは、サイズがちまっこいからである。当社比。

 『そうかな』
 『そうかもな』
 『そうだな』

 のっしのっしと歩を進めると、興味深そうに赤い目を光らせながら、彼らは素直に退いてくれた。

 『あれっ、子供じゃんか!』

 倒れているのはまだ幼さの残る少年だった。地面すれすれまで顔を寄せて観察すると、外人さんであることを考慮しても中学生くらいではないかと思う。
 苦しそうに顔を上げた少年が、至近距離にあるドラゴンの鼻面に、怯えたように身を竦めた。まあ怯えるよね。背丈よりでかい異形の顔が近くにあったら。でも乙女の矜持はちょっとばかり傷付いたので謝罪と賠償を要求、はしないけど、そういうあからさまな反応は控えるように。

 「ドラ、ゴン……?こんな……くそ、何で……」

 薄汚れてはいるが、とんでもない美人さんである。淡い色の金糸を揺らし、紺碧の目で気丈にもこちらを睨め上げながら、どうにか身を起こそうと苦心していた。一見少女の見紛うような細面は苦悶に歪んでいて、折角の美貌が非常に勿体ない。

 『何でまた子供がこんなとこに。坊や一人?どっから来たの。ちょっと、駄目じゃん皆、こんな子供を寄ってたかって痛め付けたりしたら。めっ』

 中学生と言えば、花の女子高生より小さな庇護すべき対象である。耳を垂らしたり尻尾を股に挟んだりする加害者たちを睥睨しつつ、しばしの間逡巡し、結局腹を括った。
 更に少年に鼻先を寄せる。ちろりと舌を出すと、身を震わせて固く目を閉じる。

 『食べないよ、失礼な』

 血の色濃い肩口に、べろんちょと唾液を押し付ける。他人に涎を擦り付けるのは乙女として抵抗があるが、致し方あるまい。ドラゴンの体液はお薬になるのだ。
 見る間に流れを止めた命の水に、少年は呆然と瞬きを繰り返す。続いて、痛々しい膝小僧と、穴の開いた手にも舌を這わす。見ているだけでイテテ。どう見てもやりすぎである。
 治療されながら、少年は傷口とこちらを何度も見比べ、時折、傍らに落ちた剣にも視線をやった。突然目とかをブスリとされるとさすがに怖いので、少年を怖がらせない速度でゆっくりと首を引く。あ、と途方に暮れたような声がした。しとめるチャンスを逃した!という失意の声でないことをおねーちゃんは祈ります。

 『立てる?大丈夫?もう痛いとこないかな?』

 いや、と首を振る姿は、離れていてもよく見える。ドラゴンの視力は現代機器によるによる視力低下を起こさぬ原住民を遙かに凌ぐのだ。落ちた眉尻を確認し、相変わらずの良い視力に満悦した。眼鏡が必要ないって素晴らしい。
 それでだ少年。折角の美貌を俯けてないでこっちをお向き。

 「……すまない、礼を言う」

 思ったより偉そうな口調だったけれど、近所に住んでたクソガキよりは素直そうな顔をしていたので大して気にはならない。あのクソガキと似た気配を感じたら、足の小指だけ器用に踏み潰してやるところであるが。

 『子供助けるのは大人の義務だから、別に良いよ。気にすんな。それより、なぜしてこんなとこにいるの、君』

 ぐっと唇を噛んだ少年が、悲痛な面持ちで上向いた。

 「俺はジルベルトという。竜よ、勝手は重々承知だが、どうか助けてくれないか」
 『おっけー』

 要約すると。
 少年ことジルベルトの母親が重い病気で、治療法が見付からなかった。そこで古い文献にある『竜の血』を求めて出向いたという。討伐を確信するほど楽観的ではないが、何か成果が得られればと一念発起したらしい。誰もが諦める中、母親の命を繋ぐため、たった一人でこっそり旅立って、命辛々辿り着いて、魔物に囲まれ、散々ボコボコにされたそうだ。

 『……うわあ、ばっかでー』
 「……」

 無謀である。蛮勇である。

 『しっかし、ホロッとくるわーそういうの』

 だが、女子高生はそういうお涙頂戴なエピソードに弱い。さすが子供は卑怯。無邪気なツラでこちらのウィークポイントを正確無比に突いてくる。
 涙腺まで頑強なドラゴンの肉体は、目頭に熱いものを感じる隙すら生じないが、熱い志は伝わった。おいちゃんが一肌脱いでやろうという気持ちになる。
 よし、持ってけ!なあに、ちょっとくらいなら献血と思って我慢しようではないか。
 文献にあったという通り、多分いけるんじゃないかと思う。うっかり爪引っかけて切り傷作ったとき、偶然熱出して転がってた獣にうっかり血液ぶっ掛けちゃったら治ったし。そのときから会うたび血が飲みたいと所望するようになったのを見るに、恐らく偶々口に入ったんだと思う。つまり、使い方は病人に飲ませてやれば良いんじゃないかな。
 とはいえ自傷は怖いので、できればジルベルト自身の手ででちょんと傷付けて、血液採取に励んで欲しい。
 転がる剣に爪を掛け、ちょっくら魔力で覆い込む。さあ勇者よ、竜を殺す力を得た、この聖剣を取れ。母を救うため血を得るか、栄誉のために我を殺すか選ぶが良い。なんちて。
 足下に剣を寄せられ、動揺を露わにしたジルベルトの視線が泳ぐ。勿論冗談なので、ひと思いに早く採血してくれないかなと目を瞑った。看護師さんが注射針を光らせている最中は視界をシャットアウトする気弱な子でした。

 「……すまない、ドラゴン」

 呟くように謝罪を落として、ジルベルトは差し出した手の先に刃を滑らせた。ちょっと斬ったくらいでは血管まで届かないので、覚悟は決めたしもっとぐっとやってくれて良いのよ。女に二言はない。でも傷物になるのは勘弁願いたいのでちょっと血が出るだけね。ちょっとだけ。
 強烈な罪悪感を醸し出しながら、刃が押し込まれる。ぴりりと引き攣るような痛みが走り、少年が息を飲む気配がした。
 恐る恐る目を開けると、真っ白い鱗に、僅かに光を放つ赤色が見えた。傷口に触れないよう慎重に小瓶を当てる姿に目を細める。優しい子である。そういう気遣いができる男は将来モテモテになるぞ。
 小瓶を満たした液体を崇高な宝を抱くように握り締め、彼は再び、すまないと呟いた。

 『大丈夫だよ、舐めときゃすぐ治るってこんくらい』

 余計な陽気さは無論、空元気である。この身体になって二度目の出血は、耐性がない分どうにもショックを引きずる。体格からすると蚊に刺された程度なんだけど、女子高生は痛みに弱いものなのだ。ニキビで死にそうに落ち込む人種を舐めんな。
 という冗談がいけなかったのか、ジルベルトが差し出したままの手に顔を寄せた。小さな舌でぺろりと血を掬う姿に仰天する。あんまり震えるとちまい身体が飛んでっちまうので自重したが、理性が仕事していなかったら今頃魂がお出かけしてる時間なので、少年こそが自重すべき事態だった。

 「何だか、甘いな」
 『ななななにしてんの少年!』
 「舐めておけば治るとドラゴンが言ったんだろう?」

 慣用句だ!
 しかし年下に舐められ──精神的な意味である──舐められるわけにはいかない。女子高生のプライドというものがある。どうにか平常を装って、早く母親を助けてやれと追い返した。
 一人でお家に帰すというのも酷だった気がする。送ってってあげれば良かったと気付いたのは、数日後のことだった。

 一月とちょっと後、再度来訪した少年は、今度は近くまでお供を連れて来ているようだった。わざわざまた来るとか、もしかして駄目だったのかとも思ったが、礼を言いに来たらしい。母親は元気溌剌、庭でナイフを振るう毎日だという。それはそれで問題な気もするが、まあ、角が生えたとか羽が飛び出したとかいうクレームじゃなくて良かった。
 しかし少年、律儀である。そんなであるから近いのかと思えば、馬とばして20日とか何それ遠い。やっぱり送ってあげれば良かったようだ。

 「両親も礼を言いたいと言っていたのだが、長期間国を空けるわけにもいかないんだ。元々世話になったのは俺だからな、小僧の礼で悪いが、勘弁して欲しい」
 『だから、いいってば別に。人助けになったんなら良かったよ。そもそも頑張ったのは少年じゃんか、お疲れさまー』

 美人は人を幸せにする世界の宝だと私は思う。よって、少年を助けるのは人間の義務。少年を産んだ母親はこれまた美人に違いないので、やはり世界の宝である。ちょっと怪我するだけで義務を果たせるのだから、こちらは当たり前のことをしただけだ。
 それよりボロボロになって、命を失う思いで旅をしたジルベルトこそが凄い。ドラゴンが規格外過ぎるのだが、強固な鱗もなく、身を守る鋭い牙も爪もなく、魔力は扱えるようだけれど人間の力は魔物にも及ばない。私なら一秒で諦めるね。余命を盛り上げて終わるよ。私が情けないんじゃなくてジルベルトの行動力がおかしいんだけど。

 「ドラゴンにそう言われると、自分が尊敬すべき人間のように思えるな」

 はにかむ笑顔が眩しい。憔悴顔も悪くなかったけど、やっぱり人間笑顔が一番だ。

 「何か俺にできることがあれば言って欲しいんだが……」

 少年は花のかんばせを綻ばせたまま、困ったように眉尻を下げた。ふっくらとした唇が引き結ばれるのを見るに、緊張しているらしい。甘い顔立ちが、そうしているとなおさら引き立つようだった。

 『じゃあさ』

 またおいでよ、と提案した。遠いので、生きてる間のいつでも、一度だけで良い。
 きっと彼は花の美少年から傾国の美青年になるだろう。美青年は美中年になり、そして美老人になるだろう。そのどれでも良い、私の世界のアイドルなんぞ足下にも及ばない、類希なる美貌を拝んでみたかった。
 ドラゴンの寿命は長いっぽい。いつか来るその日まで、想像を巡らせたり訪問を待つことは、きっと良い暇潰しになるに違いない。
 これはただの気持ちだが、と恥ずかしそうに差し出された一輪の花は、記念品として食べずに取っておくことにした。


 *


 『あれっ』

 拠点の土地は絶望の森とか呼ばれているから、人間が怖がって踏み入れないんだと最近知った。何だ絶望ってどういうことだ。生きて帰る人間がいないという事実のせいなら反論させて頂こう。人間の土地に突然魔物がひょっこり顔出したら驚いて袋叩きにするだろ?そういうことだ。
 別に人だアアアア肉が来たぞヒャッハアアアア!と喜び勇んで殺しに掛かってるわけじゃないんだから、そういう悪意のある名称は止めるべきだと思う。まるでここに住んでる私が悪人みたいじゃないか。悪竜というべきか。違うかんね、こんな驚きの白さは心の清廉さの表れだかんね。
 ということで人の踏み入れない土地なのだが、人の気配がレーダーに引っ掛かったので起きあがる。どんな酔狂な人間だろうと急行するのは暇人として仕方がないことだった。

 「久しぶりだな、ドラゴン。」
 『おや誰かと思ったら少年だったもの。えっ、ちょ、何その美人度凄い。育ったね君!』

 約束の通り、律儀に会いに来てくれたらしい。魔物たちも新参でなければジルベルトと私の約束を知っているので、どうやら余計な諍いも起きず顔パスで出向けたようだ。新参の教育はしっかりしているので任せろ。
 ふわりと大地に降り立つ。重力に逆らわず沈めた身体のままに顔を寄せると、光り輝かんばかりのかんばせが僅かに綻んだ。
 癖のない金の髪は、昔より色を深めただろうか。あどけなさを全面に押し出していた面立ちは、今やどの角度から拝んでも色気の溢れる男の顔だった。相変わらず中性的ではあるのだが、女性と見紛う顔立ちではない。身を覆う鎧とマントの上からではいまいち分からんものの、見たところ細マッチョタイプと見た。イケメン。超ドストライク。目が潰れそう。
 眦に含んだ濃い疲労が、ただでさえダダ漏れの色気に拍車を掛けているようだった。どうしたそんな下向いて。ほらこっちをご覧。イケメン鑑賞にご協力下さい。

 『何があったか知らないけど顔上げなよ。下向いてると余計疲れちゃうよ』

 ちろりと探るように向けられた視線に心臓を射抜かれる思いがした。女子高生だもの、そりゃイケメンと目が合ったらドキドキもしますよね。ショタの際は庇護欲で一杯だったけど、物語の王子様みたいなこの容姿に血圧が上がらないわけがない。

 「あれから10年も経ってしまったが、あなたは変わらないな」
 『10年?5年くらいかと思ってたわ。ほんと竜の感覚って鈍感で困っちゃうよね。てことは君は20代前半かー。青春後期だね、最近どうよ』

 流暢に会話が繋がるって良いものだ。獣や魔物は基本的に片言なので、慣れたとはいえやはりもどかしいときもある。あと、彼らは常識の類がどうにも血生臭いのでドン引いちゃうこともあるよね。仕方ないね。文化が違うもの。
 こちらの何気ない問いに、青年は悲しげに瞳を揺らした。憂いを増した顔が色気を上げていっそ公害レベルなので、嬉しいけんども少し自重してはくれまいか。
 どうしたの、と訪ねると、非常に言いたくなさそうに唇を噛んだ。そういう仕草をしていると、少年の頃の面影が全面に出てくる。

 『悩みがあるならここで言ってっちゃいなよ。王様の耳はロバの耳とか誰にも聞こえないし。人間社会は複雑だからねー。おねーちゃんが聞くだけ聞いてあげよう。解決できるかは別として』
 「……すまない、実は」

 苦悩に満ちた美声を堪能しながら聞いたところによると。
 王子様のようだっていうか、ジルベルトはどこぞの国の王子様らしい。あれから10年、隣国とのいざこざを除けば中々平和に過ごしていたところ、突然流行病が猛威を振るい出したとのこと。現在ピンピンに元気なのは、彼と母親のみ。父親こと国王も臥せってしまい、貴族から平民まで皆様苦しんでいるという。

 『君らが無事なのってもしかして?』
 「あなたの加護を受けたからだろう、という見解だな。俺も、それは正しいと思う」

 となれば、様子を見るに自発的に会いに来たというふうでもないので、ジルベルトは誰かに送り出されて再訪したのだろう。ドラゴンの血を取ってこいと。
 腰に提げられた剣に視線をやると、彼は苦々しい顔をして鞘ごと剣を外した。そのまま無造作に放り投げる。

 『どのみち、ありったけの血を絞ってもそれだけの人に配れるような量にはならないと思うんだけど』
 「あなたを討つ積もりなど最初からない!」

 必死の形相で振り仰ぐ彼の瞳は真摯だった。別に懸念したこともないからそんなに焦らないで大丈夫なのに。宥めるようにやわく尾の先で(つつ)くと、面食らったような顔をする。

 『そんなん分かってるよ。でも、そのまま放っておきたいわけじゃないっしょ。助けたいんじゃない?』
 「当然だ。しかしあなたに迷惑を掛けたくはない。色々と足掻いてはみるつもりだが……病で国が終わるというのなら、それも天命なのかもしれないな」

 またも目を伏せてしまった美青年に感動した。精神までイケメンとか、天は一物も二物もあたえるモンすなあ。
 だというならば。

 『君みたいな立派な子を作っといてポイする天の命令なんか聞く必要ないじゃん!おしきた、血はあげらんないけど何かできるかもわかんないし、一緒に国許まで行ってあげよう!』

 いい加減人恋しい思いもあるし、一石二鳥である。うへへ、人が一杯いるとか、買い物のときには焼き払え!みたいに唱えてたけど、今は幸せな光景にしか思えない。
 申し訳なさそうな、けれど確かな感激の面持ちで見上げるジルベルトに力強く頷いて羽を広げる。指先で慎重に青年を摘み上げると、間の抜けた声を上げた。可愛い。ミニチュアグッズとか女子高生垂涎のアイテムだったよねそういえば。なんてことを考えながら背に放る。
 たたらを踏みながらも、運動神経抜群らしい青年はすぐに体勢を整えた。広い背中でしばし逡巡を見せる。

 『座りなよ。危ないから』
 「まさかドラゴンの背に乗る日が来るとは、夢にも思わなかったな……」

 徒歩で越境とか狂人の沙汰すわ。日本一周を徒歩で達成して許されるのは伊能忠敬だけと決まっている。

 『しっかり掴まってなよー』

 ばさり、と弱く羽ばたいた。彼の跨がる位置が動かないことを確かめて、ゆっくりと浮上する。
 少年のように好奇心旺盛に身を乗り出そうとするジルベルトを窘めながらスカイツアードラゴン号は出航した。

 「良い景色だ」

 意外と肝が座っている。ドラゴンと普通に喋っている時点で度胸があるとは思っていたけれど、高所恐怖症とは程遠い性質らしい。

 「あれは、魔物か。あなたの大きさから見れば俺たちはちっぽけな存在なんだろうが、こうして見ると次元すら違うようだ」
 『ええ、そうでもないよ。気に入らない奴は別として、意志の疎通ができるなら人種を問わずフレンドリーにできるコミュ力あるよ私は』
 「そうなのか……ドラゴンというのは排他的な種族だと記されていたが、あてにならないものだな」
 『そういう人もいるかもねえ』

 人それぞれである。だからB型が変人とか決め付けるのは止めよう。B型にだって几帳面だったりまじめ一徹だったりする人はたくさんいるんだから。
 そんな感じで和気藹々と雑談を重ねる内、遠くに優美な造形の城が見えてきた。囲むようにして建つ無数の家々。ああいうのゲームとかで見たことある。ファンタジックな光景だ。凄い今更だけど。むしろ自分が一番のファンタジーであることは棚上げして何だが。

 「どうした」

 びくりと身体を震わせたのが伝わったらしかった。
 案じるように背を撫でる暖かな手に緊張を解く。無意識に上げてしまっていた高度を落としながら、恐る恐る尋ねた。

 『君の国ってほんとにアレ?何か、近寄りたくない感じのイヤーな雰囲気がする』

 首肯した頭が、そのまま横に傾ぐ。

 「ドラゴンも病に掛かるものか?」
 『ここ60年くらいは臥せったことないけどなー』

 同じく首を傾げつつ、上空を旋回していても仕方がないので空き地を見付けて羽ばたきを緩めた。
 城の庭園なのだろう、手入れの行き届いた草花を薙ぎ倒すのには罪悪感がもたげたが、緊急事態であるので許して欲しい。
 慌てた様子でわらわらと出てきた兵士の皆さんが武器を構える。嫌な気配が一時増した。足取りがふらふらしているのは、流行病のせいなのだろう。覚束ない手つきは、いっそ間違って味方をバッサリいきそうで怖い。

 『そんなの効かないから、危ないし、やめときなよ』

 親切心からの忠告に、一様に大袈裟なほど身を震わせた。威嚇のためにちろりと口の端に見せた極光のせいかもしれない。
 じり、と下がる包囲網を眺めていると、背中から、重みにも満たない重みが身を踊らせた。あっさり飛び降りたようだが、もしかして身体能力が私の世界とは違うのか。常識的に考えて、ビルの3階から飛び降りたら大抵色んな場所が複雑骨折するだろうに。現実は小説より奇なり。無傷の人もいないではないけども。

 「剣を下ろせ、馬鹿共。彼女に危害を加えてみろ、病の進行を待たずに地を這うことになるぞ!」

 あれ、と瞠目した。やけに苛烈なことを言う。恩義ある身としてわざとご大層な処分を口にしているんだとは分かるけれど、ちょっとワイルド過ぎないだろうか。こちらに向ける口調とのギャップが激しい。
 兵士たちも動揺に視線を泳がせていた。言われるままに切っ先を下ろす傍ら、彼女?と疑問をこぼしている。そこか。しかしそういえば、ジルベルトに私女だって言ったっけか。

 「王子、ご、ご無事でしたか!」

 青年以外の全てが疑問符を飛ばす混沌の中、遅れて城から転がり出てきたのはいかにもインテリめいた中年だった。また一瞬ドス黒い気配が増して、すぐに戻る。

 「おお、ドラゴンを従えてご帰還とは……皆の者、何をしている、剣を構えろ!」

 青を通り越して紫色をした顔。ぜいぜいと荒い呼吸で指示を飛ばした彼は、次の瞬間白い顔をして押し黙った。
 思い当たって足下を見ると、背に般若を背負ったジルベルトの姿があった。無表情のくせに顔を背けたくなるほど怖いとはこれ如何に。刃物の鋭さで男を直視している。

 『あの、別に、怒らないから大丈夫だよ』

 これだけあからさまに敵意をぶつけられれば、闘争心溢れる女子高生としては不機嫌を前面に迎撃するのが礼儀だろうが、この羅刹っぷりを見てしまってはそうもいかないだろう。
 顔を寄せてご機嫌を取る。こちらに流れた目はこれまで通り優しいもので、これさっきまでと同じ人ですかと思わずにはいられない。伸びてきた手が口先を撫でるのがくすぐったくて、鼻息で吹き飛ばしたいのを我慢した。

 「何から何まですまない──宰相、随分と苦しそうだな。横たえてやろうか?」

 こっち向いた優しい顔のままで絶対零度の発声するの止めて下さい。

 「い、いえ、結構でございま」
 「下がるついでに学者を呼んできてくれ。伝承学の老師だ」
 「かしこまりましたぁ!」

 出現と同じく転がり去った後ろ姿を見送って、頬へと移行した手のひらをそのまま享受する。
 結構、亭主関白な方なんだろうか。有無を言わさぬ勢いにはどうにも慣れを感じる。まあ、十分許容できる強引さなので気にはならないし、イケメンの新たな一面を見た喜びが大きいので良し。
 兵士の皆さんはいつの間にか壁際に寄ってへたり込んでいた。病の身がきついのに、勤務とか大変である。その点学校は気楽に休めて良かったと思う。世の中の社会人の皆さん、お疲れさまです。
 ちょっとくらい元気のもとにならないかな、という希望を込めて、クリーンな魔力をふんわりと散らしてみた。突然フローラルな香りが漂うのに、ジルベルトが怪訝そうな目を向ける。
 効果は果たして、抜群だった。ぐったりとしていた兵士たちが、ふいに何かに気付いたような顔をして、ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返し、不思議そうに身を起こす。やったこちらが驚く勢いで元気を取り戻した彼らは、互いの顔を見合わせて腕を振り回してみたり、飛び跳ねてみたりする。

 「……癒しの魔力、というようには感じないが」
 『空気清浄くらいのつもりだったんだけど』

 どうもドラゴンが治癒の原因だという結論に至ったらしい。首を捻り合うこちらに構わず万歳三唱ととめどない讃辞を送られた。そんなことされても何だか納得できない。ただ褒められるのは喜ばしいからもっと褒めて。しかし根本から治療が完了しているわけではないようで、魔力の霧が薄れると、また少し元気をなくすらしかった。
 追加の魔力を足して様子を見ていると、少し空気が揺れて、今度は老人がヨボヨボと建物から姿を現した。

 「これはこれは、まさか生きている間にドラゴンをこの目にできようとは……儂は伝承学に携わるしがない学者です。なにとぞ、よしなに」
 『あ、これはどうもご丁寧に。ドラゴンです。名前はまだない。よろしく』

 ほ、と長い眉毛に隠れた目がしばたたく。

 「ご挨拶をお返し頂けるとは、長く生きてみるものです」
 「ドラゴンは他種族を嫌うと言っていたが、一括りではないそうだぞ」
 「そのようですな、いや、お恥ずかしい。しかし威厳のあるお姿、お声だ。こうしてお話ができるなど、夢のようですなあ」

 姿はそりゃあ威厳の塊だろうが──女子高生の口調に威厳とはなんぞや?もしかして思念での会話のニュアンス差って、思ってるより大きいんだろうか。方言バリバリとかだったら恥ずかしい。
 でも多分、やっぱり女だと言った覚えはないのにジルベルトが彼女と断じているところを考えると、女口調ではあるんだろう。威厳のある女口調ってどんなだろう。女王様とかか。

 『それはともかく』

 また霧が薄まってきた。三度追加した魔力に、老人が目を輝かせる。
 顎を上げて周囲を見渡すように探る。老人が、宰相が、兵士が登場した入り口に鼻先を突っ込んだ。その辺で彫像と化していた気弱な兵士が、悲鳴を上げて退避する。

 「何かあるのか?」
 『さっきから誰か通る度に変な気配がする。どこだろ……』

 頭が大きくて入らないとか、帽子被れない系の屈辱だ。ちろりと肉厚な舌を差し出したところでジルベルトからストップが掛かった。はしたないですか。すいません。
 惚れ惚れするような姿勢の良さで、青年が廊下をゆっくりと歩く。数歩を進んだ辺りで空気が揺れた。

 『あ、そこ。そこの、ええと、灯りの』
 「何もないが──壊してみるか」
 「おや、そこの煉瓦揺れましたぞ。外れませんかな?」

 躊躇いもなく、足下に等間隔に並んだ灯りの一つを踏み折った。その脇から老人がこともなげに指を差す。破壊行動に慣れていらっしゃる。
 外した煉瓦の中には、とても美しい宝玉があった。内部で闇を渦巻かせたそれは手のひらに乗るほどの大きさをしている。

 「これは……」

 老人が青褪めた。
 露出した宝玉から嫌な空気が広がったので、またも魔力を放出する。あんまり魔法の類は使わないのではっきりとは言えないが、一応「減った」と感じたことがないので、残量を気にすることはない。

 「疫病ではなく、呪いだったか」

 怖い言葉が聞こえた。

 『呪いって……こんな覿面に効果があるモン?嫌なことがあったらいいなー、みたいな緩いものじゃないの?』
 「呪いの作成者の魔力量と、被対象者の魔力量によりますな。魔力保持量が生物の中でも底辺である人間種族が作成した呪いであれば大した効果はないのでしょうが、これは恐らく人外の作でしょう」

 また一つ賢くなってしまった。人間って気配が薄いと常々思っていたが、なるほど、魔力が薄かったのか。魔物は近くで動いてるとうるさい感じがするので、その点ジルベルトといるのは居心地良いなあと思っていた。
 暢気に納得しながら、ちょいと伸ばした爪で引っ掛けるように窪みから転がす。硬質な音を立てて床に落ちた呪物に、老人が肩を跳ねさせた。
 もしかして割れたらまずいのか。ごめん。

 「隣国の者の策略でしょうな。どんな手を使って作らせたのやら」
 「全く厄介なことをする。解呪は王族の特許だが……」

 コロコロと弄ばれる玉を視線が追った。人が触るには勇気がいる代物らしい。
 そのまま転がして外に出すと、ようやく背を伸ばせるようになった。ドラゴンであろうと中腰が辛いのは生物として避けられない事実なのである。

 「魔力がたりないな」
 『魔力……解呪(それ)って難しいの?』
 「手順を正しく踏まなければ呪いの効果が増す可能性が大きい。まあ、魔術の中では難しい方だろう」
 『そっかー』

 じゃあ私には無理だ。魔力なんてダダ漏れさせるかブレスに転用するくらいしか使ったことないし。
 肩を竦める青年の悔恨に、視線を老人へと移す。言いたいことは伝わったようで、落ちた眉が喜色に跳ねた。

 「魔力を譲渡して下さるおつもりですか」

 伝わってなかった。
 そんなんできるなんて知らないけど、できるならするよ。鷹揚に頷く。

 「譲渡?」
 「正確には共有ですな。ですがドラゴンが相手となると、譲渡というのが全く正しいかと。儂も実際に約定を交わした者は存じないのですが」

 命の契約、というものがあるそうだ。竜に限らず、エルフや精霊といった高い魔力を持つ者が、気紛れに他の種族と結ぶ束縛である。
 高い魔力を持つ生物にとって、命とはイコールで魔力でもある。人は肉体を軸に生きるものだが、ドラゴンや精霊は魂を軸に生きるものらしく、魂を肉体に同化させるものこそが魔力であるのだという。魔力がなくなれば魂が離れる。詰まるところの死を意味する。
 だからして、本当に、気紛れでしか成し得ない契約らしい。魔力がなくなって死ぬのがお互い様なら、既存の魔力にプラスが付くのでメリットがなくはないが、契約者が人であるならば、全くの一方的な利益である。馬鹿である。アホである。
 しかしまあ、構わないかなと思う。ジルベルトは考えなしにこの有り余る魔力を利用するような人ではないと確信しているし、元人間としては、見ないフリして一国が滅びるのを待つほど外道になれない。
 憂患の視線に心配ご無用と返し、早速契約を進めろと鼻先で突く。しばらくこちらの本心を探るように見返してきていたが、何を隠そう本心しかないので問題ない。おまえのよく分からん心配は杞憂だという意志を込めて紺碧の瞳と見つめ合った。
 額が鼻先に触れた。目を閉じると感情の幅が薄れて、まるで人形のようにも見える。
 ゆっくりと、スローモーションの速度で顔が上がった。額から鼻へ、そして──少しだけ傾けられた唇が、尖った口先を食む。
 え、と脳内で記号が飛び交った。主な成分はエクスクラメーションとクエスチョンマーク、そして半角スラッシュの連打である。つまり頬染めマークだよ言わせんなよ恥ずかしい。
 て。

 「契約にあたり、名が必要なんだが」
 『ないよ』

 エクスクラメーション、もといビックリマークを付加して叫びたいところだったが、感情に伴い大きく口を開けたら大惨事を引き起こしそうな予感がしたので理性に釘を打ち付けた。そこで密やかに喋る行為の即時中止を要請するがゆえに今すぐ止めろ。いや、まず、離れろ。
 生粋の乙女の唇から!

 「では」

 うっすらと開いた青に吸い込まれる。
 どこか楽しげな色があった。こちらが狼狽えていることを、十分に理解しているような、あまり性質の良くない色。弱く立てられた歯に、踏み締めた足下の大地がごっそりと抉れる。
 ──あれだけ清廉そうな顔を見せておいて、実はドSの国の住人だったとは見抜けなんだ。

 「我、ジルベルト・セレネスタは己が半身をここに刻む」

 心臓が熱を帯びる。極僅かな、しかし目を奪うような輝きを秘めた魔力の存在を知覚する。境界を溶け込ませるように魔力の海に身を沈める異物に、凪いでいた水面が荒れた。
 恍惚とした瞳が溶解の承認を促す。妖艶に笑んだ唇から、赤い舌が覗いた。ゆらゆらと、海の中で魔力の粒が身を揺らす。

 「了承を──俺の(ルーチェ)

 それが自分の新たな名前だと気付いたのは、契約の完了を忘我の中で見送って、さっさと解呪を済ませたジルベルトのご満悦な呼び掛けに応えてからのことだった。
 ジルベルト、と初めて名を呼んだ私に返された満面の眩い笑顔を、これからも続く長い生涯、恐らく一時も忘れることはないだろう。


 *


 それから20年。私は今も森に帰ることはなく、王城に留まっている。別に契約したからといって離れちゃいけないってことはないらしいので帰りたければ帰れば良いんだけれど、それには巨大な枷が邪魔をするのだ。
 傾国の美貌がね。雨の中捨てられた子犬のような眼差しでね。無言のままに見つめてくるんですよ。
 じゃあねと薄情にきびすを返して帰れるわけがないじゃない!
 呪物をまた生成されたときにあんまり遠くにいると、万が一魔力の共有ができないといけないから心細いとかだろうか。あるいはこれから先、寿命も共有しているので、長い年月を過ごす同志に側にいて欲しいとか。彼は今後、肉体的な年輪を重ねることもなくなるそうである。もしかしたら「人間じゃなくなる感」みたいなものに襲われているのかもしれない。
 それなら癒しの存在となることはやぶさかではない。どうせ森に帰ってもやることなんてないのだ。王子様のゴーホーム指示が出るまでここにいようと思う。
 そういうわけで、マイホームイズキャッスル。居場所は美味しい花の咲き乱れる庭園の一画だ。例の、色々薙ぎ倒しちゃった場所である。
 好きな花を尋ね、植え替えの指示を出すジルベルトの輝いていることといったらなかった。まあ彼は四六時中どんな表情をしていても常に輝いているんですけれど。あんな生き生きとした姿は中々ない、と思ったけど、意外とそうでもないかもしれない。私の鱗をなぞっているときにもあんな感じだった気がする。
 ところで。

 『ジルは結婚とかしないの?』
 「……いきなり何を言い出すんだ」

 心なしか、鱗を辿る手に力がこもった気がした。非常に些細な変化なので、気にせず言を足す。

 『だって、長男だし、王様になるんじゃないの。跡継ぎとか必要だよね』
 「弟が継ぐことになっている。余計な心配をするな」

 いつもながら唐突に拗ねたようである。最近体長を縮めるという魔力の使い方を覚えた私の全長6mな背中に身体を預け、ふて寝をし始めた。
 当初は確かにジルベルトが継ぐ予定だったはずだと眉根を──ないけど──寄せる。
 数年前、彼の弟に子供が生まれた。その時の様子を見るに、ジルベルトは子供は嫌いではないようだったと思う。むしろ好きそうでさえあった。なお、私はとてもとても子供が大好きなので、テンションが爆上がりした結果、ガッチリ強固な守りの加護を施した。強い子になるぞ。肉体的な意味で。

 「……ドラゴンと契約した人間が子を成したことはないからな、どんな影響が出るとも知れんし、妙な争いに巻き込まれるのは御免だ。俺は結婚はしないし、子も作らん」
 『えっ、そうなの』

 それは、悪いことをした。今から契約を破棄したとして、やはり子供に影響が出ないという保証もない。
 現代日本に比べて結婚率がやたら高いこの世界で独り身を貫くというのは、結構酷ではないだろうか。折角人並み外れた美貌を得て生まれたのに。悪いが弟さんは普通のレベルのイケメンだったよ。兄に輝き分を吸い取られたんだね。
 そうか、と肩を落とすと、不機嫌そうに尻尾を引っ張られた。

 「何だ、その落胆は。おまえは俺に結婚して欲しいのか」
 『そういうわけじゃないけど、罪悪感あるじゃん』

 鼻で笑われた。ほんとドSさを隠さなくなったなこの男。我が儘になったというか。まあ、それはそれで気安さの表れだと思うから構わないんだけれど。
 うんうんと唸る私を相変わらず拗ねた目で睥睨して、ジルベルトは諭すような声音で言った。

 「配偶者とは伴侶だな」
 『うん、まあ、そうだね』
 「伴侶とは共に連れ立っていくものだ」
 『うん』
 「二人も持つ趣味はないな」
 『……うん?』

 尻尾を枕に横たわり、首を捻る私を置き去りにして夢の世界へと旅立つ勝手な半身。どういうこったと声を飛ばしても、今日耳日曜とばかりに固く閉じられた目は開かなかった。
 苦々しく思いながら、しかし結婚はしないと本人が決意しているのならこの話は終わりだと自分を納得させた。正装の彼は目が潰れるほどに精悍なので、結婚式とか是非見てみたかったところであるが。
 反面、嬉しく思う心もないではない。
 彼の隣を他人が独占したら、私はきっと寂しいだろう。こうして寄り添う暖かさを、人としての有り様を、私はもう思い出してしまった。他の人に取られたくはないと思う気持ちもまた本心である。
 女子高生だから!と自分に言い聞かせなくなったのは、ひとえに彼のおかげに相違ない。人だった頃を懐かしまずとも、与えられる温もりは私の寂しさを埋めてくれるのだから。
 伝えはしないが、できることなら、この愛しい半身の唯一であり続けられたらと、思わずにはいられないのだ。





 ***





 今思えば、自分はどれだけ驕っていたのだろうと呆れる他ない。傍らの竜を撫でながら、ただただ彼女の寛容に感謝するばかりだ。
 息を漏らすように笑ったジルベルトに、長い首を巡らせて視線が落ちた。濡れたような紅玉がのんびりと瞬く。大したことではないと判断したのだろう、また丸まって目を閉じるのに、体長の割には小動物のような佇まいだとまた笑った。
 同様に目を閉じると、身体に満ちる魔力に包まれるようだった。恐らく、暢気に休息を楽しむドラゴンにはこの感覚は分からない。何せ、彼女にはちっぽけな魔力が注がれただけのことなのだから。
 契約を交わし、人には過ぎる魔力に囲まれるようになって、落ち着かないかと言えば真逆である。竜の魔力は、ジルベルトにとって、常に安全を確信させるものだ。最初から、彼女と出会うまでにはいつでも感知していたそれは、彼女の性質に合わせて穏やかなものである。
 命の半身、俺の竜、俺の(ルーチェ)。竜は、ジルベルトにとって、初めての逸脱の結果である。


 *


 ジルベルトは中規模の国で生まれ、ごく平穏に育ってきた。父である国王は愚王ではないが賢人とも言えず、臣下は際だって優秀とは言える者がいないかわり、突出した野心家もいない。これといった特産品はないものの、大体のものを生み出せるだけの土地であったので、貧困に喘ぐこともない。隣国との諍いはどこの国でも宿命だったのだろう。悩みと言えばそれくらいのことだった。
 母親が重い病にあって、初めてジルベルトは大きな動揺を覚えたのだ。パニックに陥っていたと言うのが正しいだろう。
 そうでなければ、たかだか15歳の若造が竜に傷を付けようなどと言い出すはずがない。ただでさえ周囲より発達の遅れた、甘ったれたガキだった。揺れて揺れて、至った結論が恥ずかしながらそれだったとは、蛮勇にもほどがある。そうして正気に戻ることもなく、勇み足で一人城を抜け出した。当然、後の騒ぎや始末など考えることもなく。
 無事に竜が住むという魔の森まで辿り漬けてしまったことこそ、普通であれば不運だったのだろう。なまじ、剣の腕だけは人並み以上だったのが災いした。街道などで適当に挫折を味わっておけば、そこまで険しい場所に足を踏み入れずに済んだのだ。思い知ったのは、刃物の通らない魔物に襲われてからだった。結果としてはこの上ない幸運でもあったのだが。
 魔物にそこかしこを食い千切られて、自業自得の死を目前にして、随分と遅い後悔をしたものだ。できればひと思いに、と情けないことまで考えたときのことだった。
 違う方向からの「ひと思い」が流れてきて、心臓が止まるかと思った。あり得ないほどの濃密な魔力は、あまりに強烈過ぎて、負った痛みを忘れるほどだった。
 ふいに漂う花の香り。地面に埋め尽くされていた視界を上げると、至近距離で紅玉がジルベルトを窺っていて、驚愕に息を止めた。童か、という無邪気にも思える声が届いてむっとする。穏やかな、身に沁みるような落ち着いた声だった。
 神とは残酷だ、と、一枚一枚が宝石のように思える、真珠色の鱗を眼裏に焼き付けた。諦めた矢先に、欲しかったものを目の前に突き付ける。そしてそれは追い打ちのように、おまえなどには決して触れられぬものだと知らしめるのだ。
 心から、触れてはならないものだと思えた。こんなものに傷を付けて許されるはずがない。それほどまでの神聖な美しさで、ドラゴンはそこに存在した。他者を圧倒する存在感を、いつしか下がった魔物たちが遠巻きに見守っていた。
 しかし、こちらの煩悶など知ったことかとばかりに、竜はマイペースに言を連ねた──ジルベルトが耳を疑う、明らかな労りを。

 『童、一人か。どこから来た?……このような者を傷付けるとは、魔物たち、少し自重するが良い』

 脳が壊れたかと思ったものだ。続いて、やはり壊れたのだろうと思った。おもむろにその美しい顔を寄せた竜が、ジルベルトの傷を舐めたのだから。
 触れてはならないと身を引くと、咎めるようにのどを慣らした。熱いほどの温もりに包まれたかと思えば、血液が表出を止める。その即効性と、何より竜に治療を受けたという事実に忘我した。
 竜は排他的で、孤高を好む生き物である。強大で、それゆえ居丈高な、決して人と交わることのない至高の存在である。そう教えられたのは何だったのか。またしても傷の具合を問う竜に、ジルベルトは視線をさまよわせた。
 その目が、転がった剣に掛かったのは仕方がないことだった。目の前に求めたものがあって、しかも何を考えたものか殺されないようだ。となれば、人の欲望は上を目指す。けれど、しかし、自分はこのドラゴンに間違いなく助けられた身なのであるがゆえ。
 何があった、と尋ねる竜に事情を明かしたのに、打算がなかったとは言えない。もしかしたらと思う心は、多分確かに存在したのだ。
 果たして竜はその通りのことを承諾した。この薄汚れた自分には、あまりにも過ぎる好意だった。
 今更途方もない罪悪感を覚えて、差し出された剣を手にする。竜の魔力を帯びて燐光を放つ、希なる刃を得た剣。──湧いた、唾棄すべき暗い思いにぞっとした。

 『母親を救うため、少量の血を取るも良し──栄誉を取るも、また良いだろう。おぬしが選ぶと良い。それを誠に望むのであればな』

 目を見開いて振り仰ぐ。濡れた紅玉溢れているのは慈愛の色で、欠片でもそれを思った自分を心から恥じた。竜は、口では選べと言いながら、決してジルベルトが討伐を選ぶとは考えていないのだ。浮いた汚さを見通した上で。
 寄せられる無償の信頼に屈服する。無理だ、と確信した。この竜を害するなど、自分にはできない。できるはずがない。純粋な力の強さだけでなく、こちらの躊躇いを愛しげに見つめる視線の心地良さを思えば、決して。

 『はようせい。掠り傷を付けられるより、待つ方が心臓に悪いわ』

 揶揄の声。言われるままに置かれた手に向け刀身を沈める。陽光を弾く真珠色をこともなげに裂く軌跡に泣きそうになった。最低限を傷付けたのに、小瓶を満たす竜の瞳の色が苦しくて仕方ない。

 『無用な心配をしておるでないわ。おぬしと同じだ。舐めておけば治る』

 茶目っ気を出して笑う竜に、ふと、その鱗を辿ってみたいという思いが湧いた。竜の気さくさは、恐らくそれを許すだろう。触れてはならない神聖なものとの前言を早くも覆す思いに戸惑うが、しかし、冷たそうな鱗は、きっと彼女の内面と同じく温かいのだろう。根拠もなくそう思ったら、もう駄目だった。
 白を汚す一点に唇を寄せる。置いた手で手のひらほどもある大きな鱗の合わせ目を撫ぜながら、鮮やかな赤色を舌で掬った。
 ぎょっとしたようにドラゴンが身を跳ねさせる。思いも寄らない反応だった。まるで生娘のような羞恥だと、子供ながらに気を良くした。

 「何だか甘いな」

 舌先に乗った血は、滑らかにのどを潤した。両親の目を盗んで頂いた上等なアルコールなどより余程の甘露である。

 『なにを、しておる!』
 「舐めておけば治るとドラゴンが言ったんだろう?」

 文句があると全身で主張するような体だった。ドラゴンという老獪さを帯びた身であるのに、意外にも稚気が多い。
 ぴんと伸びた背は大きく、天を向く一対の角は雄々しい。紅玉の瞳は高潔で、真珠色に包まれた逞しい四肢も優美な羽も、どこもかしこもがジルベルトの思う定義には当てはまらないのに、その姿を、ただ可愛らしいと思った。
 それ以来、彼の中で、竜は「彼女」になった。


*



 帰投したジルベルトを迎えたのは一斉の怒号で、まあ当然のこと申し訳ないと感じてはいたから、素直に頭を下げた。竜はなぜかジルベルトを「良い子」と捉えていたように思うが、そうした事実はあまりない。悪ガキが自ら非を認めたことに一騒動起こる程度には。
 一頻りお叱りを受けたところで差し出した小瓶に、怪訝な目が向けられたのは当たり前だ。まさか少年が目的を果たしていようなどと、国の誰一人として考えなかっただろう。
 母親に万能薬と名高い竜の血を飲ませると、みるみる内に顔色が戻り、一晩の後には衰えた身体を残し、何一つ障害がなくなった。
 一転、まるで英雄を授かったようなお祭り騒ぎになった。至る場所で讃辞の嵐を浴び、げんなりとしたほどだ。賛美の言葉を受けたくて無茶をしたわけじゃない。むしろ今では、賞賛される度に羞恥を覚えるくらいである。
 反面、その度に浮かぶ高潔な白に喜びを覚えた。竜の話を請われるごとに、彼女の姿を思い返す。その幽遠さを言葉にすることなどできようはずもなく、優しい竜の事実だけを簡潔に語った。皆が求める英雄譚など、そもそもありはしないのだ。
 できることなら彼女の優しさすら独占しておきたいという気分だったが、思惑もあった。すぐに叶うとも思わなかったので、両親にそれを願ったのは吹聴からしばらくしてのことだった。

 「ドラゴンに礼を述べに行きたい」

 大反対にあったのは言うまでもない。人々はその出来事を、竜の気紛れと思っただろう。常識から言うならそうした考えが普通である。偶々腹を空かせることもなく機嫌が良かった竜が、実年齢より小さく見える若者に情けを掛けたに違いないと。
 竜が自分を傷付けることはないと確信するのは、世界広しといえジルベルトだけだろう。しかし過信ではなく、それが真実だ。
 彼女はその鋭い爪をこの身に突き立てない。牙の間に挟むことはしないし、大きな足で踏み潰すこともない。あの慈愛は、ジルベルトを害さない。
 ジルベルトは悪ガキである。誰より己を把握しているのは自分だった。近衛を数人引っ張って付き合わせ、またも勝手に国を出た。書き置きだけは残しておいたが。

 「王子、帰りましょう。ドラゴンに2度も見逃されるなど、お伽話の中だけですよ」
 「そう思うなら思っておけ。言っておくが、牢獄に繋がれてもあらゆる手段で抜け出すだけだからな」
 「そんな無茶な」
 「でも王子ならやるよなあ」
 「ところで、王子」

 顔を上げると、心底不思議そうな目が見ていた。

 「もしかしてドラゴンを出しに、意中の方にでも会いに行かれるんですか?」

 指先に挟んだ花を見下ろす。くるくると回すと、ほのかな香りが濃くなった。
 摘んだ花を胸元に差す。潰さないよう装備を調えて、ジルベルトは意味ありげに笑った。

 「そう、言えないこともないな」

 彼女の息は血生臭さの欠片もない優しい香りがした。似た香りに惹かれて訪れた場所には可憐な花が群生していて、一面の白は花に興味のないジルベルトの視線を奪った。
 本当は彼女をここに連れてこれたらと思う。心地良さげに瞳を眇める姿を思うと残念だが、難しいだろう。街が近い。それに、できればあの神聖さを他人の目に触れさせたくはない。
 二度目の道を足早に行き、森の外で連れに待機を命じ──金切り声での反対は黙殺して撒いた──意気揚々と竜の姿を目指した。
 魔物に襲われた恐怖を忘れたわけではないが、どうにかなるだろうと楽観視していた面もある。現に今、ジルベルトに牙を向ける者は一匹もいなかった。むしろ、挨拶するように一声鳴いて足踏みをするくらいだ。
 そう間を置かず、覚えのある魔力が場を満たす。加減を知らない濃密な霧は息苦しさを覚えもするが、圧迫感程度のものである。胸に差した花が風圧に散らないよう手を翳して訪れを待つ。
 現れた巨体が青空を背負い下降する。心にゆとりを持った今、よくもこれに傷を付けたものだと感心した。陽光を受けた真白をもう一度裂けと言われたら、いくら竜の言葉だろうと断固拒否を返すだろう。
 彼女は国を背負って礼に来たなどとうそぶくジルベルトを疑うこともなく、謝礼を鷹揚に笑い飛ばした。

 『掠り傷を作って大層な感謝を得るなら、遠路遙々旅をして大怪我を負ったおぬしなどは英雄だな』

 頬を染めて目を逸らすと、楽しそうに身体を揺らす。以前はこれよりずっと可愛らしい反応をしただろうと心の中で毒吐いた。心を読む術は持たないようで、気を害する様子はない。
 またまみえる機会を作れないかと思っていたジルベルトに、竜はまた顔を見せに来いと願ってもない言葉を寄越した。
 多分、しばらくは外出を制限されるだろう。また、16歳で成人する身、王の跡継ぎとして政務に携わるようになる。より苛烈みを増す王族教育にも時間を取られるはずだ。
 それでも未来を約束できるなら、いつか必ず会いに来よう。決意を持って頷くと、楽しみにしていると彼女は言った。

 「……これを、受け取ってくれないか」

 おずおずと差し出した一輪の花に彼女が鼻先を近付ける。香る息は、やはり手の中のそれと同じ種類だった。花の香りがするドラゴンとは何とも平和なものである。
 嬉しげに目を細め、そっと口に茎をくわえた。鱗に溶けた白色が遠ざかる。

 『好きな花だ。美味そうだが……』
 「ドラゴンは草食なのか」
 『肉を好む者もおるようだ。口が汚れる。好かんな』

 見た目の通り潔癖らしい。美味そうだというからにはそのまま口に入れるのかと見守ったが、閉じた口はそのまま動かなかった。

 「食わないのか?」
 『折角だ。取っておこう』

 特別、と認識されているのだと見て良いのだろうか。否応なしに高まる鼓動に、無意識に口角を上げた。

 『おぬしはいずれ、ひとかどの人物になろうよ』

 後ろ髪を引かれながら渋々帰城したジルベルトは、案の定1年間の外出禁止を食らったのだった。


*


 二度目の激震は、それから10年後のことだった。
 てんてこ舞いの日々だった。好きで忙しくしていたわけではない。
 したくもないのに英雄として名を確立させてしまったらしいジルベルトは、魔物に襲われたり隣国とのいざこざに巻き込まれた者たちの慰撫に出ることまで任されてしまったのである。そんなものは知ったことじゃないと突っぱねられれば良かったが、脳から離れない竜の言葉を思えば、国民を見放すことはできなかった。
 ひとかどの人物になるだろうと。
 期待に添えず、落胆する彼女の姿を思い描くと、手を抜くなどできようはずがない。王族教育の授業を抜け出す悪ガキはどこへやら、何事にも精力的に取り組む傑物となった。さすがは英雄だと讃えられる都度、褒められたいのはおまえらにじゃないと怒鳴り付けたい気分になる心の狭い傑物ではあったが。
 そのやる気の大半は竜という餌に釣られてのことだったが、両親や重鎮からすれば、拠どころなどどうでも良かったのだろう。時折、ドラゴンを出しに発破を掛けられることもあった。当然、おまえらが彼女を語るなと黙らせていた。
 ある日、突如国の半数が不調を訴えた。続々と病に倒れたのは、その数日後のことだった。慮外のことに慌てふためいた人々も、次々と地に臥すことになった。10日もすれば普通の顔をしていられるのはジルベルトとその母だけになっていて、無病の理由はすぐに知れた。
 ドラゴンの血。あの高潔の加護を受けて、病などにやられるものだろうか。ジルベルトより早く、顔色をなくした重鎮たちは結論を出したようだった。
 国宝として奉られたかつての私物を持ち出し、与えられた、そのときの心境ときたら。
 国民を思う心はある。自分をこれまで教育してきた重鎮たちの弱った姿に、助けてやりたいと心底思う。まして玉座に身を委ねるように腰を下ろす父親を見て、そのまま沙汰を待てなどと言えはしない。
 しかし、あれだけは駄目だ。何があろうと、何と言われようと、何を引き替えにしようと、あのドラゴンだけは差し出せない。彼らにとっては相変わらずの気紛れを起こしたに過ぎない忌まわしき竜であろうと、ジルベルトにとっては至宝である。それを傷付けろなどと──血を絞れなどと、よくも言えたものだ!
 こんな体で会いに行くなど冗談ではない。だが、だからといってここで皆が死んでいくのを眺めているだけの人間にはなれないのも事実だった。

 業腹なまま、三度の道筋を辿る。この頃には身の内の魔力の操作も板に付いていて、強化の魔術を掛ければ長い道のりも半分ほどは短縮ができた。体力が半分で済むわけではないので、哀れではあるが馬を乗り捨てる。
 森は変わらずの佇まいだった。鬱蒼と生い茂り、侵入者を拒む空気。木陰からは魔物の輝く目が覗く。この森に竜がいないのであれば、二度出入りしたジルベルトとて再度足を踏み入れようとは思うまい。
 剣の柄に手を掛けたまま、さして目的地を定めずに進む。彼女が自分を覚えていれば、会う気があるのならば、10年前と同じく舞い降りて来るだろう。
 会いたいと思うほど、会いたくないともまた思う。この情けない男を見てくれるなと。失望を露わにした、かの紅玉に射竦められるのは、いい歳をして泣き喚きそうになるほど苦痛だった。
 何がひとかどの人物だ。これのどこが傑物だろう。国民を救うこともできず、できないと切り捨てた手段に臆面もなく会いに来る、この醜態のどこが英雄に相応しいというのか。
 漂い始めた花の香に唇を噛む。風圧に散らばる髪に頬を叩かれて俯いた。正面から見据える勇気などありはしなかった。

 「久しぶりだな、ドラゴン」
 『おや、見違えた。童が大きくなったものだ。ほれ、そのように下を見ていてはまた縮む。こっちをご覧』

 盗み見るように夢想し続けた彼女を視界に入れる。巨躯の重量を感じさせず、ふわりと降り立つ姿には変わらぬ神性すら感じられた。
 こんなときでも己の顔は正直で、顔の強ばりが僅かに解けたようだった。

 『また、疲れた顔をして。何があったか言うてみい。言い辛いことなどなかろうよ。何せこの森を訪れる酔狂な人間などここにはおぬししかおらんでな』

 ただし聞くだけかも分からんが、と付け足した正直さに、固く閉ざすつもりだった口も緩んだ。
 堰を切ったように溢れ出す国の状況を耳にして、竜は神妙に頷いた。人間くさい仕草に、わけもなく安堵する。
 ジルベルトが病に倒れなかった理由を、当然ドラゴンは言い当てた。となれば、自分が何をしに来たかなど思い当たらぬはずがなく、その眼差しが腰に落ちる。
 否定は怒号のようになった。彼女に非はないにも関わらず、酷いことを言われた心地になる。彼女はこちらを慮ってくれたのか、声に出して指摘したわけでもなかったのにだ。
 疎まれたかと思ったので、足をつついた気品のある曲線に返す反応が遅れた。じゃれるように、彼女の白い尾が触れる。子供をあやしているようなつもりなのかもしれない。
 石の思いは鉄になり、彼女の頑強な鱗を超えて硬度を増す。出立時、ジルベルトは糸の先ほども彼女を害する結末など肯定しなかった。今は、考えるだけでも厭わしい。
 病で国が終わるというのなら、それもまた天命なのだろう。もう一度手段を探して、最善を尽くして──駄目ならば国の終わりを見届けて、どうするかはそれから決めよう。恐らくは母と二人、国であった場所を焼いて、己が身に剣を突き立てることになるのだと思う。

 『天の命を大人しく受け入れる必要があるか』

 憤りをはらんだ、初めて耳にする高低差に顔を上げる。

 『おぬしは傑物だ。天がそれを作ったのなら、存続させるが正しい在り方であろ──共に国に戻ろう。血をやることはできんが、足しにはなれるやもしれんでな』

 それからの一時は夢のようだった。
 心地良い体温を伝える白い背に身を置き、人の身では一生達することのできない空の上を行く至高。どこに視線を走らせても映り込むのはドラゴンの身体で、浮き出た背骨をなぞろうと身を乗り出すと笑いを含んだ注意が飛ぶ。
 下を覗く振りをして上半身を寄せた。ジルベルトが落ちないように支えているつもりなのか、羽ばたく度に揺らめく魔力が心地良かった。
 他愛のない戯れ言に付き合う軽い口。人が千差万別なように竜にも色々あると達観したように語った彼女に、成る程説得力があると頷いた。
 美しい娘を傍らに財の限りを尽くしても、こんなに昂揚しはしないだろう。矛盾するようだが、この上なく落ち着いた気分でもある。
 そっと触れる肌は弾力を返しはしないのに、いつまでも撫でていたくなる。少年のあの日のように、今この背に口付けたら彼女は羞恥を露わに身を捩るのだろうか。濡れた紅玉を宛然ととろかして、背を陣取る不埒者を睨め上げて、乙女のように謗る言葉を聞きたい気もする。
 不届きな想像を浮かべると、途端に城に戻るのが煩わしくなった。国の王族として、彼女の協力を嬉しく思う気持ちがなくなったわけではない。この目に痛いほどに陽光を弾く白い姿を、他人に見せるのが勿体なくなったのだ。
 ドラゴンだ、と好奇心を露わに視線を走らせるのだろう。どんな美姫より高潔な彼女の上を不埒な目が──自分を棚に上げて──這うのだと思うと、ドス黒い衝動がこみ上げる。
 いつしか口を閉ざしていたジルベルトの下で、竜が不自然な身動ぎを見せた。思考が伝わりでもしたのかと一瞬動揺を覚えたが、そういうわけではないらしい。

 『おぬしの国はあれか?不愉快な気配が寄り集まっておるようだが』

 ゆるりと旋回する巨躯に首を傾げる。病に気配があるのなら、ドラゴンはそれを厭うものだろうか。
 やがて飽いたのか、不愉快さを押して下降を始めた竜は、庭園の一角に遠慮がちに足を着けた。食料を足蹴にするのは抵抗があるのか、はたまた人の趣味を尊重してのことなのか、どちらもありそうで判断に難しい。
 懸念は早々に現実となった。無論、兵士が出てこなければ立ち上がることすらできないほど国民が弱っている証左であるので、出てくるなとは思わなかったが、それにしても彼女を囲み剣を向けるなど許せる所行ではない。言葉柔らかに忠告を促す彼女から即座に離れて怒鳴り付けると、狼狽えながらも切っ先を下げた。しかしなぜだか視線が竜の隅々を観察するように移動したので、こめかみがブチ切れそうになる。
 続いて駆け付けた宰相を憤怒のままに追い返し、優しい竜に寄り添い心を落ち着けた。この姿を見てなお切り裂こうなどと、何を考えて生きればそう思えるのだろう。
 彼女は言葉の通り本当に気にしていないようで、おもむろにいつもより柔らかな魔力を吐き出した。重圧にならないギリギリの濃度はジルベルトにはただ心地良いだけだったが、途端、ぐったりと足を折っていた兵士たちが跳ねる元気を取り戻す。
 現金なことに、ドラゴンの力のお陰だと理解した途端、ちやほやと賛美の言葉を連ね出す。悪気はないのだろう。ないのだろうが、癪には障る。睨み付けると、野鳥のように散開して壁際に寄り集まった。

 「おや王子、お早いお帰りでございましたな」

 一見遊んでいるようにでも映ったのか、その老人は和やかに声を掛けてきた。伝承学の研究者であり、見た目に反して鬼教師でもある。この老師の授業からだけは脱走し切れた試しがない。
 頼むからドラゴンに妙な告げ口をしてくれるなよ、と願うこちらを後目に、友好的な挨拶を交わし合う。
 状況を忘れて雑談へと進みそうになった老師を遮って首を巡らせたのは、珍しくもドラゴンだった。花の香りのする魔力を撒いて、好奇心旺盛な子犬のように鼻を城の中に突っ込む。

 『先程から、人が通る度に不愉快な気配がしよる。どこだ』

 狭いだのよく見えないだのと不満を吐いて、どうしても気になる場所に届かないらしく、赤い舌を揺らせた。軟体の艶めかしさにぎくりとして慌てて止める。
 代わりに周囲を探ると、そこだ、と通路の灯りの一つを示した。
 飾りを踏み折り、弛んだブロックを外すと、得体の知れない気配が滲む。ぞっとして身を引くと老師にぶつかった。非難の眼差しを黙殺して、遠巻きに空洞を覗く。
 目にしたのは初めてだったが、本能が触れてはいけないと察知した。頭の中の文献を紐解くより早く、老師が呪いの存在を告げる。冷や汗を流すこちらとは裏腹に、いっそ穏やかな顔をした竜がまた魔力を散布した。
 呪いから最も遠い存在が、竜だろう。地上で最も圧倒的な魔力を保持するドラゴンという種族は、呪いを身に受けることはなく、呪いを実行する必要もない。気に入らない相手がいるのならば、そのように遠回しな手段を取らずとも、大抵の場合、その圧倒的な魔力を放出してしまえば終わることである。
 投げられた疑問はその通りで、不識な様子で説明を聞いた彼女は無邪気に納得してみせた。──納得のまま、器用に爪を伸ばして、前触れなく呪物を転がしたのに顔を引き攣らせる。
 呪物とはいわば、呪いの塊である。落とした程度で壊れるものではないが、万が一無理に破壊したならば、どんな不具合が生じるか。それこそ呪いの種類によるので、具体的には不明だが。
 隣国との諍いが高まっているのは承知していたが、よもやここまでやらかすとは思っていなかった。まんまと仕掛けられたこと、特定できずに放置したことは、併せて前代未聞の失態である。
 と悔恨を抱えつつ、幼子のように呪物を転がし手慰みにする竜に和む。城の中から顔を引き出したところで、ようやく遊んでいたのではなく運んでいたのだと思い当たった。
 さて、呪物を見付けたからには解呪が必要であるが──。
 手のひらに収まるほどの宝玉は、竜の瞳と同じような質感を保持しているにも関わらず、どうにも美しくはない風体だった。闇色の霧がところ狭しと渦を巻く。それは濃密な魔力の粋で、ジルベルトは悩みもせずに首を振る。
 自分の魔力量ではどう捻じ曲げても無理だ。途中で糧が尽きて飲み込まれるのがオチだろう。あるいは、竜の加護を受けた身であれば弾かれるだけで済むのかもしれないが、失敗の結果を考えると試してみる勇気は出ない。

 竜が提案する代行の言葉に、遠回しな否定を告げた。彼女の魔力量があれば無作為に突っ込んでも問題ないほど余るだろうが、上空での魔力の使い方を見ると、操作は得意ではないらしい。叩き潰すか、弾けさせるか。その結果が仮に欠片でも竜を傷付けるものであれば、ジルベルトは自分を許せない。
 このまま呪物を国外に出したらどうなるだろう。恐らくとっくに国に根付いているのだろうし、変わらないだけである可能性が高いが、どうせなら隣国まで運んで壊してやるのも一興である。巻き込めるというなら巻き込んでしまいたい。
 すでに復讐を前提に考えを巡らせていたら、老師が思わぬことを叫んだ。
 魔力を譲渡する、とは。
 じわりと腹の奥に湧き上がる性質の良くない塊を押し込む。脳は、勝手に巡る。譲渡とは、共有とは、契約、とは。
 それにドラゴンが賛同したなら、と描く。普通の神経をしているのなら、こんな理不尽な契約を交わす馬鹿はいないだろう。けれど、万が一、このお人好しな美しいものが了承を返したのなら。
 魔力を、命を共有する。互いの命を手に握る。それはつまり、類希なるこの竜が。

 『よかろう』

 軽い調子の承諾に息を飲んだ。急かすように鼻先で責められて、紅玉をまじまじと見返す。

 『何を惚けておる。相手がおぬしであれば、こちらは特に困ることではない。さっさと契約を交わすが良い』

 額を付けてうなだれる。分かっているのだろうか──否、分からずにいれば良い。そのまま、悠長に構えているのが良いだろう。
 投げ捨てるようにそう考えると、迷いは微塵と吹っ切れた。持ち上げた手で頬を辿り、凹凸を緩やかになぞり上げて顔を持ち上げる。固い鱗が鼻筋に触れる。鼻で一度距離を置いて、そっと首を傾けた。
 付いたのは唇が先か舌が先か。歯を立てない弱さで柔らかみのないくちばしをくわえ込んだ。舌先に感じる鋭さに熱を押し付ける。滑らかな真白に唾液を絡めて擦り付けた。
 依然として抵抗はないが、許容ではなく自失の反応だろう。彼女は変わらずの生娘だ、と、竜にバレれば雷では済まないことを考えた。うぶな様子がたまらない。
 表向きは平然と契約を持ち出し、名を訪ねる。しどろもどろに返る答えにほくそ笑んだ。
 俺のものだ、と刻み込む。命を共有するのなら、この命は竜のものであり、俺のものだ。
 精一杯の身動ぎなのか、巨体を支える足下で土が耕される。指を開閉しているらしい。素知らぬ顔で契約を成す。

 「我、ジルベルト・セレネスタは己が半身をここに刻む」

 俺のものだ。破棄などさせない。永遠に、この高潔は放さない。ジルベルトを形作り、ジルベルトの指針となり、どうしても失えない中核であるこの竜は。
 俺の竜だ。
 ちっぽけな魔力を、海のようなそれに無理矢理に落とす。白を汚す薄汚れた異物。処女を散らしているような気分だった。把握していなかった己の嗜虐性が、よりによってこの至玉に向かって発露している。何よりも汚してはならないと刻んでいながら、しかし止める気にはなれない。
 堰を決壊させると、流れ込む凶悪なまでの魔力に魂が悲鳴を上げる。構わない。そこにこの身が溶けるなら、押し流し、潰し、同化させれば良いのだ。この不自然に浮かぶ小さな魔力の境界を溶かして、この汚れた思いを受け入れれば良い。

 「──俺の(ルーチェ)
 『ジルベルト』

 譫言のように返された自分の名に、欠片もなかった自重が、単語ごと姿を消した。自分の名が尊い響きを帯びるなど、想像もしていなかった。
 この真白に狂わされるなら、それほど嬉しいことはない。


 *


 結婚はしないのかなどと聞く竜に不満を抱く。
 ルーチェと名付けた竜は、契約の事実もなんのその、解呪が終わったらさっさと帰ろうと翼を広げた。可愛さ余って睨み上げたのは仕方がないことだろう。特に反論もなく肩を竦めて居着いたから良かったものの、そうでなければ共有となった魔力を乱用して縛り付けていたところだ。
 日々寄り添う間に魔力の扱い方を教えれば、相変わらず苦手ではあるものの、身を半分ほどに縮める術を覚えたようだった。彼女は庭で動くのに支障のないサイズをと心がけたようだが、こちらとしても寄りかかるにも愛でるにも具合の良い。今では元の体長に戻ることも少なく、捧げた花を散りばめた庭で猫のようにくつろいでいる。たまに唇を合わせると、跳ね上がるのが面白い。
 跡継ぎの話はとっくに解消した。最上の存在が傍らに存在する現在、誰がわざわざ煩わしさを娶るというのか。
 竜の加護の影響など二の次に決まっているのに、それがわからないのは、竜だからという理由ではないのだろう。彼女はあまりにも自分の価値を分かっていない。不満げに顔をしかめる様子を横目で見る。それはこちらのする顔だ。
 子供など必要だとも思えなかった。もしルーチェとの間に「子のようなもの」ができたとしたら、当然蝶よ花よと可愛がるだろうが、そうでないなら血の繋がりなど関係がない。弟の息子は可愛らしいが、道を行く子供とて身内贔屓がなくなるだけで可愛らしいものだ。
 ……そういえば竜はやけに子供を気に行ったようだった。場合によっては養子を取っても構わないが、しかし関心を取られるのは気に食わない。できるだけ引き取りの提示は避けて動くことにしようと思う。
 つっけんどんに否定を返し続けるジルベルトに、優しい竜は無用の罪悪感を抱いたらしい。背を丸めた体躯に眉間の谷を深める。

 「配偶者とは伴侶だな」
 『まあ、そうだな』
 「伴侶とは共に連れ立っていくものだ」
 『ああ』

 丸い眼が瞬く。赤と白の縁に頬を擦り付けるようにして唇を這わせると、くすぐったそうな素振りで首を竦めた。

 「二人も持つ趣味はないな」

 これで良い、ではなくこれが良い。自分の隣に立つのはこの竜だけで良いし、竜の隣にあるのは自分だけが良い。
 こちらの気も知らず首を捻るドラゴンを置き去りに、尻尾を枕に目を閉じた。
 早く自覚をすれば良いのだ。人が余所に関心を向けていれば遠慮がちに袖を引くくせに、己の独占欲を認知していないことが腹立たしかった。関心と言っても、その全てがおよそ半身に関わることなのだが。
 離れられなくなれば良い。一生を共にするのだと、早く諦めてしまえば良い。美しく、高潔で、時折酷く愛らしい仕草を見せるこの竜を、もう手放す気はジルベルトにはないのだから。


*


 「くそーあいつら年がら年中イチャイチャイチャイチャしやがって」
 「男の嫉妬は見苦しいですよ隊長」



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2014/5/18 以下活動報告より小話を追記

(隊長さん視点 後日談)

 何かあればすぐ手を触れる。何かなくとも唇が滑り、あの鬼畜ったらしい王子──現在は王兄か──からは欠片も想像できない糖分にまみれた言葉が溢れ出る。
 万年独り身の男からすれば、これ見よがしにイチャイチャされるとげんなり砂を吐くのは当然として、身勝手ながら腹が立つ。
 いや、身勝手なものか。何せジルベルトはここぞとばかりに跡継ぎの立場を脱ぎ捨てて、防衛という建前のもと、四六時中ハニーとベタベタしているだけの存在である。
 そりゃあ意気揚々と隣国に出掛けては、呪いの件でネチネチと圧迫を掛けて有利な取引を手に戻って来るという功績はあるが、しかし周知の事実として、奴は愛しの竜との空中デートを楽しみたいだけだ。本人が取引がついでだと堂々宣言していたので、決して自分の僻みではない。
 というわけで、一念発起して文句に出てみることにした。副隊長がやる気なく止めてきたが、男にはやらねばならんときがある。
 それが──今だ!

 「ドラゴン殿!」

 巨体に近付き声を張り上げると、重たげに丸まっていた首が持ち上がる。
 透き通るような白の鱗が並ぶ中、どんな宝玉より美しい紅の瞳がこちらを向いた。知人の姿を映し、ふと神秘的な光が和らぐ。細まる目には親しみすら感じられた。

 『おお、近衛隊長。息災か』

 硬質な姿から見る当初の印象とは全く異なり、竜は──あの鬼畜曰くの『彼女』はやけに穏やかな性質をしていた。剣を向けた兵士たちに苦言を述べることもなく、声を荒げることなく、むしろ同情すら浮かべて慈愛を向ける。
 むしろ険を表すのは大人げない王兄である。竜を害そうとした兵士にネチネチと嫌みをこぼし、竜に近付く者を氷の一瞥で追い払う。
 竜がジルベルトを窘める姿を見るたびに、違う意味で竜への畏敬の念が増していく。今や国民の中に守り神と彼女を崇める者も増える中、誰より彼女を崇め称えるのは、他ならぬ兵士たちだろう。何せジルベルトの言葉の暴力を止められる唯一の存在なのだから。
 自分もその例外ではなく、竜のことはこの上なく尊敬している。あの鬼に勝る男と行動を共にして穏やかでいられる存在など、この世界に彼女の他あるまいと。
 素早く視線を左右に走らせる。いくら決意の中彼女に近付こうと、ジルベルトがいないことが前提である。

 『何ぞ問題があったか』

 人間臭く首を傾げる仕草。僅かに強ばりを見せた彼女に、さすがだ、と拳を握った。

 「その、ですな。誠に言い辛いのですが……」

 もごもごと口ごもる。いざとなるとあの外道が怖い。
 だがここまで来て何でもないで済ませたとして、竜と和やかに会話したという事実だけで、ジルベルトにいびられる未来が見えているのだ。ならば目的を果たしたところで、精々二倍──三倍……多くても多分十倍くらいの責め苦を受けるだけのことである。ああ、決意が萎む。どうして俺はこんなところまで来てしまったんだ。止めたい。
 だが、と怖じ気付く自分を叱咤して奮い立たせる。いつもいつも虐げられていて、おまえは満足なのか、と。男の子なんだから、偶には反抗して然るべきである。

 「で、できれば、でよろしいのですが!」

 はっきり言い切れない自分ほんとヘタレ。
 見守る生温かい目に気力を支えられ、ついに言い切ることに成功する。

 「その、士気に関わりますため、できれば、ジルベルト様とイチャイ──必要以上にベタベ……ええと、何だ、せ、接触?するのを止めて頂ければと……」

 撤回する。言い切れていない。はっきり言えない自分ほんと駄目男。遠くでニヤニヤ見物している副隊長は今すぐ背後からジルベルトにヤクザキックを食らえば良い。
 あ、やっぱ駄目。今来ると自分が死ぬわ。
 頭を抱えて己の残念さを苦悩していると、ふいに弱い力でちょんとつつかれた。
 顔を上げると、何やら深刻な雰囲気で首を落としている竜の姿。なあ、と響いた声には戸惑いの色が濃い。

 『……やはり……過分な接触だと思うか』
 「え?ええ、まあ」
 『ジルベルトは、契約した者の距離感とはああいうものだと言い張るのだが』
 「疑いようもなく謀られてますよドラゴン殿」
 『そうか……』

 ぐり、と折れそうに曲がった首が地面に向いて、額が地面を抉った。竜も悶えるものだろうか。それとも他に何か意味が。

 『我もな……薄々そうではないかと思っておったのだ……』

 悶えるものらしい。脳に直接響く声は、間違いようのない羞恥に溢れていた。
 ──出るわ出るわ、「薄々そうではないかと思っていた」らしい根拠が。これを受けた上でただの契約者のスキンシップだと思っていたのだとすれば、竜としての価値観がそうさせたのか、はたまたただの天然の鈍感か。
 曰く。
 体調を見ると言って隅から隅まで撫で回されるだとか、くすぐったく思うところほど執拗に触れるだとか、いきなり小声で話すから内容が聞き取れなくて顔を近付けたら舐められたとか、時々眼球に舌を這わされてビビるだとか。
 それ普通にセクハラだから。過分な接触とかいう域ですらないから。
 両手で顔を隠して、終いには日に透ける美しい羽で全身を覆い隠して、布団にくるまる子供のような体でうずくまる竜を心から不憫に思った。
 何て言うんだっけ、こういうの。長いスパンで理不尽に慣らされると、それを常識だと思い込むっていう。

 「い、いや、でも、竜と契約した人間などそういるものではなし、もしかしたらどこかにそういう関係を築く者も」

 いないだろうなあ、と心で続けた声は、うっかり竜に届いたらしい。声になりきらない、意味を放棄した色々悲痛な思念。うわあ可哀相。日々ジルベルトに虐げられてる自分よりずっと可哀相。
 こちらから持ち出した話ながら、この日はいつの間にか隣に立っていた副隊長と共にひたすら竜を慰めた──やはりいつの間にか背後に立っていたジルベルトに襟首を掴まれて吊り下げられるまで。

 「ジルベルト様、首は、首は駄目です気道が確保できなくなって死ぬから!」
 「気道が潰れる前に頸椎が折れて死にますわー……」
 「うるさい。何のために鍛えていると思っている」
 「首吊りに耐えるためじゃないことだけは確かだあああああああああああッ!」
 「ほーぉ、元気そうだな。それで、遺言のやり直しは一度だけ認めてやるが、どうする?」
 「ククク、ここで私を倒しても、第二、第三の私が……」
 「副隊長ほんっとうに元気そうだな!」

 辛うじて己を取り戻した竜が助けてくれなければ即死だった。今後はイチャイチャしていてもジルベルトにだけ憎悪を集め、竜には感謝の念だけを抱いて生きて行こうと思う。
 ──竜にイチャイチャ苦言をしたことがバレた、今この瞬間の莫大な殺意から奇跡的に逃れることができたのならば。
補足のつもりで視点変更入れたら不思議と倍になりました。こんなはずではなかった。精々別視点はラストの契約云々の辺りだけのつもりであった。
分けるのは何だかしっくりこなかったのでスクロールバーの身長が縮んでしまいました。

小さいのが大きいのにちゅっちゅしてるのも、大きいのが小さいのにちゅっちゅしてるのも大好物です。体格差萌え。
人間に戻るとかそういう展開も好きだけど、やっぱりあるがままの姿が一番だよね!

ところでオリジナル作品初めてのちゅっちゅ描写が人外に持ってかれた。

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