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午後十時の訪問販売

作者:ねずみの涙
 ぴんぽーん。
 チャイムが鳴った。私はふと時計を見る。午後十時ちょうどだ。そっとドアを開けてのぞいてみると、そこには見慣れぬ一匹の黒猫がいた。

「お醤油はいかがですか?」

 勢いよくそういった黒猫の手には、確かに重たそうなお醤油の瓶が抱えられている。私は、その時遅い晩御飯を作っている最中で、三分ほど前にお醤油が切れていることに気が付いたばかりだった。

「それ、おいくらですか?」

 私が訪ねると黒猫は、かつおぶし一パックと交換です、と言った。私は黒猫にパックのかつおぶしを一つ渡して、お醤油を受け取る。黒猫は私の方をちらりと見てから、

「まいど!」

 というと、パックを大事そうに抱えて帰って行った。


 ぴんぽーん。
 翌日、またチャイムが鳴った。私は時計を見る。きっかり午後十時だ。ドアを開けると、そこには昨日と同じ黒猫がいた。

「セッケンはいかがですか?」

 元気にそう言った黒猫の手には、さわやかながらの包装紙に包まれたセッケンらしきものが握られている。私は、その時お風呂に入ろうとしていて、三分ほど前にセッケンの買い忘れに気が付いたばかりだった。
 今度は何も言わずにすぐ台所へ行き、パックのかつおぶしを一つとってくる。黒猫は昨日のように、

「まいど!」

 と言って、それと引き換えにセッケンを渡してくれた。


 次の日も、その次の日も、黒猫は私の部屋のチャイムを毎晩十時ぴったりに鳴らしに来た。それも必ず、私の欲しいものをもって、だ。お醤油にセッケン、乾電池、切手――どれも大したものではないけれど、私には不思議で仕方がない。どうして私の必要としているものが、あの黒猫にはわかるのだろう。そう疑問に思いつつも私は毎日、それが当然であるかのように、ついかつおぶしを渡してしまう。
 そうした日々がしばらく続き、いつの間にか私の部屋の玄関にはかつおぶしが常備されるようになっていた。


 そんなある日。私は一日中ベッドに突っ伏していた。布団をかぶって部屋でじっとしていると、音を立てて時間が過ぎていくのがわかる。この町で一人で暮らし始めてからはや一か月。今まで息をひそめていた孤独という巨大なお化けが、急に襲い掛かってきたような気分だった。わけもなく寂しくて、誰かにそばにいてほしいと思った。
 その時、
 ぴんぽーん。
 チャイムが鳴った。顔を上げると時計の針は午後十時を指している。私は仕方なく、のろのろと立ち上がってドアを開けた。
 すると――黒猫はいつものようにそこにいた。
 しかしどうしたことだろう。今日は何も持っていない。いつもの威勢の良さも全く感じられなくて、うつむきがちなその様子はまるで別人ならぬ別猫だ。
 私がいぶかしげな顔をしてみていると、黒猫は少し恥ずかしそうに小さな声でこう言った。

「あの、黒猫は・・・・・・いりませんか?」


 気が付くと、私は黒猫にかつおぶしを差し出していた。そろそろと近づいてきたところを、そっと両手で優しく抱き上げる。不思議なくらいにあたたかい。

「・・・・・・まいど」

 私の腕の中で黒猫がぽつりと言った。
 私はもう、ちっとも寂しくなくなっていた。

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