1501話
イルゼを見送ってから数日……ビストルとは向こうが色々と忙しいらしく、結局まだ会えていない。
そんな状況の中、今日もまた夏らしく青空と入道雲が広がっている中、レイ達は外で朝食と洒落込んでいた。
いつもであれば夕食は庭で食べているのだが、朝食は家の中で食べているか、もしくはレイとヴィヘラとビューネは夕暮れの小麦亭の食堂で食べている。
そんな中、何故今日に限ってマリーナの家で朝食を食べているのかは……気分転換という言葉が相応しいだろう。
勿論夏らしい好天も関係しているのは間違いない。
また、レイ達が仕事で出掛けている間、エレーナやアーラはやることがなく、暇だというのも大きい。
そんな訳で、いつもより少し豪華な朝食を食べていたレイ達だったのだが……
「あら」
ふと、食事の最中に、夏野菜と海の魚の干物で作ったスープを飲んでいたマリーナが呟く。
少しだけ面白そうな色が籠もった声に、食事をしていた者全員の視線が向けられる。
もっとも、ここにいるメンバーはレイを始めとして紅蓮の翼の面々と、マリーナの家に避難してきているエレーナとアーラの二人だ。
イエロや馬車を牽く馬達もいるが。
ともあれ、気心の知れた者達だけに、マリーナの面白そうといった感情の込められた言葉を耳にしても、特に驚くようなことはない。
「で、何があったんだ? 面倒なことじゃなきゃいいんだけどな」
「お客様よ」
レイの言葉にマリーナが答え、それを聞いていたエレーナとアーラが嫌そうな表情を浮かべる。
マリーナの家で暮らしているエレーナとアーラだが、それを知った貴族や商人といった者達が会いたいと訪ねてくるのは珍しいことではないのだ。
それだけに、基本的にエレーナとアーラはそのような相手の来訪を無視している。
またその手の輩が来たのか……と、そう二人は考えたのだが、マリーナはそんな二人を安心させるように口を開く。
「別にエレーナに会いに来た相手じゃないわ。これは、ダスカーの部下ね」
「ダスカー殿の? なるほどそうなると、アジャスの一件で何か進展があったのか?」
「どうかしらね。来たら直接話を聞いた方が早いでしょ。食事も終わりにしましょうか」
「キュ!」
食事が終わると聞き、自分の身体と同じくらいの大きさに切られたオークのハムを食べていたイエロが、残念そうに鳴き声を上げる。
ちなみにレイ達が食事をしているテーブルのすぐ横では、こちらも朝から食べるにはどうかと思える程に巨大なオークの包み焼きをセトが食べている。
包み焼きという料理名ではあるが、正確には蒸し焼きだ。
巨大な葉で香辛料を塗した肉を包み、それを蒸し焼きにした料理。
蒸し焼きとなれば当然調理するのに時間は掛かるので、これは今朝焼いた代物ではなく、以前にレイが店で買ってミスティリングに収納しておいたものだ。
人であれば、四人、五人といった人数で食べる料理だったが、セトであればそれこそ一匹で食べられる量でしかない。
「グルルルゥ」
事実、セトはマリーナの言葉を聞いて喉を鳴らしながら残っていた肉を食べていた。
他の者達も残っていた料理を食べ……やがて、マリーナが立ち上がる。
「さて、どうやら来たみたいだから、私はちょっと失礼するわね」
そう告げ、マリーナが去っていく。
「どう思う?」
「どう思うって? アジャスの件なら、俺達に何かを頼みにきた……ってところじゃないか?」
どこか期待した様子で呟くヴィヘラに、レイはそれだけを答える。
実際、ダスカーの使いがわざわざやって来たのを考えれば、何か依頼があるからだと思うのは当然だろう。
「そうね。だとすれば……アジャスに命令した組織のいる国、レーブルリナ国だっけ? その国に行って欲しいって要望じゃないの?」
「あー、その可能性は高いな。ただ、問題なのはその場合、向かうのが誰になるかだけど……」
そう告げるレイだったが、ヴィヘラは当然自分が行くといった態度を隠しはしない。
現在行われている見回りでも、ある程度強い相手との戦いになることは珍しくはない。
だが、それでもやはり街中で騒ぎになる程度の……軽い喧嘩といった騒動が圧倒的に多く、ヴィヘラが期待しているような緊張感のある戦いというのはまず起きない。
中途半端な戦いを何度となく繰り返したヴィヘラは、だからこそ欲求不満――戦闘欲のだが――に陥ってしまっている。
イルゼの仇討ちの際の戦いでも、ヴィヘラが戦った相手はジェスタルの護衛ではあっても、そこまで腕の立つ相手ではなかった。
だからこそ、そろそろ思い切り強敵と戦いたい。
そうヴィヘラが思っても仕方がないのだろう。
(もっとも、レーブルリナ国はミレアーナ王国の属国だ。しかもかなりの小国。だとすれば、ヴィヘラが楽しめるような戦闘相手なんか、そうそういないと思うんだが)
そんな風に思いながら、レイは残りのメンバーに視線を向ける。
もっとも、ビューネはいつものように特に表情を変えるような真似はせず、エレーナは少しだけ落ち込んだ表情を浮かべるのみだ。
エレーナは、現在行われているギルムの増築工事において、貴族派がこれ以上余計な真似をしないようにという忠告、重し、見張り役……呼び方は様々あるが、ともあれそのような理由からここにいるのだ。
そうである以上、エレーナがギルムを離れるというのは本末転倒以外のなにものでもない。
エレーナもそれは分かっている。分かっているのだが……それでもやはり、エレーナ個人としてはレイと、愛している男と一緒にいたいというのが正直な思いなのだ。
レイとパーティを組んでいるマリーナやヴィヘラと違い、今のエレーナはレイのパーティメンバーでもなければ、それ以前に冒険者でもない。
そうである以上、常にレイと一緒にいるマリーナとヴィヘラの二人を羨ましく思い、嫉妬を抱くのは女としても当然だった。
勿論レイを独占しよう、とそう考えている訳ではない。
だが、それでも出来ればレイと一緒にいる時間がもっと欲しいと思うのは、仕方がなかった。
(エレーナ様)
エレーナの腹心にして親友のアーラは、当然のようにそんなエレーナの気持ちを理解している。
だが、それでも今それを口に出すことは、色々な意味で危険だった。
「お待たせ」
朝の空気の中、不意にマリーナの声が響く。
「あら? お客さんだったんでしょう?」
マリーナが一人だったことに疑問を抱いたのか、ヴィヘラが尋ねる。
ヴィヘラにとっては、強敵との戦いが期待出来るかもしれないだけに、何故連れて来なかったのかと不満も大きいのだろう。
だが、そんなヴィヘラを落ち着かせるように、マリーナは笑みを浮かべて口を開く。
「ダスカーが、領主の屋敷に来て欲しいそうよ。……この場にいる全員」
「……え?」
マリーナの言葉に、最初意味が分からないといった様子で呟いたのは、当然の如くエレーナだった。
「マリーナ、確認させて欲しい。この場にいる全員というのは、紅蓮の翼の面々だけではなく私とアーラも含めてか?」
「キュ!」
自分を忘れないで、とイエロがいつの間にか移動していたセトの背の上で鳴き声を上げる。
「ああ、そうだな。イエロもいたな。……ともかく、私達も含めての話か?」
「ええ。この場にいる全員。一応使者にも改めて尋ねたけど、エレーナ達も来て欲しいそうよ。仕事の方は上の方から話を通しておくから、遅れても問題ないらしいわ」
「……何故だ?」
既にエレーナがイルゼが仇を討った日のことは、ダスカーに直接会って報告してある。
非常に忙しい毎日を送っているダスカーだが、それでも貴族派から派遣されているエレーナからはどうしても事情を聞いておく必要があった為だ。
もっとも、その時間を作り出す為に、ただでさえ忙しい日々が、更に忙しくなったのだが。
ダスカーの忙しさはともあれ、既に事情を話してある自分をまた呼び出すという理由がエレーナには分からなかった。
「うーん、エレーナが私達と一緒に行動しているのは間違いないし、そっちの関係からじゃない? もしくは、マリーナと一緒に住んでいるから、マリーナ達だけを呼び寄せるのはちょっと不味いとか」
ヴィヘラの言葉に、そうか? と疑問を抱くエレーナだったが、自分も呼ばれているのであれば出掛けないという選択肢はない。
それに元々マリーナの家にいるだけの日々は退屈なことも多い為、一緒に行けるのであればそれはそれでいいだろうと判断して頷く。
「分かった。ダスカー殿が何故私まで呼んだのかは分からぬが、呼ばれたのであれば私も向かおう」
エレーナがその言葉に頷けば、当然のようにアーラもそれに従い……そして早速馬車を準備することになる。
普通であれば馬車にはここにいる全員は乗れないのだが、エレーナが所持している馬車は内部の空間が魔法で拡張されていた。
このように大人数で移動する際には、非常に便利な代物となる。
馬車も一見するとそこまで金の掛かっているものだとは分からない造りになっている為、人目を集めることもない。
……もっとも、馬車の側にセトがいれば、その馬車に誰が乗っているのかは考えるまでもなく明らかだったのだが。
また、見る目のある者が見れば、当然のようにその馬車がとんでもない値打ちの代物だというのは容易に理解出来る。
そして現在ギルムには増築工事の関係で大勢の商人が集まっており、見る目のある者はそれなりに多い。
結果として、馬車はセトやその品質から予想以上の人の注目を集めながら、領主の館に向かうのであった。
「わざわざ来て貰って、すまない」
執務室に入ってきたレイ達を見て、ダスカーはそう告げてくる。
だが、すぐに再び目の前の書類に注意を戻す。
「この一枚で一段落するから、少し待っていて欲しい」
「あら、私達を呼び出しておきながら、待たせるの? ……まぁ、その書類の量を見れば分からないでもないけど」
一瞬ダスカーをからかおうとしたマリーナだったが、執務机の上にある書類の山を見ればそれ以上は何も言えなくなる。
寧ろ、気遣うようにダスカーに視線を向けていた。
もっとも、ダスカーはそれを気にした様子もなく、メイドにお茶とお菓子を持ってくるように言うと再び書類に戻るのだが。
そしてレイ達がソファに座り、少しして……メイドが紅茶とお菓子を持ってくるのと、ダスカーが書類を読み終わり、それにサインをして仕分けの木箱に入れるのは殆ど同時だった。
ダスカーが執務机からソファに移ると、早速口を開く。
「すまないな、折角来て貰ったのに待たせて」
「構わないわよ。……けど、ちょっと仕事の量が多すぎなんじゃない? 幾ら何でも、毎日この量をこなしていると、身体を壊すわよ?」
マリーナにとって、ダスカーは昔からの知り合いだ。
それこそ、ダスカーが小さい時からの知り合いである以上、そのダスカーが身体を壊すくらい仕事で忙しいというのは許容出来ることではない。
「あー、そうだな。もう少しすれば、忙しさも一段落する筈だ。そうなったら俺もある程度ゆっくり出来るだろうから、それまでの辛抱だよ。……さて」
マリーナにそう言葉を返し、ダスカーは改めてソファに座っているレイ達を一瞥する。
そしてエレーナと、その背後で護衛として立っているアーラを見ると、口を開く。
「エレーナ殿、わざわざ呼び立ててすまない」
「いや、それは構いません。こちらもいつもは暇をしているので」
実際エレーナは特にやるべきことがなく、マリーナの家で暇をしていることも多い。
日中は特にやるべきこともないので、アーラと模擬戦を行っているくらいだ。
……そのおかげもあって、アーラはこの短い期間にそれなりに戦闘技術が上がっているので、アーラにとっては非常に充実した日々だと言えるだろう。
もっとも、そこにはアーラが友人と別れた寂しさを少しでも紛らわせてやろうという、エレーナの思いがあったのも事実なのだが。
「それは何より。……ただ、エレーナ殿への話は最後になるので、もう少し待っていただきたい」
ダスカーの言葉にエレーナは小さく頷くと、テーブルの上にある紅茶に手を伸ばす。
朝食を済ませたばかりだからか、焼き菓子には手を伸ばすようなことはない。
ただ、当然のように食べることに貪欲なビューネは、その焼き菓子に手を伸ばす。
そんなビューネの様子を一瞬だけ微笑ましそうに見ると、次の瞬間には領主としてのダスカーの顔に戻りながら、口を開く。
「さて、薄々予想しているとは思うが……レイ達には、いや紅蓮の翼にはレーブルリナ国に行って貰いたい。その理由は言うまでもないな?」
そう、告げるのだった。