大帝の剣
緑豊かな森と魔法の加護に恵まれたリオス王国には一人の王子がいた。
名をリオライトという。
リオライトは次期国王となるために、父の大帝リオライアスから厳しい修行を受けていた。
帝王学はもとより、政治の駆け引きや軍隊の扱い、剣術に馬術などと実に多岐にわたる。
リオライトは幼いころからそれらをこなした。
同年代の友達を作ることもなく、自らの趣味を見つけるでもなく、只々その課せられた義務を全うした。
少年には過酷とも言える日常をリオライトはたんたんとこなしていく。
泣き言は言わない。
文句も言わない。
ただひたすらに修験者のように、王となるための修業を積んでいった。
それが宿命なのだと自分に言い聞かせて。
リオライトが十五歳になったある日。
彼は一つの希望を口にした。
「王よ、私はこの王国から出てみたいと思っています。この国だけではなく、色々な世界を見て回りたいのです」
玉座に佇む厳格な父は息子に父と呼ばせることを許さず、必ず王と呼ばせている。その厳しい父は息子の希望を切って捨てた。
「お前には為すべきことがある。ただ、己の務めを果たせ」
リオライトはその精悍な顔を少し歪ませて、頭を垂れる。
王からすればそれは当然のことだった。
跡継ぎは今、リオライトしかいない。
そして、跡継ぎのない国は滅びていく。
国王はこの国に暮らす数万の民草を守っていかねばならない。
一人の自由と数万の命。
天秤にかければ、数万の命を取る。
それがリオス王国を強国に仕立て上げた大帝リオライアスの考え方だった。
「王、申し訳ありませんでした。私の我がままでした」
「良い。それよりも、日課をこなせ」
落胆の色を見せずに謁見の間から退室する息子の背を、父は複雑な心境で見送った。
私はこれで正しいのか?
隣国を魔法の力で平らげ、内政では稀代の名君と称えられ、騎士たちからは世界を総べる帝王と呼ばれ、何一つ迷うことなくその覇道を突き進んできたリオライアスは初めて迷った。
王とは国の最強の盾であり、最強の矛である。
リオライアスは帝王学で、リオライトにそう教えた。
それはひとえに息子への願いからである。自分を超える王になってほしい。そして、この国を守ってほしい。そういう願いからだった。
数日間悩み続けて、リオライアスは気付いた。
決定的に欠けているものに。
リオライアスは旧知の仲である一人の魔法使いを王宮に呼び寄せた。
堅牢な体躯を誇る王よりも一回り背の高い魔法使いはとんがり帽子をとって、玉座の前で王と向かい合う。年老いた魔法使いは頭を垂れなかった。
「久しいな、ヴァシレイオス。壮健であったか。随分と痩せたではないか」
「はい。大帝陛下はお元気そうではありませぬな」
「何を他人行儀な。昔の通り、リオと呼ぶが良い。堅苦しい言葉づかいもいらぬ」
「……良かろう、リオ。して、何故私を呼び寄せたのかな?」
「もう分かっているのだろう? 親友」
「応とも。王子殿のことであろう?」
「その通りだ」
その時のリオライアスの顔は名君のそれでもなく、覇王のそれでもなかった。
ただ息子を思う父親のそれだった。
「お主に相談したい。息子はこの国を出たいと申している。私はどうすればよいか」
ヴァシレイオスは白く長い顎鬚を撫でながら
「お主のしたいようにすれば良い」
と答える。
謁見の間には二人の人間しかいない。
「リオよ、お主は何を恐れておる? お主が何を選んだとて、私は責めはしない。お主が何を選んだとて、それは間違いではない。それはお主の人生だからだ」
幼き日の少年のように戸惑う王に魔法使いは諭すように言葉を紡ぐ。
「なるほど、お主の治世は確かに誰から見ても曇りなく、誰から見ても正しいものであっただろう。しかし、それは元から正しかったものではない。お主が選んだその道をお主が“正しく”したから、正しくなったのだ。覇道は一歩間違えれば、その身を焦がす悪逆の炎となる。覇道が成れば、それは己を称える歓喜の旋律にもなろう。お主は自らの力をもって覇道を歓喜の旋律とした。
故に、友よ。お主はお主の心のままに、選ぶが良い。それが友としての献策だ」
王はその言葉に深く頷き、そして懐から取り出した一枚の紙切れを魔法使いに手渡した。
「お主に剣を作ってほしい」
「これはまたおかしな頼みごとをするものだ。お主は、かのイングランドの英雄の剣エクスカリバーを持っておるではないか。それ以上の剣など作れぬよ」
王は頭を振って
「いや、私が欲するのは強い剣ではない。ただ、ここに書かれた通りの剣を作ってくれれば良いのだ」
と静かに答える。
王から手渡された一枚の紙を読んだ魔法使いは、息子の成長を見守るような優しい笑顔をしただけだった。
※※ ※
翌日、リオライアスは息子を謁見の間に呼んで伝えた。
「リオライトよ、ちょうど三日後に久しぶりに剣の腕前を見せてもらおう。そして、剣の腕で私を凌ぐことが出来れば、お前を一人前の男とみなし、国外へ旅立つことを許す」
この提案にリオライトは落胆の色を濃くした。
というのは、リオス王国の王は剣の達人であり、その聖剣の前では一軍すら退けると言わしめたほどの人物だからである。
その王から剣の手ほどきを受けていたとはいえ、まだ到底敵う相手ではない。
それを分かっていながら、リオライトは
「わかりました。お受けいたします」
と返事をした。
胸の中では、灯台のない港を目指す船のように不安が残る。しかし、それを振り切って、リオライトは王座の前から退いた。
自室に戻ったリオライトは自らの愛剣をとり、鍛錬にいそしむことにした。
これが唯一にして最後の機会かもしれない。
そう考えたからだ。
リオライトは城の中にある闘技場へ足を踏み入れ、無人のそこで剣を振り続けた。挑むは万夫不当の聖剣の主。それを超えうるとすれば、幼い頃から使い込んできた、この愛剣しかない。
剣を振り続けるうちに、リオライトの胸の内に戸惑いが生まれた。
何故、父王は私が国外へ行くことを認めないのだろう。
それはきっと私が大事な世継ぎだからではないか。
少年ゆえ仕方のないことだが、リオライトはこれまで父王の胸中を察したことがあまりなかった。さらに、剣を振り続けるうちに、その父王の胸中をおぼろげながら、つかんでいた。
日が落ちて、月が顔を出す頃。
リオライトは自室へと戻った。
結局鍛錬は捗らず、少しだけ自己嫌悪に陥る。
身体にまとわりついた汗を拭って、食事に行こうかと思った時に、リオライトの部屋のドアを叩く音がした。
「王子殿、ヴァシレイオスと申す者でございます。少しお時間を頂けますまいか」
しわがれたその声を怪訝に思いながらもリオライトは
「どうぞ、お入りください。鍵は開いています」
と扉に向かって言った。
扉の向こうに立っているのは長身痩躯の老人。右手には古い木でつくられた杖を携えている。
「では失礼いたしますぞ」
礼儀正しく、魔法使いは少し頭を下げて、リオライトの部屋へと足を踏み入れた。
「どうぞ、椅子にお座りください。客人をもてなすのも私の仕事のうちです」
「いえ、ここで結構です。すぐに戻りますから」
部屋の入口から数歩進んだところで魔法使いは立ち止まる。そして、興味深げに部屋を眺め始めた。
「実に良い部屋ですな。主の様子を具現化しているかのようで」
「いえ、良い部屋などではありませんよ。ご覧のとおり、本棚は散らかり、武器の手入れは少しばかりおろそかになっております」
「そうですな。王子殿が何か迷いを抱えておられることは分かります」
「私がどのような悩みを抱えているとお思いですか?」
「人生の岐路について、ではありませんかな?」
リオライトは初対面のはずの魔法使いに何故か不信感を抱かなかった。
「そうです。もしよろしければ、貴方のご意見を賜りたい。私はこの国を出たいと思っている。しかし、私は世継ぎ。私がいなければ、この国は滅びてしまうかもしれません。父はそう考えておられるのでしょう。
私は分からないのです。何が正しい答えなのか。どうすればよいのか」
一国の王子ではなく、少年の表情になったリオライトは戸惑いなく吐露する。その様子を魔法使いはただただ柔らかな表情で見ていた。
「正解などというものはありませんよ、王子殿」
「父王は政治にも戦争にも、あらゆることに成功をおさめられた。これは正解を見つけたからではありませんか?」
「いいえ、違います。良いですか、王子殿」
魔法使いは懐から一個のリンゴを取り出してみせた。
「ここにリンゴがあります。このリンゴはどういうものですかな?」
「赤くて甘い果物、ではないですか」
「そうです。ですが、栄養素が豊富で生活に欠かせない果物というのもまた事実です」
「何をおっしゃりたいのですか?」
「たった一つの正解などないということです。正解は無数にある。それはあらかじめあるものではありません。今、貴方が答えを作り出したように、貴方自身で生み出していくものなのです。
故に、王子殿。
貴方は貴方の思う選択をすればよろしい。貴方の人生は貴方のものなのですから」
二日間後、太陽が頭上に上がる頃、闘技場で大帝と王子が互いに刃を向けていた。
そこには二人と見届け役の魔法使い以外の誰もいない。
「お二方、用意はよろしいですか?」
魔法使いは厳かに二人に告げた。
二人の返事は首肯のみ。
「では、これより始めます」
その言葉が二人の間に溶けていくと同時に二人は各々の剣を振り上げた。
王の剣は太陽もかくやと思うほど金色に雄々しく輝く、伝説の聖大剣。
対して、王子の剣は軽くて丈夫な金属を用いた細身の剣。
親と子ほどにも違うそれらの剣は今ぶつかった。
違うのは剣だけではない。
王は冷静に王子の斬撃を受け流している。対して、王子は苛烈という言葉そのままに剣を振り回していた。
しかし、どんなに力があろうとも、経験という絶対的な壁を崩すことは出来ない。
十合と打ち合う前に、王子は肩で息をし始めたのだ。
膝を折る王子に王は
「全身全霊をもってかかってくるがいい。お前が外の世界に出たいという意志はその程度のものか」
と叱咤した。
リオライトは震える両足を黙らせ、呼吸を整えて立ち上がる。
「いいえ、まだまだです」
今度は先ほどとは対照的に静かに、相手を見据えたまま。
「迷うな、惑うな。目の前の相手を見よ」
王は再び叱咤する。
そして、幾度となく王子は王の聖剣に切り込んだが、いずれもその強壁を突き崩すことは出来なかった。
これが大帝と未熟な自分の差か。
リオライトは再び膝を地につけ、偉大な父を見た。
もう無理だ。
王子は諦めかけた。
「私が王になった頃、私はまだ未熟者でな」
大帝は突然、聖剣を地に突き刺して話し始める。
「不安が尽きなかった。もちろん、希望もあった。どんな国にしていこうか、どんな政治をしようか。大きな期待と大きな不安を胸に私は王座へ赴いた。
大帝などという立派なものではない。青二才の王であった。
誰も強くはないのだ、リオライト。強くあろうとしたから、私は強くなったのだ。この国を強くして、この国に暮らす民草を守りたい。そう願ったから、それが私の希望だったから、私はここまで来れたのだ。
ゆめ、忘れるな。これはお前だけの人生だ。お前はお前のためだけに剣をとれ」
無理、だと思った。この言葉を聞くまでは。
けれど、そう思うのはやめた。
もう一度立ち上がろうと決めた。
そして、立ち上がった。
荒い呼吸は止まらない。痛む腕は悲鳴をあげている。それでも、賭けようと決めた。掛け金は己の未来そのもの。
誰もが、岐路に立つ。
誰もが、迷う。
誰もが、進んでいく。
それを王は息子に伝えたかった。
そして、それは伝わった。
リオライトはふらつく足を叩いて励まし、剣を構える。切っ先は王に向かって伸びている。
王もまた切っ先を息子に向けている。
この一撃に己のすべてを賭けなければ、あの聖剣を打ち崩すことは出来ない。リオライトは色濃い疲労の中でも、それを悟っていた。
息を大きく吸い込むと、リオライトは虎のように駆ける。その身体は今、一つの剣になった。
足で踏み込んだ力を腰に伝え、腰は回転力を加えて、それを腕に伝える。
愛剣と一体化した腕の力は柄から刃へ。
その刃と聖剣の刃がぶつかった。
刃は砕けた。
剣の腹から先は折れて、ことんと落ちた。
そして、それと同時に、聖剣の刃は黄金の砂と化して、地を彩っていた。
「……見事」
王は満足げに呟く。
「勝者、リオライト王子殿」
魔法使いの宣言で戦いは終わった。
その言葉を聞き終えると、リオライトはその場に崩れ落ちた。もう気力のひとかけらも残っていない。ほどなく意識を失った。
「これで、良いのか? リオ」
「これで良いのだ」
息子を背に担いだ王は魔法使いに背を向ける。
これから手当てをしなくてはなるまい、と告げて闘技場の出口へと歩を進めた。
城の屋上で夕暮れ時の太陽を浴びていたリオライアスを見つけた魔法使いは
「今日はこれで失礼するよ」
と頭を下げた。
「ああ、ご苦労だった」
王は魔法使いに向き直って、労いの言葉をかける。
「本当にこれで良いのか? 聖剣の贋作を作れ、などという願いを初めて聞いたが」
「良いのだよ。王としては失格かもしれぬ。が、私は王である前に息子の父である。それを選んだだけのことだ」
「……わざと負けたのであろう?」
「そうだ。そのためにわざわざ偽物を作ってもらったのではないか」
「違いない」
大帝の剣は今その腰にあった。
太陽のごとく燦然と輝く、聖剣。数多の敵を討ち滅ぼし、守るべき国に栄光と繁栄をもたらした奇跡の剣。
「これまで私は息子のことを考えてはいなかった。この国の未来ばかりを見ていたのだ。それは王としてあるべき姿なのかもしれぬ。しかし……やはり息子の行きたい道を選ばせてやりたいと思うのだ。
暗愚の王と罵られようと、この選択は――」
「正しくすれば良かろう」
「そうだ。道がなければ作ればよい。それこそが――」
と王は言いかけて止めた。
どうした? と魔法使いは問うたが、その続きを王は話そうとはしない。その続きは息子に話そうと思っていたからだ。
魔法使いは微笑んで、別れを告げる。
その言葉が空に消えていくと同時に、霞のように魔法使いも消え去っていた。
大帝と呼ばれた王は陽が沈みきるまで、無言でただ地平線の彼方を眺めていた。
最愛の息子が行くであろう、遥かな大地を眺めていた。
初めまして(の方が多いと思います)、星見瑠人と申します。
童話ということで五つ書いたうち、自分が一番気に入った話を投稿させていただきました。果たしてコレ、童話になってるのか? と思いつつも書いたのですが、いかがでしたでしょうか?
文章に凝ったわけでもなく、描写に凝ったわけでもなく、童話ということで、ただただストレートに表現しました。味気ないかもしれません。今後の反省点です。
お読みいただき、ありがとうございました。