特三号戦車挺身せよ
この作品は、史実をモチーフとしておりますが、実在する人物・団体・組織とは何ら関係ありません。
大戦末期、マリアナ諸島を奪取し、絶対国防圏を突破したアメリカ軍はついにフィリピンはレイテ島へと上陸した。
それに対して大日本帝国海軍は捷一号作戦を発動、残存艦艇と航空機をつぎ込み米軍橋頭堡を攻撃せんとしたが失敗。逆に戦艦空母を含む多数の艦艇を失った。かくして比島決戦の主役は陸軍へと移ることとなる。
一方の陸軍は、南方総軍司令部の指揮の元、決戦の地をレイテ島に定め兵員・物資の海上輸送を進めていた。しかし、第一陣の第二六師団主力は重火器の揚陸に失敗。続く船団も空襲を受け大損害を出し、目的地のオルモック湾にたどり着いたものは僅かであった。
輸送作戦の継続には制空権の奪取が不可欠と判断した陸軍は、ブラウエン飛行場の奪還を命令。地上部隊による和号作戦と呼応して、空挺部隊を投入したテ号作戦の発動が決定された。
一九四四年十二月六日 薄暮
フィリピン レイテ島上空
夕焼けに赤く染まるフィリピンの空を双発機の編隊が飛んでいた。その数、五十機あまり。援護の単発戦闘機や双発軽爆も含めると九十機にものぼる大編隊である。
編隊を構成するのは陸軍挺身飛行第一戦隊“霧島”と第二戦隊“阿蘇”に属する輸送機と重爆。テ号作戦に投入された第二挺身団“高千穂”に所属し、挺身第三連隊“鹿島”の空挺兵を輸送していた。その内訳は、空挺兵四百名を満載した一〇〇式輸送機が三十二機、物資輸送の一〇〇式重爆“呑龍”が四機、そしてグライダーのようなものを各々一機づつ曳航した九七式重爆が十三機である。
否、重爆が曳航しているのはいわゆるグライダーではない。夕日に彩られたそのシルエットには操縦席の出っ張りが無く、代わりに普通のグライダーにはあるはずのない砲塔がにょっきりと突き出しているのだ。
これこそが、世界で初めて実戦投入された翼付き空挺戦車、特三号戦車クロの初陣である。
目標のブラウエン飛行場が視界に入ってきた。呑龍と特三号戦車を曳く九七重爆が高度を下げ始める。敵機への警戒のため上昇し始めた戦闘機隊とは対照的な動きだ。
と、編隊のさらに上空から敵機が逆さ落としに降ってきた。機銃弾を雨アラレとばらまきながら突っ込んできたのは米陸軍航空隊のムスタングだ。
すぐさま護衛の戦闘機隊が交戦に入る。幸いにして敵機は数が少なく、劣位にあるにも関わらず輸送機への有効な射撃を許さない。
不幸にして最初の掃射を食らい編隊から遅れはじめた数機を除き、無事に投下進路へ定針。日本軍のそれとは比較にならない高密度の高射砲弾幕に出迎えられながら投下点を目指した。
一方、輸送機より低空を飛んでいた重爆と特三号戦車の編隊は輸送機編隊のような大規模な迎撃を受けることなく滑走路近辺まで進入することに成功していた。
特三号戦車を曳いた重爆は、まるで滑走路に着陸しようとしているかのような姿勢で高度を下げる。翼の高揚力装置は全開だし、発動機の出力もかなり絞っているようだ。
まもなく地面に腹を擦るのではないか、と思われるまで高度を下げると、重爆は曳航索を切り離しプロペラを全力で回して一転上昇にかかった。切り離された特三号戦車はそのまま滑空し、履帯に取り付けられたソリで滑走路に接地。ここに、日本初の戦車による空挺降下が為し遂げられたのである。
同日 ブラウエン飛行場 滑走路
上空に数百の落下傘の花が咲き乱れる中、ソリと翼をつけたままの特三号戦車は滑走路の中程でようやく停止した。
停止した戦車の側面数ヶ所で、パッパッと小爆発が起こった。敵から攻撃を受けたのではない。翼と車体、ソリと車体を繋ぎ止めていた金具を少量の火薬で弾き飛ばしたのである。
と、砲塔上部のハッチが開き、砲手兼車長が頭を出した。
車長は周辺からの銃撃を警戒しながら手早く全ての固定金具が外れているのを確認すると、またサッと頭を引っ込めた。 彼は、たった二名しかいない乗員の片割れである操縦員の肩を足で小突き合図を送ると、操縦員はエンジンを始動させる。
その時、無線機が中隊長車からの電波を受信した。
「此方中隊長車、滑空戦車隊各車応答せよ」
滑空戦車隊、正確には第一滑空戦車隊と呼称され、鷲の翼と矢印を図形化した部隊章を持つ空挺戦車部隊。それが、この異形の戦車が属する部隊である。
テ号作戦に投入された特三号戦車は十三輌であった。しかし、この内の四輌とは既に連絡が取れなくなっていた。
行方不明になったのは第四中隊の全車と第三中隊の三号車。空中では動力を持たないグライダーに過ぎない特三号戦車は舵の効きが悪く、大きく姿勢を崩せば対処が出来ない。そのため、着地寸前の低速時に横風でも食らおうものならまず命は無いのである。
状況を把握した中隊長兼第一小隊長の新城大尉は続けて命令を下す。
「中隊長より各車、各車は小隊毎に集合、空挺兵と合流せよ」
新城大尉がまず空挺兵と合流するよう命じたのには理由がある。
一つは、歩兵を伴わない戦車はかなり弱いという理由だ。一般的に戦車は走攻防三拍子揃った陸の王者だと思われている。しかし、戦車は装甲を身に纏っているため視界が悪い。そのため、地形に隠れた歩兵や対戦車砲を発見出来ずに火炎ビンを投げつけられたり砲撃を受けたりすることがあり得る。だから視界の広い歩兵の支援を必要とするのだ。
もう一つの理由は、特三号戦車そのものが非常に脆弱というものである。この特三号戦車は元々九八式軽戦車を軽量化して翼を取り付けたものであるが、原型の軽戦車と比べて重量は半分以下となっている。乗員を一名減らし、砲塔を小型化する等の涙ぐましい努力の結果なのだが、元から最大16mmしか無かった装甲も削ってしまったものだから大変。M3軽戦車より弱いとも言われる九七式中戦車チハの三割しかない装甲厚など、もう処置なしというものだ。
ただ、今回の支援は只の歩兵ではなく空挺兵であるので、一〇〇式機関短銃などの携帯火器については大分恵まれているのが救いだろう。
そうこうしている間に、高千穂挺身隊の空挺兵は次々と飛行場に舞い降り行動を開始した。ある者は飛行場警備兵と銃撃戦に入り、ある者は強行着陸した重爆に潜り込み曲射歩兵砲を引っ張り出す。また、小隊毎に集合した特三号戦車の周りにも各々一個分隊の空挺兵が集まってきて直援配置に就く。
それを確認した新城大尉が無線機に向かって指示を下す。
「中隊長より二小隊、敵機銃座及び駐機中の敵機を制圧せよ。第三小隊は我が方の曲射砲を援護。尚、未合流の四小隊残余は三小隊、風早少尉の指揮下に入るものとす」
「二小隊、瓜生中尉了解であります。小隊、目標二時方向の敵火点群!」
「三小隊了解。このまま味方輸送機まで前進します」
新城大尉が中隊長として隷下中隊へ指示を飛ばすと、今度は小隊長として小隊各車へ命令を下す。
「一小隊各車、目標九時方向の天幕群。初弾射撃は長車にあわせ、以後各個に躍進射。全車前進!」
全車前進の号令と共に特三号戦車のエンジンが咆哮し、長車以下四輛が速度を上げてテント群へと進路を取る。距離百まで近づくと一斉に停車。一〇〇式37mm戦車砲四門が次々と火を吹き、主砲と同軸に据えられた機銃がテントから飛び出してきた人影を薙ぎ払った。
同日 ブラウエン飛行場
アメリカ陸軍飛行場守備隊 連隊本部
この時、ブラウエン飛行場周辺はアメリカ軍にとって後方地域と見なされていた。その為、飛行場とその側面の山岳地帯を防衛区域としていた部隊は、戦車を編成に加えた歩兵師団でも、勇猛果敢の誉れ高い海兵師団でもなかった。
しかし、それは飛行場守備隊が弱兵であるという意味ではない。むしろ、重火器こそ持たないもののそれゆえに精強な兵が揃った部隊である。
その名は、第11空挺師団“ザ・エンジェルス”
ニューギニアからこちら太平洋を転戦してきた空挺部隊であり、それに属する第188グライダー歩兵連隊“ウイングド・アタック”が飛行場周辺に展開していた。
「戦況はどうだ!」
「不味いですね。敵輸送機の空中での阻止に失敗しましたので、かなりの兵力の着地を許しました。グライダーにもかなり降りられたようで……」
「畜生! 日本兵の奴ら迫撃砲まで持ち込んでやがる!」
「……という状況で。我々のみで撃退するのは少々骨です」
テントの外からは米軍のものとは違う派手な軽機関銃の射撃音と、米軍のものと殆ど変わらない迫撃砲の炸裂音が聞こえてきていた。
「ふむ、他の部隊や海兵隊にも増援要請はしているのだがな」
「何かあったのですか?」
「山岳地帯でも奴らが攻勢に転じたらしい。こちらへの増援は期待できまい」
この時攻勢をかけていた日本軍部隊は、揚陸時に重火器を失った第二六師団であった。この時彼らは山中の道無き道を越えて飛行場まで二十キロの地点まで迫っていた。繰り返しになるが、重火器を欠いた状態で、だ。
この無謀とも言える攻勢に対応するため、同じ第11空挺師団に属する第511パラシュート歩兵連隊と第187グライダー歩兵連隊は飛行場を離れてしまっていたのだ。
「チッ。せめて戦車の一個中隊、海兵隊のアムタンクでも居ればな……」
アムタンクとは、上陸用の水陸両用装軌車であるアムトラックにM3軽戦車“スチュアート”などの砲塔と増加装甲を施したもので、本来の水際だけでなく内陸でも火力支援に活躍していた。勿論、このフィリピンにも幾つかの部隊が上陸している。
と、そこへ外からキャタピラの音と共に歓声が聞こえてきた。テントの入り口付近にいた兵が、何事か、と飛び出してゆく。
「な、なんだ!?」
「援軍です! 海兵隊のアムタンクが来てくれました!」
入れ替わるようにテント内に飛び込んできた兵がそう叫ぶ。テント内に歓声が巻き起こり、目敏い下士官が戦車と連絡をつけるためにテントから駆け足で出て行く。
「……しかし、なぜこうも素早く戦車隊が?」
連隊長の呟きに答えたのは、爆発と機銃掃射だった。
こうして、無謀な攻勢であるかに思われたテ号作戦は高千穂挺身隊が投入した特三号戦車クロの活躍もあって飛行場の占領に成功した。よもや日本が空挺戦車を投入してくると思っていなかった米軍は初動で出遅れ、またごく初期の段階で指揮系統が混乱したために有効な反撃が出来ず、一部ではクロ車を味方と誤認して大損害を被った。
第一日目の時点で降下に成功したのは空挺兵三百三十名と空挺戦車九輌であり、損害は兵員が六十名余りと戦車二輌、輸送機のほぼ半数。飛行場はほぼ日本軍の制圧下に置かれた。
これに気を良くした陸軍の南方総軍司令部は、テ号作戦の続行とレイテ増援の第六八旅団を載せた船団をオルモック湾の揚陸地点へ向かわせることを決定。高千穂部隊所属の挺身第四連隊“香取”の半数二百名余りに翌日の降下を命じた。
しかし──
一九四四年十二月七日 早朝
レイテ島 ブラウエン飛行場
胴体着陸した呑龍の一機に置かれた高千穂部隊司令部には重苦しい空気が漂っていた。
──オルモックに米軍上陸、兵力は師団規模
──和号作戦ならびにテ号作戦は中断
──高千穂部隊は遅滞戦闘を行いつつ飛行場方面より転進せよ
戦線後方を衝かれ混乱した南方総軍司令部は飛行場を目指し進撃していた二六師団をオルモック奪還に振り向け、挺身第四連隊もオルモック北部へ空挺降下するよう命令。高千穂部隊は事実上、敵中に孤立したのだ。
「……各員──」
挺身第三連隊を指揮する白井少佐が何事か言いかけたその時、米軍の砲弾が空気を裂いて落下する音が聞こえてきた。
「──伏せろ!」
態勢を立て直した米軍の反撃が始まったのだ。
同じ頃
第一滑空戦車隊 第一中隊
特三号戦車の布陣する駐機場付近にも砲弾は着弾していた。破壊された米軍機のバリケードと急造の浅い塹壕で凌いではいるが、そう長くは持ちそうにない。
クロ車も、燃え残ったスカイトレイン輸送機の尾部や翼の折れたコンソリ爆撃機の影に身を隠すようにしていた。稼働状態にあるのは僅かに四輌。夜間の遭遇戦にて更に三輌が近距離からのライフル射撃や火炎瓶によって討ち取られてしまっている。
「……無念です」
一人の下士官が呻くように呟く。無理もない。今や高千穂部隊は白石に囲まれ取られるのを待つばかりの“死んだ”黒石に過ぎない。
しかし、今飛び出して行ってもただの的でしかないのは新城中隊長も先刻承知だった。故に、ただただ耐え続ける。
そして、突如として砲声が途絶え、だめ押しとばかりに最後の白石が打たれようとしていた。
「──! 敵歩兵接近! 敵歩兵は戦車を伴う模様!」
そのだめ押しとは第187グライダー歩兵連隊。昨日の戦闘で大打撃を受けた第188連隊と同じく第11空挺師団に属し、仲間の仇討ちに士気は高い。また、山側から攻め寄せてきた第二六師団を撃退してそのまま飛行場奪回に投入されたため、M4シャーマン中戦車が何輌か随伴していた。
対して待ち受ける側は戦車四輌と空挺兵三個分隊。鹵獲したボフォース対空機関砲が数門。数の上でも質の上でも圧倒的な差がついていた。
それでも、彼我の戦車が主砲口径において倍、数において三倍、装甲圧において五倍という覆し難い劣勢にあろうとも、戦う力がある限り戦い続けるのだ。
「射撃開始! 戦車、前へ!」
十分に敵を引き付けたと判断した新城大尉の命令一下、隠匿されていた全ての重火器が火を吹き、クロ車が隠れ家から飛び出す。
滑空戦車隊最後の戦闘はこうして幕を上げた。
後に、ブラウエン飛行場奪回作戦として知られるこの戦いは、米軍のオルモック上陸によって作戦を中止せざるを得なかった日本軍の敗北に終わった。
戦史にはこう記されている。
米軍のオルモック上陸により後続部隊を送り込めなくなった日本軍は作戦を中止。二六師団は海岸方面へ振り向けられ、高千穂部隊第二梯団はオルモック方面の味方飛行場へ降下した。
取り残された高千穂部隊は、一部部隊が勇戦するも結局は降伏ないし密林へ敗退、そのまま八月十五日の敗戦を迎えた。
また、彼らの戦った証は意外な所にも残されている。
合衆国陸軍第101空挺師団第3空挺旅団“ザ・ラッカサンズ”。鳥居を背にし、稲穂をくわえた鷲を部隊章とするこの部隊の第33騎兵中隊“ウォー・ラッカサンズ”の部隊章は、滑空戦車隊と同じく鷲の翼と矢印なのだ。
この部隊章について問われたある兵士はこう答えている。
「我々は、これを身に付けた最も勇敢な敵に敬意を表し、鷲羽を部隊章としているのだ」と。