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学校の怪談殺人事件 作者:あじろ けい

第3章 トイレの紙さま

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トイレの紙さま(1)

「待って、七美!」
 山下聖歌を振り切り、相馬七美は廊下を駆けていった。長い髪が背中で軽やかに揺れ、制服の裾が舞う。後を追う聖歌、先を行く七美とは、さながら空中で戯れるモンシロチョウのようだった。可憐な二人がとまるのは美しい花と決まっていそうだが、飛び込んでいった先は男子トイレだった。
 本来の目的そっちのけで、七美は男子トイレの小便器を眺めまわしていた。女子トイレにはないものだから物珍しくて仕方ないのだ。
「七美、さっさと済ませて行こうよ」
「うん、わかってるって」
 口ではそう言いながら、七美はのんびりと男子トイレを見学している。
 放課後とはいえ、いつ人が入ってくるかわかったものではない。男子トイレにいるところを見られたりしたらと気が気でなく、いつでもその場を逃げ出せるよう、聖歌は足踏みしながら、再度七美を促した。
「七美、早くしないと誰か来ちゃうって」
「わかったって」
 今にも泣き出しそうな聖歌に急かされ、七美はようやく男子トイレに来た本来の目的を思い出した。
 鼻歌まじりに七美は、全部で五つある個室をすべて覗いてまわった。誰もいないのでドアは内側にむかって開いている。中は女子トイレと同じ、洋式トイレだ。
 七美が一番奥の個室を覗き込むなり、聖歌は男子トイレを飛び出した。聖歌から遅れること数秒して、のんびりとした足取りで七美もトイレから出てきた。
「さ、次のトイレに行こ!」
「次って、まだ見て回るの?」
「当たり前でしょ。学園中のトイレをチェックするんだから」
 そう言うなり、七美は先に立って歩き出した。
 津田沼校長は動く石膏像に殺された――本気でそう信じている聖歌にむかって、七美は怪談なんて全部ウソだと言い切った。手始めに、トイレの“紙さま”なんてものは存在しないと証明してみせると、七美は宣言した。
 学園の怪談によると、“紙さま”は一番奥の個室にいて、紙をくれとドアの隙間から手招きするらしい。無視すると片腕だけがするりと隙間から出てきて、無理やりにトイレに引きずり込まれるのだとか。トイレットペーパーを渡してやると、おとなしく引き返していくらしい。
 馬鹿馬鹿しい話だと七美は全く信じていなかったが、聖歌は本気で怖がっていた。
 七美と聖歌とは幼稚舎からの友達だ。人見知りの激しかった聖歌がどうしても友達になりたいと勇気を振り絞り、滑り台で遊んでいた七美に抱きついて、それから二人は親友同士になった。
 幼稚舎の時から聖歌はひとりではトイレに行けなかった。中等部に進学してトイレの紙さまの怪談を知って以来、聖歌は幼なじみの七美とでなければトイレに行くことができなくなった。津田沼校長が美術室で事故死し、誰かれともなく動く石膏像に殺されたのだと言い出してからは、どんなに混んでいたとしても一番奥の個室には頑として入ろうとはしなくなった。
 紙さまがいるのは一番奥の個室と言われているだけで、どこのトイレとは明言されていない。学園には男女合わせていくつものトイレがある。七美たちが一番最初に確認に入ったのは新校舎一階昇降口脇のトイレだった。
 新校舎をかけあがって二階、三階、講堂のトイレを確認すると、ふたりは旧校舎に移動した。当然ながら、どのトイレの一番奥の個室には紙さまどころか誰もいなかった。
「さ、次!」
 旧校舎一階にある食堂のトイレを確認して学園中のトイレは見て回ったはずなのに、七美は新校舎への渡り廊下を歩き始めた。
「もう全部見て回ったんじゃないの?」
 やっとトイレ巡りから解放されるとほっとしたのも束の間、聖歌は再び表情を曇らせた。
「言ったでしょ、学園中のトイレを見て回るよって」
「でも、もう全部見たでしょ」
「まだ職員用トイレが残ってる」
「先生たちのトイレも確認するの?!」
「当然! トイレなんだから!」
 七美はさっさと事務室前の廊下を行き、辺りに教師たちの姿が見えないことを確認してから職員用のトイレに入っていった。
 生徒たちによる職員用トイレの使用は禁止されている。だが、だからといって七美が見て回らないということにはならない。七美はいったんこうと決めたらてこでも動かない性格なのだ。
 ここで最後だから――近くの職員室にちらりと目をやり、聖歌もトイレに駆け込んだ。
 七美は手前の個室を覗き込み、先生たちのトイレは高機能だと感嘆の声をあげていた。
 そんな七美を脇目に、聖歌の足はタイルの床に凍りついていた。
 トイレに入るなり一番奥の個室が開いているかどうかを目ざとく確認するのが癖になっていたが、その個室のドアが閉まっているのが目に入ったのだ。
 紙さまの個室――紙さまがいる!
 踵を返して出て行こうとする聖歌の腕を誰かがつかんだ。紙さまかと思ってぎくりとして振り返ると、七美だった。
「七美! 紙さまがいる!」
 聖歌は逆に七美の腕をつかみ、外に引きずり出そうとした。しかし、七美の意外な抵抗にあった。
「紙さまなんていないって。誰かがトイレを使っているだけだから」
 七美の目は個室からはなれなかった。どうやら、用を済ませた人間が出てくるところを聖歌に見せたいらしい。
 出て行きたい聖歌と、とどまりたい七美とで揉めているうちに、個室のドアがすっと開き、隙間から手がのびてきて、ふたりを手招いた。
 その瞬間、聖歌は弾かれたように近くの個室に飛び込み、トイレットペーパーをホルダーから外したかと思うと、ドアの隙間から出ている手の上に置き、唖然としている七美を引きずるようにして外に飛び出した。
 トイレを出るなり、聖歌は全速力で新校舎の廊下を駆け抜けた。聖歌に腕をつかまれている七美も足をもたつかせながら、二人は昇降口まで一気に駆け抜けた。
 昇降口で二人はようやく足をとめた。肩で息する二人だが、青ざめた顔いろの聖歌に対し、七美は歯をこぼして笑っていた。
 息が整うと七美は
「戻ってみようよ」と言った。
「なんで? 紙さまがいたじゃない!? トイレットペーパーを渡したから命が助かったのに、また行くの?!」
「紙さまなんかじゃないって。誰かが個室に入っていて、たまたまトイレットペーパーがなくて手を出してきただけだって。それを確かめにいくの」
「七美!」
 怯える聖歌を残し、七美はひとり職員用トイレへと引き返していった。廊下の角を曲がった七美の後ろ姿が見えなくなると、とたんに怖くなり、聖歌は七美の後を追った。
 職員用トイレからはちょうど松戸が出てきたところだった。
 七美は後ろを振り返り、ついてきているだろう聖歌にむかってうなずいてみせた。したり顔が、個室にいたのは松戸だと言っていた。何食わぬ顔で松戸にむかって頭を下げ、七美は廊下を引き返してきた。
「だから言ったでしょ。紙さまなんかいない。怪談なんてただの作り話だって」
「そう言うけど、七美だって、松戸先生が隙間から手を出してきた時はびっくりしてたじゃない」
 意地悪く聖歌が言っても、七美は肩をすくめてみせただけだった。
「だって、急に手が出て来たら、誰だって驚くでしょ?」
「そうだろうけど……」
「ね、わかったでしょ。紙さまはいない。元ネタは、トイレットペーパーがなかったからドアを開けて手を出したとか、今みたいなことだったと思う。ちょっと驚いた話を誰かが怪談に仕立てたってだけなのよ」
「そう……よね……」
 ようやく、聖歌の頬に赤味がさし、表情が和らいだ。七美の言う通りだ、トイレットペーパー欲しさに手を出した話がいつの間にか怖い話に書きかえられてしまったのだ。個室にいたのは松戸先生だったんだ。
 そういうことにしておこう――
 隙間から伸びてきた手には血がついていた。毛むくじゃらでゴツゴツした短い腕は、痩せ型でほっそりした松戸のものとは思えなかった。紙さまは女性だと聞いていたけれどと思いながら、聖歌はたった今見たものを記憶の底に埋めてしまった。
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