挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
学校の怪談殺人事件 作者:あじろ けい

第2章 女神の死の抱擁

17/71

女神の死の抱擁(10)

 放課後、空は校長室を訪れた。
 津田沼校長が亡くなってから一週間、教頭の富岡征二が新校長になると決まったので、メルマガに載せる富岡教頭のプロフィールを秘書の新井奈穂から教えてもらうためだった。
 しかし、校長室のドアは閉まっていた。
 いつもなら校長室のドアは大きく開かれていて、中に入ると机に座っている奈穂が笑顔で迎えてくれ、もう一つのドアの向こうにいる校長に取り次いでくれる。
 津田沼校長が亡くなったのでいろいろと忙しいのに休みなのだろうかと不思議に思いながら、空は隣の事務室にむかった。
 この日、カウンターのむこうには玲子しかいなかった。二十代半ば、小柄でぽっちゃりとした可愛らしい感じの女性だ。
「本宮さん、新井さんに用事があったんですけど、いないみたいで」
「新井さんなら、今日はお休みよ。きょうと……じゃないのね、もう。校長先生に用事があるなら、かわりに取り次いであげましょうか?」
「あ、お休みならいいんです。明日でも大丈夫なので。明日は新井さん、来ますよね?」
「ええ、多分」
 玲子はちょっと困ったような表情を浮かべてみせた。つられるようにして空の表情も曇る。
 津田沼校長が亡くなって、学園では一番身近に接していた秘書の奈穂は忙しく立ち回らなければならなかったはずだった。しかし、まるで津田沼校長と時を同じくして亡くなったかのように、奈穂の姿を見かけなくなったのだ。
「事件のショックで休んでいるとかですか? 最近、新井さんを見かけない気がするんですけど」
「ショックには違いないと思うけど、病気というのでもないの」
 玲子は苦笑いを浮かべてみせた。
「新井さん、もうすぐ辞めるので、有給を細かく消化しているところなの」
「辞めるって、津田沼校長が亡くなったからですか?」
「いいえ、前から決まっていたの。次の人が決まるまでは私と浅見さんとで新井さんの秘書の仕事もしているの」
 高等部の事務関係は幸子が主に担当し、玲子は中等部の事務を引き受けている。仕事が増えて大変ですねと空が言うと、玲子は丸い肩をすくめてみせた。
「浅見さんと分担しているから、そうでもないの。一人でやれって言われたら、私ならすぐに辞めていると思うけど。実際、亡くなった津田沼校長の秘書はみんな一年ぐらいしか続かなかったもの。新井さんは三年も続けてきたっていうんだから、もった方よね」
「秘書の仕事って、そんなに激務なんですか?」
 忙しそうにしているけれどかりかりしているような奈穂をみたことがなかった空は不思議に思って尋ねた。すると玲子は、カウンター越しに空に顔を近く寄せたかと思うと、他には誰もいないというのに声をひそめ、
「あの津田沼校長相手なら、大変だったと思うわ」
 ああと、空は、意味深な笑みを浮かべている玲子にむかって頷いてみせた。
 亡くなった津田沼校長は誰にでも好かれるという人物ではなかった。空は生徒の立場からしか人物を知らなかったが、嫌いとは言わないまでも好きにはなれなかった。廊下を走っていた生徒を捕まえて、ネチネチと説教している所は何度も見かけたことがある。きっと教師たちや事務員の玲子たちに対しても、仕事に関してはややヒステリックで粘着質っぽい態度をとっていたのだろうと簡単に想像がつく。
「憎まれっ子世に憚るっていうけれど、ギリシャの神様は憚るのを許さなかったみたいね」
 茶目っ気たっぷりに玲子は言った。
「どういうことですか?」
「校長を押しつぶしていた像って、ヴィーナス像なんでしょ」
 ヴィーナスどころか、ニケもアグリッパも重なるようにして津田沼校長の死体の上にあったそうだから、ギリシャの神様どころかローマの英雄も津田沼校長の憚りを許さなかったことになる。実際に手を下したのは人間だが、真実を知らない玲子にしてみれば、これまでの行いに対して天罰が下って津田元校長は死んだということなのだろう。
 天罰というのなら、復讐の女神ネメシスの像が押し倒していそうなものだが、あいにくとネメシスの石膏像はなかった。愛と美の女神が鉄槌を下したというのだから、究極の美女に殺されたようなものだと考えたら、津田沼校長を押しつぶすヴィーナス像に奈穂の姿が重なった。
 奈穂は超がつく美人だ。もともと小顔なほうだが、ショートカットのせいでその小ささが強調され、卵型の輪郭のうちにくっきりした目鼻がバランスよくおさまっている。小柄だけど、手足が細くて長く、モデル並みにスタイルがいい。三十代ぐらいだが、メイクしないで制服を着ていたら高校生にみえなくもない。
「こういっては何だけど、津田沼校長が死んで、みんなほっとしているのよ」
 眉をひそめ、囁くように言う玲子の目は輝いて、声の調子は軽く弾んでいた。
「先生たちを校長室に呼びつけて怒鳴りつけるなんて日常茶飯事だったの。怒鳴り声が廊下とか事務室まで聞こえてきて、すごく気分が悪かった。亡くなる少し前には松戸先生と白石先生を呼び出して、すごい剣幕で怒鳴ってたっけ。校長に怒鳴られたことのない先生はいないと思うわ」
「松戸先生と白石先生……なんで怒られていたんでしょうね」
 松戸は生物、希美は英語を教えている。松戸は三十近く、希美は二十代後半と二人とも教師としては若い方で授業にも熱心に取り組んでいる。特に人気があるというわけではなかったが、かといって嫌われているわけでもない。津田沼校長に叱責されるような問題があるとは思えない二人だ。
「さあ。津田沼校長ってちょっとしたことですぐ怒る人だったから、きっと他の人には何でもないことでグチグチ言ってたんじゃないのかしら。誰でもいいから怒鳴り散らしたいっていう人だったし。――それはそうと、きょうと……富岡校長に取り次がなくて、本当にいいの?」
 明日で間に合うと言い、空は事務室を出た。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ