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学校の怪談殺人事件 作者:あじろ けい

第2章 女神の死の抱擁

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女神の死の抱擁(6)

「なんだ、今日はこれだけか?」
 ドアの前に集まっている生徒の数の少なさに目をむいて驚きながら、市川は美術室のドアを開けた。だが、市川に続いて教室に足を踏み入れたのは陸だけだった。
 陸の後を追おうとした空だが、視界の隅に校長が倒れていたという場所が入ってきた途端、足が動かなくなってしまった。石膏像に押しつぶされていたという凄惨な現場を見てしまったような気になったのだ。
「空!」
 陸に名前を呼ばれ、現実世界に戻ってきた空は弾かれたように教室の中に飛び込んでいった。陸や空が教室に入ったのを見て、ようやく他の生徒たちも恐る恐るながら教室に足を踏み入れ始めた。いつもなら教室の後方の作業台から埋まっていくのに、この日は教室の前方、しかも入り口に近い作業台に生徒たちの塊ができていた。
 校長の“事故死”があって閉ざされていた美術室が解放されてから一週間が経つ。死体は取り除かれ、後片付けも済んで、まるで何事も起こらなかったかのような様子の美術室だけが、どことなく薄気味悪さを感じずにはいられない。生徒の大半がそう思っているようで、美術の授業が再開されても、美術室に入るのを嫌がって多くの生徒たちが授業をボイコットしていた。出席している生徒たちにしても、できたら死体のあった場所から遠く離れていたいと思うのも仕方ない。何事も起こらなかったような、というが、石膏像の置かれてあった棚の上は今だにがらんとしていて、何事かのあった事実を雄弁に物語っている。
「まあ……あれだ、美術室にいたくないっていうんなら、自習室で他の教科の勉強してくれて構わないよ」
 生徒たちの落ち着かない様子を感じ取って市川がそう言うと、ほっとしたような表情を浮かべ、何人かの生徒たちはそそくさと美術室を後にした。
「みんな、適当に課題をこなしてくれたらいいから。まあ、いつもそうだけど」
 美術の授業は授業とは思えないほどリラックスしている。デッサンだとか水彩だとかの課題が与えられ、最大二週間かけて課題を完成させればいい。課題にさえ取り組んでいれば、友達としゃべっていても何も言われない。授業中、市川は黙々と個人的な作品の創作に取り組んでいる。
 この日の課題は静物画デッサンだった。残っている生徒たちだけで、市川が自宅からもってきたという野菜や果物を思い思いに描き始める。
 画用紙の上に鉛筆を走らせ始めた空だったが、どうしても注意が教室の後ろの方へといってしまう。校長が倒れていた――海に言わせれば、殺されていた――その場所だ。
 校長の死体は美術室で発見された。午後七時半ごろという時間になぜ校長先生は美術室にいたのだろうか。美術室に何か用があったのか、それとも呼び出されたのか……。
 わからないことを考えても仕方ない。気分転換にと、空は市川の作品を見に行くことにした。
 良く言えば生徒たちの自主性に任せる、悪く言えばほったらかしたまま、授業中、市川は自分の創作活動に没頭している。好んで描いているのは油絵の風景画で、この日もカンバスに海辺の風景を描いていた。
 市川のカンバスには様々な色が塗りこめられていた。パレットにもおよそ海を描いているとは思えない色の絵の具が踊っている。海といえば青い絵の具と考える空には驚きの光景だった。
「先生、なんで青い色一色で描かないんですか?」
 空は素朴な疑問をぶつけた。
「海をじっくり見たことがあるかい? 時に緑色に見えたり、黄金に輝いて見えたりするものなんだ。一口に海の青といってもそこには様々な色が潜んでいる。だから絵にする時も様々な色を重ねていかないと海の青が表現できないんだよ」
 市川は四十代半ばぐらい、小柄で髪には白髪が目立つ。丸顔の童顔で、美術の話をする時だけ、つぶらな瞳がダイヤモンドのような煌めきを放つ。教師には違いないだろうけど、アーティストのようで、他の教科の教師たちとはまとっている空気が違う。作品に対する美的センスは抜群だが、自分の外見には無頓着で寝グセがついたまま、ヒゲもそらないで授業をしていることも珍しくない。首から上はごま塩頭のモノクロの世界だが、服に絵の具がつかないようにといつも着ている白衣には様々な色が飛び散って、色衣になってしまっている。そのせいで、市川には「レインボー」というあだ名がつけられていた。
「先生、先生はいつも風景画を描いてるけど、実在する風景ですか? それとも想像上の風景?」
 いつの間にかやってきた陸が尋ねた。陸も何だか落ち着かない気分で、授業どころではないのだろう。
 陸に言われて、空はあらためてカンバスの上の風景を凝視した。絵だから、絵のように美しい風景なのだが、確かに陸が指摘したように、非現実的なまでに美しすぎる気がした。まるでファンタジー世界の風景のようだ。
「実在する風景だよ。でも僕の記憶を基に描いているから、想像上の景色ともいえるのかな。細かい部分は記憶がぼやけてしまっているからね」
「きっと素敵な思い出のある場所なんでしょうね。とってもキレイ」
「ああ、そうだよ」
 空にむかって、市川は照れたような笑顔を浮かべてみせた。一瞬、中年の市川が二十歳の青年のように見えた。きっと恋人と訪れた海辺なんだろうと空はロマンチックな想像を抱いた。
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