先生と呼ばれる女の子
教室の外から、カンカンカンと鐘を叩く音が聞こえた。
響くことが無いこの鐘の音は非常に高音で、耳ではなく脳髄に響く不快音ではあるが、どこに居ても聞こえると言う得性を持っていた。
「それでは、本日の授業はここまでとする」
『ドラゴンと竜騎士の心の合わせ方』を担当している先生から、授業終了のお知らせが出ると、教室に弛緩した空気が一気に広がった。
マシューで安価な紙を製造販売しているとはいえ、こういった授業で大量に使うにはまだ高い。だから、授業はほとんどが教科書を読むだけだ。
「ふぅ……」
竜騎士は、その特性と絶対数の少なさからある程度エリート意識の高い生徒が多い。
だからと言うわけではないが、授業中は静かで寝るにはちょうどいい。しかし、そこで寝ると俺の隣に座っている通称ブロッサム先生が揺すって起こしてくれるのだ。
インベート準男爵の娘で、俺が発表したマシュー再興プロジェクトの円グラフ等に興味を持ち、おっかなびっくりと言った様子で話しかけてきたのが始まりだ。
その後、制服のボタンが取れた時に、アムニットとミシュベルが「手際の良いお店を知っていますよ」や「高品質の仕立て屋と懇意にしていますの」と言っている間に、ブロッサム先生は手持ちの裁縫セットでちゃっちゃとボタン付けを済ませてしまった。
準男爵とは名誉士爵以上男爵未満の爵位で、格上げ前提の爵位――試用期間のようなもの――だそうだ。
ブロッサム先生の父親の場合は帝国と隣国との境に防波堤となる、インベート準男爵領を作ればその功績を称えると言う名目の元、男爵へと格上げになるそうだ。
領地を作ると言うことは開墾すると言う事なので、そんなところに店があるわけなく、また遠すぎるのと危険すぎることも相成り行商もあまり来ないそうなので、服などは自分で直せないといけないんだそうだ。
その手際の良さから女の子同士で編み物や小物を作っていると聞いて、先生の様だなと言ったのが始まりだった。
「ロベール様ぁ、本当にこんなボロ布でいいんですかぁ~?」
ブロッサムが持ってきたのは、本人はボロ布と言っているが、ちょっとホツれのあるだけの服だ。
市民からしてみれば上等な服だろうが、貴族からしてみればゴミも同然だろう。
「あぁ、ありがとう。幾らだ?」
「いっ、いえ~。どうせ捨てる物だから、差し上げますよ~」
「そうか。すまんな」
服を受け取り広げ、ちゃんと男物の服であることを確認した。この男物の服は、ブロッサムの物ではなく、彼女の双子の弟のヘリオンの物だ。
辺境出でありながら、ヘリオンは裁縫が不得手だそうでブロッサムが全てやっているそうだ。だから、こうして男物の古着を融通してもらえる。
「ところで、こんなボロ布を何に使うんですかぁ?」
「ただの作業服だよ。古着屋に買いに行ったんだけど、さすがに汚すぎて買う気が起きなかった」
貴族用の服の中古を扱っている服屋は、確かに新品よりは安いけれど、だからと言ってとても安いとは言えなかった。そもそも、装飾が多すぎて動き回るには不適当だ。
さりとて、一般市民用の中古服は染みや解れが酷く、そもそも着る気も起きなかった。
「ありがとう。助かったよ」
「いえいえ~。それよりも、この間の報告会のお話で分からない所があったから、そこをもう少し詳しく教えて欲しいんですよぉ」
この間の報告会で、俺が話した内容を写したマシュー産の紙を片手に、農作物増産の方法について聞いてきた。
ブロッサムは、相手が男であれ女であれ距離感が近い事が良くあるのだが、今この時も非常に近く俺の腕を抱きかかえんばかりの勢いで引っ付いている。
そんなに引っ付いたら胸があた、あたって――あたってないのよ、発育不良な残念体型……。
俺の身長は、140cmだ。周りに居るクラスメイトに比べるとやや低い。そんな俺よりも、ブロッサムの身長は低いのでおかしくはない。ただ、アムニットのあの胸の発育状態が異常なんだ。
「あぁ、これは……これは、そうだな。うん。これは、森や山の力や人間や家畜のなんやかんやを畑に送っているんだ」
辺境での開墾と畑作りは死活問題だ。だから、俺が話した農作物を1.5倍から2倍にする方法を聞きたいんだろうけど、この手の話はマシューで「こいつは、気でもふれたのか?」という無言の圧力があったからな。
いや、別に直接言われたわけじゃないけどさ。
「森や山の力を畑に送ると言う事はぁ、光燐教会がよく言う天の恵みと言うやつですか??」
「あれは雨のことだ。俺が言いたいのは、土にも食事をってこと。近代農法ってやつだな」
「近代農法?」
「うっ……」
いかん、いかん。どうも元技術者として、熱心に聞いてくる人間に対しては教えたい病が発症してしまう。
服を融通してくれたのだから、こちらも何か返したいのだが、堆肥の内容物が内容物なので簡単に言うのははばかられる。
「簡単に言えば、土壌改善だ。ブロッサム先生の実家の土はどんな感じだ?」
「えぇとですねぇ。結構、砂ですぅ。何とか、大麦さんが育ってるんですよぉ」
「なら、森から腐葉土と粘土質の土を持ってきて畑に鋤きこめ」
ふむふむ、とブロッサムはマシュー産の紙にペンで書きこんでいる。ボールペンは無く、鉛筆すらないこの世界での文字書きはインクに付けたペンだけに限られるので、立ちながら書くのは大変そうだった。
「腐葉土とは、前に言っていた森の土で良いんですかぁ?」
「そうだ。黒いフカフカした土を、なるべく一か所から取り過ぎないようにして畑に撒くんだ。毎年、畑に鋤きこんでいけばそのぶん育ちやすくなる。あと、育てている野菜の根元にも腐葉土を厚くかぶせておいた方が良い」
「それは、どうしてですかぁ?」
「土中水分の放出を抑える。これは別に、藁やしっかりした茎を持つ雑草でも変わらない効果が得られるけど、腐葉土なら野菜を収穫した後に鋤き込むだけで良いからな」
「なるほどぉ~。水分の放出ですかぁ~……」
間抜けな顔でオウム返しをするブロッサムの頭を叩きたくなった。
やはり、何処へ行っても水は雨頼みだ。これは奴隷の時から思っていたが、この世界の人間は作物に水をやると言う行為を軽く見ている。
作物に水をやるには、バケツに水を汲んで運ばなければいけなくとても重労働だ。だから、作物が水不足でしなっている時は神様に雨乞いをする。
個人の力で治水をすることができないのは分かっている。でも、それなら土中の水分を逃がさない工夫くらいしろと思う。
「それとですねぇ――」
「すまないが、また今度にしてもらえるか? この後も用事があるんだ」
「ははぁ。残念ですが、分かりました。また今度、いろいろと教えてください」
ちょうど、ブロッサムの親が収める領地も小麦の収穫が終わったくらいだろう。小麦の収穫が終わった畑を改良するには良い時期だ。
だから、俺が話したような簡単な内容でも結構な仕事量となると踏んだブロッサムは、さっさと俺から離れて行った。
自席へ戻って、押し花が付いているマシュー産の紙を取り出したので、今の内容を実家に送るのだろう。
ブロッサム先生は、男を勘違いさせる天才やでぇ~。
前章の最後に新キャラが云々と書いたけど、新章で新キャラ出すぎぃっ!
そろそろ、自分のためにでもキャラ図鑑を作らなくては……。
8月8日 文章を修正しました。
9月20日 タイトルを変更しました。
本文を一部書き換えました。
6月30日 セリフの一部を書き換えました。