ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
ぼくのさくら
作者:佳生
 微妙に実話が混ざっています。
 それは本州最北。白神の山の向こう。桜の名所である城の近く。

 少しばかり山になっている道脇にあった、三・四本の桜の話。



「今年も綺麗に咲いたね」


 春。その桜達は、去年と同じ様に、けども去年と違う花を揺らす。

 暖かい日。家の目の前にある木に笑いかけ、齢十ばかりの少年が微笑んだ。生け垣を背にして、少し見上げる形になる桜は、沢山の花びらを舞わせる。


「今年はどれくらい咲けそう? 雨が降らなければ良いね」


 さわさわ、と風に揺られる桜は、分からない、と答えたように思えた。

 丘の上には、城の桜を見に行こうとする人の列が出来ている。


「お城まで行くんだろうね、皆」


 ぼんやりという彼は、まだ細身の桜を見て肩をすくめた。


「大丈夫。あと何年かしたら、お城の桜に負けないくらい、綺麗で立派な桜になれるから」


 さわさわ、さわさわ。

 まだ若い風の桜。彼と同じく、まだ未熟な桜。


「産まれた時から見てるんだ。分かるよ大丈夫だって、自信持って!」


 にかっと笑って、桜に拳を付き出した彼は、さわりと鳴った桜に満足して、その足元にまで歩く。

 横になってみたけれど、大した日除けにはならない。枝が短いからだ。

 それでも関係なく、彼は手を伸ばして、花を指でなぞってみたり、落ちてくる花びらを掴んでみたり。


「姉妹揃って綺麗になるぞ〜」


 さわさわ、さわさわ。

 桜は小さく囁くだけ。






























 八年して、少年は十八歳になって、桜も立派に枝を広げるようになった。

 春。大きく腕を伸ばし手を広げ、たわわに花を咲かせた桜は、城の桜にも負けないくらいの桜になっていた。

 お城の桜を見にきた人達は、そこに行くまでの疲れを、この場所で癒す。


「本当に綺麗になった」


 一本一本、手で触れて、彼はにっこりと笑う。昔の面影を残しながら、けれども穏やかに。

 彼は、この十八年、桜と共に育ってきた。


「僕の言った通りだろ? とっても綺麗だよ」


 さわさわ。

 同じことを何回も言わないで。分かったから。

 呆れた様な、あやすような。桜に寄り添って立つと、木の下に花をつけた枝が肩口ほどにある。

 だから、その枝の花は、いつも彼の首をくすぐっては揺れるのだった。本当に、可愛い、小さな花。儚くて、脆くて、幻想的な。

 その根本に横になり、彼は真上の空を見上げる。薄い桃色に遮られて、チラチラと、欠片ほどしか見えない蒼。

 胸一杯に甘い、けれどもしつこくはない、桜の香りを吸い込んだ。心が安らぐのは、きっと桜が優しいから。

 さわさわ。さわさわ。

 風に揺られて、花びらを舞い落とす。

 近くを通りかかっていた少年や少女達が、走り回りながら花びらを掴もうとする。


「僕も昔やったよね。……あの時は、君がちゃんと僕の手に置いてくれたっけ」


 ハラハラと散る、一片の桃色。走り回って追い掛けても、一つだって掴めなかった。そんな彼に、桜は、一つ、花を落とした。

 水を受け止める時のように、両手で器を造ると、その中に、一つ、桜の花が舞い落ちた。


「嬉しかったよ」


 そう微笑む彼の胸元に、桜の花が落ちる。


「……ありがと」


 手を振るようにした彼に、桜は小さく微笑んだ。彼には、そう思えた。












 しかし、そんな日々は唐突に終わる。それは夏の始まりの日。


「……え」


 それしか、言えない。

 桜の木が、ない。


「どういう、こと」


 無惨に残った切株。痛々しい傷。姉とも母とも思えた桜は、その日をもって、彼の前から、姿を消した。






 その桜を植えたのは、彼の家の近所に住む老人だった。

 老人は桜が好きで、自宅の前にも桜を植えていた。そして、あの丘にも、三・四本の桜を植えたのだ。

 長い年月をかけ、成長した桜は、やがて産まれた彼と時を刻み始める。

 そして最後の日。桜を切るように言ったのは、老人だった。

 老人は、自分の命が短いのを感じ、誰か桜の面倒を見てくれるものを探した。地域の管理人達も訪ねた。しかし、誰も引き受けなかった。

 今まで、道に桜が枝を広げなかったのも、病気をしなかったのも、美しく綺麗であったのも、全てその老人のおかげだった。

 けど、自分がいなくなった後には、一体誰が面倒をみてやるのか。それに考え付き、誰も手を差し延べなかった時、桜の運命が決まった。

 そうして切ってしまった後に、『どうして切ったのか』と、管理人達が言ってきたのだ。もう遅い。桜は、無い。








 丘の見晴らしがよくなってから、ようやく春が訪れた。

 丘のこちら側にある桜の姿は相変わらず、切り株だけ。だが、向こう側には、立派な桜の木が見える。

 どうして彼女たちだけが、こうなってしまったんだろう。

 切なさに目を細めても、そこに咲くはずの桜はない。切り株から、新しい芽が出て、花を咲かせてくれまいかとも思ったが、それもなかった。

 彼女らを写真片手にそこに寝そべってみても、あの日の思い出がよみがえるばかりで、抜けるような空と太陽が目を刺す。あの柔らかな桃色の世界はない。

 夏になれば、丘の草が切り株を隠してしまう。そうすれば様子を見るのも容易ではない。だから、今のうちに、側にいてやろうと思う。彼女らはもういないのかもしれない。花なんて咲かすことが出来ないのかもしれない。

 けれど、本当にそうなのか分からない青年は、分からないまま、そこに居続ける。気がつけば声をかけて笑いかけてやる。

 答えてくれる梢の囁きはなくても。












 さらに二年が経ち、青年は二十歳を迎えた。雪で覆われてしまって、どこが切り株であったのか分からないが、青年はその丘の前に居た。

 向こうにあるのは雪を花のように見せる桜の木。こちらには、何もない。何もないのが、つらかった。

 今は冬。終わりの季節。彼女らが居なくなって、一度は経験したはずの冬。

 自分はここで立っているのに、どうして彼女らは居ないのだろうと思う。冬の日に見上げた、黒い枝に白い雪を飾って、灰の空に両手を広げていた彼女たち。下を歩く子らに雪を落としていたずらしていた、遠い冬の日。

 全部が、思い出だった。

 あの頃は、二十歳になったこの日も、彼女らに向かって笑っていると思っていた。大人になったよ、と、笑っていると思っていた。

 たかが桜の木じゃないか。そう言われたことだってある。でも、たかがじゃなかった。そう思いたくても、思えなかった。ずっと見てきた。ずっと見守られていた。

 綺麗だった。

 これはきっと、恋ではないけれど、青年は、彼女らが、あの桜の木が好きだった。大好きだった。

 早く冬が終わればいいのに。

 青年はそう思って、丘を後にした。









 その年の冬は長かった。暦では春なのに、雪が解けない。だがそれも終わり、春がやってきた。

 城の桜や、丘の向こう側の桜が咲き始めている。けれども、今年も、青年がたたずむ丘の桜は咲かなかった。緑の葉っぱが見える気がするが、それが桜の葉なのか、それとも下から生えているただの葉なのかが分からない。

 青年は、そこに近づけなくなっていた。遠くから見るしか出来なかった。

 ほんの少しの段差と、斜面と草たち。たったそれらのためだけに、青年はそれ以上進めない。

 観光の人間がわいわいと丘の上を行く中、青年は丘の下で、切り株を眺めている。

 来る日も来る日も、そうして切り株を眺めていた。誰も気にしない。きっと、桜の木があったことも忘れてしまっているだろう。向こう側の桜を見て、昔はこちら側に向けていた笑みを浮かべる。

 誰も見なくとも、自分は見ているよ。

 そう心の中で思っていた。

 今年の冬は長かった。だから、今年の春は短い。

 ハラハラと桜が散ってゆく中、桃色よりも緑色の木が目立つようになっても、観光客が居なくなっても、たとえ春がもう過ぎていこうとしていても、青年はそこに立っていた。

 本当に春が終わるまで、青年は彼女らが小さな答えを返してくれると信じていた。どんなに小さくても、いいから。

 そして、全ての桜が散ろうという、張る最後の日だった。

 青年は、その日も丘の前に立つ。向こうから飛んできた桜の花びらが、彼女らの上に乗っていた。

 悲しげに目を細める青年は、一つ、段差を上った。それから、斜面に足をかけて、草を分ける。そして、一番大きな切り株の前まで来て、そこに、腰を下ろした。

 少し高くなって、見晴らしがいい。

 小さくため息をついて、切り株に触る。ざらざらしていた。でも、どこか安心できた。懐かしい感じがして、ため息ではなく息をつく。

 そうして、しばらく座っていた青年は、ふと、上着から写真を取り出した。

 一番最後にとった、彼女らの写真。

 一番美しく、一番輝き、一番大きかった、柔らかな花を称える彼女たち。

 もう一度、もう一度だけ、あの日の春を感じたい。

 写真を持つ手に、小さな力がこもる。

 と、青年の目の前を、白い何かが横切った。ひらり、と、何かが。

 驚いて顔を上げると、また、白い何かが横切る。

 そして、手に、冷たい感触が。


「……」


 春の終わりに、雪が降った。

 桜の花弁と一緒に、雪が降っている。はらはら、ひらひら。雪が。

 冷たい風が首を撫でる。あの日の桜は暖かかった。けれども、この風は、同じようにしながらも冷たい。

 桜じゃ、ないから。

 それでも、桜と同じように、柔らかくひらひらと舞う。風にさらわれて、地面に落ちる。すぐに消えてしまうけれど。


「泣いてないよ」


 花びらのように振る雪が青年の頭や顔に当たって、水に変わる。

 ふわりと自分の前で巻いた風に乗る雪が、頬を撫でた。冷たい。冷たいけれども、嫌いになれない。

 冬なんて早く終われと思っていたのに。

 桜みたいに綺麗で、とても儚い、雪。

 今年は、桜の季節に、雪が降った。

 そして、それは、去年は桜の季節に雪が降った、に変わる。さらに、一昨年は、に変わる。

 それから何度季節が巡っても、青年はずっと待っている。今年は小さな芽が出るだろうか。今年は雪が降るだろうかと。

 彼はずっと、待っている。何年も何年も、ずっとずっと、例えそれが叶わない事でも、桜が咲くのを待っている。
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
※感想を書く場合はログインしてください。
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。