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じゃあ逆に自分以外が異世界トリップしたらどうするんだっていう話

作者:quiet
 11月も下旬になるとこのあたりはずいぶん寒くなってくる。人の少ない今年はなおさらだ。
 手袋をつけてくればよかったな、と少しかじかんで赤くなった指先を胸の前でこすり合わせながら思う。電車を待ちながら周囲に目をめぐらすと、同じく電車を待つ2人のサラリーマンと、待ち人の人数に対してやたらに広大な吹きっさらしのホーム。線路の向こうに見える無人の駅前ロータリー。空を覆う分厚い灰色の雲。余計に寒々とした気持ちになる。
 平日の午前7時半。1年前のこの時間帯なら、50人以上の人が集まりにぎわっていたこの駅も、すっかり寂れてしまった。

 1人、2人と、ある日突然人が消え始めて、神隠しだ、と最初は誰かが騒いでいた。だけれど、その消えてしまった人の数が10人、100人と、どんどん増えていって、残っている人の数の方が少なくなったころには、誰も何も言わなくなってしまった。
 ふと気が付くと、そこにいない。何かのキャッチコピーみたいだけれど、それが一番適当な表現だと思った。毎日のように消えていく人類の、その正確な数は、今はもう誰も知らないだろう。

 プオーー、と警笛を鳴らしながら電車がホームにやってきた。停車位置を大幅にオーバーランして、ゆるやかに止まる。俺の待っていたベンチの前を通りすぎてしまったので、軽く駆けてガラガラの最後尾車両に乗り込む。サラリーマン2人も同じ車両に乗り込んだ。
 そしてまた、プオーーと警笛を鳴らして、電車が発進する。電車が大きく揺れた。
 かつては時間通りに15分に1本は運行していた電車も、今では1時間に1本、気まぐれに来るくらいだ。最近は駅だってみんな(というほど大勢いるわけではないが)自動改札機の横を素通りするし、ほとんど機能しちゃいない。この電車を運転しているのも、たぶん素人だろう。少し前に、誰が運転しているのか気になって、運転席まで行って尋ねたら、「大丈夫そういうゲーム得意だから、俺」という何とも言い難い言葉が返ってきた。今はもう運転している人も入れ替わったみたいだけれど。
 何がどこまでそうなっているのかは知らないが、今この世界はやりたい人がやりたいように、ボランティア精神で動いているものが多い。近いうちに、電車は止まるだろうし、電気だってガスだって水道だって止まるんだろうな、と思う。電車はいつまで乗れるかな。整備不良や運転ミスで死んだりするのはちょっと嫌だ。
 電車は鈍行の名に恥じないのろのろぶりで、プオプオ小刻みに警笛を鳴らしながらゆっくり走る。人身事故を警戒しながら走っているのだろう。今回の運転手はすごく慎重というか心配性というかそんな風に感じる人で、そうだな、この人が消えるまでは乗っていてもいいか、と思った。
 それからきっちり3駅毎回オーバーランして、目的の駅についた。どうもこの人はゆっくり止めようとするあまりずるずる先まで動かしてしまうらしい。

「ありがとうございまーす!」

 電車から降りて、手でメガホンをつくって最前車両に声をかける。運転席の窓から、ひらり、と片手が振られるのが見えた。クールだ。
 踵を返して、ホームを後にする。最後尾の車両には、もう誰も残っていなかった。




 この状況でわざわざ学校に来る俺って、かなり真面目なんじゃないかって思ったりもする。実際のところは、誰も残っていない家がなんだか怖いとか、そのくらいの理由なのだが。
 昇降口で上履きに履き替えて、階段を3階まで上って、階段すぐわきの建てつけの悪いドアをスライドして、2-Dと表札のかかった教室に入ると、8時10分。中にはたったひとりの女子生徒。羽島薫。これを多いと見るか、少ないと見るか。ここ2週間に限って言えば、いつも通りだ。

「はよーっす。神坂さん、今日も来ましたねえ」
「羽島こそ」

 神坂映司。それが俺の名前だ。
 羽島の陣取る、窓際の最前列の席。その後ろに鞄を置いて、羽島のように窓に背中を預けるようにして、座る。

「いやあ、今日こそダメかと思いましたよ。わかります?8時を過ぎたあたりから、とうとう神坂さんもいなくなっちゃったかなー?と心配していた、けなげな私の気持ちが。もっと早く来てくださいよ」
「仕方ないだろ、電車が遅かったんだから」
「電車なんて使ってるからですよう。チャリにしましょう、チャリ!この世紀末都市で信じられるのは己の肉体のみですよ!」

 ハンドルを握るジェスチャーをしながら、羽島は華奢な体格に似合わない発言をする。
 この教室に40人の生徒がいたころ、羽島とは特段仲の良い関係というわけではなかった。それでも、クラスメイトが10人にも満たなくなるころには、自然と話すようになる。5人を切ったころには、毎日話す友人だ。

「そうそう、実はですね。今日はとっておきのものを持ってきたんですよね」
「へえ」

 机の横に引っ掛けたリュックサックから、羽島がごそごそと取り出したのは、ふたつの携帯ゲーム機だった。

「じゃじゃーん!」
「おお、どうしたんだこれ」
「お子さんがいなくなっちゃったらしくて、お隣のおばさんからもらいました!これで夏海さんと私たちとで3人でゲームできますよ!」
「へー」

 胸を張る羽島。夏海純吾は、俺と羽島と合わせて最後に残った3人のクラスメイトのひとりだ。平時からピコピコ学校でゲームをやってるようなやつで、夜遅くまで起きてるから、朝はいつも遅刻ギリギリ。この状況でも遅刻ギリギリには登校するあたり、妙に律儀なところのある変なやつだ。

「いいなこれ。新しいゲーム機ってなんかやたら高いから買いづらくてさ」
「あー、わかります。私も最後にゲームやったのは小学5年生のときかな。神坂さんはいつまでゲームやってました?あ、私がピンクの方でいいですよね」
「うん。俺は中学の頃は結構やってたな。流行ってて。高校上がってからはめっきりやらなくなったけど」

 羽島がピンク色のゲーム機を手に取って、俺は残った黒色のゲーム機を手に取る。消えた子供たちは、男の子と女の子だったのかな、と思った。

「早く来ませんかねー、夏海さん。私、めっちゃ楽しみなんですけど!」
「どうせあと20分は来ないだろ。というか夏海って対戦ゲーム持ってるのか?」
「この間ネットで対戦がどうとかいうゲームやってましたよ。すごいですねー、今のゲームは。インターネットで対戦って」
「ネット対戦は結構前からあったと思うけどな」
「え、そうなんですか?」

 たわいもない話をしながら、夏海が来るのを待つ。初めの頃はみんな時間を持て余したものだが、今ではただ喋っているだけで時間があっという間に過ぎていくようになった。この間も、羽島と夏海と3人で喋っていただけでいつの間にやら日が暮れていたことがあった。夏海は、「学校に来てゲームやらなかった日ははじめてかもしれない」と笑っていた。いったいどんな学校生活を送っていたのか、ちょっと気になった。

 キンコンカン、と8時35分の予鈴が鳴った。しばらくして、白衣を着たスーツ姿の教師がガラリ、と扉を開けて入って来た。

「いるかー?」
「夏海さんがまだ来てませーん」
「いつも通りということだな」

 そう言って頷く彼女は松山先生。かつては優しく明るい新任美人英語教師として生徒から絶大な人気を集めていたが、人が消え始めてから、どんどん化けの皮が剥がれ、気付けばすっぴんで登校し、砕け切った口調で生徒に接する、ベテラン教師の風格溢れる姿になってしまった。
 松山先生は頭をガリガリと掻きながら言う。

「んじゃ、あたしは3年の勉強見るから、お前らは今日も自習な」
「いやっふー」

 羽島がはしゃいで言う。もうこれで1ヶ月連続の自習だが、それでもいまだに嬉しいものは嬉しいらしい。
 松山先生はため息をつく。

「ていうかさあ……。とうとう今日須藤先生も来なくなっちゃったんだけどどう思う?これでもう残ってる教師、あたしひとりなんだけど。あたしは校長か?校長先生か?」
「校長先生頑張ってくださーい」
「尊敬してまーす」

 おう……、と力なく呟くと、松山先生はとぼとぼと寂しげな背中を見せて去っていった。扉の付近で話しかけてきていた松山先生と、教室奥の窓際にふたり陣取ってへらへら手を振る俺たちの構図は、かなり無情感があった。
 3年生は、今でも受験勉強をしている。そんなに本気で取り組んでいるわけでもないみたいだが、なんとなくやらないと不安らしい。たぶん、俺が登校し続けているのと似たようなものだと思う。それに付き合っている松山先生は、まあ、かなり良い人なのだろう。俺は今の先生の方が好きだ。

 そして、本鈴が鳴った。

「あれ?」
「来ないな」

 いつもだったら、夏海は律儀に猛ダッシュして本鈴と同時に教室に駆け込んでくる。しかし今日、その姿はない。
 俺と羽島の間に沈黙が降りる。8時45分、50分。9時になっても、夏海は姿を見せなかった。

「……消えちゃいましたかね」
「どうかな、寝過ごしてるだけかも」

 スマホを取り出して、夏海に電話をかけてみる。聞こえてきたのは、圏外を知らせるメッセージ。

「……羽島って、夏海の家知ってるっけ」
「いえ。神坂さんは知らないんですか?」
「降りる駅は知ってるんだけどな。しまった、確認しときゃよかった」

 もう一度、電話をかけてみるが、結果は同じ。10時になっても、夏海は姿を見せなかった。

「寝過ごしですかね」
「風邪かも」
「あー、季節の変わり目ですからね。夏海さんって生活習慣ガタガタですし」
「電話に出られないくらい弱ってるのかもな」
「うーん、心配ですねー」

 沈黙を埋めるためだけの空疎な会話だった。他のやつらがいなくなったときもこんな会話をしていた。
 会話しながらスマホを手に取って、今度は電話ではなく、メールを打つことにした。今までに5回、それぞれ別のやつに送ったのとまったく同じメール。件名はなし。本文はシンプル。

『いるか?』

 画面を覗き込んだ羽島が言う。

「私、神坂さんのそのメールの文面見るたび、すっごい寂しい気持ちになるんですよねー」
「ん、そうか?」
「まあ、状況のすり込みとかあるんでしょうけど、それ、『いないよ』って初めから返ってきてるみたいで」

 夏海でない誰かが、どこか遠くで夏海の携帯を手に取って、『いないよ』と打ち込む姿を想像した。
 メールは返ってこない。時計の長針は一周した。メールは返ってこない。

「なんか、寒いですね」
「ストーブ、点けるか」

 ふたりでドア側の大きな円柱状の石油ストーブのそばへ移動した。
 ストーブの前に屈み込んで、つまみをスライドさせて、点火する。

「まだ灯油あります?」
「昨日入れたばっかりだから、まあ」

 今度は、ストーブに一番近い席に、隣り合わせで座った。ジジーー、とストーブの動く音だけが、静かに教室を覆った。
 人工的な熱気というのは、かえって天然の冷気よりも閉塞感がある。何かする気にも、何か話す気にもなれなくて、ぼーっと羽島の顔を見ていた。肩のあたりまで伸びた黒い髪、細い顎、かけた髪から覗く白い耳。

「……なんですかね。なんか顔についてますかね」
「目と鼻」
「口はついてますかね」
「ついてない」
「ついてますよ」

 携帯を取り出して、メールの問い合わせをした。新着0件。また制服のポケットにしまった。

「ゲーム、楽しみにしてたんですけどね」

 ぼそり、と羽島が呟いた。

「ソフトはもらってこなかったのか?」
「もらってきたんですけど、家に置いてきちゃいました」
「そうか」

 さっき羽島から渡された黒いゲーム機を手に取った。夏海の持ってたやつは確か白色だったっけ。
 何の気なしに、カチリとスイッチを入れると、テレレレレーンと、ちょっと気の抜ける音が響いた。夏海が普段ゲームをするときはイヤホンをつけていたので、こんな起動音がするんだな、と初めて知った。

「あれ、これソフト入ってるぞ」
「え、マジですか」

 羽島が席を立って、俺の背中に回り込む。俺の肩にやけに温かい手を置くと、後ろから画面を覗き込んできた。その拍子に羽島の髪が俺の耳に当たった。やたらに良い匂いがした。
 起動したゲームは、古典名作RPGのリメイク版。小学生の頃、友達の家でリメイク前のバージョンを少しだけやらせてもらったことがある。

「残念、ひとり用だ」
「やりましょうよ、折角ですし」
「じゃあ交代でやるか。どっちが先やる?」
「お先どうぞ」

 はじめからを選択して、ゲームのOPが始まる。悪い魔王が君臨する世界で、選ばれた勇者はそれを倒すための旅に出るのだ。
 そしてRPGお決まりの、『あなたの名前を入力してください』。迷いなく入力する。ナ、ツ、ミ。

「おお、迷いありませんね」
「ゲームなら最強の勇者だろ」
「でもナツミって苗字ですよ?」
「名前っぽいしいいだろ」

 小さな家で母親に起こされる勇者。人間の王様に言われて、彼は今日この家を発つ。
 なんとなく序盤の流れは覚えている。とりあえず隣の町に移動して、その先の封鎖された洞窟で最初のボスを倒すことになるはずだ。

「勇者ナツミさん、異様に手際いいですね」
「勇者ナツミは夏海純吾の遠い子孫だから、ゲーム内ならほぼ無敵というその才能を受け継いでいるんだ」
「え、なんですかその設定」
「いま考えた」
「だから勇者ナツミって呼ばれてるんですね。代々勇者の家系ですか」

 はあ~、と感心したように羽島は頷いている。
 かなり昔にやったゲームのはずなのに、結構記憶に残っているもので、勇者ナツミはその名に恥じぬてきぱきっぷりで序盤をガンガン攻略している。基本移動手段がダッシュなのも、夏海の遅刻回避ダッシュを思い出させる。

「あっなんかすごい大きいの出てきましたけど、なんですかこれボスですか。早くないですか」
「チュートリアルボスだしいけるいける」

 特に何も考えずに、殴って回復してを繰り返しているだけで何の問題もなく勝利できた。テレリリリーと戦闘勝利の音楽が鳴る。ボスは、『ぐふう……まさか、貴様は、ゆう…しゃ……』と言い残して前のめりに倒れた。背中の羽島は「おおー」と声を上げる。その羽島にゲーム機を手渡す。

「んじゃ、交代」
「ええ……。私、あんなにサクサク進められませんけど。ていうか神坂さんもゲーム上手くないですか?」
「昔ちょっとだけやったんだよこれ。覚えてるのこのへんだけだし、別にそんな気にしなくていいって」
「そうですか。それじゃ遠慮なくやらせてもらいます。あ、セーブ画面出てますけど」
「あ、ここまでノーセーブでやってたのか。セーブしちゃおう、セーブ」

 後ろに立つ羽島と場所を交代する。さすがに肩に手を置いたりはしないが。
 セーブ画面を開くと、既存のデータがひとつだけある。『勇者そうた』と名前がつけられている。前の持ち主だろうな、と思った。

「私知ってますよ。これ上書きセーブするととんでもない大喧嘩になるってやつですよね」
「スロット空いてるんだから新規でセーブしてやれよ……」

 はいはい、と羽島がその下に1個空けてセーブする。『勇者ナツミ』。
 羽島は、本人の言う割に結構ゲームが上手かった。雑魚戦でもアイテムを使ってちゃんとこまめに補充するし、マップは隅々まで探索する。謎解きなんかも少し考えただけで簡単に解いてしまうし、どう見ても俺より上手い。

「羽島上手いじゃん」
「勇者ナツミの力ですね」

 そしてボス戦に突入。2つ目のボスにして状態異常連打という鬼畜な敵だが、回復アイテムを買いだめしていた羽島に死角はない。パーティーで回復役をまわしつつ、あとはタコ殴りだ。

「覚えてますか?夏海さんが言ってたあれ」
「ん?」
「いなくなっちゃった人はどこに行っちゃったんだろー、って話をしてたときの話です」
「ああ」

 確かにそんな話をした記憶がある。あれはまだクラスメイトが10人以上残ってた頃の話だっただろうか。

「夏海がなんか言ってたっけ」
「ファンタジーだったら、異世界に召喚された勇者とかになってるんじゃないかって」
「あー、そんなこと言ってたな」

 普段クールな夏海が、急にそんなことを言うものだから、俺たちは笑ってしまって、そうしたら夏海は顔を真っ赤にして「違う」「俺が考えたんじゃない」「そういうゲームとか小説があるってだけ」とか必死になって弁解していた。そういえば、あれがきっかけで打ち解けたんだっけ。

「どう思います?」
「あいつ結構かわいいとこあるよな」
「いえ神坂さんの性欲の話ではなくて」
「性欲の話ではねえよ」
「勇者の方の話ですよ。召喚されてると思います?」

 羽島は俺に背を向けて、哀れな2面ボスをボコボコ殴り倒しながら言うもんだから、反応に困った。

「……いや、ありえないだろ」
「そんなこと言ったら今の状況だって十分ありえませんよ」
「そりゃ、まあ、そうだけど……」

 テレリリリーと戦闘勝利音が鳴り、2面のボスも倒された。勇者ナツミは、初めてできた仲間たちとその喜びを分かち合っている。

「勇者は、魔王を倒したら帰って来られると思います?」

 羽島の指は、変わらずボタンをカチカチと押し続けているが、声音はそのボタンの鳴る音よりも硬かった。ほとんど読んでいないような速度で、勇者ナツミたちの会話は送られていく。
 何かを俺は言おうとして、声にならずにその何かが胸のうちで溶けてしまうのを感じた。
 時計の針は、もう12時を指していた。

「昼飯にしない?」
「そうしましょうか」




 6時限目が終わるチャイムが鳴るころ、ちょうどいいところまでゲームを進めてセーブして、ストーブを消して教室を後にした。
 羽島が1階の自販機で飲み物を買うのに付き合って、それから昇降口に向かった。ストーブのきいた部屋から出ると、今日の空気は特に冷たい。羽島はホットのココアを買って、俺もついでにホットのコーンスープを買った。
 校舎から出て校門に向かう途中、グラウンド近くのベンチで、雲間から覗く傾きかけた夕日を見ながら黄昏れる松山先生の姿を見かけた。
 俺と羽島は顔を見合わせると、視線だけで意思疎通を果たし、足音を消して松山先生の死角から背後に接近した。そして、羽島が右から、俺が左から、さっき買ったホット缶を松山先生の頬に軽く押しあてた。

「うおわあああッ!!」

 思ったより凄まじい驚き方をされて、かえって俺たちの方が驚いてしまった。

「なんだお前らか……。びっくりさせるなよ、まったく」

 こっちの台詞だよ、と思わないでもなかったが、これは逆ギレに分類されるタイプの台詞だと思ったのでしまっておいた。
 松山先生ははあ、と一息つくと、俺の持つ缶に目を留めた。

「なんだ神坂。いいもん持ってるじゃないか。先生そういう貢物は大歓迎だぞ」
「いや違いますよ。ちょっと、引っ張らないでください。これカツアゲですよカツアゲ」
「へっへっへ。口じゃ何と言ってもこういうのが好きなんだろ?」
「セクハラですよセクハラ!」

 肉体の密着によって力のゆるんだ隙に奪い取られた。この人本当にひどい。改めてそう思った。
 俺から奪い取ったコーンスープをこれ見よがしに一口飲んで所有権を主張したあと、松山先生は気付く。

「あれ、3人目はどうした?」
「夏海さんは今日ちょっと……」
「来てないってか、連絡取れなくて……」
「あー……」

 そうか、と言ってきまり悪そうに頭を掻いた。羽島がすかさず話題を変える。

「松山先生、さっき黄昏れてませんでした?なにかあったんですか?」
「お、なんだ見てたのかあたしの麗しき黄昏れっぷりを。見物料500円だ」
「500円くれるんですか?」
「やりましたね、神坂さん」
「んなわけあるかい」

 松山先生はもう一口コーンスープを飲んだ。そして、アンニュイな表情をつくって言う。

「まあちょっと、考えちまうんだよな」
「晩御飯のメニューをですか?」
「失われていく若さをですか?」
「お前らはあたしをなんだと思ってんだ……」

 俺だけ強めに頭をひっぱたかれた。

「真面目な話だよ。このままどうなるのかって。いま世界に何人残ってるのか知らないけど、1000人近くいたこの高校だって、もう登校してるのは20人もいない。3年以外じゃおまえらだけだ」
「まあ律儀に登校してたのが私たちのクラスだけって話で、もうちょっと残ってる生徒自体はいそうですけどね」
「まあな。だけどそれで単純計算してもだいたい1000人から50人だ。1/20だぞ?」
「総人口、4億人弱くらいにはなってそうですね」
「ああ。そうなるとどうしても考えてしまう。この斜陽のように沈んでいく世界の未来を……」
「神坂さん、なぜ松山先生は急にポエムを?」
「わからない。先生の解説を待とう」
「茶化すなっつの」

 今度は羽島も一緒に軽く頭をはたかれた。でも今のは絶対真面目な話をしてるのが恥ずかしくなって、松山先生がわざとツッコミどころをつくったんだと思う。
 へらへら笑ってる俺と羽島を見て、松山先生が聞く。

「お前らさ、なんで学校来てるんだ?」
「他にやることもないですし」
「家にいてもすることないんで」
「まあ、そうだよな」

 松山先生は、よっこらせ、とベンチに腰を下ろす。

「3年のやつらもそんなもんだ。やることないから学校で勉強してる。でもな、学校っていうのは本来、未来のことを考えて準備する場でもあるんだよ」
「未来ですか」
「そ。あれがしたい、これがしたい、そのためにこれをやって……、って。でも今じゃ、明日の自分がどうなってるかだってわかりゃしない」

 考えちまうんだよなあ、と松山先生はまた頭を掻いた。
 松山先生の背後に見える、夕日の射す薄暗いグラウンド。野球部やサッカー部によって賑わっていたかつての姿は、もうそこにない。松山先生の肩が、やけに小さく見えた。

「ガラじゃねーこと言っちまったな。忘れろ」

 横柄に言って、松山先生はコーンスープを一気に煽って飲み干した。そしてその缶を俺に突き出す。

「ほい」
「……なんすか、これ」
「残った粒はやるよ」
「缶捨てるのめんどくさいだけじゃないですか!自分で捨ててくださいよ!」
「なんだよ、いいだろ。憧れの美人教師と間接チューだぞ~」
「セクハラですよセクハラ!」
「今日は神坂さんの性欲の話がよく出ますねえ」
「お前ら教室でどんな話してんだよ……」
「してませんよ!」

 結局押し付けられた。この人、最近はずっとこんな調子だ。
 ちぇー、と呟きながら羽島といっしょにグラウンドを後にする。途中でガラガラの駐輪場から羽島の自転車を拾って、校門まで進む。

「これからどうなるのか、ですか」
「うん?」
「どうなるんですかね、私たち」
「どうにかなるかもしれないし、どうにもならないかもしれない」
「さらに言うならどうとでもなるかもしれませんね」
「普段の学生生活と同じだな」
「お、いいこと言いますね」
「自分でもちょっとそう思った」

 いいこと言ったついでに、振り返って校門からグラウンド脇の松山先生を見た。俺たちと別れても座り込んだままの先生は、うなだれているように見えた。

「松山せんせーっ!!」

 声を張り上げると、松山先生は顔を上げた。表情は、距離と夕日の逆光で見えない。

「俺、学校好きですよーっ!!」

 松山先生の見えない顔が、笑った気がした。




「今日、うち来ませんか?」
「ぅえ?」

 声が裏返ってしまった俺をいったい誰が責められようか。責めないでほしい。

「すみません、神坂さんの性欲に関する話ではないです」
「それハマってんの?」
「めっちゃハマりました。あと3日は引っ張ります」

 まあ聞いてみればなんのことはない。夏海との連絡不通を踏まえて、お互いの家を知っておこうというだけの話だ。結構際どいラインを突かれつつあるので、3日引っ張るのはやめてほしい。

「私、帰り買い物していくんでついでに晩御飯食べていきません?最近むなしくてむなしくて」
「ああ、いいけど……。って、待てよ。晩飯食ったあと電車動いてんのかな」
「これ私知ってますよ。『終電、逃しちゃった……』ってやつですよね。そうはいきませんよ。そのときはチャリ貸します」
「ああうん。それなら全然オッケー。助かるわ」
「神坂さんの性欲には絶対負けません」
「それやめろや」

 変な空気になる前に。


 駅を少し過ぎたところにあるのが、普段羽島が使っているスーパーらしい。もっとも、食料品を買うような本格的な使い方をし始めたのは、家の中に自分しかいなくなってかららしいが。

「神坂さん普段家でなに食べてます?」
「レトルトとパスタ。あと冷食」
「まーそうなりますよねえ」

 食料品の供給は、結構早い段階で非常食がメインになった。俺の家の近くのスーパーは、レトルト食品や缶詰ばかりが並んでいるし、ここのスーパーも似たようなものだ。

「野菜がどうしても足りなくなっちゃうんですよねえ。何で取ってます?」
「冷食。あとは薬局でビタミン剤買ってる」
「……意外と健康に気を遣ってますね」
「もともとはそんなでもなかったけど、これだけ食べ物の幅が狭まれば嫌でも気にするようになるな」

 じゃあ冷食適当に買っときましょうか、と羽島が冷凍食品をいくつか俺の持つ籠に入れていく。見覚えのあるパッケージばかりだ。
 籠を持ってレジに行くと、誰もいない。見慣れた光景だ。

「ここはですねえ、このベルを鳴らすんですよ」

 カウンターの上にあったハンドベルをカランカラーンと大きく鳴らすと、奥の方からはーい、と声がして、店員がやってきた。いい音だったけど、呼び出しベルってそういう音出すっけ。
 羽島と店員さんが「あれ彼氏?」「全然違います」等の心温まる会話をしている間、ぼーっと店内を眺めていた。
 ここにも人はいない。


 会計を終え、スーパーを出て羽島の自転車の前かごにレジ袋を入れた。羽島の家はここから歩いて5分くらいらしい。日がすっかり落ちたばかりか、再び灰色の雲が空全体をすっぽり覆ってしまっていて、明暗の差で、スーパーに何時間もいたように感じられた。

「寒いですねえ」
「寒いな」

 俺は制服のポケットに手を突っ込みながら、羽島は自転車を押して歩いているから、制服の下に着こんだセーターの袖を伸ばして指を守りながら、言った。

「違いますよ、今のは心の話です」
「嘘だあ」
「嘘ですけど、心が寒いのは本当ですよ」

 住宅街が近付いても、ほとんど明かりは見えない。まだ午後5時を過ぎたくらいだというのに、真夜中のように静かだった。
 チリリリリ、と、羽島が押す自転車の車輪の音が遠く響く。

「みんないなくなっちゃいましたね」
「……そうだな」
「寒く、なりません?」

 ときどき、ふと思うことがある。俺たちは置いていかれたんじゃないかと。いなくなった彼らは、消えてしまったのではなくて、どこか、ここよりずっと良い場所に旅立っていってしまっただけなのではないかと。彼らが神に隠されたなら、隠されなかった俺たちはどうなる? 彼らが選ばれた勇者なら、選ばれなかった俺たちは? 捨てられた冷たい星で、いつか俺はたったひとりで朽ちていくのを待つのか? 70億が4億になるのに6ヶ月。なら、4億がひとりになるまでは?

「私たちだけですよ」
「……」
「もう、私たちだけ、です」

 羽島だって、いつかきっと。

 空を見た。グラウンドに夕焼けを映していた空は、また朝のような分厚い雲に覆われて、月も星も覆い隠している。

「羽島は……」
「はい」
「この世界、嫌いか?」

 灰色の夜空に、吐く息は白い。

「私は……」

 視界の端に、羽島が俯くのが見えた。

「私は……」

 羽島の答えは何で。
 そして俺は何と言ってほしいんだろう。

「あ」
「え?」

 夜空にひとつ、白い粒が光るのが見えた。
 たったひとつの白い粒は、さらにふたつ、みっつと増えていき。
 すぐに数えきれないくらいに、降ってきた。

「雪だ……」
「初雪です……」

 ふと、口元が緩むのを感じた。にやけ面で、11月の降りしきる雪を見ていた。

「神坂さん」
「おう」
「私、好きです。この世界、大好きですよ」
「ああ」

 きっと、俺の世界なんて大したもんじゃない。俺は勇者じゃなくてただの学生で、倒すべき魔王なんてどこにもいなくて、隣にいるのは一緒に戦うパーティーメンバーじゃなくて、ただの友達だ。
 だけど、それでも。


「俺も、大好きだ」


 言った瞬間、ポケットに入れた携帯が鳴った。取り出して見ると、今やほとんど着信のない携帯に、表示された新着メールのアイコン。差出人の名前は。

「夏海!?」
「えっ、ちょ、ちょっと見せてください!」

 慌てた羽島が、自転車を横倒しにして、スマホの画面を覗き込む。件名は『Re:』。本文は。

『悪い。ちょっとごたついててメール返せなかった
 なんか勇者になったとか言われて異世界にいる
 ……俺が言ったんじゃないからな。笑うなよ。笑ってたら次会ったとき殴る
 しばらく連絡取れなくなるけど、心配すんな
 ちゃちゃっと魔王(笑うなよ)倒して帰るから

 待ってろ』

 添付画像に、全然似合わないゴテゴテの鎧を着せられて顔を真っ赤にした夏海と、それを取り囲むファンタジーみたいな恰好の人間、エルフ、獣人、小さな妖精。

 俺は羽島と顔を見合わせた。たっぷり1分はにらめっこして、やがてどちらからともなく、破裂したように大笑いした。

 雪の降る、俺たちの街で、俺たちはいつまでも笑っていた。

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