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長い夜の過ごし方
作:田中太郎


 その日は眠れない夜だった。その日は暑い夜だった
 地獄のソレと間違えてしまう程に蒸し暑い室内で、その熱をどうにか外に押し出そうとクルクル回っている換気扇の音が、今は逆に耳障りで仕方がない。
 最後に確かめた時刻は1時過ぎだったけど、それからもうどれだけの時間が経っただろうか。寝苦しい夜の時間は、まるで俺1人だけが世界から取り残されたみたいに緩やかに進んでいく。
 寝酒に1杯やるのも悪くはないか。あまりアルコールの類には強くないが、それが今の状況ではむしろ有りがたい。
 しかし、灼熱の空気はそれを行動に移す気力すらも奪っていく。動くことも眠ることもできずにただひたすら流れていくだけの時間は、まるで俺を死者のようだと嘲り笑う。
 う゛ーっ、う゛ーっ、う゛ーっ。
 沈んでいく思考の片隅で、この時間にしては随分と珍しい音を耳が拾っていた。携帯のバイブ音だった。

「……うるはい」

 どうせ眠れないのだから変わりはないじゃないか、と外の熱に侵されていない最深奥の一握りの脳髄が、俺に無視を決め込んでしまえと悪魔の囁きを語りかけてくる。
 う゛ーっ、う゛ーっ、う゛ーっ。
 それでも消える事のないノイズが無視する俺を急かしつける。待ち人がいるんだぞ、お前を必要としている誰かが、この電波の先にはいてくれているんだぞ? そんな訴えが、頭の片隅をよぎっていく。

「……うるさい」

 長い時間をかけて半分程度眠った脳は、そんな妄言を思い浮かべて覚醒していく。さっきまで回らなかった呂律も上手い事回ってくれて、覚醒率はざっと考えて80%といった所か。
 30%程覚醒率が上昇した脳は、先ほどまでよりもずっと道徳という言葉が好きらしい。このままだんまりを決め込んで、例えばソイツが俺に嫌われたと思って人生に絶望して、これから誰にも知られる事無く自殺なんてしてしまったらどうするんだ。有り得ない事は判っていたけど、何はともあれ仮定の話だ。
 それでも未だに眠気を重視する劣勢の20%は出るなと訴えかける。OK、あと5コールして切れなかったら出てやろう。普通の人間ならこの時間に電話をかけて今まで出てないのだから、いい加減眠っているのだと気付いてくれても良い筈だ。俺は、神にも祈る気持ちで寝返りを1つうった。
 う゛ーっ、う゛ーっ、う゛ーっ。う゛ーっ、う゛。

「はいはい! 田中は今現在夢の世界をさまよっています! もしも田中を夢の世界から引きずり出したいのなら、現金5万円か、両手いっぱいの500ml缶ビールと、適当なつまみを持ってきて再びおかけください!! ぐっどないといいよるを!」

 一気にまくし立てて、その後いやに冷静にピッ、と会話終了のボタンを押してやった。
 覚醒率はいよいよ100%に達してしまい、こうなってしまえば幸せな睡眠なんていう理想からはさっさと頭を切り離して、この退屈で長い夜の過ごし方を考えることにしよう。

「……酒、買い溜めとくんだった」

 はぁっ、とため息を吐いた。半分眠っていたさっきまでの頭では気が付かなかったけれど、そういえば昨日の家庭内宴会で飲める酒は全て飲んでいたのだった。
 まぁ今更睡眠になんの未練も無いのだから、そんな事よりこれから先の永遠とも思える1夜の過ごし方を考える事にしようじゃないか。幸い明日は日曜日、昼間幾ら寝た所で自分に害が及ぶことは無いのだ。
 夜食はよろしくない。深夜に食う飯は本来よりもずっとカロリーを摂取する物だと聞いた事がある。深夜のテレビなんて物は面白くもなんともない。ガラクタの中に、稀に宝石が紛れていることもあるが、それはそう簡単に見つかってくれる物でもない。
 状況確認。うちに有るのは空の冷蔵庫と、相手のいないトランプと、半分へこんだ中に爆破物の1つでも入ってそうなぼろっちぃテレビと、いい加減違和感すら感じなくなったクルクル回る換気扇だけだ。
 考え込むこと約5分。うちに有る娯楽器具の予想外の少なさから挫けた心は、1人スピードなんていうやったらもう2度と今の場所に戻ってこれないような、実に心をうつゲームをやろうとして、次の瞬間再び携帯のバイブ音が響いた。
 う゛ーっ、う゛ーっ、う゛ーっ
 先ほどのようにしつこく自己主張する事はなく、それはほんの10秒程度で止まった。バイブ音の短さから今のがメールの受信音だと気が付いて、はてさてこんな時間にメールをくれやがった常識外れのキチ外さんはどなたであろうと携帯のディスプレイを開いた。

   From:遠藤

    隊長!夢の世界から現実世界への片道切符を購入してきましたぜ!!
    私メリーさん。500mlの麦酒と、死ぬほど生臭いイカゲソを持って今あなたの部屋の前にいるの。

 死ぬ程電波な文章を見つけて、それから畳み掛けるようにぴんぽーん、というインターホン独特の間の抜けたチャイムの音が鳴り響いた。

「……いやまぁ、確かに今日は日曜日なわけだけどさぁ」

 せめて、アポ位は取っておけよ遠藤。




「遅い! 遅すぎる! 君の上官はいつも言ってなかったかね!? 何時、如何なるときであろうと警戒をとく事なく、常に敵の攻撃に目を光らせおけと、あの方は仰っていなかったのか!?」

「うっさい近所迷惑だ。それと、俺は生まれてこの方上官なんて物を持ったことが無いし、そもそも今は戦時中じゃねぇ」

 俺の暴言に屈する事無く、はっはっはと実に気分良く笑う遠藤。まるで自分の拳すら入れることができそうな位に大きく開いた口からは、婦女の嗜みという奴は影すら見えてくれなかった。

「今日は乗り悪いっすよ田中さん? 今のところはそのまま流れに乗っかって、私たちの記憶の果てに消えていった上官”ジョン=コナン”に再びあの日の誓いをたてるべきポイントだった筈っすよ!!」

 死ぬほど元気な奴だ。まぁ元気なのは実によろしい事ではあるのだけど、せめて周りの住民の方々からの苦情を受け取らない位には落ち着いてほしい。
 そんな俺の考えを無視して、彼女は明後日の方向に大気が震えんばかりの咆哮をあげていく。実に楽しげに笑っているのは本当に良い事なのだけど、いい加減殴ってでもとめる事にしようか。

「今日はってもな、今日はまだ始まってからほんの2時間程度しか経ってないんだぜ? それで今日1日の俺のテンションを決定するのはどうかと思うんだ」

 にやりと笑って流し目を1つ。普段の俺から考えれば実に気持ちの悪い行動だが、今の彼女の暴走を止める術は、詰まる所俺が適当なところで便乗してやるという1手しかないのだった。
 しかしそれは実に強い効果を持っていたらしい。遠藤は、まるで近所のお兄さんに憧れてその動作を真似する小学生みたいな、非常にぎこちないふてぶてしい笑みを浮かべてコチラを睨み返してくる。

「という事は、これから田中さんは右肩上がりにテンションが上がっていくという事ですね!! 所望する! 我は所望する! その右肩上がりは、是非限りなく90度に近い物であるべきだと!!」

 さーて問題はこれからだ。俺は、元来遠藤と2人で向かい合って話せる程愉快な人間でもないし、甘酸っぱい青春の香りが迸る恋バナを肴に1杯やるにしても、俺と遠藤には性別という生涯越える事の叶わない大きな障害が立ち塞がっているのだった。決して、ダジャレではないのである。
 状況確認。目の前には『外面だけ』という実に限定された状況下に置いては普通の婦女子と変わりは無い大学の後輩の遠藤がいる。髪はうっすらと湿っていて、普段は感じない色っぽさを醸し出している彼女は、目の辺りに親指程度の黒い線さえ引かれていれば、この場で押し倒しかねない状況である。
 状況確認。目の前には『内面だけ』という実に妥当な状況に置いては同姓の学友以上に絡みのだるい大学の後輩の遠藤がいる。額はうっすらと湿っていて、普段は感じない焦りを醸し出している彼女は、目の辺りに親指程度の黒い線さえ引かれていても、まさか性欲の矛先には到底向かい得ない人物だった。
 状況確認、結果。女という事をなるべく意識せずに気軽に話せば良い。話の方向性としてはなるべく下ネタを織り交ぜて、自主的に彼女に帰らせるのがベストに違いない。

「取り合えず、こんな夜中に女が男の1人暮らしの部屋に来たって事は、それ相応の覚悟があると見て良いべきなんだよな?」

 500mlの缶ビールを一気に飲み干して、少しばかり赤くなった顔を隠しもしないで、なるべく真剣な目をして遠藤と見詰め合う。これで逃げてくれれば、俺は大量の食料と酒を手に入れて、1人で寂しくチビチビと酒をすすれるのだが。
 しかし相手も然る者である。実に参ったことであるが、遠藤は動じる事なんて一切無く 「なーに言ってんすか? 私と田中さんはずっと前から性別なんて物を超越した友人。詰まる所、戦友じゃないですか!!」 なんて言葉をまきちらかしながら、ニカリと白い歯を光らせて俺の背中を叩き折ろうとばかりにバシバシと叩いてくる。背筋に走る痛みが稀に殺意を感じる物になっているのは、遠藤が俺に対して異性としての感覚を未だ持っていてくれているという事だと前向きに判断したい。
 そのままの勢いで遠藤は500mlの缶ビールを一気飲みする。続いて2本目、3本目と手を出していって、ようやくそれは危ない事なのだと気付いた俺が酒に伸ばした手を止める頃には、えらくすわった目をして瞳をうるましている、普段よりもずっと幼い遠藤がそこにはいた。

「……さっき言った言葉、田中さんは本当なんっすか?」

 水を打ったように静かな口調で喋る遠藤の横顔を見て、一瞬心臓がドクンと跳ね上がった。
 バカヤメロ、落ち着いて考えろ。こいつはただの女じゃねぇ、ファンキーでモンキーなベイビーが一般的なホモサピエンスの皮を被って、そういえば俺も一応雌なんだから、口調位は雄でも雌でも大差ないような適当なのにしておこう、なんて考えるようなあの人外の遠藤なんだぞ!?
 それでもアルコールによって僅かばかり蒸気した頬は普段の彼女とは別の雰囲気を醸し出す。これは良いのか? 良いんだな!? 今から俺は、雄になっちゃって良いんだよな!?

「……田中さんもやっぱり、他の奴と同じように異性の友人になんかはなってくれないんですね」

 ――その言葉は、今まで聞いた事のない声質の物だった。
 深い憂いを含んだ声だった。僅かばかりの期待を潜ませているように聞こえる声だった。その人生の半ばを終えた老人が語るかのような、強い諦めに満ちた声だった。
 静まる心臓と下半身。さっきまでの喧騒はそのなりを潜め、今ではクルクル回る換気扇の音ですら耳につく。
 もしかして、俺は地雷を踏んだのだろうか。
 脳裏を掠めるその一言を自覚する前に響いたのは泣き声だった。遠藤が泣いている。あの勤めて気丈であろうとしていた遠藤が、何か別の物へと変わっていく。
 ――――コイツハ、ホントウニエンドウカ――――?

「田中さんもやっぱり下半身と脳髄が直結してるケダモノの雄なんっすね!! へっへーん、でも残念でした〜。私はもう生理も来ないような干上がった老婆のようなダメ女なのでしたー!!」

 さっきまで聞こえていたと思っていた泣き声は、どうにも鼻水をすする音を勘違いしただけらしい。手を伸ばせば届くような距離にあるティッシュの箱を 「体動かすの面倒っすから取ってくらはい」 なんて戯言を吐いているのがなによりもの証拠だ。
 ――――彼女は俺がそう思うと本気で信じているのだろう。彼女が3度目の言葉を発する前に見せたしまった、という表情を俺が見逃して、鼻水を拭いているようにみして涙を拭いているその姿を、そんな不器用な嘘を本当に隠し通せていると思っているのだろうか。

「ばーか、酒の入りすぎだよ。俺とお前はお前の言うところの戦友だぜ? 友達をそんな相手の対象としてみるようアホなんて、いると思ってんのか?」

 つとめて普通に出した声は、しかしこれから死ぬのではないだろうかと言う程に掠れた声になっていた。もっとも、既に4本目の酒に手を出して酔いつぶれている遠藤に、その事が判るのかと言えば疑問符が沸いてくるわけだが。
 遠藤はその言葉を聴いて驚いたように一瞬表情を曇らした後、その雲が晴れたかのようにニパッ、と笑った。彼女がなんであんな事を言ったのかは判らないけど、まぁそれも今は良いだろう
 宵は未だ深みを増していくばかりで明けていくような様子は見えてこない。朝日を迎えるまでの永遠とも思えた期限が、今では実に近い物に思える。
 されども後4時間は時間があると見ていいのだ。ならこの長い夜の過ごし方を、1人の友達を親友にまで繰上げをするのに使ってしまっても良いのではないのだろうか。

「さーて、それじゃぁ面白おかしくとっちめていくとしますかぁ!」

 勢いを付ける為に大ジョッキを台所から取り出して、それの中に2本のビールをぶち込んで一気に飲む。頭はふらふらして足取りすらおぼつか無いよっぱらいの逝かれた思考の中で、それでも今するべきことははっきりしていて気持ちが良かった。
 クルクル回り続ける換気扇は、深い夜に似つかわしくない2人の騒がしい叫び声に解けていくのだった。


 以前自分の筆力を上げるためにお題を借りてきて作ってみた作品です。
 色々と書きたい事があったのですか、短編としてやるにはこれ位が丁度良いかと思って省略させて頂きました。
 続編書こうかなぁ……













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