東北の冬は雪が深い。
三月になっても雪は消えない。今年は暖冬だから随分少ないが、それでも山すそに近い部落は、道路の両脇に除雪車に払われた雪が一メートルくらいこんもりしている。
久遠はまだ布団の中にいる。春になったらピカピカの一年生だ。
赤いランドセルはおばあちゃんが買ってくれた。久遠は小学校に行くのが楽しみで仕方がない。今日は日曜日だから幼稚園はお休みだ。
「くーちゃん、早咲きさんが咲いてるぞ。婆ちゃんといがねっか?」
おばあちゃんの声に、久遠は布団から飛び出した。
「ほら、皆でご飯、食べるべし」
お母さんが着替えを手伝ってくれた。
「まだ寒いから下ズボンはかないとダメだよ」
「うん」
少し重たいまぶたをこすりながら、久遠は膝をついたお母さんの肩に両手でしっかりつかまって、赤い下ズボンに片足づつ入れていく。
温風ヒーターが、ごうんごうんと唸っている部屋はあたたかく、大きめの家具調コタツにお父さんとおじいちゃん、おばあちゃんが座ってほやほやと味噌汁の湯気の立つ朝ごはんを食べていた。
皆が口々におはようと朝の挨拶をし、久遠はお母さんとおばあちゃんの間にちょこんと座る。お母さんが納豆をかけてご飯をまぜてくれた。
「いっぱい食べて おがらねばなあ(大きくならないとなあ)」
おじいちゃんがニコニコしながら言った。
「うん。一年生だから」
久遠はご飯をかきこんだ。
「食べたらあったげ格好して行くよ」
おばあちゃんもニコニコして言った。
朝ごはんを食べおわった久遠は、フードのついた黄色いジャンパーと赤いスノーブーツをはいて、玄関からぴゅうっと飛び出した。
おばあちゃんが犬のサムを車に乗せて待ってるところへ駆けて行く。
助手席に乗り込んで、フロントガラス越しに外を見つめた。
今日はお天気がよく、おひさまを浴びた残雪がキラキラしている。
アー、アーと声がして、青い空に真っ白な白鳥が数羽飛んで行くのが見える。
おばあちゃんと一緒に近くの姫子山に向かう。
山といっても車で15分くらいの所にあり、頂上のすぐ手前まで車で登れる。
数軒の小さいバンガローや、アスレチックの遊具がある。さすがに二月中は雪に阻まれ、上まで行くことはできない。春彼岸の今頃になって、やっとこさ車で進めるといった具合だ。
犬の散歩にもちょうどよく、見晴らしもいい。広くて大きな川がゆったりと、ざざあざざあと流れ、春は川沿いの桜並木がよく見えて観光客がいっぱい来る所だ。だいたい四月の末前後に見頃を迎える。川風が冷たいので、街中よりは遅れて咲く。
てっぺんにはちょうどこの桜並木を見守るかのように、白い大きな平和観音がたっている。
久遠はおばあちゃんに連れられて遊びにくるときは、必ず手を合わせるように教えられている。
駐車場につくと、久遠は車から降りて元気いっぱいにサムと圧雪された道を歩いた。
お日様が照って少し暑いくらいだ。青空を駆ける風が気持ちいい。
「ほら、早咲きさんだよ」
おばあちゃんが指をさしたところには、一本の細い桜の木が数輪の可憐な花を咲かせていた。
なぜか毎年この木だけは一ヶ月も早く花が咲く。
久遠は三歳のときから毎年おばあちゃんと早咲きさんに会いに来る。
早咲きの桜は、青空と遠くに見える雪山を背に気持ちよさそうだった。
久遠は大喜びで、転がるようにミニチュアダックスのサムと走り出し、桜の木に抱きついた。いつの頃からか毎年そうしている。
桜の木の表面はザラザラとしていたが暖かかった。
ふわあんとした土とホコリが混じった木の匂いを吸い込みながら、久遠はこつんとおでこをつけて目を閉じる。
「桜さん、今年はいつ咲くの?」
そう言ってしばらくじっとしている。ふわっと暖かい、小さな風が吹いた。
『こんにちわ、久遠』
おかっぱあたまで桃色の着物を着た女の子が現れた。
「こんにちわっ」
久遠は嬉しそうに顔をあげる。二人で顔を見合わせて、ふふぅと笑う。
それから二人と一匹は楽しそうに走り回り、残雪で雪うさぎを作ったり、雪合戦をしたり、きゃっきゃっと声をはずませる。
おひさまも雪もキラキラと見守っている。
久遠は枯れ枝で、ほくっほくっと雪に字を書き始めた。
「く、お、ん……一年生になるからね。ちゃんと名前書くの」
『はあ、そっかあ、一年生かあ。いいなあ』
女の子はふわふわ笑った。
「今年はいつ咲く?並木の桜」
久遠がサムを撫でながら女の子にたずねた。
『今年はあったげ冬だったから早いよ。二十日には満開だべなあ』
「ふーん、そっか」
『風が強い日が多そうだから早く見に来てね。待ってっから』
女の子はぴょん、ぴょん跳びはねながら言う。
『だども、並木の桜はダイブおじいちゃんだから元気ないんだあ』
女の子は少し寂しげな顔で言った。
並木の桜は樹齢七十年を迎えようとしていた。桜の木では長寿である。
『ああ、もう行がねばなんね。またね、久遠。今年も会えて楽しかった』
女の子はひらひら手を振って山に帰っていった。
「ばいばい。ありがとう〜!」
久遠は手を振った。
久遠はもう一度小さな腕を桜の木に回し、おでこと赤いふっくらしたほっぺをくっつけた。
「観音様あ、山の桜も並木の桜も元気になりますように」
目をつぶって一生懸命お祈りをする。
サムがわんわんと吼えた。
「そろそろ行くよ〜!」
おばあちゃんの大きな声がする。久遠はサムと走り降りた。
「今年も会えたかい?」
おばあちゃんは久遠のほっぺたについた木の皮を指で払いながら聞いた。
「うん。二十日に満開だって」
久遠はバンザイしてお腹とシャツの出たズボンをなおしてもらいながら言った。
「そう。じゃあ、少し早めのお花見だねえ」
おばあちゃんは並木を見つめながらつぶやいた。
風がさあっと吹いて、数輪の桜はほろん、ほろんと散ってしまった。
「あら、間に合っていがったなあ。桜童もクーちゃんが来るの待っててけだんだね」
そういって優しく笑いながら、久遠とサムを助手席に乗せ、おばあちゃんは車のエンジンをかけた。
おばあちゃんは早咲きさんの根本に、お菓子や子供の好きそうなジュースをお供えしていた。
「また、遊ぶべしなあ。おらは年とってしまったども、久遠がわがるみたいで……、いがったなあ」
おばあちゃんは小さく手を合わせて、そっとつぶやいた。
「おばあちゃんはあの子、知ってるの?」
車の中で久遠がふいにおばあちゃんにたずねた。
「おばあちゃんのおばあちゃんが、最初にあの子を教えでけだの」
おばあちゃんが運転しながらゆっくり話しはじめる。
「むがしむがしね、このへんの田んぼも畑もからからにかわいてしまって、なんにも食うものねぐなったどきに、いっぱいわらしゃんど(子供達)も死んでなあ……、みんなして泣きながら桜の木の下にうめでやったんだど」
久遠はじっとおばあちゃんを見つめる。
「おばあちゃんもなあ、小さい頃は一緒に遊んでらったの。でもどういうわけだが自分の子供をさずかったら、ばあちゃんにはもう見えなぐなった。んでも、毎年、腹へってだらむじぇなと思って(かわいそうに思って)こうしてお供えに来てるんだよ」
「ふうん。そっかあ」
久遠は遠ざかっていく早咲きの桜の木を車の窓からじっと見つめて小さく手を振る。
「また、来年ね」
久遠は小さくつぶやいた。青空にむかって風がどどうっと飛んでいく。
東北の春は、今年は少し早くやってきそうだ。
END
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