皇帝攻勢
独自設定・解釈あり。
お待たせしました!
「できる限りのことはした」
フランス陸軍の総司令官であるウェイガン大将は執務室にて、8月最後のパリの夕陽を見ながら、椅子に深く座っていた。
間近にまで迫ったドイツ軍の攻勢。
おそらく近日中に開始されるだろう、それは2方面で行われることが確定している。
まさかドイツ軍が海を渡ってくるなどとは当初は信じられなかったが、港湾に搬入される物資や集結する船舶、兵力などは如実にそうであることを示し、数日前にはそれらの大船団が護衛艦隊とともに揃って出港したとのことだ。
戦前より、フランス軍には沿岸部の備えというものが無論にある。
仮想敵国にはドイツはもちろんのこと、イギリスも含まれていたが為に。
それに基づいて沿岸部に要塞やら陣地やらは築かれていたが、ここにきてそれが役に立つ形となった。
空爆でかなり叩かれてはいるが、末端はともかく、主要な陣地や要塞を潰すまでには至っていない。
いくらドイツ軍といえど、どうやら主要な陣地や要塞の正確な位置まで掴んでいるわけではないらしく、空爆自体は海岸から数㎞程内陸部に限定されていた。
「水際で上陸を防ぐのは極めて困難、か」
戦前のイギリスに対する沿岸防衛に対して出された結論はそれだ。
イギリス海軍はフランス海軍に対して数的・質的に優位であると評価されており、それにより、もっとも有効とされる水際での敵上陸部隊に対する迎撃は敵の艦船による砲撃で困難とされていた。
何よりもイギリス軍が上陸してくるような事態ではすでにフランス海軍が壊滅している可能性は非常に高く、そうなっていればイギリス海軍を阻むものはない。
ましてや今回はイギリス海軍に加え、ドイツ・イタリア・日本・ロシアのフランス以外の列強諸国の海軍を敵に回して戦うことになる。
フランス海軍が勝利できる可能性は皆無に等しく、上陸阻止はまず不可能とフランス陸軍は早々に結論を出していた。
とはいえ、フランス軍にとって幸運なことが一つだけあった。
それは上陸地点の絞り込みだ。
カレーやダンケルクといったイギリスに程近い場所は要塞化されていることは敵も百も承知。
ならばこそ、それらは候補から外れる。
それに加え、ドイツ・イギリス空軍が戦闘機の護衛付きで航空支援を行えるギリギリの場所というのはかなり制限される。
確かに増槽で航続距離を伸ばすことはできるが、パイロットの疲労や戦闘における燃料消費といった要素を考えれば、そこまで遠い地点ではない。
空母がいれば別であるが、幸いにも空母はいたとしても小型のものであり、大勢に影響を及ぼすほどの数ではない。
無論、大軍を揚陸できる広い海岸という大前提も必要だ。
当然ながらドイツ軍のフランス侵攻に備え、旧ベルギー国境から南へ国境沿いにフランス軍が展開している。
これらの部隊が即応できないように、国境地帯からもそれなりに距離がある場所であることが重要だ。
逆にあまりにも国境地帯から遠すぎれば、ドイツ本国から来るドイツ軍との合流が遅れ、上陸部隊は多くの消耗を強いられることから、そこまで遠すぎる地点も候補から外れる。
こういったことからフランス軍はノルマンディーの海岸がもっとも可能性が高いと導き出していた。
ゆえに、ドイツ軍をはじめとした敵軍に気取られないよう、フランス軍は少しずつ部隊をノルマンディー方面へと数か月前から集結させていた。
無論、多数の部隊が集結していることが分からないよう、偽装と欺瞞を入念に施しているが、バレているかどうかは蓋を開けてみなければ分からない。
ウェイガンは無論のことだが、政府も講和の前に最後の勝利を得たいという思いがある。
講和交渉を有利に進めるため……というのが理由だが、実際のところ、各軍の一部の軍人や民間の過激な連中を抑えるためだ。
まだ負けていない、フランスは戦えると彼らは信じており、その思考を支配しているのは理性ではなく感情だ。
そんな連中をどうにかするには無理矢理納得させるしかない。
軍で抑えればよいのだが、こういった過激な連中は得てして口が上手く、また非常にしぶとい。
下手にやればそれこそ泥沼になる。
共和政は倒れるとはいえ、フランスという国家そのものまで倒れる必要はまったくない。
ならばこそ、過激な連中には過激に抵抗してもらって、ドイツ軍に処理してもらったほうが後腐れもない。
「海軍も空軍も良くも悪くも、最後の戦いになるだろうな」
陸軍はドイツ陸軍の大包囲からのドイツ空軍のしつこい追撃から何とか逃れてきた部隊を中心に元々の本土防衛部隊を組み合わせて補充及び再編成を終えており、どうにか正面兵力――見かけ上の数はドイツ軍と同じかやや劣る程度にまで揃えた。
装備もできる限りのものを揃えていたが、いかんせん練度が不安の種だった。
カチカチ、と時計の音が室内に響く。
日付が変わるまであと僅か、8月の最後の瞬間であった。
しかし、そんな感傷に浸っている輩はこの部屋にはいない。
誰も彼もが固唾を飲んで、今回の作戦――皇帝攻勢の総司令官であるカール・ルドルフ・ゲルト・フォン・ルントシュテットへと視線を送っているだけだ。
そのカールは静かに目を閉じ、その時を待っていた。
「9月1日0時ちょうどです」
参謀長がそう告げたと同時に、カールは目を開き、告げる。
「全軍に作戦開始を通達。決着をつけるとしよう」
その指示に弾かれたように各員が動き始める。
「激励などはされますか?」
そう問いかける参謀長にカールは暫し考え、告げる。
「国の為、故郷の為、家族の為、恋人の為、全ての将兵は義務を果たし、生きて帰還せよ」
「以上です」
作戦開始の報と共に士官がカールの発した激励文を持ってきた。
報告を持ってきた士官にヴェルナーはご苦労と言って下がらせる。
「うまいことを言うじゃないか、君の兄上も」
そう言うのは対面のソファに座るヒトラーだった。
歴史的瞬間だから、と押しかけてきたのは日付が変わる30分前のことだ。
「死ぬ覚悟よりも生きる覚悟はよほどに難しい。それが戦場であるならば猶更だ」
「道理だ。政治家としても、個人としても、1人でも多くの兵士が無事に故郷に戻ることを祈ろう」
「戦後は万全だな?」
ヴェルナーの問いにヒトラーは無論だ、と頷く。
「できる限りのことはした。あとは祈ることしかできんよ。しかし、真夜中に作戦開始とはな。戦闘なんぞできないんじゃないか?」
「夜間空襲だ。それと一足先に上陸地点に到着した艦隊による艦砲射撃。上陸地点周辺の海域封鎖などなどやることはわりとある」
「封鎖はともかく、夜間空襲も夜間の艦砲射撃も弾の無駄だろう?」
「敵に精神的な圧迫を加える。昼も怖いが、夜はもっと怖いぞ。何が何だか分からないらしいからな」
なるほど、とヒトラーは納得する。
敵を少しでも消耗させれば、それはこちらの兵士の犠牲が減ることに繋がる。
「それで、本当に歴史的瞬間を迎えるためだけに来たのか?」
ヴェルナーの問いに、ヒトラーは笑みを浮かべた。
それでヴェルナーは直感する。
ろくでもないことを持ってきた、と。
「実はインドシナがきな臭い」
「……フランスが独立派を焚き付けているのか?」
「その通りだ。ちなみにイギリスも一枚噛んでいるらしい。こっちの足を引っ張りたくてしょうがないようだ」
ヴェルナーは深く溜息を吐いた。
「もともと現地にはグエン・アイ・クォックを中心とした比較的穏健な独立派が存在した。フランスとイギリスはその独立派の中でも過激な若者たちを焚き付けているらしい」
そこまで言って、ヒトラーは口を閉じた。
ヴェルナーは軽く溜息を吐いた。
ベトナム戦争は絶対に回避しなければならない――
史実の米軍とは状況が違う。
最初から地上軍を大量に投入できるだろうし、いくらフランスとイギリスが支援しているとはいえ、あまりにも本国と離れすぎている。
ならば物量で潰せるだろうが、その後の統治や費用などを考えればそんなことはやりたくもない。
「武力でどうにかすることは絶対に反対だ。むしろ、そのリーダーたるグエンには我々が独立を支援することを約束し、我々にとって有利な協定なり条約なりを結ばせた方が良い。世論が何と言おうと、これ以上の戦争は絶対に反対だ」
「そう言ってくれると思っていた。疑問を呈する輩はどうする?」
「私が直接動こう。無論、仲の良い記者連中にも記事を書いてもらい、世論をうまいこと誘導する」
そうヴェルナーは答えながら、ヒトラーが絶対に自分は反対すると確信してこの話題を持ってきたのだと思う。
つまるところ、政府でももう戦争はしたくない、とそういうわけだ。
「実際のところ、どういう理由で反対する?」
「単純に地形や現地住民だ。インドシナはジャングルが多い。我々の軍は平原や砂漠などの何もないところでの真正面の殴り合いが得意だ。ジャングルに紛れて、現地住民の協力も得られるゲリラと戦うにはそれこそ、ジャングルそのものを焼き尽くさねば無理だろう」
なるほど、とヒトラーは納得する。
「……まあ、そういうときのために作ってはいるんだがな」
もともと空軍においてバンカーバスターなどと並行して、地雷原の処理をはじめとした広範囲制圧用の、いわゆる史実でいうところのデイジーカッターなどが開発・試験段階にある。
やろうと思えばそれこそデイジーカッターの大量投下でジャングルを破壊しながら地上部隊を進軍させることも可能といえば可能だ。
予算が豊富にあるという条件下であれば。
「それをやる必要はない。できることはやったといったが、実はやっていないことがもう一つある。それをやるには君の協力が必要だ」
「何をするつもりだ?」
問いに、ヒトラーはほくそ笑んだ。
そして、彼は非常にわざとらしく出されていた緑茶を飲んだ。
「もったいぶって、いったい何を隠している?」
ヴェルナーが問い詰めると、ヒトラーは告げる。
「1916年のベルリンオリンピックは盛り上がったな」
それだけでヴェルナーには容易に察しがついた。
失業者対策をそこに当てはめると、ヒトラーの狙っているものの答えは出る。
「1936年にベルリンでオリンピック、ついでにオリンピックのためにと大義名分をつかって、老朽化した上下水道菅やら道路やら橋やらの整備が狙いか? 他国にみすぼらしいところは見せられない、ドイツ全土のインフラを最低限、見れる程度には整えるとか何とか……」
「正解だ。オリンピックで熱狂させて、その隙に抜け目なく失業者対策、景気対策としての公共事業を行う。オリンピックにのみ必要な設備や施設は既存のものを改修し、とにかく使いまわす。どうしても無理なもののみ、建設及び維持の費用を考慮して建設する形になる」
有能だな、とヴェルナーは改めて思う。
「無論、空港や港湾もその中の整備対象に入る」
「喜んで協力しよう」
ヴェルナーからすれば協力しない理由がない。
「そういえば面白い話が一つあるぞ」
ヒトラーの言葉にヴェルナーは首を傾げる。
そんな彼にヒトラーは告げる。
「日本のことなのだがな。レーダーとかの開発で八木博士という人物がいるだろう?」
「いるな。彼をはじめとした日本人は私が引き抜いた」
「日本側はそれに驚いてな。表面的にはまだ動きはないが、裏では人材流出を防ぐためにあれこれやるべく動いているらしい。無論、同時に防諜関連の法律なども、抜け穴もないくらいに作っているそうだ」
ヒトラーはそこで一拍の間をおいて、告げる。
「彼らの歴史を私は勉強したのだが、彼らは優秀だ。おそらくアジアでマトモに我々とやりあえるのは彼らくらいしかいないのではないか、と思える……君の親日もそれを見据えてのことか?」
「損得もあるが、単純に東洋の国、それも2000年以上、皇室が続いている。こんな国は世界のどこにもないだろう。彼らを敵に回したらおそろしいぞ」
実のところ、伝説上ではエチオピアの方が長かったりするが、さすがにヴェルナーもヒトラーもそこまでは知らなかった。
ヒトラーは納得し、ヴェルナーの言葉の裏を読む。
「味方にすればこれほど頼もしい存在もいない。おまけに彼らからすれば地球の裏側に等しいドイツにまで援軍を派遣してくれる、ということだな?」
「そういうことだ。国家間に友情は存在しないとはよく言うが、日本に関しては誠実に接してやれば向こうも誠実に返してくれるだろう。同じ島国でも、どこかの性悪とは大違いだ」
ヴェルナーの言葉に、ヒトラーは盛大に笑う。
「あの国もあの国で強かだ。外交では勝てん」
「どの国も我々よりも強い部分がある。慢心せずに全力で相手をしてやらねばな」
「ああ、もちろんだとも。そういえば来年のアメリカの大統領選だが、君の友人のルーズベルト氏が出るそうだな。私に紹介をしてほしい」
「構わないさ。仲良くやってくれ。アメリカも我々の同盟に加わってほしいものだ」
ヒトラーは頷きながら、言葉を紡ぐ。
「アメリカではないが、戦後におそらくいくつかの国々と同盟を結ぶ可能性はある」
「うまくやってくれ。他の軍はどうか知らないが、少なくとも空軍は要請があれば同盟国に顧問団の派遣や航空機を売却することに関しては応じるだろう」
頼む、とヒトラーは告げ、壁にかかった時計を見る。
「で、上陸作戦や空挺強襲とかそういうのは何時なんだ?」
「夜明けと同時に全戦線で始まる。あと数時間だ」
ドイツ軍は9月1日0時になったと同時に命令が下り、予定通りに行動を開始していた。
陸上側から攻め入る西方装甲軍集団などのいくつかの軍集団はその配下に収めた全ての砲兵がフランス国境、あるいはフランスの占領下にある旧ベルギー国境、旧ルクセンブルク国境地帯へ準備砲撃を開始している。
また同時に、砲兵の有効射程範囲から外れる場所に対しては空軍による夜間空襲が実施されつつあった。
無論これらは夜間だけでなく、地上部隊が進軍を開始するその直前まで反復して何度も実施される。
同様に、ノルマンディーではドイツ海軍による艦砲射撃とイギリス空軍による夜間空襲が実施されつつあった。
何よりも凄まじいのは砲兵の密度であり、現地に観戦武官として派遣されていた各国の士官達が唖然とするほどのものであった。
ヴェルナーが提唱した全戦線・全縦深における同時飽和攻撃。
これは作戦の準備段階であり、その狙いは敵軍を全域に渡って一時的に機能不全に陥らせることであった。
「これは想定していた以上だ」
そう言って、ウェイガン大将は思わず天を仰いだ。
彼は日付を回った直後に連絡士官に叩き起こされていた。
陸軍総司令部には各方面から悲鳴染みた報告しか入ってこなかった。
しかもそれらは国境沿いだけでなく、国境から数十㎞程離れた場所からも舞い込んでいた。
国境はドイツ軍砲兵に、それ以外の場所は夜間空襲に晒されており、現地の部隊は全く動けないか、もしくは動けたとしても被害を免れない状況だ。
現状フランス軍にそれらを打開する手はない。
現地の砲兵部隊が撃ち返したところで焼け石に水であり、むしろ、場所を特定されて潰される可能性の方が高い。
唯一、朗報と呼べるかもしれないものはドイツ軍の上陸地点が予想通りのノルマンディーであったことだが、そこすらもドイツ海軍の戦艦群による艦砲射撃と内陸部はイギリス空軍の夜間空襲に晒されているとのことだ。
「憎たらしい程に見事だ」
ウェイガン大将はそう賞賛した。
狙いは分かる。
全ての戦線、全ての縦深に同時攻撃を仕掛け、こちらの対処機能を麻痺させることだろう。
だが、どうにもウェイガンには引っかかることがあった。
確かにこれはシンプルで、理に適っており、また誰にでも思いつくやり方だろう。
しかし、本当にドイツ軍はただ単純に物量で押し潰すだけなのか、と。
何かがありそうでならない。
もし自分がドイツの総指揮官であったなら、どうするか?
ウェイガンは思考する。
何もできないからこそ、思考するしかない。
突破作戦であることは間違いない。
おそらく大軍を、それも機甲師団と機械化された歩兵師団を控えさせていることも間違いない。
大軍を有効活用するには広い場所が重要だろう。
それも高度に機械化されて、足が速いならば動き方も自由自在。
最少の労力で、最大の戦果をあげるには――
「参謀長」
傍らに控えていた参謀長を呼ぶ。
「少し検討したいことができた。ドイツ軍のやり方についてだ。もしかしたら、彼らは、とんでもないことを仕出かそうとしているのかもしれない」
ウェイガンの頭にはドイツ軍の動き方が2つ、浮かんでいた。
多数の部隊を使って広い突破口を作った後に浸透するか、それとも各部隊がそれぞれ突破口を作って、狭い突破口を複数個所形成し、速度を重視して浸透するか、そのどちらかだ。
無論、他の動きもありうるが、おそらくその2つのどちらかではないか、とウェイガンの勘は囁いていた。