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大事の前の小事あるいは嵐の前の静けさ

独自設定などあり。

なんか、気づいたらもう夏になっていた。誰かが時間を加速させてる気がする。

「よくもまあ、こんなことを考えたものだ」


 ヴェルナーは単純に呆れていた。

 その原因は今朝、彼の元に届いた1枚の薄っぺらな紙だ。


 賛成と反対の2つの文字がその薄っぺらな紙には書かれており、投票用紙であるということは容易に分かる。

 ただ、賛成の文字は反対の文字と比較すると一回りは小さい。

 要するに、反対してくれと暗に言っている非常に分かりやすい投票用紙だ。


 この投票用紙は二重帝国におけるドイツ系住民がかつて多数居住していた地域で実施されるドイツによる併合に賛成か否かという投票で使われるものだ。

 元々大ドイツ主義か、小ドイツ主義か、で揉めに揉めた歴史がある。


 簡単に言ってしまえば、大ドイツ主義はオーストリアを含むドイツ民族の統一国家を構築しようというものであり、小ドイツ主義はオーストリアを含まないドイツ民族の統一国家を構築しようというものだ。

 前者がハプスブルク家が主導したもので、後者がホーエンツォレルン家が主導し、プロイセンが普墺戦争、普仏戦争で勝利した結果、実現し、今に至っている。


 ヒトラーはこの前、食事をした時は直接統治は全く考えにない、とそういう素振りだったが、こんなものを作って送りつけてくるあたり、その実、合併したいんじゃ、とヴェルナーは思う。

 わざわざ反対の文字を大きくしているのはしょうがなくやってることなんですよ、と周囲に印象づける為ではないか、と彼は判断した。

 そもそもヒトラーは大ドイツ主義者だ。


 ともあれ、大ドイツ主義が実現しそうな位置にあることはヴェルナーとて理解できる。

 欧州どころか世界を見渡しても、ドイツに匹敵する国は今の段階ではない。

 ロシアやアメリカはまだ発展途上、イギリスは落ち目、フランスはまもなくドイツによって打倒される。

 口出ししてくるところがなく、経済的に見てもオーストリア側がドイツと合併したほうが良いとなれば、ドイツ国内の大ドイツ主義者達やオーストリアの大ドイツ主義者達が活発化するのは当然のことであり、国民もまた広く領土が得られるという明確に勝利を実感できることだろう。


 賠償金が取れなければ、領土が得られなければ勝利したことにはならない、と考えるのはある意味常識的なことであった。


「私が電話することも予想済みだろうな……」


 そうヴェルナーは言いながら、電話へと手を伸ばす。

 意見を聞きたいが為に、こんなものをわざわざ送りつけてきたのだろうと予想はつく。


 数コールの後に、ヒトラーは出た。


『届いたか?』

「第一声がそれか。あんなのが通ると思っているのか?」

『色々あちこちからうるさくてな。大ドイツ主義の悲願……分からないでもない』

「君は元々大ドイツ主義だったな。それで、合併した場合の問題点は?」

『経済的に一時的にブレーキが掛かる可能性がある。いくら最小限に留めているとはいえ、現在、我が軍が絶賛攻撃中だからな。フランスから受けた被害も含めれば、そうなる可能性は高い』


 無論、対策は幾つか講じている、とヒトラーは言葉を締めた。


「現地住民の感情やら何やら、そういった点に関しては?」

『そのためにわざわざ投票なんてするんだ。予想だが、ほぼ確実に賛成多数で合併となるだろう。せっかく反対の選択肢を大きく与えたにも関わらずに』

「だろうな。そもそも向こう側にとって恩恵が大きすぎる。それで、どこを取るつもりだ?」

『オーストリアとズデーテンラントだ。私個人としてはどこも取らずにドナウ連邦を成立させて、色々やりたかったが、仕方あるまい。フェルディナント陛下にはハンガリーに移住して頂き、ドナウ連邦の舵取りをお願いする』

「マジャール人が暴走しないか?」

『そのときはそのときだ。まあ、暴走したところでできることは知れている。精々が分離独立だろうが、ロシアとドイツに挟まれた彼らにできることはない』


 ヴェルナーはヒトラーの言葉を確かに、と肯定する。

 少なくとも中欧で紛争が起きることはドイツ・ロシアともに望んでいない。

 故に、何かがあればすぐさま協同で鎮圧ということになる。


「二重帝国も、そう長くは保たないぞ。色々と準備はあるだろう?」

『分かっている、分かっているとも。既に私の耳には届いているからな。近日中に終わるだろう』


 そういえばヒトラーは戦争処理委員会の委員長だったな、とヴェルナーは思い出す。

 政府に色々と戦争終結や戦後処理などそういったことを提言する委員会であるが、ヒトラーの能力もあってか、かなり精力的に動き回っていると聞き及んでいた。


『フランスに関しても、迅速に片付けてくれることを望むよ』

「ああ、それに関しては安心してくれ」

『ほう?』


 ヴェルナーは思わずに笑みを浮かべた。


「皇帝攻勢の名に恥じぬものであることを約束しよう」









 このやり取りからちょうど2週間後の8月14日の正午。

 オーストリア・ハンガリー軍は全戦線においてドイツ軍及びロシア軍と停戦、翌15日の正午にオーストリア・ハンガリー政府はドイツ・ロシアの両政府に対して正式に降伏を申し入れた。

 


 オーストリア・ハンガリー、ドイツ及びロシアに降伏――


 そのニュースは世界を駆け巡ったが、衝撃を受けた者は少なかった。

 ドイツとロシアを敵に回した時点で、二重帝国の敗北は決定的であったからだ。

 いつその時がくるか、という程度であり、二重帝国の同盟国であるフランスも予想された事態として受け止めていた。


 フランスにとって、そしてドイツの同盟国及び中立国にとって、もっとも注目するのはドイツによるフランス侵攻がいつになるのか、唯その一点であった。

 南方戦線が片付いたということはドイツ軍は全力でフランスを攻撃できるということを意味する。


 事実、ドイツ軍は迅速であった。

 ドイツは南方軍集団主力をすぐさまオーストリア・ハンガリー国内からドイツ本国へ帰還させ、後には治安維持に必要な部隊のみ残された。

 

 しかし、本国へ帰還させた後、ドイツ軍はパタリとその動きを止めた。

 ドイツ空軍はこれまでと変わらずにフランスに対して攻撃を加えていたが、それすらも攻撃を受ける側であるフランスは襲来する敵機の数が全体的に減少傾向であることに気づいた。


 誰もがその意味を理解した。


 嵐の前の静けさである、と。















 世界が固唾を呑んで見守る中、ドイツでは皇帝攻勢の実施日時を決めるべく、統合国防会議が開かれることとなった。

 8月25日のことだ。



「それでいつにするかね?」


 会議の開口一番、ゼークトが問いかけた。

 その問いに、まずシェーアが答える。


「海軍としては既に万端だ。何時でも構わないが、あまりに遅らせるのは気候的に問題がある」


 シェーアの言葉に続いて、ヴェルナーが口を開く。


「空軍としても現状であるなら何時でも構わない。予定通りにいつでも支援を出せる」


 空軍は二重帝国との戦いで極少数機が事故や対空砲火で失われた程度であり、補充に苦労するものでもなかった。

 既に二重帝国に振り向けられていた航空戦力は二重帝国の治安維持として残した部隊を除けば、それぞれ西部方面の基地に展開を完了、待機状態に入っている。


「陸軍次第と考えてよいか?」


 ゼークトの再度の問いに、シェーアとヴェルナーは肯定する。


「陸軍としても、既に補充と休養を済ませ、今この瞬間にも部隊は予定地に向けて移動している。我々の準備はあと数日で整う」


 故に、とゼークトは続ける。


「9月1日とする。なるべく迅速にフランスは片付けねばな……ヴェルナー・ドクトリンの真価が問われるところだ」


 ヴェルナーを見て、ゼークトはそう言った。

 対するヴェルナーは困惑したように苦笑いを浮かべる。


 かつてヴェルナーが陸軍にいた頃、取り組んだものであった。

 あれのせいで非常に苦労はしたが、今になって思えば苦労した甲斐はあったとヴェルナーとしては思った。

 ふと、彼の脳裏に昔のことが思い起こされる。


 たまには早引きして、感傷に浸るのも悪くはない――


 ヴェルナーはそう思い、会議の後は早引きすることに決めた。

 幸いにも彼の午後の予定には来客も会議もなかった。











 国防会議の後、ヴェルナーは電話でミルヒに早引きすることを伝え、空軍省には戻らず、そのまま自宅へと直帰していた。

  

「あなたが帰ってくるなんて珍しいわね」


 妻のエリカの言葉に、ヴェルナーは苦笑する。


「たまにはそういう日もある。ゾフィーは?」

「あの子なら、最近、部屋に篭って何かを作っているわ」

「……だいたい想像がついた」


 ヴェルナーは予想がついた。

 頭が悪いわけではない、性格も良いだろう。

 だが、どこでああいう風にこじらせてしまったのか。

 次女達や長男達はそれほどでもないというのに。


「同好の士でも探した方が早いかもしれない……ああ、既にそうしていたか」


 出版社を立ち上げて、結構色々なことをゾフィーはやっている。

 そこに所属している面々はいわゆる同好の士といえるだろう。


 ともあれ、新しい娯楽の為に、とヴェルナーもその立ち上げには協力しており、一部ではゾフィーの出版社の小説やら雑誌やらはカルト的人気を誇っているらしい、と小耳に挟んでいた。


 恋の一つや二つ、やってくれてもヴェルナーとしては大いに構わない、というよりも早く結婚してくれ、犯罪者以外なら誰でもいいから、とわりと切実に思っている。

 相手がよほどにおかしい輩でなければ基本、ヴェルナーは容認する姿勢だ。


 勿論、ヴェルナーは相手の身辺調査を、こっそりとカナリス経由でハイドリヒに頼むつもりだった。


「エリカ、コーヒーでも一緒に飲もう。たまには昔のことでも話そうじゃないか」


 ヴェルナーはそう言って、エリカを抱き寄せた。














 スイス、ジュネーブ。

 永世中立国である彼の国の都市、そこにある某ホテルの一室では数人のフランス人と、同じく数人のドイツ人が対面していた。

 表向きはどちらも商社の社員ということになっており、フランスのボルドー・ワインの商談ということになっている。


 しかし、その実態は商社マンなどではなく、一方はオルレアン派所属の者達であり、もう一方はドイツ外務省から派遣された者達であった。

 彼らの目的は講和であり、これまでに幾度も会談が行われ、既にそれは最終段階に及んでいる。


「近いうちに、ドイツは最終的な解決を実施します」


 ドイツ側の全権大使である男はそう告げた。

 ぼかしているが、意味するところは一つしかない。

 対するフランス側は特に驚きはない。


 オーストリア・ハンガリーが敗れた段階で、それは簡単に予期できたことだからだ。


「我々としては特に変更はありません」


 オルレアン派の講和交渉の代表である男はそう返した。


 概ねドイツ側の提案した通りの案を呑む形だ。

 そして、その提案は現フランス政府に対して要求したものとほとんど同じ。

 唯一の違いがあるとするならば、戦後の枠組みにある。


 オルレアン派がフランス正統政府となった場合、立憲君主制国家として再スタートを切り、安全保障の為にドイツと同盟を結ぶというものだ。

 無論、それに関する支援はドイツが全面的に行う。

 

 この件に関してはイギリスに対し、ドイツは既に承諾を取り付けてあった。

 イギリス側はドイツの案件を認める代わりに、フランスに対してイギリスの提示する条件を呑むよう働きかけることを要求した。

 ドイツ側もイギリスの条件をイギリス側に示してもらったが、常識の範囲内であった為に承諾した。


 イギリスの提示した条件は賠償金300億フランと幾つかの植民地の割譲といった程度であり、賠償金支払いも分割払いを認めていた。


 オルレアン派の返答に、ドイツ側は満足していた。

 しかし、とオルレアン派の誰も彼もが心の底ではあることを思っていた。


 ドイツ軍に一度でいいから、勝利してほしい、と。

 フランスの意地を示してほしい、と。


 政治形態はともあれ、祖国は祖国。

 圧倒的に負けて欲しいなどとは到底彼らには思えなかった。









 8月28日――

 朝もやの中、キール軍港は多数の将兵と多数の戦車などの車両、火砲でごった返していた。

 岸壁に横付けされた輸送艦や民間から徴用した輸送船――それらは全ていわゆるRo-Ro船であり、ランプウェイを備えている為、比較的スムーズに将兵やその装備類を船内に収容していく。


 広いキール軍港といえど、さすがに多数の大型船が停泊すれば手狭となっているが、この光景はキールだけに留まらず、ロストクやリューベックなどのバルト海に面した港湾では同様の光景となっている。

 一方、ヴィルヘルムスハーフェンはフランスから比較的近いため、上陸部隊の乗船地からは除外されていた。


 今回のバルバロッサ作戦に参加するフネは大小合わせて数百隻にも達する。

 フネの博覧会にも等しい。


 彼らはこれから短い船旅の後、フランスはノルマンディーに上陸するのだ。




 キール軍港の壮観な光景を双眼鏡で見、愛用のライカで数枚の写真を撮った後、エルヴィン・ロンメルは手土産片手に、ある建物を訪れた。

 3階建てのその建物は頑丈なコンクリート製であり、海軍に貸してもらったものだ。


 ロンメルは警護の兵士達やすれ違う士官達に挨拶しながら、建物内をずんずんと進んでいき、やがてある部屋の前に辿り着いた。


「よう、パウルス。まだ生きてるか?」


 ロンメルはそう言って、扉を開けると、そこには執務机で突っ伏して眠っているパウルスの姿があった。


「……ダメだこりゃ」


 パウルスはバルバロッサにおける兵站関係の総責任者であった。

 彼が今日に至るまでの忙しさはロンメルの想像を絶していた。

 そうであったが故、今、その疲労から死んだように眠っていた。


 パウルスは直に部下によって起こされるだろうことは容易に想像がついた。 

 ロンメルは出撃前に友人に会いに来たのだが、さすがに叩き起こすのも可哀想だと思い、持ってきた手土産――スコッチをどん、と執務机に置く。


「パリに一番乗りしてやるからな。それでも飲んで、休んどきな」


 バルバロッサ作戦の総司令官であるマンシュタインはグデーリアンが率いる第6装甲軍を丸々に引き抜いていた。

 ひとえにそれは上陸後、迅速に内陸部へ浸透する為。


 ロンメルは幾人ものパリ一番乗りを目指すライバルがいることを知っている。

 だが、勝つのは自分だと確信していた。




 

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