それぞれの準備
独自設定・解釈あり。
ヴェルナーは空軍省の執務室で憂鬱な報告書を読んでいた。
基本彼を憂鬱にさせるような出来事といえば、娘の結婚相手が決まらないことであり――お見合いの場で相手側に対してお父様と同じくらいの人間ですか、と真顔で娘が尋ねてしまったとき――くらいだ。
『開戦時における陸海空軍における問題点と改善点――第7次報告』
それが彼を憂鬱にさせている書類の正体だ。
端的に言ってしまえば、過去の対応に問題はあったか、その改善はどうするか、とそういう報告であった。
戦況が安定した頃、音頭を取って、この調査をはじめたのはヒトラーであり、彼はヴェルナーと友人ではあるものの、かといって容赦は全くしなかったのだ。
空軍が開戦初日で西部方面の部隊が軒並み全滅したのはどういうことだ、ということから始まり、また当時の新型機であるJF13が開戦時点で現場部隊にほとんど配備されていなかったこと、防空体制の不備などなど空軍補給本部の総責任者の怠慢であるとまで言っている。
好き放題に言われているのだが、やられっぱなしのヴェルナーではない。
この改善委員会による会議に出席して当時の状況からフランスの奇襲を予測するのは不可能に等しいと真っ向から反論し、また当時の軍事予算が極めて低い割合で推移していたことや、これら当時の問題点を踏まえた現在及び今後の対応についても伝えている。
一番割を食ったのは誰であろう、ヒトラー以外の改善委員会のメンバーであり、ヒトラーとヴェルナーというかたや政治の、かたや軍事の二大巨頭の壮絶な言葉による殴り合いに、身を縮こまらせるしかなかったのだ。
同じく出席していた陸軍や海軍の将官達がヴェルナーを、改善委員会のメンバーがヒトラーの間に入って宥める始末であり、双方ともにヴェルナーとヒトラーが互いに言いたいことを言い合った為、言うことがなくなってしまったという微妙な状態であった。
扉が叩かれる。
ヴェルナーが報告書を執務机の端に置き、許可を出すと入ってきたのはヒトラーだった。
激しく議論したが、それは公人としてであり、私人としての関係は極めて良好であった。
「ああ、それを読んでいたのか」
件の改善報告を見つけ、ヒトラーはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「空軍補給本部の総責任者の怠慢とは大きく出たな。もっと予算寄越せばあの時点でも、最新の装備を整えられただろうに」
「過去を振り返っても仕方がないだろう。それに、我が国にとっては普仏戦争以来の、実におよそ60年振りの戦争だ。粗が出ても仕方がない」
ヴェルナーはそれもそうだ、と頷く。
誰も彼も理解しているのだ。
フランスの奇襲はどうしようもなかった、と。
とはいえ、誰かが泥を被らなければダメなわけであり、ヒトラーは当時の問題点の調査をはじめた段階でヴェルナーにあらかじめ泥を被ってくれるよう依頼したのだ。
故にヒトラーは空軍という組織全体ではなく、名前を出してこそいないが、明確に誰か特定できるような文言を報告書に組み込んでいた。
「この件に関する空軍内での根回しに関しては?」
ヒトラーの問いにヴェルナーは答える。
「既に済んでいる。ハイドリヒにも、念の為に頼んである」
「それは良かった。ところで……空軍の総責任者は客に茶の1杯も出さないのかね?」
そう言って、厚かましくソファに座ったヒトラーにヴェルナーは苦笑する。
「今日、私に来客の予定はなかったな。今、ここには私しかいない。そうだろう?」
「とすると、私は透明人間か、あるいは幽霊か、それとも精霊か、もしくは神ということになるな」
「すごい話だな、どちらにしろ人間ではない。私は一体誰と喋っているのか?」
「哲学的な話になってきたな。で、結局、茶はくれるのか? くれないのか? そこが最も重要だ」
ヴェルナーは仕方なく、部屋の外にいる従兵に茶を2つとお茶菓子を頼む。
「それで、奇襲をかけてきた我らがアディおじさんは何を持ってきた?」
「ああ、実は一言で終わる話なんだが……ロシアが動くぞ」
ヴェルナーは思わず耳を疑った。
そんな話は全くどこからもきていない。
「それはどこだ?」
絞りだすように、問いかけた。
もしも万が一、ロシアが突如同盟を破棄し、電撃的にドイツ東部へ侵攻してきた場合、とてもではないが支えきれない。
いかにフランスが死に体とはいえ、ロシアの全力を受け止めればその分、西部は手薄になる。
「もしかして、勘違いをしているか? 二重帝国だ。連中はようやく重い腰を上げて、とりあえず協定分は頂こうというつもりだ」
ヒトラーの言葉にヴェルナーは安堵の息を吐く。
そして、勘違いした最悪の場合の対策――すなわち、同盟を破棄して後ろから殴りかかられるという最悪の事態に対するもの――が存在していなかったことに戦慄した。
すぐに対策チームを置こう、と彼は心に決める。
「陸軍は……」
知っているのか、と問いかけようとして電話が鳴る。
ヴェルナーが失礼、とヒトラーに会釈して取れば相手はゼークトだった。
『ルントシュテット元帥、すぐに二重帝国方面に部隊を回せるかっ!?』
随分と焦った口調だ。
「バルバロッサの事前爆撃に回していますが、いくつかの予備戦力がありますので、近接支援と上空直掩程度は可能です」
『それで構わん! ロシアが動いた、連中に負けてなるものか!』
ガチャン、と通話が切れた。
「陸軍からの支援要請だったろう?」
ヒトラーの問いにヴェルナーは頷く。
すると、扉が叩かれ、従兵がお茶と茶菓子をお盆に載せてもってきた。
「二重帝国軍は弱体だ。ロシア人は、やり過ぎてしまうかもしれん」
ヒトラーの問いにヴェルナーはただ頷きながら告げる。
「協定を結んでいるとはいえ、連中に占領されては面倒だ。海への出口は我々が抑えなければならん。そうしないと、厄介なことになる」
ヴェルナーはお茶を少し飲み、電話を掛ける。
掛ける先は空軍参謀本部であった。
ヴィルヘルムスハーフェンにて、レーダー元帥は見慣れない艦艇を司令部の執務室から眺めていた。
「初めての艦種なのに、これほどまで巨大な規模にするとはね」
海軍も中々やるもんだ、と思いつつも、これをこっそりと持ち込んできたヴェルナーにレーダーは溜息を吐かざるを得なかった。
上陸作戦に伴うありとあらゆる作戦行動を可能にする多機能艦――
それがエルベ級揚陸艦であった。
「下手な戦艦よりも大きい」
その巨体は空母と見紛う全通甲板であり、STOL機の運用は無論、将来的にはヘリコプターの運用もできるようにされている。
また後尾に設置されているウェルドックから多数の上陸用舟艇を迅速に艦外へ出すことが可能であり、1個大隊相当の人員と装備及びその補給品を詰め込み、病院設備すらも整えている。
傍目には単なる巨大な輸送艦か空母にしか見えず、他国の軍人にその概念を説明しても、懐疑的な目を向けられるだけの存在だった。
ともあれ、機能的にはコンセプト通りに仕上がった艦ではあったが、大きな問題が一つあった。
それは値段だ。
空母以上戦艦未満という極めて高価なもので、実験的なものとして戦前に2隻が用意されたに留まった。
戦争が始まってからはエルベ級の欠点を見直し、改良を施しつつ、部品等の共通化を図ることでコスト削減と性能向上を果たそうと野心的に海軍は動いていたりする。
ともあれ、それだけでは予定されたバルバロッサ作戦には到底間に合わない為、エルベ級から必要最低限の機能のみを残し、値段も手頃なローダッハ級も用意されている。
もっとも、ローダッハ級も急造するには間に合わず、数隻が何とか用意されたのみで、数の上での主力はウェルドックを装備していない輸送艦や民間から徴用した輸送船だった。
第一波をエルベ級・ローダッハ級で送り込み、迅速に橋頭堡を確保、そののちに従来の船舶でもって大量の兵力を陸揚げする――
それが予定された行動であった。
扉が唐突に叩かれる。
許可を出せば士官が書類の束を持ってやってきた。
「……やはりというか、凄まじい量だな」
バルバロッサ作戦に伴う参加兵力等を記載した最終的な報告書だ。
執務机に置かれたその書類束のうち、とりあえず1枚目を手にとってみると、そこには海軍が動員する艦艇数や兵員・物資を運ぶ船舶数が書かれていた。
担当者が桁を間違えているのではないか、とレーダーが思うほどにその数は膨大であった。
「史上最大の作戦になりそうだ」
レーダーも長いこと海軍にいるが、今回の作戦ほどに多数の軍艦が集結し、1つの作戦に従事することはこれまでただの一度もなかった。
「フランスの海岸を全て更地にするつもりか?」
山口多聞は会議の場でドイツ側からもたらされたバルバロッサ作戦の概要を聞いて、思わずそんな言葉が口に出てしまった。
「山口少将、気持ちはよく分かる」
遣欧艦隊の長である角田覚治もそうとしか表現できない気持ちであった。
遣欧艦隊もドイツ側から正式に上陸船団の護衛及び事前砲撃等の支援を要請されており、それを角田は承諾したのだが、ドイツ側の事前行動にやはり驚愕することになった。
上陸地点はノルマンディー海岸。
しかし、欺瞞行動としてフランスの英仏海峡沿い、ブレストからカレーに至る海岸地帯を文字通り根こそぎに連日爆撃――ドイツ側呼称「西方の風」作戦――を行っている。
ここまであからさまに海岸を爆撃されれば上陸作戦がある、と教えているようなものであったが、爆撃範囲があまりにも広範囲過ぎて、フランス側は逆に絞り込めていないとのことだった。
無論、これまで通りに工業地帯への戦略爆撃等も幾分、規模を減じているとはいえ実行されている。
どれだけの兵力があればこんなことができるんだろうか、と角田以下誰も彼もが思ってしまうことだった。
「我々の立ち回りですが、我が艦隊は最もダカールに近い、ビスケー湾周辺の哨戒を作戦発動時に依頼されました」
参謀長の志摩の言葉に一同頷く。
それはかねてからの望みでもあった。
これだけの戦力を揃えてきたのに、やったことは陸上に対する砲撃のみ。
予算の無駄遣いではないか、という議論が内地では起こっているという。
「フランス艦隊を撃滅し、日本海軍の武威を示す。それくらいせねば、今後に支障が出る」
角田の言う、支障とは日本がこのまま侮られたままである、ということを意味していた。
何故か知らないが、ドイツ側は日本に対して好意的だ。
現在までに日本はドイツから既に膨大な援助を受けている。
いつまでもおんぶに抱っこではいずれは切り捨てられる可能性は十分にあった。
「幸いにも、ドイツ製の電探を無償で供与してくれました。熟練した見張り員よりも早く、正確に敵艦や敵機を察知できるとは……」
「気前が良すぎて逆に怖いな」
何を要求されることやら、と角田は続けたが、その言葉は山口や志摩といったこの場にいる者達の心を代弁していた。
「これはとんでもないな」
大西瀧治郎は以前と同じ感想を思わず呟き、苦笑する。
場所も以前と同じ横須賀であり、現在、彼はドイツ側から納入された航空機のテストを視察していた。
陸海軍共同で採用を決めたドイツ海軍のMB11グライフ。
最大爆装量5トンを誇り、最大爆装状態で最大速度553km/hを叩き出し、その状態で2000km、爆装しない場合は最大速度632km/hで4800kmという航続距離の規格外の艦上機だ。
しかし、唯一の不満点があった。
それは日本側のメーカーの経験が浅い、液冷エンジン、しかも24気筒とかいう化け物エンジンであったことだ。
製造は愚か、メンテナンス部品の生産さえ困難を極めるというのが三菱や中島といった航空機メーカーから意見が出された。
そして、現場からも意見が上がった。
それは液冷エンジンの性質上、エンジンに1発でも被弾した場合、たちまちのうちに機能不全を起こす。
また液冷エンジンを装備した航空機は未だ採用されておらず、今回が初めてであるので整備・運用が極めて難しい、といった具合だ。
性能は非常に捨てがたい、何とかならないか、と大西はドイツ側に質問してみたところ、彼らはあっと驚くことをやってのけたのだ。
「……液冷エンジンというのはすぐに空冷エンジンに換装できるものなのか?」
大西は空飛ぶMB11グライフ改め、MB21グライフという――日本側名称 91式艦上攻撃機 流星――空冷エンジンを装備した機体を見つめる。
変わったところといえば、機首部であり、液冷特有の尖ったものからずんぐりとした機首になっている。
全長も少し延長されているらしい。
しかも、肝心の性能は上昇しているとのこと。
「ドイツ側はワスプ7150という空冷エンジンを採用したとのことです。空冷・液冷エンジンをすぐに換装できるようにしてあったのは、どちらかのエンジンの供給が滞っても、少しの手間ですぐに戦力を補充できるようにしていたとのことです」
担当の技術士官からそう言われ、大西は唸る。
ドイツはそんなことまで考えていたのか、と。
「以前の液冷エンジンが3800馬力でしたが、今回の空冷エンジンは元々、大陸間戦略爆撃機として計画されていたもので……」
「待て、大陸間戦略爆撃機?」
大西は思わず問い返した。
大陸間、ということは当然にドイツ本国からアメリカや日本、あるいはオーストラリアといったユーラシア大陸の外にある目標を攻撃するのだろう。
「自分も、初めて聞いた時は耳を疑いましたが……ドイツ空軍では数年前から計画され、試作機まで作られたそうです」
さすがのドイツも試作機で終わったのか、と大西はドイツのできないことを見つけてなぜだか安堵した。
しかし、技術士官の答えは大西の予想を簡単に裏切った。
「噴進式エンジンの量産に目処がついたとのことで、レシプロ機としての爆撃機はキャンセルされ、噴進式エンジンを搭載したタイプのものが開発中とのことです」
「あー、そうか……」
大西がドイツの山本五十六から聞いた話によれば、既存のエンジンよりも噴進式は効率良く、推力というものを発生させるらしい、とのこと。
馬力とはまた違ったものらしいが、山本も詳しいことまでは分からないとのことだ。
「今回、搭載したこのR7150は最大で4300馬力を出せるとのことです。その為、エンジンの分、重量がやや増していますが、それでも全体的に性能が向上しています。価格は据え置きだそうです」
「……これ以外にも空冷エンジンに換装された機体があったな。それらも似たようなものか?」
「はい、そうです。いずれも価格は据え置きで」
大西は天を仰いだ。
つくづく、ドイツが味方で良かった。
彼は心の底からそう思うのだった。